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どうも。ちょっと反抗的な返信になるけど許してね。
>ざっくばらんに言ってしまうと、なんていうか淡白でした。地の文における表現から色彩が感じ取れない、とでも言いましょうか。厚みがないみたいな。
>前述の通りテーマについては置いておくとして、もっと場景を感じることのできる表現が欲しかったところです。知る、ではなく、感じる。
寧ろ、この作品はその淡白さこそがテーマに繋がるのですよ。淡白さが伝われば俺としてはいいかな、という感じです。
長編小説でこの手法を使うと、さすがに描写不足になりますが短編ならではということでやりました。
しかし、俺の小説の文章はもともと淡白な文、というよりは淡白に見える文なんですよ。それらの文にはちゃんと意味を持たせてあるつもりです。
また、いくつか自分なりの文に改変して書いてくださったみたいですが、やはり個性レベルの違いでしかない、と思います。現に俺は俺の文章のほうに美しさを感じます。
例えば、冬きゅんが書き出しにつけてくれた「ふと」。これは主人公が瞬間を認識した場合などに俺は使います。この作品中ではそういった場面はなく、主人公はあくまで周りで起きる現象を淡々と認識しているので使いません。また、その後にある「微かに"すれ違うように"目を合わせ、またすぐに外を向いて"しまう"」などといった表現も使いませんでした。
この作品ではあまり強く表れていませんが、表面は淡白でも裏に見える感情の動きなどが繋がっていく様が俺は好きです。「それっぽい」だけの表現が感性的かというと、そうではない、と俺は思うんですよ。その結果表れた形が俺と冬きゅんの感性の差なんじゃないかな、と思います。
>ですが、折角の一人称ですので、主人公の主観というヤツをもっと意識してみるとしっくりくるものが書けると思います。主人公が見たものだけでなく、思ったこと、感じたことを書いてナンボですから。
書いてナンボ、というのはひとつのあり方でしかない、と俺は思います。
一人称の特徴として心情描写がありますが、書きやすいというだけで書かなければいけないわけではありません。また、表面的思考を書くことで裏の感情を表現することもできます。主観は必要になればどういう形でも表せるのです。
>それとどうしても気になったのが、なんといいますか、文章の不自然な繋がりです。
>
>全体的に淡白が過ぎるせいか、読んでて「ん?」と思ってしまう文章がところどころに生まれてしまっている。これはとても見過ごせないポイントだと思います。
これも個性レベルだと思います。
外を向いた〜そろそろ、は意図して書きましたし、こちらのほうが寧ろ感性的で且つ意味も通ると思いました。
カゴに入れた〜少し、も意図しました。こちらは重要な場面なので後ろの文章は強調するように書きました。僕のチャオを見ながら、という文があるため繋がりは不自然ではないと俺は感じます。
晩ご飯の下りは俺も意味がわからない。ごめん。
反抗的な返信になっちゃったけど、鍛錬室だからどんどん意見を言ってもらって構いませんよ。寧ろ、鍛錬を目的とするのならみんなどんどん言い合うべきだと思うんですけどね。あと、自分の作品を解説してもいい人はどんどんしていっても良いと思いますね。作者が意識していることを知るのもいい勉強でしょう。
感想ありがとうございました。
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