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おかしな話をしよう。
それはぼくが世間というものを知って、初めておかしいと思った話だ。
先ず、ぼくには二人の親がいた。
一人はお父さん。白衣と眼鏡という、特徴的だけどなんだか無個性な見た目の人だ。話し相手がたくさんいる。棚の本とか、机の上の紙とか。話し相手にはぼくも含まれていたが、返事を返してくるのはぼくだけだ。それでも特に不満はないらしい。
一人はお母さん。同じく白衣に身を包み、切るのも面倒だと髪を無造作なポニーテールにするくらい大雑把な人だ。よく鼻歌を歌う。聴き手がぼくしかいないのだが、それでも歌うのをやめない。動きの一つ一つも踊っているように見える。でも別に楽しいわけじゃないんだとか。
二人の仕事は、ぼくを知ることだそうだ。だからぼくもそのお手伝いをする。ぼくはお父さんもお母さんも好きだから、役に立てるのは嬉しかった。
ぼくのすることは一つ。お父さんとお母さんの質問に答えることだ。
「私が何を考えているか、わかるかい?」
一つ頷いて、ぼくは答える。
「おたばこ、なくなっちゃったなって」
お父さんはぼくの頭をぽんぽんと撫でてくれた。正解みたい。
「わたしが何を考えてるか、わかる?」
二つ頷いて、ぼくは答える。
「おめめ、つかれちゃったなって」
お母さんはぼくの頭をゆっくりと撫でてくれた。これも正解。
このやり取りを、思い出した頃に繰り返す。これがぼくたちのお仕事。これを繰り返せば、二人はぼくのことを知ることができるんだそうだ。
思い返せば、実におかしな話である。
ある日、お父さんとお母さんが喧嘩していた。
何があったのがは教えてくれなかったが、話はなんとなく聞き取れた。お母さんが、結婚がどうの、とか言ったらしい。お父さんが、別にそういう関係のつもりはない、とハッキリ言うと、騒がしかったお母さんがぴたりと静かになった。
そしてお母さんが、こんなことを聞いてくる。
「彼、わたしのことをどう思ってる?」
ぼくはお父さんの目が泳いでいるのを尻目に見て答えた。
「どうしようっておもってる」
それを聞いたお母さんは、不思議と悲しそうな素振りもなく立ち去った。お父さんは背を向け、椅子に腰を降ろした。
相当おかしな話だけど、この時点で気付かなかったぼくも相当におかしかった。
それが原因なのかはわからないけど、お父さんがある日、ぼくに一人部屋をくれた。
「今日からここがおまえの部屋だ」
そこはいつも一緒だったお母さんの部屋とどこか似ていて、でもかなり違っていた。まず目についたのが、他の部屋と同じような、棚にみっちり詰まった本。お母さんの部屋のより小さめのベッド。やわらかいボール。積み木。エトセトラ、エトセトラ。
ぼくは不意に胸が苦しくなったような気がして、お父さんにしがみ付いた。
「お母さんと一緒がいい」
特におかしなことは言ってなかったつもりだが、お父さんは大層驚いた顔をした。それでもすぐにいつもの表情に戻り、ぼくに言い聞かせた。
「これも仕事だ」
仕事。これをこなせばお父さんとお母さんが喜んでくれる。そう思うと、ぼくは少し決心が固まった。でも、初めて一人で寝るのは酷く不安だった。
後に聞いた話なのだが、ぼくがお母さんのことを「お母さん」と呼んだのは、この時が初めてだったそうだ。
それからも、ぼくはお仕事を続けた。
「私が何を考えているか、わかるかい?」
ぼくはお父さんをじっくり眺めてから言った。
「……手、汚れちゃったなって」
意表を突かれたような顔で、お父さんは鉛筆で汚れた手を見た。ぼくを撫でてはくれなかったけど、お父さんはどこか満足気だった。
「わたしが何を考えてるか、わかる?」
ぼくはお母さんの目をじっと見つめて言った。
「……皺、増えてきたなって」
後ずさるくらい驚いて、お母さんは顔に手を当てた。凄くショックを受けてたけど、お母さんはそれ以上に興奮していた。
なにかおかしい。
そう思ったぼくは、棚にあった本をとにかく読み漁った。人はこれを読んで頭がよくなるそうだから、ぼくもこれを読めば頭がよくなって、なにがおかしいのかわかるかもしれないと思った。
ぼくが選んだのは、お仕事の本。お店の店員やレストランのコック、医者に警察に消防隊、いろんな仕事がたくさん載っていたけど、お父さんとお母さんがやっている仕事については何も書かれていなかった。わからないことが増えただけだった。
ぼくはもっとたくさん本を読んだ。知識を蓄える為の本以外に、物語も読んだ。一番印象的だったのが、騎士とお姫様の話だ。お姫様がある日、魔王にさらわれてしまった。騎士は幾多の苦難を乗り越え、魔王を倒し、お姫様を助けた。やがて騎士とお姫様は結婚し、子供を生んだ。騎士とお姫様の家族は幸せな人生を過ごした。めでたしめでたし。
そこでぼくは気付いた。確かお母さん、結婚がどうのって言ってて、お父さんに断られた風だった。つまり二人はまだ結婚してないんじゃないのか。それなのにぼくは二人の子供なのか。
わからないことはたくさん増えたけど、お父さんにもお母さんにも聞くことはできなかった。今、ぼくたちは幸せなんだ。それをぼくが壊してしまうんじゃないかって気がして、怖くて聞けなかった。
今にして思えば、結婚がどうとか、それどころの話ではなかったんだけど。
そしてある日、ぼくに最後の仕事がやってきた。
「この子が何を考えているか、わかる?」
そう言ってお父さんとお母さんが連れてきたのは、どういうわけか人形だった。
なんて言ったらいいか、全然わからない人形だった。特徴というものがない。表情も無いし、派手な服を着ているわけでも無い。無い無い尽くしの無個性な人形だった。
ぼくは悩んだ。必死に悩んだ。わからないじゃだめだ。何か答えないといけない。これはお仕事なんだ。これができないと、お父さんとお母さんは笑ってくれない。
ぼくは考えた。必死に考えた。人形が何を考えているのか。ぼくは人形の目をじっと見つめた。人形もぼくの目をじっと見つめてくる。同じことをしてくる。
悩んだ末、考えた末、出てきたのは今までで一番苦しい答えだった。
「……ぼくが何を考えてるのか、考えてる」
お父さんは笑ってくれた。お母さんも笑ってくれた。
「ありがとう。お仕事はこれでおしまい」
それを聞いたぼくは、その場にへたり込んでしまった。
さっきまで泣きそうなくらい苦しかったのが嘘みたいに、空虚だった。
――これがぼくのコドモ時代だ。
その後、お父さんとお母さんは自分達の研究成果を学会で発表した。
二人の仕事は、ぼくを知ること。というよりも、チャオを知ることだった。当時、チャオにはキャプチャ能力に加え、心を読む超常的な力があるのではないかと言われていたそうだ。二人はこれを研究する為、生まれたばかりのぼくを引き取った。
二人が学会でどのように発表したのかは詳しく知らないけど、結論としてチャオに心を読む力はない、人間以上に観察力に長けているだけだということになったそうだ。
でも、最後の実験であるあの人形の件については、どういう意味があったのかわからなかった。
で、一番気になっていたことだけど、結局お父さんとお母さんは結婚していなかったんだそうだ。
今にして思えば、結婚していなくても別になんらおかしいことはなかった。だってお父さんとお母さんは人間で、ぼくはチャオだ。ぼくが二人の子供であるはずがない。それをぼくは勝手に二人の子だと思い込み、結婚していない二人のことで勝手に悩んでいただけだった。
それを知ったぼくの頭の中はもうぐちゃぐちゃで、本当のお父さんとお母さんの存在を知ってさらに混乱した。結局これからどうすればいいか答えを出せなかったぼくは、お父さん達とお母さん達の折衷案として、みんな一緒に暮らすことにした。
今、ぼくには二人のお父さんと、二人のお母さんと――一人の兄弟がいる。
「きみは何を考えてるの?」
人形は何も答えない。
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