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> 「わかるか。なくなるんだ」
無を扱うため、最初に提起する。
> 中年の男が言う。
中年:経験の象徴。熟してはいない。
また、中年の男は俺の内面の一要素である。
> 「わかるさ。何も残らない」
> 俺はグレープジュースを飲む。
俺は、自らのチャオの死、死体すらも残らない無を想像する。
グレープジュース:ぶどう一粒は、自分を構成する一要素。
落ちた粒からジュースが作られる→グレープジュースは自分から落ちた要素
ジュースを口に含む→落ちた要素を味わう→死んだチャオを思い出し悲しむ
> 「お前は何もわかっていない」
> 中年の男は自らの腕を切り落とした。
> 「こういうことだ」
感覚の無を、俺の経験である中年の男が腕を切り落として、俺に伝えようとする。
腕→何かをするときに一番使われる部位。つまり、俺の経験の中で一番行動決定の際に使われていた経験→チャオの死
チャオの死は、客観的な無ではなく、飽くまでチャオにとっての無である、という主張を俺の感覚を使って理解させようとする。
> 中年の男の腕は床の上に横たわっている。
それでも俺は、感覚の無ではなく、飽くまで客観的に落ちた腕を見ている。
> 「お前はまだ何もわかっていないようだ」
俺が感覚の無に注目しなかったことによる発言。
> 俺のチャオが灰色の繭に包まれた瞬間が思い出される。
> 「こういうことではない」
> 俺の口に入っているグレープジュースの味がなくなった。
> 「そういうことだ」
経験である中年の男が、その一部である瞬間を思い出させる。
口の中のグレープジュースの味がなくなる→死んだチャオに心を動かされないようになる→中年の男の腕が落ちたから
> 俺はグレープジュースを飲み込み、
俺は死んだチャオに心を動かされない自分を受け入れている。
> 首を上げて中年の男の顔を見る。
首を上げて→中年の男は無を軽視するようになった俺を見下している。
> 「お前は何もわかっていない」
経験のみで語る中年の男を、経験を踏まえた上で話す俺は見下す。
> 俺の言葉に、中年の男の顔は紅潮した。
自分のほうが優位だと思っていた中年の男は、俺に見下された発言をされ憤る。
> 「実は取れたんだ」
実とは、チャオのこと。
無の経験も、俺の要素でなくなった。
中年の男は経験そのものであるため、経験の無を知らない。
> 「死ね」
> 中年の男の言葉の後、俺はなくなった。
中年の男は自殺する。
経験(すべての記憶)を失った俺は、自我を失う。中年の男による感覚的な無を伝えるための無意味な最終手段。
しかし、俺はもはや違う人間になってしまったので、その面でも無意味に終わる。
全体を通して、強い主張はない。色々ぶちこんだ。ある意味では人間らしい。
ぶっちゃけご想像にお任せ、でいい。
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