|
まぁ、ご勘弁を……と最後におっしゃられているので批評はしないでおこうかと思いましたが、ここは「鍛錬室」と言うことを念頭に置いて色々言うことにします。
一つ目は、なんだか話がフワフワしているような気がしました。
何と言うか……入り込めないんですよね。
「読者さんへの〜」とか「厨二病〜」とかのちょっとおふざけが入る下りで、せっかく小説のビジョンが頭の中で立ち始めたとたんに、バッサリとそれを切られてしまうというか。
つまり、物語の中に入ろうと思ったとたん、ただの一文章になり変り、また物語に入ろうとした瞬間、ただの一文章に再び戻るような、そんなフワフワ感です。
シーン移動も結構不自然に感じられ、結局最後の感想としては、一部一部を客観的な眼で見つめてしまって終わったという想いです。
ホップスターさんの心中を文字面だけの情報しか把握していない俺が察することはできません。空元気が高じてそういう表現に行きついたのかもしれません。
ですが、もうちょっと真面目なテーマなら真面目な感じのまま、きちんと推敲もして文章を書いても良かったような気がします。
二つ目は「…」の使い方です。
これに関しては俺も最初戸惑ったんですが、基本的に三転リーダやダッシュは「……」や「――」と二つ繋げて表現するのが基本ルールとなっているみたいです。
確かに、これを使い始めてみると文章も読みやすくなり、適度に間をとることもできるようになるので、使ってみることをお勧めいたします。
* * *
ここからは少しきつめの文章を書いているので飛ばしていただいて結構ですが……
俺は身近な方の死をあまり経験したことがあまりないのでそのような心情に関してはよくわかりません。
ただわかるのは、確かに一つの方向に自らの気持ちが大きく傾くと、何かを創作して堪らないと思うことはよくある、ということです。
実際、怒りが感じられる何らかの事件があると、アーティストはそれを糾弾する歌を書きあげますし、あまりに愛らしい人を見て、キャンパスにその姿を写そうと筆をとる画家もいます。
……ですが、彼らに共通していることは、決してそのこと直接に関しては自らの口を割らないということです。
その想いを何らかの作品にぶつけたのなら、それで自らの感情をすべて語ろう、自分の口でそのこと直接は語らないでおこう、いや語る必要がないだろう、と。
要するに俺が言いたいのは、本当に最後のあとがきは正直蛇足にしか感じられなかったということです。
これは俺の持論ですが、俺の身近な人間が不幸になった場合、俺は絶対にそんな不幸をわざわざ人に言いふらしたりなどしたくないですし、自分の心の中にしまっておきたいなと思います。
作品として書きたくなった、という気持ちはすごくわかります。
ですが、だからこそ、安易にそれを描こうと思った真意を、ましてや他人の死なんていうものを、こんなふうに掲示板に淡々と載せようとは思いません。
「そういうことを、載せて一体読者である俺たちにどういう反応を求めているんですか?」
という気持ちが、今俺には強く残っています。
これは俺だけかもしれませんが、その後書きの内容の心の重さのおかげで、感想や批評をあまり書きたくないなぁ、触れたらいけないなぁと思ってしまいました。
せっかく書いたものなのに、誰もそれに触ってはいけないと手を引っ込める。
それだと、「作品」として本末転倒だ、そう思いませんか?
* * *
まぁ、鍛錬室ということで腹を割って話しましたが……俺自身、自分の作品はまだまだだと思っていますし、こんな偉そうにベラベラしゃべってもあまり説得力はないかもしれませんね(笑)
ホップスターさんは、本来こんな俺なんかよりもとても面白い小説をお書きになるのは俺も読者としてよくわかっています。次何かをお書きになる機会があればぜひこのコーナーを活用していただければと思います。
では、次の鍛錬室があったらまた参加していただけますよう、よろしくお願いします。
それがしでした。
|
|
|