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しっかり読み込んで評価するぞ、と意気込んでいたらあとがきで同時にショックを受けました。
この設定だけでかなり書けそうです。ドラマチックですね。いるところにはいるんだなあ。
ネットというものの都合上、死んでしまったとしても本人の所在がまったく掴めないのが辛いところですよね。
死んだあとに「ぼく、死んじゃったからヨロシク」とかチャットにうちこめたらいいんでしょうけど、たぶん無理でしょうし。
仲の良い友だちが死んだらちゃんと悲しみたいですからね。いつの間にかいなくなっていた、が一番嫌です。
感情の整理をするときが最も創作の原動力がたまりやすいと思います。
何かに疑問をもったり、納得できなかったり、怒りを覚えたり、そういうものを作品にぶつけることが最短ルートなんですよね。
この鍛錬室、チャオBにあったみんな仲良し! 作品に対してはとりあえず面白いって言っておけばいい! みたいな雰囲気を壊したいというのが主に感想を書く原動力の一つだった気がします。
チャオB時代には必要な円滑剤でしたが、こうまで極少人数サークルになるとあんまり意味のない雰囲気です。
小説を通して関係性を持てる。すばらしいと思います。だからこそ死によって関係性を断たれればショックでしょうね。それが自主的な死ならなおさら。
これからのネット時代、自分は死んでいないよ、と表明できる何かが必要になってくるのかもしれないですね。
生命ログインシステムとかどうでしょう。冗談です。
勘弁しろと言われたので作品に対しては完全にスルーしました。
ホップさんの本気の小説を見たことがないというのもスルー理由のひとつです。
しかし関係性がある以上、人はなかなか死ねない構造になっているはずなんですけどね。
友だちが自殺したときの一番悲しい理由は、やっぱり自分では彼女の死に干渉できない無力感でしょうか。
そういう感情のひとつひとつが、また自分のエネルギーとなって、自分を成長させる要因となるのでしょうね。
……という感じでオチをつけましたが作品に関して総スルーって感想としてどうなんだ、と思ったのでひとつだけ。
ゲームだと無限抱っことか撫でたり木の実をあげたりでわりと懐きますが、現実だとそう構ってもいられないのかもしれませんね。
仕事もあります。学校もあります。その中でチャオを構って愛するのは意外とかなり難しいことなのかもしれません。
だから実際にはチャオの死亡率は高くなる、のかな。あるいはチャオの死を回避するための方法を編み出す必要がありますね。
そのあたりを非常に考えさせられました。それでは、また。←この言い回し久しぶりに使いました。
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