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僕は、もう僕のライトカオスを見つけています。
そして手放すつもりはありません。
チャピルさんはどうですか?
正直なところ僕は、19周年記念の「ガーデン・コール」でそこそこ燃え尽きていました。
だから20周年に小説なんて書かなくてもいいや、くらいの気分でいました。
もう役目は果たしたぞ、と。
だけど急にアイデアが浮かんできてしまって、
これなら最強のチャオ小説になれると思ったので、
「ガーデン・ヒーロー」を書きました。
それでいざ聖誕祭を迎えて、この「ライカ記念日」を読んでみたら、
「ガーデン・ヒーロー」を書いたのは大正解だったと感じました。
これは僕の勝手な勘違いかもしれないんですけれども、
「ライカ記念日」と「ガーデン・ヒーロー」は、
面白いくらいに似ていないようで似ていて、でもやっぱり似ていないんです。
好対照という言葉が近いんでしょうか?
もうちょっと正確な表現があるような気がしますが、
この小説への感想であれば「見つからない言葉」ということで処理してしまうのも有りなんですかね?
昔僕がやったチャオ小説をチャピルさんがやっていて、
チャピルさんが昔やったチャオ小説を僕がやっている。
そんなふうに感じる瞬間もありました。
「ライカ記念日」は抽象的な表現も多くて、
ちょっと理解しにくいようにも感じられましたが、
「ライトカオスや優花や莉音とは、チャピルさんにとってなにを指しているのか」
を想像しながら読むと、すんなりと頭に入っていく感覚もありました。
確かに僕たちは、この作品のライトカオスのようなものをずっと追いかけていた気がします。
チャピルさんもそんな感じだったのでしょうか?
僕は、優花も莉音もチャピルさんだと思ったのですが、
その中の数%だけでも僕たちが混ざっていたら嬉しいですね。
いやたぶん、混ざっているんでしょう。
そんな気がします。
僕はついつい優花と莉音をメインで見ちゃうんですけど、
もしかしたら一木も誰かだったりするんですかね。
終盤の莉音視点での一木からはそんなふうにも感じます。
そういう目線で読んでいると、
>いや、永遠なんてない。その事実を私たちは何度も確認した。それなのに、なぜだろう、この生き物はいつだって私たちを狂わせる。
とかめちゃくちゃ心に刺さります。
たぶんチャピルさんは自分自身を刺しながら僕たちも刺しに来たんでしょうね。
この週チャオという場を僕が終わらせるつもりでいましたが、
(より厳密には、今の僕たちに適した形に変えるために、終わらせるつもりでしたが)
「ライカ記念日」からもそういう週チャオやチャオBに対するアンサーをぶちまけてやるという気迫が感じられて嬉しかったです。
あと、チャオ小説としての価値から離れると、
情景の描写がめちゃくちゃ上手くて、かなり取材したんだろうなと感服しました。
こういう良いところはガンガン学ばせていただきます。
僕の小説のスキルアップに貢献してくれていつもありがとうございます。
「ライカ記念日」と「ガーデン・ヒーロー」は似ているとかさっき書きましたけど、
執筆にかけた時間の厚みというのは全く違っていて、
そこで差が出ているのが悔しいですね。
まあ、こうなる未来が予知できたとしても、僕はたぶん「ガーデン・ヒーロー」にはこれ以上の時間を割けないんでしょうけども。
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