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10 いつか私は
 スマッシュ  - 12/12/23(日) 0:02 -
  
 あの後日本のGUNは力をなくし、倫理が守られるように方向を転じることになった。端末が回収されたことによってCHAO-Sを人々は利用できなくなった。一部を除いて。
「今もまだ空に何か書いてあるのか?」
 優は空をぼんやり眺めていた由美に聞いた。
「新しい情報はほとんどないよ。古い情報は読み取りが難しいくらいぼろぼろになってる。でも、あるよ」
 由美の告白は「私さ、素の実力はクラスの真ん中よりちょっと下くらいなんだよね」という言葉から始まった。元々はそのくらいの一般人であった斉藤由美はカオスユニット第三号ヒメユリとなるべく改造されたが、カオスユニットとして十分な実力を発揮するには至らなかった。CHAO-Sの端末となることもカオスユニットとしての機能を得ることもできたが能力としては第一号のクレマチスと大差なかった。そのため結果は失敗であったが、ヒメユリには思わぬ副産物があった。CHAO-Sは情報のキャプチャと水分を利用した情報の送受信を行うシステムであるが、由美はそれと酷似した仕組みの読心術が使えるようになっていたのである。しかしどこにいるかもわからない人間の心を読むのは不可能であるために末森雅人を探したい庭瀬真理子にとっては不必要な能力であった。そのため自由に暮らすことを許され、それで故郷の静岡に帰ってきたのだと由美は語った。なぜ改造されたかについては、自分の意思でやってもらった、とだけ言ってそれ以上は語らなかった。

 由美が優に語らなかったこととして、もう一つ、庭瀬真理子のことがあった。彼と接点のない真理子のことを話しても意味がないだろうと思ったのである。しかし由美は彼女のことをかわいそうな人だと思っていると雪奈には言っていた。
 真理子は雅人の情報を欲していたために、特定の情報を効率的に集めることのできるカオスユニットを作ろうとしていた。それはつまり虚ろで命令通りにしか動けないものではなく自分で考えて情報を選べるものであった。キキョウはカオスユニットになっても自分の意思を持っていたが、そのせいで真理子の命令に従わなかった。そこで真理子は人間をベースにしたカオスユニットを作ることにした。人であれば共感してもらえるかもしれないと考えて。しかしそれでも失敗したためにスノードロップが生まれることとなった。真理子は彼女に自分の心を理解してもらえるように親子として振る舞うことにした。
「なんとなくこの人幸せにはなれないんだろうなって思った。キキョウだって私だって彼女からしたら失敗作なんだもん。でも凄く必死だったから、なんだか悪く言う気にはなれないんだよなあ」
 そう言った時雪奈は「ありがとうございます」と言って頭を下げた。
「あんたが感謝することじゃないでしょ」
「あの人は私の母親ですから」
「なるほどね」
 どうやら実りはあったらしい、と由美は思った。それは真理子の最も欲していた実ではないが、価値はあるはずだ、と。そのために由美は、
「やっぱり悪くは言えないや」と言って笑った。
「意外だな」
 雪奈のベッドに座っていたキキョウが口を挟んだ。
「もっと悪口を言うものかと思ったんだが」
「うっさい。私はあんたと違って心が広いの」
「なんてやつだ」
 キキョウは溜め息をつく。
「しかも心が広いから悪く言わないって、それ人として誇れるのか?」
「揚げ足取るな、馬鹿」
 由美はキキョウに向かってあかんべえをした。
「要するにお前は駄目なやつだって言いたかったの。それがたまたまそういう言い回しになっちゃっただけ」
「なんてやつだ」

 チャオにかかる費用が安くなったこととCHAO-Sには何らかの関係があったようで、クーデターの起こる前よりもチャオにかかる金が増えてしまった。優はそれを苦々しく思いながらも時折マルを連れて雪奈やキキョウとチャオガーデンで遊ぶようにしようと決めていた。
「マル、お座りだ、お座り」
 キキョウが命じる。しかしマルは首を傾げて座らない。
「犬じゃないんだから。しかもお前もチャオなのに何してんだよ」
「何言ってやがる。俺は人間の言葉を喋るチャオだぜ。なめんなよ」
「馬鹿じゃねえの」
「誰が馬鹿だ。お前の方が馬鹿だぜ。なあ雪奈」
 ぴょんぴょん跳ねながらキキョウは雪奈に同意を求める。キキョウはチャオのために怒る時はジャンプしてなるべく目線を同じ高さにしようとするのであった。
「どっちでもいいと思います」と雪奈は興味なさそうに言う。
「なんかきついよ。なあ優」
 今度はキキョウが俯きながら言う。そうしていると頭上の天使の輪の光までも弱まっているように優には見えた。
「そうだな」
 雪奈はマルを抱きかかえた。するとマルがこの上なく嬉しそうな表情をする。
「すっげえ嬉しそうなんだけど」と優が言うと「こうしてほしそうでしたから」と雪奈は答える。キキョウは、
「ずるい、ずるい、俺にも」と駄々をこね始めた。
 これがどうやって雪奈の保護者をやっていたのだろう。優はガーデンで遊ぶキキョウを見ているといつもそう思う。しかし戦いがいつも根を張って地中で潜んでいた日々のキキョウを思い出してみると、少なからず真面目な姿もある。キキョウもやっと羽を伸ばせるようになったのだろう。優は、
「じゃあ僕が抱っこしてやるよ」と言う。
「ふざけんな、馬鹿。誰がお前で喜ぶか馬鹿」
 キキョウは逃げて雪奈の背中に隠れる。そして顔だけ出してあかんべえをする。
「そう照れずにこっち来いよ。首絞めてやるから」
「死ね、死んでしまえ」
「死なないから」
 優は死という言葉が冗談として使える今がありがたいと思った。戦いに参加して、世界が通るレールの一部分を敷いて、それでも今そんな冗談が言える身分でいられる。頼まれても権力を握りたくはないと優は思っていた。チャオウォーカーに乗ったのはあくまでチャオのため、雪奈のためであって、人々の生活を左右させることに興味はない。それどころか左右してしまうことを恐れてさえもいる。実際にはそのような話が彼のところに来ることはなく、杞憂に終わった。雪奈がいたためだ。しかし彼女もヒーローとして振る舞う道を歩き続けないことにしたようだった。もし政治の分野においてもヒーローや究極生命体と呼ぶような存在が出てくるとしても、自分が生きているうちには出てこないだろうな、と優は目の前にいる少女を見て思う。今生きている人を気遣って行われる発展はゆっくりとしたものになるだろう。世界があのまま進んでいたらすぐにでも実現したことが何年も何十年も後のことになる。比べてしまえば今の世界は停滞しているに近いと優は感じる。もし異星人が攻めてきたとして、おそらく中川さんが立ち向かうことになるのだろうが、あの人だけで勝てるかどうかはわからない、と。優たちの処理が間に合わなかったチャオウォーカーを隼人は一方的に打ち倒したため、彼は末森雅人の後継者として注目されている。しかし本人もヒーローとして活躍する自信がそれほどあるわけではないと優たちに話していた。
「今度、前に行けなかったあの大きいガーデンに行ってみませんか」
 不意に雪奈がそう言った。
「あそこか。いいよ」
 いつも同じ場所で遊んでいては飽きるものだ。たまにはそういうのもいいだろう、と優は思ったのだが雪奈は、
「私、色んなガーデンを見てみたいんです。世界中の。ガーデンだけじゃなくてもっと色んな所も」と言った。
「大冒険になるな、それは」
 普通に旅をするのであれば大変だ。金銭面も気にしなくてはならない。それでも雪奈なら大丈夫だと優は知っていた。
「でもカオスコントロールがあるから大丈夫か」
 しかし彼女は、
「いえ、それは使いません」と言った。
「私はいつまでも歩いていたいんです。奇跡のない世界を歩いて、いつか私はこの地にちゃんと立っていると言えるようになりたいんです」
「そっか」
 自分の内に残る奇跡を削る旅なのだと優は理解した。白い髪。機械の体。CHAO-S。カオスユニット第四号スノードロップが完全に庭瀬雪奈となるためには事実を塗り替えられるほどに心を育てなければならないのだろう。
「近い所なら一緒に行くよ。若いうちに旅行しろって先生も言うし、いい経験になるでしょ」
 一緒に旅をしてみたいと優は思う。それはきっと楽しいだろうから。ついでに心の成長を手伝うのはキキョウとの約束でもある。行かない理由はなかった。そのキキョウは「俺も行くぞ」と言いながら、興奮して飛び跳ねている。

 その夜、優は寝る前にメールを書くことにした。送る相手は雪奈だ。
「急に感謝がしたくなった。今の生活が幸せだから。これも君が僕をチャオウォーカーに乗せてくれたおかげだ。本当にありがとう」
 言語化されたために情報の多くを失った感情が携帯電話から発信され、雪奈の携帯電話に向けて飛んでいく。旅が始まった。

引用なし
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