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スピアは三人分の弁当を買って、アパートに戻った。
アパートにはガスも通っていないので、買ってくるか外食をするかになる。
むしろスピアは稼ぎが良かったから、特権のない人間の暮らしにしては高価な食事ができた。
今日の弁当には牛肉のステーキが入っている。
二人分は自分の分で、残り一人分がアオコの分だ。
今日は起きてからろくに食事をしていなかった。
なので多めに買ってきていた。
アオコは肉の塊を見て、ぎょっと数秒固まった。
毎日のことだった。
食べるのは無理でも、いい加減慣れるだろうに、毎度珍しい物を見るような反応をする。
スピアはそれを愛おしいと思った。
妹も小さい時はそうだった。
離乳食を食べるようになってから、食事が毎回驚きに溢れたもののように、興奮していた。
五歳くらいになるまではそれが続いたものだった。
だから、肉を見て固まるアオコは、スピアに赤子を連想させた。
ああ、勿体なかった。
二人目で女の子が生まれてくるんだったら、アイって名前を取っておけばよかったわ。
兄妹で同じ名前にするのは、流石にできないものね。
これは余計な記憶だ。
スピアは目の前の肉にかぶりついた。
今の俺はスピアだ。
スピアが食べ始めると、アオコも箸を持った。
アオコは一口目にステーキに挑んだ。
大口を開けて噛み切る。
おっ、とスピアは目を見張った。
これまでアオコは、肉をなるべく避けていたのに。
「どうだ? 美味いか?」
聞いても、アオコは噛むのに必死で答えられない。
野菜ばっかり食べているアオコにとって、肉は咀嚼しにくいようだ。
うんうんと頷いてはいる。
スピアもステーキを噛んだ。
奮発しただけあって、きちんと塩で味が付けられているのが美味だ。
その味わいが自分を肯定してくれる。
美味いステーキを糧に細胞を潤せるのは正しく生きている証拠だとスピアは思った。
肉は、狩りに対する報酬だ。
それがたとえ家畜であったとしても、動物の命を奪うという試練を達成することによって、人の命は増強される。
血肉の中に生きることが、他ならぬ自分の肉と血を健やかにしてくれる。
「美味しいのは、わかってるよ」
やっとステーキを飲み込んだアオコが、そう言った。
「でも、あまりにも美味しいから、健全な食べ物だって思えない。実際、前に熱出したでしょう? だから私、お肉を食べるの、怖い。こんな美味しい物ばかり食べていたら、きっと私は天罰が下って死ぬと思う」
だけどアオコは、野菜や米に箸を向けずに、またステーキを口に入れた。
今度はさっきより少し小さめに噛み切る。
「その割には、今日はよく食べるじゃないか」
アオコが肉を飲み込むタイミングを待って、スピアは言った。
「植物しか食べられない女でいることに飽きたの。だから天罰を食らって、生まれ変わることにしたんだ」
アオコは、弁当の中の肉も米も野菜もひとまとめにして、かき込んだ。
自分の飢えを初めて自覚したような、旺盛な食い方だった。
スピアは嬉しくなった。
「それで正しいんだよ。人類に残された希望は二つしかない。天罰が下るような生き方をするか、チャオに生まれ変わるかだ」
「チャオって、なに?」
とアオコは聞いた。
これまでも、彼がその謎の生物の名前を出すことが何度かあった。
でも大抵がハートの実が効いている時で、そうなればアオコにも尋ねる余裕はなく、今日まで謎のままにされていた。
「チャオは、ハートの実を食べて生きる、新しい生き物だ。まだこの世に存在しない。だけど近い将来生まれてくるはずだってキングは言っている」
「ハートの実を食べてって、その生き物、大丈夫なの?」
アオコは、食事と性交だけを一生し続ける生き物を想像した。
そんな想像を見抜いてか、スピアは、そうじゃないよ、と笑った。
「ハートの実を人間が食べたらああいうふうになるのは、いわばハートの実が人間にとって毒みたいなものだからさ」
正確には毒じゃない。
だって適量なら別に死んだりするわけじゃないからね。
でも、普通じゃない状態になるって意味では、毒みたいなものだろう?
アオコは頷いた。
普通じゃない状態っていうのは、アオコも毎日体感しているから、よくわかっている。
「でも、人間にとっては毒でも、それに耐性のある生き物だっている。毒キノコは、自分の毒で枯れたりはしないだろ? フグだって、自分より小さい種類のフグを食べることがある。フグは、フグの毒では死なない」
「じゃあ、ハートの実を食べてもおかしくならないのが、チャオ?」
「そういうことだよ」
アオコは、チャオがどういう姿の生き物なのか、知りたいと思った。
だけどスピアは、知らないと答えた。
それはキングにもわからないことなんだ。
だってまだ生まれていない生き物だから。
未来のことなんて、ちょっとした予測ができるだけで、全部がわかるわけじゃない。
「ただね、こんな世界で新しく生まれる生き物こそが、人類に代わって繁栄してくれるはずなんだよ。人類よりも正しく繁栄してくれるんだ」
キングはそう言っていた。
だからこそガーデンを作らなければならない。
新たに繁栄する種族のために、もう繁栄できない人類ができるせめてもの手伝いを。
そうすれば人間はきっとチャオに生まれ変わって、今度こそ正しく生きていくことができる。
「もしそうなら、私はチャオに生まれ変わりたい」
「アオコならチャオになれるよ。だってアオコは綺麗だからね」
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