●週刊チャオ サークル掲示板
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あのー…… 数えきれないほど投稿してきた 19/8/2(金) 22:14

チャオワールド (1) 数えきれないほど投稿してきた 19/8/3(土) 18:44
チャオワールド (2) 数えきれないほど投稿してきた 19/8/4(日) 16:52
チャオワールド (3) 数えきれないほど投稿してきた 19/8/5(月) 0:21
チャオワールド (4) 数えきれないほど投稿してきた 19/8/6(火) 12:26
チャオワールド (5) 数えきれないほど投稿してきた 19/8/7(水) 13:09
チャオワールド (6) 数えきれないほど投稿してきた 19/8/8(木) 20:40
チャオワールド (7) 数えきれないほど投稿してきた 19/8/9(金) 16:19
チャオワールド (8) 数えきれないほど投稿してきた 19/8/10(土) 11:43
チャオワールド (9) 数えきれないほど投稿してきた 19/8/11(日) 11:46
チャオワールド (A) 数えきれないほど投稿してきた 19/8/11(日) 23:36
チャオワールド (B) 数えきれないほど投稿してきた 19/8/12(月) 23:37
チャオワールド (C) 数えきれないほど投稿してきた 19/8/13(火) 15:51
チャオワールド (D) 数えきれないほど投稿してきた 19/8/14(水) 19:47
チャオワールド (E) 数えきれないほど投稿してきた 19/8/15(木) 1:39
チャオワールド (Final) 数えきれないほど投稿してきた 19/8/15(木) 23:25

チャオワールド (1)
 数えきれないほど投稿してきた  - 19/8/3(土) 18:44 -
  
「お前の目は綺麗だ。限りなく“チャオ”に近いブルーだ」

 アオコの目からは、スピアの瞳だけが映っていた。
 スピアにも同じようにアオコの瞳が見えていて、言ったのだろう。
 だけどアオコは、自分の瞳の色は黒だったはずだ、と思った。
 ちょうど今、私の目の前に見えているスピアという男の瞳の色とおんなじに、黒いはずなのだ。

 スピアにはいったい、なにが見えているの?
 とアオコは思った。
 思ったのではなかった、言っていた。
 スピアが、アオコの問いかけに対して笑みで返していた。

「海だって深海はただの真っ暗闇だけど、外から見ればとっても綺麗な青色だろ? 黒に見えても、本当の色は青なんだよ」

 スピアは、とろんとした声でゆっくりアオコに言い聞かせた。
 どうやら“ハートの実”が、アオコよりも早く効いてきたらしい。
 アオコにもそのことがわかった。

 でもさ、それを言うなら、海の本当の色は黒ってことじゃないの? 反対じゃない?
 アオコは首を傾げたつもりになる。
 だけどもアオコの頭は少しも動かず、スピアの瞳に釘付けになっていた。
 スピアの瞳の奥底まで視線を潜り込ませればやがて暗闇の海面に出て、青い瞳の色が表れてくるのではないかと思い、見つめていた。
 それか、アオコにもハートの実が効いてきたのかもしれなかった。
 肉体同士の距離が、境界が、曖昧だった。
 スピアの瞳の青色を探索しようとしていると、唇同士が触れた。
 アオコに覆い被さっていたスピアが、キスをしたのだった。
 キスだ、と理解するなりアオコは目を閉じる。
 閉じた瞬間には、スピアの瞳を探求することはもう頭の中から消えていた。
 そしてスピアの体に腕を回して、彼の腰を引き寄せる。
 口の中と、両腕と、腹部と、脚。
 アオコは全てを同時に舐め回されているように感じていた。
 どこがどのように、なにと接触しているのか、わからない。
 しかし全身の神経が大口を開けて快感を享受しようとしていて、受けた刺激をどれも最上級の愛撫と錯覚するから、アオコはわけもわからず体のあちこちを同時に舐められているような心地になる。

 正常な、トリップであった。
 むしろ今までよりも良い。
 普段は表皮の内側にあるセンサーは今や肉体の表側に出てきており、快楽の受容体にアオコは包まれていた。
 それはスピアも似た状態だった。
 二人は舌を絡ませ合いながら、上半身をもぞもぞと爬虫類のように動かす。
 絶えず刺激を与え合う。
 それと同時に、触れ合う面積を最大化しようと試みている動作だった。

「ああ、アオコ。お前はチャオだ。きっとチャオになれるよお前なら」

 スピアはキスの合間に、そう愛の言葉を口にした。
 アオコの脳にその声はろくに届かない。
 アオコはうっすらと、チャオってなんだろう、と疑問に感じたが、その透けるような薄さの思考はすぐに大きな刺激に流され消えてしまう。
 そして発言者であるスピア自身も、自分の口にした言葉を、言っているのか言っていないのか判別できていなかった。
 判別できないことを、気にすることもない。
 二人はそれよりもお互いの愛を、ドラッグを大量にまぶしたそれを貪ることに夢中だった。

 ハートの実は、性交時に用いるドラッグの定番である。
 興奮と多幸感を生じさせるのが主な効き目で、さらに感覚が鋭敏になったり幻覚が起こったりすることもある。
 果実のまま摂取できるが、果汁を染み込ませて作られた錠剤の形で出回ることが普通で、アオコとスピアも錠剤を一錠ずつ使用していた。
 ドラッグによって色付けされた性交は、他に味わいようのない強烈な快楽を脳に刻み込むのだが、愛撫し合っているだけでも強い幸福を感じさせるから、ハートの実を服用した者同士のセックスではいつまで経っても前戯が終わらず、行為に至らないこともあった。

 まさにアオコとスピアもその状態にいた。
 気が付けば二時間も体をこすり合わせていた。
 薬の効き目が少し抜けてきて冷静さの戻ってきた二人は、そこで改めて性器を結合させ、薬物から来る快感と肉体から来る興奮を重ね始めた。

 これが、東京における、一般的な夜の過ごし方だった。
 恋人同士や夫婦でなくても、ハートの実があれば誰が相手であろうと快楽におぼれることができた。
 ドラッグを服用せずに生きているのは、ごく一部の富める者のみだった。
 もはや多くの人の手から離れてしまった文明の多くを彼らは独占していて、ドラッグの代わりに、種々の機械が発する人工的な光に酔っていた。
引用なし
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チャオワールド (2)
 数えきれないほど投稿してきた  - 19/8/4(日) 16:52 -
  
 スピアが目を覚ますと、朝だった。
 時計はない。
 針の動かない壁掛け時計を部屋の飾りとしていたが、あれも拾った時から既に動いていなかった。
 だけど東側から差し込むレース編みの光は、まだ日が昇ってからそう時間が経ってないことを示していた。
 昨晩の記憶はぼやけている。
 ドラッグによる異様な興奮と快楽は覚えている。
 だが、そればかりが記憶に残っているのだ。
 細部の記憶、自分たちがどのような交わり方をしていたのかは、まるで覚えていなかった。

 アオコはまだ静かな寝息を立てていた。
 清涼な小川の女だ。
 たくましい生命というのは、汚れた水を生きる。
 食し食される世界において汚れとは生命活動の証だからだ。
 アオコの肌は白い。
 その下を流れる血液に生命の荒々しさが宿っていないせいだろう。
 裸で眠っているアオコを見ていると、この世界が息を潜めていくように感じる。
 この印象はあながち錯覚でもないのだろう、とスピアは思った。
 人類は文明を維持できなくなった。
 だが文明を失って、自然の中では生きられないだろう。
 とうに人類はたくましさを失っている。
 自らの手で整備した清涼な小川に、身を慣らしてしまった。
 この先、人類はろくに生きてはいけないだろう、というのがスピアの実感だった。

 スピアは服を着て、朽ちたアパートから出た。
 電気は通っていないが、住むだけなら当分は問題ない。
 そのような古い住居がいくらでもあって、人々はドアや窓を壊してそこに侵入し、暮らしていた。

 アパートの外には、車が停まっていた。
 真っ黒な平べったいフォルムの車だ。
 低い車は、地面に這いつくばっているようにも、ゆったり腰を下ろしてふんぞり返っているようにも見えた。
 だがこの車に乗っている者――“キング”のことを考えれば、後者が正しいのだろう。
 それにキングは、かつてこの車が相当な高級車だったと語っていた。

 スピアが助手席に乗り込むと、

「おはよう」

 と運転席の男が言った。

「おはようございます、キング」

「ああ。今日もよろしく頼むよ」

 自身のことをキングと周りに呼ばせている運転席の男はまだ若い男で、スピアとも五歳と違わなそうに見える。
 やけに艶のある肌や髪の毛、そして体型にフィットしたスーツが、裕福さをひけらかしていた。
 慎ましさはないが、それがかえって威厳と品を感じさせた。
 彼の本名を、スピアは知らない。
 聞こうとも思わなかった。
 スピアだって、親に付けられた本当の名前が嫌いで、それで故郷から離れて東京に居着いて偽名で暮らしていた。
 キングは、自分と同じ日本人に見える。
 でも、たとえそうでなくてもいい。
 それは大事なことではなかった。
 大事なのは、キングが自分向きの仕事をくれること。
 そして、そう遠くない未来で人類の代わりに栄えることとなる、チャオという生き物について彼は知っている、ということだ。
 それ以外のことは深入りするべきじゃない。
 重要なその二点でのみつながりを持ち、その結び付きだけを強くしていくことが、自分をチャオに導く近道であるとスピアは信じていた。

 キングはダッシュボードに置いていた巾着袋を手に取った。
 そして、スピアの手の上でひっくり返す。
 硬貨とハートの実の錠剤がぼろぼろと落ちてきた。

「これは今日の報酬だ」

 とキングは言った。

 賃金を先払いしてくれるのは嬉しいが、ドラッグまで先によこされるとアオコの艶やかな体を想像してしまって、下腹部が熱を持ちそうになる。
 そういった配慮まではしてくれないのが、キングという男だった。
 信頼と期待を示すために、仕事の前に直接報酬を渡すが、彼の方からそれ以上距離を詰めてくることもなかった。
 その方がスピアの望むところであったし、誰に対しても必要以上に媚びることがないキングの余裕にスピアは敬意も抱いていた。

 手に乗った硬貨の数が今日は多く、重い。
 キングから支払われる報酬は多いことと少ないことがあって、報酬の量を見れば、今日の仕事がなんであるかが聞かずともわかった。
 スピアは受け取った硬貨とハートの実を、ジーンズのポケットに押し込んだ。

 道中、トラックが合流して、キングの車の後ろに付く。
 スピアはトラックがもう一台来てくれるかどうか気にしていたが、トラックは一台だけだった。
 なんだ、今日は軽い仕事で済むのか。
 スピアはこの仕事が好きで、できればトラック二台分働きたかった。
引用なし
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チャオワールド (3)
 数えきれないほど投稿してきた  - 19/8/5(月) 0:21 -
  
 車が停まったのは、こざっぱりとしたビルだった。
 富裕層が根城とするにはやや小さい感じのする十階建てで、だけど外見を綺麗に見せようという思惑があるのか、正面はガラス張りになっていた。
 スピアは車から降り、後部座席に置かれていた金棒を持った。
 フォルムは刀に近いが、分厚い。
 長持ちするように頑丈に作られていた。

 確かに、ここには特権を持った人間が暮らしているようだ。
 スピアは耳でそのことがわかった。
 ビルは鼓動を持っていた。
 室外機の音が微かながらも、ごうごうと聞こえてくる。
 このマンションには電気が通っているのだ。

「調べでは、少なくとも二十二人が暮らしている。ドアを入ると門番が二人だ」

 とキングは言った。
 それ以外の情報は告げられなかった。
 だけどスピアにはそれで十分だった。

「わかりました。行ってきます」

 お前の武運を祈っているよ。
 キングは慣用句らしき言葉でスピアを送り出す。
 スピアがビルの入り口のドアに近付くと、それだけでドアが開いた。
 自動ドアだ。
 開けずとも、勝手に開いてくれる。
 自動ドアを前にすると、いつもスピアは興奮を覚えた。
 これからする全てのことが順調に進んでいくような気がした。
 キングの言ったとおり、二人の男が立っていた。
 体つきは大きいが、筋肉ではなく脂肪の大きい男たちだった。
 何の用だ?
 ビルに入ろうとすると、男たちがその体で行く手を塞ごうとする。
 スピアは金棒を男の顔面に目がけて振った。
 正確には顔よりも少し下、首に当てるつもりで。
 金棒は左側の男の首の側面をとらえた。
 乱暴に釣り上げられた魚が船の上にばちんと叩き付けられるかのごとく、手足で受け身を取ることもできずに一人目の男は倒れた。

 もう一人の男は、恐怖で身動きが取れなくなっていた。
 腰は引き下がろうとしているのに、脚がついてきていない。
 その場に立ちすくんで、顔を蒼白にしていた。
 こんな短時間で、こんなに真っ青になる人間は、初めてだ。
 そう思いながらスピアは、金棒を男の頭に叩き込んだ。
 これで死体が二体、出来上がり。
 スピアは念のため、二人の頭と首を一回ずつ叩き潰しておいた。
 もっとぐちゃぐちゃに叩いてしまいたいのだが、それをしてはいけない決まりになっている。
 他に誰かいないか。
 金棒をまだ六回しか振っていない。
 全身の筋肉は熱を持ちだしたばかりで、これからが本番だと暴れたがっていた。
 一階のスペースはほとんどが玄関だったが、エレベーターの脇に通路があり、そこを進んでみると部屋が一つだけあった。
 そこは門番の控え室だった。
 室内にいた二人を手近な方から順番に殺した。
 これで一階は終わり。
 ビルの入り口に戻り、ドアから少し離れて待機していた、キングと、トラックに乗っていた二人の男に声をかけた。

「一階終わりました。四人です。門番二人と、奥の部屋に二人」

 するとキングと二人の男もビルに入ってくる。
 キングは門番の死体を見て、血があまり飛び散っていないのを確認すると、うんうんと頷いた。

「では、いつもどおり最上階から順に頼むよ。一番上のやつらに逃げられると面倒だからな。そこさえ終われば、あとは漏らしがあっても、そう問題ない。いつもどおりだ」

 はい、とスピアは返し、エレベーターを呼んだ。 
 キングと一人は、死体の脚をそれぞれ片方ずつ持って、死体を運び始めた。
 残りの一人は見張りだ。
 もし逃げようとした者が出てきたら、それを可能な限り引き留める役だ。
 見張りと運び役をローテーションしながらトラックに死体を詰めていくのが彼らの仕事だった。
 彼らは殺しができない。
 殺すのはスピアだけの仕事だ。
 スピアはエレベーターの中で、体が一つのものになっていくのを感じていた。
 脳も口も腕も脚も、普段はそれぞれが別々の器官として、それぞれに動いていた。
 だけど生命を殺している時だけは、スピアの体は全ての部位が連動し、一体化していた。
 この感覚だ。
 この感覚に従って生きていくことが正しい生き方なんだ。

 エレベーターが最上階に着く。
 そこは一フロア丸ごと一つの部屋になっていた。
 冷房が効いていて、とても涼しかった。
 機械の稼働する低い音が耳障りだとスピアは思った。
 冷えた空気の中にスピアの呼気が混ざった。
 逃がしてはいけないとキングが言った相手は、着衣で一瞬にしてわかる。
 キングもそうだったが、特権を持つ者は着る物によって、その身分を表明する。
 ただその男はキングとは違って、よく肥えていた。
 スピアは肥えた男を視界に捉えたまま、手近にいる女や男を始末していく。
 殺し自体はそう難しい仕事ではない。
 逃げることも抵抗することも知らない者たちを順番に殴り潰すだけだ。
 彼ら、彼女らは、怯えて硬直していた。
 一歩踏み出すとともに上半身をひねる。
 ひねりを戻す力と肩を引く力を使いながら、手に持った金棒を鋭く振るう。
 コンパクトな動作の中に、破壊力を集約させる。
 お前たち、よく見ておけ。
 お前たちは知らないだろうが、人間にはこんな力があるんだ。
 人間が生きるというのは、こういうことなんだ。
 スピアは冷気をはねのけ、人の頭部や首を壊していく。

「貴様のやっていることは間違っている! 人間の過ちを繰り返すのか!」

 肥えた男が叫んだ。

「人間は過ちを繰り返すまいとして発展してきたんだ。お前はその人類の歴史を裏切っている!」

 人は狩りをやめても、戦争で殺し合いをした。
 戦争をやめても、私利私欲による殺人は続いた。
 そして人類はとうとう殺人もやめて、真の平和を獲得した。
 肥えた男が言っているのは、そういう話だった。
 幼い頃に誰もが聞かされることだった。
 スピアのしていることは、その歴史に逆行していた。
 殺すどころか、生きている人に危害を加えることなど、スピアの他にできる者はいなかった。

 仕方ないことなんだ、とスピアは思った。
 人間は平和を手にするために無理をし過ぎた。
 だから人間の文化は破綻したのだ。
 文化が破綻したのなら、俺のように逆行する人間だって生じるだろう。
 むしろ、そういう人間が生まれなければ、人類に明日はない。
 明日のない人間は、死んで、チャオに生まれ変わることを祈るしかないのだ。
 大丈夫、俺が殺した人間はキングが“ガーデン”に運んでくれる。
 ガーデンでハートの木の養分となり、ガーデンの一部となれば、魂はチャオへと変わるだろう。
 チャオなら明日を生きられる。
 なぜならチャオは天使のような生き物だから。
 スピアは肥えた男を殺すと、我慢できずに男の頭を何度も金棒で殴った。
 肌が裂けて、そこから血が漏れ出てくる。
 その血を金棒の先にすりつけながら、スピアは血と肉の臭いを嗅いだ。
 不快感を刺激される臭いだった。
 人間はこの臭いの中で生きていくべきだ。
 血の臭いのしない場所で生きていくことなど、もはやできないのだ。
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チャオワールド (4)
 数えきれないほど投稿してきた  - 19/8/6(火) 12:26 -
  
 目が覚めても、アオコは動かないでいた。
 とにかく脱力している。
 いつでも眠りが訪れられるように。
 特に腕の力は一切抜き、全身をシーツの上に捨てておく。
 ベッドや布団はなく、床の上に敷いただけのシーツだ。
 アオコは、なにもしたいと思わなかった。
 
 もうスピアが出かけてしまっていることは、部屋からなんの物音もしないから、わかった。
 アオコには、スピアの帰りを待つこと以外にするべきことがなかった。
 なにもしなくたって、夜になる。
 アオコは、ハートの実が欲しい、と思った。
 でも、ハートの実を飲んだって、一人じゃ空しい。
 おそらく薬の効き目で、空しさなどは感じないだろうと、アオコはわかっていた。
 だけど一人で服用する気にはなれなかった。
 代わりに、ベランダで育てているプチトマトを食べることにした。
 日はもう真上に来ていた。
 そういえばお腹が減ったような気がする。
 アオコは這ってベランダに出た。
 プランターで育てているプチトマトの、一番赤い一粒を取ってみる。
 口に入れてみると、プチトマトはまずかった。
 ろくに味がしない。
 噛むとあふれるトマトの汁が、生ぬるかった。
 ああ、毒だ。とアオコは思った。
 アオコは鉢植えの傍で横になって、さらに何粒も取る。
 まだ熟していなくても、構わずに一粒ずつ口に入れていった。
 これも毒だ。これも。
 味のしない実と汁を次々に咀嚼し、飲み込む。
 アオコは野菜が嫌いだった。
 野菜を美味しいと思った記憶がない。
 だけど拒絶反応はなかった。
 食べれば、確実に体の調子は良くなっていく。
 きっと私の細胞はすっかり毒で出来ていて、だから毒を食べ続けなければならないんだ。
 気付けばアオコは、毒と思っているプチトマトの実をほとんど取ってしまっていた。
 アオコは野菜ばかりを食べて、生きてきた。
 彼女の母親は菜食主義者だった。
 母親から離れるまで、アオコは肉を食べたことがなかった。
 初めて食べた肉は豚肉を焼いただけのものだったが、野菜とはかけ離れた味がして、恐ろしくなった。
 これはきっと食べ物なんかじゃない。
 アダムとイヴの食べた知恵の実だ。
 肉体もアオコの違和感に同調して、動物のタンパク質や脂質を受け付けず、翌日は熱を出して寝込んだほどだった。
 そうだというのに、スピアは私に肉を食べさせたがっている。
 今日もきっとなにかの動物の肉を買って帰ってくるのだろう。
 それは毎日のことだった。
 アオコは一口か二口だけ食べて、残りをスピアが平らげていた。
 スピアは肉を普通に食べられる。
 スピアは、私にもそうなることを望んでいる。
 そうしたら私はどう変わるのだろう。
 アオコは室内に戻らず、プランターの傍で眠ってしまった。
 アオコの非常に静かな呼吸は、リズムを持たずにぼんやりと漂っているだけだった。
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チャオワールド (5)
 数えきれないほど投稿してきた  - 19/8/7(水) 13:09 -
  
 ガーデンは、車で一時間ほど移動した郊外にある。
 ハートの実の成る木で作る人工森林のことをキングはガーデンと呼んでいた。
 三年前に作り始めたばかりだったが、既に二百本の木が五メートルを超えて、実をつける状態にまで成長していた。
 ハートの木はある程度の高さまで育つと、今度は横に成長する。
 腕のように太い枝を周囲に無遠慮に伸ばし、どこまでも広がろうとする。
 ハートの木は、上空には競合する相手がいないが、水平方向にはいくらでもいることを知っていた。
 あるいは、森らしい形を作って自分たちのテリトリーとするために、ハートの木同士で結託して手を差し伸べ合っているのかもしれない。
 そうして広げた枝に実がついていく。
 ハートの木は元々成長が早い木だったが、スピアが加わってからはさらに加速した。
 今年中には、もう五百本が実をつけるようになるだろう。

 キングの車とトラックがガーデンに着くと、すぐに人が群がってきた。
 全員が、裾が長くて膝の辺りまで隠れる、Tシャツのような衣服を着ていた。
 男も女もみんな、そのTシャツのような服だけ身につけている。
 ガーデンの常駐スタッフで、キングは十人ほどの男女をこのガーデンに住まわせていた。

 ガーデンに暮らす者たちはトラックから死体を引きずり下ろす。
 今日の死体は二十五体。
 スピアは、ビルにいた人を一人も残らず殺した。
 大したことではない。
 誰も逃げることを知らなかっただけだ。
 その死体を、あちらこちらに運んでいく。

 ここでも仕事は三人一組だ。
 二人で死体を動かし、もう一人が三人分のシャベルを運ぶ。
 作業はスピアも手伝った。
 つまらない肉体労働は、闘争心を冷ますのにちょうど良かった。

 死体は、木から少し離れた場所に埋める。
 木の傍を掘ると根っこを傷付けてしまう恐れがあるし、離れた場所にある養分でもハートの木は成長してくれる。
 上半身の分をスピアが掘って、下半身は二人の女が掘った。
 スピアが一定の小気味よいリズムで掘っていく様に女たちは関心して、ちらちらとスピアを見ていた。

 死体を埋め終わると、一緒に作業していた女のうちの一人が、

「一汗かいたし、気持ちいいことしようよ」

 と体を密着させてきた。
 裾をまくって、陰部をスピアのジーンズにこすりつけた。
 女の長い髪はスピアの腕をさすった。

「そんな気分じゃないな」

 とスピアは断った。
 貞操を守るということではなく、本当にそういう気分になれなかった。
 過熱した暴力性がうまい具合に落ち着き始めていた。
 すっかり消沈してしまうまでは、再び興奮するエネルギーが回りそうにない。
 だがそんな理由は思い至るはずもない。

「あ、そっか。私たちと違って、食べてないもんね」

 ガーデンの女は、足下に落ちていたハートの実を拾って、差し出した。
 びわに似た形をした、握り拳より一回り小さい果実だった。
 これ、凄く効くんだよ。
 錠剤とは全然違うから。
 女は食べるように勧めてくる。
 スピアは受け取りはしたが、口には運ばずにいた。
 その様子を見て、もう一人の女が、

「もしかして彼女とかいるんじゃない?」

 と言った。
 すると、くっついていた女は、逃げるように反射的な動きで、スピアから身を離した。

「そうだったんだ? ごめんねぇ」

 体を縮こまらせて、女は反省の意図を見せる。
 助かった、とスピアは思った。
 彼女たちはハートの実の効き目のただ中にいるようなのだが、意外と話は通じるようだ。
 時間が経っているのか、それとも日頃から食べ過ぎていて慣れてしまっているのか。
 どちらにしても、わかってくれるのなら最初から適当な理由を言って断っておけばよかった。

 口出ししてきた女は、スピアの手にあるハートの実を指差して、

「それ、彼女と食べなよ。本当に凄く効くから」

 と言った。

 その帰りの車の中でスピアは、

「チャオは、まだ生まれないんですかね?」

 とキングに聞いた。
 最初、キングは答えなかった。
 スピアの質問を耳では聞いていたのだが、頭が聞いていなかった。
 五秒くらい経ってからキングは話しかけられたことにはっと気が付いて、

「ん? あぁ、チャオか。チャオはまだだろうな」

 と答えた。

「チャオがいつ頃生まれるか、まだわからないんでしょうか?」

 キングは、わからない、とつぶやくような声で答えた。
 その答えを聞いて、スピアの表情が深刻そうに陰った。
 焦るなよ。
 キングは笑った。

「俺たちはやるべきことを確実にこなしている。そうだろ? ハートの木のガーデンは着々と広がっている。あそこ以外でもガーデンは作り始めているんだ。ハートの木が増えれば増えるほど、チャオが生まれるのも早くなるはずだ。だから俺たちがやるべきことをやっている限り、近い将来、チャオは生まれる。そうだろ?」

 そうだ、確かにそうだ。
 スピアは頷いた。
 それに、とキングは言った。

「お前のおかげで、あのガーデンは成長スピードが格段に速い。他のガーデンでは豚とか牛とか、そういった家畜で代用することも試しているんだが、なにぶん、家畜も殺せないやつがほとんどだからな。なかなか進まない」

 上手くいっているのはお前のおかげだ。
 キングはそうスピアに言い聞かせた。

「必要なら、他のガーデンの分の家畜も人も、俺が殺しますよ。俺ならなんでも殺せます」

 それがチャオの世界を作るためになるのなら、とスピアは意気込んだ。
 しかしキングは難しい顔をした。

「お前がよくてもな。死体を運ぶためにトラックを動かすのも、なかなか大変なんだ。遠くまで運ぶのはきついだろうな」

 言われてみれば、そうだった。
 スピアは一人で息んでしまったことを恥じた。
 だがキングは上機嫌になって、

「まあ、お前がそう言うのなら、ここでの仕事をとっとと終わらせて、別の場所に移ろうじゃないか。育てなきゃいけないガーデンはいくらでもある。そのための犠牲となる人間もな」

 と言った。
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チャオワールド (6)
 数えきれないほど投稿してきた  - 19/8/8(木) 20:40 -
  
 スピアは三人分の弁当を買って、アパートに戻った。
 アパートにはガスも通っていないので、買ってくるか外食をするかになる。
 むしろスピアは稼ぎが良かったから、特権のない人間の暮らしにしては高価な食事ができた。
 今日の弁当には牛肉のステーキが入っている。
 二人分は自分の分で、残り一人分がアオコの分だ。
 今日は起きてからろくに食事をしていなかった。
 なので多めに買ってきていた。

 アオコは肉の塊を見て、ぎょっと数秒固まった。
 毎日のことだった。
 食べるのは無理でも、いい加減慣れるだろうに、毎度珍しい物を見るような反応をする。
 スピアはそれを愛おしいと思った。
 妹も小さい時はそうだった。
 離乳食を食べるようになってから、食事が毎回驚きに溢れたもののように、興奮していた。
 五歳くらいになるまではそれが続いたものだった。
 だから、肉を見て固まるアオコは、スピアに赤子を連想させた。

 ああ、勿体なかった。
 二人目で女の子が生まれてくるんだったら、アイって名前を取っておけばよかったわ。
 兄妹で同じ名前にするのは、流石にできないものね。
 これは余計な記憶だ。
 スピアは目の前の肉にかぶりついた。
 今の俺はスピアだ。

 スピアが食べ始めると、アオコも箸を持った。
 アオコは一口目にステーキに挑んだ。
 大口を開けて噛み切る。
 おっ、とスピアは目を見張った。
 これまでアオコは、肉をなるべく避けていたのに。

「どうだ? 美味いか?」

 聞いても、アオコは噛むのに必死で答えられない。
 野菜ばっかり食べているアオコにとって、肉は咀嚼しにくいようだ。
 うんうんと頷いてはいる。
 スピアもステーキを噛んだ。
 奮発しただけあって、きちんと塩で味が付けられているのが美味だ。
 その味わいが自分を肯定してくれる。
 美味いステーキを糧に細胞を潤せるのは正しく生きている証拠だとスピアは思った。
 肉は、狩りに対する報酬だ。
 それがたとえ家畜であったとしても、動物の命を奪うという試練を達成することによって、人の命は増強される。
 血肉の中に生きることが、他ならぬ自分の肉と血を健やかにしてくれる。

「美味しいのは、わかってるよ」

 やっとステーキを飲み込んだアオコが、そう言った。

「でも、あまりにも美味しいから、健全な食べ物だって思えない。実際、前に熱出したでしょう? だから私、お肉を食べるの、怖い。こんな美味しい物ばかり食べていたら、きっと私は天罰が下って死ぬと思う」

 だけどアオコは、野菜や米に箸を向けずに、またステーキを口に入れた。
 今度はさっきより少し小さめに噛み切る。

「その割には、今日はよく食べるじゃないか」

 アオコが肉を飲み込むタイミングを待って、スピアは言った。

「植物しか食べられない女でいることに飽きたの。だから天罰を食らって、生まれ変わることにしたんだ」

 アオコは、弁当の中の肉も米も野菜もひとまとめにして、かき込んだ。
 自分の飢えを初めて自覚したような、旺盛な食い方だった。
 スピアは嬉しくなった。

「それで正しいんだよ。人類に残された希望は二つしかない。天罰が下るような生き方をするか、チャオに生まれ変わるかだ」

「チャオって、なに?」

 とアオコは聞いた。
 これまでも、彼がその謎の生物の名前を出すことが何度かあった。
 でも大抵がハートの実が効いている時で、そうなればアオコにも尋ねる余裕はなく、今日まで謎のままにされていた。

「チャオは、ハートの実を食べて生きる、新しい生き物だ。まだこの世に存在しない。だけど近い将来生まれてくるはずだってキングは言っている」

「ハートの実を食べてって、その生き物、大丈夫なの?」

 アオコは、食事と性交だけを一生し続ける生き物を想像した。
 そんな想像を見抜いてか、スピアは、そうじゃないよ、と笑った。

「ハートの実を人間が食べたらああいうふうになるのは、いわばハートの実が人間にとって毒みたいなものだからさ」

 正確には毒じゃない。
 だって適量なら別に死んだりするわけじゃないからね。
 でも、普通じゃない状態になるって意味では、毒みたいなものだろう?
 アオコは頷いた。
 普通じゃない状態っていうのは、アオコも毎日体感しているから、よくわかっている。

「でも、人間にとっては毒でも、それに耐性のある生き物だっている。毒キノコは、自分の毒で枯れたりはしないだろ? フグだって、自分より小さい種類のフグを食べることがある。フグは、フグの毒では死なない」

「じゃあ、ハートの実を食べてもおかしくならないのが、チャオ?」

「そういうことだよ」

 アオコは、チャオがどういう姿の生き物なのか、知りたいと思った。
 だけどスピアは、知らないと答えた。
 それはキングにもわからないことなんだ。
 だってまだ生まれていない生き物だから。
 未来のことなんて、ちょっとした予測ができるだけで、全部がわかるわけじゃない。

「ただね、こんな世界で新しく生まれる生き物こそが、人類に代わって繁栄してくれるはずなんだよ。人類よりも正しく繁栄してくれるんだ」

 キングはそう言っていた。
 だからこそガーデンを作らなければならない。
 新たに繁栄する種族のために、もう繁栄できない人類ができるせめてもの手伝いを。
 そうすれば人間はきっとチャオに生まれ変わって、今度こそ正しく生きていくことができる。

「もしそうなら、私はチャオに生まれ変わりたい」

「アオコならチャオになれるよ。だってアオコは綺麗だからね」
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チャオワールド (7)
 数えきれないほど投稿してきた  - 19/8/9(金) 16:19 -
  
 翌朝、目を覚ましたアオコは、シーツに種が落ちているのを見つけた。
 ハートの木の種だった。
 昨日はスピアが持ち帰ってきたハートの実を食べて行為に及んだ。
 まるで二人が交わった結果生まれた卵みたいだ、とアオコは思った。
 ちょうどシーツの真ん中に種はあった。
 ハートの実の効き目は凄かった。
 半分ずつしか食べていないのに、錠剤とは比べものにならなかった。
 私は完全にスピアと溶け合っていた。
 アオコにはまだ昨夜の多幸感が残っていた。
 スピアの全てを受け入れて、互いの肉体を共有した。
 今の私はスピアの暴力性を手に入れた。
 文明が作ったかりそめの平和に頼らずに、肉を狩って生き抜くことのできる才覚だ。
 それを私も得た。
 その証拠に、昨日はあんなに牛の肉を食べたというのに、私の体は少しも具合が悪くなっていない。
 むしろ力がみなぎっている。
 そしてスピアにも、私からなにか与えられたはずだ。
 たとえば、私がチャオになれるとスピアは言っていたから、私と交わったスピアだってチャオになれるに違いない。
 スピアはチャオに渇仰していたから、これ以上ないプレゼントになっただろう。

 とてもとても残念なことに、そんな愛しいスピアがいない。
 もう仕事に出かけてしまったのだ。
 最高の気分で迎えられた朝の、肉食動物の私が始まった記念すべき瞬間だというのに。
 だけどアオコは落ち込むことなく、前向きに起き上がった。
 出かけよう。
 スピアとおそろいのジーンズ(骨董市でたまたまセット売りにされていたのだ。サイズも一緒だったから、アオコには少し大きかった)を履き、スピアの稼いできた硬貨をいくつか掴み、ポケットに入れる。
 せっかくだから、このハートの木の種を植えよう。
 こんなアパートから抜けて、ガーデンで暮らす日が私たちにも来る。
 それだったら、もうここをガーデンに変えてしまおう。
 アオコはプランターに植えていたプチトマトを引き抜いて、捨てた。
 とはいえ、プランターでは木には狭すぎる。
 アオコはプランターの土の上に種を一旦乗せる。
 そしてプランターを抱えて、アオコはアパートを出た。
 道路はアスファルトで舗装されているが、昔の人間が遺したものに過ぎず、遥かな年月を経た今では劣化して割れているところもあった。
 アオコはとびきり割れの大きいところをアパートの周辺で探した。
 それは案外すぐに見つかって、道の脇にアスファルトの下の土が露出している部分があった。
 空豆のような形のスペースで、おおよそ二十五平米はありそうだった。
 その幸運に、アオコは一層気分を良くした。
 土を少し掘ってから種を植え、そこにプランターの土を被せた。
 探し物なんて、探し始めた時点で見つかっているも同然なのね。
 軽くなったプランターを振りながら歩く。
 次は市場に行こう。
 アオコの目的は、自らの意思で肉を食べに行くことであった。
 自身の変化を再確認するためだ。
 それに、もっと肉を食べれば、もっとスピアに近付けると思った。
 アオコは途中の広い道でプランターを放り捨てた。
 プランターは空中で一回転する。
 落ちると、ばこんと大きな音を立てて、そして少しだけ跳ねた。

 市場に行くと、焼いた肉を販売している屋台の周りに列が出来ていた。
 行列なんて珍しい、と思って並んでみるが、少しも動く様子がない。

「なんかあったの?」

 近くにいた男に聞いてみると、男は随分前からここにいるのか、疲れのある声で、

「解体担当がいなくなったんだとさ」

 と言った。

「他に肉を解体できるやつがいなくて、それで料理が進まないんだ。あんたは誰か、知り合いに肉を切れるやつ、知らないか?」

「それなら私がやってみようかな」

 さばけるのか、と男はとても驚いた顔をする。
 そうじゃないけどね。
 アオコは首を振り、笑った。

「でも、やってみたら、意外とできるかもしれないでしょ?」

 謙虚に言ったが、できると確信していた。
 スピアは生きた人を殺している。
 それに比べたら、死んでいる動物の肉をさばくなんて、少しも特別なことじゃない。
 だからできるはずだとアオコは思った。

 おおい、この子が肉を切ってくれるとさ。
 男が大声を出して、列をかき分ける。
 アオコは好奇の視線を受けながら、非暴力的な人たちの作った道を進む。

「あんた、やってくれるのかい?」

 店主の女が、すがるような顔をして言ってくる。

「本当にできるのか、わからないですけど。やってみます」

 自信満々の笑みをアオコは店主に見せた。
 屋台の後ろには折りたたみの机があって、そこが調理台だった。
 その調理台にも乗せられずに、死んだ豚が横たわっていた。
 畜殺者不足のせいで解体にまで手が回らず、殺しただけの状態で出荷されてくるのだ。
 もう死んでしまっているものを解体するのであればできるという人間はいるからだ。
 この屋台にもそういう人間がいて、解体をしていたはずなのだが、姿をくらましてしまったようだ。

 アオコは刃の長い包丁を持たされる。
 まずそれで腹を割いてみる。
 最初は力任せに切ろうとするが、押し引きの動作でこするように刃を当てると切れていくことがわかると、時間はかかるが着々と事が進む。
 そして内臓が取り出されると、おおっ、と歓声が上がる。
 店主はその内臓を鍋の中の調味液に浸す。
 数秒つけた後に鉄板で焼く。
 店主の肉の扱いは大雑把だ。
 この店主には肉の部位や、それによる味や扱いの違いの知識はなかった。
 とにかく食べられそうなところは焼く。
 少しでも多くの量の肉を焼いて売れば、それだけ儲けが増えると思っているのだった。
 加えて、よく焼けば食あたりなどは起こらないだろうという考えていて、焼き過ぎなくらいに焼くのだった。
 一方でアオコは夢中で解体をする。
 開いた腹の中に顔を入れそうなくらいに近付けていた。
 解体のための刃物は、他にもいくつかあった。
 鉈のようなブッチャーナイフ。
 腹を割いた時の包丁よりかは短いが、鋭く尖った包丁。
 解体にはあまり向いていなそうなナイフも数本あった。
 それらを感覚的に使い分けていく。
 分厚い肉を叩きながら切り分ける。
 肉を削ぎながら骨を剥がす。
 取り出した肉の塊が次々に焼かれていく。
 かつての人類はもっと器用にやっていたのだろうけれども、私も初めてやったにしては、なかなか上手くできている。
 それは才能とかいうことじゃなくて、おそらく人間が古くより持ち合わせている機能として、動物の肉を扱うことができるからなのだろう。
 そんなふうにアオコは思った。
 そして、そんな思い方をすると、多くの人がこの作業を忌避しているのが途端に不思議になった。
 食べていないのに、肉を切っているだけで満腹中枢を刺激される感じがあった。
 その一方で、血の赤色をした肉を目の前にしていると、腹が減ってくるようにも感じられた。
 満腹感と空腹感をアオコに同時に与えているものの正体は、冷静な興奮だった。
 思考力を奪うことはなく、だけどもアオコの背を力強く押しているような興奮だ。
 それがアオコの行動を肯定していた。
 もっと動物を殺して食べたいという衝動が自分に備わっていたことを、アオコは生まれて初めて知った。
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チャオワールド (8)
 数えきれないほど投稿してきた  - 19/8/10(土) 11:43 -
  
 アオコが植えたハートの木は、みるみるうちに育っていった。
 あれからアオコは屋台で動物の解体を手伝うようになり、その報酬としていくらか肉をもらってきたのだが、その肉をハートの木を植えた土に混ぜていた。
 肉を養分にするというのはスピアが教えた。
 土が肉を分解するのを待たずに、ハートの木の根が肉を分解してしまうのだ。
 だから人間の死体をそのまま土に埋めても、数日もすると骨さえ残らない。
 そのことを教わって、アオコは豚や牛を丸ごと埋めてみたいと思った。
 屋台で働く給料で、牛か豚を一頭買ってみようかと考えている。
 だがハートの木を育てるのに一つ障害があった。
 それはキングだった。
 キングは、自分の用意したガーデン用地以外でハートの木を育てることを快く思わなかった。
 東京の、富裕層が暮らす場所に近い所で育てようというのが、特に気に食わなかったようで、キングは木をすぐ抜くように命令した。
 地下には、かつての人類が作った電線などが埋まっているんだ。
 ハートの木の根がそれを破壊したらどうする。
 人類が遺したものにはまだ価値がある。
 だがな、それは発電所から電気が供給できてこそだ。
 人類の英知のサルベージが終わらないことには、ここをガーデンにするわけにはいかない。
 キングは必死に説得をしたが、スピアは従うつもりがなかった。
 人類の英知はどうでもよかった。
 たとえばそこにチャオに関する予測のデータがあったとしたら、それは見てみたいと思いはするが、それよりもガーデンを広げてチャオの世界を開拓することが大切だった。
 一日でも早くチャオが生まれられるように、環境を整えたかった。
 人類の代わりに繁栄してくれるというチャオのために人類ができることなんて、そのくらいだろうからだ。

 キングから木を抜くように言われ始めてから三日。
 いつも車で迎えにきていたキングが来なかった。
 キングの車は来た。
 だが運転しているのはキングではなく、若い女だった。

「おはようございます。今日からあなたと行動することになった、エミです。キングからは、エミーと呼ばれています」

「キングはどうしたんですか?」

 助手席に座りながらスピアは聞いた。
 エミーはスーツを着ていた。
 おそらく彼女も特権を持っているのだろう。
 それか、キングの女なのかもしれない、とスピアは勘ぐった。

「キングはチャオの研究に専念すると言って、“キャッスル”にこもりました」

 キャッスルとは、キングの住む超高層マンションのことだ。
 キングの住む場所なのでキャッスルだと誰かが言い出して、その呼称は末端にも伝わっていた。

「なにか見つかったんですか!?」

 スピアは身を乗り出した。
 エミーは同じだけ体を引いた。

「いえ、直接的になにか見つかったわけではなく。ただ、研究のための設備が整ったのです」

 エミーはスーツの内ポケットから、小さな板状の機械を取り出した。
 スピアはそれがなんであるのか知らなかったが、それはスマートフォンだった。

「こういう通信用の端末が使えるようになりました。なのでキングはキャッスルから出ずとも、各地と連絡が取れるようになったのです」

 それに、これまで特権を持っていた人間が所有していた様々な機械もキャッスルに集められている。
 そこからデータをサルベージすれば、なにかチャオのことがわかるかもしれない。
 だからキングはキャッスルにこもることにしたのだとエミーは説明した。

「ここまで来たのは、スピアさんのおかげでもあります」

「俺の?」

「噂は聞いています。人を殺すことができ、なおかついくら殺しても精神が揺れることのない、特異な人間と」

「ええ」

「あなたが、有益な機械を独占している者たちを殺した結果、キングのところにそれらを集めることができたのです」

 なるほど、とスピアは理解した。
 この前も特権を持つ者のビルを襲撃したし、それ以前もそういうことが多かった。
 使用人を雇っていて人が多く集まっているからターゲットにしているのだと思ったが、それだけが理由ではなかったのだ。

「私もあなたと会えて非常に嬉しいです。なかなかお仲間には会えませんからね」

 お仲間っていうことは、あなたも?
 スピアが驚いた顔をしていると、エミーは頷いた。

「私もチャオの世界を作るために頑張っているんですよ」
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チャオワールド (9)
 数えきれないほど投稿してきた  - 19/8/11(日) 11:46 -
  
「今日は、ここから少し離れた所にある集合住宅の方たちをガーデンに運びます」

 エミーの運転はキングよりぎこちなかった。
 他に車の走らない道、曲がり方が下手でも問題ないが、アクセルの踏み加減がわかっていなくて急加速するのが乗り心地を悪くしていた。

 着いたのは、マンションだ。
 状態が良ければ特権を持つ者が使用していてもおかしくない、高層で洒落っ気のあるマンションだったが、正面のドアのガラスは破壊されていた。

「ここは二十階まであります。働きに出ている者も多いでしょうけど、これだけ大きい集合住宅ならそこそこ殺せるでしょう。一階から十階までを私がやりますから、十一階からはスピアさんお願いできますか」

「ああ。ところでエミーさんの武器は?」

 スピアは金棒という、大きくて一目で凶器とわかる物を持っている。
 だがエミーはなにも持っていないように見えた。

「銃です」

 とエミーは答えた。
 自分の脇腹の辺りを指して、そこに銃があることを示すが、スーツを着たままではよくわからなかった。

「銃って、血が出るのでは?」

 出血は少ない方が、ハートの木の養分が増える。
 だというのにエミーは興味なさそうに、

「血なんてどうだっていいですよ。養分のことが気になるんなら、人間なんていくらでもいるんですから、たくさん殺せばいいだけです」

 と答えた。
 そういう問題なのだろうか。
 俺はキングにそうしろと言われたから、金棒なんかを持って、血をあまり出さないようにしていたのに。
 しかし今、俺の目の前にいる上司は、キングではなくエミーだ。
 彼女の考えをむきになって咎めることもないのかもしれない。

「確かにそうですね。銃なら早くたくさん殺せるし」

「そういうことです。無駄口はここまでにして、行きましょう」

 狩りが始まった。
 スピアは十一階から順に、一部屋ずつ見て回った。
 逃げられる心配はないが気配を殺す。
 人に危害を加えなくなった人間は、人から危害を加えられることを想像して逃げることもしなくなった。
 それでもたまに危険を理解して逃げることを思い付く人間がいて、そんな人間を狩るシーンは非常に興奮がある。
 隅々まで見逃さないよう視線を巡らせる。
 同時に、遠くで足音がしないか耳を澄ませている。

 スピアが二十階まで殺しを終えて、マンションの下を見ると、トラックを停めたすぐ傍に大量の死体があるのが見えた。
 もうそこまで運んだのか。
 銃で殺すのはそれほど早いのか。
 驚きながら階段を降り、仕事が済んだことをエミーに報告する。

「君の殺し方はまるで肉食動物の狩りだとキングは言っていましたけど、本当にそうみたいですね。ライオンががおっと襲いかかって、ウサギが死ぬ」

「エミーさんは、流石銃は早いですね。もうここまで運んで」

「運んではいないですよ。ただ良い仕事があるってだましただけです。住人同士で呼びかけてもらってここに集めたんです」

「効率的ですね」

「ついでに死ぬのも自分たちでやってくれたら、もっと楽だったんですけどね」

 そう言ってエミーは、ふふふ、と小さな声で笑った。
 スピアにはエミーのジョークの笑いどころがわからなかった。

 エミーの提案で、スピアが殺した人たちはまずマンションの窓から放り捨てて一階まで落とすこととなった。
 落下の衝撃で死体の状態が悪くなってしまう懸念があったが、エミーはそれを少しも気にしなかった。
 死体をトラックに詰めて、ガーデンへ向けて車を走らせ出すと、

「殺しの仕事が終わっても、殺し足りないと思うことはありませんか?」

 とエミーは尋ねてきた。
 ある、とスピアは答えた。

「そうですよね。もっと殺したいですよね。一日も早く人間の世界を破壊して、チャオの世界を作りたいですね」

 人間はみんな殺したくなるじゃないですか。
 あなたのことも、今トラックに乗っているスタッフたちも、殺したいじゃないですか。
 でも殺してしまうと死体をガーデンに運ぶ人がいなくなってしまうから、殺せないんですよね。
 それで言えば、ガーデンの人だって殺したいですよね。
 ガーデンはチャオの世界なんです。
 そこに人間が住むなんて、許されることではないはずです。
 なのにその方がガーデンを作る作業が効率的に進むからって、人間のくせにガーデンに住むことを許されているんです。
 早くあいつらも殺せる日が来てくれればいいのにって思いません?

 スピアは、そんなこと思っていなかった。
 チャオの世界を作りたい気持ちは同じだが、人間の世界を破壊するとまでは考えていなかった。
 俺とエミーと、どうにもずれている。
 なにが違っているのだろうか?
 スピアは、人を殺せる仲間が自分とは少しだけ違う人間であるらしいことが、居心地悪く感じた。
 人を殺せる自分と、人を殺せない人々との間なら、どんな違いがあっても普通のことだ。
 どんな共通点があったとしても、同じ人類だ、違和感はない。
 だけど中途半端に似ている人間がすぐ傍にいるとなると、妙にすわりが悪い。

「ああ、そうだ。ガーデンにあるハートの実、いくつか持ち帰ってしまっていいですよ」

「え?」

「ほら、植えているでしょう。アパートの傍に。キングが目くじらを立てていた」

「そうです」

「キングには黙っておきます。勝手に植えてしまっていいですよ。私も東京がとっととガーデンになってくれた方が嬉しいですから」
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チャオワールド (A)
 数えきれないほど投稿してきた  - 19/8/11(日) 23:36 -
  
 ガーデンで死体を埋める作業を、エミーは手伝わなかった。
 ガーデンに住む者たちを憎んでいるようなことを言っていた割には、表情に厳しいものはなかった。
 ただ作業には加わらず、監視をするでもなく、ぼんやりと木々を眺めていた。

 スピアは作業の終わり、ハートの実を持ち帰ろうと、いくつか手に取った。
 それを見たガーデンの女たちに笑われてしまう。
 笑った女たちを見ると、この前ハートの実を渡してきた女がその中にいた。

「凄かったでしょ?」

 ハートの実を渡してきた女が、そう笑いかけてくる。
 スピアは恥ずかしい気持ちになった。

「いや、これは植える用だから」

「そうだとしても、食べるんでしょう?」

 ぐ、と息が止まってしまう。
 女は、ほらね、と喜んだ。
 なんでとっさに違うと嘘を言えなかったのか。
 スピアは顔を赤くした。

「ねね、せっかくだからさ、ここで食べちゃおうよ。やろうよ」

「だから俺は」

「私、あんたのこと好きだよ。ここに来る連中は、キングもあの女も、ハートの実に全然興味がないんだもの」

 そんなのおかしいじゃんね。
 なんのためにハートの木を育ててるんだって話。
 チャオのためって言ったってさ、今ここに成っている実は、チャオ食べられないじゃん。
 だってまだチャオいないんだから。
 それなら私たちが食べていいってことでしょ。
 なのに食べないなんて、感じ悪いよ。

 女は胸を押し当ててスピアを誘惑してくる。
 だけどスピアはその体をゆっくり押し退けて、首を横に振った。

「彼女のことがそんなに好きなんだ?」

「ああ。そうなんだ」

 アオコのこともあったが、気になるのはエミーだった。
 彼女を刺激して不快にさせれば、銃弾が頭を貫いているかもしれない。
 彼女がいる場で、ハートの実を食べて頭が回らなくするのは危険だった。
 それにエミーの運転する車で帰らなければならない。
 エミーがハートの実を食べないとなれば、ハートの実の効果が切れるまで彼女は退屈な待ち時間を過ごすことになる。
 耐えかねて撃ち殺すというのも、考えられることだった。

 なんとか女たちから逃れて、スピアはエミーのもとに戻った。

「作業、完了しました」

「ご苦労様でした」

 エミーはずっと上の方を見たままで言った。
 なにかいるのだろうか。
 スピアもエミーの見ている方を眺めるが、生物の気配はない。
 ハートの実がぶら下がっているだけだが、エミーの目当てはそれではないだろう。

「なにか、いますか?」

「いないから、想像しているんです」

 とエミーは答えた。

「スピアさんはチャオがどんな生き物だと思いますか?」

「どんなって、人類がいなくなった世界で繁栄する、天使のような生き物だと」

「そうキングは言っていましたけど。でも具体的にどんな生き物なのかは、キングも知りません。だから想像の話ですよ。どんな生き物だと思いますか?」

 そう促されて、スピアはチャオについて考えてみた。
 このガーデンに生き、ハートの実を食べる生物。
 そうであれば、基本的に木の上で生活する生き物なのではないだろうか。
 枝を折ることなく機敏に動き回る、小さな生き物。
 スピアが思い浮かべたのは、尾の長いネズミだった。
 体長の半分は尾であり、その尾は猿のもののように太い。
 枝をすらすらと走り、尻尾を使って上手く木を渡っていく。

 スピアは自分の想像したチャオをエミーに話してみた。

「どうですかね?」

「木の上を走り回るっていうのは、確かに理にかなっていると思います。そういう生態なら、天敵も少ないかもしれません。でも、夢がないと思いませんか?」

「夢?」

「だってチャオは、人類の代わりになる天使のような生き物、ですよ?」

 そしてエミーは、彼女の思うチャオの姿を語った。
 チャオは私たちより遥かに大きな生き物です。
 なぜならチャオこそがこの世界の正当な所有者であり、チャオは人間の犯した過ちを繰り返すことはないからです。
 ですからチャオは私たちより脳が大きくて賢いと考えるのが普通でしょう。
 対してハートの実は、巨大なチャオの食べ物にしてはかなり小さいです。
 そこから考えるに、チャオはあまり動かずに生きるのではないでしょうか。
 たとえばそう、木のように。
 あるいは生きる岩と言ってもいいのかもしれません。
 人間は行動範囲を広げ過ぎたがために戦争を引き起こしたと考えれば、動かない生態は平和を自然に作り出します。
 ほとんど移動せずにその場に留まっている一方で、人間を超える高い知能を持つ。
 そんなチャオはどのように生きるのでしょうか?
 答えはきっと、おしゃべりです。

「たぶん、人間を凌駕する高次元の生き物というのは、おしゃべりをして生きるのではないでしょうか。わかりますか、この感じ?」

「俺には、難しいです」

 おしゃべりという単語は、神聖な生き物を語るにしては幼稚に感じられた。
 会話ばかりして一生を過ごして、それがなんだというのか。
 スピアには想像ができなかった。

「そうですか」

 エミーは残念そうな顔をした。

「まあ、いいでしょう。そろそろ帰りましょうか。どうせチャオの会話なんて、低次元の私たちに理解が及ぶものではないでしょうし」

 さっと車のドアを開けて、エミーは運転席に座った。
 彼女は木々を見ることで、まだ存在していないチャオたちのおしゃべりを聞こうとしていたようだ。
 帰りは互いに一言も喋らなかった。
 スピアもエミーも、チャオの会話というものを考えようとしていた。
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チャオワールド (B)
 数えきれないほど投稿してきた  - 19/8/12(月) 23:37 -
  
 アオコが一日に解体する動物の量は増えていた。
 さばくのが上手くなったというのもあるが、アオコが入ってからというもの屋台は人気になっていた。
 それで店主の女は気分を良くして、仕入れる量を増やしたのだった。
 アオコは豚も牛も、そしてたまに入荷される馬もさばいた。
 珍しく馬が入荷された時も、店主の女は特に値上げすることなく焼いた肉を売っていて、この人には商売の才能がないなとアオコは感じた。
 もしかして馬を売った人もまたなかったのかもしれない。
 どうあれこの店には固定客が溢れんばかりにいて、それで採算は十分に取れていたし、アオコが来てからその客数はうなぎ登りに増えていたのだから、儲かっていることには違いなかった。
 アオコのファンというのは、アオコが動物をさばくのを見物して、そのついでに肉を買っていく。
 興味本位で見て、たまに失神してしまう者もいる。
 だけどおおむねの人はアオコが慣れた手つきで肉を切り分けて骨を抜いていく様に感心するのだった。
 見られていると、アオコの胸にはある期待が膨らんでくる。
 そのうちに誰かが俺にもやらせてくれと言ってくるのではないか。
 そして今まで動物を解体することに抵抗のあった人々がどんどん解体をするようになり、果てには狩りまでできるようになったら、なんと素敵だろう。
 世界がスピアの生き方に染めてしまいたい。
 だからアオコは、自分の身につけた技術や工程を、小さな声で呟きながら作業をしていた。
 いつ誰が志願してきても、きちんと教えられるように、呟いて手順を整理する。
 家畜の骨格を描いてみせることだってできるだろう、とアオコは思った。
 だけども今のところ、そのような人は一人も現れてはこないのだった。

 それとは別に、異変が起きた。
 客が倒れた。
 初めは、また誰かが失神したのかと思ったのだが、倒れた中年の男性はアオコも見た覚えのある人だった。
 アオコがここに来る前から、この屋台に通っていたという人だった。
 店主の女も、他の常連客も、その人の名前を叫んだ。
 ちょっと、おい、大丈夫か。
 ねえ、大丈夫?
 反応がない。
 アオコは作業を中断して、倒れた男を救護する。
 外傷はない。
 そして胸部を観察すると上下動がなく、どうやら呼吸もなかった。
 服をはだけさせて、心音を聞こうとしてみる。
 だが聞こえてこない。

「死んでいます」

 確証はないけども、アオコは断言した。
 だが人間ではないとはいえ解体をしているアオコの言うこと、疑う者はいなかった。
 惜しむ声もしばらくは上がらなかった。
 人の死に、どういう態度を取ればいいのか、わからないというふうだった。

「よかったら、私が引き取ります」

 アオコは挙手をした。
 すると周りはぎょっとした顔になった。

「別に解体するわけじゃないですから。ハートの木の肥料にするんです」

 アオコは、人の死体がハートの木の養分によくされているということを話した。
 アパートの近くにハートの木を植えているので、そこに彼の死体を埋めてあげるつもりだ。
 そうすれば彼の死は少しも無駄にならない。
 それにチャオに生まれ変わることもできるだろうと思ったが、そのことはアオコは話さないでおいた。
 チャオのことを知っている人がどれだけいるか、わからない。
 知らないと言う人にいちいち説明するのも面倒だった。

 アオコの提案は受け入れられた。
 みんなが賛同したわけのではない。
 他にどうしようも思い付かなかったから、アオコに任せようという空気になっただけだった。
 ともあれアオコは人間の死体を手に入れることができた。
 仕事が終わるまで死体は、売り物となる動物たちの死体と共に置かれていた。
 経緯を知らない見物人たちは、まさか人間を食わされるのではないかと顔を青白くした。
 だけどもパニックが起こる前に、男が倒れるのに居合わせた者たちが説明をして、なんとか収まるのだった。

 そして仕事が終わって、夜、アオコは死体を運ぼうとしたが、ここで困ったことが出来た。
 死体はとても重かった。
 魂が抜けて軽くなるなんて話を聞いたことがあったのだけれども、死体には依然として何十キログラムの重量があって、ただそのうちの一グラムもはねのける筋肉の動きがなくなっているのだった。
 それでもアオコは必死に死体を引きずった。
 途中、何人かにその姿を見られた。
 誰も手伝う者はなく、おそらくは奇異の目を向けられた。
 しかしアオコは死体を引きずり続けた。
 腕が疲れきっても、休憩を入れることなく、アパートに向かって歩いた。
 私はチャオを産む。
 異生物の母となる幻想がアオコに力を与えていた。
 ハートの木が一本育ったところで、チャオが生まれるわけじゃない。
 私の腹からチャオが生まれるわけでもない。
 そんなことはアオコにもわかっていた。
 だけどもこうしてハートの木を育てようとする行為が、果てにはチャオの誕生につながるのだと思った。
 その幻想を見続けるために、冷静になってしまわないように、アオコは疲労した腕の筋肉をさらに酷使して、死体を引っ張っていった。
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チャオワールド (C)
 数えきれないほど投稿してきた  - 19/8/13(火) 15:51 -
  
 死体を埋めただけで、ハートの木は一晩のうちに五十センチも伸びていた。
 この調子なら、じきに実をつけるだろう。
 一目でわかるほどの成長を見ればアオコも喜びそうだが、かなり疲れたのだろう、いつもよりもぐっすりと眠っていて起きる様子はなかった。
 スピアは、木の傍でエミーが来るのを待った。
 もしかしたら先にアオコが起きてくるかもしれないと期待を持ちながら。
 だが程なくしてキングの車が来た。
 乗っていたのはやはりエミーだった。

「おはようございます」

 挨拶しながら車に乗り込むが、返事はなかった。
 どうしたのだろうとエミーの顔を見ると、顔色が悪かった。
 車も走り出さない。

「スピアさん、チャオは存在しませんでした。私は死のうと思います」

 とエミーは言った。
 懐から拳銃を取り出し、その銃口を自分の頭に当てた。

「え?」

「キングはチャオのことを調べていませんでした。そもそもチャオは、キングが私たちを都合良く働かせるために作った、架空の生き物だったんですよ」

 チャオはいない。
 ハートの実を食べて生活する生き物が誕生するであろうという予測は存在しない、ということだ。
 なんでそんなことがわかったのか。
 スピアはそう尋ねた。
 そしてエミーに、とりあえず銃を下ろすように言った。
 質問をしたのは、自殺をやめさせようという意味もあった。
 エミーはそれに従った。

「キャッスルには、キングの身の回りの世話をしている者たちがいます。彼らから話を聞きました。彼らは、キングがチャオについて調べている姿を、キャッスルにこもる以前から一度として見たことがなかったそうです。そしてキングは、キャッスルでなにをしていると思いますか?」

 ゲームですよ、とエミーは言った。
 かつて人類に遊ばれていた、機械の遊具。
 それで遊んでいるんです。
 キャッスルにこもることを決めてからは、ずっとそればかりだそうです。

 そんな話でなぜエミーが絶望するのか、スピアはよくわからなかった。

「ずっとって言ったって、キャッスルから出てこなくなったのは、つい数日前のことでしょう。ただの気分転換で、これからってこともあり得ます」

 側近の者たちは常にキングを見ていたわけでもないだろう。
 たとえば俺と二人で車内にいた時になにをしていたかなんて、彼らは知らない。
 それと同じようなシーンはいくらでもあったはずだ。
 スピアはそのようにエミーを説得した。
 けれどもエミーは、スピアの仮説では納得しなかった。
 自分の結論が絶対だと思っているのだった。

「いいですか、スピアさん。誰にも見られない時間にだけ、こっそりとチャオの研究をしているなんて、おかしいじゃないですか。キングは私たちを利用して、人類の文明を独占しようとしていたんですよ。自分以外の人間はガーデンに押しやることで、機械や電気、あらゆる遺産を自分だけのものにしようとしていたんです。そう考えた方が自然じゃないですか」

 だから私は死ぬことにしたんですよ。
 エミーは再び銃口を頭につけた。

「待ってくださいよ」

 それが自然だとしても。
 確たる証拠がないのであれば、まだ絶望しなくたっていいはずだ。
 それに、ハートの実を食べて暮らす生き物が生まれるはずだという考え方は、そう間違ったものでもないだろう。
 説得の言葉はまだいくらでも頭に浮かんだ。
 だが、エミーはトリガーを引いていた。

 発砲の大きな音が、車内に響いた。
 エミーの全身が銃弾の衝撃で跳ねる。
 頭からは、弾けた血肉が飛び散った。
 その血はスピアの目にも入ってきて、その時にやっとスピアは目をつぶった。
 取り返しのつかない瞬間は全て目撃してしまっていた。
 目に入った血が、溢れる涙で流されたと思ったが、いくら目のあたりをこすっても、赤いものは付着していなかった。
 それでも運転席のエミーは死んでいた。
 落ちて砕かれた果実のようにエミーの頭は裂けていた。
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チャオワールド (D)
 数えきれないほど投稿してきた  - 19/8/14(水) 19:47 -
  
 スピアは死んだエミーを助手席に座らせ、車内が血まみれの車で走り出した。
 運転は、キングやエミーがしていたものの見よう見まねだ。
 粗末な運転だった。
 エミーが下手だとは笑えない。
 速度の制御がろくにできず、人を轢きそうになりながらも、スピアは向かった。
 キングの住むキャッスルに向かった。
 真実を確かめるためだ。

 キャッスルは、かつて電波塔として使われていた建物だった。
 非常に高く目立つその建物をキングは我が物にしていた。
 金棒を持ち、キャッスルに向かおうとすると、背後から発砲音が聞こえた。
 そんなはずはないと思って振り返る。
 エミーはやはり死んでいる。
 なのにもう一度、発砲する音が聞こえてきた。
 車内からしたのかと思ったが、二回聞いてみると、もっと遠くの場所からした音のように感じられた。
 パアン、パアン。
 音は鳴り続ける。
 次第に、それはどこで鳴ったものではないと、スピアは気が付いた。
 鳴っていないが、聞こえているのだ。
 スピアにはその音が聞こえている。
 きっとこれはチャオの声だとスピアは思った。
 エミーが思い描いていた、巨大な体を持ち、おしゃべりをして生きるチャオ。
 そのチャオの声が俺には聞こえている。
 遠くの空にはとても大きな灰色の雨雲が一つ浮かんでいて、エミーのチャオもきっと灰色だろうと思った。
 チャオはなにかを伝えようとしている。
 そう感じるのだった。
 きっとチャオが言いたいことは。
 スピアは車に戻り、助手席のエミーが、自分を殺すために使った拳銃を手にする。
 これを持っていけってことなんだよな?
 声には出さず、チャオに確認した。
 エミーのチャオは、発砲の音とは違う音で答えた。
 赤ん坊の産声を縮めたような音だった。

 改めて、キャッスルに入る。
 門番は殺した。
 門番はスピアのことを知っていたが、金棒を持っていたので不審がったのだ。
 そしてエレベーターに乗る。
 用があるのはキングだけだ。
 他の者たちはなるべく殺したくない。
 チャオもその考えに文句を言ってはこなかった。
 上がれるところまで上がれば、そこがキングの部屋だ。
 到着したエレベーターの音がしても、キングは来客に気が付かなかった。
 キングは半径二メートルほどの球体の形をした、大きな機械の中に座っていた。
 機械は車のようにドアがあって、中に入れるのだ。
 ガラス窓で機械の外からも中の様子がうかがえる。
 キングは顔には防塵ゴーグルのようなものを、そして手足などいたるところに機械と接続されたバンドを装着していた。
 スピアは機械のドアを開け、キングの着けていたゴーグルをむしり取った。

「なんだ、スピアか。どうした?」

 平静を取り繕うが、キングはかなり驚いた様子だった。
 ゴーグルを取られた瞬間などは、体が反射的に跳ねていた。
 それでもすぐに取り繕えるだけ凄いと思った。

「チャオは、あなたの想像上のものでしかないんですか?」

「なんだ。その話か」

「エミーさんは、あなたが想像だけでチャオのことを話していると知り、自ら命を絶ちましたよ」

「そうか、エミーが。あいつは人一倍、チャオに信仰していたからな」

「否定しないんですか」

「まあ待て。ここで喋るのは、窮屈でよくない」

 キングは体に着けたベルトを外して、機械から出てきた。
 そしてスピアの脇を通り抜けて、美術品を飾っている一角に向かう。
 歩きながらキングは、

「かつての人類がチャオの存在を予測したというのは、嘘だ。チャオは、俺の作った仮説だ」

 とスピアに話した。
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チャオワールド (E)
 数えきれないほど投稿してきた  - 19/8/15(木) 1:39 -
  
「ガーデンは必要だった。俺は、最後の人類として人類の文化を味わいたかったんだよ。わかるか? 最後の人類なんだ。後に続く者はいない。だから俺は、後の世のことなんて考えずに、好き放題ができる」

 そのゲームもこの塔も、結構電気を食うんだ。
 他人や未来のことを気にしたら、こんなもの使えないだろうさ。

 電力は限られている。
 かつて人類が作った、自然エネルギーを利用した発電所。
 それがいくつか動いているだけだった。
 つまりキングはその電力すらも独占するつもりだったということか。
 そう聞けば、エミーの絶望も納得できるような気がした。

「でも一方で、人類をいかに滅ぼすか、という問題もあった。滅びなければ最後の人類になれないものな。そこで俺の選んだ方法が、ハートの木で作られた森林、ガーデンだ」

 人々をガーデンに追いやれば、そこで新しい子が生まれたとて、ハートの実におぼれてガーデンからは出てこない。
 天然物で効き目の強いドラッグばかり食って生きていたら、近いうちに滅びるだろうさ。
 だがここで新しい問題が生まれた。
 どういう理由でガーデンを作らせるか?
 もちろん、ハートの実が食い放題だと言えば、喜んで働くやつらもいるだろう。
 だが念のために、もう一つの動機として、未来の希望を作ってやることにしたんだ。
 それがチャオだ。
 でも落ち込む必要はない。
 自殺する必要もない。
 もしかしたら、本当にチャオは生まれるかもしれないんだからな。
 未来の可能性は、誰にだってわからないだろ。
 絶対、なんてものは存在しないだろう?
 だから安心しろよ。
 チャオはきっと生まれてくる。

 キングは美術品の中から、剣を持った。
 刃渡り一メートルほどの両刃の剣だ。
 それを片手で、ぶん、と振った。

「でもお前は、俺を殺しに来たんだよな?」

「そうです」

 スピアは両手で金棒を握る。
 キングは片手持ちのままだ。
 普段から人を殺し慣れているスピアが負ける道理はなかった。
 だが、これまでは無抵抗の人間しかいなかったという不安はある。
 人間同士の戦いがどういうものなのか、スピアは知らない。
 それはキングも同じことなのだろうが、キングは余裕のある表情をしている。

「俺はあのゲームでな、人もドラゴンも殺してきたよ。お前やエミーの殺し方もよく見てきた。だから死ぬのはスピア、お前だよ」

 だがキングは慢心で突っ込んでくるようなことはしなかった。
 その場に立ち止まって、スピアの出方をうかがっている。
 二人は五メートルも離れて対峙していた。
 まずはこの距離を詰めないとならない。
 うかつなことはできない。
 ゆっくりと半歩ずつ近付いていくべきだろうか、とスピアは読んでいる。
 しかしエミーのチャオが異論を唱えている。
 人間のものとは異なる言語で、スピアになにかを指示している。
 聞き覚えのない言語、それは言葉とすら想像つかない短い音だが、スピアはチャオがどこに導こうとしているのか理解できた。
 銃で撃ち殺せ、とチャオは言っている。
 当たるかどうかは気にする必要はない。
 初めてトリガーを引くことを不安がらなくていい。
 彼の頭を狙い、撃てばそれでいい。
 彼が一歩動き出す前にそうすれば、弾は当たる。
 そういうふうに世界は出来ているんだよ。
 チャオは足音のような言葉でスピアに指示を出していた。

「キング、最後に聞きたいことがあります」

「なんだ?」

「チャオはいないんですね?」

「そんなこと、俺にはわからないな」

 それは、いないと答えているのと同義だとスピアは思った。
 チャオはいない。
 エミーのチャオは、撃て、と未知の言語で言った。
 スピアは持っていた金棒を横に投げ捨て、ジーンズのポケットに押し込んでいた銃を引き抜いてキングを撃った。
 銃弾は一発でキングの頭部を破壊した。
 キングは倒れ、彼の剣が空しい音を立てた。
 スピアは殺した手応えを感じられなかった。
 発砲の反動はあった。
 けれどもそれがキングの頭の傷と関連しているようには思えなかった。
 人類は銃を手にした時から既に真っ当な生き物であることをやめていたのだろう。
 それから滅びるまでに、だいぶ時間がかかってしまった。


 スピアは、キングの死体を車に乗せた。
 そして車をガーデンに向かって走らせた。
 車の中は血の匂いが充満しているというのに、スピアの心は少しも高ぶらなかった。
 狩りは、肉を得るためにする。
 生きるための行いだ。
 今日、キングとエミーに訪れた死は、生物たちの命のつながりとは断絶されていた。
 それに今更ガーデンに行っても、なんの意味もない。
 ガーデンにチャオが生まれるという話は、嘘だったのだから。
 血の匂いはスピアを不快な気持ちにさせるだけだった。
 それでも本当に生まれるかもしれない、未来の可能性は誰にもわからないというのは本当なのだから、と胸中に漂う諦念を誤魔化していた。
 そうやってなにも考えずに、普段どおりの行いをすることによって、結論を先延ばしにするつもりなのだった。
 それに、チャオの世界を欲していたエミーをガーデンに埋めてやるのは、弔いとして正しいはずだ。
 そうだよな?
 エミーのチャオに問いかけると、チャオは肯定の意思を返してきた。
 だからスピアは、自分の鼻を鈍感にさせて運転し続けた。

 ガーデンの人々は、キングの死体を見て困惑した。

「これから、どうなるんだ?」

 とスピアに聞いてくる。

「わからない」

 殺しの責任を取って、キングの代わりを自分がするのか?
 そんな気力は湧いてきそうになかった。
 だけど、もしかしたら自分も含めて、これまでと同じ日々を続けるのかもしれなかった。
 キングからの指示が来なくなっただけで、それで困ることは出てくるだろうが、それでもガーデンは広げられていくような気がした。
 この生き方をやめたって、他になにをすればよいかわからない。
 だから淡々と自らを滅ぼすために、キングが仕掛けたとおりに俺たちはハートの木を育てていくのだろう。

 二人の死体を埋めた後、スピアはチャオに尋ねた。
 お前たちは本当に生まれてこないのか?
 チャオは未来にも存在しないのか?
 エミーのチャオは、なにごとかを返してきたが、その意味をスピアは理解できなかった。
 チャオはわけのわからないことを喋っている。
 スピアは聞き取ることを諦めて、車に乗った。
 車を走らせると、チャオの声は段々と遠のいた。
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チャオワールド (Final)
 数えきれないほど投稿してきた  - 19/8/15(木) 23:25 -
  
 アオコは人を殺した。
 ハートの木の成長が嬉しかったのだ。
 死体を一つやっただけで、一晩のうちに大きく伸びた。
 本当に人間の死体は、良い栄養になったのだ。
 そうとわかれば、もっともっと死体をあげたい。
 ハートの木は、根も太くなり、周囲のアスファルトを剥がしてしまうパワーを見せていた。
 この木に人間の命のエネルギーを注ぎ込んで、アスファルトなんて全て無くしてしまって、ガーデンを作るのだ。

 一人目として、アオコを呼びに訪れた男の心臓を包丁で刺した。
 男は、屋台にアオコが来ないので心配して様子を見に来たのだった。
 包丁は屋台から持ってきたものだ。
 どうせ自分しか使わないからと、包丁をいくつか持ち帰っていたのだ。

 刺して殺すと、昨日の突然死の男とは全く違う死に方になった。
 昨日死んだ男は、アオコが触れた時には既に息絶えていた。
 だけど包丁で刺した男は、長く生きた。
 死ぬまでの間にたくさんの血を流して、それは死への抵抗だった。
 死にたくない、生きるのだという力強い鼓動が血液を押し出していた。
 せっかくの栄養が流れ出てしまってもったいなかったが、手で傷口を圧迫しても血は溢れて、アオコの手を赤く染めた。
 何分も経ってようやく血の流れが止まると、アオコは男から離れた。
 そして死体を引きずり、ハートの木のところまで運ぶ。
 そういえば死体って、そのまま埋めるより、吸収しやすいように細かくしてあげた方が良いんじゃないかな。
 そうしたら、これまで以上の勢いで伸びるようになるかも。
 死体を解体することを思い付いたアオコは、男を埋めないまま放置して、市場に向かった。

 市場に行くと、どうしたの、と声をかけられた。
 アオコが首を傾げると、全身に血がついていることを指摘された。
 傷口を押さえていた手が真っ赤だった他にも、そう多い量ではなかったが全体的に返り血を浴びていた。
 なんでもないよ、と答える。
 そして包丁を刺す。
 やはり出血が酷い。
 次は共用スペースで食事をしている人の背中を刺す。
 テーブルの上には殺した人の食べかけのステーキがあり、アオコはそれを真っ赤な手で掴むと口に入れた。
 とても美味しい。
 昨日は死体を市場から運んでとても疲れたし、今日はずっと寝ていて腹が減っている。
 隣で食べていた人も襲って、食べ物を奪う。
 死体もできるし、腹も満たせるし、一石二鳥だ。
 アオコは、自分が今までの人生とは全く異なる仕組みで生きる存在になったことを、強く実感した。
 気分を良くして、どんどん人を殺す。
 だけど十人殺したところで、お腹がいっぱいになったので、それで一区切りにした。
 今日はここまでにしておこう。
 アオコは屋台に置いていた大型の包丁やブッチャーナイフを回収すると、今し方殺したばかりの人たちで解体の練習を始めた。
 直前まで生きていた血肉は温かかった。
 これまで解体してきた、死んでから時間の経っている家畜の肉とは全く違った。
 力の要る作業で出てくる汗を温かい血で拭いつつ、アオコは人体の構造を確認していく。
 心臓の位置、骨の位置。
 あまり血が出ないように即死させるにはどうしたらいいだろうと考えを巡らす。
 そして数百グラムの塊に分けた肉を市場の地面にまいておく。
 ここもガーデンにしてしまおう。
 ハートの木の種は、まだあるから。

 スピアがアパートに帰ると、ちょうどアオコが最初に殺した男を解体している最中だった。
 返り血がこびりついているアオコに、

「チャオなんて、存在しなかったんだ」

 とスピアは言った。
 しかしアオコは手を止めなかった。
 男は小さい肉の塊に分解されていく。
 きっと名前のあった男は、その体が分解されるごとに名前を失っていく。
 一人の人間の名前が失われたことによって、アオコとスピアは存在感を増した。
 たとえその肉を口に入れなくても二人は他者を食っていた。

「私がチャオだよ」

 とアオコは言った。

「きっと、生まれ変わった私たちのことをチャオって言うんだよ」

 血まみれのアオコの目が真っ直ぐとスピアを見た。
 限りなくチャオに近い赤だ、とスピアは思った。
 だが、ここにチャオはいなかった。
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