●週刊チャオ サークル掲示板
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☆★☆週刊チャオ チャオ20周年記念号☆★☆ ホップスター 18/12/23(日) 0:00

ガーデン・ヒーロー スマッシュ 18/12/23(日) 0:06
1話 ステーションスクエアから吹いてくる風は冷たい スマッシュ 18/12/23(日) 0:06
2話 地球は繭 スマッシュ 18/12/23(日) 0:08
3話 熱く濡れる スマッシュ 18/12/23(日) 0:09
4話 ペンギン・ヒット スマッシュ 18/12/23(日) 0:12
5話 永遠の愛を誓いますか? スマッシュ 18/12/23(日) 0:13
6話 私の愛は絶対に死なない スマッシュ 18/12/23(日) 0:14
エピローグ あなたが愛したものは死なない スマッシュ 18/12/23(日) 0:14

ガーデン・ヒーロー
 スマッシュ  - 18/12/23(日) 0:06 -
  
 人生がどんなにクソな終わり方をしても
 私の愛は絶対に 死なない
引用なし
パスワード
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1話 ステーションスクエアから吹いてくる風は冷...
 スマッシュ  - 18/12/23(日) 0:06 -
  
 ステーションスクエアから吹いてくる風は冷たい。
 体感温度と世界の明るさは比例する。
 太陽が照りつける猛暑日だって、冷たい風が吹いた瞬間に熱は和らぐ。
 まるで太陽が遠くへ離れていってしまったように暑さは消えて、世界は急に薄暗くなる。
 死んだ町が僕たちに手招きしている。
 どれだけ太陽が再び酷暑を作り出そうとも、僕たちの体は冷えていて、世界は少し暗くなったままだった。
 今年は海水浴客が少なかったとニュースが言っていた。
 秋になれば、いよいよ冷たい風は深刻さを増す。
 風によって凍える日々がもうじき始まる。


 学校はサボる。
 チャオガーデンへ行く。
 この町に来てからというもの、僕、遠藤インクは学校に馴染めていなかった。
 一年前、僕の住んでいたステーションスクエアは凍り付いてしまった。
 僕の心もそうだった。
 嘘でも心の氷を溶かして振る舞うことはできなかった。
 心の氷に正直になりすぎた僕は、自身にとっても他人にとっても扱いにくい存在で、誰かが近寄るだけでも軋む音がした。

「おいっす、インクくん。学校サボり?」
 受付に座っているおばちゃんはノートパソコンの画面から目を離さずに言った。
 おばちゃんは柔和そうに丸々と太っている。
 悲しいことなんて何もない人に見える。
 そして悲しいことは脂肪の内側に隠してしまえる人だった。
「そうです」
「じゃあ代わりにきりきり働いてってね」
「なんでですか」
 と僕は返す。
 おばちゃんは、うふふ、と笑った。
 僕は唯一このチャオガーデンのスタッフだけとは心を通わすことができた。
 おばちゃんも、あの日ステーションスクエアにいた。

 一年前、ステーションスクエアは一瞬のうちに氷の町と化した。
 町を殺した化け物の正体は未だに不明だ。
 だけど事実として町は凍り、そこに暮らしていた人々もその凍結現象に巻き込まれた。
 僕とおばちゃんが助かったのは、外部と隔絶して室内環境を調節しているチャオガーデンの中にいたからだった。
 あの日凍ってしまった人は千万人にのぼる。
 おばちゃんの夫は出張に行っていたおかげで助かったが、二人いた子どもは凍り付いてしまった。
 おばちゃんの子どもは今も氷のままステーションスクエアにいる。
 凍った人たちを死者と扱うかどうか。
 これは微妙なところだ。
 法的な扱いも決められずにいる。
 しかし一つ絶望を感じさせる事例がある。
 氷を温めて溶かして救助しようという試みが行われたが、それで氷を解かされた凍結者の心臓は止まっていた。
 なので心の底ではみんな、凍った人は死んでいると思っている。
 ただ凍結現象は、なにが原因なのか全く掴めない、常識外の異常現象だった。
 それなら同じように常識外のなにかで氷が解けて、凍った人々が助かるんじゃないか。
 そんな奇跡をみんながみんな口にする。
 甘ったるい。
 だからこそすがりつくしかない流行病だった。
 そしてそんな奇跡が起きないから、このガーデンは存在している。
 ステーションスクエアの千万人の死者の中にはチャオを飼っていた人もいた。
 このガーデンにいるチャオは、飼い主を失ったチャオたちだった。
 僕がこのガーデンに来るのは、チャオたちやおばちゃんに仲間意識を抱いているからに違いない。

「今日もマユカちゃん、氷やるんだって」
 とおばちゃんはガーデンの二重の扉を開けた僕に言った。
 チャオガーデンの暖かい空気が開いた扉から抜けていく。
 流れる空気をそのままに、僕はおばちゃんに聞いた。
「今日はなに作るって?」
「聞いてない。秘密って言って、教えてくれないもの」
「やっぱりそうか」
「と言うか、早く入りなさい。温度下がっちゃうでしょ」
「はぁい」
 中に入り、扉を閉める。
 暖かな春の早朝みたいな空気に僕は包まれる。
 チャオの餌になる実の成る木の大きな葉が揺れていた。
 ガーデンに吹く微風はチャオと人を楽しませながら、密かに広大な室内の空気を循環させている。
 木は五メートルほどの高さがあるが、天井はその木よりも遥かに高い所にある。
 十メートルくらい、だろうか。
 その天井には空が描かれていて、まるで本物の青空のように見える。
 吸い込まれそうな青空なんて言われる時の、一体どこの青色なのか人の目には把握できない、あの果てしない遠さが再現されている。
 職人技だ。
 一体誰があんなものを天井に描くのだろう。
 チャオガーデンとは作り込まれた小世界だった。
 まるで異国に来たように感じさせる。
 ただいま。
 僕は誰にも届かない小声でチャオたちにつぶやいた。
 聞こえない声のはずなのに、僕がつぶやくと同時に一匹のチャオが僕に気付いた。
 ダークチカラチャオのホウカだった。
 放火という不名誉なネーミングは元の飼い主によるものではなく、このチャオガーデンのスタッフ、桃野マユカによるものだ。
 元の飼い主がなんて呼んでいたかは知らない。
 マユカはまだ二十代前半で、若いスタッフだ。
 若いからってわけじゃないだろうけれど、自由気ままな人間である。
 そのホウカは、木馬に乗って遊んでいた。
 このガーデンに置かれている木馬はちょっと高価な玩具で、揺らすと中に入っている鈴が鳴る仕組みになっている。
 ホウカは木馬から飛び降り、僕の方に駆け寄ってくる。
 彼女のせいで変な名前で呼ばれるようになったホウカだけど、
「よう、元気かホウカ」
「チャオ!」
 とホウカ自身はこれをちゃんと自分の名前と認識している。
 赤と黒のボーダー模様の手を振りながらホウカはにこにこと駆け寄ってくる。
 ホウカはガーデンの中でもとびきり人懐こいチャオだった。
 ダークチャオでクールっぽい見た目をしているのに、ホウカは人がいるといつもにこにこしてじゃれつくのである。
「学校サボって、会いに来ちまったぜ」
 僕がそう言うと、ホウカは挨拶代わりに火を噴いてみせた。
「おお、今日もすごいな」
「チャオ〜」
 ホウカは自分で自分の頭を撫でて、ねだってくる。
 僕は要求されたとおり、ホウカの頭を撫でてやった。
 頭の上に浮かぶトゲトゲのポヨがハートの形に膨らむ。
 火を噴けるようになるには、ドラゴンという珍しい小動物をキャプチャさせてやらないといけない。
「お前のご主人様はきっと金持ちだったんだろうなあ」
 かなり贅沢な生活をしていたんじゃないか?
 それでもチャオガーデンでの平凡な生活にも馴染んでいる様子だった。
 チャオに贅沢なんてわからないのかもしれない。
「今日、マユカがまた氷やるってさ」
「チャオ」
「なにやるか、お前知ってる?」
「チャオ〜?」
「もうメシ食ったか?」
「チャオ!」
 ホウカがなにを言っているかはさっぱりわからない。
 ホウカだって僕がなにを言っているのか理解していないんじゃないか。
 だけどこうやって話していると、頭の上のものがハート型に変わる。
 チャオは人と話をするのが楽しいようだ。
 僕はホウカを抱っこして、プールの傍に移動した。
 池を模したプールの中央には橋が架けられていて、その先には岩の洞窟がある。
 薄暗い洞窟は、暗い所でゆっくりしたいチャオのためのスペースだ。
 そしてさらに奥に、スタッフ以外が立ち入り禁止の部屋がある。
 マユカはそこから氷を運んでくる。
 氷の大きさは一メートル四方ほどだ。
 厚さニ十センチの氷の板を重ねてその大きさにしている。
 そのくらいの大きさになるとかなり重いだろうに、マユカは平然とした顔で氷の載った台車を押し、洞窟から出てくる。
 マユカは僕の姿を認めると、へらへらと笑う。
 そんなつもりがなくても、謎の自信に満ちた笑顔に見える。
 マユカの顔は強気そうな形に綺麗に整っている。
 彼女は見た目のとおりに意志の強い美人だった。
 そしてマユカは橋を渡り切ると、
「おやおや、不良がいるぞ」
 と僕に言った。
「ちぃーっす」
「チャオ!」
 ホウカはとても嬉しそうにマユカに手を振る。
 マユカの氷のショーはチャオたちにかなり気に入られているのだ。
 ガーデンのチャオたちがぞろぞろと氷に集まってくる。
「はぁい、危ないから離れてねー」
 マユカはチェーンソーを持って言った。
 ブィィ、とチェーンソーの電動モーターが大きな音を立てる。
 近付きすぎていたチャオを別のヒーローチャオが引っ張った。
 まるで氷ではなく雲を切るかのように、チェーンソーの刃は氷の中にするりと入る。
 本当に切っている証拠として、ものすごく細かい氷の粒が霧のように飛ぶ。
 チャオたちはそれを浴びて、きゃあ、と声を上げる。
 氷の左右が大きく切り取られる。
 頭と胴体、なにか立っている動物の形にしようとしているみたいだ。
 マユカは氷を使った彫刻をチャオによく披露しているのだ。
 彼女は両手でしっかりと持ったチェーンソーを数センチ単位で動かして、チェーンソーの刃に氷を撫でさせる。
 氷の粒が飛び、頭にくちばしが現れる。
 どうやら今回マユカが作っているのは、鳥らしい。
 鳥に見える形にまでなると、マユカは電動モーターを止めて道具を持ち替える。
 次に持ったのは平ノミだ。
 ヘラのように先端の刃が広くなっているノミである。
 それを使って鳥のシルエットを整えていく。
 動作だけはやすりがけをしているように見える。
 だけど一度に削れる氷の量は動作からするイメージよりもずっと多い。
 雪かきを連想させた。
 氷をかけばかくほど鳥の頭は綺麗に丸まり、胴体にも生き物らしい曲線が描かれる。
 平ノミを扱いながら、マユカは歌う。


 人生がどんなにクソな終わり方をしても
 私の愛は絶対に 死なない
 こぼれまくっても走り続ける血は
 元々はあなたからもらったもの

 歩けなくなっても
 駆け上がってやるぜ
 どうなっても行くんだこの先へ

 永遠なんてあり得ない?
 夢は夢でしかない?
 そうかもしれないけれど
 錯覚の永久機関を
 持って生まれてきたんだ
 あなたが愛したものは死なない


 マユカの歌はかなりうまかった。
 歌っている彼女の頬は段々と赤くなる。
 恥ずかしさじゃなくて、快感で彼女の体が火照っているのだ。
 サビの終わりに一瞬こちらを見る彼女の目はいつも、私って格好いいでしょう、と自慢げに問いかけている。
 マユカはさらに二番を歌い、間奏を口ずさみ、そして一曲を歌い終える頃には、氷の形も整っていた。
 どう見ても鳥以外の動物ではあり得ないとわかるくらい形ははっきりしている。
 翼を閉じて立っている鳥だ。
 だけど僕はまだなんの鳥かはわからなかった。
 今度は刃がV字になっているノミを持つ。
 また同じ曲を歌いながら、マユカはデティールを彫り入れていく。
 ノミによって作られた凹凸で、目が生まれ、塊だった翼が羽根に分かれていく。
 氷に刃を入れることで、マユカは命を彫り起こしていた。

 結局僕は最後までなんの鳥なのかわからなかった。
 鳥に詳しくないのもある。
 だけど一目でこれだとわかるような、特徴のある生き物にしなかったマユカのせいでもある。
「ふい〜。完成」
 マユカがノミを道具箱にしまってチェーンソーと共に氷から離れると、出来上がった彫刻にチャオが群がる。
 みんな手を伸ばして、キャプチャをするような仕草で氷の鳥に触れる。
「チャオッ!チャオ〜ッ!」
 熱狂し、興奮した声をそれぞれが上げる。
 僕は氷から数歩離れたマユカに寄り、
「あれ、なんの鳥なの?」
 と聞いた。
「ハト。平和の象徴」
 とマユカは答えた。
 答えを教えてもらった僕は、もう一度氷の彫刻を見た。
 ハトにしては、くちばしがちょっと長い。
 カラスにも見えそうだ。
「言われてみればハトだな。でも若干似てない」
「チャオが喜んでるからいいの」
「確かにめちゃくちゃ喜んでるよな。あんま大喜びするチャオ、今まで見たことなかったよ」
「でしょう。愛のなせるワザかな。あ、チョコバット食べる?」
 答える間もなく、道具箱に入れられていたチョコバットを一本僕に投げ渡す。
 手を伸ばせば渡せる近距離で不意に投げられたものだから、反応できなかった。
 受け取り損なって、チョコバットは落ちそうになる。
 だけど反射的に振った手でどうにか掴んだ。
「普通に渡せよ」
「でもナイスキャッチ」
「うるせえ」
 外れのチョコバットを食べる。
 コーティングされたチョコよりも、サクサクとした生地の食感がおいしいと感じる。
「仕事の後は格別にうまい」
 マユカはポッキーを食べるくらいの勢いで一本食べてしまうと、続いて二本目のパッケージを破った。
「でもなんで氷なわけ?不謹慎とか、思わないの?」
 僕がそう尋ねると、マユカは二本目のチョコバットを口に詰め込んだ。
 なにかを答えたそうに僕を見たまま、口の中のチョコバットを一定のペースで咀嚼する。
 氷で遊ぶなんて、今どきタブーだ。
 それなのに彼女はよく彫刻をチャオたちの前で披露している。
 よりによって氷の異常現象によって飼い主を失ったチャオたちの前でだ。
 チョコバットを全て飲み込むと、ようやくマユカは、
「氷の彫刻はね、そのうち溶けるんだよ。氷だからね。溶けて、水になる。それをまた凍らせて、別の彫刻を作るんだよ」
 と答えた。
「再利用できるってことか」
「そう、再利用。新しい命に生まれ変わる。転生するんだよ」
「へえ。それで、不謹慎だからやめようみたいなことは考えないの?」
 マユカはまたチョコバットを箱から取り出した。
 まだ食べる気なのか。
 そして何本入れているのか。
 マユカは持ったチョコバットのパッケージを破らずに、
「別に思わないね。私はあまり我慢をしないんだ。それにみんな喜んでるんだから、続ける理由しかない」
 と言った。
「だからさ、愛のなせるワザなんだよ。知ってるかい?愛は地球を救うんだぜ」
「いつの時代の人だよ、あんた」
「三十年ぐらい前の人かな?」
 マユカは首を傾げる。
「あんたまだ二十代だろ」
「わはは」
「って言うか、その喜ぶみんなって、もしかして僕も入っている?」
「そりゃそうでしょ」
「僕は喜んでいると言うより、こんな時代に氷を使って変なことしている変人を見て楽しんでるだけだよ」
「どうもありがとう」
「褒めてないよ」
 嘘だ。
 実は褒めている。
 僕がマユカに心を開いているのは、彼女が変人だからだ。
 変人で他の人とは色々と違っていることが、今の僕には無害な様に見えるのだった。
 学校の人たちは、近付くにしろ離れるにしろ妙な距離の取り方をして僕の心を軋ませる。
 変人の彼女は、そのようなことをしないだろうと期待させてくれるのだ。
 そして今のところ彼女と一緒にいて、不快にさせられたことはなかった。
 彼女の氷彫刻を不謹慎だと思ったことはない。
 平然と氷にチェーンソーの刃を入れる様を見ていると、むしろ反省をさせられる。
 僕もマユカのようにあれこれ気にしないで振る舞うべきなのかもしれない。
 そんなふうに思えてきて、彼女の氷彫刻を見た後は、少しだけ解放された気分になるのだった。
 マユカは、
「褒めてくれたお礼にもう一本あげよう」
 と言って、チョコバットをまた投げてきた。
 今度は受け取ることに成功する。
「だから褒めてないって」
 否定しながら、もらったチョコバットを食べる。
 そして開けたパッケージを見ると、文字が書いてあった。
「あ、ホームランだ」
「当たりか。それじゃあもう一本あげる」
 マユカはもう一本チョコバットを投げてきた。
「いらねえよ」
 と言いつつも僕は片手でチョコバットをしっかり受け取っていた。
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2話 地球は繭
 スマッシュ  - 18/12/23(日) 0:08 -
  
 ステーションスクエアは体中が痛くなるほどに寒い。
 下着からなにまで防寒の服を着込んで、マフラーで口元を覆い、肌の露出をできる限り減らす。
 死ぬということ。
 それはこの身がステーションスクエアと同じ温度になって凍り付くということだ。
 氷になってしまえば、今感じている痛みを感じることなく、穏やかに冷気に身を任せられるのだろう。
 だけど僕の全身は必死に痛みを訴えて、まだ生きるべきだと抵抗している。
 僕は、どっちでもいい。
 少なくとも、べき、というふうには思っていない。
 だって生きることにも死ぬことにも希望はない。
 きっと世界はいずれ全てが凍って、そして永遠に氷のままなのだ。
 今日は家族に会いに来た。
 僕には両親と姉がいた。
 全員、氷になって、まだステーションスクエアにいる。

 ステーションスクエアは立ち入りが禁止されている。
 だけど見張る人がいるわけではない。
 張り巡らされた黄色いテープを抜けて、案外どこからでも侵入できてしまう。
 そうとわかってから僕は週に一度は家族に会いに来ている。
 最初に向かうのは、僕たち家族の家だ。
 父と母がいる。
 ステーションスクエアは建物も道路も凍っている。
 歩いていて滑るし、閉まっているドアは開かない。
 だからこの町を快適にうろつくには、コツや道具が少しいる。
 僕はスケートボードに乗って移動する。
 止まるのが難しい、時々こけたり建物にぶつかったりする。
 だけど恐る恐る歩くよりかはよっぽど楽だ。
 建物内に侵入する時は窓などのガラスを割る。
 そのためのトンカチはリュックの中に入れている。
 だけど僕の家の場合はもうリビングのガラス戸を壊してある。
 リビングには母さんがいる。
 座ったソファと一緒に固まっている。
 その隣に僕も座る。
 凍ったソファは沈まない。
「今日も来たよ」
 と僕はなにも映っていないテレビを母さんと一緒に見ながら言った。
 母さんの体重分のみ沈んだソファのせいで、母さんがやたら小さく感じられる。
「ステーションスクエアはなにも変わらないね。きっと僕以外、誰も来てないんだろうな」
 一方的に僕が喋るだけだ。
 それでも喋っているうちに、母さんと話せているような気になってくる。
「僕もいつかここで凍ろうと思ってるんだ。馬鹿なことを、とか思わないでよ。世界中がどんどん凍るようなことが起きたら、その時はやっぱり、ここで眠りたいじゃんか」
 知らない人ばかり、心を通わせられていないあの町で凍るのは嫌だ。
 僕はふとマユカやおばちゃんのことを思い出した。
「それともチャオガーデンだけは無事だったりするのかな。それで生き残った人類とチャオがガーデンで生活する……」
 あの日、都市全体が凍り付く中、僕のいたチャオガーデンは凍らなかった。
 チャオガーデンは外部がどんな環境であろうと、一定の環境を保てるように出来ている。
 しかもチャオガーデンには、人間の食糧もあった。
 おかげで救助が来るまでの一週間を乗り切れた。
 助かった人は、たまたま凍り付く前に町の外へ出たか、地下シェルターに避難したか、そしてチャオガーデンにいたかのいずれかだった。
 だからチャオガーデン内で生活すれば、人類は生き延びることができるのかもしれない。
「いいや、やっぱり家族が一緒っていう方がいいよな」
 きっとチャオガーデンに籠ったところで、暖房はいつか効かなくなり、食糧も尽きてしまうことだろう。
 僕はこの家のどこで凍ろうかなと考える。
 父さんは上の書斎にいる。
 僕と母さんが一緒の所にいて父さんだけ一人にするのは、なんだか申し訳ない。
 僕も自分の部屋にいようか。
 だとすると、ドアをなんとか壊すか、窓を割ってはしごかロープを使って入るかする必要がある。
 二階以上の部屋に侵入するのは骨が折れる。
「じゃあ父さんにも会ってくるよ」
 と僕は立ち上がった。
 手すりを掴んで、一歩一歩階段を上がる。
 父さんの書斎のドアは少しだけ開いている。
 腕までなら入る隙間だ。
 そのまま凍り付いて、動かない。
 ドアの前で僕は中にいる父さんに話しかける。
「父さん、来たよ」
 さて、なにを話そう。
 母さんと話し過ぎたろうか。
 でも別に話すことがないならないで、別にいいと僕は思った。
「そういえばさ、あなたが愛したものは死なない、って歌、知ってる?なんか昔に流行った歌らしいんだけど」
 チャオガーデンのおばちゃんが言うには、三十年くらい前にすごく人気のアイドルがいて、その子の歌らしい。
 それなら父さんや母さんも聞いたことがあるかもしれない。
 もちろん返答はない。
 だけど父さんはそのアイドルについて少しのことを知っていて、それを僕に話してくれているような気がした。
 僕はしばらくドアの隙間から見える、父さんを脚を眺めた。

 階段は降りる時が大変だ。
 手すりをつかみ、階段に座ってゆっくり降りてゆく。
 そして再びリビングのソファに座る。
 姉さんに会いに行く前に、暖を取ろうと思った。
 リュックの中に水筒がある。
 手こずりながら水筒の蓋を開け、コーヒーを飲む。
 味はあんまり感じない。
 ただ高温の液体が口の中、喉を通って、腹の辺りまで温めてくれるのを感じる。
 その熱がおいしいと感じる。
 一杯飲むだけで、僕は家から出る。
 今日は凍り付くつもりはない。
 姉さんの様子を見たら帰ろう。
 姉さんはショッピングモールの中にいる。
 友達と買い物に出かけていたのだ。
 スケートボードでモールに向かう。
 そこに着くまでは楽だけど、着くと凍った人たちが邪魔で動きにくい。
 道に余裕はあるけれど、蛇行して進んでいかないといけない。
 歩くのは面倒で、でもスケートボードでそのまま移動するのもきつい。
 なのでスケートボードに座って、カニ歩きをするように細かく動く。
 休日のお買い物。
 カップルや家族が多い。
 そして逃げようとした人よりも、困惑した様子で立って凍っている人が多い。
 凍った人間が多い所は、どういうわけか一層寒いように感じる。
 グループの脇をそっと通り抜けながら、姉さんのいる所へ向かう。
 姉さんは三人グループで凍っている。
 困惑しているタイプの凍り方をしている。
 周囲の情報を得ようと、首を伸ばして少し視線を上に向けている、という状態で姉さんは氷になっていた。
「久しぶり」
 スケートボードに座ったまま僕は姉さんと話す。
「今日もここは寒いね」
 ブィィ、という音がどこかの店からした。
 突然の音に驚く。
 なんの音だろうか。
 チェーンソーのモーターの音に似ている。
 誰かいるのだろうか。
 もしかして氷が溶けた人が?
 まさか。
 とりあえずで僕は音の方に向かってスケートボードを滑らした。
 音は服屋からしていた。
 やはり音はチェーンソーのものだった。
 チェーンソーを持った人が、凍った人の体をバラバラにしていた。
 上半身が落ちると、ガシャッ、と床にぶつかった部分が砕ける氷の音がする。
 チェーンソーで氷を切っているその人も、僕のように随分と厚着をしていた。
 重ね着具合を見るに、どうやら外から来た人のようだ。
 店の入り口に背を向けて作業をしていて、まだ僕には気付いていない様子だ。
 それにしても、まずいものを見てしまった。
 急いでこの場を離れなければ、と思ったらチェーンソーの音が止まった。
 体は五つくらいに分割されていた。
 ここで動いたら、気付かれてしまうのではないかと恐れて、僕は息を潜めた。
 チェーンソーから大型ハンマーに持ち替える。
 ハンマーを思い切り振り下ろして、分割した氷を砕く。
 そしてハンマーを振いながら、その人は歌い出す。
 声を聞いて、その人が女性だったことに気付いた。


 人生がどんなにクソな終わり方をしても
 私の愛は絶対に 死なない


 聞き慣れた歌だ。
 その女性の歌声も僕は知っている。
「マユカ?」
 と声をかける。
 女性の手が止まる。
 振り返って、
「おや、もしかしてインク?」
 と彼女は言った。
 本当にマユカだった。
 そういえばさっき持っていたチェーンソーを、チャオガーデンでも見たな、なんて思い出す。
「いやあ、今日は暑いね」
「寒いだろ。特にここは寒いだろ」
「体感温度の差だね」
 マユカの顔は、頬だけでなく全体的に赤くなっていた。
 相当な時間、歌っていたんじゃないかと思わせた。
 だとすると、さっきみたいなことを長時間やっていたということになる。
「なんでマユカがここに?いやそれよりもなんで」
 凍った人を砕いている?
 理由はわからないものの、だけどマユカならやりかねないという納得感はある。
「転生させるため」
 そう答えるとマユカはまたハンマーを振り下ろした。
 凍った頭は快音を立てて割れ、破片がそちこちに飛び散る。
 中まで完全に凍っていて、血が出るようなことはない。
 追い打ちのように、まだ大きな欠片にハンマーを振り下ろす。
 氷が粉々にされていく。
 水滴のような小さい氷が一つ、僕の足元まで転がってきた。
「凍っていたら転生できないからね。氷は繭じゃないから」
「人間は転生しないでしょ」
「するんだよねえ、それが」
 マユカはしつこくハンマーを振って、元々が人だったことがわからないくらいに氷を小さく潰していく。
 凍った床でよくも踏ん張れるものだ。
 そう思ってマユカの履いている靴に目を向けると、靴底にアイゼンを取り付けてあった。
「でも、それこそ人間は繭に包まれないじゃないか」
「地球が繭さ」
 なんでそんなふうに考えるのか。
 おかしな信仰か、それが彼女の芸術なのか。
 いずれにしても理解できない答えなんだろうと思うと、発想の発端を問いかける気にはならなかった。
 だけどマユカは語った。
 一人分の氷を全部粉々にしてから、マユカはそのまま床に座って話し出した。
「私、三十年ぐらい前にアイドルやってたんだよね。大人気で、歌とかめっちゃ売れたよ。あ、よく歌ってるのが、その歌ね。でさ、仕事で移動とかあるじゃん。飛行機乗ったの、その日。そしたらその飛行機が墜落しちゃってさ。乗ってた人、全員お亡くなりです。だけど私はみんなから愛されていたから。めちゃくちゃに愛されていたから。転生した。アイドルの時の記憶をばっちり持ったまま、私は生まれ変わった」
 前世がアイドルとは、なかなか図々しいなと僕は思った。
 歌はうまい。
 それに美人でもある。
 だけどアイドルとして人気が出そうっていう感じの歌や綺麗さではない。
 少なくとも可愛いって感じの人ではない。
 まじまじとマユカの顔を見上げる。
 防寒のせいで露出の少ない顔をそれでも怪訝そうに見ている僕に、マユカは制止するように手を出した。
「信じる信じないはどっちでもいいよ。とりあえず信じたって体で続きを聞いて」
「あ、はい」
「とにかくさ、愛されれば転生できるんだよ。だから氷を壊すんだ。これは解放だよ。この人たちが愛されていたのなら、生まれ変われる。命は続きを始められる」
 マユカは立ち上がると、またチェーンソーを持った。
 この話はここでおしまいということらしい。
 そして別の人間、今度は店員と思しき人のところへ行く。
 チェーンソーの電動モーターがけたたましい音を鳴らし、店員の首を落とした。
 氷人間の命が終わる。
 少しの儀式性も感じない。
 チェーンソーは日常的な滑らかさで硬いはずの氷を切っていく。
 少し手伝ってやろうと、僕はスケートボードに座ったまま動いて、さっきマユカが氷を割っていた所まで行く。
 そこに置いてあるハンマーを持っていってやろうと思ったのだ。
 当たり前だけど大型のハンマーは重かった。
「おおぅ」
 と声が漏れる。
 チェーンソーがうるさいおかげで声はかき消える。
 腕の力だけでなんとか持ち、脚をばたばたと動かしてどうにかスケートボードを動かす。
「お、ありがとー!」
 気付いたマユカが声を張り上げた。
 最後に下半身を二つに分けるとマユカはチェーンソーを止めた。
 数歩分離れていた僕のところまで来て、チェンソーとハンマーを持ち替える。
 マユカはハンマーを軽々と持ち上げた。
「パワー系だな。前世はアイドルだったのに」
 と僕は言った。
 まあね、とマユカは得意げに返す。
 そして切り倒した氷の塊に容赦ない一撃を見舞う。
 しかし躊躇なく力一杯振うのを間近で見て、パワーではなくて、大型ハンマーの扱いに随分と慣れていることを僕は感じた。
「マユカはいつからこんなことをしてるんだ?」
「半年くらい前からかな。休みの日にはここに来て、やってる」
 もう何百人分もこうしてるよ、とマユカは言った。
 どうりでハンマーやらチェーンソーやらを軽々と扱えるわけだ。
「ちょっと待った。何百人ってことは、もしや知り合いじゃないやつのもやっているのか?」
「そりゃそうだよ。と言うか、知り合いなんていないし。無差別、無差別」
 愛のなせるワザだね。
 マユカはまたそう言い、思い出したように再びいつもの歌を歌い出す。
 そしてかつては人だった氷をぐちゃぐちゃに砕いた。
 店員さんを砕き終えると、
「今日はここまでにしよう。インクがいるし。一緒に帰ろう」
 とマユカは言った。
 チェーンソーとハンマーは、登山用のリュックに入れてきていた。
 マユカは店の中に捨て置かれていたピンク色のリュックにそれらをしまう。
 さらに小さいポケットから、お菓子を取り出した。
「ほれ、あげるよ」
 と投げよこす。
 菓子は少し横に逸れて、手を伸ばしたらバランスを崩した。
 横になったまま僕はスケートボードを動かして、菓子を取った。
 源氏パイだった。
「ごめん、ごめん」
 笑っているし、先に源氏パイを食べているし、謝っているとは思えない。
「わざとか?」
「ではないよ。だけど、なんか今の面白かったから。あはは」
 いつも菓子をもらっているし、お礼にコーヒーを分けてやろうかと僕は考えた。
 だけどマユカは源氏パイを口の中に押し込むと、自前の水筒を出してごくごくと飲み始めてしまった。
 そして帰り道でもマユカはあの歌を歌った。
 口ずさむとかではなく、ショッピングモールにいる人たちみんなに聞かせようとしているみたいなボリュームだ。
 間奏の部分をふんふんと歌っている最中に僕は尋ねた。
「歌うの好きなのか?」
「うーん」
 マユカは首を傾げた。
 好きは好きだとマユカは答える。
 だけど、それだから歌っているのかというと、違う気がするらしい。
「アイドルだったから、かなあ。歌を聞いてもらうのが、一番適切な感じがするんだよね」
「適切って、なんの適切だよ?」
「私がやるべきこととして。歌わないと、やることやったって感じがしないんだよね」
 そう言うとマユカは最後のサビを思い切り大きな声で歌った。
 遠くまでよく通りそうな歌声だった。
 近くで聞いている僕には、やたらうるさく聞こえたけれども。
 でも歌い終わるとマユカは確かに満足そうな顔をしているのだった。
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3話 熱く濡れる
 スマッシュ  - 18/12/23(日) 0:09 -
  
 今日も冷たい風が僕を氷漬けにしたがっている。
 ステーションスクエアの近くのこの町もじきに凍ってしまうのかもしれない。
 きっとこの世界は長持ちしない。
 生命の温度が奪われていく実感を、僕は味わっていた。
 ステーションスクエアでマユカと会ってから、三日が経った。
 氷を壊すことに意味はあるのだろうか。
 マユカの奇行は結局なんの意味もないのではないかと僕は思い始めていた。
 この町にステーションスクエアの風が吹くことに変わりはない。
 僕たちが彼らのように死ぬ日は近い。
 そんなふうに絶望感の膜に心身を巻かれているのは、僕だけではないようだ。
 学校に行ったら、クラスで六組目のカップルが出来ていた。
 この頃、よく男女がくっ付いている。
 六組目の男女が、教壇に立っていた。
 朝のホームルームの前だった。
 二人はクラスメイトの注目を集めて、囃し立てる声を嬉しそうに浴びていた。
「私たちは」
「俺たちは、たとえこの町が凍ってしまったとしても、永遠に二人一緒にいることを誓います」
 そして二人は誓いのキスをした。
 大きな拍手が起こる。
 ヒュウヒュウ、と誰かが口笛を吹く。
 まるで結婚式だと僕は思った。
 一応は拍手をしておいてやる。
「ねえねえ。インクくん」
 隣の席の羽島リコが顔を寄せて小声で話しかけてきた。
 すぐ近くで見るとリコの眼鏡はつるの部分だけ桃色で、長い髪の毛は彼女の動きにとても従順に付き従っていた。
「なに?」
「聞きにくいことを聞いてもいいかな?」
 教室が騒がしくなっているのにリコは声を小さくしていて、聞き取りにくい。
 僕は返事をする代わりに、耳をリコの口に近付けた。
「ステーションスクエアに、好きな人っていた?」
 だいぶ無神経な質問だった。
 僕のような人に普通、聞くか?
 だけど色恋の話をするにしては、あまりにも関心のなさそうな声色をしていた。
 正直リコの思惑とテンションが読めない。
「いないよ」
 と僕もリコのテンションに寄せて答えた。
「えっ、そうなんだ。意外」
「意外?」
「ん。だってなんか、その人に操を立てたりしてるのかと思ったんだもん」
「操って。妙なことを」
 それにしても、学校で会話をするのは久々だった。
 やっぱり良い感触はしない。
 どちらかと言うと不愉快だった。
「だってインクくんっていつも、魂をどこか別の場所に置いているような雰囲気してるじゃん」
「と言うか、普通そんなこと聞かないでしょ。無神経じゃないか?」
 桃色の眼鏡と従順な髪と共に、リコは僕からすっと十五センチ離れた。
「それはごめん。でも答えてくれてありがとうね」
「どういたしまして」
「ところでさ。今日、放課後一緒にチャオガーデン行かない?」
「は?」
 どうしてチャオガーデンと彼女は言ったのだろう。
 僕が学校をサボった時にはいつもチャオガーデンに行っていることを、まさか知っているのか。
 まるで急所を掴まれたような感じがして、僕の頭は白んだ。
 それともただのまぐれ当たりなのか。
「今日、マユカさんいるってさ」
「マユカって、なんでそいつのこと」
「私、チャオ飼ってるんだよね」

「この子が私のチャオ。ヘルメタルっていうんだ」
 ヘルメタルはヒーローハシリチャオだった。
 放課後僕たちは一度リコの家に寄って、ヘルメタルを回収してからチャオガーデンに向かうことになったのだった。
 リコはよくチャオガーデンに行っているらしい。
 家にはヘルメタルしかいないから、他のチャオと遊ばせるためにチャオガーデンに通っているのだと彼女は言った。
 そこでマユカとも知り合いになり、そしてマユカから同じ学校、同じ学年にインクって人がいるはずだと話を聞いていたのだそうだ。
 僕たちはマユカの話をしながらチャオガーデンに向かった。
「そんでマユカさんからインクくんのこと聞いたんだよ。学年どころかクラスも一緒じゃんって思って。しかも隣の席でしょ。話しかけるチャンス、狙ってたんだよね」
「なんでマユカは、僕には教えてくれなかったんだろう」
「さあ。たぶん、インクくんが知っても、私に話しかけそうになかったからじゃない?」
 リコはヘルメタルを抱っこしていた。
 そして僕はリコの通学鞄も持たされていた。
 両手にそれぞれ鞄を持ち、同時にぶらぶらと前後に振りながら歩く。
「確かにそうなんだけどさ」
「でしょ?」
 リコは急にスキップのような歩き方を一瞬だけしたかと思うと、楽しげに歌い出した。


 錯覚の永久機関を
 持って生まれてきたんだ
 あなたが愛したものは死なない


 ものすごく聞き覚えのあるサビだ。
「チャオチャオ〜♪」
 ヘルメタルの頭の上の輪が、ハートの形に変形する。
 けっこう喜んでいる様子だ。
「それ、マユカがいつも歌ってる歌だよな」
「うん。いい曲だなって思ったから、お母さんに曲のデータ、コピーさせてもらった」
「やっぱ有名な曲なんだな」
「お母さんの世代で知らない人はいないって、言ってたよ」
「へえ。そうなんだ」
 強風が吹いた。
 冷たい風が僕たちの真正面から吹いてきた。
 片目をつぶって、吹きつける風に耐える。
 ステーションスクエアからの冷風だった。
 ヘルメタルのハートも萎んで、天使の輪に戻る。
「暖かいところがいいなあ」
「チャオ〜」
 ヘルメタルを中心にして、リコは体を縮めていた。
 そしてヘルメタルもリコと語尾を同じ調子にして、寒さを訴える。
「インクくん、急ごう。チャオガーデン」
「チャオチャオ!」
 ヘルメタルも急げと言っているみたいだった。
 リコは小走りになる。
 それを追って、僕は両手の鞄を思い切り前に振る。
 鞄の重さに引っ張られるその勢いで僕も走り出した。

 チャオガーデンに着くまで、五分くらい、リコは走り続けた。
 まさか止まらないとは思わなかった。
 僕たちは息を切らし、汗をにじませて、チャオガーデンの建物に入る。
「いらっしゃい。どうしたの」
 おばちゃんがびっくりした顔をして、受付から出てこようとする。
「ちょっと、走ってきただけ」
 と僕は答える。
「走る、どうして走ったのよ」
「どうしてかな。強いて言うなら、風が吹いて、寒かったから?」
「もう、なにやってんのよ。二人して。って二人一緒なのね、今日。珍しいじゃない」
「チャオ〜♪」
 唯一走っていない、抱っこされていただけのヘルメタルが元気だ。
 おばちゃんに向かって両手を伸ばす。
 その手をおばちゃんは握る。
「はい、こんにちは。この子は今日も元気そうね。風邪とか大丈夫?ひいてない?」
「チャオ!」
「すごく、元気です」
 リコの顎から汗の大きな雫がヘルメタルの頭に落ちた。
「チャオ〜?」
 ヘルメタルは自分の頭に落ちた液体を触る。
 天使の輪はクエスチョンマークに変形している。
 クエスチョンマークの曲線がリコの頬を押すので、リコはボクシングのスウェーみたいな体勢をして頭を後ろに引く。
 ヘルメタルは手に取った無色透明な液体を舐めた。
「ン〜?」
 リコの汗だとわからなかったみたいだ。
 クエスチョンマークがなかなか元に戻らない。
 僕たちは息を切らしたまま、ガーデンの中に入った。
 走って熱を持った体はガーデンの温風に包まれて、追い打ちだった。
「暑いなあ」
 リコはうんざりとした声を出しながら、ヘルメタルをガーデンの芝生にそっと置いた。
 ヘルメタルは楽しげに走り出した。
「なんで走るかね」
 ぼやいて、リコは芝生の上に腰を下ろした。
「あ〜〜。死ぬほど暑い」
「同感」
 こんな時にマユカが氷を押して洞窟から出てきてくれないかと、僕は池の方を見た。
 というか、暑いなら池に行けばいいじゃないか。
 気付いた僕は、
「なあ、池行こうぜ」
 と座ったばかりのリコの腕を引っ張り立ち上がらせた。
「なるほど、池」
 するとリコはさっきまでとは段違いの全速力で池へと走った。
 また僕もリコを追って走ることになる。
 リコは止まらなかった。
 靴や靴下を脱がずに池に入った。
 それどころか、
「いやっふぅぅぅぅ!!」
 と前のめりに倒れて全身を濡らした。
「なにしてんだお前!?」
「超気持ちいい!」
 池の中で半回転して僕の方を向き、リコは叫んだ。
 制服がずぶ濡れになってしまっている。
 髪の毛の先やメガネの縁からぼたぼた水滴が落ちる。
「いや、なにしてんの」
「インクくんも来なよ。冷たくて気持ちいいよ」
「僕はそんな羽目の外し方はしないんだ」
 僕は靴下まできちんと脱いで、スラックスをたくし上げて、足だけ池に入れる。
「ってか、そんなびしょ濡れになって、どうするんだよ」
「ん〜。知らない。ま、どうにかなるでしょ。そっちこそ暑くないの?」
 リコはずれた眼鏡を直し、濡れた指でレンズを拭いた。
 もちろん指が濡れているのだから、レンズも濡れたままだ。
「暑くても、お前みたいなことはしないよ」
 と僕は呆れた気持ちを込めて言った。
 まさか彼女がこんなことをするとは思わなかった。
 眼鏡を掛けているし、クラスでは物静かなタイプだし、それに、次々と出来るカップルではなかった。
「ううわ、リコちゃんどうしたの」
 洞窟からマユカが出てきて、ずぶ濡れのリコに衝撃を受けていた。
「どうもどうも。全然大丈夫です」
 とリコは笑う。
 当人はわからないのだろうが、笑顔を見せられても、その顔にかかっている眼鏡が濡れていて表情に信ぴょう性がない。
「大丈夫そうには見えないけど」
「うん、大丈夫ではないよ」
 と僕は言った。
「こいつ、馬鹿なんだ。ここまで走ってきて暑いからって、飛び込んだ」
「だって暑かったんだもん」
 もはや濡れっぱなしになろうとしているようにしか思えない。
 リコは池の中に入れていた手で自分の髪を撫でた。
「我慢しろよ、暑いくらい。寒いよりはいいだろ」
「嫌だ。寒いのも暑いのも、どっちも我慢したくない」
 馬鹿でしょう、と同意を求めて僕はマユカを見た。
 だけどマユカは嬉しそうな顔をしていた。
「そういう気概は大事だよね」
 なんてマユカは言う。
「でも濡れたままじゃ家帰れないでしょう。着替えな。その服も、乾かそう」
「はあい」
 とリコは池から上がる。
 そしてマユカに連れられて、洞窟に入った。
 相手がいなくなって暇になった僕は、
「ヘルメタルー、ホウカー」
 とチャオたちを呼んでみた。
 すると僕の呼びかけに気付いたヘルメタルとホウカが並んで走ってきた。
 どうやら二匹で一緒にいたみたいだった。
「お前たち、仲良いんだな」
「チャオ!」
 と二匹の声が合った。
 二匹をそれぞれの手で同時に撫でてやる。
 二匹の頭の上に浮かんでいるものも同時にハート型に変わった。
 深く愛されたチャオは転生する。
 チャオがチャオを転生させることがあるのだろうか、と僕はふと疑問に思った。
 たとえば恋人同士、もしくは家族として愛し合うことで、転生するほどの愛を与えたり与えられたりすることが、人がどうこうしなくても起こり得るのだろうか。
「チャオだったら、凍った世界の中でもひっそり生きていけたりしないもんかな?」
「チャオ〜?」
 ヘルメタルは頭上のハートをクエスチョンマークに変えた。
 ホウカの頭の上はトゲトゲに戻り、ホウカは僕の真意をうかがうように僕を見ていた。
「いやさ、お前たちだけでも生き残ってくれれば、こんな世界にも何か意味が」
 この言葉はチャオには理解できないだろう。
 そんな安心が僕に独り言のようなことを言わせたのだが、自分の言っている言葉の意味することに気が付いて、僕の口は停止した。
「俺、お前たちにかなり勝手な期待をしてるな」
 とクエスチョンマークのままのヘルメタルを撫でてやる。
「自分たちが死んでも、お前たちが生き残って、それでこの地球は凍り付いてもそれでも平和な世界であり続ける。なんてことを僕は考えているんだ」
 勝手な期待をして。
 それをチャオに押し付けているというのは、本当の問題じゃない。
 本当の問題は、僕自身が抱えている。
「そんな都合の良い妄想をするなら、自分たちが生き残れる妄想をすればいいのに、それを素直にできないんだもんな」
 ホウカは、うんうんと頷いた。
「いやお前、わかってないだろ」
「チャオ〜」
 けらけらとホウカは笑う。
 僕も苦笑した。
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4話 ペンギン・ヒット
 スマッシュ  - 18/12/23(日) 0:12 -
  
 洞窟から出てきたリコは水色の作業着を着ていた。
 腕に沿って黄色いラインが入っている。
 産まれたばかりのピュアチャオをイメージした配色なのだ。
 チャオガーデンらしい作業着だった。
 そして髪にはタオルを巻いている。
「みんな普段着ていないんだけどね、これ一応制服というか、作業着というか、そんな感じで一応あるのよ」
 とマユカが僕に説明した。
 濡れた制服はマユカが持っていた。
 ホウカが制服を注視していたかと思うと、火を噴いた。
「うわっ」
 とマユカは体をよじって制服を守る。
「びっくりした。なに、乾かそうとした?」
「チャオ!」
「あ、そうなのね。それじゃあ、ね」
 マユカは数歩下がり、手を洗濯ばさみ代わりにしてブレザーとスカートを干すように広げた。
「お願いします」
「チャオ〜!」
 再びホウカが火を噴く。
 今度は充分に距離を取っているので、火が届く心配はない。
 制服と火の先端は二メートルは離れていた。
 これで乾かせるのだろうかと思って、僕は制服の前に手をかざしてみた。
「おお、あったかい」
「インクくんも持ちなさい」
「はあい」
「ブレザーお願い」
「はいはい」
 僕がブレザーを持ち、マユカはスカートとブラウスを持つ。
 ホウカは扇風機のように首を振り、制服にまんべんなく熱風を当てていく。
「すごい、この子。ドラゴンをキャプチャしたの?」
「そうなんだよ。やっぱり羨ましい?」
「めちゃくちゃ羨ましい。すごく高いよ、ドラゴンって。ヘルメタルが寿命迎えるまでに一度キャプチャさせてあげたいんだけど、無理かなって思ってるもん」
 リコはハイハイの姿勢になって、ホウカの横顔を観察していた。
 そんなリコの姿を見て僕は、そういえば眼鏡もきちんと拭いたんだな、と思った。
「セレブが道楽であげるって感じだもんな、ドラゴンなんて」
 と僕は言った。
 するとリコは、
「もしくは愛だよね」
 と言った。
「愛?」
「そう。高級な餌あげたりするじゃん。それと同じ。価値の高い物をあげることで、愛情を示すってわけ。そういう愛し方もあるでしょ?」
 リコはヘルメタルに向かって、火を噴く真似をした。
 大きな口を開け、ゴオオオ、と言う。
 だけど怖い顔をしていて、火を噴いているというより、ライオンが威嚇しているみたいに見える。
 ヘルメタルはビビッてしまい、泣き出した。
「ああ、ごめんごめん。怖くないよ、怖くない」
 リコは慌ててレスリングのタックルみたいにヘルメタルに飛びつき、頭を撫でまくる。
 その様子を見て僕は笑った。
「なにやってんのさ」
「いいの。愛は時々空回りするけど、空回ってもいいから回すのが大事なの」
「いいこと言うね」
 とマユカが言った。
「今の、いいこと言ってた?」
「言ってた言ってた」
「そうなのかなあ」
 必死にヘルメタルをなだめているのは、原始的な火起こしを思わせた。
 やっと付いた小さな火を消さないために息をふうふう吹き込む時の必死さだった。


 人生がどんなにクソな終わり方をしても
 私の愛は絶対に 死なない


 唐突にマユカは歌い始めた。
「急に歌い出したな」
 と僕が言うと、マユカはウインクをして、さらに続きを歌った。


 こぼれまくっても走り続ける血は
 元々はあなたからもらったもの

 歩けなくなっても
 駆け上がってやるぜ
 どうなっても行くんだこの先へ

 永遠なんてあり得ない?
 夢は夢でしかない?
 そうかもしれないけれど
 錯覚の永久機関を
 持って生まれてきたんだ
 あなたが愛したものは死なない


「やっぱマユカさん歌、上手いですよね」
 リコとヘルメタルが揃って拍手をする。
 マユカはそれに手を振って応える。
「ありがとう!熱くなれたかな?」
 一番熱くなっているのはお前だけどな。
 やっぱり頬が赤くなっているマユカを見て僕はそう思った。
「歌うの好きなんですか?いつも歌ってるし」
「うん、大好き。それに、私がこの歌を歌うと、みんな転生できるんじゃないかなって思ってるんだよね。おまじないみたいなもんかな」
「そうなんですか。やったね、ヘルメタル」
「チャオ!」
 リコはおまじないの対象がヘルメタルやホウカだけだと思ったみたいだ。
 マユカは自身が転生したという話をリコにはしていないのかもしれない。
 僕はマユカに耳打ちした。
「みんな転生できるって、もしかしなくても僕やリコも含まれてるんだよな」
「そうだよ」
 マユカは小さく頷いた。
「やっぱりみんなに転生してほしいからね。たくさん歌って愛情を届けるのさ」
 人間の命がチャオと同じようにいくものだろうか。
 僕はそう思うのだが、マユカの言い方には芯があった。
 信じる信じないの域を越えて、人間の転生についてそういうものだと受け止めている。
 そんな感じがマユカにはあるのだった。
 現実を直視している、みたいな。
 マユカが直視しているものが本当に現実かどうかはさておき、マユカはそれを直視している。
 彼女と比較すると僕はなんにも見ていない気がしてくる。
「そういえば歌で思い出したんですけれど、今日はマユカさん、氷やらないんですか?」
 とリコが聞いた。
 ああ、氷ね。
 とマユカは思い出したように言った。
「忘れてた。こんなことになってるし」
 乾かしている最中の制服を上下させる。
「あはは。ごめんなさい、ごめんなさい。私が持ちます。だからマユカさんの氷の彫刻、見たいなあ」
 ハイハイしていたリコは苦笑いしつつ立ち上がる。
 そしてマユカから制服を受け取り、マユカが立っていた所に立つ。
「じゃあちょっと待っててね」
 マユカは小走りで洞窟に向かった。
 せっかく交代したのにホウカは火を吐き続けるのに疲れたみたいで、マユカが洞窟に向かうとすぐに火を吐くのをやめてしまった。
 ホウカは仰向けに寝転がる。
「あらら」
 とリコは笑った。
 だけど僕たちはなんとなく制服を同じ場所で制服を持ち続けた。
 お互い、そうしているべきという気がしたのだ。
「マユカさんの氷彫刻、見たことある?」
 とリコは僕に言った。
「あるよ。あの人、いつもやってるし」
「素敵だよね」
「チャオを喜ばすためだけに、よく手の込んだことをするよな」
 たぶんステーションスクエアであんなことをする練習も兼ねているんだろうと思いながら言う。
「本当にチャオのこと、愛してるんだろうなあ」
 リコは羨ましそうに言った。
「私、自分のチャオのこと、本当に愛せているか自信ないもん」
「愛してるんだろ?ヘルメタルのこと」
「もちろん。でも私の『愛してる』ってみんなの『愛してる』とちゃんと同じレベルに達しているのかな。ヘルメタル、この前六歳になったんだ」
 チャオの寿命は五年から六年と言われている。
 つまりヘルメタルはもうすぐ寿命を迎えて、リコが充分に愛していたのならピンク色の繭に包まれて転生する。
「それならお前も氷彫刻やればいいんじゃないか?」
 それは真顔で言った冗談のつもりだった。
 転生とか愛とかいう曖昧な問題、冗談でないとなにも言いようがない。
 だけど言ってみると、案外いい手段なのではないかと僕は思った。
 確信というのとは違う。
 けれども、くよくよ悩んでいるくらいならチェーンソーを持ってみた方がいい、という気がするのだった。
「氷彫刻?マユカさんの真似して?」
 冗談の方で通じて、リコは笑った。
「とんでもないものが出来上がって、きっと不機嫌になるよ」
「マユカだって、そんなに上手いわけじゃないだろ」
 などと言っていると、マユカがいつものように氷を載せた台車を押して洞窟から出てきた。
「さあて、今日はなにを作ろうかな?」
 マユカは氷を手のひらで撫で、ううむと考える。
 そしてチャオや僕たちを見渡したかと思うと、
「そうだ。せっかくだからインクくん、今日は君がやろう」
「は?」
「私が教えるからさ。やってみな」
「いいね。面白そう」
 とリコが後押しをしてくる。
「いや、それならリコがやればいいじゃん」
 ちょうど、さっきそういう話になったのだし。
 しかしリコはなぜか頑なに僕にやらそうとするし、マユカは逃げるなみたいなことを言い始めるしで、結局僕がチェーンソーを持つ羽目になる。
「最初は大雑把な形を決めればいいよ。細かい所は後でノミを使って彫るからね。ゆっくりと刃を入れていってごらん」
 僕は作りやすそうな小動物をイメージしながら、チェーンソーの刃を慎重に入れる。
 チェーンソー自体は重いのだが、これまで見ていたとおり、刃は氷ではなく水の塊に沈んでゆくようにするりと通る。
 チェーンソーを操るというよりも、ミシンを使って裁縫するみたいに、勝手に切れていく感触だった。
 僕がやることといえば、自分の思い描く形に沿って、進路を調節するだけだ。
「そうそう。いい感じ。君が今やっているのは、氷を壊しているんじゃなくて、氷から命を取り出しているんだ」
 マユカがチェーンソーに負けない大声で僕に言う。
 間近で僕の作業を見てアドバイスを送るマユカは時折飛び散る氷の粒を顔面に受けるが、それでも立ち位置を変えないで僕の手の動きを見守っている。
 僕はステーションスクエアにいる家族のことを思った。
 ハンマーを振るって凍った人々を砕いていたマユカの姿を思い出した。
 マユカの言うように氷から命を取り出したい。
 目の前にある氷に、僕は家族や僕自身を重ねる。
 ステーションスクエアが凍った日から僕のなにかが動かなくなってしまった。
 この手で解放したいと望みながらチェーンソーを持っていると、マユカが込めているという愛の実体を感じられるような気がした。
 チェーンソーで大体のシルエットを作ると、
「なにこれ、お地蔵さん?」
 とリコはコメントした。
「違うよ。ここからちゃんと小動物になる」
 僕が作ろうとしているのはペンギンだった。
 チェーンソーを置き、ノミと金槌を持つ。
 マユカがいつもやっているみたいに、まずは平ノミを使って、シルエットをより明確に作っていく。
「そうそう。そんでもって、歌うんだよ」
 とアドバイスを受ける。
「なんで僕まで歌わなきゃいけないんだ」
 マユカは歌いたいから歌っているだけだろう。
「みんなそれを期待してるんだよ。これはそういうショーなんだから」
「あんたが勝手にそんなショーにしたんでしょうが」
「いいから、歌う」
 氷から目を離すと、クエスチョンマークを浮かべているチャオがいるのが見えた。
 本当に、チャオまでそれを期待しているらしかった。
 仕方なしに僕は歌った。
 いつもマユカが歌っているあの歌だ。
 だけど僕の歌は散々だった。
 それでも期待を受けて歌い切るしかなかった。
 酷い目に遭って、マユカの歌が上手いことを実感する。
 マユカは歌をちゃんと自分のものにしている。
 利き手でペンを持って文字を書くみたいに、日常の技能として身に着けている。
 そういうレベルで自分のものになっているのだ、ということを僕は歌わされたことで感じた。
 僕はただただ恥ずかしさで顔が赤くなっていく。
 体もほのかに熱くなってくる。
 だけどこれはマユカと同じ熱じゃない。
 本当に、彼女は自称していたとおり、アイドルの生まれ変わりなんじゃないか。
 と彼女の言っていることを本当に信じるつもりになった。
 そしてペンギンの像が出来上がる。
「やっぱりお地蔵さんじゃない?口が尖ってるお地蔵さん」
 とリコは言った。
「ペンギンだっての」
「見えないこともないね」
 とマユカに言われる。
 確かにこの前マユカが作ったハト以上に不細工だった。
 だけど一応ホウカやヘルメタルたちは氷のペンギンを触って楽しんでくれている。
「でも才能あるよ」
 優しくマユカは言った。
「お世辞はいいよ」
「本気で言ってる。氷を削る時、インクくんの目はすごく集中していて真剣だった。そういう状態で氷になにかを込めようとしていた。誰かを感動させるものを作る時にはね、その姿勢がまず大切なんだな。込めようと思わなきゃ、なにもこもらないわけでしょ」
「それは少しわかったよ」
 褒め言葉をそのまま受け取って喋るのって気恥ずかしいものがあったけれど、マユカの目が見ている世界と僕の目の前にある世界が近くなったことを僕は確認したくなった。
「水ならなにかを混ぜるのは簡単で、氷の中になにかを混ぜるのなんてできないと思ったけれど。凍っているからと言って手を突っ込もうとしないから混ざらないんだな。反対に、そこになにかを込めようという意思さえあれば、水か氷かは関係ないんだ。触れようはあるんだから」
「うん。やっぱり才能あるじゃん」
「まあね」
「ご褒美にこれをあげよう」
 と渡されたのはチョコバットだった。
「ご褒美なのか?いつももらってるけど」
 などと言い返しつつも僕はチョコバットの袋を開ける。
「あ、ヒットだ」
「すごいね、打率。この前ホームランだったよね」
「腕がいいのかもな」
 気分よく最初の一口かじりつく。
 マユカはそれを嬉しそうに見ていた。
「確かにね。熱くなれた?」
「恥ずかしさでな」
「あはは。最初はそんなもんだよ。インクくんさ、もしよかったら私の後継ぎになってくれない?」
「え?」
「私、来月あたりにこの町から出ていこうと思ってる」
 マユカは晴れやかな顔をして言った。
 気持ちのよさそうなその表情は冗談でもなんでもなく、そして予定ではなく決定事項だと告げていた。
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5話 永遠の愛を誓いますか?
 スマッシュ  - 18/12/23(日) 0:13 -
  
「永遠の愛を誓いますか?」
 僕の問いに、クラスメイトの男女二人が頷く。
「はい。誓います」
「たとえこの町が凍り付いても、永遠に二人一緒にいることを誓います」
「では誓いのキスを」
「はい」
 僕の前に立つ二人はキスをした。
 別のクラスの野次馬含めて、教室にいる全員が拍手で祝福する。
 この日、八組目のカップルが誕生した。
 クラス内のみで八組。
 これでクラスの過半数がペアを作ったことになる。
 クラスの外に恋人を作った者も含めれば、かなりの生徒がパートナーを確保していた。
 そしてどういう気まぐれが起きたのか、僕は今日、牧師のような役割に任命されてしまっていた。
 そんな立場に立たされたら、あれやこれやと目の前の二人に言いたくなる。
 こんなムーブメントの勢いでくっ付いたけれども、本当に愛し合ってほしい。
 今誓ったとおりの永遠を果たしてみせてほしい。
 異様な交際の始まり方が流行ってしまったけれど、それに文句を言う気はなくなっていた。
 僕たちは将来のことが信じられなくなってしまったから、将来迎えるはずだった幸せな瞬間を先借りしているだけなのだ。
 だから代わりに、幸福な結末を強要したいという気持ちが芽生えていた。
 どうか不幸せにはならないでほしい。
 そんな説教臭い気分を、どうにか場を白けさせずに言えないものかと考えに考えた末に、
「おめでとう」
 と普通すぎる短いセリフを言うことしかできなかった。
 この教室において僕は誰かに触れる手段を持っていなかった。
 ここに氷とチェーンソーがあれば、なにかができたかもしれない。
 そう思うと、学校をサボってチャオガーデンに行きたいと強く思った。
 それまで逃げるようにサボタージュをしていた時には、サボりたいなんて意識はしなかった。
 意識する前に衝動的にチャオガーデンへ行っていたから。
 だけど真面目に毎日通うようになると、サボりたいと明瞭に頭の中で唱えるようになった。
 どうしてチャオガーデンに逃げ込まないかと言うと、それがマユカからの言いつけだったからだ。
 ちゃんと学校に行かないと氷彫刻のことを教えない。
 一方的に押し付けられた決まりを僕は律義に守っている。
 僕は後継ぎになるつもりなのだろうか?
 そこは判然としない。
 ただ僕は、マユカが本当にこの町から去ってしまうのであれば、マユカのやってきたことが全て消えてしまうのは寂しい気がして、それで氷彫刻を習う気になっているのだった。
「すごく良かったよ」
「最高だった」
 誓いの儀式が終わって自分の席に戻ると、リコと彼女の友達が僕に話しかけてきた。
「ありがとう」
「教会の息子なのかなって思った」
「違うけどね」
「そういうのできるんなら、私の時もやってもらいたかったな」
 リコの友達は、このクラス最初のカップルだった。
 彼女たちがふざけてやった結婚式の真似事が、後のカップルにも受け継がれているのだった。
「と言うかさ、インクくんは相手いるの?」
 とリコの友達は聞いてくる。
「いないよ」
「だったら早く作らないとヤバくない?この町、もうすぐ凍っちゃうらしいよ」
 この町が凍るというのは、ネットや学校内で流れている噂だった。
 根拠のある話じゃない。
 政府も、そのような予兆はないと発表している。
 それを胡散臭いと感じる人もいるのだけれども、予兆がないのが当然だろう。
 ステーションスクエアなど世界各地で凍結現象が起きた時、それを誰も予測できていなかったのだ。
「大丈夫。凍らないよ」
「え、そうなの?」
「だって僕はステーションスクエアにいたんだぞ?他の誰よりもよくわかるに決まってるじゃないか」
 もっともらしく言ってみると、リコの友達はなるほどと頷いた。
「確かにそうだわ」
「よくよく考えれば寒いだけだしね」
「なんだ。不安になって損した。別れようかな」
 僕はちょっと焦った。
 そんなつもりで言ったわけじゃない。
「なに言ってんの。せっかく付き合ったんだから、そのまま一緒にいた方がいいんじゃないか」
「それもそうか。まあ、いざ本当に凍るってことになった時、相手いなかったら嫌だしね。そうする」
「うん。それがいいよ」

 放課後になると僕はチャオガーデンに直行する。
 リコは一度家に戻ってヘルメタルを連れてチャオガーデンに来る。
 僕がマユカから氷の彫刻を習い始めてから、チャオたちは僕がチャオガーデンに入ってくると、それだけでちょっとテンションが上がるようになっていた。
「チャオ〜〜!」
 中でもホウカはかなり僕に懐いていた。
 元々マユカのことも気に入っていたみたいだし、人懐っこいだけでなく氷が好きなのかもしれない。
「よう、来たね」
「来るとも」
「じゃあ今日も練習頑張ろう」
 まずは氷の準備から始める。
 準備から片付けまで一連の作業全てをマユカは僕に覚えさせる気なのだ。
 氷を洞窟から運び、チェーンソーでの作業をしているうちに、リコとヘルメタルもガーデンにやって来る。
「慣れで手を抜いちゃいけないよ。慣れた分だけ、たくさんの愛を込められるんだと思って」 
 教わると言っても、マユカは彫刻がそう上手いわけではない。
 ただマユカはかなり真剣な目で僕の手つきを見てくる。
 技術的に教えることがなくても、自分の後継者として彼女なりに導くべきことはあるのだった。
 愛を込めるというのは、適切に集中することだと僕は感じていた。
 氷とチャオ以外のことに意識を向ければ、すぐにマユカは気付く。
 チェーンソーの重みを意識から手放さずにいれば、刃を当てている氷と僕自身が接続される。
 そしてチェーンソーを繰って氷に命を吹き込むことによって、それを見ている周囲の人やチャオたちともつながることができる。
 そういった一体化に全てを注ぎ込む。
 これはそんな時間なのだろう。
「そうそう。いい感じだよ」
 マユカがいいと言っているから、僕はなおさら一体化に集中するやり方を貫く。
「その調子。歌もそんな感じで歌うんだよ」
「歌も!?」
「氷に集中する!」
「いや、歌も!?」
「集中〜〜!!」
 まさか歌も一体化の手段なのだろうか?
 僕は氷彫刻だけで継げばいいことにならないものかと思うのだけれども、マユカもチャオたちもそれを許す感じではない。
 ノミでの作業に移ったら、僕は歌わなきゃいけない。
 これがなんとも恥ずかしくて、集中が乱される。
「仕方ない。今日は私がお手本として一緒に歌ってあげよう。ただしインクくんもちゃんと歌うこと。いいね?」
「へい」

 人生がどんなにクソな終わり方をしても
 私の愛は絶対に 死なない

 歌い出しからマユカの声には爽快さがあった。
 聞く者の気分を晴れ晴れとさせる。
 なによりもマユカ自身が晴れ晴れとした表情で歌っていて、僕たちは彼女に導かれてプラスの感情の方へと動かされるのだ。
 僕はそれに便乗する。
 どんなに大きな声を出そうとも、マユカの声量の方が圧倒的で、僕の粗だらけの歌は大して聞こえない。
 導かれるままに僕は歌う。
 歌っていると、不思議とさっきよりもチャオ一匹ずつの反応に敏感になる。
 リコが口パクかもしれないけれど、一緒に口ずさんでいるのも見えている。
 それでいながらノミで氷を削る感触も遠のくことはない。
 氷もチャオも自分自身も。
 この場にある全てに今の僕は触れられる。
 マユカの熱と僕の声帯が少しだけ重なる。
 触れられるのなら、どのように触れたいのか?
 問われているのはマユカ流に言えば愛情だった。
 前よりもリアルな形にできたペンギンを、チャオは喜んでキャプチャを真似て遊ぶ。
「いよいよ地蔵には見えなくなってきたね」
 リコからは、からかい交じりの褒め言葉をもらった。

 そしてチャオがひとしきり遊んで、関心が薄れてくると氷を洞窟内に運ぶ。
 洞窟内のスタッフ用の部屋に専用の冷凍庫を置き、そこで氷は作っている。
 だがまずは氷が溶けるのを待つ。
 彫刻をするために、氷の板を重ねて立方体を作っている。
 なので彫刻やチェーンソーで切った塊を、上から順に氷の板を作るためのガラスケースに戻していく。
 そして溶けるまで放置する。
 こうして氷を再利用するのだ。
 その後、ノミで削った分や作業中に溶けてしまった分だけ水を加えたら冷凍庫に入れるのである。
 氷をケースに入れる作業をしながら、
「歌っていうのはね、聞いた人のことを元気にさせる。時には人生を変える。だから歌を発信する方が神聖視されることもある。でもね、それはちょっと違う。少なくともアイドルは双方向性メディアなんだ」
 とマユカは語った。
「アイドルってね、スポットライトを浴びるんだよ。それとファンのみんなの声援も。大きな会場のライブだと、そりゃあすごいよ。たくさんの人の強い感情が私という一点に集中する。言ってみれば強烈な愛だよ」
 この氷を移す作業、氷はけっこう重くて苦労する。
 ここでもやはりマユカはその重さに慣れていて、動きがスムーズだ。
「すごく気持ちいいけど、ずっと浴びていたら体が崩壊しそうにも感じる。強くて濃い感情。無数の人のそれが集まった巨大な好意。それだって、神聖視された歌やアイドルと同じくらいのパワーを持っているんだよ」
 そのパワーが前世のマユカを変えた。
 あるいは記憶を持ったまま生まれ変わるなんてふうに、命の流れを普通の人とは別物に変えてしまった。
「アイドルの仕事というのはね、自分が浴びているその強烈なものと、同じだけのものを返すことなんだ」
「確かにマユカの歌にはパワーがあるよ」
「歌で、凍った町が元通りになったらよかったんだけどね。そこまでの力はなかったみたい。ちまちまやっていくしかないけれど、いつまでも同じ場所で氷を壊していると、見つかっちゃう危険性あるから。だから別の町に行くことにしたんだ」
「そういうことか」
 変人だと思っていたけれど、今はマユカのことが色々とわかる気がする。
 マユカの前世がアイドルだったという話を受け入れれば、マユカという人がすっきりと理解できる。
 氷は残り少しだった。
 もう一息だと気合を入れたが、
「大変!大変です!」
 とリコが僕たちを呼びに来た。
 律義に部屋の中には入らず、大声で僕たちを呼ぶ。
「どうした?」
「ヘルメタルが転生する!」

 ヘルメタルはピンク色の繭に包まれていた。
 僕たちが駆け付けた時にはすっかり中身が見えないくらい厚い繭が出来上がっていた。
「転生だね。よかったね」
 マユカはリコの頭を撫でた。
「リコちゃんがヘルメタルくんをめちゃくちゃ愛したから転生できたんだよ」
「よかった」
 リコはもう泣いていた。
 死んじゃったらどうしよう。
 愛せていなかったらどうしよう。
 ヘルメタルの寿命が近付いて、ずっとそんな不安でいっぱいだったとリコは告白した。
「よかったね。リコちゃんのその優しさはちゃんとヘルメタルにも通じていたよ」
 マユカはリコに寄り添いながらも、視線をピンク色の繭から外さずにいた。
 まるでリコの代わりに生まれ変わるヘルメタルのことを見守ってあげているみたいだった。
 リコはマユカから渡されたハンカチで涙を拭うために、眼鏡を外していた。
 僕もマユカにならって、ヘルメタルの繭をじっと見つめた。
 出来上がったピンクの繭は微動だにしない。
 音も立てない。
 だけどその中で命は変化して、卵に戻ろうとしている。
 その大きなうねりを僕たちはイメージしながら繭を見つめる。
 そのうねりが僕たちの命でも起こり得ることを想像して。
「チャオって可愛いよね。愛してもらえたことが嬉しかったから、その人のところに生まれ変わるためにわざわざこんな転生の仕方を選んだんだ」
 とマユカは言った。
 前世の記憶を持って生まれ変わったマユカからすれば、チャオのような転生の仕方はまさに「わざわざ」なのだろう。
 きっと生まれ変わる命たちは、新たな命で新たな景色へと旅をする役目があるのだろう。
 僕たちは長い歳月をかけて進化して、地球の環境がどんな変わり方をしようとも命をつないできた。
 だけどチャオたちはまたその人に愛されるために、同じ場所で同じチャオとして再び生まれる。
 それは摂理に反したことなのかもしれないけれど、とても愛おしいことに思えた。
 人類はチャオたちに愛されているのだと思うことができた。
 一時間も待つと、ピンク色の繭がひとりでにほどけ始めた。
 僕たちは一時間ずっと繭から目を離せなかったのだ。
 いよいよ繭に変化が生じた時、誰も声を上げなかった。
 だけど胸のときめく感じを無言のままに三人全員で共有していたと思う。
 泣き止んだリコも一緒に、繭がほどけていくのを見守った。
 ピンク色の繭はシャツを脱ぐように、二本の糸を左右対称にほどいていく。
 糸はほどけるうちから色を失って透明になる。
 さらにほどける前の繭も段々と色を薄めていった。
 透けて見えるようになった繭の中央に、チャオの卵がすくっと立っていた。
 絶妙なバランスを保っていて、転がることがない。
 まるで強い意志で立っているみたいだった。
 リコはその卵に近寄って、繭が完全に無くなるのを待ってから、恐る恐る抱き締めた。
「おめでとう。お祝いにかにぱん持ってくるね」
 とマユカは立ち上がり、スキップで洞窟の中に向かった。
 膝立ちになっているリコは抱き締めたまま卵ごと体を前後に揺らし、
「ありがとう。これもインクくんがお地蔵さんを作ってくれたおかげだよ」
 と僕に言った。
「地蔵じゃねえから、あれ」
「でも本当にありがとうね。インクくんとか、マユカさんがいたから、ヘルメタルは転生できたよ」
 本当に、ヘルメタルの転生に僕が役立ったのなら。
 これほど光栄なことはないだろう。
 ヘルメタルがリコだけじゃなくて、僕にも再会したいと思ってくれていたら嬉しい。
 それならまた思い切り可愛がってやろうと僕は思った。
 そして僕たちはマユカから渡されたかにぱんを食べた。
 かにぱんを食べている時でさえリコは卵を抱き締めていて、それだけならいいのだけれども、気が緩んだのか卵に体重を少し預けるような体勢になっていた。
「行儀悪い」
 と僕は言う。
「えー、でも。一緒にいたいんだもん」
 前後に揺れながらリコは答えた。
 卵はリコの振る舞いを黙って受け止め、生まれる瞬間を待っていた。
引用なし
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6話 私の愛は絶対に死なない
 スマッシュ  - 18/12/23(日) 0:14 -
  
「明日、引っ越しなんだ」
「うん。知ってる」
 僕はマユカの運転する車に乗って、ステーションスクエアに向かっていた。
 マユカが引っ越す前日、最後にステーションスクエアに一緒に行くことになったのだ。
 荷台にはチェーンソーやハンマーが積まれている。
 そして僕の他にもう一匹、ホウカが一緒だった。
 ホウカは僕の膝の上に乗っている。
「ホウカとは時々、ステーションスクエア来てたんだよね」
「どうして?」
「ホウカを飼ってた人、見つかったらいいなって思って。ホウカの飼い主さんが見つかったら、他のチャオの飼い主さんも探すつもりだったんだけどね、そこまでいかなかった」
「そっか」
 マユカのことだから、見つけたらきっと氷を砕くのだろう。
 それで飼い主さんが生まれ変わって、その人はホウカと再会できるんだろうか。
 マユカは再会するところまで考えてはいないんだろうけれども、僕はといえば、そういう都合のいいロマンチックな出来事を夢見てしまう。
 でもそんな奇跡が起こる可能性はゼロじゃない。
 もしかしたら奇跡が氷を溶かすよりもずっとあり得るのかもしれない。
「ああ、でもね。ホウカの飼い主さんだけは、見つかったんだ」
 マユカは自慢げに言った。
「えっ。そうなのか」
「うん。普通の人だったよ」
「普通?」
「ほら、ドラゴンをキャプチャさせるってことは、お金持ちだったのかもって予想してたじゃん?だけど外から見た感じ、ごく普通の家だったよ」
「じゃあ愛だったんだな」
「愛?」
「愛情の表現方法の一つとして、ドラゴンをあげたってこと」
「ああ、そうだね。まさに」
 ステーションスクエアに着き、服を着込んでから車を降りる。
 ホウカも子供用のコートやニット帽を着けて防寒はばっちりだ。
 マユカとは別行動をして両親に会いに行くことも考えたけれど、ホウカの飼い主が見つかったという話を聞いたら、その人たちを見てみたいという気持ちが勝った。
 まだマユカはその人たちの氷を砕いていないらしかった。
 今日はマユカに借りたスパイクを靴に取り付けて、普通に歩いて移動する。
 スケボーで移動するよりもゆっくりだけど、スパイクのおかげでかなり安定感がある。
 転んだりどこかにぶつかったりすることはなさそうだ。
 凍った住宅街を歩く。
 僕が住んでいた所とは少し離れている道の住宅街だった。
 家の屋根も、庭に生える木も、手作りの郵便受けも凍り付いて全ての色が白っぽくなっていた。
 その中の一軒、薄っすらと赤い色が見える屋根の家がホウカの住んでいた家だった。
 リビングのガラス戸の向こうに、奥さんと思われる女性が立っていた。
「じゃあ入ろうか」
 マユカは躊躇なくハンマーで凍ったガラス戸を叩いた。
 カシャン、と音を立ててガラスは割れた。
 音が響いたのは一瞬だけで、すぐに時が止まったように静かな氷の世界に戻る。
 凍り付いた世界は物音をたちまちに吸収してしまう。
 パリパリと割れた氷を踏みつつ僕たちは家の中に侵入する。
 確かにマユカの言ったとおり、そう裕福な家庭でもないようだった。
 チャオの玩具であろう小さなマラカスが、床に置きっぱなしになっていた。
 マラカスはワンコインショップなんかでも売られている、ごくありふれた玩具だ。
 木製のテーブルに使われている木の色にも特別なものは感じない。
 そのテーブルの上には、手編みのマフラーがまだ編んでいる途中で凍っていた。
 手に持ってみれば固まっていて硬い。
 丸められた状態の毛糸もソファの傍で氷になって固まっていた。
「他に誰かいないかな」
 と僕は他の部屋も探そうとする。
 マユカはハンマーと大きなリュックをリビングのテーブルに置いて、
「たぶんいないと思うよ」
 と言った。
 マユカはチェーンソーをリュックから出して、飼い主の女性を砕く準備をする。
 一階の部屋には誰もいない。
「チャオガーデンにホウカを預けてたってことは、たぶん旦那さんとか子供は外に行ってたんだと思うよ。その人たちも見つけられたらよかったんだけどねえ」
 玄関をチェックすると、確かに靴は一足しかなかった。
「お父さんと子供が一緒に出かけて、途中でホウカをガーデンに預けてどっか行って、って感じか」
「そうそう。でお母さんはいつも家事で忙しいから、たまにはゆっくりリラックスみたいな。まあ、結局家族のためにマフラーなんて編んでたんだけど」
「なるほどね」
 僕がリビングに戻ると、マユカはチェーンソーの電源を入れた。
 するとチェーンソーの大きな音にかき消されないほどの声量で、
「チャオー!!」
 とホウカが叫んだ。
 それは氷を壊さないでほしいという叫びかと僕は一瞬思った。
 だけどそうじゃなかった。
 ホウカは精一杯に、氷に向けて火を噴いていた。
 ホウカが必死に氷を燃やそうとしているのを見たマユカは、ゆっくりと首から切断を始めた。
 チャオの噴く火の温度では、この怪現象の氷はなかなか溶かせないみたいだ。
 チェーンソーで分断していくスピードの方がよっぽど速い。
 だけどチェーンソーが止まるまで、ホウカは頑張って火を噴き続けた。
 そしてホウカがハンマーに持ち帰るとホウカも、
「チャオ、チャオ〜!」
 と分断された女性の氷を手や足で叩き始めた。
 氷を叩くホウカの掛け声にはメロディがあった。
 そのメロディに合わせてマユカも途中から歌に入り、ハンマーを振りかぶる。


 私の愛は絶対に 死なない
 こぼれまくっても走り続ける血は
 元々はあなたからもらったもの


 マユカのリュックの中には小振りのハンマーもあった。
 ホウカを手伝ってやりたいと思った僕はリュックをあさってそれを見つけた。
 僕はホウカとその小さいハンマーを握らせる。
 小さくてもチャオにとってハンマーは重いだろうから、僕も支えるように柄を持ち、一緒に氷を叩いた。
 マユカの振り下ろす大型ハンマーほどの威力はなくても、一回叩くごとに小さな氷の粒が二個か三個飛んだ。
 僕もマユカやホウカと一緒に歌った。
 そして僕は決心した。
 ホウカはチャオなのに、マユカのやっていることを理解して、それで自分でやろうとするのだから、すごく偉い。
 僕はチャオではなく人間だから、ホウカに先を越された代わりに、一人でやろうと思った。
「ねえマユカ、頼みがあるんだけど」
「なに?」
「チェーンソーとハンマー、貸してくれない?僕の家族の氷も壊そうと思う」
 マユカは、いいよ、と頷いた。

 まずはショッピングモールにいる姉さんの氷から壊した。
 チェーンソーの扱いは、氷の彫刻で慣れている。
 だけど首の高さまで持ち上げるのは大変だ。
 彫刻はそこまで高さがない。
 必死に腕を上げて、チェーンソーの刃を姉さんの首にぶつける。
 刃が入る瞬間に姉さんが叫び声でも上げはしないかと怯えるのだけど、耳を傾けたつもりでもチェーンソーの音以外には悲鳴も感謝の声も聞こえてこなかった。
 首が落ちると、こういうものか、という実感があった。
 供養とは、相手からなにかを受け取る行為ではない。
 ただ僕がそれをするだけなのだ。
 そのことがわかると緊張が消えて、あとはマユカがやっていたように姉さんの体を小さく切り分ける。
 そしてマユカからハンマーを渡された。
「やることは、いつもとなにも変わらないよ。ただ思いを込めて、振り下ろすんだよ」
「わかった」
 初めて振るうハンマーに体が付いていけない。
 だけど気持ちを込めるということだけは守って、ハンマーを姉さんの頭に叩き付ける。
 姉さんの氷は飛び散らず、薪のようにその場で割れた。
 そこにもう一撃を叩き込む。
 生まれ変われ。
 今度はこんな終わり方をしないで、幸せになってくれ。
 するとマユカが小さな声で歌い始めた。
 今までそんな歌い方をしたことがなかったけれど、それは僕を導くための歌声だとすぐにわかった。
 そうだ、僕がマユカに教わってきたのは、そういう触れ方だった。
 下地に僕の色を重ねるように、マユカの導く声よりも大きな声で僕は歌い出す。
 ホウカも一緒になって歌ってくれた。
 小さい氷の欠片も追って、僕はハンマーを叩き付ける。
 何度でも夢中で叩き付ける。
 間違っても姉さんがこの町に閉じ込められたままにならないよう、バラバラの粉微塵にして解放する。
 ハンマーの重みを無視して僕の腕は動き続けてくれた。
 そして姉さんの氷が跡形もなくなると、すっかり息の上がった僕に、
「お疲れ様。寒くない?」
 とマユカは聞いてきた。
 僕は首を横に振った。
 全然寒くなかった。
 動いたからだろうか。
「暖かい感じがする」
 と僕は答えた。
 急にチェーンソーとハンマーでぶん殴られて姉さんはびっくりしたかもしれない。
 とんでもないことをされたと思ったかもしれない。
 だけど僕自身はいい供養ができたと思った。
 息は上がっているけれど、まだまだ動ける感じがした。
 父さんと母さんも同じように砕くまでは休む必要がないと思えた。
 僕はマフラーを緩めて、白い息を吐いた。
 冷たい空気に晒しても僕の熱気は収まらなかった。
 そして僕の吐く息がステーションスクエアを僅かに温めていく。
 僕たちはもう凍っていない。


 放課後、僕とリコは一緒に歩いていた。
 ステーションスクエアからの風は相変わらずこの町に吹いてくる。
 クラスではついに十組目のカップルが生まれた。
「今の風めっちゃ寒かったね」
 とリコは全身を棒のように硬直させて歩く。
「チャオガーデン来るか?暖かいぞ」
「なにその、俺ん家来るか、みたいなノリ。俺の体で温めてやるよってか。エロ人間め」
「そんなに寒いんなら、お望みどおりに温めてやるよ」
「あー、いい。既にこの恥ずかしいやり取りのせいで体が温まってきた」
 とリコは体を硬直させたまま言う。
「いいことだ」
「全然いいことじゃないよね?」
「いや、いいことだろう」
「どこがよ。まあ、ヘルメタル連れて、行くよ」
「ああ。氷の準備して待ってるよ」
 僕は今、チャオガーデンにアルバイトとして雇われていた。
 マユカがやっていたことは、僕の仕事になっている。
 チャオガーデンで仕事をするようになって、おばちゃんとは前よりも仲良くなった。
「ああ、インクくん。おかえり」
「ただいま。みんな元気?」
「元気よ。相変わらず」
 親子の振りをするのが最近おばちゃんとのブームになっている。
 特にお客さんの前でやって、悪戯でお客さんを騙すのである。
 ただ今日はお客さんがいないようだ。
 チャオガーデンの中に入っても、人は見当たらない。
 最適な環境に整えられたチャオガーデンの空気はとても暖かい。
 誰にとっても優しい空間だ。
 ここでみんなの幸せを作るのが僕の仕事である。
 洞窟の中へ行き、作業着を着る。
 水色に黄色のラインの、チャオ風の作業着だ。
 そして氷を用意して、台車に載せて運ぶ。
「早かったじゃん」
 洞窟から出ると、リコがもう来ていた。
 コドモチャオに戻ったヘルメタルが抱きかかえられている。
「ちょっとだけ走った」
 とリコは照れたように笑った。
「チョコバットやるよ。食べな」
「ありがとう。いただきます」
 そしてチャオたちとリコは氷の周りに集まる。
 僕たちの暮らす世界の暖かさを僕は感じている。
「よっしゃ、始めるぞ」
 マユカから譲り受けたチェーンソーが大きな音を響かせる。
 みんなの目が期待に彩られる。
 なにもかも、まだマユカのようにはできない。
 それでもチャオたちはもう笑顔になっている。
 僕はホウカと目を合わす。
 ホウカも転生できるように、僕が精一杯愛してやる。
 ホウカは嬉しそうに頷いた。
 チェーンソーの刃が氷に触れる。
 細かい粒がチャオガーデンの人工の空へ飛ぶ。
 僕はチェーンソーの重みをしっかり感じながら、氷に命を吹き込んでいく。
 丁寧に、命を掘り起こす。
 今日はハトでも作ってみるか、と考える。
 そしてチェーンソーからノミに持ち替えれば、僕はやはりあの歌を歌う。
 僕の体、そしてチャオガーデンが、熱を帯びていく。
 マユカとの日々で受け取ったあの愛をみんなに伝えるために、僕は声を張り上げた。
引用なし
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エピローグ あなたが愛したものは死なない
 スマッシュ  - 18/12/23(日) 0:14 -
  
 人生がどんなにクソな終わり方をしても
 私の愛は絶対に 死なない
 こぼれまくっても走り続ける血は
 元々はあなたからもらったもの

 歩けなくなっても
 駆け上がってやるぜ
 どうなっても行くんだこの先へ

 永遠なんてあり得ない?
 夢は夢でしかない?
 そうかもしれないけれど
 錯覚の永久機関を
 持って生まれてきたんだ
 あなたが愛したものは死なない


 人生がどんなにクソな終わり方をしても
 明日は誰か幸せになるだろう
 大切だったけど本当はいらないもの
 消えていく砕いていく生きていく

 涙が枯れても
 傷付き続けるぜ
 この道を進んでいくために

 一度しかない人生に
 八十個のハッピーエンド
 欲望のままに欲張って
 錯覚の永久機関を
 持って生まれてきたんだ
 青空の内側に私は生きて


 愛情が綺麗事でも
 永久機関が錯覚でも
 あなたが愛したものは死なない

 永遠なんてあり得ない?
 夢は夢でしかない?
 そうかもしれないけれど
 錯覚の永久機関を
 持って生まれてきたんだ
 あなたが愛したものは死なない
引用なし
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