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(BGM♪ 黒い日曜日)
世間には、決してみていけないという詩がいくつもある……
このコーナーではアングラから決して外には出てこなかった一編の詩を、視聴者から募集している。
今週の最初の詩は、……これだ。
『チャオの詩』
ちからつきたら
やむをえずまゆのなか
おやすみのあと
のこるたまごがあるなら
したいようにまたあそぼうよ
一見すれば、ただの平仮名の羅列にしか見えない……
しかし、有名な某霊能力者によると、この詩はある一つの真実を含んでいるという……
では、その真実となりうる考えをいくつか紹介しよう……
1 『18禁の描写』
ちからつきたら
やむをえずまゆのなか
おやすみのあと
のこるたまごがあるなら
したいようにまたあそぼうよ
↓
ちからつきた=『我慢』が出来なくなった
やむをえず=男性は後悔している?
まゆ=『まゆ』という名前の少女?
おやすみ=ピロートーク
のこるたまご=卵子がそのままである=結局、受精は免れた?
したいようにあそぶ=また、そのうちそういう『行為』に及ぶ
2 『繰り返される幼児虐待?』
ちからつきたら
やむをえずまゆのなか
おやすみのあと
のこるたまごがあるなら
したいようにまたあそぼうよ
↓
ちからつきた=自分の子供が虐待で死んだ?
まゆ=『繭』=ほとんどの殺人では、死体の移送中は毛布でくるまれている。
おやすみ=ゴミ袋ごと、どこかに遺棄した?
のこるたまご=再び子を宿す機会
したいよう=『死体用』=再び死ぬまで虐待をするという暗示か?
3 『ソニックのゲームに出てくるキャラクターの特性』
ちからつきたら
やむをえずまゆのなか
おやすみのあと
のこるたまごがあるなら
したいようにまたあそぼうよ
これは『ソニックアドベンチャー2バトル』に出てくる『チャオ』というキャラクターの『死』に関する特性である。
彼らは、死ぬ時『繭』というものに包まれるが、その色が灰色、またはピンクかによって、そのあとの成り行きが違ってくる。
灰色なら、死としてそのまま消える。
ピンク色なら、転生として、再び卵に戻る、というものだ。
さて、ここまでの3つの考えを見てきて、視聴者の皆さんはお気づきにならないだろうか?
この3つの話は実はつなぐことができるということに……
そう。ここから読み取れるものとは……
* * *
名前は分からない夫と『まゆ』という妻は、新婚だからか、もともと大人になりきれていないのか、恋人気分が抜けずに、遊んでは避妊をせずにそういう行為に及んでいた。
しかし、いくら安全日と言えども可能性が潰えてしまうわけではない。
そうして、ついに子供ができてしまう。
彼らは中絶の時期が過ぎているからか、それともある程度育てる覚悟ができていたのか、その子供をこの世につれだすことに決めた。
とはいえ、子供とは、社会常識とはまた違った、とても我儘なものである。
普通の親ならば、ギブアンドギブの覚悟でそれを乗り越えられたかもしれない。
が、最近の風潮を若者時代に浴び切った彼らにとって、そんな自分の身を削って子供を諭すということは到底出来ぬ仕事だったのだ。
ソニックアドベンチャー2バトルというゲームを夫は大人になっても相変わらず続けていた。
子供はそんなゲーム画面を興味しんしんで眺めていたのかもしれない。
しかし、そんな親の背中を素直に見続ける彼の境遇はどんどん悪くなっていく。
虐待は、やっている人間は虐待だと思わないらしい。
彼らの受け止めた『ゆがんだ社会常識』つまり『マニュアルに従ってそつなくこなすことこそ正しい』という考えと、我儘さとラジカルさの際立つ子供の性質は相いれない。
……彼らだって、自分だってそうだったろうに。
言葉で諭そうにも、少し手を出しても、子供は大人のようにすぐに反省することはないだろうし、マニュアル通りにやらせることができないことは普通に考えれば、分かることだ。
が、そんなこと、彼らには期待してはいけないのだろう。
彼らは蹴りに殴った。
しつけだ。これは、言うことを聞かない『悪い人間』を『正義の鉄槌』とともに厳しく叱っているのだ、と。
言葉だけではどうにもならないって知っているから、手を出す。それだけだ、と。
彼らは表向きの感情ではそう言い聞かせたのであろう。
その深層心理に『暴力という欲求』をみたしたいという願望があることも知らずに。
そんな『しつけ』で子供はどんどん衰弱した。
あちらこちらが痛い。お腹がすいたけど、何ももらえない。
大人しくなったのに、何ももらえない。
よく警察の事情聴取で、親は『しつけ』と称する。
しかし、彼らは愚かにも、自分がすっかり己の本能だけで動く醜い蟲になっていることに気がつかない。
だってそうだろう。
彼らの『すばらしいしつけ』で、子供は必ず『大人しい、良いコ』という『通過点』に達するのだから。
……そう、それは『通過点』だ。
それでもその行為を止めないのは、ただ『自分よりよわいものをいじめてニヤニヤしたい』というある種の人間臭い欲求に縛られているが故である。
幼い画面には、何が映っていたのだろう。
般若のように、ゆがんだ自らのパパとママ。
相も変わらず楽しそうにガラスの水槽で笑っている『チャオ』というキャラ。
ボコボコの腕。あざが目立つおみ足。
夢も希望もない、カーテンに閉ざされたフローリングの部屋。
彼は、何を、想ったのだろうか――
そうして、ある日、彼は動かなくなった。
もちろん、転生などしない。人間としての、確実なる死。
その理由がなんであったかは、分からない。
親となった二人は焦りに焦った。
近年の幼児虐待の厳罰化により、自分の子供と言え、懲役5年以上は確実に下ることはニュースで知っていた。
見つかってはいけない――自分の子供が死んだ、という悲しさなど、彼らにはみじんもなかった。
彼らはその子供を『初めて』暖かい毛布にくるんだ。
ピンク色の暖色系のそれも、その時だけはやけに暗い雰囲気を湛えていただろう。
「見つからないとすれば、人があまり近づかない山だ」
ワンボックスカーの後部座席に毛布にくるんだ『彼』を載せる。
子供にとっては『初めて』の『旅行』だったのかもしれない。
そのあと、どうやって、その死体を処理したのかは分からない。
だが、彼らは結局、自分の子供を殺したということがばれることは無かった――
彼らは懲りもせず、避妊なしの行為を始めた。
たまに二人は、このような言葉を交わしているのかもしれない。
「どうせまた『デキ』てしまっても、大丈夫だ」
「あの場所に捨ててしまえば、絶対にばれない――」
* * *
(ここで再びBGM♪ 黒い日曜日)
平仮名だけの詩。そして、チャオの死というタイトル。
もしかすると、彼は本当にピンク色の毛布から『転生』したのかもしれない。
その当時のままの年齢で、世界を周り、何かを得たのかもしれない。
そうして、自分を生んだ両親に対して、そして、自分自身の『転生』に関して、自分が知っている平仮名だけを使って、書いたのではないか。
この詩は、虐待で死んでしまった自分自身を『チャオ』に例えて、悲しく書きつづっている詩なのではないか。
某霊能力者はそう言って、一枚のお札を我々スタッフに手渡した。
お札にはこう書かれている。
『須磨氏縦読自重汁』
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