●週刊チャオ サークル掲示板
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1909 / 2010 ツリー ←次へ | 前へ→

とある少女とショーネンR18 10/2/15(月) 3:34
とある少女とショーネンR18 〈CHAO〉 10/2/15(月) 3:36
とある少女とショーネンR18 〈プロローグ〉 10/2/15(月) 3:39
とある少女とショーネンR18 〈一章〉 10/2/15(月) 3:50
とある少女とショーネンR18 〈一章〉 10/2/15(月) 4:03
とある少女とショーネンR18 〈一章〉 10/2/15(月) 4:07
とある少女とショーネンR18 〈一章〉 10/2/15(月) 4:15
とある少女とショーネンR18 〈一章〉 10/2/15(月) 4:19
とある少女とショーネンR18 〈二章〉 10/2/20(土) 4:41
とある少女とショーネンR18 〈二章〉 10/2/20(土) 22:57
とある少女とショーネンR18 〈二章〉 10/2/23(火) 6:20
とある少女とショーネンR18 〈二章〉 修正版 10/2/25(木) 0:24

とある少女とショーネンR18
   - 10/2/15(月) 3:34 -
  
表紙です。
引用なし
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とある少女とショーネンR18 〈CHAO〉
   - 10/2/15(月) 3:36 -
  
 西暦30XX年。

 とある人工生命体が一人の男によって開発された。
 彼はその生命体に『カオス』という名前を付け、兵器としてその後も改良を重ねる。
 だが、彼は突然のうちに消え失せる。
 ジャポネ公安委員はただちに人を派遣し、彼の研究所に侵入。
 しかし、そこにあったのは兵器とはとても呼べないような生命体。
 ジャポネ政府はこの生物を『CHAO』と名付け、水面下のうちに研究を開始する。
 数年後、兵器化計画は頓挫。
 大量に発生した負債の穴埋めをするために、政府は民間へのCHAO転売を決定。

 同年、政府は兵器としての突然変異が起こる可能性を憂慮。
 それを監視する研究所を国家機関として作成。
 名付けて、CHAO研究所。
 CHAO監査部門、CHAO育成部門、CHAO調査部門の三種。
 全てはCHAO研究所所長の管轄のもとで行動される。

 ある時、調査部門の一人である男は、所長から指令を受け、マラシュケへ渡る。
 男の通称名は『[R]esearch Department No.[18]』――R18。
 この物語は、その男と、それを取り巻く人々の、物語。

 ――CHAOの進化は、まだ終わってはいない。
引用なし
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とある少女とショーネンR18 〈プロローグ〉
   - 10/2/15(月) 3:39 -
  
 ――ジャポネ国、トゥキョオ区、中央市街。

 綺麗な満月の浮かんだ夜だが、誰もその精一杯の輝きに気付く者はいない。
 街の光が絶え間なく空の星をかき消していき、偽りの白で地上を染め上げていく。

 一人の少女が、帝都タワァの地上200メェトルに及ぶ屋上にいた。
 右手を、展望窓のガラスにビッタリと張り付かせ、しきりに夜景を眺めている。
 その口元から涎が垂れていることに、もちろん彼女は気づていない。

 小さな体いっぱいに浴びせられる、外からの虹色の光。
 少し汚れた白い服に、テアトルのごとく、移りゆく光の幻影。
 夜景に混じって、彼女の目の前を横切るライトに包まれた大きく派手な気球船。
 高層ビルの屋上に作られた電光掲示板。
 時には、異国世界の文字のデザインで。
 時には、どこかのファッション・モデルの破廉恥な写真もあった。
 あるいは、その光は商店街に軒を連ねる飲み屋の提灯の色か。
 あるいは、その光は人気のない裏路地にぽつねんと佇む誘蛾灯か。
 あるいは――

 何かに呆けてしまうと、つい左手で下唇を撫でつけてしまうのは彼女の悪い癖だが、腰から脚へと続くラインは綺麗で、何より、ボブカットヘアに彩られた、人形のような可愛らしい顔は誰もが焦がれてしまうものであった。
 帝都タワァの屋上展望スペェス自体には観光客を招くような施しはされていない。
 赤いコゥティングがはがれ、所々錆びついた鉄板が、その床を覆っている。
 青色だったであろう、汚らしい見た目になってしまった双眼鏡、手すり。
 残念ながら、女性の心をつかむ要素はどこにもない。

 それでも少女だけは、この場所に入り浸っていた。

「またここにいたのね、みぃ」
 少女は呼びかけに気付かないまま、視線を声の主に向けようとしない。
 声の主は溜息をつきながら、もっと近くによって、
「みぃ!」
 と、先ほどよりボリュゥムを若干上げた声で呼んだ。
 少女は突然の大声に、ビクッと一瞬身体を震わせたが、月明かりと街明かりに照らされたその声の主の姿を見て、ホッと溜息をついた。
「ひぐち、さん?」
 十代後半くらいだと思われる体つきにかかわらず、その口調はたどたどしい。
「そ。全く、あなた幼稚園児じゃないんだから、もっとしっかりしなさい。夜からの仕事、またおサボしたんでしょう」
 諌める調子でヒグチがそう問い詰めると、少女は目を左右に大きく泳がせる。
 ちなみに訓練とは、少女が履修していない小中高の教育とさほど変わらない。
 やがて、ぽつりと呟いた。
「ごめんなさいでも、でも、まだかえってこないの」
 支離滅裂な言葉だが、慣れたようにヒグチは言葉を返す。
「……あぁ。そんなに気になるの、彼の事」
 その言葉に、少女は顔を少しほんのりと赤らめて、しばらく手をもじもじとさせていたが、小さくコクリ、と頷いた。
 屋上から一望できる、この街の向こうの、さらに向こう。
 そこに、少女の想う人はいる。
 ヒグチは少女の行動の意味を何となくは理解してはいた。
 いや、むしろ、彼女がこういう状態であるからこそ、分かりやす過ぎるくらいに その理由は判明していた。
 街の光が織りなすアートを楽しもうと、ここに来ているわけではないことを。
 少女がいつも身につけている灰色の手袋は、結露したガラスの水滴がそこに染み込み、濃い部分と薄い部分の二層を作っている。
 見栄えは、傍から見ても最高に悪かった。
「あいたいよ。ねぇ、まだかえってこないの?」
 ヒグチは悩む。
 仕方なく、彼女は一つの錠剤を取り出す。
 それとともに、ペットボトルの水を渡した。
「これ、なに?」
「これを飲んだら、合わせてあげる」
「……ホント?」
 パッと、少女の目が輝く。
 ヒグチは罪悪感に包まれながらも、それを勢いよく彼女の手から奪い去って、がぶ飲みする少女の影を見つめていた。

 ――ストン

 ヒグチの目線から、突然少女の姿が消える。
 ぼろぼろに壊れた床の上で、彼女は丸まって倒れていた。
 微かに、スゥスゥという寝息が聞こえる。
「ごめんなさい、みぃ。貴女にはまだまだ、動いてもらわないといけないから……」
 少女を抱き上げると、近くに会った黒いソファーの上にそっと寝かせる。
「ふう……」
 彼女は先ほど少女がそうしていたように、展望窓の近くにより、スッと目を細める。
 煌びやかで、艶めかしい、楽園のイミティション。
 詩人的表現をするならば、それは瓦礫で出来た街の日陰に咲いた造花。
 ヒグチは、そんな風景を楽しむことなく、遠くの方を眺めながら。

「これでよかったのよね……、ねぇ、……」

 誰かの名前を、ポツリ、と呟いた。
引用なし
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とある少女とショーネンR18 〈一章〉
   - 10/2/15(月) 3:50 -
  
 ――マラシュケ区、AM8:00

 微かに吹いてくる風が、あたしの服を揺らします。

 中央広場を抜けて、カスバの中を進み続けて、ここに着いたのは昨日の午前3時でした。
 夜中も夜中、ともすれば変態さんに襲われてしまう時間帯ですが、あたしには強靭なボディガードが一人(一匹?)ついているので、そこは安心です。

 砂漠に囲まれたマラシュケ区には昔とっても凄い王国があったそうです。

 この世界には技術国と魔術国の二つが各地に点在しているんですが、ここは魔術国発祥の地。それで、ものすごい軍事力と経済力を誇っていたんですが、2000年前位に滅亡。
 今では、魔術で作られたのであろう、赤い粘土土の城壁で出来た複雑な路地を持つ街(いわゆるカスバです)をその面影として残すのみとなりました。
 まるで迷路のような道を通り抜けないと家にたどり着けないカスバですが、ちょうど一枚分壊れてしまい、周りの景色に似合わないまっさらな土地が残っていたので、あたしのお連れさんに無理言って買ってもらいました。
 なんだか、異世界に迷い込んだ主人公になれる気がしましたから。

 で、今はそのお連れさんが遅れてくるので、その人を待っているんですが――

 ぼーん。

 ぼーん。

 ぼーんやり。

 身体をユラユラと揺らしながら、人がたまに行きかう細い路地をきょろきょろと人探しします。
 でも、彼は一向に現れる気配がありません。

「あうおー……」

 口真似をしながらユラユラ。
 誰の真似かって言うと、今あたしの真下にいる動物さんです。

 ――ドラゴンさん。

 頭をあたしのお尻に敷かれている状態なのに、随分と心地の良さそうな表情をしています。以前、聞いた話だと、そう言うので喜ぶ人は「M」と呼ばれるらしいのですが、ドラゴン界にも、存在するんでしょうか。……無いでしょうけども。

 先ほど、土地が開いているということとでしたが、そこを埋めるように建てたのが、この新築のレンガのお家。レンガと聞いて、これまた夢をかなえようと、ちょっと大工さんに無理を言ったら赤と黄色と茶色の三色レンガにしてくれました。
 二階建ですが、そのうち一階は車庫の作りをしていて、いわゆるドラゴンさんの領域です。昼は自動暖房、夜は自動冷房で、人間にとっては甚だ住める所じゃないので、あたしは二階の方に住んでいます。今は朝ですし、日陰なんで、良い感じに涼しいんですが、そろそろ熱くなってくる頃です。
 ちなみに、あたしの待ってる人も同じく二階で、しかも、同じ部屋です。
 ――そう。それで、爬虫類も思わず冬眠しちゃう寒い夜には「温めてあげるよ」とか言いながらあたしのベッドにモゾモゾもぐりこんできて……キャー!

「うっふふー♪ 撫で撫でー」
 恥ずかしい妄想を振り払いたくて、ふと見えた堅くてふっといドラゴンさんの角を激しくシェイクしてしまいました。
 彼は止めてーこそばいー、と言っているかのように、うーっとうなり声を上げます。
「えへ、ごめん」
 ゴロンと寝っ転がると、路地を挟んだ赤い粘土土で出来た不細工な――でもしっかりとしたくり抜き式のアパートがいくつか目に飛び込んできます。
 そして、それらの隙間からは、雲が一つもない、快晴の空。
 ドラゴンさんの上ですが、布団干しついでに毛布を敷布団代わりにしているので、背中はふんわりとして、気持ちが良くなります。
「ふああ――」

 どこか、この場所から遠く、気持ちの良い場所へとトリップしていけるような――

「うわっ、白猫じゃねぇが!?」

 突然の大きな声に、思わず飛び上がってあたりを見渡します。
 人影はすぐに見つかりました。
「お、驚かせないでくださいよー、もう。……お久しぶりです、洵さん」
「うん? そりゃこっちのセリフだよ。いつ戻ってきたんだい」
「今日ですよ。いやぁ、メディナ近くの所も良いんですが、ここはここで乙な感じがしていて住み心地は良いと思います」
「そうかい。はぁ、だぁれもいないうちに来ようと思ったのに。まさか、ドラゴンの上さいるなんて思ってなかったべさ」
「楽しいですよー。乗ってみます?」
 ギロッと、ドラゴンさんが洵さんの方を睨みます。
 そういや、このドラゴンさんはあたしとあたしのお連れさんにしか懐いてないんでした。
「あ、いや、遠慮しとくわぁ……」
 ドラゴンの頭に座る私が見上げるくらいの高身長。ギョーカイ用語で言う、パツキンのいかにも俺チャラいゼ? っていう若い男性の方。ただ、どこかしらの方言と思われる訛りがちょっと可愛い。で、性格も意外と弱虫。
 それが私にとっての「洵さん」というイメージです。
 彼は右手左手に何やら色々なモノ(雑誌?)を詰めた紙袋を抱えています。
「それ、なんです?」
 何気ないノリで聞いてみるのですが、洵さんは「Ouch!」という感じでそれら二つの紙袋を背中に隠します。
 見せたくないなら、あんな堂々と両手に抱えなけりゃいいのに。
「あら、洵さん、隠し事はいけませんよー」
 ドラゴンから降りて、ずいずいっと彼に近づいていきます。
 近づいた分だけ、後ろに下がる洵さん。
「これはだなぁ、白猫、男だけの秘密なんだ」
「大丈夫ですよ、私も男ですからー」
「嘘付けぇっ」
 洵さんは恐る恐る一階奥の、二階へのの入り口にそれを置くと、絶対見に行くなよ、とこちらを警戒しながら戻ってきます。

 ――そんなに心配しなくても大丈夫ですよー? 後から見ますー

 ま、今のところは、多少気にはなりますけど、堂々と見にいくわけにもいきません。
 うーんと伸びをして、腰を回します。
「ところで、白猫ぉ。おめぇ、昼に時間とれるか?」
 寝てたときに出来た後ろ髪のはねを手ぐしで直していると、洵さんが相変わらずの口調で何か尋ねてきます。
「えぇ、まぁ」
「ちょっと頼みたいことがあってーなぁ。手伝ってくれるけぇ?」
 両手をパチンと合わせる洵さん。何だか訳ありのようです。
 すぐの仕事だったら、待ち人さんに伝言でもしておかないといけませんし、何かと面倒なんですが……。
「んぐー、仕方ないですね。話だけは聞きます」

 二人で水の出ない噴水に座ります。
 朝9時の日光だけで随分とコンクリートは暖かくなり、座っているだけで気分が良くなります。
「あぁ、暖かい……」
 日光は素敵です。浴びるだけで身体はビタミンDを作ってくれるうえに、ホルモンの活性に役に立つと言いますから。
 おかげで私の身体も寒い寒い夜よりは幾分かぴんぴんとしています。
 やっぱり人間こうでなくちゃいけません。遅寝遅起なんて、身体に悪いだけです。
「で、用件なんだけどよ、ちょっと今のおめぇにしか頼めねーんだなぁ」
 洵さんは担いでいたカバンから一枚の紙を取り出します。

 えーと、何だろ――

「ピュアヒーローチャオ、を下さい?」
「マラシュケの新市街に住んでいる、ちょっとした富裕からの要望さね」

 ――チャオちー。

 ドラゴンさんもなかなかにこの世界では有名な生物ですが、現時点で一番界隈を賑やかにしている生命体はチャオちーでしょう。あ、ちー、っていうのはあたしのオリジナル語尾なんで、正式名称はチャオ、ですね。

 それはそれは、ずっと昔にマッドサイエンティストとして学会を追い出された男がCHAOS(ケイオス)という地球を滅ぼす存在を作ろうとしたらしいのです。
 でも、結果は失敗。代わりに生まれてきたのが、チャオ。
 男の方はどうなったかって?
 その事実発覚後、王目(ケーサツ)さんが沢山彼の所に押し寄せたらしいですけど、彼の姿はすでになく、失敗作――チャオの作成書だけが、そこに残っていたと言います。
 そうして、どさくさにまぎれて作成書を回収し、それを軍事応用しようとしたジャポネ国ですが、結果的には愛玩動物としてチャオを各地に売り払うことになりました。予算をつぎ込むだけつぎ込んでおいて、色々繁殖を重ねたらしいんですけど、結局愛玩動物しかできなかったんですって。
 そりゃあ、売り払うでもしてお金を回収しないと、世間から何を言われるか知ったものじゃありませんからね。

「ピュア……」
 形としては色々あるんですが、最初生まれたときは大抵オニオン型の頭をしていて、身体手足は丸みを帯びていて可愛らしく、頭の上に謎の物体を浮かべています。色つきのもあるにはあるんですが、やっぱり一番人気は原型であるピュアチャオです。
「でも、またなんでヒーローチャオなんでしょう?」
「あれだろよ、ヒーローチャオを持ってることは、その人間の性格に良い面が多いという箔が付くべさ。富裕にとっちゃ、それは自慢にもなるし、商業取引で重要な接待道具になりうるのさね」
「はぁ」
 よくよく考えると、似たような形で、そう言う件を依頼されたことはありました。

 アウトローな場で敵を威嚇するために、ダークチャオを作ってほしいと言う方。
 デスメタルバンドするから、それに合うようダークチャオを作ってほしいと言う方。
 良き妻を演じるための手段として、ヒーローチャオを作ってほしいと言う方。
 ダークにすると学校でいじめられるから、ヒーローチャオを作ってほしいと言う方。

 ――ハァ。

「正直、あんまり、乗り気になれないんですけど」
「まーまー俺もタダでやってほしいと言ってるわけちゃうから」
「と、言うと?」
「何らかのモノは買ってあげようじゃないかぁ、ってことだべ」
 相変わらずのどこの方言か良くわからない訛り全開で私に商取引をしてくる洵さん。
 商売人として、そこら中を闊歩しているのが災いしたのでしょうか。
「でも、モノを買ってあげる、ってそんなお金どこで……あ」
 自分で言葉を口にして、ようやく真相に気付きました。
 洵さんは売り上げをすぐに酒や女性とのいやんな行為、に使ってしまうので、最低限残して彼の財布はすぐにすっからかんになっちゃいます。そんな彼があたしに奢る、なんて普通はあり得ません。
 洵さんの方をキッと睨むと、いつの間にか彼は噴水のふちで土下座をし、小さく畏まっていました。
「すまねぇ。もう、前金たんまりもらってるんだわぁ」
「ば、バカじゃないんですかぁー!?」
 そりゃ、お金もたんまりありますわ、フツー。
「だから、白猫よぉ。なんとか引き受けてやってくれねぇが?」
 土下座の姿勢のまま、顔だけ上げて私の方を見てきます。
 キラキラとした目の輝きが、私に「イヤ」と言わせることを拒ませるようです。
「ヤです」
 だけど、断らせていただきます。
 洵さんの顔が文字通り、蒼白になってしまいます。
「そんな……」
「ここで引き受けたら、あたしが良いカモになってしまうじゃないですか」
「そこをなんとか! 何でも! 何でも買ってあげるから!」
 深々と土下座をしながら、引き換え条件を提示してくる彼。
「何でも?」
 思わず、そう問い返してしまいました。
 いつの間にか、脳内悪魔が刺激されて、デーモン閣下がむっくりと起き上がっていたようです。さっきまでは、合理的な天使っコが仕切ってたんですが、段々とその脳内雰囲気の風向きが逆になっているのが分かります。

 天使:引き受けるの? 引き受けないほうがいいんじゃない? 
 あたし(悪魔):いや、引き受けるのも悪くない。何でもだぜ? 何でも!
 天使:何でもなんて、絶対嘘です。
 あたし(悪魔):ふふふ、そこは無理を通すよ。策は練ってある。
 天使:……そこまで言うなら、致仕方ありません。

 許可ゲット! っしゃぁ!
 あぁ、あたし、すっかりイケナイ女の子♪

「そう何でも、だ!」
「言っておきますけど、それ、死亡フラグですよ?」
 忠告みたいなのを言っちゃってますけど、頭ではほくそ笑んでます。
 だって、彼が言うことなんてひとつですもの。
「構わない!」

 ……ね?

 ――PM0:00

〈MEMO〉

 お連れさんへ♪
 今から洵さんの有り金で雑貨を買って、その後仕事しにいってきます。
 夜までには帰るからね! 白猫

「あぢぃです……」

 太陽が燦々と上から降り注いできます。
 朝はビタミンDが作られるし、太陽最高! とかあたし自身がほざいておりましたが、どのビタミンも過剰摂取は毒になってしまうんですよ。
 え、関係ないって?
 ――マラシュケ区は、ただいま乾季真っ盛り。
 ここは砂漠ではないので、超猛暑ではありませんが、それでも砂漠都市と言われるくらい砂漠に近い街ですから、かなり気温は上がっています。
 先ほど買った日光よけパラソルを差してみるものの、濛々とした空気は相変わらずで、あたしの帽子や服に容赦なく入り込んできます。
 汗がひたすらに出ます。
 顔からダラダラ。
 身体からダラダラと。
 朝にせっかく水浴びして綺麗な身体にしたのに、これじゃあまた逆戻りです。

 あたしたちはお買い物を終えて、カスバの路地裏を歩いていました。
 お買い物をした後に重たい思いをすることは良くありますが(特に特売品とかで買い溜めした時は)、今回はその心配もありません。
 え? ドラゴンさん? 連れてきてはいませんよ〜?
 代わりと言ってはなんですが、一人の男性の方が全て持ってくれています。
「う……あぁ……」
 声にならないようなうめき声を上げて、あたしの後ろを歩いてくる洵さん。
 前が見えないよう(ちょっと色々買い過ぎたかしら?)なので、あたしが先導してあげているというわけです。
「ノロいですね、もっと飛ばしてくださいよー。男でしょう?」
「んや、人間として、この重量はきつい……ゼ?」
「もー……。あ、右手の皮袋は注意してくださいよ、メディナで買った限定品の色つき陶器なんですからー」
 あたしのはオレンジで、あたしのお連れさんには赤色を。模様はおそろい。模様がそろっているって滅多にないので、そういう意味で限定品。

 このマラシュケ区には二つの買い物ゾーンがあります。
 一つは中央広場で、確か名前がジャマ=ヤナ=ホンマ広場だったような気がしますが、みんなそんな邪魔くさい名前なんて言わず、普通に中央広場とか、もっと略して広場とか呼んでいます。
 白いテントを上に広げた様々な露店が埋め尽くされているため、本当は広いコンクリの土地なんですが、そんな気は全然しません。
 オレンジを大量に並べて、注文を受け次第、それを切り、絞り、ジュースにして売る人もいれば、傍らで羊の串刺しを丸焼きにしながら、それを切り取り、野菜などと串焼きにした料理(ケバブーっていうやつです)を格安で出してくれる人もいます。
 はたまた、魔術の再来とかいう銘打ちをして蛇さんを笛で扱う大道芸をしている人もいますが、……あれって、蛇さんが笛の音にたまにビクンっと反応するだけで操っているとは思えないんですけどね。
 ――あ、それで、もう一つの広場は先ほどまでお買い物していた旧市街、通称メディナのスーク(市場)と呼ばれる所です。噂によると市場としては世界最大級の広さを誇るのだとか。
 中央広場のような新市街もなかなかに楽しいのですが、旧市街はレトロチックな魔術国時代のお皿とか剣とか杖が売られていて、一時期考古学に没頭していたあたしの胸にずぎゅんと来るものがあります。
 青銅を造形して、軒先につるされているようなレトロな看板を作る所。
 魔術時代の本とかハープとか杖を売る所。(現代人はもちろん扱えませんが)
 古代ルベルベ語で書かれた文書の巻物。
 もちろん、それだけでなく、オリーブをはじめとする大量の食料品や、先ほど買った陶器など生活必需品も豊富に売られています。それぞれが色々な軒を構えて、商品を外にまで広げてい光景は、写真に撮ってしまいたいくらい素敵な風景なんですよね。

 と、そんなこんなでいつの間にかあたしの家の前までたどり着いていました。
 オーライ、オーライと言いながら、洵さんを二階への入り口まで誘導します。
「ドラゴンさん、ちょっと手伝ってください〜」
 あたしがそう言うと、彼はしっぽをくるんと動かして、洵さんの背中にあったお布団のセットを取り上げます。
 身体が大きすぎて奥の方へは振り向けないのに、どうやってしっぽで洵さんの場所とかを感知しているんでしょう。しっぽに目でも付いているのでしょうか。
「あー……疲れたべさ」
 ともかく、布団が背中から取り払われてフッと身体が軽くなった洵さんはふうとため息をつきながら荷物を入り口に全部置くと、どさっと車庫にもたれてしまいました。
 なるべく日陰を選んで歩いてきたので、熱中症にはなっていないと思いますが……。
「大丈夫ですか?」
「あーあー、俺は大丈夫。ま、荷物を家の中に入れる作業くらいは自分でやってくれ」
「はーい」
 あたしはパラソルをたたみ、山になった荷物を片づけようと、食料品の袋を持ちます。
 何気なく、路地の方に目を向けます。

 視界の中に、一匹のネコさんが見えました。

「あ……」
 あたしと洵さん、同時に声を上げます。
 ネコさんがいること自体は別に不思議ではありません。このカスバの迷路にはどこからともなく現れるネコさんが約数千匹いるとも言われています。今日も、先導して歩いていましたけど、その時だけでざっと20匹は見かけたような気がします。
「チッ、今日は付いていないな」
 洵さんが舌を打ちました。
 そう、その猫だけは明らかに他の猫とは違うんです
 すらりとした手足、身体。
 長く伸ばされた二股のしっぽ。
 そして、何より、――黒いんです。
 真っ黒の、光さえも反射しない体毛が、全身を覆い、黄色い瞳がじっとこちらを見つめています。
「白猫」
 あたしの名前を呼んだ洵さんが、諌めるような口調で話しかけてきました。
「あまり近づくんじゃないべさ」
 洵さんの行動はごくごく自然な反応です。
 このマラシュケ区には古くからの伝統で、黒猫さんを忌み嫌う習慣があります。 あたしが住んでいた場所ではそう言う習慣はありませんでしたので、直接的にその黒猫をねたむことはないですが、雰囲気が違うことは肌で分かります。
 黒猫さんはあたしの方をじっと見ていましたが、ゆっくりと、こちらの方へと近づいてきました。
 後ろで洵さんがシッシッと手首を振ります。
 でも、黒猫さんはそれをプイッと無視してあたしの足元へと寄り添ってきました。
 二股のしっぽをふにふに動かしながらゴロにゃんと地面に横たわってお腹を見せてきます。
 ――ちょっと、可愛い、かも?
 あたしは、袋の中から、パックされた小さなお魚を一匹取り出します。
「お、おい、白猫、何をしようとしているんや」
「餌を上げるんですよ、餌を」
「そんなことしているとこの醜いネコに住みつかれるど?」
「その時はその時ですー。お腹がすいているだけですよ、きっと」
「……しらねぇぞ、俺」
 そう言うと、洵さんは改めて立ち上がり、地図を一枚渡すと、喉が渇いたから中央広場でオレンジジュース飲んでくる、午後三時にこの赤い丸の所に集合、と言い残して、去って行きました。
 ちょっと背中が寂しそうな気がしますが、多分あたしが前金のほとんどを使ったからでしょうね、きっと。
「うふふー♪ 可愛い」
 あたしはよしよしと黒猫さんの頭を撫でながら、彼女が魚を食べるところをじっと見ていました。こう見ると、なかなか器用に骨をどけてむしゃぶりついているのが分かります。
 やがて、骨を残してほとんどを食べ終えた黒猫さんは満足そうな無表情で、その場をスタスタと歩き去って行きました。
「よっと」
 あたしは中腰の状態から立ち上がると、改めて荷物を入れる作業を開始します。
 大工さんにあらかじめ家具などは入れておくように言っておいたので、実質、自分のする作業は荷物をそれぞれ所定の位置に置いていくことだけでした。
 食べ物はお連れさんが帰って来た時のために少し多めに仕入れておきました。
 ま、残ったら全部ドラゴンさんの口に放り込めは処理できますし。……動物虐待じゃありませんよ?
「はふー」
 所定の位置に置くだけ、とは言いましたが、それはそれでなかなかに辛い作業です。
 いちいち一階へ階段で下りて、荷物を抱えて昇る、という作業が特に。
 結局、休み休みで作業していたので、その作業だけで40分近くかかってしまいました。
 洵さん、もうちょっと雇うべきでしたね。
「さて」
 一階へと降りてくると、一つだけ大ボスが残っていました。
 ドラゴンさんのしっぽが華麗にクルクルしている布団セットです。しかも二人分。
 見るだけで嫌な予感プンプンです。
「あの、ドラゴンさん、そろそろそれを降ろしてくださいません?」
 覚悟を決めてそう言うと、彼はえー、面白くないーと言わんばかりのしかめっ面をして、ふわりとそれを地面に置いてくれました。
 それらを縛る紐を両手で持ちます。
「せぇのっ」

 ――ズ。

 あ、今の効果音、何も動かなかったという意味です。
「重いよー……」
 分かってはいたことですが、重すぎます。
 さっきまでクルクルと宙を舞っていた様子を見ていたので、なおさらにそう感じます。
 もしかすると、あたしの体重より重いのじゃないのかしら?
「んー、どうしよ」
 さっきの洵さんみたく、どっさりと壁にもたれてしまいます。
 これだけはいくらガッツがあってもやってられません。
 一階のひんやりとした日陰の場所に、思わず、うとうと。
 お昼寝、そう言えばまだしていませんでした。さっき、洵さんのおごりで喫茶店でランチも食べたので、お腹もいっぱいです。ふわぁ、と大きくあくびをして、また、どこかにトリップしていきそうです。
「んく――」
 今度こそ、あたしは深い眠りにいざなわれました。

 ………

 ふわり、と誰かに身体を持ちあげられる感覚。
 こつん、こつん、という階段を昇る音。
 優しく乗せられた所は何だか良い匂いのする気持ちの良い場所。
 そして、寝かされたその上からもふもふとした何かがかぶせられます。
 この感触は、お布団? 
 でも、あたしの家にはお布団なんてありません。
 だって、それはまだ一階に置きっぱなしですから。

 もしかして、誰かが代わりにやってくれた?
 でも、一体誰が?

 あたしの、待ち人さん――お連れさんが、もうたどり着いて、あたしの代わりに作業をやってくれた、という可能性を考えます。
 でも、それとは違う、凄く良い匂いのする人が、近くにいます。
 こんな香りを身にまとう人なんて、女性くらいしか考えられません。
 女性?
 でも、この街で知り合いとして考えられるのはせいぜい洵さんくらいしかいません。
「だれ……?」
 意識がだんだんとはっきりしてきて、あたしは声を出してその主を問います。
 その声の主は言葉を発しません。
でも、その人はあたしのすぐ近くにいるような気がします。
 彼女(彼?)はあたしの質問に答えず、ただ、座っているだけのようでした。
「ふふ――」
 突然、耳を微かな笑い声が通り抜けていきます。
 それを聞いて、あ、これは女性だ、と確信しました。
 あとは、その姿を拝むだけ。
 お願い、誰かさん、こっちの方を向いてください――
「また会いましょ。バイバイ、少女ちゃん」
 だけど、そんな期待を裏切るように、彼女は優しくあたしの髪の毛を撫でると、どこかへと消えて行きました。
 周りに、もう人がいる気配はありません。

「あぐぐ……」

 何とか疲れ切った体を持ち上げ、ベッド棚の上に置いてある時計を手に取りました。
 午後3時半。
 なかなか良いタイミングで起床できたようです。
 さっさと外着の服を着て、出かけましょうか。
 数時間前まで堅い所で寝ていたのが災いしたのか、どうも腰らへんが凝り固まっています。軽くまわしてみると、ぐきっと言って大きく音が鳴ります。
 あと、それと同じくらい頭もボーっとしています。なのに、頭は血が湧きあがっている感覚で、どうしようもないくらいに脳が回転しているような気分。
「冴えているんだか、冴えていないんだか」
 ホント、そんな感じでした。

「それにしても、さっきの人、誰だったんだろう?」
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とある少女とショーネンR18 〈一章〉
   - 10/2/15(月) 4:03 -
  
 ――PM3:45

 カスバの裏路地を通り抜けて、メディナのスークを、人ごみをよけながら歩いていきます。
 まだまだ暑い時間帯は続きますが、先ほどよりは日が傾き、他の国から旅行に来ているみなさんの顔に映る汗も若干少なくなっている気がします。
 え、元から住んでいる人は、って?
 やっぱり順応しているんでしょう、汗なんかほとんど出さないのです。
 あたしは旅行者ではありませんが、ここに住んでいた時期は短かったので、やっぱりこの高温の乾燥した気候には慣れません。雨ばっかりの雨季もじとじとしていて、カビも生えてくるので嫌ですが、乾季も汗は出るわ、肌はカサカサになるわで、嫌いです。
 そうです、あたしはホントはここにまた戻ってくるのには大反対でしたが、あたしのお連れさんが、どうしてもここがいいということで説得されて、結局、しぶしぶ納得。
 代わりに、あたしの我儘には結構付き合ってくれましたけどね。
「お、さっき大量に皿を買ってくれた嬢ちゃんじゃないか!」
 猫背になってうだっていたあたしに横から声がかかります。
 洵さんと買い物をした際、値の張ったカラフル陶器を手に入れたお店です。
 店の名前はフランス語で書いてあるため正しく読めません。
「どうも、こんにちは」
「また、たくさん買ってくれよっ!」
 あぁ、威勢のいい声だなぁ。なんて思ったり。
でも、もうちょっと会話しようと思ったら、彼は、店に訪れた旅行者のカップルに目を付けすぐにそちらと会話を始めてしまいました。
 あたしは、そそくさと、その場を離れて、目的地へと向かいます。
 商売人のみなさんも大変ですね。

 ――PM4:00

「ちょうどだべ」
「あたしの体内時計は完璧ですからね」
「……白猫って、結構、適当な嘘をつくねぃ」
「良い性格でしょう?」
「さ、依頼人がお待ちだ。急いでいくぞ」
 ガン無視ですか。いい度胸をしています。
 あたしは手鏡で、自分の『それ』が未だ変わっていないことを確かめると、彼の後についていきます。変わっていることなんて、この時刻ではありえないのですが、一応確認ということで。
 屋敷の景観は、何と言うか、古き良き王宮を思い起こさせるような場所でした。
 あ、王宮と言っても、チャオの生首がどんと乗っかっているイメージではないですよ。
 それはモスクというもので、本来の王宮ではありません。内容は至って簡素です。
 白い建物――おそらく、本館でしょう――の左右に、ウィンドタワという四角い塔が一本づつそびえたって本館と繋がっています。ウィンドタワーって言うのは、文字通り、長い棒を建物から突き出させて、上手く風を塔内に集めこんで、そのまま建物に送るための塔の事です。いわば、昔の自然エアコン。
 特徴といえば、それくらいでしょうか?
 まぁ、周りの一般市民の家よりはよっぽど大きい……むしろ、超巨大ですし、荘厳なんですけれど。
「ようこそいらっしゃいました」
 門から入って、広い庭を暫く歩いていると、いかにも執事、というおじさんがあたしと洵さんの前に現れました。
「どうぞこちらへ」
 スタスタと、女性のあたしでも付いていけるように、その歩調は穏やかで、きちんと教育されている感じです。
 うーん、金持ち。
 建物の中は、ウィンドタワーを備えているおかげもあってか、涼しい乾いた風が通っていて、汗を優しく乾かしていってくれます。
 そこら中に書かれた幾何学模様は、外者のあたしからしたら慣れないモノでしたけれど、何となく、高級感に溢れていることだけは分かります。
 うーん、やっぱ金持ち。
 そうして、赤いカーペットを下に見ながらしばらく進んでいると、広い廊下よりも、もっと広い部屋にたどり着きます。
 リビングでしょうか。
 ……うわっ、テーブル長っ!
 そして、椅子! 椅子! 椅子! 椅子!
「あの、おじさん」
 思わず気になったので、身なりのいい執事さんに声をかけます。
「はい、何か、ご要望でも?」
「いや、このリビング収容数何人くらい集まるのかなぁって。アハハ」
「こちらのリビングは、主人がお客様をもてなすために作られたお部屋です。年に一度、大きな催しをするときには、約150人が座れる設計にしてあります」
「あらまぁ!」
 三桁、それはビックリです。
「お好きなところに、お座りください、もうすぐ主人が参ります」
 そう言って、執事さんは一礼をすると、入口に立ちます。
 洵さんは、畏まってしまったのか、小さくそこらへんの席に座ります。普段は庶民中心に商売を展開する彼ですから、あまりこう言う場所には慣れていないんでしょうね。
 ま、所詮金髪野郎ですし。

 ――かく言うあたしもその隣の席で小さく丸まっていましたが。

「やぁ! ようこそわが屋敷へ!」
 突然ハイテンションな大声とともに、背の高い恰幅の良い大男がスーツを身にまとって入ってきました。
 洵さんと二人、高級な椅子とテーブルに挟まれて、棒でつつかれたダンゴムシになっていたんですが、その声でバッと一斉に顔を上げます。
 思っていたよりも年老いており、髪の毛も白く……というか、殆ど残っておりません。
 HA☆GE?
 あぁ、それ禁止ワードなんで決して口には出しませんよ。
「あは、あははは……」
 そのテンションに思わず空しい笑い声を上げてしまいます。
 男はこちらの方に気づくと、ずしんずしんと寄ってきます。
「君が白猫君かね?」
「え、えぇ、まぁ……」
 その時のあたしの顔は凄く不細工だったと思います。
 彼は、あたしの反応に少し首をかしげましたが、やがて右手をこちらに差し出してきました。
「え? え?」
「握手だ。仕事をしてもらう前に、顔は覚えておかないとな。私はリブリッツという。よろしく」
「あ、はい、こちらこそ。あたしは……ええと、く、じゃないや、白猫って言います。よろしくお願いします」
 おずおずとあたしの手を出して、彼と握手します。
 恰幅が良いのは肥満体型だからか、と思ったんですが、彼の手を見るに、それが 全部、筋肉のおかげなんだと言うことに気づきます。
 もしかして、お金持ちの所以、アウトローな世界ゆえなんでしょうか?
 例えば、コルレオーネ家とか? 
 いやいや、まさか。
「さて、今回の本題だが、孫の飼っているピュアチャオをヒーローにしてほしいのだ」
「ええ、そのことに関しては既にこの方から聞いています」
 あたしが洵さんの方を指すと、彼はへこへことしながら、そうなんです、ハイ、とただただ頭を下げています。
 ここまで自分を卑しくすることが出来ると、逆に尊敬です。
「随分と、下手に出る彼氏のようだが」
 苦笑いを浮かべるリブリッツさん。
 下手に畏まっているだけだと、逆に嫌味がられるモノですよ、洵さん。
「下手に出るじゃなくて、ただの弱虫です。弱虫ゆえにあたしの彼氏なんかじゃありません。ビビりさんなので、放っておいてください」
「あはは、そうなのか。まぁいい。付いてきてくれたまえ。仕事が出来るのは彼ではなく君なのだろう。バルサ、その男には何かお茶でも差し上げろ」
「かしこまりました」
 執事の人はバルサさんというらしいです。
 バルサさんは、リブリッツさんの言葉を受けて、一礼をすると、どこかへ歩いていってしまいました。推測するに、雇っている人は必要最低限、と言ったところです。

 ………

 廊下を歩く音だけがコツコツと響きます。
 なんだか、少ない人数でこう言う広い場所を歩くと、何とも言えない寂しさがありますよね。お孫さんとそのチャオちーは裏庭にいるとのことで、そこまで移動しているんですが、かれこれ3分、まだ裏庭は見えません。
「君は、こう言う広い家に住んではいないのかね」
 リブリッツさんが、静寂を破るように口を開きます。
「えぇ、まぁ」
「でも、君みたいな能力を持つ人は、私たちみたいな人間から高く買われるだろう」
「……そいえば、そんな感じかもしれません」
 過去に、そう言ったお宅にも仕事しに行ったことはありますからね。
 確かに、あまり自分で積極的にならないだけで、もっと自分のこう言った能力を売りこめば、こういった人たちに目を掛けてもらえるようになるのでしょうか。
 でも、そう言うコネがつくと、自由に移動も出来なくなる気もします。
「君はそんなふうに金持ちの人間の集まりに首は突っ込まない方がいい」
「え?」
「こう言う世界は、自由じゃない自由を与えられるんだ」
 なんだか哲学的な言い回しに、あたしは、はぁ、と軽い返事しか返せません。
 リブリッツさんも、良い感じに年をとって、社会の荒波にもまれていたのでしょう。
 言葉に乗せられた雰囲気の重たさが、何となくそれを伝えてきます。
「実はな」
「はい」

「私は昔とあるマフィアの幹部だったんだ」

 ……ん?
 ………。 
 ……んんんんんんぬぅぁんですとぉ!?
 オイ! 洵! 
 ちょいツラ貸せコラァ!

 ……全く。
 あのおバカ弱虫パツキン野郎はあたしがこの仕事に乗らなかったら一体どうするつもりだったんでしょう。あたしのお連れさんには、絶対にギャンブルにだけはのめり込まないようにしなければいけないですね。
 まぁ、あの人は、そんなことに興味はないと思いますけど。
「聞いていなかったのか?」
 内心の葛藤を読まれていたのでしょうか。
 リブリッツさんが心配そうな顔でこちらを向いてきます。
「えぇ、全く」
 ちょっと言葉が刺々しくなってしまいます。
 彼は大きな図体で大きなため息をひとつつきました。
「あの男、肝心の嬢ちゃんに何も伝えず、前金をもらっていたのか。酷い野郎だ」
「ホント、ふてえ方です。この仕事が終わったら、死なない程度に仕込んでおいてください」
「ハハハ、私はそんな半殺しのような真似はしないさ。ま、ある程度のお仕置きはしておかないとな」
「えと、お願いします」
 ぺこり、とお辞儀をします。
 リブリッツさんは大声で笑うと、いつの間についたのか、大きな鉄製のドアをバッと開けます。

 そこは見たこともない、世界でした。

 巷で聞いたことはあります。
 チャオちーはより綺麗な環境を好むと言うことで、お金持ちの人は、好感度を高くしようと彼らにとって住みよいガーデンを作るとのこと。
 通称ではチャオガーデンと呼ばれているそうです。
「ここって……」
「聞いたことあるかい。そう、この場所はチャオガーデン。チャオの好感度をより高くするために作られた楽園みたいなものかな」
 あたしは日光が程良く浴びせられたガーデンを見渡します。
 大きなプールは白色の淵で作られており、同じく真っ白の噴水からは綺麗な二字曲線を描きながら、透明な水が噴き出されています。
 隣には――飛び込み台……? いや、崩壊した古代の建物をモチーフとした装飾でしょうか――が置かれています。プールの周りは全て人工芝で覆われており、ふわふわとしていて寝心地が良さそうです。
「なかなか、手が込んでますけど」
「これは、古代書で見つかった『ヒーローガーデン』という場所のモチーフさ。古代でもそのような愛玩動物を買うための場所があったんだろうね」
「へぇ」
 考古学にはそれなりに興味があったはずなんですが、そんな古文書聞いたことありません。
 疑問に思っていると、誰かが、遠くからあたしたちを見ているのに気づきました。
 その隣にはチャオちーらしき姿も見えます。
「あら」
 とてとてと近づいてくるお孫さんは、人形のように可愛らしい少女でした。
 海の色をした瞳がまんまるとなってあたしの方を見つめています。金髪の、少し癖のついた感じがまた、いやらしいくらいにキュートさを醸し出しています。
 いや、全く、おじいさんの容貌とは似ても似つかな――何でもありません。
「ん?」
 でも、彼女がそういうふうなのと対照的に、少しピュアチャオの様子がおかしいです。
 どことなく、暗く、性格がネガティブな気がしてならないのです。
「チャオはこのままだとダークに進化するだろう」
「え?」
「知らないのか。ピュアチャオは、幼少時にわずかに身体の色が変化して、ダークになるか、ヒーローになるかが決まるんだ」
「じゃあ、あれは……」
 あたしの目に、狂いがあったんじゃないんです。
 あのチャオは本当に黒くなってしまっていたんです。
「そう、まさにダークチャオになる前段階。だから、頼む、このチャオを撫でて、ヒーローチャオにしてくれないか」
 リブリッツさんはそう言うと、ぱん、と手を合わせてあたしに懇願してきます。
 その様子に、彼の想いは本気だと言うことが分かります。
「ま、まぁ、それはいいんですけど」
 ただ、違う……。
 頭の中で、違和感を覚えます。
 何かがおかしいのです。
 それは少女があたしを見る表情か、この元マフィアの人が小娘相手に手を合わせていることか、チャオちーが黒くなりかけていることなのか。
 いや、それとも別の何かの――
 色々と頭にはてなマークを付けながら、彼女らに近づきます。
「え」
 微かに、声がしました。
 その高く澄んだ声がお孫さんの声だと気付くのにはしばらく時間を要しました。
 プルンとした薄ピンクの、小さな唇。
 それが震えているみたいに、ごにょごにょと動いているのが分かります。
「……め」
「え?」
「さわっちゃ……め」
 良く聞き取れない言葉を発しながら、お孫さんはプルプルと泣きそうな顔をして、あたしたちの方を睨みつけてきました。
 いつの間にか、チャオは彼女の後ろに隠されるようにしている立ち位置になっています。
 触るな、……ということなのでしょうね。
 あぁ、違和感の答えがわかりました。
 つまり、それは。
「ミゥ、チャオを渡しなさい」
 穏やかな声で、リブリッツがお孫さんを諭します。
 お孫さんはそれをジトッとした目つきで見つめると、その場を離れまいと、足にぐっと力を込めているようでした。リブリッツさん自身も、その表情や口調は優しいのですが、腹の底から出る迫力が、何とも言えない強制感を出している気がしないでもないです。
 険悪なムード……。
「ミゥさんって言うんですか、素敵な名前です」
 と、心配したのもつかの間。
 思わず、空気を読まずにお孫さんの名前に感動してしまいます。
 自分なんてネコさん呼ばわりされるのに、素敵そうな名前で何よりです。
 すると、さっきまで唇をギュッと引き結んでいたお孫さん――ミゥちゃんが、穏やかそうに目つきをとろんとさせて、こっちの方を向いていきます。
「お姉ちゃん、ありがと」
 少し首をかしげながら、にっこりと笑います。
 か……可愛い……かわいすぎるよ!
「ミゥ、お願いだからこっちへ来ておくれ」
 けど。
 後ろから来る空気の読めない発言が、彼女の表情をまた堅くしてしまいます。
 絶対に言ってはいけない言葉なんですが、思わずHA☆GEという言葉が舌の先まで出かかっていました。危ない危ない。
 もし言っていたら、こっちは毛どころか魂まで抜かれますものね。
 それに、良く考えればどっちの方が空気読めない発言なのだか。
「リブリッツさん」
「ん?」
「暫く、二人にさせてもらえませんか。何とか、あたしがチャオちーを進化させる前までに説得してみせます」
 いくら、あたしの話題が脇道にそれていても、彼女が笑っている表情の方が説得もしやすいですし、お話を聞くことも出来るでしょう。
 あたしの提案に納得したリブリックさんは、心配そうにこちらの方を一瞥していましたが、やがて、ドアの向こうにへと消えて行きました。コツコツ、という音がしなくなり、チャオガーデンにはあたしとミゥちゃんの二人きりになります。

「はじめまして、ミゥちゃん。あたし、白猫って言います」
 改めて自己紹介。
 ミゥちゃんは興味深そうな目であたしの方を見てきます。
「白猫さん? おねぇちゃん、ネコさんなの?」
「んー、違うよ、本当に、そう言う名前なの」
「そうなんだぁ、良いなぁ、動物さんの名前なんて」
 キラキラと目を輝かせるミゥちゃん。
 行動がいちいち可愛いすぎます。襲っちゃっていいのかしら?
「ミゥちゃん、年はいくつ」
「7歳」
 7歳ですか、食べごろですね――じゃない!
 なんとまぁ、あたしより10歳も年下なんですか、この子。
 その割には、しっかりしていると言うか、何と言うか。
「よいしょっ」
 草原の上に腰を下して、ごろりん、とねっ転がってみます。
 さっきからやりたかったんです。ふわふわした草原ですもの。
 ただ、依頼主さんの前ではさすがに自重していただけで。
 え? あぁ、ガキですか、そうですかー。
 いいもんいいもん、そっちの方がお連れさんも可愛がってくれるもん。
「……白猫お姉ちゃん?」
「ん?」
「チャオさんのこと、なでるために来たんじゃないの?」
 さすがのしっかり者。
 あたしの事もきちんと耳にしていたんですね。
「ミゥちゃんはチャオを撫でてほしいの?」
 でも、あたしはその言葉に答えず、彼女の核心に触れる質問をします。
 違和感の正体は、まさにこれ。
 洵さんが言っていたことも、同じような仕事をあたしに頼んだ人も、全部、〈自分の〉チャオを何としてくれと頼んでいたエピソードです。
 でも、彼女は、あたしが来ても頼み込むようなこともせず、ただ、あたしをじっと見ているだけだったのです。
 だから、大体分かるのです、彼女の言う答えは。

「……ううん」
 少女は遠慮深そうに、でも、はっきりと〈嫌だ〉の意思表示をしてきます。
「でしょ? だから、あたしは撫でない」
「でも、それだとお姉ちゃん、おじいちゃんにおこられちゃうんでしょ? おかね、もらっているんでしょ?」
 あぁ、ミゥちゃんって、可愛い上に優しいんだなぁ。
 こりゃ将来、沢山悪い虫が寄りついてくるだろうナァ。
 ……まぁ、あの恐ろしいポテンシャルを秘めたおじいちゃんが御存命である限り大丈夫だとは思いますけど。
「大丈夫」
「でも、おじいちゃん、こわいよ? おこると」
「ふふん、そんなのあたしが一言言えば、大丈夫です、よっ」
 実際は内股ぶるぶるでしたが。身体は何よりも正直です。
 彼女も、それに気付いたのか、クスリと笑います。
「おねえちゃんって、ウソつくのすき?」
 洵さんに言われれば癪に障った言葉も、彼女に言われると、何だか和んだ気持ちにになってしまいます。
 あ、これが贔屓って言うんですかね。
 なかなかいいものですね。ひいき。
「良く言われるけど、別に良いじゃん、すぐばれるんだし」
「おねえちゃんってヘン」
「うーん、変かなぁ。うん、多分。お連れさんの影響です」
 そう言い訳すると、怪訝そうな顔をしてミゥちゃんがこっちを見てきます。
「人のせいにするのは、よくないです」
「ごめんにゃさい……」
 こんな年下に丸めこまれちゃうキャラではないはずなのに!
 うんうん唸っていると、ひょいっとミゥちゃんが何かを差し出してきます。
 彼女の、ちょっと黒ずんだ、チャオちーです。
「……」
 撫でろってことなんでしょうね。
「どうぞ……」
「どうぞ、って言われましてもねぇ」
 ミゥちゃんの瞳は、さながら土だけで作られたダムのような、氾濫した川の堤防がピキピキと崩れかけているような。
 めちゃめちゃ泣きそうになっているんですよ?
 撫でろと? この状態で撫でろと?
 答えは決まっています。
「駄目です」
「でも、なでないと」
「撫でないと殺されちゃう、なんてことはないですよ。初めて会う人に、そう言うことを考えて行動できるミゥちゃんは凄いです。でも、それじゃあ、何にも解決しないじゃないですか?」
「……」
「解決って言っても、実際何も分かっていないのはあたしなんですけどね。ただ、一つだけ分かるとしたら……」
「え?」
「このまま単純に撫でたらミゥちゃんが、悲しむって言うことです」
 あたしはそう言うと、両手を後ろでつないで、チャオに触らないようにします。
 フフッと笑いかけると、ミゥちゃんは悲しそうな――でもどこかホッとした表情を見せます。しっかり者と言っても、7歳の女の子に変わりはないのです。その真意はすぐに読み取れてしまいます。

 ――やっぱり、この子は、自分のチャオをヒーローにしたくないんだ。

 でも、その理由は何なんでしょう。
 普通、この年の子だったら、男女関係なくヒーロー、というモノにあこがれる年齢じゃないのでしょうか。少なくとも、ハードボイルドの、人をガンガン撃ち飛ばしていく人々にあこがれている、なんてことはないでしょうね。
 考えがまとまりません。
 そもそも、どうして彼女のチャオが黒いのかさえも見当がつかないのです。
 ……一旦出直すとしましょうか。
 草原からよっ、と身体を起こして、お尻についた屑を払います。
「おねえちゃん、かえるの?」
「うん、また明日も来るからね」
「……ごはん、いっしょにたべよ?」
 空の色がオレンジから赤へとグラデーションしています。
 腕時計の時間を確認すると、もうそろそろ5時半、と言ったところです。
 確かに、すっかり夕飯時ですね。
「うーん、どうしようかなぁ」
「ご飯、広い所でおじいちゃんとミゥだけで食べるの」
 広い所?
 ……も、もしかして、あの場所かい!
 あぁ、それは確かに苦痛以外の何物でもないかも。
 最近はリブリッツさんとも心の壁が出来ちゃっているみたいですし。
 可哀想という気持ちもありますし、仲良くなるチャンスなんで、ぜひともご一緒したいのは山々なんですが……どうしましょう。
「うーん、でも、今日は、――」
「きょうのおりょうりはちゅうかで、からあげとかラーメンがでるらしいです」
「行きます」
 即決。えぇ、行きますとも。
 理由:鳥の唐揚げがまさかこんな場所で食べられるなんて!
 ごめんねミゥちゃん、食い意地張った女で。
 正直、夜になって他の人と近くにいるのは怖いんですけど……あの部屋にいる限りは大丈夫でしょう。

 見えませんから。ね。

 ――PM7:00

「今日はホント、いろいろとありがとうございました」
 夕食を終えて、あたしはリブリッツさんと二人で出口の方へと歩いていました。
 幸いにも、方向的に見えることはないので、今すぐここであたしの秘密を暴露することはないでしょうけども、大事を取ってなるべく室内方向の壁にそって歩き続けます。
「嬢ちゃんは、明日もまた来てくれ。ミゥも喜ぶ」
「えぇ、是非。というより、あたしの場合、仕事を遂行しないと詐欺師になっちゃいますからね。前金、殆ど使ってしまいましたし」
 ぺこりと謝ると、いいんだ、いいんだとリブリッツさんが手を振ります。
「ミゥがあんなに喜んでご飯を食べるなんて久しぶりだからな。ミゥが楽しく生活を出来るようにしてくれただけでも、君には感謝しないといけない」
「いえいえ、そんな、滅相もない」
「……それに、本当はヒーローになんか、出来ないのかもしれないしな」
「はい?」
「チャオを普通に可愛がって、ヒーローになるか、ダークになるかは、遺伝でも変わってくるらしい。つまり、だ。過去に色々な犯罪を重ねてきた人間の子供、孫は、そのまま同じようにダークとしての遺伝が移ってしまっている可能性があるんだ」
 何とも言えない神妙な顔をしながら、リブリックさんはそう言いました。
 彼の言わんとしていることは大体分かります。
 そりゃ、あんな可愛い子が普通に可愛がってダーク色に近づくなんて、あり得ないですものね。
 でも、たかが遺伝でそんな形質まで変わるのでしょうか?
 どこか、心の奥に引っかかるものを感じていると、いつの間にか、入口がすぐそこにありました。
「では、ここからは一人で行きますので」
「そうか、門までは」
「御心配に及びません。こんなところまで主人がわざわざ来てくださっただけ、こちらとしてはありがたいことこの上ありません」
「分かった。では、また明日の昼にでも会おう。ミゥとまた遊んでやってくれ」
「ハイ。では、今日は本当にありがとうございました」
 深くお辞儀をして、入口の扉を開けます。
 外は砂漠王国らしい、神秘的な光景が広がっていました。
 遠くに見える角ばった建物の集まり。それが黒いシルエットを形成しています。
 赤い光が集まるあそこは、中央広場でしょうか。
 フフフ、やっぱり、この景色を見ると、引っ越して良かったなぁと思ってしまいますね。
 お連れさんには少し感謝をしないといけないかもしれません。

 ――ふと、上空を見上げると、まだかすかに明るい夜空に浮かぶ、一輪の三日月が目に入りました。

「早く来てくれないかなぁ……」

 ………

 暗闇があるからこそ星が瞬く
 日向があるからこそ日陰がある
 善があるからこそ悪が黒く身を染める
 悪があるからこそ善が白く身を染める
 この世界はいつでも表裏一体
 この世界はいつでも白と黒が交わることはない
 さぁ歩け人間 
 黒から白 
 白から黒へ 
 どこまでも――

 ………
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とある少女とショーネンR18 〈一章〉
   - 10/2/15(月) 4:07 -
  
――トゥキョオ区郊外 AM2:30

 はぁ、――と息をつきながら、ふと前を見る。
 膝下まで伸びる黒いコートを纏っても、冷たい風は容赦なく俺の身体を突き抜けていく。
 銀色に染め上げられた砂だけの世界の上にぽつねんと浮かぶ、幻想的な三日月。
 ダイヤモンドリングの欠片のようなそれは、鮮やかで、かつ繊細な光を放ちながら、こっちを見下ろしているようだった。
「お久しぶりです」
 星空の下。
 黒いコートを纏った俺は、大きなカバンを持って、迎えの車に近づいていく。
 車に寄りかかっている長身の男に、俺は見覚えがあった。
「久しぶりだ、我孫子」
「ハハハ、未だに僕を名字で呼ぶのは貴方くらいですよー」
「お前の名前はありきたりすぎるからな、そう言うのは嫌いなんだ」
 俺と我孫子、二人とも、言葉の応酬が喧嘩腰であるが、これはいつもの事だ。別に仲が悪いというわけでもないので、誰も気にしなかったし、俺たち自身もこういう軽口の叩き合いが好きだった。
 二つの口から白い息が漏れる。
 一週間前くらいに、俺と連れで引っ越すことにしたのだが、色々と手続きが必要とのことで、俺だけが残り、ドラゴンと黒猫を先にマラシュケの方に送った。
 こっちは車で追いかける算段だったが、、途中でガソリンの量が足りず、約一時間かけて砂漠を歩き続け、やっと道があるところまでたどり着いた。偶然、我孫子からの着信があったので、彼にすがり、こうして迎えに来てもらっているのである。
 これだから、科学技術は信用できない。
 まぁ、心配せずとも、ドラゴンは賢い動物で、行先はきちんと分かっているはずだし、アイツのことも、ボディーガードとしてのドラゴンと、何日分かの食料があれば大丈夫だろう。だから、急ぎ旅になる必要はないのだが、どうも定刻通りに事が運べないとイライラしてしまう。
 ……ジャポネの原住民の悪い癖だ。

「そろそろ行きましょうか」
 我孫子の言葉に、あぁ、と軽く返事をし、助手席に乗り込む。
 エンジンがかかり、目の前のラジオやCDのプレイヤーのボタンが青く光り輝く。モニターにはFMの文字が出ているが、この場所は圏外であるようだった。
 久しぶりの車の感覚。
 俺はふぅ、と息をついてシートにもたれかかった。
「随分と、お疲れのようですが、改めて、おかえりなさい」
「お帰りなさい、か……。なんか、お前に言われると虫唾が走る」
「でも、世間一般ではそう言うのが常識ですよ。僕も、同僚に対しては上辺の心遣いをすることを怠らないようにしているのです」
「上辺って言っている時点でもう意味ねぇよ」
「アハハ、確かにそうですね、……それより、貴方、以前より逞しくなってませんか?」
 今度は本音なのだろう、俺の方をまじまじと見ると、フゥと残念そうな溜息をついた。
「残念だったな。俺は、どの世界に飛ばされようが、生きて帰ってくる自信があるんでね」
「だったらむしろベルベル砂漠の向こうにある、密林の奥地で修業でもしてきてください」
 そこで熱病にでもかかってしまえば、流石の貴方もくたばるでしょうし、と付け加えて、我孫子は運転を続ける。
 砂漠に続いていた道なき道を通って、国道に出てくる。
 そして、だんだんと、誘蛾灯だけだった単調な道が、光に囲まれるようになる。
 あちらこちらに中小企業のビル――夜中まで光が漏れているとはお疲れ様なものだ――や、ラブホテルが散見される。例の青い看板を見ると、トゥキョオ中央区までは後五〇km、と書いてあった。
「なかなか、遠いですね」
「あぁ」
「今日はトゥキョオに一泊していきます?」
「だな。もう、世間では幽霊が出る時間だ」
「いえいえ、2時45分だと微妙に外れます。幽霊は二時半までですから」
 ハンドルを華麗に操りながら、国道を少し飛ばして走る。
 まさか、違反切符取られるくらいでムショ行きは無いだろうが、どうしても怖くなってしまい、きょろきょろとあたりを見回してしまう。
「王目(ケーサツ)はここら辺は見ていません。無論、スピードメーターもありません」
 俺の考えをあっさりと読みとったのか、前を見据えながら我孫子は言う。
「そうやって僕にアドバイスしたの、アナタじゃないんですか?」
「あぁ、確かな。車運転する先輩として、常識を教えてやろうと思ったんだ」
「何が常識ですか。あぁいうのは抜け穴って言うんですよ」
「そうとも言うー」
「……どっかで聞いたことあるフレーズですけど、まァいいです。ところで、いつもアナタの後ろをとてとてと着いてくるあの可愛らしい女の子はどこに行ったんですか?」
「先に向かっているさ。もう、家にたどり着いているだろうよ」
「また突然の引っ越しですね、あのコ、文句言わなかったんですか?」
「言ったよ。海が見えるこの街の方が良いー、砂漠なんて熱いし寒いしでイヤ、って」
「上手く丸めこんだんですね」
「ちょっと、マネーが幾分が飛んで言ったけどな」
 我孫子はその言葉に軽く笑うと、今度はハンドルを左に切った。
 いつの間にか、周りは様々な光に覆われ、この車に次々と降り注いでいく。
 ジャポネ共和国の唯一無二の科学技術都市、トゥキョオ区。何色もの光が我孫子の顔を横切っていく様は、何とも都会を走る車に乗っている気分で、興奮した。

 パブの艶めかしいライトアップ。
 ネオンで出来た看板を振りかざすパチンコ店。
 飲み屋の赤い提灯。
 ホストクラブのカンカンとした白いライトアップ。
 眩しいショウウィンドウから見える高そうなブランドを指くわえて見ている女。
 一見レストランっぽく、多分中では若者が戯れているであろう煌々とした建物。
 カラオケ店の見た目も中々に派手さを増している。
 ビルから流れてくる今時の理解しがたい音楽が耳についてくることもあれば。
 クリプトプシィさながらのバイクや改造車の轟音が目の前を通り過ぎていく。
 
 ――そして、汚らしく飾りつけられた街を見下す三日月が、見覚えのあるタワーに若干重なりつつも、こっちを照らしていた。

「砂漠でも見たけど、今日は月が綺麗な日だな」
「フフ、タワーが見えたからって、別の対象に話を置き換えないで下さいよ。見えているんでしょ?」
「あぁ、見えているさ。いつ見ても不細工な帝都タワーだ」
「そう言うこと言わない約束です。それ街中で言って右翼に殺されそうになったじゃないですか」
「ふう、右翼も分かってないな、なんであれが帝国時代のジャポネの象徴としてあがめられるんだ? 中身は全然違う機関だってのに」
「歴史の重みって言う奴ですよ」
「歴史があるものなら、さっさと崩壊すりゃいい」
「もう、何イライラしているんですか」
「眠たいんだよ。ベルベル砂漠の真ん中を何時間運転したと思って」
「そんなこと言うなら僕もこんな夜中は普通寝ていますよ。ふう。……でも、トゥキョオって絶倫な街ですね。ホント、ビックリしちゃいます」
 絶倫の街とは、なかなか乙な表現をしてくれる。
「あぁ、確かに、なんか飯時みたいな気がするくらいだ」
「でも、我慢してください。僕もアナタも、所長の命令には逆らえないんですから」
 所長、と聞いて、俺は顔を暗くする。
 あぁ、そうだ、戻ってきたのだから、そのうちアイツと顔を合わせることにもなるだろう。そう思うと、どうも気が滅入ってしまう。
「所長、嫌いですか?」
 ストレートな質問をしてくる彼に俺は苦笑いをして、
「さぁな」
「僕も、そんな感じです」
 ただ、正直なところ、アイツとは深くは付き合いたくない。
「どうも、性格がなぁ……」
「どうも、性格がですね……」
 同時に同じ言葉を口にした俺と我孫子は、そのシンクロぶりに、思わず吹いてしまった。
「考えていることは同じだ」
「みたいですね」
 と、そこで、急に何かを思い出したかのように我孫子がアッと声を上げる。
 そうして、車を路肩に止めると、助手席と運転席の間に置いてあった袋から、缶コーヒーとおにぎり、サイドフードをいくつか取り出してきた。どうやら、俺のために買い置きしていたらしい。
「サンクス」
「久しぶりのコンビニ食ですよ。考えると、なかなか恋しい食べ物じゃないですか」
 アクセルを踏みなおして再び街に躍り出る。
「それもそうだ」
 確かにハチリア島区にはコンビニというモノは存在さえしていなかった。
 カッツ、とコーヒー缶を開けると、生温くなってしまったそれをのどに流し込む。
 鼻つまりがひどくて口で息をしていたのか、カラカラになった口内に、その生温かい液体はいい感じで染みわたっていく。
 コンビニのおにぎりを開けると、それに片手でガブリとかみつく。
 やはり、具はシーチキンマヨネーズだ。
「俺の好み、良くわかってくれているな」
「ありがとうございます、でも僕は安いものならおかかなんですが」
「あれは邪道だ」
「そう言うと思いました。ちなみに、そのおにぎり、全部シーチキンマヨネーズです」
「……それもそれで、ひねりが無さ過ぎる」
「良いんですよ。僕の懐が温かくなりますから」
 そんなことを言って嫌味な笑顔を浮かべつつも、無駄に高いサイドフードもいくつか買ってきてくれているところが、我孫子らしい。
 チキンを単体で食うなんて、何か月ぶりだろう、と思うくらいだった。
「とりあえず、今すぐマラシュケはあまりに遠いですから、一旦どこかで一泊」
「あぁ」
「それと、せっかくですし『あの店』にも寄って行きますか?」
 流麗なハンドルテクニックを見せつつ、横目で我孫子が俺の方を見る。
 あの店、というのは、ちょっとした銃器や爆弾を扱っている違法店の事だ。
 そう言えば、以前住んでいた街が検問が厳しく、銃器は一旦破棄してしまったと、我孫子に言った覚えがある。彼はきっとそのことを覚えていたのだろう。記憶能力、という点に関しても、彼はよっぽど俺より優秀なエージェントだった。
「そうしてくれ」
「はい、分かりました。……砂漠の街ですかぁ、僕も住んでみたいです」
「俺の場合は仕事があるからだ。仕事、変わるか?」
「お断りします」
「チッ、連れないな」
 俺はフッと笑うと、タバコを箱から一本取り出した。
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とある少女とショーネンR18 〈一章〉
   - 10/2/15(月) 4:15 -
  
 ――トゥキョオ区、ジャンク市街 AM3:00

 ――トゥキョオ区東部商工業取引市街。
 トゥキョオの中央から東部に数十キロ離れた所に位置する、通称ジャンク市街。
 ショーン=レーンのイカレたギタープレイがBGMになって流れるような街。
 どこかしこで聞こえてくる会話はたとえマルチリンガルでも全ては理解できないだろう。
 海外の、名も知れぬ不法入国者の溜まり場だ。
 それだけじゃない、違法業者、犯罪者、指名手配犯、アウトロー。
 そんな肩書を持ったクズどもが集まる、クズの市街。

「久しぶりに来た」
 眩しすぎるくらいのライトに顔を照らされ、思わず片手で目を覆う。
「やっぱ、すぐに順応できる街ではないな」
「そうですねー。僕も、さすがに一人でここを歩こうとは思いません」
「お前の場合、身体能力の高さが外見に現われていないしな。苦労するだろ」
 実際、怖そうな雰囲気を出していると良く言われる俺が同伴していても、我孫子は単体で絡まれるときがある。
「眼力が無いんじゃないのか、って思っているんですが」
 親指の出っ張ったところで目の付け根をぐりぐりとして、へへっと笑う。
 確かに、こんな優男はすぐに絞れそうな雰囲気しかしない。
 もちろん、我孫子とマジでやり合って勝てる奴はそうそういないだろうけれども。
「にしても、一つ一つの店の音量でけぇンだよ」
 思わず、文句が声となって出てしまう。
「オッサンみたいなことしないでくださいよ」
「るせぇ」
「ふふ……あぁ、これ、拍子が安定しない曲ですねー」
 彼が指さしたのは、ジャンク市街ではまだまともな位置にあるだろうレストランのような所。午前3時に営業している時点で、もう普通ではないのかもしれないが。
「あー……、Pain Of Salvationか」
「なんですか、そのバンド」
「いや、普通の人は聞かないバンドだから、スルーしてくれ」
「……は、はぁ」
 コートに手を突っ込みながら、ガヤガヤとした雑踏を通り過ぎていく。
 肩がぶつかったくらいで文句を言ってくるような人間は、ここにはいない。
 それで文句を言ったら、相手が自分より弱くない限り、確実に殺される。
 だから、よっぽど、ゴミみたいに集まってたむろする連中よりはよっぽど扱いやすい人も多いし、自分がある程度立ち回りをしっかりしておけば、知り合いかって容易に作れる。
 そして、その知り合いは時として強力なバックアップをしてくれるのだ。
「着きました」
 我孫子がそう言ったので顔を上げると、なじみのある古びた看板がつるされた、ぼろぼろの廃屋が目の前にあった。
 看板自体にライトアップはされていないが、廃屋の窓から漏れる光で、かろうじてその文字は読める。
 ――喫茶メヘンディ。
 この看板名を見ると、いつも吹きそうになるのは俺だけなのだろうか。
「王目の目をごまかそうにも無理がありすぎるだろ」
「〈ユー〉さん曰く、昔は本当に喫茶店をここで開こうとしていたらしいですよ」
「ここに!? ……その時点で、もうダメだろ」
 ジャンク市街に普通の店を建てることは確かに可能だ。
 だが、普通の営業時間で営業しようものなら、大変な目に会う。
 ここは夜中に営業していることが当たり前の街。常識など通らないのだ。
 夜中に暗い建物はつまり、空き家として認識され、酔っ払いに侵入されるわ、ホームレスが壁を破壊して、中に泊ろうとするわで、結局実質的にろくな商売など出来なくなるようになるが関の山。
「で、喫茶店を目指していた純粋無垢な少女は、今ではオバはんになって銃器や爆弾を売り払っていると」
「まとめると、そう言うことですかね」
「ハッ、情けねぇ」
 と、俺がそう呟いた瞬間、ガランと、勢いよくシャッターが開いて、中からレンチを持った女性が身を乗り出してきた。

「今、私の事おばさんと言ったヤツ、もしかしてシグかい!?」

 先ほどのBGMのように、ワーワーと喚き散らす顔がススだらけの女性。
 彼女こそが、この喫茶メヘンディのオーナーである、ユーだ。
「あぁ、大正解。俺だよ」
「ったく、相変わらず冴えない顔してるくせに言うことだけはでかいんだから」
「うっせ」
 ちなみに、シグと言われているのは、それが俺の本名だからではなく、ただ単に、シグという会社の銃を俺が愛用しているから、そう呼ばれているだけである。
「まぁ、良い。久しぶりだ」
「あぁ」
「どこに行っていたんだい」
「ハチリアの街だ。とてもここは遠くて来れなかった」
「そうだったんかい、ま、中に入りな」
 半開きのシャッターから、くぐるようにして中に入る。
入った瞬間に気付いたのは、天井をクルクルと回り続けるいくつかの換気用のプロペラ。
 そして、眩しい白熱灯に照らされる、床に落ちた大量のネジ、部品。
 俺と我孫子は二人して、しかめっ面をしてしまう。
「少しは片づけろよ、ユー」
「ああん? 片づけて大切な部品を間違ってしまっちゃったらどうするんだい?」
「いや、落としている方がよっぽど無くすものが多いだろ」
「気にすんな。そんなことより新しい銃でも買いに来たんだろ。我孫子は、そこらへんに置いてあるから、好きなもん適当に取ってみてくれ」
「分かりました」
「あと、弾は入ってないから、強殺してかっぱらおうなんて考えるなよ」
「誰がするか」
 随分と熱された狭い室内――多分銃器が開いてある棚で殆ど埋められているからだろうが――の空気が、俺の顔に浴びかかってくる。
 最初は暖かいと思っていたが、すぐに熱くなり、コートを脱いで、机の上にどさっと置いた。
 ユーはあからさまに嫌そうな顔をして俺の方を睨んできた。
「おいおい、そこはお客さんの休息テーブルだ。勝手にモノを置くんじゃない」
「あ? 俺かって客だろうよ」
「あんたはいろんな意味で『特別な』客さ。さてと、シグだが、今回のお勧めは右奥の上から二段目の碧いプラスチックの箱に入ってる。確かめてみな」
「随分と隠すように置いてあるな」
 俺がそう言うと、ユーはニヤッとして、俺の方を見てくる。
 それは、俺とユーの間では『上物が入ったから、いっぺん撃ってみな』と言う一種の合図である。
「成程、それは楽しみだ」
「ちょいとした改造を施してある。弾丸が入っているから、適当に裏の射撃場で撃ってみな」
「オーケー」
 改めてコートを軽く羽織ると、言われたとおりの場所から、小型の銃を取り出す。コートの件はこのことに関する伏線だったというわけか。……伏線というほど、大層なモノでもないだろうが。
 ――SIG SAUER P239。
 今回は、随分と小型だ。おそらく、SPなどが愛用するような懐に隠す銃、って言うところだろう。
 俺としても、あまり大型の銃を振り回すのは嫌いなので、その小型の銃をコートに仕込んだまま、そのまま右奥のステンレス扉から外へと出た。
 
 ユーとは、彼女がここに来た時からの知り合いである。
 というか、どうやら、俺がここメヘンディの一番最初の客だったらしい。
 昔の俺は、こう言ったジャンキーな匂い漂う店が好きだったので、ここのカオスな外装は一目で気に入る逸材だったのだろう。
 なので、この店にとって、俺は最古残の常連ということになる。
 あの時から、銃を売っぱらっていたので、多分最初に喫茶店を経営しようとしていた、と我孫子に語っていたことは狂言だろう。
 年齢については一度も聞いたことが無いが、俺の年齢を言ったところ、自分よりは年上らしい。まぁ、推測するに、20と4か5だろうが、口に出すと、本気で銃を撃ってきそうなので黙っていることにした。
 
 外に出ると、光の街道から抜けた、暗い、陰鬱とした空間が広がっている。
 向こうには微かにぼろぼろになるまで撃ち抜かれたジャポネ製の車が無残な姿で何台か置いてある。もちろん、それこそが的である。
 俺は先ほどの銃を抜き、そのうちの赤い車に目標を定める。
 だが、寒い風が俺の耳を急激に冷やし、じんじんとした痛みを与えてくる。
 集中力が続かない。
「チッ……寒いな」
「寒いだろ? やっぱコートは必須だねぇ?」
 おばさん口調で話しかけてくる声が後ろから聞こえてきた。
 金髪に染めた外見には良く似合う、ピンク色のファー付きのダウンジャケットと白いふわふわしたニット帽をかぶったユーがこっちの方を見ていた。
「店番は?」
「我孫子ならそんなネコババして逃げていくことはないだろう。代わりにしてもらっている」
「相変わらずの大雑把な性格だ」
「ふふ、風に揺らされながら銃を構えるシグは、なかなか映えるねぇ。ちょっとの嫌味も思わず風に流してしまうよ」
「そりゃ、どうも」
「この姿見ていると、あんな可愛い子が惚れこんでしまうのも分かる気がするね」
 可愛い子? 
 俺の『連れ』の事を言っているのだろうか。
「アイツは相棒であって、恋人でも何でもないぞ?」
「はぁ、確かにシグならそう取るかもねぇ」
 何やら意味深なことを言って、ハァとため息をつくユー。
 その口からは白い息が漏れている。
 正直、よく意味が分からない。
「黒猫ちゃんの事大切にしてあげるんだよ。あんなに優しい目をした子、滅多にいないからねぇ」
 俺はその言葉にイエスともノーとも言わず、もう一度精神統一をして銃を構える。
 小型で軽量なので、逆にピントがぶれやすくなる。
 しっかりと手首をグッと力を込めて固定する。
 狙うは赤いジャポネカー、左側のサイドミラーだ。
「ところで」
 俺は視線をそらさぬままユーに問いかける。
「上物ということらしいが、どこら辺に『アレ』が仕込まれているんだ?」
「フフン、それはねぇ、中にあるコイルの成分に仕込んである」
「凝っているな」
「最近、魔術の復興研究が盛んで政府が魔術用マテリアルを大量に買い上げているのよ。だから、その魔素を手に入れるのには随分と苦労したわね」
「わざわざ、ご苦労さん」
「良いんだよ。シグは、ウチにとって一番大切な客だからね」
「サンクス」

 俺はトリガーを勢いよく引いた。
 ダブルアクションだから、わざわざハンマーを下す必要もなく、弾は発射される。
 刹那、俺の身体は大きく吹き飛ばされて、ちょうど出てきた廃屋の壁に思い切り激突する。自分でも予想だにしていなかった反射が、俺の身体を襲った。
「大丈夫かい?」
「あぁ、俺は平気だ。ハハハ……やられた、まさかここまでの威力だと思わなかった」
 銃を確認してみるものの、傷一つなく、シューと白煙を上げている。
 普通、今みたいな強烈な威力の弾を撃つと、小型銃なんてすぐにおしゃかになってしまうものだが、そんな様子はどこにも見られなかった。
 立ち上がり、コートの土を払う。前を見ると、先ほどまで4台あったはずの車が、いつの間にか3台になってしまっていた。
「完全破壊しちゃったわね。ま、良いわ。4なんて、不吉なだけだし」
「一体、どこから何の魔素を手に入れてきたんだよ」
「えっとねぇ、何だっけな、名前は読めなかったわ」
「はぁ?」
「だって、古代ヒンズー語だぞ? 読めるわけねぇじゃん」
 古代ヒンズー語、という彼女の言葉で俺は何となく感づいた。
 彼女は知らなかったのかも知れないが、その言語地域が出てくるだけで、相当強力な魔素が仕組まれていることは確かだった。
「ま、その言葉の魔素を23種類くらい組み合わせて銃を改良したよ」
「23だと? それはまた相当な量だな。調合は平気だったのか」
「私を舐めてくれちゃあ困るね。これでも、ジャンク市街で一目置かれている存在なんだぜ?」
 大きな胸をさらに張って、ユーは誇らしげな顔をする。
 俺はコートにその銃を仕込むと、裏口のドアを開けた。
「買うかい?」
「当然だ」

 ………

 俺は今度こそコートを脱いで、メヘンディで紅茶を飲んでいた。
 喫茶店、というのは虚言なんだろうが、確かに、ユーの入れる紅茶は深みがあって、絶妙な暖かさで提供してくれる。
 我孫子の方は、顔に似合わず、ブラックコーヒーをたしなみながら、ジャンク市街で刊行されている新聞を見ていた。
 我孫子も、なかなかこっちの事情には精通しており、取引などの手伝いをすることもあるやり手だ。俺はあまり名前の通った存在ではないが、我孫子、と言えば誰もがその名を知っている。
 後は、その外見を広めれば良いのだが、それはこの市街の特性上、ほぼ不可能と言っても間違いないだろう。
「いやぁ、相変わらずユーさんのコーヒーは美味しいですね」
「ありがとよ、我孫子」
「喫茶店、と看板に書いてあっても、少し納得してしまうかもしれないな」
 俺も素直に賛辞を贈る。
「珍しいね、シグが褒めるなんて」
「良いブツが手に入って、機嫌がいいのさ」
「ハハハ、ま、こっちも金が入ったから満足だよ。だけど、残念ながら、私はもともと喫茶店じゃなくて、情報収集家になることが目標だったんだ」
 そう言うと、彼女はテーブル脇にあった、何のためのモノか分からない計器が多く取り付けられているものを指さした。その傍には、使い古されたヘッドホンも二つ三つ置かれている。
「傍受、か」
「そう。それ、実は今でも現役で使えたりするんだ」
「なんでこんな商売に変わったんだ」
「アハハ、実は、ヘッドホンの数で分かるだろうけど、何人かの仲間で情報収集屋を立ち上げようって考えていたんだ。でも、一人は男とどっか行っちまって、もう一人はヒロポンヘッドになってカンカンに連れてかれたわ。多分、マシな状態では戻ってこないだろうね。あたしはあたしで、ちょうど知り合いから銃やその他機器の輸入ルートを紹介されてね、今じゃジャンク街の住民として、このザマさ」
 ユーは寂しそうな表情を一瞬浮かべたが、すぐにいつもの豪快な笑い声を上げて、俺たちの前にその機器を持ってきてくれた。
 俺と我孫子はヘッドホンを取り付け、適当にダイヤルを回してみる。

 ピー、ピ……ザー……

「おおっ」
 我孫子が声を上げる。
 女性のあえぎ声だ。
 こんな声、普通は電波で飛び交うようなものではない。
「いかがわしいダイヤルって言う、ヤツですかね……」
 良く良く聞いてみると、女性の声というよりは、なんか違う性質の――いや、あえて最後までは言うまい。
「オエ、気持ち悪いヤツだ。聞いている方も、言っている方も」
「なんだか、違う世界を見た気がします」
「ああ……このダイヤルは、何だ?」

 ピー、ピ……ザー……

「……」
 二人で無言でダイヤルを回そうと頷く。
 真正の、男性のあえぎ声だった。

 ピー、ピ……ザー……

「この世界、もうすぐ滅びるんじゃないのか?」
「何だか俺もそんな気がしてきました」
 我孫子がじっくりと音に集中しながらダイヤルをゆっくり回していく。
 俺は両手をヘッドホンに当て、微かな情報も逃さぬようにする。

 ――……を、……する。……

「ん?」

 二人で当時に声を上げる。
 何かが聞こえてくる。
 慎重に慎重に、ダイヤルを合わせていき、ハッキリと音が聞こえるようにする。

――1週間後、……で……を……する。………が手に……作戦だ。
――成程、計画は練って……のかい。
――まぁ、……の日、なんとかA爆弾で………だろう。あのと……薄になる。
――分かった。また、後日、話を聞かせてくれ。
――あぁ

「これは」
 我孫子が緊張した面持ちでこちらの方を向いてきた。
「あぁ、間違いない」
「犯罪の、匂いがしますね」
 いつもの取引ではアウトロー性など考えていない我孫子と俺だが、いざ、他人の壮大な犯罪計画を聞くと、その犯罪という匂いが俺たちの胸をむずむずとさせるのだ。
 なんだか、嫌な予感がすると言うか、そんな感じの。
「なんだい、何か、傍受出来たのかい」
 向かいからユーが首をかしげてこちらの方を見てくる。
「あぁ、これからの犯罪の計画に花を咲かせていた連中の話を聞いた」
「ほ、本当かい? 内容は」
「いや、肝心の具体的な内容は良く聞き取れなかった」
 俺がそう言うと、ユーはそうかい、と言ってがっくり肩を落とす。
 どうせその情報を王目に司法取引して金を手に入れる寸法でいたのだろう。
「ただ」
「ん? なんだい?」
「凄く、大きな犯罪がこれから起きるかもな。A爆弾と傍受出来た」
 A爆弾、というワードにユーが震えあがる。
「まさか、A爆弾と言えば、政府しか管理できない、高威力の小型ボムじゃないか」
「あぁ、あんなブツ、いくら裏ルートでも滅多に手に入れられない」
「大きな組織が動いているのかもしれないねぇ」
「だな。ま、そんなところだ。ありがと、今日は良いブツが手に入れられた」
 午前4時。
 そろそろ、出る時間としては潮時だろう。
 俺は黒いコートを着込むと、先ほどの小型銃を正規のケースに入れてもらいシャッターの外へと出る。
「また来な!」
 ユーはそう言うと、笑顔でこちらに手を振ってくれた。
 なんだかんだいって、根は優しい下町人情にあふれる人なのだ。
 俺は、そんなぶっきらぼうな彼女が好きだった。

   *   *   *

 ――トゥキョオ区、帝都ホテル AM8:00

 ふわふわとしたベッドから起き上がり、朝の支度を済ませる。
 帝都ホテルの泊り心地は一般客のそれでも抜群だ。最初から、狙っているターゲット層が上流階級に近い人だと言うのもあるのかもしれない。
 綺麗に磨かれたガラスの灰皿に朝の一服のガラを押し付けると、カバンの中身を整理して、忘れ物が無いか確認し、外に出る。
「おはようございます」
 コンコンと、隣のドアをノックすると、せっかくの綺麗な黒髪をぼさぼさにしたままの我孫子が出てくる。
「お前って、つくづく、朝に弱いよな」
「申し訳ないです」
「まぁ良い。先に朝食済ませておくから、9時までには出る準備を済ませておいてくれ」
「はいはい」
 ふわぁと大きなあくびを一つだけして、部屋に戻っていく我孫子。
 あの様子だと、9時になっても絶対に起きないだろう。
 まぁ、実質4時間睡眠なので無理もない。

 数時間前、本当はチェックイン不可能な時間帯に来たのだが、そこは我孫子の絶妙な手回しにより解決した。帝都ホテルは政府関係者とも太いつながりを持っており、俺たちの所属する国家機関の事についても十分承知のようだった。
 我孫子のそう言った能力は高く評価したいが、もうちょっと時間にタイトになってもらえないだろうか。
 俺は一人エレベーターを降り、12階のカフェに行く。
 ホテルに泊まった時に貰えるチケットは12階のどの店でも使用可能だと言うことで、軽く食事がとれて、エスプレッソも飲める喫茶店にすることにした。
 喫茶店と言えば、あそこもそうなのだが……ま、外観をこんな一流のホテルと一緒にするわけにはいかない。
 俺はチケットを渡しモーニングセットを頼むと二人席の片方に座る。
 周りには制服を着た男子とその保護者らしき姿が見える。そう言えば、今日明日と帝都大学の試験がある日だと我孫子が言っていた。彼らは一様に緊張しており、何やら落ち着かない。
 なんだか、悠々とモーニングセットをいただこうとする俺が場違いのように思えるくらいだった。

「何だか、場違いよねー、ウチら」

「あぁ……。……って、三日月!」
 いつの間にか、机の上には『二人分』のモーニングセットが置いてあった。
 メイドさんみたいな恰好をした人が一礼して去っていく。
 そして、二人分の席、反対側は開いていた場所のはずだったのだが、そこに見慣れた少女がちょこんと座っている。
 茶色いふんわりとした髪の毛。
 瞳はくるんとしていて大きく、身長の割にはスタイルも悪くない。
 名前は三日月。
 義理の妹であり、俺が所属するCHAO研究所の……所長、だ。
「久しぶりー」
「……あぁ」
「連れないね、ま、良いけど」
「別の席に座らないのか? まだまだ沢山席は残っているだろう?」
「ふふ、良いじゃない。たまには間抜けっ面した自分の兄の顔を見るっていうのも」
「ッ……」

『所長、嫌いですか?』
『さぁな』
『僕も、そんな感じです』
『どうも、性格がなぁ……』
『どうも、性格がですね……』

 妹、しかも義理、と聞けば、どこぞの連中がとても羨ましそうに俺の方を向いてくるかもしれないが、とんでもない。
 コイツの性格の悪さと頭のキレ――若干16歳で所長の座に就くくらいなのだから――は、もはやエロゲに出てくるようなかぁいい妹と同じに扱って良いレベルではない。
 もともと、俺のハチリア島区への移動も、こっちに急きょ戻ることになったのも、彼女の差し金だった。
 俺が担当している『研究』の情報がそこにあると言うことで、半ば強制的に引っ越しをさせられたのだ。あの時は環境が変化して、俺の連れが変化に対応できず病気を患ってしまい、2週間くらい寝込んでしまった。
 そして、やっと慣れてきて、色々な店に行けると、楽しそうにしていたときに、すぐにマラシュケに戻ってくるよう命令が来たのだ。
 ……三日月に。
「クソ……一番トゥキョオで見たくない顔を見てしまった」
「ありがと」
「褒めてるわけネェだろ」
 溜息をつきながら、いかにも美味しそうなフレンチトーストを切り分け、口に運ぶ。
 味など、全く感じない。せっかくの朝食が台無しだ。
「久しぶりね。ハチリア島区、どんな感じだった? 良いところだったでしょ?」
「あぁ、出来ればもう数年住んでいたかったな」
「でも残念、あの情報さ、上手く出来たガセだったから、当分はマラシュケの方で生活してもらわないとね」
 三日月はせせら笑うかのように俺の苦労を一蹴すると、皿の上のウィンナーを切って口に運ぶ。いかにも美味しそうなその表情にムカムカとこみ上げてくるものがある。
「ガセで、兄貴を振り回すとは、やってくれるな」
「あら、別に兄だからって言うわけじゃないの」
 何のことかしら、と言わんばかりに三日月がとぼける。
「あ?」
「対して費用対効果のない情報だったから、研究所で一番役立たずのエージェントを送ろうと思っただけで」
「ッ、てめぇ!」
 思わず、机を叩きそうになるが、何とかこらえる。
 俺の事をないがしろにし過ぎていることへの怒りもあった。
 だが、何よりも、俺意外の人間が苦しむことも考慮せず、俺に当てつけがましく指令を送ってくるこのやり口が許せなかった。
 ひそひそと周りから声が聞こえる。きっと、こんなところで何つまらない痴話喧嘩しているんだろう、と将来のエリート候補が嘲笑っているのだろう。
 俺はそれ以上何かを言うのを止めて、席に座る。
「大きな声出さないでよねー。不作法よぉ?」
「……お前」
「何?」
「いや、……もういい」
 俺は音を立てない程度にさっさと朝食を済ませると、さっさとエスプレッソを飲み干し、テーブルを後にする。
「じゃあね、バイバイー」
 何の罪の意識もない顔で手を振る三日月を思わず殴りたくなる衝動に襲われるが、それを我慢して、俺はその場を去った。

 ………

 1階のロビーで待ち合わせをしてくると、満足そうな笑みを浮かべて我孫子が降りてきた。
「おはようございます」
「あぁ」
「……どうしたんですか? 何か嫌なことでも?」
「三日月と会った」
 それを聞くや否や、我孫子は全てを悟ったかのように俺に同情の視線を送る。
「あまり気にしない方がいいです」
「分かっているさ。ただ、アイツの言葉はいつも俺にずしんと来る。きっと丁寧に言う言葉言葉を選んでいるんだろうな」
 今思い出しても怒りがこみ上げてきそうになってしまう。
 アイツの性格か、口調か、肩書きか、俺との関係か、何が原因かは分からない。
 もしかしたら、全てが上手くからんで、こうやって史上最低のハーモニーを奏でているのかもしれない。
「三日月さんも、苦労しているんですよ。若干18歳で、国家の一機関の所長ですから。今日もきっとここで会議があるので、このホテルに泊まっていたんでしょう」
「苦労しているのは知っている。……俺、嫌われることはした覚え、無いんだけどな」
 我ながら情けない声を出してしまった。
 三日月とは決して短い付き合いではなかった。
 俺はもともと、孤児だったが、前CHAOの所長、副所長をしていた夫婦に引き取られ、養子として育てられた。だが、その数年後に、二人の間に生まれると思わなかった、子供が生まれた。
 俺は、新しい家族が出来たと、最初は喜んでいた。
 4人で、楽しい生活が出来るんだと、信じて、疑わなかった。
「……」
 止めておこう。
 嫌なことをわざわざ思い出す必要はない。
「どうかしましたか?」
 ひょいっと、我孫子が俺の顔を覗き込んでくる。
「いや、そろそろ、出ようか」
「えぇ、そうしましょう」
 二人で、ホテルの大きな入口を通る。

 ――ふと遠くを見ると、空へと突き刺さる程、高くそびえる帝都タワーがあった。
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とある少女とショーネンR18 〈一章〉
   - 10/2/15(月) 4:19 -
  
 ――マラシュケ区、マラシュケ中央広場 PM9:00

 トゥキョオ区から荒野を車で走らせること約12時間。
 先ほどのトゥキョオと比べると、随分と阿弗利加チックな街になる。
 何でも、魔術国発祥の地だとか。
 何度来ても、ただの喧騒な途上国の街にしか思えないけれども。
 中央広場では、一面に広がるコンクリの地面の広場上に、白いテント屋根をつけた露天商がそこら中で店を展開している。各々が紐で適当に括りつけられた白熱ランプが、相変わらず盛況な中央広場を明るく照らす。
 そして、広場を囲うように沢山の背丈の低い白や赤褐色の建物も軒を連ねている。
 いわゆる新市街というところだ。
 俺は、荷物だけを降ろしてもらい、我孫子と別れて、一人、市街を歩いていた。 
 我孫子は明日も研究の仕事があるらしく、そのまま元の道を引き返していった。忙しい身なのだろう……俺とは違って。
「……ん?」
 ふと横を見ると、中央広場のライトに照らされた、右目に見事な黒いブチを持った白い犬が、ハッハッと舌を出しながらこっちの方をじっと見つめている。
 若干痩せている感じの顔つきが、なんだか、その顔にいやらしさを付け加えている気がしてならない。
 ――フッフォッフォ、あんちゃん、苦労してるねぇ?
 とか、言っているみたいな。
「っ……こっちみんな! f**kin’ dog!」
 思わず大声で怒鳴ってしまう。
 ブチの素敵なその犬は、何が何だかわからない様子で、ただ、迫力に押されすたこらさっさとどこかへ走り去ってしまった。
 良く考えたら、犬が人間をバカにすることなんてありえない。
 きっと飯をちょうだい、的なノリで近づいてきただけなのだ。
「スマン」
 どうやら、俺自身がただ単に不機嫌なようだ。
 深呼吸をひとつして、荷物を片手に、少し急ぎ足で目的地に向かう。
 露店の人達が、ジャポネらしい清楚な身なりをしている俺を目ざとく見つけては「駆けつけ一杯」「オリーブ沢山」とか言って手招きしてくるが、今はそれに構っている余裕はあまりない。
 これから住む場所は中央市街から、メディナのスークを通り、カスバに入り、合計歩いて20分くらいの所にあるらしい。
 ただ、何せカスバが複雑そのものであるため油断はできない。

 ――PM9:20

「そうしては雑誌屋とトマト売りの店の間の路地に入って――」
 我孫子からもらった地図を片手に、俺はカスバの入口へと入っていく。
 赤い土壁で出来た建物との間にある通り道は、もはや隙間と言っても過言ではないほど狭かった。もちろん自動車など通れないし、自転車でかろうじて、と言ったところだろうか。
 人の姿はあまり見かけない。
 月の光が漏れだしてくるように降り注いでくる。
 上を見上げると、建物と建物の間に竿が縦横無尽に引掛けられており、洗濯物がひらひらと空中を浮いているように躍っていた。砂漠の近くにある都市であるため、この時間帯は幾分か涼しい。
 俺は地図に書いてある赤い通り線に沿って右へ曲がったり、左へ曲がったりする。
 途中にトンネルを抜けたりしながら、正しい道を選択して歩いた。
 ――はずだった。
「あれ?」
 やっと、目的地だ、と、最後の角を曲がったと思ったら、そこには先ほどと同じ、賑やかな広場が目の前に広がっていた。相変わらず、活気づいている。
 時間は過ぎているようだが、俺は全く進めないまま振り出しに戻されたらしい。
「なんでだよッ」
 俺はもう一度、地図を広げる。
「雑誌を売っている店とトマト売りの店の間を入っていくところは絶対正しい。そうして、次に二番目の角を右に曲がって、すぐに出てきた交差している所を左に――」
 独り言をブツブツと呟きながらもう一度迷路の攻略を始める。
 別に難しい方程式を解かせるわけではない。ちゃんと、地図面の右左が把握できてさえいれば、きちんと答えの場所にたどり着けるはずなのだ。
 道の途中でおばちゃんに声をかけられたり、男に道案内を申し込まれたこともあった。前者はともかく、後者は何かとトウキョオから来た人間を狙った似非案内人である可能性もあるので、丁重に断る。
 活気がどんどんと狭い路地に行くにつれ薄れていく中、猫がそこら中を歩き回っているのに気付いた。迷いつつちょこちょこ進む俺を尻目に、彼らはすたこらさっさと何処へと消えていく。
「あぁ、猫の手も借りたい」
 歩き過ぎで白ニット帽が蒸れてきたので、それを外して髪の毛をぐしぐしとかき回す。良い感じに清涼な風が頭を駆け抜けていき、思わずフゥと息をついてしまう。
 こう言うことは冷静に考えないといけない。
 冷静かつ、大胆に、だ。そう進んでいれば、きっと道は開ける。

 ――30分後。

 最後の角を曲がり切り、俺はその光景を見た。
 オレンジをそこら中に積み、それをオーダーされたごとに切り取って、ジュースにし、売る人もいる。乾燥キノコをそこら中の木箱に詰めるだけ積んで、人々に叩き売りをしている男の人もいる。自転車のかごに入れるだけの食料を積んだ女性が、路地の方へと消えていく。
 出てきた場所が違う方角からだったので、一瞬違う場所のように思えた。

 だけど、そこは中央広場だった。

「あああああああ!」
 ――もうイヤだ。
 我孫子の前では、俺も結構な先輩面をしている。(所詮、2カ月程度の差なので、相手からは同僚扱いなのだが)
 だから、どこか心配そうに俺の方を見つめてくる彼の視線をよそに、大丈夫だ、一人で行ける、と強がってしまったのだ。

 と、呆然自失としている俺のそばに、ケバブーの串を持った何とも疲れ切った服を着ている大男がのっしのっしと近づいてきた。
「どうかしたのカ? トゥキョオから来たような身なりダが」
「えぇ、まぁ」
 いつもなら無視するが、今回は現地住民に頼るとしよう。ぼったくられるだろうけど。
 俺は、二時間は握っていたであろう地図を彼に手渡した。
 軽く今までの事情も説明する。
 だが、それをしばらく見ていた男はやがて吹くのを我慢するかのように口元を歪め、俺の方を向いて一言言った。
「お前、どっかの地図売りにでも騙されたナ、これ、でたらめだ」
「……は?」
「あー、でもよく見ると、これは10年前くらいの地図かァ? ま、今はどちらにしろ意味が無い代物だからヨ。俺が代わりに正しい地図売っているところ案内するワ。あぁ、言っておくが、そこは国営だから嘘つきな場所じゃねぇし、安心しな」
 ケバブー串をくちゃくちゃと食べながら、ガニ股で俺を案内してくれる。
 また騙されるんじゃないのか、と一応疑心を抱いてはみたが、たどり着いたところが広場を囲む建物の一つだったので安心した。
 こうして、俺はようやく正しい地図を手に入れ、今度こそ、正しい家を探すことにした。
 家の番地名だけは我孫子本人から教えてもらったので、それを伝え、ご丁寧に赤色の線で正しい行き方まで教えてくれたので、今度はあんなことにはならないだろう。

 ――30分後。

 今度は中央広場に戻ることも無く、たどり着いたところは、赤い建物が並ぶ他よりは若干広い裏路地だった。
 幼い子供が数人で連れたってどこかに向かおうとしている。どうやら、もう学校へと登校する時間帯らしい。学校の始まる時間が9時だとすると――俺は約3時間半、迷わされていたのか、畜生。
 一体、俺はなんであんな偽物を掴まされてしまったのだろうか。
 まぁ、――犯人は大体分かっている。
「三日月ィ……」
沸々と、今日の朝の怒りが戻ってくる。
 そういえば、今回の地図も、我孫子が書いたものではなく、彼が手渡してくれた封筒に入っていたブツだった。今更だが、どうして我孫子が心配そうに俺の方を見てきたのか、その意味が分かる。
 地図を選んで書いたのは、三日月のせいに違いない。というより、研究所でそんな陰湿なことをする奴なんか、アイツしかいないのだ。
「次に会ったら、絶対仕返ししてやる」
 そんなことを言ってみるが、もちろん、相手の方が一枚上なので、仕返しが成功した試しは無い。
 逆に切り返されて俺の心に傷が付くだけだ。
「もうなるべく顔を合わせないようにしよう……」
 荷物を手に提げたまま、地図片手に自分の棲みかを探す。だが、地図を見るまでもなく、その場所はすぐに判明した。
 赤、黄、茶レンガで出来たカラフルな一軒家。ガラスで出来た西洋風の窓。
 そこまでは他の家と大して変わらない。
 まず、俺の家だと思えるものには一階が存在しない。その代わり、ぽっかりと開いたその空間にでっかい何かが鎮座している。全身を黒いうろこで包み、立派な角を頭の上から生やしている。ふわぁと牙が並ぶ口を大きく開けて、目をぎょろりと動かす、巨大な生物。(さすがに家を壊すわけにはいかないのか、尻尾は動かしていないようだが)
「ハァ――」
 やっと正しい場所にたどり着いたのに、俺の気分は限りなく暗い。
「はぁ」
 ため息が漏れる。
 おまけに、連れにギャーギャー騒がれて、今回は若干お金をかけた家を建ててしまった。
 本当は、こちらとしては、以前ここで住んだいたときのアパートに引っ越したかったのだが、どうもあそこでマンドリンみたいな形をした「虫さん(彼女いわく)」に出会ったことがトラウマになっているようで、こうやって新築の(もちろんゴキブリ対策はきちんとしてもらっている)レンガ家を購入してしまったのである。
 ……ローンで。
「ま、少なくとも、三日月よりはマシか……」
 俺はドラゴンの鼻を一撫ですると、ゆっくりと二階へと続く階段を上る。
 スンっと言ってドラゴンが嬉しそうな声を漏らした。

………

「ただいま……って、もう寝ているのか」
 月明かりだけが照らされた二階の部屋内に、誰かが起きている気配はない。
 天然の木で出来た家具独特の香りが部屋内をたちこめる。どこか涼しく、そして、どこか温かい場所にいる気がした。
 さっきまでの喧騒が、ウソのように静かだ。
 良く見ると、ベッドもきちんと整えてある。
 そして、それにくるまって、俺の連れはスースーと寝息を立てていた。
 すとんと、その寝ている傍に腰かける。
「おやすみ、黒猫」
 俺はその黒髪を優しく撫でると、どこに何が置いてあるのかを確認する。
 ダイニングに行くと、ハイカラで目立つお皿が模様同じの色違いで二枚あった。
 赤色と、オレンジ色だ。随分高そうな代物だが、お金の方は大丈夫だったのだろうか。
 本棚を見ると、魔法の本がまた増えている。きっと新しい風属性の大魔法でも覚えようと考えているのだろう。
「ん?」
 ベッド横のテーブルに何かが置いてある。

〈MEMO〉

 お連れさんへ♪
 今から洵さんの有り金で雑貨を買って、その後仕事しにいってきます。
 夜までには帰るからね! 白猫

「白猫か……」
 俺は、その紙をコートに詰めると、冷蔵庫のドアを開けた。
 沢山の野菜と魚で作られたマリネサラダと、自家製のケバブーが沢山積んであった。
 残したら、ドラゴンにでも食べてもらおう、というなの寸法だろう。
「ありがと」
 電子レンジでケバブーをあっためた後、それらを机の上に取り揃える。
 メディナに売っているパンもつけられていた。
 ちょうど、今日は長旅で、何も食べていないのだ。
「いただきます」
 俺は一つずつ、丁寧に食べていく。誰にも邪魔されない、安らぎの空間で食べるご飯はきちんと味が付いていて、美味しかった。
 良く考えれば、こんな風にご飯が美味しいと思うようになったのはごく最近名気がする。
 この忌々しい職に着いてから、俺は改めて、こう言う生活の楽しさを覚えた気がする。
 それは……何と言う、皮肉なんだろう。
「お帰り」
 テーブルの後ろから声がした。
「悪い、起こしたか」
「ううん。水が飲みたくなっただけ。……美味しい?」
「あぁ、用意してくれたんだろ? ありがと」
「うん。でも、……ちょっと。遅かった」
 優しく、俺は包まれた。
 黒い髪と赤い瞳をした彼女は、ただただ、ギュッと、でもふわりと俺を抱きしめた。
 もし、この仕事を一人でしていたら、一体、俺はどうなっていたんだろう。
 今頃、何をしているんだろう。
「ごめん、次はちゃんと約束守るから」
「うん。必ず……」
 そう言うと、黒猫は俺から身体を離し、冷蔵庫から水を取り出して、コップに注ぐ。
 それを一口飲むと、またサッサッとパジャマのズボンを引きずらせながらベッドに戻る。
「ところで」
「うん?」
「新しい魔法の本、何だったんだ」
「……白魔法。結構上級の。だと思う」
「そっか」
「……結構良い。センスある」
「あぁ。じゃぁ、もう、おやすみ。話を伸ばして悪かった」
 俺がそう言うと、良いの、と少し微笑んで、黒猫はさっきと同じように、ベッドの上で丸くなった。俺が寝るために先ほどよりも少し右にずれてくれる。
 けれど、俺もそこまで野暮な人間ではない。
 彼女の用意してくれた夕食を全部平らげると、皿を全てシンクにおいて、満腹の腹のまま、ソファーに横たわった。
 窓の外を見ると、相変わらず月の光が、俺たちの部屋に差し込んでくる。

 ――と、窓の外から、何かが覗いているような気がした。

 俺は、疑問に思い、窓に近づくと、そこからあたりを覗くが、誰も、何もいない。
 思わず首をかしげてしまうが、何もいないのでは仕方が無い。
 改めてソファーに戻ると、目を閉じる。
 長時間車に揺られていたということもあるのか、すっかり疲労がたまり、瞼はあっという間に重くなってしまう。

 ――白くかすむ世界の中、俺の意識は暗闇へと誘われていった。


→二章へ続く
引用なし
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とある少女とショーネンR18 〈二章〉
   - 10/2/20(土) 4:41 -
  
 ――マラシュケ区、中央広場 AM10:30

「ドーはドグラのドー、レーは轢死のレー♪」
「それで……、あれ? おねえちゃん? ねぇ、……」
「ミーはみーなごーろーしー、ファーはファジーネーブルー♪」
「おねぇちゃん……?」
「ソーは即死のソー、ラーは落下のラー、シーはシクトキシンー♪」
「……もう」
「さぁ、ぎょーぼーりーまーしょー♪」

 晴れている日は気分が良くなります。
 最近溜まっているストレスも、どこか抜けていっている気分。
 おなかの底から出てくるような澄んだ歌声は街を駆け巡っていることでしょう。
 でも、清々としているあたしの横で、いつの間にやら、ミゥちゃんの顔はどこか沈んでしまっていました。
 心配になって、彼女と同じ目線の高さになるまで腰をかがめ、声をかけます。
「疲れた?」
「ちがう」
 短い言葉を発して、また俯いてしまいました。
「でも、何だか、顔色がよろしくないけれど」
「わからないの?」
 ジト目でそう言ってくるあたり、理由は明白のようです。
 ただ、あたしだけがそれを理解できずじまいでした。
「へ? へ? へ?」
「はぁ、……もう、いいもん」
 ミゥちゃんはツーン、とそっぽを向いてしまいます。
 あたし、なんか悪い事でもした? 
 先ほどのあたしの十八番、ドレミの歌(改)がそんなに気に入らなかったんでしょうか?
「んむ……」
 でも、不機嫌になっちゃっているところ、悪いんですが、その顔もカァイイです。
 亜麻色の綺麗な髪からちらちら見える、その、白いお肌がですね。

 うふ、うふふふふふふ――

「おねぇちゃんってさ」
 ――ハッ!
 ミゥちゃんから言葉を投げかけられて、あたしはいきなり現実に引き戻されます。
 目線の先には視線が据わっているミゥちゃんの顔。
 彼女は頭をやれやれと横に振ると、呆れた口調で言いました。

「ひとのはなし、きかないんだよね」

「え、うそ」
 あたしにとっては思わぬ指摘で、正直ビックリ。
「そういうの、だめだよ。おとこのこからきらわれちゃうよ?」
 ウンウンと自分の言葉に頷くミゥちゃん。
 彼女のブスッとした表情から放たれた言葉は、あたしの心にブスッと刺さります。
 どうやらあたしの意識、無意識関係なく、それは本当のようです。
「そ、そうだったのかー……」
「だからさ。、しょうじき、おねえちゃんって、もてるタイプじゃないよね」
「……っ!」
 ――ドグシュッ。
 って、小さい男の子がヒーローごっこするときに良く使う擬音語がありますよね? 
 今まさにその言葉通りの音を立てて、言葉というナイフが、あたしのガラスハートに刺さります。
 何とも言えない沈んだ気持ちになるあたし。
 でも、それだけでとどまらず、追い立てるように、ミゥちゃんはつらつらと言葉を連ねていきます。
「せもちっちゃいし」
「きゃんっ」
「かみのけ、ぱさついているし」
「むぎゅぅ」
「てのひら、カサカサだし」
「はうぅ……」
「それでもって、おっぱいちっちゃいし」
「うー、……そ、それはミゥちゃんも同じじゃないですか!」
 子供相手にどういう反論をしているんだ、あたし。
 ……案の定、抜け穴だらけのあたしの言い訳を聞いて、ニシシと言った感じでミゥちゃんは笑います。
「かーわいいよ、おねえちゃん」
「も、もう、意地悪しないでよー!」
 愛しい声で毒を吐く理由が分からず軽くテンパってしまいます。
 さすがに、それ以上追い詰めようとは思わないのか、ミゥちゃんは最初の通りの ブスッとした顔になって、ポツリ、と言葉をもらします。
「だって、おねえちゃん、……わたしのおはなしなんにもきいてくれないもん。……へんなうたばっかりうたってさ」
 頬を少し膨らませて、ミゥちゃんはあっちの方向を向いてしまいました。
「あ……」
 そういえば、今日はミゥちゃんの話は全部聞いてあげるよ、って約束したんでしたっけ。
 ちょっと気分が良くなってしまって、聞き耳全然立てていなかったんですね。
 そりゃ、ミゥちゃんも怒ってしまいますね。
 あたしはパン、と手を合わせて、ミゥちゃんに許しを請います。
「ごめん、今からはちゃんと聞くから、ね?」
「……本当?」
 あう、ミゥちゃん、絶対信じてませんね。でも、ここは頷くしかありません。
「う、うん」
「じゃぁ、わたしになんでも、してくれる?」

 ――あれ?

 その言葉どっかで聞いたことある気がしますが――

「うん、もちろんっ」
 あたしは何かしらのデジャブに襲われながら、結局そうとしか答えられませんでした。

 ――喫茶Les Plaisir AM11:00

 人類はさまざまな統治主義によって国を治めてきました。
 民主主義、絶対王政、――
 でも、共産主義だけはどんな国が実行しても、必ず失敗に終わりました。
 理由は一つ。
 共産主義は所詮、お金を管理する「支配者」というモノが必ず必要になって、それは独裁という名の悪政になり替わってしまうからです。だから、頭がよくなった人達は次々に民主主義に切り替えたわけです。民主主義が良いわけではないですよ? でもまぁ、共産主義の酷さに比べれば……ということでしょうか。

 ところが、個人の問題となるとそーもいきません。

 待ち焦がれていた待ち人さんがベッドの中から突然現れて――どうやら、あたしが眠っていた間に到着していたようです――早数週間。
 あの後、一日に一回はリブリッツさんの家にお邪魔するようになって、家では、 朝昼晩のご飯を二人分作るようになって、急に大忙しとなりました。
 富裕層のいるところは結構遠くて往復だけで服はびちゃびちゃ。
 買い物で人と押しつ、押されずで食材を買って服はびちゃびちゃ。
 だるだる。ふらふら。ばったーん。ずっきゅーん。
 ……あれ、なんで今脳内で撃たれたんだろあたし。まいいや。

 なのでね、移動費、食費、あとストレス解消費が欲しくてたまらないわけですよ。
 洵さんの時には雑貨しか買えなかったから、服が欲しいんです。
 可愛い服着て、ちょっとでもいい目で見られたいんですよ。

 なのに……なのにっ!

「ありがとう、おねぇちゃん」
「……その笑顔さえ見れればあたしは幸せです……うぅぅ」

 ――喫茶 Les Plaisir。

 古代フランス語なんで読み方の規則は知りませんが、レ・プレジールと読むらしいです。
 そう言えば、ここマラシュケも、元はと言えば古代フランスに統治されていた場所なんですってね。その名残かもしれません。
「ここは、りぶりっつさんがめいてん、っていっていた」
「名店、ですか」
 分かりますよ? 
 今ミゥちゃんが美味しそうに食べているこの店一押しの最高級フルーツパフェを見れば。
 今だって唾液が零れ落ちそうなのを必死に我慢しているのに。
「だから、おねえちゃんもなにかたのもうよ」
 奢らせた相手にも心遣いを忘れない良いコなミゥちゃんですが、今はそれが苦しくて仕方がありません。
「良いんです。あたしはこれで」
「おねえちゃんって……お水が好きなんだね」
 変な人を見るふうに、視線をこちらに向けてくるミゥちゃんは悪魔です。
 確かにここの水はレモンの輪切りが入れられていて、お洒落なお水ですよ?
 でも、だからと言って、別に、あたしは水なんか好きじゃないんだからねっ!

 ――幸せは、お金で買うモノ。

 倫理なんて知りません。それが現代社会の縮図です。
 そして、その理論に基づくなら、あたしには幸せなんかありません。

 ――何故?

 Q1 あたしは服が欲しい。買えないのはどうして?
 A1 お金がないからです。
 Q2 あたしはパフェが食べたい。パフェを食べられないのはどうして?
 A2 お金がないからです。

 お金がないのは、どうして?

 正解――お連れさんが全部管理しているからです!

 これぞ現代の家計に視る共産主義の恐怖!!
 あたしの財布の残高ゼロ!!
 なぁにが「お前に金を預けるとすぐに消えてしまうから」ですか!
 あなたとパートナー組んでいるから、あたしは自由に引っ越しできないのにっ。
 ハチリア島の美味しいレストラン行きたかったのにっ。
 海の見えるキッチン、寝込んでいたから全然使えていなかったのにっ。
 ふわふわのお布団せっかく新調したのにっ。
 あそこでしか取れない珍しいオリーブオイルでマリネ作ろうと思ったのにっ。
 生まれて初めてのフルーツ農園、行くの楽しみにしていたのにっ。
 一度でいいから綺麗な海でばちゃばちゃしたかったのにっ。
 カップルで行けばらぶらぶになれるって言う教会にお連れさんと行きたかったのにっ。

「ふぇ、ふぇぇぇぇぇん……」
「え? え? え? お、おねえちゃん?」
「と、泣けるほどあたしは可愛い女の子じゃないです、ってね」
「うぅ、まーたうそついた」
「また、とか言うない。……お金……はぁ、お金欲しい」
 あたしはレモンの輪切り入りの水が入ったコップをチンっと爪ではじいて鳴らすと、お気に入りの白い財布を。
 その財布の札入れには白い紙しか入っていません。
 白い紙? いず でぃす まにー?
 のー、 いっつ レシート。レシート。レシート。レシート……。

「お金がないんですよ、あたし。だから、ミゥちゃんの分を買ったら自分の分は何も買うことが出来ないんです。だから、こうやって水をちびちび飲んでいるんですよ、分かります?」
 小さい子供ということはおいおい承知の上ですが、ここは社会の厳しさというモノを痛感してもらおうとリアルな話をします。
 でも、それにたいしてショックを受けるでもなく、ミゥちゃんは不思議そうな顔をして、こちらの方を見てきます。
「え? ミゥちゃん、なんかさ、そう、お金が無いということに対して、可哀想とか思ってくれないの?」
 逆に問い返してしまうあたし。
 彼女は暫く困ったちゃんの顔をしていましたが、やがて言葉を組み立てたのか、あたしの方をじっと見てきました。
「だって、おかねがないなら、ぎんこうからとってくればいいじゃない」
 ……あぁ、そうです。
 この子、お金持ちの家の子でした。
 ハハ、ハハハハハ……。
「はぁぁ」
 あたしは深くため息をつくと、ぐったりと、綺麗に拭かれた机に突っ伏します。
 冷たいひんやりとした木製テーブルの感触がとても気持ちが良くて、少しずつあたしのストレスで熱された頭を冷やしてくれます。
「おねえちゃん」
 ミゥちゃんが声をかけてきたので、顔だけを90°動かして彼女の方をぼんやりと見つめます。
 銀色のスプーン。
 その上に器用に乗っけられたプリンとイチゴと生クリームが乗せられていました。
「あたし、に?」
「ん。ひとくちだけよ?」
「ありがとぉ……」
 あたしは緩慢な動作で身体を持ちあげると、口をぱかっと開けます。
 そうして、銀色のスプーンの上にあるモノを下に乗せた瞬間、その中に何とも言えない、甘さと酸っぱさの混じった風味が広がります。
「おいし」
 あたしがそう言うと、ミゥちゃんも幸せそうな顔をして頷きます。
「ここのぱふぇ、おかねもちのひともいっぱいたべる」
「へぇ、そうなんだぁ」
「わたしも、ここのぱふぇは大好き」
「フフ、あたしも、今の一口だけで好きになっちゃった」
 自然と彼女の顔から笑みがこぼれてきました。
 ちょっとイタズラをしようとあたしに奢ってもらったのはいいものの、やっぱり、心の根っこには優しさがあって、落ち込んで机に倒れ込んだあたしの事が、心苦しかったんでしょう。
「ごめんね、ミゥちゃん」
 あたしは、穏やかな口調になって、彼女に優しく声をかけます。
「え?」
「さっき、広場で話していたこと、もう一度聴かせて? 今度は、おねえちゃん最後まで聞くから」
「……、うん!」
 彼女は嬉しそうに頷くと、さっきあたしに聞かせようとした楽しかったこと面白かったことを次々にあたしに伝えてきてくれました。
 喫茶店の上にある天井窓から、優しい太陽の光がぽろりと零れてきます。
 仲直り、出来たってことなんでしょうね。ミゥちゃんが笑ってくれるなら、少しくらいお金が飛んで行っても、平気です。

 ――ミゥちゃんとはあの日以来、毎日のように会うようになりました。
 相変わらず、チャオの事は触らせてくれません。
 けど、代わりに、あたしによく懐いてくれたようで、あたしの手を最近は握ってくれるようになりましたし、こうやって、リブリッツさんに無理を言って、外出もあたし同伴でするようになりました。(とは言うものの、近くにはリブリッツさんのSP(部下?)と思われる屈強な男の人たちが複数、私腹を着てあたしたちの方をきょろきょろしているのを見かけましたけどね)
 そうして、ただ優しいだけじゃなくて、たまには怒る時もありますし、たまには悪戯を考えてあたしを引掛けてしまうことも多くあります。さっきみたいに毒も吐きます。
 なかなかに、普通な少女だと分かって、あたしはホッとしました。
 優しいだけじゃぁ、やっぱり寂しいですからね。

 それと――あぁ、そうだ。

 洵さんは、あたしとの約束通り、リブリッツさんによってしごかれている最中です。
 今日もミゥちゃんを迎えに行った時、雑巾がけであの縦も横も広い廊下を掃除していました。多分、あの面積を終えるだけでも昼過ぎになると思うのですが、リブリッツさん曰く、あのあと、ダイニングルームの床も掃除するんだとか。
『しろねごぉ、だずげで』
『おい、お前何をサボっている! お前はこの家ではウジ虫だ! ウジ虫が汚らしい言葉を吐くな! ウジ虫はウジ虫らしく一つの言葉だけを言え!』
 竹刀を片手に咆哮するリブリッツさん。
 横では苦笑いの表情でバルサさんが立っていました。
『さ、サー……』
『聞こえないっ!』 『サー! イエッサー』
『……ハハハ。が、がんばー……』
 確かに、命にかかわる作業ではないですが、精神的に病んでしまいそうで怖いです。
 ま、今回ばかりは同情の余地もありませんが。
 せいぜい身を粉にして働いてくれ、としか言いようがないですね。洵さん?

「それで、ムーン、ボールをとりにいこうとしていずみにあたまからつっこんじゃったんだよ?」
「アハハ、あのチャオって結構おドジさんなんだね」
「うん、もう、だれににたんだか」
「ミゥちゃんかもよ〜?」
「うー、わたしはどじなんかじゃないもん」
 ムーン、というのはミゥちゃんが大切に飼っている、例の黒っぽいピュアチャオの事です。チャオちーのうえについているポヨがお月さま見たいだったからムーンなんだとか。
 最近、彼女が話すことと言えば、ムーンの事ばかりでした。
 なんだか、それを聞いていると、なんだか穏やかな話だなぁ、という気もしますし、逆に、どこか引っかかってしまう部分もありました。

 そう、ムーン以外の事を何にも話さないのです。

 それはリブリッツさんの事でもあるし、あの家での普通の生活の事、学校の事。

 そして……お父さんやお母さんの事も、何も話してくれないのです。

「おねえちゃん」
 あたしが肘をつきながらぼんやり外の様子を眺めながらそんな考えを張り巡らせていると、ちょっといらついたミゥちゃんの声が聞こえてきます。
「あ」
「もう、またうそういた。わたしのはなし、聞いてくれていない」
「……ミゥちゃんってさ」
「うん?」
「一日ずっと、何しているの?」
 彼女の文句を敢えてスルーして、あたしは出来るだけ明るい調子でそう尋ねます。
 でも、それを聞くと、ミゥちゃんは顔を俯かせて、ポツリと一言漏らします。

「行ってない」

「……え?」
「わたし、がっこう、かよっていないの」
「で、でも」
「わたし、7さいだから、ほんとうはがっこういかないとだめ。でも、いいの。がっこうなんて、もうにどといきたくない」
 ミゥちゃんは全部食べ終えたパフェのスプーンをいじくりながらそう答えます。
 切なげな、そして、どこか空虚な瞳。
 あたしは嫌な質問をしてしまったことを悟り、明るい調子をなるべく保つようにして言葉を続けます。
「そ、そっかー、ごめんね。あ、じゃぁ、さっきの」
「いいよおねえちゃん、むりしなくていいの」
「あ――」
 あたしの心なんかお見通し、と言わんばかりに、ミゥちゃんは言葉を返してきました。
「わたしは、いちにちずっと、ムーンとだけ、過ごしているの。ムーンだけがおともだちなの」
「……」
「……あ! もちろん、おねぇちゃんも、お友達、だよ?」
「う、ううん、いいんだよ、そんなこと心配しなくて」
 心配そうにこっちの方を上目遣いで見てくるミゥちゃん。
 あたしは、強く頷きます。
「大丈夫。あたしも、ミゥちゃんとはおともだちだっておもってるよ」
「おねえちゃん……」
「ミゥちゃん」 「え?」
「ひとつだけ、約束しようか」
「うん」
「お友達には何でも話すこと、分かった?」
「約束、だよね?」 「そ」
 あたしがそう言うと、何とも言えない表情で彼女はこっちを向いてきます。
「でも、しんようできない。……おねえちゃん、うそせいぞうきだから」
 つ、ついに製造機ときましたか。
「むっ、今の言葉くらいは本当だい!」
「じゃぁ、あとのことばはぜんぶうそなんだね」
 冗談のようにいうミゥちゃん。
「そ、そんなわけあるかー!」
 あたしの間の抜けた突っ込みに、二人で笑ってしまいました。
引用なし
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とある少女とショーネンR18 〈二章〉
   - 10/2/20(土) 22:57 -
  
 ――マラシュケ区、自宅 PM9:30

 マラシュケ区には、観光業では二つの収入面がある。
 一つはカスバなど、そのものの遺産を目的とした旅行者の投下するお金。
もう一つは、イトラス山脈を越えて現れる、史上最大の砂漠、ベルべ砂漠とその中にある世界遺産アイト・ベン・ハッドゥを敢行するツアーに参加した旅行者の投下するお金である。
 海沿いの荒野地帯に位置するマラシュケ区は砂漠都市とは言っても実質的な砂漠地帯ではない。高度な文明都市であるトゥキョオ区民からすればそう見えるのかもしれないが、本当の砂漠が見れるのはイトラス山脈を越えてからである。

「で、今回の調査は……をこうして……ったく、めんどくせえ作業だ」
 俺はベッド脇のテーブルで報告書を作成しながら、愚痴をこぼす。
 報告書とは、CHAO研究所に提出する、いわば、ちゃんと仕事をしてますよ、的な証明書類であると考えれば良い。
「そんなもの、適当に書けば、いい」
 ベッド上で楽しそうに新しく買ってきた魔法書を読んでいる黒猫。
 同じ研究所の人間なのに、どうしてこんなに苦労の差が出ているのだろうか。
「適当に書いてみろ? 明日から給料カットだ」
「それは大変。ちゃんと書いてね」
「黒猫、お前も手伝えよ」
「イヤ」
 そうきっぱり言い放つと、再び魔法書に目を向ける。
 正直、報告書なんかよりも、魔法書に書いてある意味不明な文字の羅列の方が難しい気もするが、彼女にとっては簡単な算数ドリルのようなものなのかもしれない。
 パラパラと次々にページをめくっていく音がする。
「あ、そうだ、」
 と再び、黒猫は、何か言い忘れていたのか、書物から目を離さないで口を開く。
「白猫ちゃんからの伝言」
「白猫? ……何?」
「ウソを良く付く女の子は、嫌いですか?」
「……は?」
 あまりに突拍子なその質問に頭の理解が付いて来ない。
 だけど、それは黒猫にとっても同じようで、感情を特に込めず、伝言を棒読みするかのような口調で伝言の内容を続けた。
「背がちっちゃい女の子は嫌いですか? 髪の毛がちょっとパサつき気味の女の子は嫌いですか? 手がカサカサな女の子は嫌いですか? おっぱいがちっちゃい女の子は嫌いですか? ……だって」
「へぇ、アイツが俺に女性の好みをきいてくるなんて珍しいな」
「……そう言うこと、じゃ、無い、と思う」
「じゃあなんだよ」
「自分で、考えれば、分かる」
 そう言って、今度こそ黒猫は自分の読書に没頭してしまう。
 少し、怒っているようにも見えるが、多分それは考え過ぎだろう。
 俺は最初の雑多な会計記録を付けるのを終え、ようやく適当に書くことが出来る部分にした。一日の記録なんて、それこそ相手も疑いようが無いのだし、きちんと建前で仕事していることさえ書いておけば十分だ。
 ふぅ、と一度息をついて、最後の文章作業に取り掛かる。
「……」
 黒猫はパタンと本を閉じると、ベッドから降りてとてとてと台所の方へと移動する。
 冷蔵庫から、今日買ったオレンジジュースを二つ分取り出してきた。
「どぞ」
「ありがと」
「いえいえ」
 黒猫はテーブルの上にジュースを置くと、彼女も同じようにベッド脇に座りこんで、俺の肩に寄り添ってくる。
「何?」
「白猫ちゃんにも、かまってあげて」
「あ? ……あぁ」
 黒猫はこうして、たまに白猫の事を言うことがあった。
 俺としては魔法を使うことが出来て、さらには聞き分けの良い黒猫の方が扱いやすくていいのだが、あまり自分ばかり構われるのも嫌なのだろうか?
「白猫ちゃん、良く、わがまま言うでしょ?」
「そうだよなぁ、アイツのせいで、酷い目に会ったものだ」
 普通より大きく幅が取られた窓を見る。
 お洒落な金属製の枠の間から見える、少し太ってしまった三日月。
 段々と輝きを増して、数日後には満月となってこの窓から見ることが出来るのだろう。
 もちろん、この窓の大きさも白猫に無理を言われて大工に頼み込んだことだった。最初はレンガでは難しいと言っていたが、そこは職人技でカバーしてくれたらしい。
「あたしは、白猫ちゃんのこと、好きよ?」
「そっか」
「お友達なの。目覚める前とか、入れ替わるとき、ちょっとだけ、お話しできる」
「話をするのか」
「うん……。白猫ちゃん、寂しそうにしてる。お連れさんと最近全然会えないから」
「そうなのか」
「そうだよ。お連れさん、女のコに思いやりがない」
 むっとした表情になって、語気を荒くする。
「白猫ちゃん、いつも朝と昼のとき。だから、人と関わるとか、そう言う面倒くさいこと、全部白猫ちゃんに押し付けた。だから、彼女、すごく嫌な思い出もある。好きな人、いなかった」
「……」
「だから。白猫ちゃんのこと、優しくしてあげて」
 俺はオレンジジュースを飲みほし、カタンとテーブルの上に置く。
 そうやって頭を冷やしていると、俺も最近は白猫に冷たくし過ぎたのかな、とも思う。
 家の増築で無駄金使ったからって、お小遣いをゼロにしたり。彼女と話すとイライラしてしまいそうで、朝早くにさっさと外出してしまったり。
 でも、彼女は朝昼晩とご飯を用意してくれている。洗濯も、掃除も、自分自身が仕事を持っているのに、そう言う面倒事も全てやってくれる。
「反省した?」
「ちょっと、な」
「白猫ちゃんは、あたしより、女の子なんだ」
「……?」
「わがまま言うのも。きちんと仕事をこなそうとすることも。ひとりで何でも抱えちゃうことも。全部、それは裏返しなんだ」
「……」
「分かってあげて。お連れさん」
 黒猫がいつにもまして沢山しゃべったので、俺は空気を読んでいないこと前提にプッと吹き出してしまった。
「む。真面目に、聞いてる?」
「あぁ、聞いてる聞いてる。……明日、遺跡の調査、二人で行こう」
「へ?」
「そう白猫に伝えておいてくれ」
「あ……。……はい」
 俺は報告書をかき終わり、それらをホッチキスで止める。マラシュケの速達で送れば二日後には届くだろう。
 黒猫はそれをじっと見ていたが、やがてもう一度冷蔵庫の所まで行き、今度は桃の絵が描かれた大きな瓶を持ってくる。
「おい、それ、ピーチリキュールじゃねぇか。酒だぞ?」
「オレンジジュースと割って、ファジーネーブル作る」
「お前、未だ17歳だろ?」
「飲んだら、王目に言うの?」
「いや、言わないけどさ」
「なら、良い」
 こぽこぽと二つの液体を混ぜ合わせていく黒猫。慣れたものだ。
 たまに、俺の目を盗んでこそこそこう言うモノを飲んでいたのかもしれない。
 彼女も、彼女なりにストレスがたまっているのだろうか。
「あたし、たまに、分からない」
「ん?」
 ファジーネーブルを作り終え、先ほどの定位置に座りこんだ黒猫は、そのオレンジともピンクとも言えない綺麗な色のそれを飲みながら、ポツリと言葉を漏らした。
「自分の好きな人の事、優先するか、お友達、優先するか」
「好きな人、お前、いたのか?」
「……バカ。普通に生活してきた17歳の女の子に、いないはずがない」
「ふうん、お前ももうそんな年か、あ、俺にもちょっとくれ」
 俺は彼女のコップを受け取ると、それに口付けた。
 隣で、黒猫が「あっ」と、吐息に近いような声を漏らす。
 もじもじと、両手をいじくりながら、俺の方をそっと見つめてくる。
 アルコールであるピーチリキュールの方はあまり入れていないのか、自分にとってはあまり酒では無いような気がした。
「センキュー」
「……ん」
 無言でうなずいてコップを受け取ると、彼女は何やらじろじろとコップの淵を見る。
 肩まで伸びた黒髪の間から見える頬が、ほんのりと赤くなっていた。
「何しているんだ?」
「……分からないならそれでいい」
 大慌てでピーチリキュールを飲み干すと、ちょっと強めにコップをテーブルに置いて、黒猫はさっさとベッドの方に登って行ってしまう。
 一段のセミダブルベッド。黒猫は奥側で寝るのが好きらしかった。
「お、や、す、み」
 どこか刺のある口調で黒猫がそう言うと、数秒後、可愛らしい寝息が聞こえてくる。
 お酒をあれだけ勢いよく入れれば、すぐに回ってしまうだろう。
「……おやすみ、黒猫」
 俺はそう一言だけ言うと、部屋の明かりを消して、タバコを吸うために外に出た。

 * * *

 赤い土の壁が 光に照らされて異様な雰囲気を演出する
 エスニックな甘い空気は 人の脳髄に染み込んで きっと頭から離れない
 そうして そんな赤い世界の間から見えるもっと奥
 どの世界にも散らばる 綺麗な星空が 俺の顔を優しく照らした
 夜の世界は闇が正しい存在で 光は異質な存在 
 昼の世界は光が正しい存在で 闇は異質な存在
 花火は常闇の空をさかさまに切り裂き 爆ぜる
 陰影は常昼の街にパズルピースのように 埋まる
 黒から白
 白から黒へ
 どちらが正しい そんなこと 言えるわけがない
 どちらも正しい でも そんなことも 言えない
 でも いつか きっと 選ぶべき時が来る
 それは 別れで それは 始まりで
 それは 最終章で それは 第二章で
 それは 悲しくて それは 嬉しくて
 それは 滑稽で それは 素晴らしくて

 そして 

 それは なんて 切ないことなのだろう?

 * * *

「ふぅ」
 俺は白い煙草の先に赤い光を灯らせながらドラゴンの身体に寄りかかっていた。
 『彼女ら』とは、研究所に入るときに出会った。
 あの時の白猫の性格は、今とは正反対で、何事にも従順で、口応えなどせず、何より、おとなしすぎて怖かった。黒猫は、相変わらず、あんな感じだったが、今よりも、誰か他人に対しては無関心だった記憶がある。
 二人とも、良いことなのか、悪いことなのか、変わってしまったが。
「あら、こんな時間にいるなんて、珍しい」
 と、俺が考えに耽っていると、突然横から女性の声がする。
 黒いローブを身にまとい、黒髪の毛を下げた、二十代くらいの女性。
 他に人と違う特徴があるとすればその腰辺りから二本のしっぽが生えているということだろうか。
「ウィッチか」
「あらあらまぁまぁ、そんな安直な名前じゃないわ。ツバキサンにはツバキって言う綺麗な名前があるのに」
「ツバキか……そう言う安直な名前は呼ぶのが嫌だ」
「どちらが安直かしらね」
 指をパキパキ言わせながらこめかみに青筋を立てるウィッチ。
「冗談だ」
 俺はタバコをコンクリに投げてそれを靴ですりつぶす。
 煙が立ち消え、清々とした空気が入り込んできた。
「あの子、昼は良い子で可愛いのに、夜になると同族になっちゃうのよね」
 あの子、とは連れの事だろう。
「正確に言えば違う。アイツは太陽と月をその目で見ることがキーになっている」
「そうなの。あの子、一体身体の中にどんなシステムを構築しているのかしら」
「お前には言われたくないだろうよ。本当の「黒猫」に化けて、そこら中を歩くことが出来る、お前には」
「ふふ、魔術を使える人間が最近はめっぽう減っているから、私が珍しいだけよ。昔は、こんなこと、誰でもすることが出来た」
 ウィッチはそう言うと、俺には理解のできない言葉を紡ぎ始める。
 突然、黒いモヤモヤが彼女の周りを包み、そして、それが彼女の身体を押しつぶした。
 俺は一瞬彼女の居る場所を見失う。
 が、すぐに、肩にすたりと、何かが乗ってくる感触がした。
 ――黒い、猫。
 もっといえば、しっぽが二手に分かれている二股の黒猫だ。
 彼女はぺロリ、と俺の頬を舐めると、にゃぁ、と鳴く。
「……邪魔だから、降りてくれないか」
 ウィッチはぐむーとうなり声を洩らすと、さっさと俺の肩から降りて、また黒い靄に包まれる。
 目の前には不機嫌そうに腕組みしたウィッチが立っていた。
「もうちょっと、喜んで良いんじゃない?」
「猫にキスされても喜ぶも何もないがな」
「ふうん、人間ならいいんだ……」
「ただし、普通の人間に限る」
「ケチ。一応、あなたの元カノよ?」
「何とでも言うんだな」
 俺はもう一本タバコを取り出して、火を付ける。
 ドラゴンは俺たちの事に無関心なように鼻から大きなシャボン玉を作っていた。
 寝付きのよい爬虫類である。

「あ」
 ウィッチは、思い出したかのように、雑誌が大量に入った紙袋を俺に手渡してきた。
「何それ」
 訝しげに彼女を見ると、彼女はハァと深いため息をつく。
「中を見ればわかるでしょ? あなたのじゃないの?」
「え?」
 俺はそう言われ、がさごそとその中に入っていた本を取り出し、そして、ぽとりとそれを落としてしまった。
 表紙でもう分かる。
 ――週刊巨乳少女Vol 34。
 そして、そのタイトルとともに、ロリ巨乳と言われるようなキャラクタが恥ずかしそうな目線で読者となるであろう俺たちの事を上目遣いで見ている。
「最低」
「違う、これは、洵の仕業だ」
「でも、玄関に、これ、置いてあったわよ?」
「だから、洵が置いたんだろうよ」
「巨乳かぁ……私と○○○する?」
「断る」
 俺は雑誌を袋の中に入れたまま、それらをまとめて一階にあるゴミ箱の中に入れた。
 巨乳とかそう言うのよりも、……二次元は俺はあまり好きではない。
「私に感謝してよね。こんなのあの白い髪の毛の子……白猫ちゃんだっけ? に見つかると、ヒステリー起こされるわよ?」
「……感謝してるよ」
 ヒステリーどころか、包丁とか普通に持ち出されてしまうレベルだ。
 あいつは、自分の胸の事に関して何か言われると、危険指数がぐんと跳ね上がる。
 洵の野郎は、後からこってりと絞らないといけない。
「で、ウィッチ。用事はそれだけじゃないだろ?」
「あら、別に昔の彼氏と私が何かシタいとかいうの」
「そう言うことじゃない。何か他に言おうとしていることがあるのじゃないのか」
 ウィッチはグスッと一度鼻をすすると、良くわかったね、と言って、俺に一冊の本を手渡してきた。
 その表紙には『太陽と月の冒険』と書かれている。
「何だこの本は」
「魔法書よ。黒猫ちゃんに上げたら喜ぶわよ。何せ、魔術書の中でも最上級のウチの一つだから」
「どうしてそんなものをくれる気になったんだ」
「一応。ちょっと、心配なことがあってね」
 ウィッチは二階のある方向へ目を向けながらそう言う。
「黒猫が?」
「ええ、まあ。ま、杞憂だから、内容は言わないでおくけど、一つあなたに忠告しておくなら、あまり彼女を一人にしないことね」
「どういうことだ」
「魔法使いとしての疳がそう言っているのよ。近々、良くないことが起こる気がする。おそらくは、この街を舞台に。そして、黒猫……もしくは白猫ちゃんがそれに巻き込まれそうな予感がする」
「何だと……?」
「私も詳しくは分からないけれどね。調査、続けるのはいいけど、あまり危険な場所には連れて行かない方がいいわよ? じゃぁ、バイバイ」
 ウィッチは黒いローブを翻らせると、先ほどと同じ呪文を唱えて、黒猫の姿になる。
 そうして、月が明るい夜の中に、再び消えて行ってしまった。

 ――嫌な予感。

 彼女がそう言うことは大抵当たるので、思わず身震いをする。しかも今度は、どうやら人事でもないらしい。
「気をつけないと……いけないようだな」
 俺も二本目のタバコを吸い終ると、さっさと二階に上がることにする。
 ――その時、俺は考え込んでいたからかもしれない。
 俺の家の方向を見てくる、複数人の影がこちらをじっと観察していることに、全く気が付かなかったのだ。
引用なし
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とある少女とショーネンR18 〈二章〉
   - 10/2/23(火) 6:20 -
  
 ――ラサバ区、イトラス山脈、ベルベ砂漠側 AM5:30 


 あの日から、二日後。
 ――もうすぐ夜が開ける時刻。

 まだ、太陽は空に浮かびあがってこない。
 だが、もうすぐそうなるのであろう、地平線彼方まで続く礫岩だらけの荒野はほのかに熱を帯びたかのよう、オレンジ色の光を纏っている。マラシュケ側から見た山脈が緑で覆われているのもあって、何度見てもそのギャップに驚かざるを得ない。
 俺と黒猫はドラゴンの上に括りつけた毛布にくるまりながら、夜を過ごした。
 遺跡までの道のり。昔は舗装された道路があったらしいが、今の時代ではすっかり荒れ果て、とてもではないが車で行ける場所では無くなっていた。
 俺たちのドラゴンは文句ひとつ言わず、のっしのっしとゆっくりゆっくり歩を進めていく。
 古代のドラゴンには翼を持つものや、炎を吐くものもいたらしい。
 しかし、現代にわずかに残るドラゴン種は体内で生成する魔素の種類を遺伝子的に随分と減らし、飛ぶことはおろか、炎を吐くことも珍しくなってきている。相変わらずの身体能力はあるので、長距離の旅には向いているのだが。
「ところで、さっきからずっと読んでいるんだな、それ」
 俺は頭から上を毛布の外に出しながら、同じようにして、寝っ転がって本を熟読している黒猫に話しかける。
 ――太陽と月の冒険。
 魔術における権威であった古代の文豪が残したとされる名作。全て魔法用の言語で書かれているため一般人には読むことはできない。が、ウィッチいわく、魔術を使える人にとってはのどから手が出る内容が書かれているらしい。
「誰からもらったの? これ」
 書物から目を離さないまま、そう訊いてくる。
「ウィッチから」
「……ふうん。白猫ちゃんの、いる時?」
「いや、お前が寝た後。白猫に見つかったら何をされるやら」
 何気なくそう漏らすと、黒猫は顔を上げ、わざとらしいくらいに顔を歪めて俺の方を睨んできた。
「なんだよ」
「夜這い……? それ」
「そう言うわけじゃない。一階でタバコを吸っていたらアイツが突然現れたんだ。それで家の前でだべっていただけ」
「ふうん……まァいい。あたしは、白猫ちゃんみたいに、すぐ感情的には、ならないし」
 黒猫は暫くこっちの方を何とも言えない表情で見ていたが、やがて黙って書物の方に目線を戻した。
「ただ、あたしも……」
 呟きかけて、あ、と慌てて話題を変える黒猫。
「うん、まぁ、ウィッチさんのことは、白猫ちゃんには言わないでおく。なるべく隠すようにするから」
「あ、あぁ、そうしてくれ」
 先ほどよりも、太陽の頭が出てくる。
 まるで、赤橙のランプが徐々に地下に閉じ込められた世界に入り込んでくるかのように。
「黒猫、読書、集中しているところ悪いが」
「うん?」
「そろそろ、交代の時間だ。あんまり白猫を寝不足にさせない方がいい。怒られるぞ?」
「むぅ。……仕方ない。太陽だけ見たら、もう一度寝る」
「あぁ、今日は突然夜中に起こして悪かった」
 白猫には今回の事を直接口頭で伝えた――黒猫と白猫が上手くコンタクトが取れなかったらしい――のだが、黒猫にはそれらしいことを最初に言っただけで詳しい日程までは言っていなかった。
「だいじょぶ、あたしも久しぶりに沢山起きれて楽しかった」
 はにかんだ笑顔を見せてきた彼女は、本をしおりに挟むと、それを大事そうにカバンの中に戻した。
 そうして、顔だけを毛布から出すと、夜明け前の空をじっと眺める。
「お連れさん」
「何?」
「広場とか、お買い物とか、喫茶店って、楽しい?」
「さぁ、それは人次第だ」
「……夜明け前に、たまにベッドから起きちゃうとき、ある。そんなとき、いつも、白猫ちゃんのこと、羨ましくなる」
「確かに、昼の時の方が、楽しいことはいっぱいできるのかもしれないな」
 黒猫は寂しそうに段々と朝を迎える世界の空気を吸った。
 はぁ、と吐きだした空気は、まだわずかに白くなる。黒い髪の毛に赤い光のラインが入って、黒猫の横顔がいつもより少し綺麗に見えた。

「それから……」
「ん?」
「……黒猫っていう、女の子は」
 いつの間にか、彼女は心配そうな目でこちらの方を見ていた。
「必要な、コ?」
「え?」
「お連れさんにとって、あたしって、役立ってる? 魔法くらいしか取り柄が無い、しゃべり下手で、家事も出来なくて、あんまりお洒落にも興味がない、女の子な、あたし」
 太陽がどんどん昇ってきて、その髪の毛の色が段々と白く薄くなっている。いよいよ、この荒野も赤く燃え盛るように輝き始める。
 黒猫も何だか意識の奥に戻されそうな、朦朧とした瞳になっていた。
 いきなりの質問で、答えが見つからない。
 一言で答えを言うことはできる。だけれども、理由は、と聞かれたら、何とも答えられないかもしれない。言って良いものなのかどうか。
「お連れさん」
「……あ」
「別にあたしは傷つくとか、そういうこと、考えて、無い、から」
 ――嘘だ。
 瞳を若干潤ませたままそんなこと言っても何の説得力もない。
 嘘をつくのが下手なところは、〈どちら〉もよく似ている。
「ったく、もう」
 俺は仕方なく、ガシガシ、と彼女の黒髪を撫でた。整えられていた髪型が少し崩れてしまうが、白猫には寝ぐせと言っておけば素直に信じてくれるだろう。
 そして、肝心の彼女は、呆けた表情でこちらの方を見ていた。
「ほあ……」
「そう言うなぁ、俺を困らせる質問をするんじゃねーよ」
「だって、だって……たまに、質問したい時かって、ある……もん」
「必要だ」
「……。……え、あ」
「ちなみに、理由なんてない。ほら、安心したらさっさと交代しないと、白猫に怒られるぞ?」
「う……ん」
 何故そんなことをいきなり質問してきたのか、と逆に質問したかったが、彼女にも何か思うことがあるのだろう。
 今は、そっとしておくことにした。

「(……他の女のコの事、好きになったら、あたしの方が、きっと、めんどくさい、よ?)」

 黒猫が、なにか独り言を漏らす。
「え? 何か言った?」
「なんでもない」
 彼女はフフッと軽く笑ってそっと目を閉じた。
 ――同時に彼女の髪の毛の色が目まぐるしく変化し始める。
 それはまるで一秒に何度も朝夜が回っているような、そんな光景。
 黒から白へ。
 白から黒へと、何度も、何度も。
 だが、数分もしないうちに、その色は白にとどまり始め、最後には完全に真白な髪の毛となって、朝の心地良い風に揺らされていた。

「……おはよう、白猫」


 ――??? AM6:00


 草原の香りが朝になったことを伝えます。
 あぁ、そろそろ、あたしの出番というわけですね。
 だけれども……何だか雰囲気が違います。

 ――あれ? ここは、どこの街なんだろう。

 どこからともなく流れてくる気持ちの良いハープの音。
 空を見上げれば、明るいはずの街に、大きな三日月が、ポツリと浮かんでいます。
 なんだか、ファンタジーの世界に入りこんでしまった気分。
 街を作る建物は、あるいはパン屋さんだったり、お洒落な喫茶店だったり、服のお店だったり。街の住人は、みんな西洋風のデザインの良いのを着て闊歩していました。
 ――あぁ、あたし、あんな服着たことないのになぁ……。
 そんな彼らを思わず羨ましく思って見てしまうあたし。
 ふと、自分のいる大きなレンガ道の坂を見渡すと、遠くの方に海が見えます。
 ハチリア島の時も綺麗な海が見れましたが、そことはまた違いました。
 何とも言えない、想い出が詰まったような碧い、――海が、見えるのです。

 あぁ、そうだ、この世界は――

「交代だよ」
「うわっ」
 突然後ろから声を掛けられて、あたしはあわててそっちの方を振り向きます。
 手をパタパタと振りながら、いつも通りの半目の眠たそうな顔をした黒猫ちゃんが、立っていました。
 と、いうより、本気で眠たそうにあくびをしたり、目をこすったりしています。
「何していたんですか?」
「本、読んでた」
「あー……もう。どうせなんか魔法書のいいやつでしょ?」
 黒猫ちゃんは、あたしが朝昼にとても眠たくなることを知っていながら、読書だけは熱中して徹夜も辞さない悪い子ちゃんですから困ります。
 あんな文字、あたしには全然読めないので分かりませんが、何が楽しいんでしょうね?
「太陽と月の冒険」
「タイトル?」
「そ」
 あたしはこめかみに指を当てながら、彼女のために洵さんのお金で買った何冊かの本の表紙を思い出します。魔法書は文字は読めませんが、絵がかなり豪華に書かれている表紙のモノがあるので、それでどういう魔法の本かは分かるのです。
 ただ、あたしの買ったものにそんな太陽や月が書かれたものはありませんが……。
「お連れさんがくれた」
「……へ? は、ははははは……。……はいいいいい!?」
 あたしは思わず黒猫ちゃんの襟を掴んでしまいました。
 失言してしまった後の顔をしながら黒猫ちゃんがこっちを見ます。
 何か不良青年になってしまった気分ですが、今はそれよりも問い詰めたいことがあります。
「なんで? どうして? それって、プレゼントじゃん!」
「い、いや、ちが」
「もー! あたしには最近殆どお小遣いくれないのに!」
「大丈夫。明日からは普通に上げるからって、お連れさんが言ってた」
「で、でも、プレゼントとか! しかもそれって絶対、黒猫ちゃんの好きなものだって分かってやってるに決まってるよー!」
 頭を抱えたくなっちゃいます。
 それをちらっと一瞥した黒猫ちゃんは、何だか申し訳なさそうな顔……というか、何だかマズったなぁという顔をしてあたしから目を反らしていました。うう……。
 た、確かに顔は同じだし、体型も同じだし、黒猫ちゃんにプレゼントというのは、つまりあたしに、って言うことも承知しているつもりだけれど!
 でも、でも、なんか悔しい!
「お、お連れさんは、あたしのモノです!」
「こんな道端で、そんな恥ずかしいこと、言うものじゃないよ」
「う〜、でもでも、家事洗濯お買い物そして子供の世話! 全部あたしがやっているのにぃっ」
「こ、子供はいないけど……」
 キーッとハンカチ……はなかったので普通に自分の服を噛むあたし。
 黒猫ちゃんがなんだか終始いたたまれない表情をしているのが余計に癪に触ります。
「んもう、たまに会うときくらい、仲良く、しよ?」
 首をくいっと軽く横に倒してあたしの方を見てくる黒猫ちゃん。
「……じゃぁ、誓いましょうよ。黒猫ちゃんは、お連れさんには興味がないって」
 苛立たしくなってしまうのは仕方無い、と自分で言い訳しながらそんなことをまくしたてます。
「それは、無理」
 でも、彼女の答えは、即答でした。
「ど、どうしてー……」
 若干うろたえながら、その理由を問いただします。

「だって、あたしも、お連れさんのこと、好きだもの」

 ――へ?

 いや、今のは多分、黒猫ちゃんが良く言う悪い冗談です。
 あたしって、そう考えると、本当にいろんな人からいじられますよねぇ。
 なんででしょう? そう言う性格なんでしょうか?
 でも、黒猫ちゃんはちょっと悪い冗談すぎます。だって、彼女は、いつもあたしとお連れさんの事を考えてくれて、何かとあたしに構ってあげられるようにお連れさんに掛けあってくれるんです。
 そんな彼女が、いくらなんでも同じ人が好きとか、……ねぇ?
「今まで気がつかなかったのも、結構、すごい、けど」
「う……ウソ、ですよね?」
「んー。例えるなら、生きた冗談、みたいな」
「ほぇぇ? ……あぁ、成程、それはつまり現実に実在する嘘だということですかってそれ本当だって意味じゃないですか!」
「うん、そうだよ。あたしもお連れさんが好き」
「で、ででででも、そんなはず、そんなはず……!」
「同じ脳みそで、生きているんだし。仕方ない」
 自分で言ったことに、自分で納得してしまう黒猫ちゃん。
 その瞬間、この街に誰一人として仲間がいなくなったような気分になります。
 まぁ、あたしたち二人以外、多分義手義足の人間たちなのでしょうけども。
「あたし、もう誰もお友達いないや……」
「うん、なんで? 白猫ちゃんの事は、あたしずっと、友達だと思ってるけど」
 チャオちーならば頭の上にはてなマークを浮かべるであろう表情で聞いてくる彼女。
「だって、考えたらそうじゃん。好きな人が同じ女性が二人、仲良くなんて」
「出来る、よ」
「え……」
「あたし、これからも、白猫ちゃんの恋、応援するし」
 とぎれとぎれの眠たげな口調ですが、そこにははっきりとした意思がありました。
 あたしはそれで少し黒猫ちゃんの事を信用できるようになって、彼女と再び見つめ合う格好になります。
「あたしは、髪の毛は黒い、けど、腹黒いのは嫌い。だから、白猫ちゃんの恋は応援することにしてるの。たまに、迷っちゃうけど。でも、あたしの中の答えは、彼の返事だけ」
「彼の、返事?」
「白猫ちゃんが好きって言ったのなら、あたしは白猫ちゃんを応援する。友達として。あたしを好き、って言ったのなら、あたしは自分の恋を、精一杯頑張る。根暗だけど、頑張って笑うし、お話も沢山したい」
「黒猫ちゃんって、強い……」
 あたしはさっきのしょうもない怒りを忘れて、ポカンと口を開けてしまいます。
 黒猫ちゃんはそんなあたしを苦笑いで見てきました。
「強くない、よ。もしも、お連れさんが第三者を選んだのなら、多分あたし、白猫ちゃんよりも嫉妬すると思う」
「おぉ怖っ」
「魔法も、使えるしね」
 指先にスッと何かを唱えて炎をともす黒猫ちゃん。
 あたしの身体を思わずぞぞっとした震えが走り抜けていきます。
「冗談」
「んもう、酷い、黒猫ちゃん」
「多分、すんごく泣いちゃうから、その時は慰めてね、白猫ちゃん」
「ん。あたしも泣くから二人でワンワン泣こうね」
 どちらからともなく、手を差し出し合います。
 そして、二人でそれを、キュッと握りました。
 何だか、同じ身体同士なのに、お互いの熱が伝わってくる感覚がします。
「また、たまにお話ししよ。白猫ちゃん」
「ん、そだね。じゃあね、黒猫ちゃん。あたし頑張る」
 あたしの身体が段々と薄くなります。
 夢の世界から、そろそろ起床という合図です。
 黒猫ちゃんはそれを穏やかそうな目で見ながら、一言、何かを言いました。


「本当は猫はもう一匹いるんだけどね――ね、灰猫ちゃん」


 ――ラサバ区、世界遺産 遺跡アイト・ベン・ハッドゥ AM9:30


「うむぅ……?」

 目が少しかすれていて、開けにくくなります。
 もしかして目やにとかが付いているのかもしれません。それなら、あんまりお連れさんには見せたくない気もします。
 あたしは薄眼でぼんやりと周りの状況を確認します。
 ストン、ストンという一定の揺れはもうなくなっていて、多分ドラゴンに未だ乗っている、ということはないんでしょうね。
 ――遺跡に調査に行こうと言われたのは昨日の事でした。
 最近は、お金だけじゃなくて、何かと構ってもらえていなかったので、あたしは表向きイライラ半分で彼の提案を聞いていたんですが、もう半分の本心ではハッピーそのものでした。
 ちょっと、拗ねたふりをすると、お連れさんが本気で心配そうな目で見てくれるんですよ? あの独占出来ている喜びと言ったらもう。
 結局あの後も、30分くらい駄々をこねてしまいました。
 最後はさすがにお連れさんも少し叱り口調でしたが。
 というわけで、黒猫ちゃんと半分こなんで今の気分は、プラマイゼロよりちょっと上、くらい。でもま、お連れさんの最近のあたしに対するいじめは許すとしましょうか。

「うんとこせっ、と」

 ふかふかの毛布に包まれたお布団から何とか抜け出します。
 ふう、と一息ついて、ここがどこか建物の中なんだと把握します。
 ――今回の件もやっぱり黒猫ちゃんの手回しかもしれません。白猫にもっと構ってあげなよ、みたいな。
 そう思うと、何だか後ろ髪惹かれる思いも多少はありますが、あたしも自分が自分でいられるときは手を抜かないようにします。
気取らず、ウソをつかず。
 ありのままの自分でお連れさんに迫らないと、自分に負けちゃいますし、自分以外の誰かに取られちゃいますからね。
「それで、ここは、どこだろう」
「アイト・ベン・ハッドゥですえ」
「ひょぇっ」
 毎度毎度、話しかけるときは正面から、というマナーを守らない人が多すぎです。
 今度は突然右耳に息がかかるくらいの至近距離からしわがれた声で誰かが話しかけてきます。
 肌色の肌。あたしと同じ、だけど多分本質的に違うだろう白い髪の毛。全体的に小太りな優しいおばあさん、という印象。全身は黒い衣装で統一しており、ホント、暑くないのおばあさん? と、問いたくなりますが、汗は一筋もたらしていません。
「ようこそ、遺跡の街へ。ま、こんなところドラゴン使えるヤツしか来れないからのう」
「そ、そうなんですかー」
「飛行機も、最近はここらの気流が安定しておらんで、誰も怖くて運転なんてできん」
 おばあさんはそう言うと、一杯のミントティーを渡してくれます。
「目覚めにはちょうどええ」
「あ、ありがとう、ございます……」
 かなり甘いミントティーですが、もらいものを残すのは気が引けたのでちびちびと飲み干していくことにします。
「あの、お名前を伺ってよろしいでしょうか?」
「ワシは、ここの街の長をしておる、スバガと言いますわ。宜しくな嬢ちゃん」
「はい、宜しくお願いします」
 しわしわな暖かい手と、握手。
 なんだか、自分の心まで癒やされてしまう気分になります。

「白猫、起きたか?」
「ひゃっ」
 聞き覚えのある声がして、そちらの方を見ると、入口からお連れさんが首だけをのぞかせていました。
「あ……」
 ふと、目線が彼の被っているスウェットキャップに移ります。
 灰色の暑い日でもかぶれる帽子が欲しいということで、あたしが手作りで拵えたものです。
 最近お連れさんと会っていなかったので分かりませんでしたが、ごくごく自然に使っていてくれてたんですね。
 ――嬉しい。
 そんな感情が、あたしの胸を暖めるように、締め付けるように、襲ってきます。
「もう9時過ぎているから、そろそろ起きて、何か食べないとな」
「あ、うん」
 穏やかな口調であたしに話しかけてくれるお連れさん。
 なんだか、その声が久しぶりな気もします。
 もしかしたら、ハチリア島で看病してもらった時以来かもしれません。
「えへへ……」
 ちょこっと笑いがこみあげてきてしまいます。周りから変な眼で見られるかもしれませんが、それでもいいくらい、なんだか、無性に笑いたい気分になります。

 土で出来た建物の小窓からのぞく太陽の光が、いつもより眩しく見えました。
引用なし
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とある少女とショーネンR18 〈二章〉 修正版
   - 10/2/25(木) 0:24 -
  
――ラサバ区、イトラス山脈、ベルベ砂漠側 AM5:30 


 あの日から、二日後。
 ――もうすぐ夜が開ける時刻。

 まだ、太陽は空に浮かびあがってこない。
 だが、もうすぐそうなるのであろう、地平線彼方まで続く礫岩だらけの荒野はほのかに熱を帯びたかのよう、オレンジ色の光を纏っている。マラシュケ側から見た山脈が緑で覆われているのもあって、何度見てもそのギャップに驚かざるを得ない。
 俺と黒猫はドラゴンの上に括りつけた毛布にくるまりながら、夜を過ごした。
 遺跡までの道のり。昔は舗装された道路があったらしいが、今の時代ではすっかり荒れ果て、とてもではないが車で行ける場所では無くなっていた。
 俺たちのドラゴンは文句ひとつ言わず、のっしのっしとゆっくりゆっくり歩を進めていく。
 古代のドラゴンには翼を持つものや、炎を吐くものもいたらしい。
 しかし、現代にわずかに残るドラゴン種は体内で生成する魔素の種類を遺伝子的に随分と減らし、飛ぶことはおろか、炎を吐くことも珍しくなってきている。相変わらずの身体能力はあるので、長距離の旅には向いているのだが。
「ところで、さっきからずっと読んでいるんだな、それ」
 俺は頭から上を毛布の外に出しながら、同じようにして、寝っ転がって本を熟読している黒猫に話しかける。
 ――太陽と月の冒険。
 魔術における権威であった古代の文豪が残したとされる名作。全て魔法用の言語で書かれているため一般人には読むことはできない。が、ウィッチいわく、魔術を使える人にとってはのどから手が出る内容が書かれているらしい。
「誰からもらったの? これ」
 書物から目を離さないまま、そう訊いてくる。
「ウィッチから」
「……ふうん。白猫ちゃんの、いる時?」
「いや、お前が寝た後。白猫に見つかったら何をされるやら」
 何気なくそう漏らすと、黒猫は顔を上げ、わざとらしいくらいに顔を歪めて俺の方を睨んできた。
「なんだよ」
「夜這い……? それ」
「そう言うわけじゃない。一階でタバコを吸っていたらアイツが突然現れたんだ。それで家の前でだべっていただけ」
「ふうん……まァいい。あたしは、白猫ちゃんみたいに、すぐ感情的には、ならないし」
 黒猫は暫くこっちの方を何とも言えない表情で見ていたが、やがて黙って書物の方に目線を戻した。
「ただ、あたしも……」
 呟きかけて、あ、と慌てて話題を変える黒猫。
「うん、まぁ、ウィッチさんのことは、白猫ちゃんには言わないでおく。なるべく隠すようにするから」
「あ、あぁ、そうしてくれ」
 先ほどよりも、太陽の頭が出てくる。
 まるで、赤橙のランプが徐々に地下に閉じ込められた世界に入り込んでくるかのように。
「黒猫、読書、集中しているところ悪いが」
「うん?」
「そろそろ、交代の時間だ。あんまり白猫を寝不足にさせない方がいい。怒られるぞ?」
「むぅ。……仕方ない。太陽だけ見たら、もう一度寝る」
「あぁ、今日は突然夜中に起こして悪かった」
 白猫には今回の事を直接口頭で伝えた――黒猫と白猫が上手くコンタクトが取れなかったらしい――のだが、黒猫にはそれらしいことを最初に言っただけで詳しい日程までは言っていなかった。
「だいじょぶ、あたしも久しぶりに沢山起きれて楽しかった」
 はにかんだ笑顔を見せてきた彼女は、本をしおりに挟むと、それを大事そうにカバンの中に戻した。
 そうして、顔だけを毛布から出すと、夜明け前の空をじっと眺める。
「お連れさん」
「何?」
「広場とか、お買い物とか、喫茶店って、楽しい?」
「さぁ、それは人次第だ」
「……夜明け前に、たまにベッドから起きちゃうとき、ある。そんなとき、いつも、白猫ちゃんのこと、羨ましくなる」
「確かに、昼の時の方が、楽しいことはいっぱいできるのかもしれないな」
 黒猫は寂しそうに段々と朝を迎える世界の空気を吸った。
 はぁ、と吐きだした空気は、まだわずかに白くなる。黒い髪の毛に赤い光のラインが入って、黒猫の横顔がいつもより少し綺麗に見えた。

「それから……」
「ん?」
「……黒猫っていう、女の子は」
 いつの間にか、彼女は心配そうな目でこちらの方を見ていた。
「必要な、コ?」
「え?」
「お連れさんにとって、あたしって、役立ってる? 魔法くらいしか取り柄が無い、しゃべり下手で、家事も出来なくて、あんまりお洒落にも興味がない、女の子な、あたし」
 太陽がどんどん昇ってきて、その髪の毛の色が段々と白く薄くなっている。いよいよ、この荒野も赤く燃え盛るように輝き始める。
 黒猫も何だか意識の奥に戻されそうな、朦朧とした瞳になっていた。
 いきなりの質問で、答えが見つからない。
 一言で答えを言うことはできる。だけれども、理由は、と聞かれたら、何とも答えられないかもしれない。言って良いものなのかどうか。
「お連れさん」
「……あ」
「別にあたしは傷つくとか、そういうこと、考えて、無い、から」
 ――嘘だ。
 瞳を若干潤ませたままそんなこと言っても何の説得力もない。
 嘘をつくのが下手なところは、〈どちら〉もよく似ている。
「ったく、もう」
 俺は仕方なく、ガシガシ、と彼女の黒髪を撫でた。整えられていた髪型が少し崩れてしまうが、白猫には寝ぐせと言っておけば素直に信じてくれるだろう。
 そして、肝心の彼女は、呆けた表情でこちらの方を見ていた。
「ほあ……」
「そう言うなぁ、俺を困らせる質問をするんじゃねーよ」
「だって、だって……たまに、質問したい時かって、ある……もん」
「必要だ」
「……。……え、あ」
「ちなみに、理由なんてない。ほら、安心したらさっさと交代しないと、白猫に怒られるぞ?」
「う……ん」
 何故そんなことをいきなり質問してきたのか、と逆に質問したかったが、彼女にも何か思うことがあるのだろう。
 今は、そっとしておくことにした。

「(……他の女のコの事、好きになったら、あたしの方が、きっと、めんどくさい、よ?)」

 黒猫が、なにか独り言を漏らす。
「え? 何か言った?」
「なんでもない」
 彼女はフフッと軽く笑ってそっと目を閉じた。
 ――同時に彼女の髪の毛の色が目まぐるしく変化し始める。
 それはまるで一秒に何度も朝夜が回っているような、そんな光景。
 黒から白へ。
 白から黒へと、何度も、何度も。
 だが、数分もしないうちに、その色は白にとどまり始め、最後には完全に真白な髪の毛となって、朝の心地良い風に揺らされていた。

「……おはよう、白猫」


 ――??? AM6:00


 草原の香りが朝になったことを伝えます。
 あぁ、そろそろ、あたしの出番というわけですね。
 だけれども……何だか雰囲気が違います。

 ――あれ? ここは、どこの街なんだろう。

 どこからともなく流れてくる気持ちの良いハープの音。
 空を見上げれば、明るいはずの街に、大きな三日月が、ポツリと浮かんでいます。
 なんだか、ファンタジーの世界に入りこんでしまった気分。
 街を作る建物は、あるいはパン屋さんだったり、お洒落な喫茶店だったり、服のお店だったり。街の住人は、みんな西洋風のデザインの良いのを着て闊歩していました。
 ――あぁ、あたし、あんな服着たことないのになぁ……。
 そんな彼らを思わず羨ましく思って見てしまうあたし。
 ふと、自分のいる大きなレンガ道の坂を見渡すと、遠くの方に海が見えます。
 ハチリア島の時も綺麗な海が見れましたが、そことはまた違いました。
 何とも言えない、想い出が詰まったような碧い、――海が、見えるのです。

 あぁ、そうだ、この世界は――

「交代だよ」
「うわっ」
 突然後ろから声を掛けられて、あたしはあわててそっちの方を振り向きます。
 手をパタパタと振りながら、いつも通りの半目の眠たそうな顔をした黒猫ちゃんが、立っていました。
 と、いうより、本気で眠たそうにあくびをしたり、目をこすったりしています。
「何していたんですか?」
「本、読んでた」
「あー……もう。どうせなんか魔法書のいいやつでしょ?」
 黒猫ちゃんは、あたしが朝昼にとても眠たくなることを知っていながら、読書だけは熱中して徹夜も辞さない悪い子ちゃんですから困ります。
 あんな文字、あたしには全然読めないので分かりませんが、何が楽しいんでしょうね?
「太陽と月の冒険」
「タイトル?」
「そ」
 あたしはこめかみに指を当てながら、彼女のために洵さんのお金で買った何冊かの本の表紙を思い出します。魔法書は文字は読めませんが、絵がかなり豪華に書かれている表紙のモノがあるので、それでどういう魔法の本かは分かるのです。
 ただ、あたしの買ったものにそんな太陽や月が書かれたものはありませんが……。
「お連れさんがくれた」
「……へ? は、ははははは……。……はいいいいい!?」
 あたしは思わず黒猫ちゃんの襟を掴んでしまいました。
 失言してしまった後の顔をしながら黒猫ちゃんがこっちを見ます。
 何か不良青年になってしまった気分ですが、今はそれよりも問い詰めたいことがあります。
「なんで? どうして? それって、プレゼントじゃん!」
「い、いや、ちが」
「もー! あたしには最近殆どお小遣いくれないのに!」
「大丈夫。明日からは普通に上げるからって、お連れさんが言ってた」
「で、でも、プレゼントとか! しかもそれって絶対、黒猫ちゃんの好きなものだって分かってやってるに決まってるよー!」
 頭を抱えたくなっちゃいます。
 それをちらっと一瞥した黒猫ちゃんは、何だか申し訳なさそうな顔……というか、何だかマズったなぁという顔をしてあたしから目を反らしていました。うう……。
 た、確かに顔は同じだし、体型も同じだし、黒猫ちゃんにプレゼントというのは、つまりあたしに、って言うことも承知しているつもりだけれど!
 でも、でも、なんか悔しい!
「お、お連れさんは、あたしのモノです!」
「こんな道端で、そんな恥ずかしいこと、言うものじゃないよ」
「う〜、でもでも、家事洗濯お買い物そして子供の世話! 全部あたしがやっているのにぃっ」
「こ、子供はいないけど……」
 キーッとハンカチ……はなかったので普通に自分の服を噛むあたし。
 黒猫ちゃんがなんだか終始いたたまれない表情をしているのが余計に癪に触ります。
「んもう、たまに会うときくらい、仲良く、しよ?」
 首をくいっと軽く横に倒してあたしの方を見てくる黒猫ちゃん。
「……じゃぁ、誓いましょうよ。黒猫ちゃんは、お連れさんには興味がないって」
 苛立たしくなってしまうのは仕方無い、と自分で言い訳しながらそんなことをまくしたてます。
「それは、無理」
 でも、彼女の答えは、即答でした。
「ど、どうしてー……」
 若干うろたえながら、その理由を問いただします。

「だって、あたしも、お連れさんのこと、好きだもの」

 ――へ?

 いや、今のは多分、黒猫ちゃんが良く言う悪い冗談です。
 あたしって、そう考えると、本当にいろんな人からいじられますよねぇ。
 なんででしょう? そう言う性格なんでしょうか?
 でも、黒猫ちゃんはちょっと悪い冗談すぎます。だって、彼女は、いつもあたしとお連れさんの事を考えてくれて、何かとあたしに構ってあげられるようにお連れさんに掛けあってくれるんです。
 そんな彼女が、いくらなんでも同じ人が好きとか、……ねぇ?
「今まで気がつかなかったのも、結構、すごい、けど」
「う……ウソ、ですよね?」
「んー。例えるなら、生きた冗談、みたいな」
「ほぇぇ? ……あぁ、成程、それはつまり現実に実在する嘘だということですかってそれ本当だって意味じゃないですか!」
「うん、そうだよ。あたしもお連れさんが好き」
「で、ででででも、そんなはず、そんなはず……!」
「同じ脳みそで、生きているんだし。仕方ない」
 自分で言ったことに、自分で納得してしまう黒猫ちゃん。
 その瞬間、この街に誰一人として仲間がいなくなったような気分になります。
 まぁ、あたしたち二人以外、多分義手義足の人間たちなのでしょうけども。
「あたし、もう誰もお友達いないや……」
「うん、なんで? 白猫ちゃんの事は、あたしずっと、友達だと思ってるけど」
 チャオちーならば頭の上にはてなマークを浮かべるであろう表情で聞いてくる彼女。
「だって、考えたらそうじゃん。好きな人が同じ女性が二人、仲良くなんて」
「出来る、よ」
「え……」
「あたし、これからも、白猫ちゃんの恋、応援するし」
 とぎれとぎれの眠たげな口調ですが、そこにははっきりとした意思がありました。
 あたしはそれで少し黒猫ちゃんの事を信用できるようになって、彼女と再び見つめ合う格好になります。
「あたしは、髪の毛は黒い、けど、腹黒いのは嫌い。だから、白猫ちゃんの恋は応援することにしてるの。たまに、迷っちゃうけど。でも、あたしの中の答えは、彼の返事だけ」
「彼の、返事?」
「白猫ちゃんが好きって言ったのなら、あたしは白猫ちゃんを応援する。友達として。あたしを好き、って言ったのなら、あたしは自分の恋を、精一杯頑張る。根暗だけど、頑張って笑うし、お話も沢山したい」
「黒猫ちゃんって、強い……」
 あたしはさっきのしょうもない怒りを忘れて、ポカンと口を開けてしまいます。
 黒猫ちゃんはそんなあたしを苦笑いで見てきました。
「強くない、よ。もしも、お連れさんが第三者を選んだのなら、多分あたし、白猫ちゃんよりも嫉妬すると思う」
「おぉ怖っ」
「魔法も、使えるしね」
 指先にスッと何かを唱えて炎をともす黒猫ちゃん。
 あたしの身体を思わずぞぞっとした震えが走り抜けていきます。
「冗談」
「んもう、酷い、黒猫ちゃん」
「多分、すんごく泣いちゃうから、その時は慰めてね、白猫ちゃん」
「ん。あたしも泣くから二人でワンワン泣こうね」
 どちらからともなく、手を差し出し合います。
 そして、二人でそれを、キュッと握りました。
 何だか、同じ身体同士なのに、お互いの熱が伝わってくる感覚がします。
「また、たまにお話ししよ。白猫ちゃん」
「ん、そだね。じゃあね、黒猫ちゃん。あたし頑張る」
 あたしの身体が段々と薄くなります。
 夢の世界から、そろそろ起床という合図です。
 黒猫ちゃんはそれを穏やかそうな目で見ながら、一言、何かを言いました。


「本当は猫はもう一匹いるんだけどね――ね、灰猫ちゃん」
引用なし
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