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とある少女とショーネンR18 10/2/15(月) 3:34

とある少女とショーネンR18 〈一章〉 10/2/15(月) 3:50
とある少女とショーネンR18 〈一章〉 10/2/15(月) 4:03
とある少女とショーネンR18 〈一章〉 10/2/15(月) 4:07
とある少女とショーネンR18 〈一章〉 10/2/15(月) 4:15
とある少女とショーネンR18 〈一章〉 10/2/15(月) 4:19

とある少女とショーネンR18 〈一章〉
   - 10/2/15(月) 3:50 -
  
 ――マラシュケ区、AM8:00

 微かに吹いてくる風が、あたしの服を揺らします。

 中央広場を抜けて、カスバの中を進み続けて、ここに着いたのは昨日の午前3時でした。
 夜中も夜中、ともすれば変態さんに襲われてしまう時間帯ですが、あたしには強靭なボディガードが一人(一匹?)ついているので、そこは安心です。

 砂漠に囲まれたマラシュケ区には昔とっても凄い王国があったそうです。

 この世界には技術国と魔術国の二つが各地に点在しているんですが、ここは魔術国発祥の地。それで、ものすごい軍事力と経済力を誇っていたんですが、2000年前位に滅亡。
 今では、魔術で作られたのであろう、赤い粘土土の城壁で出来た複雑な路地を持つ街(いわゆるカスバです)をその面影として残すのみとなりました。
 まるで迷路のような道を通り抜けないと家にたどり着けないカスバですが、ちょうど一枚分壊れてしまい、周りの景色に似合わないまっさらな土地が残っていたので、あたしのお連れさんに無理言って買ってもらいました。
 なんだか、異世界に迷い込んだ主人公になれる気がしましたから。

 で、今はそのお連れさんが遅れてくるので、その人を待っているんですが――

 ぼーん。

 ぼーん。

 ぼーんやり。

 身体をユラユラと揺らしながら、人がたまに行きかう細い路地をきょろきょろと人探しします。
 でも、彼は一向に現れる気配がありません。

「あうおー……」

 口真似をしながらユラユラ。
 誰の真似かって言うと、今あたしの真下にいる動物さんです。

 ――ドラゴンさん。

 頭をあたしのお尻に敷かれている状態なのに、随分と心地の良さそうな表情をしています。以前、聞いた話だと、そう言うので喜ぶ人は「M」と呼ばれるらしいのですが、ドラゴン界にも、存在するんでしょうか。……無いでしょうけども。

 先ほど、土地が開いているということとでしたが、そこを埋めるように建てたのが、この新築のレンガのお家。レンガと聞いて、これまた夢をかなえようと、ちょっと大工さんに無理を言ったら赤と黄色と茶色の三色レンガにしてくれました。
 二階建ですが、そのうち一階は車庫の作りをしていて、いわゆるドラゴンさんの領域です。昼は自動暖房、夜は自動冷房で、人間にとっては甚だ住める所じゃないので、あたしは二階の方に住んでいます。今は朝ですし、日陰なんで、良い感じに涼しいんですが、そろそろ熱くなってくる頃です。
 ちなみに、あたしの待ってる人も同じく二階で、しかも、同じ部屋です。
 ――そう。それで、爬虫類も思わず冬眠しちゃう寒い夜には「温めてあげるよ」とか言いながらあたしのベッドにモゾモゾもぐりこんできて……キャー!

「うっふふー♪ 撫で撫でー」
 恥ずかしい妄想を振り払いたくて、ふと見えた堅くてふっといドラゴンさんの角を激しくシェイクしてしまいました。
 彼は止めてーこそばいー、と言っているかのように、うーっとうなり声を上げます。
「えへ、ごめん」
 ゴロンと寝っ転がると、路地を挟んだ赤い粘土土で出来た不細工な――でもしっかりとしたくり抜き式のアパートがいくつか目に飛び込んできます。
 そして、それらの隙間からは、雲が一つもない、快晴の空。
 ドラゴンさんの上ですが、布団干しついでに毛布を敷布団代わりにしているので、背中はふんわりとして、気持ちが良くなります。
「ふああ――」

 どこか、この場所から遠く、気持ちの良い場所へとトリップしていけるような――

「うわっ、白猫じゃねぇが!?」

 突然の大きな声に、思わず飛び上がってあたりを見渡します。
 人影はすぐに見つかりました。
「お、驚かせないでくださいよー、もう。……お久しぶりです、洵さん」
「うん? そりゃこっちのセリフだよ。いつ戻ってきたんだい」
「今日ですよ。いやぁ、メディナ近くの所も良いんですが、ここはここで乙な感じがしていて住み心地は良いと思います」
「そうかい。はぁ、だぁれもいないうちに来ようと思ったのに。まさか、ドラゴンの上さいるなんて思ってなかったべさ」
「楽しいですよー。乗ってみます?」
 ギロッと、ドラゴンさんが洵さんの方を睨みます。
 そういや、このドラゴンさんはあたしとあたしのお連れさんにしか懐いてないんでした。
「あ、いや、遠慮しとくわぁ……」
 ドラゴンの頭に座る私が見上げるくらいの高身長。ギョーカイ用語で言う、パツキンのいかにも俺チャラいゼ? っていう若い男性の方。ただ、どこかしらの方言と思われる訛りがちょっと可愛い。で、性格も意外と弱虫。
 それが私にとっての「洵さん」というイメージです。
 彼は右手左手に何やら色々なモノ(雑誌?)を詰めた紙袋を抱えています。
「それ、なんです?」
 何気ないノリで聞いてみるのですが、洵さんは「Ouch!」という感じでそれら二つの紙袋を背中に隠します。
 見せたくないなら、あんな堂々と両手に抱えなけりゃいいのに。
「あら、洵さん、隠し事はいけませんよー」
 ドラゴンから降りて、ずいずいっと彼に近づいていきます。
 近づいた分だけ、後ろに下がる洵さん。
「これはだなぁ、白猫、男だけの秘密なんだ」
「大丈夫ですよ、私も男ですからー」
「嘘付けぇっ」
 洵さんは恐る恐る一階奥の、二階へのの入り口にそれを置くと、絶対見に行くなよ、とこちらを警戒しながら戻ってきます。

 ――そんなに心配しなくても大丈夫ですよー? 後から見ますー

 ま、今のところは、多少気にはなりますけど、堂々と見にいくわけにもいきません。
 うーんと伸びをして、腰を回します。
「ところで、白猫ぉ。おめぇ、昼に時間とれるか?」
 寝てたときに出来た後ろ髪のはねを手ぐしで直していると、洵さんが相変わらずの口調で何か尋ねてきます。
「えぇ、まぁ」
「ちょっと頼みたいことがあってーなぁ。手伝ってくれるけぇ?」
 両手をパチンと合わせる洵さん。何だか訳ありのようです。
 すぐの仕事だったら、待ち人さんに伝言でもしておかないといけませんし、何かと面倒なんですが……。
「んぐー、仕方ないですね。話だけは聞きます」

 二人で水の出ない噴水に座ります。
 朝9時の日光だけで随分とコンクリートは暖かくなり、座っているだけで気分が良くなります。
「あぁ、暖かい……」
 日光は素敵です。浴びるだけで身体はビタミンDを作ってくれるうえに、ホルモンの活性に役に立つと言いますから。
 おかげで私の身体も寒い寒い夜よりは幾分かぴんぴんとしています。
 やっぱり人間こうでなくちゃいけません。遅寝遅起なんて、身体に悪いだけです。
「で、用件なんだけどよ、ちょっと今のおめぇにしか頼めねーんだなぁ」
 洵さんは担いでいたカバンから一枚の紙を取り出します。

 えーと、何だろ――

「ピュアヒーローチャオ、を下さい?」
「マラシュケの新市街に住んでいる、ちょっとした富裕からの要望さね」

 ――チャオちー。

 ドラゴンさんもなかなかにこの世界では有名な生物ですが、現時点で一番界隈を賑やかにしている生命体はチャオちーでしょう。あ、ちー、っていうのはあたしのオリジナル語尾なんで、正式名称はチャオ、ですね。

 それはそれは、ずっと昔にマッドサイエンティストとして学会を追い出された男がCHAOS(ケイオス)という地球を滅ぼす存在を作ろうとしたらしいのです。
 でも、結果は失敗。代わりに生まれてきたのが、チャオ。
 男の方はどうなったかって?
 その事実発覚後、王目(ケーサツ)さんが沢山彼の所に押し寄せたらしいですけど、彼の姿はすでになく、失敗作――チャオの作成書だけが、そこに残っていたと言います。
 そうして、どさくさにまぎれて作成書を回収し、それを軍事応用しようとしたジャポネ国ですが、結果的には愛玩動物としてチャオを各地に売り払うことになりました。予算をつぎ込むだけつぎ込んでおいて、色々繁殖を重ねたらしいんですけど、結局愛玩動物しかできなかったんですって。
 そりゃあ、売り払うでもしてお金を回収しないと、世間から何を言われるか知ったものじゃありませんからね。

「ピュア……」
 形としては色々あるんですが、最初生まれたときは大抵オニオン型の頭をしていて、身体手足は丸みを帯びていて可愛らしく、頭の上に謎の物体を浮かべています。色つきのもあるにはあるんですが、やっぱり一番人気は原型であるピュアチャオです。
「でも、またなんでヒーローチャオなんでしょう?」
「あれだろよ、ヒーローチャオを持ってることは、その人間の性格に良い面が多いという箔が付くべさ。富裕にとっちゃ、それは自慢にもなるし、商業取引で重要な接待道具になりうるのさね」
「はぁ」
 よくよく考えると、似たような形で、そう言う件を依頼されたことはありました。

 アウトローな場で敵を威嚇するために、ダークチャオを作ってほしいと言う方。
 デスメタルバンドするから、それに合うようダークチャオを作ってほしいと言う方。
 良き妻を演じるための手段として、ヒーローチャオを作ってほしいと言う方。
 ダークにすると学校でいじめられるから、ヒーローチャオを作ってほしいと言う方。

 ――ハァ。

「正直、あんまり、乗り気になれないんですけど」
「まーまー俺もタダでやってほしいと言ってるわけちゃうから」
「と、言うと?」
「何らかのモノは買ってあげようじゃないかぁ、ってことだべ」
 相変わらずのどこの方言か良くわからない訛り全開で私に商取引をしてくる洵さん。
 商売人として、そこら中を闊歩しているのが災いしたのでしょうか。
「でも、モノを買ってあげる、ってそんなお金どこで……あ」
 自分で言葉を口にして、ようやく真相に気付きました。
 洵さんは売り上げをすぐに酒や女性とのいやんな行為、に使ってしまうので、最低限残して彼の財布はすぐにすっからかんになっちゃいます。そんな彼があたしに奢る、なんて普通はあり得ません。
 洵さんの方をキッと睨むと、いつの間にか彼は噴水のふちで土下座をし、小さく畏まっていました。
「すまねぇ。もう、前金たんまりもらってるんだわぁ」
「ば、バカじゃないんですかぁー!?」
 そりゃ、お金もたんまりありますわ、フツー。
「だから、白猫よぉ。なんとか引き受けてやってくれねぇが?」
 土下座の姿勢のまま、顔だけ上げて私の方を見てきます。
 キラキラとした目の輝きが、私に「イヤ」と言わせることを拒ませるようです。
「ヤです」
 だけど、断らせていただきます。
 洵さんの顔が文字通り、蒼白になってしまいます。
「そんな……」
「ここで引き受けたら、あたしが良いカモになってしまうじゃないですか」
「そこをなんとか! 何でも! 何でも買ってあげるから!」
 深々と土下座をしながら、引き換え条件を提示してくる彼。
「何でも?」
 思わず、そう問い返してしまいました。
 いつの間にか、脳内悪魔が刺激されて、デーモン閣下がむっくりと起き上がっていたようです。さっきまでは、合理的な天使っコが仕切ってたんですが、段々とその脳内雰囲気の風向きが逆になっているのが分かります。

 天使:引き受けるの? 引き受けないほうがいいんじゃない? 
 あたし(悪魔):いや、引き受けるのも悪くない。何でもだぜ? 何でも!
 天使:何でもなんて、絶対嘘です。
 あたし(悪魔):ふふふ、そこは無理を通すよ。策は練ってある。
 天使:……そこまで言うなら、致仕方ありません。

 許可ゲット! っしゃぁ!
 あぁ、あたし、すっかりイケナイ女の子♪

「そう何でも、だ!」
「言っておきますけど、それ、死亡フラグですよ?」
 忠告みたいなのを言っちゃってますけど、頭ではほくそ笑んでます。
 だって、彼が言うことなんてひとつですもの。
「構わない!」

 ……ね?

 ――PM0:00

〈MEMO〉

 お連れさんへ♪
 今から洵さんの有り金で雑貨を買って、その後仕事しにいってきます。
 夜までには帰るからね! 白猫

「あぢぃです……」

 太陽が燦々と上から降り注いできます。
 朝はビタミンDが作られるし、太陽最高! とかあたし自身がほざいておりましたが、どのビタミンも過剰摂取は毒になってしまうんですよ。
 え、関係ないって?
 ――マラシュケ区は、ただいま乾季真っ盛り。
 ここは砂漠ではないので、超猛暑ではありませんが、それでも砂漠都市と言われるくらい砂漠に近い街ですから、かなり気温は上がっています。
 先ほど買った日光よけパラソルを差してみるものの、濛々とした空気は相変わらずで、あたしの帽子や服に容赦なく入り込んできます。
 汗がひたすらに出ます。
 顔からダラダラ。
 身体からダラダラと。
 朝にせっかく水浴びして綺麗な身体にしたのに、これじゃあまた逆戻りです。

 あたしたちはお買い物を終えて、カスバの路地裏を歩いていました。
 お買い物をした後に重たい思いをすることは良くありますが(特に特売品とかで買い溜めした時は)、今回はその心配もありません。
 え? ドラゴンさん? 連れてきてはいませんよ〜?
 代わりと言ってはなんですが、一人の男性の方が全て持ってくれています。
「う……あぁ……」
 声にならないようなうめき声を上げて、あたしの後ろを歩いてくる洵さん。
 前が見えないよう(ちょっと色々買い過ぎたかしら?)なので、あたしが先導してあげているというわけです。
「ノロいですね、もっと飛ばしてくださいよー。男でしょう?」
「んや、人間として、この重量はきつい……ゼ?」
「もー……。あ、右手の皮袋は注意してくださいよ、メディナで買った限定品の色つき陶器なんですからー」
 あたしのはオレンジで、あたしのお連れさんには赤色を。模様はおそろい。模様がそろっているって滅多にないので、そういう意味で限定品。

 このマラシュケ区には二つの買い物ゾーンがあります。
 一つは中央広場で、確か名前がジャマ=ヤナ=ホンマ広場だったような気がしますが、みんなそんな邪魔くさい名前なんて言わず、普通に中央広場とか、もっと略して広場とか呼んでいます。
 白いテントを上に広げた様々な露店が埋め尽くされているため、本当は広いコンクリの土地なんですが、そんな気は全然しません。
 オレンジを大量に並べて、注文を受け次第、それを切り、絞り、ジュースにして売る人もいれば、傍らで羊の串刺しを丸焼きにしながら、それを切り取り、野菜などと串焼きにした料理(ケバブーっていうやつです)を格安で出してくれる人もいます。
 はたまた、魔術の再来とかいう銘打ちをして蛇さんを笛で扱う大道芸をしている人もいますが、……あれって、蛇さんが笛の音にたまにビクンっと反応するだけで操っているとは思えないんですけどね。
 ――あ、それで、もう一つの広場は先ほどまでお買い物していた旧市街、通称メディナのスーク(市場)と呼ばれる所です。噂によると市場としては世界最大級の広さを誇るのだとか。
 中央広場のような新市街もなかなかに楽しいのですが、旧市街はレトロチックな魔術国時代のお皿とか剣とか杖が売られていて、一時期考古学に没頭していたあたしの胸にずぎゅんと来るものがあります。
 青銅を造形して、軒先につるされているようなレトロな看板を作る所。
 魔術時代の本とかハープとか杖を売る所。(現代人はもちろん扱えませんが)
 古代ルベルベ語で書かれた文書の巻物。
 もちろん、それだけでなく、オリーブをはじめとする大量の食料品や、先ほど買った陶器など生活必需品も豊富に売られています。それぞれが色々な軒を構えて、商品を外にまで広げてい光景は、写真に撮ってしまいたいくらい素敵な風景なんですよね。

 と、そんなこんなでいつの間にかあたしの家の前までたどり着いていました。
 オーライ、オーライと言いながら、洵さんを二階への入り口まで誘導します。
「ドラゴンさん、ちょっと手伝ってください〜」
 あたしがそう言うと、彼はしっぽをくるんと動かして、洵さんの背中にあったお布団のセットを取り上げます。
 身体が大きすぎて奥の方へは振り向けないのに、どうやってしっぽで洵さんの場所とかを感知しているんでしょう。しっぽに目でも付いているのでしょうか。
「あー……疲れたべさ」
 ともかく、布団が背中から取り払われてフッと身体が軽くなった洵さんはふうとため息をつきながら荷物を入り口に全部置くと、どさっと車庫にもたれてしまいました。
 なるべく日陰を選んで歩いてきたので、熱中症にはなっていないと思いますが……。
「大丈夫ですか?」
「あーあー、俺は大丈夫。ま、荷物を家の中に入れる作業くらいは自分でやってくれ」
「はーい」
 あたしはパラソルをたたみ、山になった荷物を片づけようと、食料品の袋を持ちます。
 何気なく、路地の方に目を向けます。

 視界の中に、一匹のネコさんが見えました。

「あ……」
 あたしと洵さん、同時に声を上げます。
 ネコさんがいること自体は別に不思議ではありません。このカスバの迷路にはどこからともなく現れるネコさんが約数千匹いるとも言われています。今日も、先導して歩いていましたけど、その時だけでざっと20匹は見かけたような気がします。
「チッ、今日は付いていないな」
 洵さんが舌を打ちました。
 そう、その猫だけは明らかに他の猫とは違うんです
 すらりとした手足、身体。
 長く伸ばされた二股のしっぽ。
 そして、何より、――黒いんです。
 真っ黒の、光さえも反射しない体毛が、全身を覆い、黄色い瞳がじっとこちらを見つめています。
「白猫」
 あたしの名前を呼んだ洵さんが、諌めるような口調で話しかけてきました。
「あまり近づくんじゃないべさ」
 洵さんの行動はごくごく自然な反応です。
 このマラシュケ区には古くからの伝統で、黒猫さんを忌み嫌う習慣があります。 あたしが住んでいた場所ではそう言う習慣はありませんでしたので、直接的にその黒猫をねたむことはないですが、雰囲気が違うことは肌で分かります。
 黒猫さんはあたしの方をじっと見ていましたが、ゆっくりと、こちらの方へと近づいてきました。
 後ろで洵さんがシッシッと手首を振ります。
 でも、黒猫さんはそれをプイッと無視してあたしの足元へと寄り添ってきました。
 二股のしっぽをふにふに動かしながらゴロにゃんと地面に横たわってお腹を見せてきます。
 ――ちょっと、可愛い、かも?
 あたしは、袋の中から、パックされた小さなお魚を一匹取り出します。
「お、おい、白猫、何をしようとしているんや」
「餌を上げるんですよ、餌を」
「そんなことしているとこの醜いネコに住みつかれるど?」
「その時はその時ですー。お腹がすいているだけですよ、きっと」
「……しらねぇぞ、俺」
 そう言うと、洵さんは改めて立ち上がり、地図を一枚渡すと、喉が渇いたから中央広場でオレンジジュース飲んでくる、午後三時にこの赤い丸の所に集合、と言い残して、去って行きました。
 ちょっと背中が寂しそうな気がしますが、多分あたしが前金のほとんどを使ったからでしょうね、きっと。
「うふふー♪ 可愛い」
 あたしはよしよしと黒猫さんの頭を撫でながら、彼女が魚を食べるところをじっと見ていました。こう見ると、なかなか器用に骨をどけてむしゃぶりついているのが分かります。
 やがて、骨を残してほとんどを食べ終えた黒猫さんは満足そうな無表情で、その場をスタスタと歩き去って行きました。
「よっと」
 あたしは中腰の状態から立ち上がると、改めて荷物を入れる作業を開始します。
 大工さんにあらかじめ家具などは入れておくように言っておいたので、実質、自分のする作業は荷物をそれぞれ所定の位置に置いていくことだけでした。
 食べ物はお連れさんが帰って来た時のために少し多めに仕入れておきました。
 ま、残ったら全部ドラゴンさんの口に放り込めは処理できますし。……動物虐待じゃありませんよ?
「はふー」
 所定の位置に置くだけ、とは言いましたが、それはそれでなかなかに辛い作業です。
 いちいち一階へ階段で下りて、荷物を抱えて昇る、という作業が特に。
 結局、休み休みで作業していたので、その作業だけで40分近くかかってしまいました。
 洵さん、もうちょっと雇うべきでしたね。
「さて」
 一階へと降りてくると、一つだけ大ボスが残っていました。
 ドラゴンさんのしっぽが華麗にクルクルしている布団セットです。しかも二人分。
 見るだけで嫌な予感プンプンです。
「あの、ドラゴンさん、そろそろそれを降ろしてくださいません?」
 覚悟を決めてそう言うと、彼はえー、面白くないーと言わんばかりのしかめっ面をして、ふわりとそれを地面に置いてくれました。
 それらを縛る紐を両手で持ちます。
「せぇのっ」

 ――ズ。

 あ、今の効果音、何も動かなかったという意味です。
「重いよー……」
 分かってはいたことですが、重すぎます。
 さっきまでクルクルと宙を舞っていた様子を見ていたので、なおさらにそう感じます。
 もしかすると、あたしの体重より重いのじゃないのかしら?
「んー、どうしよ」
 さっきの洵さんみたく、どっさりと壁にもたれてしまいます。
 これだけはいくらガッツがあってもやってられません。
 一階のひんやりとした日陰の場所に、思わず、うとうと。
 お昼寝、そう言えばまだしていませんでした。さっき、洵さんのおごりで喫茶店でランチも食べたので、お腹もいっぱいです。ふわぁ、と大きくあくびをして、また、どこかにトリップしていきそうです。
「んく――」
 今度こそ、あたしは深い眠りにいざなわれました。

 ………

 ふわり、と誰かに身体を持ちあげられる感覚。
 こつん、こつん、という階段を昇る音。
 優しく乗せられた所は何だか良い匂いのする気持ちの良い場所。
 そして、寝かされたその上からもふもふとした何かがかぶせられます。
 この感触は、お布団? 
 でも、あたしの家にはお布団なんてありません。
 だって、それはまだ一階に置きっぱなしですから。

 もしかして、誰かが代わりにやってくれた?
 でも、一体誰が?

 あたしの、待ち人さん――お連れさんが、もうたどり着いて、あたしの代わりに作業をやってくれた、という可能性を考えます。
 でも、それとは違う、凄く良い匂いのする人が、近くにいます。
 こんな香りを身にまとう人なんて、女性くらいしか考えられません。
 女性?
 でも、この街で知り合いとして考えられるのはせいぜい洵さんくらいしかいません。
「だれ……?」
 意識がだんだんとはっきりしてきて、あたしは声を出してその主を問います。
 その声の主は言葉を発しません。
でも、その人はあたしのすぐ近くにいるような気がします。
 彼女(彼?)はあたしの質問に答えず、ただ、座っているだけのようでした。
「ふふ――」
 突然、耳を微かな笑い声が通り抜けていきます。
 それを聞いて、あ、これは女性だ、と確信しました。
 あとは、その姿を拝むだけ。
 お願い、誰かさん、こっちの方を向いてください――
「また会いましょ。バイバイ、少女ちゃん」
 だけど、そんな期待を裏切るように、彼女は優しくあたしの髪の毛を撫でると、どこかへと消えて行きました。
 周りに、もう人がいる気配はありません。

「あぐぐ……」

 何とか疲れ切った体を持ち上げ、ベッド棚の上に置いてある時計を手に取りました。
 午後3時半。
 なかなか良いタイミングで起床できたようです。
 さっさと外着の服を着て、出かけましょうか。
 数時間前まで堅い所で寝ていたのが災いしたのか、どうも腰らへんが凝り固まっています。軽くまわしてみると、ぐきっと言って大きく音が鳴ります。
 あと、それと同じくらい頭もボーっとしています。なのに、頭は血が湧きあがっている感覚で、どうしようもないくらいに脳が回転しているような気分。
「冴えているんだか、冴えていないんだか」
 ホント、そんな感じでした。

「それにしても、さっきの人、誰だったんだろう?」
引用なし
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とある少女とショーネンR18 〈一章〉
   - 10/2/15(月) 4:03 -
  
 ――PM3:45

 カスバの裏路地を通り抜けて、メディナのスークを、人ごみをよけながら歩いていきます。
 まだまだ暑い時間帯は続きますが、先ほどよりは日が傾き、他の国から旅行に来ているみなさんの顔に映る汗も若干少なくなっている気がします。
 え、元から住んでいる人は、って?
 やっぱり順応しているんでしょう、汗なんかほとんど出さないのです。
 あたしは旅行者ではありませんが、ここに住んでいた時期は短かったので、やっぱりこの高温の乾燥した気候には慣れません。雨ばっかりの雨季もじとじとしていて、カビも生えてくるので嫌ですが、乾季も汗は出るわ、肌はカサカサになるわで、嫌いです。
 そうです、あたしはホントはここにまた戻ってくるのには大反対でしたが、あたしのお連れさんが、どうしてもここがいいということで説得されて、結局、しぶしぶ納得。
 代わりに、あたしの我儘には結構付き合ってくれましたけどね。
「お、さっき大量に皿を買ってくれた嬢ちゃんじゃないか!」
 猫背になってうだっていたあたしに横から声がかかります。
 洵さんと買い物をした際、値の張ったカラフル陶器を手に入れたお店です。
 店の名前はフランス語で書いてあるため正しく読めません。
「どうも、こんにちは」
「また、たくさん買ってくれよっ!」
 あぁ、威勢のいい声だなぁ。なんて思ったり。
でも、もうちょっと会話しようと思ったら、彼は、店に訪れた旅行者のカップルに目を付けすぐにそちらと会話を始めてしまいました。
 あたしは、そそくさと、その場を離れて、目的地へと向かいます。
 商売人のみなさんも大変ですね。

 ――PM4:00

「ちょうどだべ」
「あたしの体内時計は完璧ですからね」
「……白猫って、結構、適当な嘘をつくねぃ」
「良い性格でしょう?」
「さ、依頼人がお待ちだ。急いでいくぞ」
 ガン無視ですか。いい度胸をしています。
 あたしは手鏡で、自分の『それ』が未だ変わっていないことを確かめると、彼の後についていきます。変わっていることなんて、この時刻ではありえないのですが、一応確認ということで。
 屋敷の景観は、何と言うか、古き良き王宮を思い起こさせるような場所でした。
 あ、王宮と言っても、チャオの生首がどんと乗っかっているイメージではないですよ。
 それはモスクというもので、本来の王宮ではありません。内容は至って簡素です。
 白い建物――おそらく、本館でしょう――の左右に、ウィンドタワという四角い塔が一本づつそびえたって本館と繋がっています。ウィンドタワーって言うのは、文字通り、長い棒を建物から突き出させて、上手く風を塔内に集めこんで、そのまま建物に送るための塔の事です。いわば、昔の自然エアコン。
 特徴といえば、それくらいでしょうか?
 まぁ、周りの一般市民の家よりはよっぽど大きい……むしろ、超巨大ですし、荘厳なんですけれど。
「ようこそいらっしゃいました」
 門から入って、広い庭を暫く歩いていると、いかにも執事、というおじさんがあたしと洵さんの前に現れました。
「どうぞこちらへ」
 スタスタと、女性のあたしでも付いていけるように、その歩調は穏やかで、きちんと教育されている感じです。
 うーん、金持ち。
 建物の中は、ウィンドタワーを備えているおかげもあってか、涼しい乾いた風が通っていて、汗を優しく乾かしていってくれます。
 そこら中に書かれた幾何学模様は、外者のあたしからしたら慣れないモノでしたけれど、何となく、高級感に溢れていることだけは分かります。
 うーん、やっぱ金持ち。
 そうして、赤いカーペットを下に見ながらしばらく進んでいると、広い廊下よりも、もっと広い部屋にたどり着きます。
 リビングでしょうか。
 ……うわっ、テーブル長っ!
 そして、椅子! 椅子! 椅子! 椅子!
「あの、おじさん」
 思わず気になったので、身なりのいい執事さんに声をかけます。
「はい、何か、ご要望でも?」
「いや、このリビング収容数何人くらい集まるのかなぁって。アハハ」
「こちらのリビングは、主人がお客様をもてなすために作られたお部屋です。年に一度、大きな催しをするときには、約150人が座れる設計にしてあります」
「あらまぁ!」
 三桁、それはビックリです。
「お好きなところに、お座りください、もうすぐ主人が参ります」
 そう言って、執事さんは一礼をすると、入口に立ちます。
 洵さんは、畏まってしまったのか、小さくそこらへんの席に座ります。普段は庶民中心に商売を展開する彼ですから、あまりこう言う場所には慣れていないんでしょうね。
 ま、所詮金髪野郎ですし。

 ――かく言うあたしもその隣の席で小さく丸まっていましたが。

「やぁ! ようこそわが屋敷へ!」
 突然ハイテンションな大声とともに、背の高い恰幅の良い大男がスーツを身にまとって入ってきました。
 洵さんと二人、高級な椅子とテーブルに挟まれて、棒でつつかれたダンゴムシになっていたんですが、その声でバッと一斉に顔を上げます。
 思っていたよりも年老いており、髪の毛も白く……というか、殆ど残っておりません。
 HA☆GE?
 あぁ、それ禁止ワードなんで決して口には出しませんよ。
「あは、あははは……」
 そのテンションに思わず空しい笑い声を上げてしまいます。
 男はこちらの方に気づくと、ずしんずしんと寄ってきます。
「君が白猫君かね?」
「え、えぇ、まぁ……」
 その時のあたしの顔は凄く不細工だったと思います。
 彼は、あたしの反応に少し首をかしげましたが、やがて右手をこちらに差し出してきました。
「え? え?」
「握手だ。仕事をしてもらう前に、顔は覚えておかないとな。私はリブリッツという。よろしく」
「あ、はい、こちらこそ。あたしは……ええと、く、じゃないや、白猫って言います。よろしくお願いします」
 おずおずとあたしの手を出して、彼と握手します。
 恰幅が良いのは肥満体型だからか、と思ったんですが、彼の手を見るに、それが 全部、筋肉のおかげなんだと言うことに気づきます。
 もしかして、お金持ちの所以、アウトローな世界ゆえなんでしょうか?
 例えば、コルレオーネ家とか? 
 いやいや、まさか。
「さて、今回の本題だが、孫の飼っているピュアチャオをヒーローにしてほしいのだ」
「ええ、そのことに関しては既にこの方から聞いています」
 あたしが洵さんの方を指すと、彼はへこへことしながら、そうなんです、ハイ、とただただ頭を下げています。
 ここまで自分を卑しくすることが出来ると、逆に尊敬です。
「随分と、下手に出る彼氏のようだが」
 苦笑いを浮かべるリブリッツさん。
 下手に畏まっているだけだと、逆に嫌味がられるモノですよ、洵さん。
「下手に出るじゃなくて、ただの弱虫です。弱虫ゆえにあたしの彼氏なんかじゃありません。ビビりさんなので、放っておいてください」
「あはは、そうなのか。まぁいい。付いてきてくれたまえ。仕事が出来るのは彼ではなく君なのだろう。バルサ、その男には何かお茶でも差し上げろ」
「かしこまりました」
 執事の人はバルサさんというらしいです。
 バルサさんは、リブリッツさんの言葉を受けて、一礼をすると、どこかへ歩いていってしまいました。推測するに、雇っている人は必要最低限、と言ったところです。

 ………

 廊下を歩く音だけがコツコツと響きます。
 なんだか、少ない人数でこう言う広い場所を歩くと、何とも言えない寂しさがありますよね。お孫さんとそのチャオちーは裏庭にいるとのことで、そこまで移動しているんですが、かれこれ3分、まだ裏庭は見えません。
「君は、こう言う広い家に住んではいないのかね」
 リブリッツさんが、静寂を破るように口を開きます。
「えぇ、まぁ」
「でも、君みたいな能力を持つ人は、私たちみたいな人間から高く買われるだろう」
「……そいえば、そんな感じかもしれません」
 過去に、そう言ったお宅にも仕事しに行ったことはありますからね。
 確かに、あまり自分で積極的にならないだけで、もっと自分のこう言った能力を売りこめば、こういった人たちに目を掛けてもらえるようになるのでしょうか。
 でも、そう言うコネがつくと、自由に移動も出来なくなる気もします。
「君はそんなふうに金持ちの人間の集まりに首は突っ込まない方がいい」
「え?」
「こう言う世界は、自由じゃない自由を与えられるんだ」
 なんだか哲学的な言い回しに、あたしは、はぁ、と軽い返事しか返せません。
 リブリッツさんも、良い感じに年をとって、社会の荒波にもまれていたのでしょう。
 言葉に乗せられた雰囲気の重たさが、何となくそれを伝えてきます。
「実はな」
「はい」

「私は昔とあるマフィアの幹部だったんだ」

 ……ん?
 ………。 
 ……んんんんんんぬぅぁんですとぉ!?
 オイ! 洵! 
 ちょいツラ貸せコラァ!

 ……全く。
 あのおバカ弱虫パツキン野郎はあたしがこの仕事に乗らなかったら一体どうするつもりだったんでしょう。あたしのお連れさんには、絶対にギャンブルにだけはのめり込まないようにしなければいけないですね。
 まぁ、あの人は、そんなことに興味はないと思いますけど。
「聞いていなかったのか?」
 内心の葛藤を読まれていたのでしょうか。
 リブリッツさんが心配そうな顔でこちらを向いてきます。
「えぇ、全く」
 ちょっと言葉が刺々しくなってしまいます。
 彼は大きな図体で大きなため息をひとつつきました。
「あの男、肝心の嬢ちゃんに何も伝えず、前金をもらっていたのか。酷い野郎だ」
「ホント、ふてえ方です。この仕事が終わったら、死なない程度に仕込んでおいてください」
「ハハハ、私はそんな半殺しのような真似はしないさ。ま、ある程度のお仕置きはしておかないとな」
「えと、お願いします」
 ぺこり、とお辞儀をします。
 リブリッツさんは大声で笑うと、いつの間についたのか、大きな鉄製のドアをバッと開けます。

 そこは見たこともない、世界でした。

 巷で聞いたことはあります。
 チャオちーはより綺麗な環境を好むと言うことで、お金持ちの人は、好感度を高くしようと彼らにとって住みよいガーデンを作るとのこと。
 通称ではチャオガーデンと呼ばれているそうです。
「ここって……」
「聞いたことあるかい。そう、この場所はチャオガーデン。チャオの好感度をより高くするために作られた楽園みたいなものかな」
 あたしは日光が程良く浴びせられたガーデンを見渡します。
 大きなプールは白色の淵で作られており、同じく真っ白の噴水からは綺麗な二字曲線を描きながら、透明な水が噴き出されています。
 隣には――飛び込み台……? いや、崩壊した古代の建物をモチーフとした装飾でしょうか――が置かれています。プールの周りは全て人工芝で覆われており、ふわふわとしていて寝心地が良さそうです。
「なかなか、手が込んでますけど」
「これは、古代書で見つかった『ヒーローガーデン』という場所のモチーフさ。古代でもそのような愛玩動物を買うための場所があったんだろうね」
「へぇ」
 考古学にはそれなりに興味があったはずなんですが、そんな古文書聞いたことありません。
 疑問に思っていると、誰かが、遠くからあたしたちを見ているのに気づきました。
 その隣にはチャオちーらしき姿も見えます。
「あら」
 とてとてと近づいてくるお孫さんは、人形のように可愛らしい少女でした。
 海の色をした瞳がまんまるとなってあたしの方を見つめています。金髪の、少し癖のついた感じがまた、いやらしいくらいにキュートさを醸し出しています。
 いや、全く、おじいさんの容貌とは似ても似つかな――何でもありません。
「ん?」
 でも、彼女がそういうふうなのと対照的に、少しピュアチャオの様子がおかしいです。
 どことなく、暗く、性格がネガティブな気がしてならないのです。
「チャオはこのままだとダークに進化するだろう」
「え?」
「知らないのか。ピュアチャオは、幼少時にわずかに身体の色が変化して、ダークになるか、ヒーローになるかが決まるんだ」
「じゃあ、あれは……」
 あたしの目に、狂いがあったんじゃないんです。
 あのチャオは本当に黒くなってしまっていたんです。
「そう、まさにダークチャオになる前段階。だから、頼む、このチャオを撫でて、ヒーローチャオにしてくれないか」
 リブリッツさんはそう言うと、ぱん、と手を合わせてあたしに懇願してきます。
 その様子に、彼の想いは本気だと言うことが分かります。
「ま、まぁ、それはいいんですけど」
 ただ、違う……。
 頭の中で、違和感を覚えます。
 何かがおかしいのです。
 それは少女があたしを見る表情か、この元マフィアの人が小娘相手に手を合わせていることか、チャオちーが黒くなりかけていることなのか。
 いや、それとも別の何かの――
 色々と頭にはてなマークを付けながら、彼女らに近づきます。
「え」
 微かに、声がしました。
 その高く澄んだ声がお孫さんの声だと気付くのにはしばらく時間を要しました。
 プルンとした薄ピンクの、小さな唇。
 それが震えているみたいに、ごにょごにょと動いているのが分かります。
「……め」
「え?」
「さわっちゃ……め」
 良く聞き取れない言葉を発しながら、お孫さんはプルプルと泣きそうな顔をして、あたしたちの方を睨みつけてきました。
 いつの間にか、チャオは彼女の後ろに隠されるようにしている立ち位置になっています。
 触るな、……ということなのでしょうね。
 あぁ、違和感の答えがわかりました。
 つまり、それは。
「ミゥ、チャオを渡しなさい」
 穏やかな声で、リブリッツがお孫さんを諭します。
 お孫さんはそれをジトッとした目つきで見つめると、その場を離れまいと、足にぐっと力を込めているようでした。リブリッツさん自身も、その表情や口調は優しいのですが、腹の底から出る迫力が、何とも言えない強制感を出している気がしないでもないです。
 険悪なムード……。
「ミゥさんって言うんですか、素敵な名前です」
 と、心配したのもつかの間。
 思わず、空気を読まずにお孫さんの名前に感動してしまいます。
 自分なんてネコさん呼ばわりされるのに、素敵そうな名前で何よりです。
 すると、さっきまで唇をギュッと引き結んでいたお孫さん――ミゥちゃんが、穏やかそうに目つきをとろんとさせて、こっちの方を向いていきます。
「お姉ちゃん、ありがと」
 少し首をかしげながら、にっこりと笑います。
 か……可愛い……かわいすぎるよ!
「ミゥ、お願いだからこっちへ来ておくれ」
 けど。
 後ろから来る空気の読めない発言が、彼女の表情をまた堅くしてしまいます。
 絶対に言ってはいけない言葉なんですが、思わずHA☆GEという言葉が舌の先まで出かかっていました。危ない危ない。
 もし言っていたら、こっちは毛どころか魂まで抜かれますものね。
 それに、良く考えればどっちの方が空気読めない発言なのだか。
「リブリッツさん」
「ん?」
「暫く、二人にさせてもらえませんか。何とか、あたしがチャオちーを進化させる前までに説得してみせます」
 いくら、あたしの話題が脇道にそれていても、彼女が笑っている表情の方が説得もしやすいですし、お話を聞くことも出来るでしょう。
 あたしの提案に納得したリブリックさんは、心配そうにこちらの方を一瞥していましたが、やがて、ドアの向こうにへと消えて行きました。コツコツ、という音がしなくなり、チャオガーデンにはあたしとミゥちゃんの二人きりになります。

「はじめまして、ミゥちゃん。あたし、白猫って言います」
 改めて自己紹介。
 ミゥちゃんは興味深そうな目であたしの方を見てきます。
「白猫さん? おねぇちゃん、ネコさんなの?」
「んー、違うよ、本当に、そう言う名前なの」
「そうなんだぁ、良いなぁ、動物さんの名前なんて」
 キラキラと目を輝かせるミゥちゃん。
 行動がいちいち可愛いすぎます。襲っちゃっていいのかしら?
「ミゥちゃん、年はいくつ」
「7歳」
 7歳ですか、食べごろですね――じゃない!
 なんとまぁ、あたしより10歳も年下なんですか、この子。
 その割には、しっかりしていると言うか、何と言うか。
「よいしょっ」
 草原の上に腰を下して、ごろりん、とねっ転がってみます。
 さっきからやりたかったんです。ふわふわした草原ですもの。
 ただ、依頼主さんの前ではさすがに自重していただけで。
 え? あぁ、ガキですか、そうですかー。
 いいもんいいもん、そっちの方がお連れさんも可愛がってくれるもん。
「……白猫お姉ちゃん?」
「ん?」
「チャオさんのこと、なでるために来たんじゃないの?」
 さすがのしっかり者。
 あたしの事もきちんと耳にしていたんですね。
「ミゥちゃんはチャオを撫でてほしいの?」
 でも、あたしはその言葉に答えず、彼女の核心に触れる質問をします。
 違和感の正体は、まさにこれ。
 洵さんが言っていたことも、同じような仕事をあたしに頼んだ人も、全部、〈自分の〉チャオを何としてくれと頼んでいたエピソードです。
 でも、彼女は、あたしが来ても頼み込むようなこともせず、ただ、あたしをじっと見ているだけだったのです。
 だから、大体分かるのです、彼女の言う答えは。

「……ううん」
 少女は遠慮深そうに、でも、はっきりと〈嫌だ〉の意思表示をしてきます。
「でしょ? だから、あたしは撫でない」
「でも、それだとお姉ちゃん、おじいちゃんにおこられちゃうんでしょ? おかね、もらっているんでしょ?」
 あぁ、ミゥちゃんって、可愛い上に優しいんだなぁ。
 こりゃ将来、沢山悪い虫が寄りついてくるだろうナァ。
 ……まぁ、あの恐ろしいポテンシャルを秘めたおじいちゃんが御存命である限り大丈夫だとは思いますけど。
「大丈夫」
「でも、おじいちゃん、こわいよ? おこると」
「ふふん、そんなのあたしが一言言えば、大丈夫です、よっ」
 実際は内股ぶるぶるでしたが。身体は何よりも正直です。
 彼女も、それに気付いたのか、クスリと笑います。
「おねえちゃんって、ウソつくのすき?」
 洵さんに言われれば癪に障った言葉も、彼女に言われると、何だか和んだ気持ちにになってしまいます。
 あ、これが贔屓って言うんですかね。
 なかなかいいものですね。ひいき。
「良く言われるけど、別に良いじゃん、すぐばれるんだし」
「おねえちゃんってヘン」
「うーん、変かなぁ。うん、多分。お連れさんの影響です」
 そう言い訳すると、怪訝そうな顔をしてミゥちゃんがこっちを見てきます。
「人のせいにするのは、よくないです」
「ごめんにゃさい……」
 こんな年下に丸めこまれちゃうキャラではないはずなのに!
 うんうん唸っていると、ひょいっとミゥちゃんが何かを差し出してきます。
 彼女の、ちょっと黒ずんだ、チャオちーです。
「……」
 撫でろってことなんでしょうね。
「どうぞ……」
「どうぞ、って言われましてもねぇ」
 ミゥちゃんの瞳は、さながら土だけで作られたダムのような、氾濫した川の堤防がピキピキと崩れかけているような。
 めちゃめちゃ泣きそうになっているんですよ?
 撫でろと? この状態で撫でろと?
 答えは決まっています。
「駄目です」
「でも、なでないと」
「撫でないと殺されちゃう、なんてことはないですよ。初めて会う人に、そう言うことを考えて行動できるミゥちゃんは凄いです。でも、それじゃあ、何にも解決しないじゃないですか?」
「……」
「解決って言っても、実際何も分かっていないのはあたしなんですけどね。ただ、一つだけ分かるとしたら……」
「え?」
「このまま単純に撫でたらミゥちゃんが、悲しむって言うことです」
 あたしはそう言うと、両手を後ろでつないで、チャオに触らないようにします。
 フフッと笑いかけると、ミゥちゃんは悲しそうな――でもどこかホッとした表情を見せます。しっかり者と言っても、7歳の女の子に変わりはないのです。その真意はすぐに読み取れてしまいます。

 ――やっぱり、この子は、自分のチャオをヒーローにしたくないんだ。

 でも、その理由は何なんでしょう。
 普通、この年の子だったら、男女関係なくヒーロー、というモノにあこがれる年齢じゃないのでしょうか。少なくとも、ハードボイルドの、人をガンガン撃ち飛ばしていく人々にあこがれている、なんてことはないでしょうね。
 考えがまとまりません。
 そもそも、どうして彼女のチャオが黒いのかさえも見当がつかないのです。
 ……一旦出直すとしましょうか。
 草原からよっ、と身体を起こして、お尻についた屑を払います。
「おねえちゃん、かえるの?」
「うん、また明日も来るからね」
「……ごはん、いっしょにたべよ?」
 空の色がオレンジから赤へとグラデーションしています。
 腕時計の時間を確認すると、もうそろそろ5時半、と言ったところです。
 確かに、すっかり夕飯時ですね。
「うーん、どうしようかなぁ」
「ご飯、広い所でおじいちゃんとミゥだけで食べるの」
 広い所?
 ……も、もしかして、あの場所かい!
 あぁ、それは確かに苦痛以外の何物でもないかも。
 最近はリブリッツさんとも心の壁が出来ちゃっているみたいですし。
 可哀想という気持ちもありますし、仲良くなるチャンスなんで、ぜひともご一緒したいのは山々なんですが……どうしましょう。
「うーん、でも、今日は、――」
「きょうのおりょうりはちゅうかで、からあげとかラーメンがでるらしいです」
「行きます」
 即決。えぇ、行きますとも。
 理由:鳥の唐揚げがまさかこんな場所で食べられるなんて!
 ごめんねミゥちゃん、食い意地張った女で。
 正直、夜になって他の人と近くにいるのは怖いんですけど……あの部屋にいる限りは大丈夫でしょう。

 見えませんから。ね。

 ――PM7:00

「今日はホント、いろいろとありがとうございました」
 夕食を終えて、あたしはリブリッツさんと二人で出口の方へと歩いていました。
 幸いにも、方向的に見えることはないので、今すぐここであたしの秘密を暴露することはないでしょうけども、大事を取ってなるべく室内方向の壁にそって歩き続けます。
「嬢ちゃんは、明日もまた来てくれ。ミゥも喜ぶ」
「えぇ、是非。というより、あたしの場合、仕事を遂行しないと詐欺師になっちゃいますからね。前金、殆ど使ってしまいましたし」
 ぺこりと謝ると、いいんだ、いいんだとリブリッツさんが手を振ります。
「ミゥがあんなに喜んでご飯を食べるなんて久しぶりだからな。ミゥが楽しく生活を出来るようにしてくれただけでも、君には感謝しないといけない」
「いえいえ、そんな、滅相もない」
「……それに、本当はヒーローになんか、出来ないのかもしれないしな」
「はい?」
「チャオを普通に可愛がって、ヒーローになるか、ダークになるかは、遺伝でも変わってくるらしい。つまり、だ。過去に色々な犯罪を重ねてきた人間の子供、孫は、そのまま同じようにダークとしての遺伝が移ってしまっている可能性があるんだ」
 何とも言えない神妙な顔をしながら、リブリックさんはそう言いました。
 彼の言わんとしていることは大体分かります。
 そりゃ、あんな可愛い子が普通に可愛がってダーク色に近づくなんて、あり得ないですものね。
 でも、たかが遺伝でそんな形質まで変わるのでしょうか?
 どこか、心の奥に引っかかるものを感じていると、いつの間にか、入口がすぐそこにありました。
「では、ここからは一人で行きますので」
「そうか、門までは」
「御心配に及びません。こんなところまで主人がわざわざ来てくださっただけ、こちらとしてはありがたいことこの上ありません」
「分かった。では、また明日の昼にでも会おう。ミゥとまた遊んでやってくれ」
「ハイ。では、今日は本当にありがとうございました」
 深くお辞儀をして、入口の扉を開けます。
 外は砂漠王国らしい、神秘的な光景が広がっていました。
 遠くに見える角ばった建物の集まり。それが黒いシルエットを形成しています。
 赤い光が集まるあそこは、中央広場でしょうか。
 フフフ、やっぱり、この景色を見ると、引っ越して良かったなぁと思ってしまいますね。
 お連れさんには少し感謝をしないといけないかもしれません。

 ――ふと、上空を見上げると、まだかすかに明るい夜空に浮かぶ、一輪の三日月が目に入りました。

「早く来てくれないかなぁ……」

 ………

 暗闇があるからこそ星が瞬く
 日向があるからこそ日陰がある
 善があるからこそ悪が黒く身を染める
 悪があるからこそ善が白く身を染める
 この世界はいつでも表裏一体
 この世界はいつでも白と黒が交わることはない
 さぁ歩け人間 
 黒から白 
 白から黒へ 
 どこまでも――

 ………
引用なし
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とある少女とショーネンR18 〈一章〉
   - 10/2/15(月) 4:07 -
  
――トゥキョオ区郊外 AM2:30

 はぁ、――と息をつきながら、ふと前を見る。
 膝下まで伸びる黒いコートを纏っても、冷たい風は容赦なく俺の身体を突き抜けていく。
 銀色に染め上げられた砂だけの世界の上にぽつねんと浮かぶ、幻想的な三日月。
 ダイヤモンドリングの欠片のようなそれは、鮮やかで、かつ繊細な光を放ちながら、こっちを見下ろしているようだった。
「お久しぶりです」
 星空の下。
 黒いコートを纏った俺は、大きなカバンを持って、迎えの車に近づいていく。
 車に寄りかかっている長身の男に、俺は見覚えがあった。
「久しぶりだ、我孫子」
「ハハハ、未だに僕を名字で呼ぶのは貴方くらいですよー」
「お前の名前はありきたりすぎるからな、そう言うのは嫌いなんだ」
 俺と我孫子、二人とも、言葉の応酬が喧嘩腰であるが、これはいつもの事だ。別に仲が悪いというわけでもないので、誰も気にしなかったし、俺たち自身もこういう軽口の叩き合いが好きだった。
 二つの口から白い息が漏れる。
 一週間前くらいに、俺と連れで引っ越すことにしたのだが、色々と手続きが必要とのことで、俺だけが残り、ドラゴンと黒猫を先にマラシュケの方に送った。
 こっちは車で追いかける算段だったが、、途中でガソリンの量が足りず、約一時間かけて砂漠を歩き続け、やっと道があるところまでたどり着いた。偶然、我孫子からの着信があったので、彼にすがり、こうして迎えに来てもらっているのである。
 これだから、科学技術は信用できない。
 まぁ、心配せずとも、ドラゴンは賢い動物で、行先はきちんと分かっているはずだし、アイツのことも、ボディーガードとしてのドラゴンと、何日分かの食料があれば大丈夫だろう。だから、急ぎ旅になる必要はないのだが、どうも定刻通りに事が運べないとイライラしてしまう。
 ……ジャポネの原住民の悪い癖だ。

「そろそろ行きましょうか」
 我孫子の言葉に、あぁ、と軽く返事をし、助手席に乗り込む。
 エンジンがかかり、目の前のラジオやCDのプレイヤーのボタンが青く光り輝く。モニターにはFMの文字が出ているが、この場所は圏外であるようだった。
 久しぶりの車の感覚。
 俺はふぅ、と息をついてシートにもたれかかった。
「随分と、お疲れのようですが、改めて、おかえりなさい」
「お帰りなさい、か……。なんか、お前に言われると虫唾が走る」
「でも、世間一般ではそう言うのが常識ですよ。僕も、同僚に対しては上辺の心遣いをすることを怠らないようにしているのです」
「上辺って言っている時点でもう意味ねぇよ」
「アハハ、確かにそうですね、……それより、貴方、以前より逞しくなってませんか?」
 今度は本音なのだろう、俺の方をまじまじと見ると、フゥと残念そうな溜息をついた。
「残念だったな。俺は、どの世界に飛ばされようが、生きて帰ってくる自信があるんでね」
「だったらむしろベルベル砂漠の向こうにある、密林の奥地で修業でもしてきてください」
 そこで熱病にでもかかってしまえば、流石の貴方もくたばるでしょうし、と付け加えて、我孫子は運転を続ける。
 砂漠に続いていた道なき道を通って、国道に出てくる。
 そして、だんだんと、誘蛾灯だけだった単調な道が、光に囲まれるようになる。
 あちらこちらに中小企業のビル――夜中まで光が漏れているとはお疲れ様なものだ――や、ラブホテルが散見される。例の青い看板を見ると、トゥキョオ中央区までは後五〇km、と書いてあった。
「なかなか、遠いですね」
「あぁ」
「今日はトゥキョオに一泊していきます?」
「だな。もう、世間では幽霊が出る時間だ」
「いえいえ、2時45分だと微妙に外れます。幽霊は二時半までですから」
 ハンドルを華麗に操りながら、国道を少し飛ばして走る。
 まさか、違反切符取られるくらいでムショ行きは無いだろうが、どうしても怖くなってしまい、きょろきょろとあたりを見回してしまう。
「王目(ケーサツ)はここら辺は見ていません。無論、スピードメーターもありません」
 俺の考えをあっさりと読みとったのか、前を見据えながら我孫子は言う。
「そうやって僕にアドバイスしたの、アナタじゃないんですか?」
「あぁ、確かな。車運転する先輩として、常識を教えてやろうと思ったんだ」
「何が常識ですか。あぁいうのは抜け穴って言うんですよ」
「そうとも言うー」
「……どっかで聞いたことあるフレーズですけど、まァいいです。ところで、いつもアナタの後ろをとてとてと着いてくるあの可愛らしい女の子はどこに行ったんですか?」
「先に向かっているさ。もう、家にたどり着いているだろうよ」
「また突然の引っ越しですね、あのコ、文句言わなかったんですか?」
「言ったよ。海が見えるこの街の方が良いー、砂漠なんて熱いし寒いしでイヤ、って」
「上手く丸めこんだんですね」
「ちょっと、マネーが幾分が飛んで言ったけどな」
 我孫子はその言葉に軽く笑うと、今度はハンドルを左に切った。
 いつの間にか、周りは様々な光に覆われ、この車に次々と降り注いでいく。
 ジャポネ共和国の唯一無二の科学技術都市、トゥキョオ区。何色もの光が我孫子の顔を横切っていく様は、何とも都会を走る車に乗っている気分で、興奮した。

 パブの艶めかしいライトアップ。
 ネオンで出来た看板を振りかざすパチンコ店。
 飲み屋の赤い提灯。
 ホストクラブのカンカンとした白いライトアップ。
 眩しいショウウィンドウから見える高そうなブランドを指くわえて見ている女。
 一見レストランっぽく、多分中では若者が戯れているであろう煌々とした建物。
 カラオケ店の見た目も中々に派手さを増している。
 ビルから流れてくる今時の理解しがたい音楽が耳についてくることもあれば。
 クリプトプシィさながらのバイクや改造車の轟音が目の前を通り過ぎていく。
 
 ――そして、汚らしく飾りつけられた街を見下す三日月が、見覚えのあるタワーに若干重なりつつも、こっちを照らしていた。

「砂漠でも見たけど、今日は月が綺麗な日だな」
「フフ、タワーが見えたからって、別の対象に話を置き換えないで下さいよ。見えているんでしょ?」
「あぁ、見えているさ。いつ見ても不細工な帝都タワーだ」
「そう言うこと言わない約束です。それ街中で言って右翼に殺されそうになったじゃないですか」
「ふう、右翼も分かってないな、なんであれが帝国時代のジャポネの象徴としてあがめられるんだ? 中身は全然違う機関だってのに」
「歴史の重みって言う奴ですよ」
「歴史があるものなら、さっさと崩壊すりゃいい」
「もう、何イライラしているんですか」
「眠たいんだよ。ベルベル砂漠の真ん中を何時間運転したと思って」
「そんなこと言うなら僕もこんな夜中は普通寝ていますよ。ふう。……でも、トゥキョオって絶倫な街ですね。ホント、ビックリしちゃいます」
 絶倫の街とは、なかなか乙な表現をしてくれる。
「あぁ、確かに、なんか飯時みたいな気がするくらいだ」
「でも、我慢してください。僕もアナタも、所長の命令には逆らえないんですから」
 所長、と聞いて、俺は顔を暗くする。
 あぁ、そうだ、戻ってきたのだから、そのうちアイツと顔を合わせることにもなるだろう。そう思うと、どうも気が滅入ってしまう。
「所長、嫌いですか?」
 ストレートな質問をしてくる彼に俺は苦笑いをして、
「さぁな」
「僕も、そんな感じです」
 ただ、正直なところ、アイツとは深くは付き合いたくない。
「どうも、性格がなぁ……」
「どうも、性格がですね……」
 同時に同じ言葉を口にした俺と我孫子は、そのシンクロぶりに、思わず吹いてしまった。
「考えていることは同じだ」
「みたいですね」
 と、そこで、急に何かを思い出したかのように我孫子がアッと声を上げる。
 そうして、車を路肩に止めると、助手席と運転席の間に置いてあった袋から、缶コーヒーとおにぎり、サイドフードをいくつか取り出してきた。どうやら、俺のために買い置きしていたらしい。
「サンクス」
「久しぶりのコンビニ食ですよ。考えると、なかなか恋しい食べ物じゃないですか」
 アクセルを踏みなおして再び街に躍り出る。
「それもそうだ」
 確かにハチリア島区にはコンビニというモノは存在さえしていなかった。
 カッツ、とコーヒー缶を開けると、生温くなってしまったそれをのどに流し込む。
 鼻つまりがひどくて口で息をしていたのか、カラカラになった口内に、その生温かい液体はいい感じで染みわたっていく。
 コンビニのおにぎりを開けると、それに片手でガブリとかみつく。
 やはり、具はシーチキンマヨネーズだ。
「俺の好み、良くわかってくれているな」
「ありがとうございます、でも僕は安いものならおかかなんですが」
「あれは邪道だ」
「そう言うと思いました。ちなみに、そのおにぎり、全部シーチキンマヨネーズです」
「……それもそれで、ひねりが無さ過ぎる」
「良いんですよ。僕の懐が温かくなりますから」
 そんなことを言って嫌味な笑顔を浮かべつつも、無駄に高いサイドフードもいくつか買ってきてくれているところが、我孫子らしい。
 チキンを単体で食うなんて、何か月ぶりだろう、と思うくらいだった。
「とりあえず、今すぐマラシュケはあまりに遠いですから、一旦どこかで一泊」
「あぁ」
「それと、せっかくですし『あの店』にも寄って行きますか?」
 流麗なハンドルテクニックを見せつつ、横目で我孫子が俺の方を見る。
 あの店、というのは、ちょっとした銃器や爆弾を扱っている違法店の事だ。
 そう言えば、以前住んでいた街が検問が厳しく、銃器は一旦破棄してしまったと、我孫子に言った覚えがある。彼はきっとそのことを覚えていたのだろう。記憶能力、という点に関しても、彼はよっぽど俺より優秀なエージェントだった。
「そうしてくれ」
「はい、分かりました。……砂漠の街ですかぁ、僕も住んでみたいです」
「俺の場合は仕事があるからだ。仕事、変わるか?」
「お断りします」
「チッ、連れないな」
 俺はフッと笑うと、タバコを箱から一本取り出した。
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とある少女とショーネンR18 〈一章〉
   - 10/2/15(月) 4:15 -
  
 ――トゥキョオ区、ジャンク市街 AM3:00

 ――トゥキョオ区東部商工業取引市街。
 トゥキョオの中央から東部に数十キロ離れた所に位置する、通称ジャンク市街。
 ショーン=レーンのイカレたギタープレイがBGMになって流れるような街。
 どこかしこで聞こえてくる会話はたとえマルチリンガルでも全ては理解できないだろう。
 海外の、名も知れぬ不法入国者の溜まり場だ。
 それだけじゃない、違法業者、犯罪者、指名手配犯、アウトロー。
 そんな肩書を持ったクズどもが集まる、クズの市街。

「久しぶりに来た」
 眩しすぎるくらいのライトに顔を照らされ、思わず片手で目を覆う。
「やっぱ、すぐに順応できる街ではないな」
「そうですねー。僕も、さすがに一人でここを歩こうとは思いません」
「お前の場合、身体能力の高さが外見に現われていないしな。苦労するだろ」
 実際、怖そうな雰囲気を出していると良く言われる俺が同伴していても、我孫子は単体で絡まれるときがある。
「眼力が無いんじゃないのか、って思っているんですが」
 親指の出っ張ったところで目の付け根をぐりぐりとして、へへっと笑う。
 確かに、こんな優男はすぐに絞れそうな雰囲気しかしない。
 もちろん、我孫子とマジでやり合って勝てる奴はそうそういないだろうけれども。
「にしても、一つ一つの店の音量でけぇンだよ」
 思わず、文句が声となって出てしまう。
「オッサンみたいなことしないでくださいよ」
「るせぇ」
「ふふ……あぁ、これ、拍子が安定しない曲ですねー」
 彼が指さしたのは、ジャンク市街ではまだまともな位置にあるだろうレストランのような所。午前3時に営業している時点で、もう普通ではないのかもしれないが。
「あー……、Pain Of Salvationか」
「なんですか、そのバンド」
「いや、普通の人は聞かないバンドだから、スルーしてくれ」
「……は、はぁ」
 コートに手を突っ込みながら、ガヤガヤとした雑踏を通り過ぎていく。
 肩がぶつかったくらいで文句を言ってくるような人間は、ここにはいない。
 それで文句を言ったら、相手が自分より弱くない限り、確実に殺される。
 だから、よっぽど、ゴミみたいに集まってたむろする連中よりはよっぽど扱いやすい人も多いし、自分がある程度立ち回りをしっかりしておけば、知り合いかって容易に作れる。
 そして、その知り合いは時として強力なバックアップをしてくれるのだ。
「着きました」
 我孫子がそう言ったので顔を上げると、なじみのある古びた看板がつるされた、ぼろぼろの廃屋が目の前にあった。
 看板自体にライトアップはされていないが、廃屋の窓から漏れる光で、かろうじてその文字は読める。
 ――喫茶メヘンディ。
 この看板名を見ると、いつも吹きそうになるのは俺だけなのだろうか。
「王目の目をごまかそうにも無理がありすぎるだろ」
「〈ユー〉さん曰く、昔は本当に喫茶店をここで開こうとしていたらしいですよ」
「ここに!? ……その時点で、もうダメだろ」
 ジャンク市街に普通の店を建てることは確かに可能だ。
 だが、普通の営業時間で営業しようものなら、大変な目に会う。
 ここは夜中に営業していることが当たり前の街。常識など通らないのだ。
 夜中に暗い建物はつまり、空き家として認識され、酔っ払いに侵入されるわ、ホームレスが壁を破壊して、中に泊ろうとするわで、結局実質的にろくな商売など出来なくなるようになるが関の山。
「で、喫茶店を目指していた純粋無垢な少女は、今ではオバはんになって銃器や爆弾を売り払っていると」
「まとめると、そう言うことですかね」
「ハッ、情けねぇ」
 と、俺がそう呟いた瞬間、ガランと、勢いよくシャッターが開いて、中からレンチを持った女性が身を乗り出してきた。

「今、私の事おばさんと言ったヤツ、もしかしてシグかい!?」

 先ほどのBGMのように、ワーワーと喚き散らす顔がススだらけの女性。
 彼女こそが、この喫茶メヘンディのオーナーである、ユーだ。
「あぁ、大正解。俺だよ」
「ったく、相変わらず冴えない顔してるくせに言うことだけはでかいんだから」
「うっせ」
 ちなみに、シグと言われているのは、それが俺の本名だからではなく、ただ単に、シグという会社の銃を俺が愛用しているから、そう呼ばれているだけである。
「まぁ、良い。久しぶりだ」
「あぁ」
「どこに行っていたんだい」
「ハチリアの街だ。とてもここは遠くて来れなかった」
「そうだったんかい、ま、中に入りな」
 半開きのシャッターから、くぐるようにして中に入る。
入った瞬間に気付いたのは、天井をクルクルと回り続けるいくつかの換気用のプロペラ。
 そして、眩しい白熱灯に照らされる、床に落ちた大量のネジ、部品。
 俺と我孫子は二人して、しかめっ面をしてしまう。
「少しは片づけろよ、ユー」
「ああん? 片づけて大切な部品を間違ってしまっちゃったらどうするんだい?」
「いや、落としている方がよっぽど無くすものが多いだろ」
「気にすんな。そんなことより新しい銃でも買いに来たんだろ。我孫子は、そこらへんに置いてあるから、好きなもん適当に取ってみてくれ」
「分かりました」
「あと、弾は入ってないから、強殺してかっぱらおうなんて考えるなよ」
「誰がするか」
 随分と熱された狭い室内――多分銃器が開いてある棚で殆ど埋められているからだろうが――の空気が、俺の顔に浴びかかってくる。
 最初は暖かいと思っていたが、すぐに熱くなり、コートを脱いで、机の上にどさっと置いた。
 ユーはあからさまに嫌そうな顔をして俺の方を睨んできた。
「おいおい、そこはお客さんの休息テーブルだ。勝手にモノを置くんじゃない」
「あ? 俺かって客だろうよ」
「あんたはいろんな意味で『特別な』客さ。さてと、シグだが、今回のお勧めは右奥の上から二段目の碧いプラスチックの箱に入ってる。確かめてみな」
「随分と隠すように置いてあるな」
 俺がそう言うと、ユーはニヤッとして、俺の方を見てくる。
 それは、俺とユーの間では『上物が入ったから、いっぺん撃ってみな』と言う一種の合図である。
「成程、それは楽しみだ」
「ちょいとした改造を施してある。弾丸が入っているから、適当に裏の射撃場で撃ってみな」
「オーケー」
 改めてコートを軽く羽織ると、言われたとおりの場所から、小型の銃を取り出す。コートの件はこのことに関する伏線だったというわけか。……伏線というほど、大層なモノでもないだろうが。
 ――SIG SAUER P239。
 今回は、随分と小型だ。おそらく、SPなどが愛用するような懐に隠す銃、って言うところだろう。
 俺としても、あまり大型の銃を振り回すのは嫌いなので、その小型の銃をコートに仕込んだまま、そのまま右奥のステンレス扉から外へと出た。
 
 ユーとは、彼女がここに来た時からの知り合いである。
 というか、どうやら、俺がここメヘンディの一番最初の客だったらしい。
 昔の俺は、こう言ったジャンキーな匂い漂う店が好きだったので、ここのカオスな外装は一目で気に入る逸材だったのだろう。
 なので、この店にとって、俺は最古残の常連ということになる。
 あの時から、銃を売っぱらっていたので、多分最初に喫茶店を経営しようとしていた、と我孫子に語っていたことは狂言だろう。
 年齢については一度も聞いたことが無いが、俺の年齢を言ったところ、自分よりは年上らしい。まぁ、推測するに、20と4か5だろうが、口に出すと、本気で銃を撃ってきそうなので黙っていることにした。
 
 外に出ると、光の街道から抜けた、暗い、陰鬱とした空間が広がっている。
 向こうには微かにぼろぼろになるまで撃ち抜かれたジャポネ製の車が無残な姿で何台か置いてある。もちろん、それこそが的である。
 俺は先ほどの銃を抜き、そのうちの赤い車に目標を定める。
 だが、寒い風が俺の耳を急激に冷やし、じんじんとした痛みを与えてくる。
 集中力が続かない。
「チッ……寒いな」
「寒いだろ? やっぱコートは必須だねぇ?」
 おばさん口調で話しかけてくる声が後ろから聞こえてきた。
 金髪に染めた外見には良く似合う、ピンク色のファー付きのダウンジャケットと白いふわふわしたニット帽をかぶったユーがこっちの方を見ていた。
「店番は?」
「我孫子ならそんなネコババして逃げていくことはないだろう。代わりにしてもらっている」
「相変わらずの大雑把な性格だ」
「ふふ、風に揺らされながら銃を構えるシグは、なかなか映えるねぇ。ちょっとの嫌味も思わず風に流してしまうよ」
「そりゃ、どうも」
「この姿見ていると、あんな可愛い子が惚れこんでしまうのも分かる気がするね」
 可愛い子? 
 俺の『連れ』の事を言っているのだろうか。
「アイツは相棒であって、恋人でも何でもないぞ?」
「はぁ、確かにシグならそう取るかもねぇ」
 何やら意味深なことを言って、ハァとため息をつくユー。
 その口からは白い息が漏れている。
 正直、よく意味が分からない。
「黒猫ちゃんの事大切にしてあげるんだよ。あんなに優しい目をした子、滅多にいないからねぇ」
 俺はその言葉にイエスともノーとも言わず、もう一度精神統一をして銃を構える。
 小型で軽量なので、逆にピントがぶれやすくなる。
 しっかりと手首をグッと力を込めて固定する。
 狙うは赤いジャポネカー、左側のサイドミラーだ。
「ところで」
 俺は視線をそらさぬままユーに問いかける。
「上物ということらしいが、どこら辺に『アレ』が仕込まれているんだ?」
「フフン、それはねぇ、中にあるコイルの成分に仕込んである」
「凝っているな」
「最近、魔術の復興研究が盛んで政府が魔術用マテリアルを大量に買い上げているのよ。だから、その魔素を手に入れるのには随分と苦労したわね」
「わざわざ、ご苦労さん」
「良いんだよ。シグは、ウチにとって一番大切な客だからね」
「サンクス」

 俺はトリガーを勢いよく引いた。
 ダブルアクションだから、わざわざハンマーを下す必要もなく、弾は発射される。
 刹那、俺の身体は大きく吹き飛ばされて、ちょうど出てきた廃屋の壁に思い切り激突する。自分でも予想だにしていなかった反射が、俺の身体を襲った。
「大丈夫かい?」
「あぁ、俺は平気だ。ハハハ……やられた、まさかここまでの威力だと思わなかった」
 銃を確認してみるものの、傷一つなく、シューと白煙を上げている。
 普通、今みたいな強烈な威力の弾を撃つと、小型銃なんてすぐにおしゃかになってしまうものだが、そんな様子はどこにも見られなかった。
 立ち上がり、コートの土を払う。前を見ると、先ほどまで4台あったはずの車が、いつの間にか3台になってしまっていた。
「完全破壊しちゃったわね。ま、良いわ。4なんて、不吉なだけだし」
「一体、どこから何の魔素を手に入れてきたんだよ」
「えっとねぇ、何だっけな、名前は読めなかったわ」
「はぁ?」
「だって、古代ヒンズー語だぞ? 読めるわけねぇじゃん」
 古代ヒンズー語、という彼女の言葉で俺は何となく感づいた。
 彼女は知らなかったのかも知れないが、その言語地域が出てくるだけで、相当強力な魔素が仕組まれていることは確かだった。
「ま、その言葉の魔素を23種類くらい組み合わせて銃を改良したよ」
「23だと? それはまた相当な量だな。調合は平気だったのか」
「私を舐めてくれちゃあ困るね。これでも、ジャンク市街で一目置かれている存在なんだぜ?」
 大きな胸をさらに張って、ユーは誇らしげな顔をする。
 俺はコートにその銃を仕込むと、裏口のドアを開けた。
「買うかい?」
「当然だ」

 ………

 俺は今度こそコートを脱いで、メヘンディで紅茶を飲んでいた。
 喫茶店、というのは虚言なんだろうが、確かに、ユーの入れる紅茶は深みがあって、絶妙な暖かさで提供してくれる。
 我孫子の方は、顔に似合わず、ブラックコーヒーをたしなみながら、ジャンク市街で刊行されている新聞を見ていた。
 我孫子も、なかなかこっちの事情には精通しており、取引などの手伝いをすることもあるやり手だ。俺はあまり名前の通った存在ではないが、我孫子、と言えば誰もがその名を知っている。
 後は、その外見を広めれば良いのだが、それはこの市街の特性上、ほぼ不可能と言っても間違いないだろう。
「いやぁ、相変わらずユーさんのコーヒーは美味しいですね」
「ありがとよ、我孫子」
「喫茶店、と看板に書いてあっても、少し納得してしまうかもしれないな」
 俺も素直に賛辞を贈る。
「珍しいね、シグが褒めるなんて」
「良いブツが手に入って、機嫌がいいのさ」
「ハハハ、ま、こっちも金が入ったから満足だよ。だけど、残念ながら、私はもともと喫茶店じゃなくて、情報収集家になることが目標だったんだ」
 そう言うと、彼女はテーブル脇にあった、何のためのモノか分からない計器が多く取り付けられているものを指さした。その傍には、使い古されたヘッドホンも二つ三つ置かれている。
「傍受、か」
「そう。それ、実は今でも現役で使えたりするんだ」
「なんでこんな商売に変わったんだ」
「アハハ、実は、ヘッドホンの数で分かるだろうけど、何人かの仲間で情報収集屋を立ち上げようって考えていたんだ。でも、一人は男とどっか行っちまって、もう一人はヒロポンヘッドになってカンカンに連れてかれたわ。多分、マシな状態では戻ってこないだろうね。あたしはあたしで、ちょうど知り合いから銃やその他機器の輸入ルートを紹介されてね、今じゃジャンク街の住民として、このザマさ」
 ユーは寂しそうな表情を一瞬浮かべたが、すぐにいつもの豪快な笑い声を上げて、俺たちの前にその機器を持ってきてくれた。
 俺と我孫子はヘッドホンを取り付け、適当にダイヤルを回してみる。

 ピー、ピ……ザー……

「おおっ」
 我孫子が声を上げる。
 女性のあえぎ声だ。
 こんな声、普通は電波で飛び交うようなものではない。
「いかがわしいダイヤルって言う、ヤツですかね……」
 良く良く聞いてみると、女性の声というよりは、なんか違う性質の――いや、あえて最後までは言うまい。
「オエ、気持ち悪いヤツだ。聞いている方も、言っている方も」
「なんだか、違う世界を見た気がします」
「ああ……このダイヤルは、何だ?」

 ピー、ピ……ザー……

「……」
 二人で無言でダイヤルを回そうと頷く。
 真正の、男性のあえぎ声だった。

 ピー、ピ……ザー……

「この世界、もうすぐ滅びるんじゃないのか?」
「何だか俺もそんな気がしてきました」
 我孫子がじっくりと音に集中しながらダイヤルをゆっくり回していく。
 俺は両手をヘッドホンに当て、微かな情報も逃さぬようにする。

 ――……を、……する。……

「ん?」

 二人で当時に声を上げる。
 何かが聞こえてくる。
 慎重に慎重に、ダイヤルを合わせていき、ハッキリと音が聞こえるようにする。

――1週間後、……で……を……する。………が手に……作戦だ。
――成程、計画は練って……のかい。
――まぁ、……の日、なんとかA爆弾で………だろう。あのと……薄になる。
――分かった。また、後日、話を聞かせてくれ。
――あぁ

「これは」
 我孫子が緊張した面持ちでこちらの方を向いてきた。
「あぁ、間違いない」
「犯罪の、匂いがしますね」
 いつもの取引ではアウトロー性など考えていない我孫子と俺だが、いざ、他人の壮大な犯罪計画を聞くと、その犯罪という匂いが俺たちの胸をむずむずとさせるのだ。
 なんだか、嫌な予感がすると言うか、そんな感じの。
「なんだい、何か、傍受出来たのかい」
 向かいからユーが首をかしげてこちらの方を見てくる。
「あぁ、これからの犯罪の計画に花を咲かせていた連中の話を聞いた」
「ほ、本当かい? 内容は」
「いや、肝心の具体的な内容は良く聞き取れなかった」
 俺がそう言うと、ユーはそうかい、と言ってがっくり肩を落とす。
 どうせその情報を王目に司法取引して金を手に入れる寸法でいたのだろう。
「ただ」
「ん? なんだい?」
「凄く、大きな犯罪がこれから起きるかもな。A爆弾と傍受出来た」
 A爆弾、というワードにユーが震えあがる。
「まさか、A爆弾と言えば、政府しか管理できない、高威力の小型ボムじゃないか」
「あぁ、あんなブツ、いくら裏ルートでも滅多に手に入れられない」
「大きな組織が動いているのかもしれないねぇ」
「だな。ま、そんなところだ。ありがと、今日は良いブツが手に入れられた」
 午前4時。
 そろそろ、出る時間としては潮時だろう。
 俺は黒いコートを着込むと、先ほどの小型銃を正規のケースに入れてもらいシャッターの外へと出る。
「また来な!」
 ユーはそう言うと、笑顔でこちらに手を振ってくれた。
 なんだかんだいって、根は優しい下町人情にあふれる人なのだ。
 俺は、そんなぶっきらぼうな彼女が好きだった。

   *   *   *

 ――トゥキョオ区、帝都ホテル AM8:00

 ふわふわとしたベッドから起き上がり、朝の支度を済ませる。
 帝都ホテルの泊り心地は一般客のそれでも抜群だ。最初から、狙っているターゲット層が上流階級に近い人だと言うのもあるのかもしれない。
 綺麗に磨かれたガラスの灰皿に朝の一服のガラを押し付けると、カバンの中身を整理して、忘れ物が無いか確認し、外に出る。
「おはようございます」
 コンコンと、隣のドアをノックすると、せっかくの綺麗な黒髪をぼさぼさにしたままの我孫子が出てくる。
「お前って、つくづく、朝に弱いよな」
「申し訳ないです」
「まぁ良い。先に朝食済ませておくから、9時までには出る準備を済ませておいてくれ」
「はいはい」
 ふわぁと大きなあくびを一つだけして、部屋に戻っていく我孫子。
 あの様子だと、9時になっても絶対に起きないだろう。
 まぁ、実質4時間睡眠なので無理もない。

 数時間前、本当はチェックイン不可能な時間帯に来たのだが、そこは我孫子の絶妙な手回しにより解決した。帝都ホテルは政府関係者とも太いつながりを持っており、俺たちの所属する国家機関の事についても十分承知のようだった。
 我孫子のそう言った能力は高く評価したいが、もうちょっと時間にタイトになってもらえないだろうか。
 俺は一人エレベーターを降り、12階のカフェに行く。
 ホテルに泊まった時に貰えるチケットは12階のどの店でも使用可能だと言うことで、軽く食事がとれて、エスプレッソも飲める喫茶店にすることにした。
 喫茶店と言えば、あそこもそうなのだが……ま、外観をこんな一流のホテルと一緒にするわけにはいかない。
 俺はチケットを渡しモーニングセットを頼むと二人席の片方に座る。
 周りには制服を着た男子とその保護者らしき姿が見える。そう言えば、今日明日と帝都大学の試験がある日だと我孫子が言っていた。彼らは一様に緊張しており、何やら落ち着かない。
 なんだか、悠々とモーニングセットをいただこうとする俺が場違いのように思えるくらいだった。

「何だか、場違いよねー、ウチら」

「あぁ……。……って、三日月!」
 いつの間にか、机の上には『二人分』のモーニングセットが置いてあった。
 メイドさんみたいな恰好をした人が一礼して去っていく。
 そして、二人分の席、反対側は開いていた場所のはずだったのだが、そこに見慣れた少女がちょこんと座っている。
 茶色いふんわりとした髪の毛。
 瞳はくるんとしていて大きく、身長の割にはスタイルも悪くない。
 名前は三日月。
 義理の妹であり、俺が所属するCHAO研究所の……所長、だ。
「久しぶりー」
「……あぁ」
「連れないね、ま、良いけど」
「別の席に座らないのか? まだまだ沢山席は残っているだろう?」
「ふふ、良いじゃない。たまには間抜けっ面した自分の兄の顔を見るっていうのも」
「ッ……」

『所長、嫌いですか?』
『さぁな』
『僕も、そんな感じです』
『どうも、性格がなぁ……』
『どうも、性格がですね……』

 妹、しかも義理、と聞けば、どこぞの連中がとても羨ましそうに俺の方を向いてくるかもしれないが、とんでもない。
 コイツの性格の悪さと頭のキレ――若干16歳で所長の座に就くくらいなのだから――は、もはやエロゲに出てくるようなかぁいい妹と同じに扱って良いレベルではない。
 もともと、俺のハチリア島区への移動も、こっちに急きょ戻ることになったのも、彼女の差し金だった。
 俺が担当している『研究』の情報がそこにあると言うことで、半ば強制的に引っ越しをさせられたのだ。あの時は環境が変化して、俺の連れが変化に対応できず病気を患ってしまい、2週間くらい寝込んでしまった。
 そして、やっと慣れてきて、色々な店に行けると、楽しそうにしていたときに、すぐにマラシュケに戻ってくるよう命令が来たのだ。
 ……三日月に。
「クソ……一番トゥキョオで見たくない顔を見てしまった」
「ありがと」
「褒めてるわけネェだろ」
 溜息をつきながら、いかにも美味しそうなフレンチトーストを切り分け、口に運ぶ。
 味など、全く感じない。せっかくの朝食が台無しだ。
「久しぶりね。ハチリア島区、どんな感じだった? 良いところだったでしょ?」
「あぁ、出来ればもう数年住んでいたかったな」
「でも残念、あの情報さ、上手く出来たガセだったから、当分はマラシュケの方で生活してもらわないとね」
 三日月はせせら笑うかのように俺の苦労を一蹴すると、皿の上のウィンナーを切って口に運ぶ。いかにも美味しそうなその表情にムカムカとこみ上げてくるものがある。
「ガセで、兄貴を振り回すとは、やってくれるな」
「あら、別に兄だからって言うわけじゃないの」
 何のことかしら、と言わんばかりに三日月がとぼける。
「あ?」
「対して費用対効果のない情報だったから、研究所で一番役立たずのエージェントを送ろうと思っただけで」
「ッ、てめぇ!」
 思わず、机を叩きそうになるが、何とかこらえる。
 俺の事をないがしろにし過ぎていることへの怒りもあった。
 だが、何よりも、俺意外の人間が苦しむことも考慮せず、俺に当てつけがましく指令を送ってくるこのやり口が許せなかった。
 ひそひそと周りから声が聞こえる。きっと、こんなところで何つまらない痴話喧嘩しているんだろう、と将来のエリート候補が嘲笑っているのだろう。
 俺はそれ以上何かを言うのを止めて、席に座る。
「大きな声出さないでよねー。不作法よぉ?」
「……お前」
「何?」
「いや、……もういい」
 俺は音を立てない程度にさっさと朝食を済ませると、さっさとエスプレッソを飲み干し、テーブルを後にする。
「じゃあね、バイバイー」
 何の罪の意識もない顔で手を振る三日月を思わず殴りたくなる衝動に襲われるが、それを我慢して、俺はその場を去った。

 ………

 1階のロビーで待ち合わせをしてくると、満足そうな笑みを浮かべて我孫子が降りてきた。
「おはようございます」
「あぁ」
「……どうしたんですか? 何か嫌なことでも?」
「三日月と会った」
 それを聞くや否や、我孫子は全てを悟ったかのように俺に同情の視線を送る。
「あまり気にしない方がいいです」
「分かっているさ。ただ、アイツの言葉はいつも俺にずしんと来る。きっと丁寧に言う言葉言葉を選んでいるんだろうな」
 今思い出しても怒りがこみ上げてきそうになってしまう。
 アイツの性格か、口調か、肩書きか、俺との関係か、何が原因かは分からない。
 もしかしたら、全てが上手くからんで、こうやって史上最低のハーモニーを奏でているのかもしれない。
「三日月さんも、苦労しているんですよ。若干18歳で、国家の一機関の所長ですから。今日もきっとここで会議があるので、このホテルに泊まっていたんでしょう」
「苦労しているのは知っている。……俺、嫌われることはした覚え、無いんだけどな」
 我ながら情けない声を出してしまった。
 三日月とは決して短い付き合いではなかった。
 俺はもともと、孤児だったが、前CHAOの所長、副所長をしていた夫婦に引き取られ、養子として育てられた。だが、その数年後に、二人の間に生まれると思わなかった、子供が生まれた。
 俺は、新しい家族が出来たと、最初は喜んでいた。
 4人で、楽しい生活が出来るんだと、信じて、疑わなかった。
「……」
 止めておこう。
 嫌なことをわざわざ思い出す必要はない。
「どうかしましたか?」
 ひょいっと、我孫子が俺の顔を覗き込んでくる。
「いや、そろそろ、出ようか」
「えぇ、そうしましょう」
 二人で、ホテルの大きな入口を通る。

 ――ふと遠くを見ると、空へと突き刺さる程、高くそびえる帝都タワーがあった。
引用なし
パスワード
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とある少女とショーネンR18 〈一章〉
   - 10/2/15(月) 4:19 -
  
 ――マラシュケ区、マラシュケ中央広場 PM9:00

 トゥキョオ区から荒野を車で走らせること約12時間。
 先ほどのトゥキョオと比べると、随分と阿弗利加チックな街になる。
 何でも、魔術国発祥の地だとか。
 何度来ても、ただの喧騒な途上国の街にしか思えないけれども。
 中央広場では、一面に広がるコンクリの地面の広場上に、白いテント屋根をつけた露天商がそこら中で店を展開している。各々が紐で適当に括りつけられた白熱ランプが、相変わらず盛況な中央広場を明るく照らす。
 そして、広場を囲うように沢山の背丈の低い白や赤褐色の建物も軒を連ねている。
 いわゆる新市街というところだ。
 俺は、荷物だけを降ろしてもらい、我孫子と別れて、一人、市街を歩いていた。 
 我孫子は明日も研究の仕事があるらしく、そのまま元の道を引き返していった。忙しい身なのだろう……俺とは違って。
「……ん?」
 ふと横を見ると、中央広場のライトに照らされた、右目に見事な黒いブチを持った白い犬が、ハッハッと舌を出しながらこっちの方をじっと見つめている。
 若干痩せている感じの顔つきが、なんだか、その顔にいやらしさを付け加えている気がしてならない。
 ――フッフォッフォ、あんちゃん、苦労してるねぇ?
 とか、言っているみたいな。
「っ……こっちみんな! f**kin’ dog!」
 思わず大声で怒鳴ってしまう。
 ブチの素敵なその犬は、何が何だかわからない様子で、ただ、迫力に押されすたこらさっさとどこかへ走り去ってしまった。
 良く考えたら、犬が人間をバカにすることなんてありえない。
 きっと飯をちょうだい、的なノリで近づいてきただけなのだ。
「スマン」
 どうやら、俺自身がただ単に不機嫌なようだ。
 深呼吸をひとつして、荷物を片手に、少し急ぎ足で目的地に向かう。
 露店の人達が、ジャポネらしい清楚な身なりをしている俺を目ざとく見つけては「駆けつけ一杯」「オリーブ沢山」とか言って手招きしてくるが、今はそれに構っている余裕はあまりない。
 これから住む場所は中央市街から、メディナのスークを通り、カスバに入り、合計歩いて20分くらいの所にあるらしい。
 ただ、何せカスバが複雑そのものであるため油断はできない。

 ――PM9:20

「そうしては雑誌屋とトマト売りの店の間の路地に入って――」
 我孫子からもらった地図を片手に、俺はカスバの入口へと入っていく。
 赤い土壁で出来た建物との間にある通り道は、もはや隙間と言っても過言ではないほど狭かった。もちろん自動車など通れないし、自転車でかろうじて、と言ったところだろうか。
 人の姿はあまり見かけない。
 月の光が漏れだしてくるように降り注いでくる。
 上を見上げると、建物と建物の間に竿が縦横無尽に引掛けられており、洗濯物がひらひらと空中を浮いているように躍っていた。砂漠の近くにある都市であるため、この時間帯は幾分か涼しい。
 俺は地図に書いてある赤い通り線に沿って右へ曲がったり、左へ曲がったりする。
 途中にトンネルを抜けたりしながら、正しい道を選択して歩いた。
 ――はずだった。
「あれ?」
 やっと、目的地だ、と、最後の角を曲がったと思ったら、そこには先ほどと同じ、賑やかな広場が目の前に広がっていた。相変わらず、活気づいている。
 時間は過ぎているようだが、俺は全く進めないまま振り出しに戻されたらしい。
「なんでだよッ」
 俺はもう一度、地図を広げる。
「雑誌を売っている店とトマト売りの店の間を入っていくところは絶対正しい。そうして、次に二番目の角を右に曲がって、すぐに出てきた交差している所を左に――」
 独り言をブツブツと呟きながらもう一度迷路の攻略を始める。
 別に難しい方程式を解かせるわけではない。ちゃんと、地図面の右左が把握できてさえいれば、きちんと答えの場所にたどり着けるはずなのだ。
 道の途中でおばちゃんに声をかけられたり、男に道案内を申し込まれたこともあった。前者はともかく、後者は何かとトウキョオから来た人間を狙った似非案内人である可能性もあるので、丁重に断る。
 活気がどんどんと狭い路地に行くにつれ薄れていく中、猫がそこら中を歩き回っているのに気付いた。迷いつつちょこちょこ進む俺を尻目に、彼らはすたこらさっさと何処へと消えていく。
「あぁ、猫の手も借りたい」
 歩き過ぎで白ニット帽が蒸れてきたので、それを外して髪の毛をぐしぐしとかき回す。良い感じに清涼な風が頭を駆け抜けていき、思わずフゥと息をついてしまう。
 こう言うことは冷静に考えないといけない。
 冷静かつ、大胆に、だ。そう進んでいれば、きっと道は開ける。

 ――30分後。

 最後の角を曲がり切り、俺はその光景を見た。
 オレンジをそこら中に積み、それをオーダーされたごとに切り取って、ジュースにし、売る人もいる。乾燥キノコをそこら中の木箱に詰めるだけ積んで、人々に叩き売りをしている男の人もいる。自転車のかごに入れるだけの食料を積んだ女性が、路地の方へと消えていく。
 出てきた場所が違う方角からだったので、一瞬違う場所のように思えた。

 だけど、そこは中央広場だった。

「あああああああ!」
 ――もうイヤだ。
 我孫子の前では、俺も結構な先輩面をしている。(所詮、2カ月程度の差なので、相手からは同僚扱いなのだが)
 だから、どこか心配そうに俺の方を見つめてくる彼の視線をよそに、大丈夫だ、一人で行ける、と強がってしまったのだ。

 と、呆然自失としている俺のそばに、ケバブーの串を持った何とも疲れ切った服を着ている大男がのっしのっしと近づいてきた。
「どうかしたのカ? トゥキョオから来たような身なりダが」
「えぇ、まぁ」
 いつもなら無視するが、今回は現地住民に頼るとしよう。ぼったくられるだろうけど。
 俺は、二時間は握っていたであろう地図を彼に手渡した。
 軽く今までの事情も説明する。
 だが、それをしばらく見ていた男はやがて吹くのを我慢するかのように口元を歪め、俺の方を向いて一言言った。
「お前、どっかの地図売りにでも騙されたナ、これ、でたらめだ」
「……は?」
「あー、でもよく見ると、これは10年前くらいの地図かァ? ま、今はどちらにしろ意味が無い代物だからヨ。俺が代わりに正しい地図売っているところ案内するワ。あぁ、言っておくが、そこは国営だから嘘つきな場所じゃねぇし、安心しな」
 ケバブー串をくちゃくちゃと食べながら、ガニ股で俺を案内してくれる。
 また騙されるんじゃないのか、と一応疑心を抱いてはみたが、たどり着いたところが広場を囲む建物の一つだったので安心した。
 こうして、俺はようやく正しい地図を手に入れ、今度こそ、正しい家を探すことにした。
 家の番地名だけは我孫子本人から教えてもらったので、それを伝え、ご丁寧に赤色の線で正しい行き方まで教えてくれたので、今度はあんなことにはならないだろう。

 ――30分後。

 今度は中央広場に戻ることも無く、たどり着いたところは、赤い建物が並ぶ他よりは若干広い裏路地だった。
 幼い子供が数人で連れたってどこかに向かおうとしている。どうやら、もう学校へと登校する時間帯らしい。学校の始まる時間が9時だとすると――俺は約3時間半、迷わされていたのか、畜生。
 一体、俺はなんであんな偽物を掴まされてしまったのだろうか。
 まぁ、――犯人は大体分かっている。
「三日月ィ……」
沸々と、今日の朝の怒りが戻ってくる。
 そういえば、今回の地図も、我孫子が書いたものではなく、彼が手渡してくれた封筒に入っていたブツだった。今更だが、どうして我孫子が心配そうに俺の方を見てきたのか、その意味が分かる。
 地図を選んで書いたのは、三日月のせいに違いない。というより、研究所でそんな陰湿なことをする奴なんか、アイツしかいないのだ。
「次に会ったら、絶対仕返ししてやる」
 そんなことを言ってみるが、もちろん、相手の方が一枚上なので、仕返しが成功した試しは無い。
 逆に切り返されて俺の心に傷が付くだけだ。
「もうなるべく顔を合わせないようにしよう……」
 荷物を手に提げたまま、地図片手に自分の棲みかを探す。だが、地図を見るまでもなく、その場所はすぐに判明した。
 赤、黄、茶レンガで出来たカラフルな一軒家。ガラスで出来た西洋風の窓。
 そこまでは他の家と大して変わらない。
 まず、俺の家だと思えるものには一階が存在しない。その代わり、ぽっかりと開いたその空間にでっかい何かが鎮座している。全身を黒いうろこで包み、立派な角を頭の上から生やしている。ふわぁと牙が並ぶ口を大きく開けて、目をぎょろりと動かす、巨大な生物。(さすがに家を壊すわけにはいかないのか、尻尾は動かしていないようだが)
「ハァ――」
 やっと正しい場所にたどり着いたのに、俺の気分は限りなく暗い。
「はぁ」
 ため息が漏れる。
 おまけに、連れにギャーギャー騒がれて、今回は若干お金をかけた家を建ててしまった。
 本当は、こちらとしては、以前ここで住んだいたときのアパートに引っ越したかったのだが、どうもあそこでマンドリンみたいな形をした「虫さん(彼女いわく)」に出会ったことがトラウマになっているようで、こうやって新築の(もちろんゴキブリ対策はきちんとしてもらっている)レンガ家を購入してしまったのである。
 ……ローンで。
「ま、少なくとも、三日月よりはマシか……」
 俺はドラゴンの鼻を一撫ですると、ゆっくりと二階へと続く階段を上る。
 スンっと言ってドラゴンが嬉しそうな声を漏らした。

………

「ただいま……って、もう寝ているのか」
 月明かりだけが照らされた二階の部屋内に、誰かが起きている気配はない。
 天然の木で出来た家具独特の香りが部屋内をたちこめる。どこか涼しく、そして、どこか温かい場所にいる気がした。
 さっきまでの喧騒が、ウソのように静かだ。
 良く見ると、ベッドもきちんと整えてある。
 そして、それにくるまって、俺の連れはスースーと寝息を立てていた。
 すとんと、その寝ている傍に腰かける。
「おやすみ、黒猫」
 俺はその黒髪を優しく撫でると、どこに何が置いてあるのかを確認する。
 ダイニングに行くと、ハイカラで目立つお皿が模様同じの色違いで二枚あった。
 赤色と、オレンジ色だ。随分高そうな代物だが、お金の方は大丈夫だったのだろうか。
 本棚を見ると、魔法の本がまた増えている。きっと新しい風属性の大魔法でも覚えようと考えているのだろう。
「ん?」
 ベッド横のテーブルに何かが置いてある。

〈MEMO〉

 お連れさんへ♪
 今から洵さんの有り金で雑貨を買って、その後仕事しにいってきます。
 夜までには帰るからね! 白猫

「白猫か……」
 俺は、その紙をコートに詰めると、冷蔵庫のドアを開けた。
 沢山の野菜と魚で作られたマリネサラダと、自家製のケバブーが沢山積んであった。
 残したら、ドラゴンにでも食べてもらおう、というなの寸法だろう。
「ありがと」
 電子レンジでケバブーをあっためた後、それらを机の上に取り揃える。
 メディナに売っているパンもつけられていた。
 ちょうど、今日は長旅で、何も食べていないのだ。
「いただきます」
 俺は一つずつ、丁寧に食べていく。誰にも邪魔されない、安らぎの空間で食べるご飯はきちんと味が付いていて、美味しかった。
 良く考えれば、こんな風にご飯が美味しいと思うようになったのはごく最近名気がする。
 この忌々しい職に着いてから、俺は改めて、こう言う生活の楽しさを覚えた気がする。
 それは……何と言う、皮肉なんだろう。
「お帰り」
 テーブルの後ろから声がした。
「悪い、起こしたか」
「ううん。水が飲みたくなっただけ。……美味しい?」
「あぁ、用意してくれたんだろ? ありがと」
「うん。でも、……ちょっと。遅かった」
 優しく、俺は包まれた。
 黒い髪と赤い瞳をした彼女は、ただただ、ギュッと、でもふわりと俺を抱きしめた。
 もし、この仕事を一人でしていたら、一体、俺はどうなっていたんだろう。
 今頃、何をしているんだろう。
「ごめん、次はちゃんと約束守るから」
「うん。必ず……」
 そう言うと、黒猫は俺から身体を離し、冷蔵庫から水を取り出して、コップに注ぐ。
 それを一口飲むと、またサッサッとパジャマのズボンを引きずらせながらベッドに戻る。
「ところで」
「うん?」
「新しい魔法の本、何だったんだ」
「……白魔法。結構上級の。だと思う」
「そっか」
「……結構良い。センスある」
「あぁ。じゃぁ、もう、おやすみ。話を伸ばして悪かった」
 俺がそう言うと、良いの、と少し微笑んで、黒猫はさっきと同じように、ベッドの上で丸くなった。俺が寝るために先ほどよりも少し右にずれてくれる。
 けれど、俺もそこまで野暮な人間ではない。
 彼女の用意してくれた夕食を全部平らげると、皿を全てシンクにおいて、満腹の腹のまま、ソファーに横たわった。
 窓の外を見ると、相変わらず月の光が、俺たちの部屋に差し込んでくる。

 ――と、窓の外から、何かが覗いているような気がした。

 俺は、疑問に思い、窓に近づくと、そこからあたりを覗くが、誰も、何もいない。
 思わず首をかしげてしまうが、何もいないのでは仕方が無い。
 改めてソファーに戻ると、目を閉じる。
 長時間車に揺られていたということもあるのか、すっかり疲労がたまり、瞼はあっという間に重くなってしまう。

 ――白くかすむ世界の中、俺の意識は暗闇へと誘われていった。


→二章へ続く
引用なし
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1909 / 2010 ツリー ←次へ | 前へ→
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