|
チャピルです。みなさん聖誕祭の準備ご苦労様です!
こんな時期に恐縮ですが、僕は近年のチャオ小説のありかたに、小さな疑問を抱いています。
チャオ小説は、「チャオ」という題材にこだわるあまり、週チャオ以外では読まれないという宿命を背負っています。
これでは、せっかく週刊チャオで培った文章能力が、身内だけで消費されていってしまいます。
単なる引きこもり文学、というのが、僕がここ数年のチャオ小説に抱いてきた印象です。
僕はチャオを作ったゲームクリイエイターたちがどうすれば喜ぶのかを考えました。どうすれば引きこもり文学を超越できるかを考えました。
例えば、僕たちが何らかの作品で有名になったとして、
「僕たちを育ててくれたのはチャオだ」
と言い切ることができたとしたら、それは制作者に対する極上の恩返しになるのではないでしょうか?
よい作品をよい作品で返すのが、作家の喜びではないでしょうか?
……という考えのもと、僕は、一つの目標を立てました。
「チャオ小説の知見を活かしたオリジナル作品を書き、来年の聖誕祭までに何かの賞に応募する」
目標は具体的な方がいいので、近いうちにどの賞にするかも決めます!
個人レベルで、いわゆる「普通の小説」を書いている方がいるのは知っています。
でも、せっかくここには週刊チャオのメンバーがいるんです。もっと力を合わせて取り組んでもいいんじゃないでしょうか?
例えば、途中まで書いた作品を投稿して品評をもらうとか、プロットだけでも他人に意見してもらって、よりクオリティの高い作品を描くこと。
これまでガチでお互いの作品を罵り合ってきた現・週チャオメンバーだからこそできることだと思います。
僕はこの活動を「超チャオ小説」と名付けました。
超チャオ小説にはもはや、チャオは登場しません。
その代わりに、「自分の心の中にあるチャオを反映した何か」が、作品にパワーを与えてくれます。
例えば、作品のテーマとして「電子ペット」や「動物の能力を吸収」といった要素を取り入れるとか、あるいはもっと間接的なやり方でもいいかもしれない。
超現実主義(シュールレアリスム)という言葉がありますよね。20世紀に美術の世界で流行りました。
「超現実」では作家の見た「現実」の断片が、まるで夢の中みたいにザッピング的に現れます。
それと同じように、「超チャオ小説」では僕たちの無意識にある「チャオ」の認識の断片が現れます。
それが名前の由来です。
要するに賞を取ったときに「なにげにチャオに影響を受けてるんですよ」と言えれば成功なわけです。
この理屈がチャオ小説としてこじつけに近いことは、僕も十分に承知しています。
なので、一応みなさんの意見を伺いたいです。
「そんなの週チャオサークルでやるなよ」と言われたら、素直に別の活動場所を探します。
一緒にこの方向性を考えてくれる人がいたら、とてもうれしいです。
|
|
|