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僕たちの世界も『現実には魔法少女は、(たぶん)存在しない』ですよね。
それでも実は存在しちゃっている。
そんな話を僕も書いたことがあります。
(ラノベの新人賞に送って、一次選考ではねられました)
その時の僕は「きっと魔法使いを見つけてしまったら、悔しく思うはずだ」と考えました。
もし実在していると小さい頃にわかっていれば、自分も魔法使いになれたかもしれない、と。
だから僕の作品の高校生の少女は、魔法使いに嫉妬しました。
この作品では、大学生の主人公は忘れていた大切な何かを取り戻して「ありがとう」と涙を流していて、それが僕にとっては衝撃でした。
確かに大学生くらいになると、その存在が一種の希望だと感じられるようになるのかもしれませんね。
自分に可能性がない、ということが悔しい。
世界に可能性がある、ということが嬉しい。
それ以外にもまだまだ別の感じ方があるのでしょうね。
その作品を書いていたことを記憶の片隅においやっていたのですが、この作品のおかげで自分の作品を思い出しました。
もう一度、魔法使いが(たぶん)存在しない現実を見つめてみたいと思います。
ありがとうございました。
それから、子供を座らせることのできるショッピングカートにチャオを座らせる、という発想も僕にはありませんでした。
チャオアパートの世界では、チャオと一緒に外出することはあまりないことです。
それはチャオを単にペットの一種として考えているか、それ以上のパートナーとして考えているかの差なのでしょう。
そのように考えると、ショッピングカートの設定はパートナーとしてのチャオを象徴するいい設定なのではないかな、と思いました。
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