●週刊チャオ サークル掲示板
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小説事務所 「can't代 Therefore壊」 冬木野 10/6/12(土) 3:15
鍵の掛かった書庫 -numbering 冬木野 10/6/12(土) 3:35
No.1 冬木野 10/6/12(土) 3:48
No.2 冬木野 10/6/12(土) 3:50
No.3 冬木野 10/6/17(木) 22:40
No.4 冬木野 10/6/20(日) 15:42
No.5 冬木野 10/6/27(日) 4:49
No.6 冬木野 10/7/13(火) 22:52
No.7 冬木野 10/7/23(金) 23:40
No.8 冬木野 10/9/8(水) 17:08
No.9 冬木野 10/9/15(水) 16:49
No.10 冬木野 10/9/29(水) 5:50
No.11 冬木野 10/9/30(木) 3:13
No.12 冬木野 10/10/7(木) 4:09
No.13 冬木野 10/10/7(木) 4:44
No.14 冬木野 10/10/10(日) 15:59
No.15 冬木野 10/10/15(金) 3:56
ささやかに輝くAFTER 冬木野 10/10/15(金) 3:59
※書き終えた感想と、あなたの感想の場所 冬木野 10/10/15(金) 4:27

小説事務所 「can't代 Therefore壊」
 冬木野  - 10/6/12(土) 3:15 -
  
 石造りの建物が並び立つ大都市、ステーションスクエア。最近は過疎化が進んでいると専らの噂ながら、主要都市というポジションは決して揺るがない。
 そんな中に、空気を読まずに立っている木造建築事務所がここに一つ。こいつがどこかの山奥にでも立ってれば立派な山荘なのに、こんな場所にちゃっかりかつ堂々と建っている物だから、どこをどう見たってイロモノ臭しかしない。
 そして見た目に違わず、そこに住まう(正しくは働く)のは一癖も二癖もある、天然パーマも坊主で逃げ出す難癖チャオ達。ギャグ小説のまま収まってればいいんじゃねとも思える奴らの集い。
 長々と説明するのもなんだと思うし、そこまで把握する必要だってない。
 いつだって何か小火騒ぎでは済まない事が起こっては漫才の小道具で事を収める。
 地下室にはちょっとしたといいつつ仮にも本格的な研究室を控えている。
 休暇はほぼ自由のくせにそもそも事務所に居る事と休暇が大差ない。
 そんな夢にも思わない楽園(?)を支える金の元は宝くじ。
 ぶっちゃけお国の金を使ってるようなものだというのに、どこの誰も文句を言わない。
 当の事務所を仕切る所長の実務は睡眠。
 簡単に言えば、そんな事務所。たったそれだけ。
 ――これらは全て、誇張表現でもなんでもない。


 そんな『非常識的』という括りにカテゴライズされたチャオばかりが、暮らす(正しくは働く)事務所。昔こそは誰かに知られ、いつの間にか誰も話題に挙げる必要性がないぐらい浸透し、消え去りそうな程に当たり前になった事務所。

『小説事務所』

 いつだって疑問に思わない事は無かった、その名前の理由。なんでこんな名前なのか、いつからこの名前だったのか。それは最初からだと言う。
 だが、理由は誰に聞いてもわからない。所長に聞いてもわからない。返ってくる言葉は「すでにそうなっていた」というただ一言。だから、追究する事はやめていた。どうせその内、大した事のない理由として知る事になるんだろうな、と。
 しかし、それは間違っていた。
 知ってはいけなかった。
 それは『常識的』に見えた『非常識的』な思想を持つ人間達の、真っ黒な腹の中に抱えられ続けた負の遺産。
 木を森の中に隠すように、その遺産は小説事務所のパンドラの箱の中に隠されていた。


『事実』は『小説』より奇だと言うなら。
『小説』は『事実』より尊いに違いない。
『事実』は『小説』に成り代わる事ができても。
『小説』は『事実』に成り代わる事ができない。

 それは即ち、完全なる空想の再現の不可。
 それが神様の作ったこの世界の大きなルールの一つだ。
 それでもその人間達は、それを根底からひっくり返そうとしていた。
 それはつまり、神様への挑戦。

 私達は、そんな傲慢な人間達の尻拭いをする事になった。
引用なし
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鍵の掛かった書庫 -numbering
 冬木野  - 10/6/12(土) 3:35 -
  
「鍵を開ける日は、いつか必ず来る。その時まで、大切にしまっておいて」

 彼女はそう言っていた。今では懐かしい言葉だ。
 自分だけの書庫の中に閉まっておいた、大切な物。私は今、それを取り出したような気分に浸っている。
 忘れる事のできない充実した日々。そして、その手で掴み取ってしまった負の遺産。


 今の世界が平和なのか、否か。今の私には、もうわからない。この世界がどう変わっていこうとも、または変化を嫌おうとも。
 何が正しいんだろうか。何が間違ってるんだろうか。誰も教えてくれないし、誰も決めてくれない。
 だから、開いた。いつだって私は弱くて、自分では何も決められず、流されるままに生きてきた。

「過去を見つめろ」

 あの時の私は、一体何を求めて走っていたのか。今こそ振り返る時が来た。
 忘れないうちに。
 見失わないうちに。
 正しかったか。
 間違ってたか。


 さあ、読み返そう。
 300円でも売れやしない、私の小説を。
引用なし
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No.1
 冬木野  - 10/6/12(土) 3:48 -
  
「おっかえりっユリちゃん! このめでたい日に、独学で花火を作ろうと」
「すなっ!」

 そんなこんなで、私を迎えたのは、ハリセンの快音だった。ソニックチャオ特有のトゲとヒーローヒコウの羽が、強風に吹かれたように舞い上がる。……うん、らしくていいや。カズマとヒカル、相変わらずの二人の姿だ。
「お帰りなさい。皆さん、ユリさんが来るのを待ってましたよ」
 あんまり話をしないリムさんも、ウサギさんのように心優しい笑顔で私を迎えてくれた。それが営業スマイルなのか否かは、私にはよくわからない。
 事務所の二階の窓からは、グレーのテイルスチャオが笑顔で手を振っていた。ヤイバだ。……というか、そこは確か所長室じゃなかろうか。またおかしな事をしているに違いない。やる事もグレーだ。
 私が事務所の事をいろいろと懐かしむようにしていると「ほら、早く」とカズマが私の肩を押して事務所の中へと連れて行った。


 思えば長い間、このアットホームな職場に来ていなかった気がする。

 少し前に、私の初仕事の日があった。それは初めてにしては荷が重過ぎるというか、行かなければ良かったと後悔する程に酷い仕事だった。
 この小説事務所は、名前通りの事をしているわけでもなく所謂何でも屋という奴。その割にしょっぱい仕事はあんまり来ないから、普段は暇な通勤生活となる。そしてたまに来る仕事というのが大体難題であるというのが特徴。
 その難題が、見事に私の初仕事となった。内容は簡単だ。
「ミスティックルーインにある別荘へ出かけた友人が帰って来ない。探し出して欲しい」
 というものだ。
 今思えば、警察に頼めば済む問題じゃないのかとも考えた。しかし、この事務所に所属してから、何故かそこら辺の事情に詳しくなってしまった。
 最近のこの国の警察は、かのマッドサイエンティストであるドクターエッグマンの起こす事件や、その他のっぴきならない事情により機能していない。ここステーションスクエアという主要都市ですら、警察は民間の事件は全くと言って良いほど相手にしていない。
 しかもお偉いさんはこの小説事務所の存在を知っており、存在自体は危険ながらもその穏健さ(?)や有能っぷりを知り、すっかり頼りまくっている。その為、今や小説事務所は警察機関とあまり大差ない。ぶっちゃけ関係のない組織体の筈なのに勝手に仕事を押し付けられているのと同じだ。無責任な事このうえない。そんなんだから国民の信頼度が駄々下がりするんだ。首脳部はアホか。
 閑話休題。

 その初仕事の正体は、私という小説事務所の新勢力の調査及び確保の為の、どこぞの組織の罠だった。
 結果的には私はなんとか脱出できたのだが、いわゆる民間人である私を巻き込んだ出来事と「お天気」が相俟って思い出したくない事を思い出してしまった。
 所長――ゼロさんにその事を打ち明けたその日。

「休みをとりたかったら、何も言わずに休んでいい。戻って来るも来ないも、お前の自由だ」

 そう言って、所長は休暇の自由をくれた。とんでもない待遇のよさだ。……と言っても、ここではそれが当たり前だ。
 最初は遠慮しようかとも思ったけど、その時の気持ちの沈みようは酷くて、結局事務所には行けずに家にこもりっぱなしだった。
 規則正しかった私の生活は崩れていき、だんだん無気力になっていく。そんな自分に気付いたのは、どれくらい経ってからなのか。もう覚えてはいないけど、実はそんなに長くはなかったようだ。


「やあユリ、久しぶり……かな? 僕としては、それほど経ってないけど」
 ほら、こう言ってくれるんだから。
 息抜きの最中だろうか、何かの単行本を読んでいたテイルスチャオ、パウ。
 通称、テイルス二世。そう呼ばれていたのは、事務所が目立って活動していた時期だけだとか。表立った動きもせず、所員の中では実にまともなチャオの一人。しかしその実態は、無名ながらも隠された技術が凝縮された頭脳を持つ天才『少女』だ。
 ……とは言っても、私はそんなパウの姿を見た事はこれといって無い。おそらく誰かの過大評価だとは思うけど、一応その高い能力は否定しない。
「所長さんには、ちゃんと挨拶したかな?」
「あぁ……そういえば、すっかり忘れてた」
「ははは。まぁ、それでもいいんだけどね。気にする事はないよ」
 そう言って、私の不祥事を笑って見逃した。不祥事も何も、所長が不祥事してるんだけど。ずっと寝てるし。
「どう? 良い『休暇』は過ごせたかな」
 ……割と遠慮のない言葉を、私の胸に突き刺してきた。ずぶずぶと。この事務所、アットホームながらも逆にそれが仇になってるんじゃないだろうか。
「最初は気兼ねなく……というか、そんな事考えてる暇もなかったんだけど。その内、本当にこのまま休んでいいのかなって思って」
「ほほう、所長殿のありがたい待遇をふいにしたと?」
「そうじゃないって。なんというか、問題児扱いされてる気がして」
 本音は「そのありがたい待遇に裏がありそう」というところだけど、あんまり言えたもんじゃない。ただ、実際に腫れ物みたいに扱われた感があるのは間違いない。
 そんな私の言葉を聞いたパウは、急に目を丸くした。何かおかしな事を言っただろうかと思った矢先、今度はいきなり吹き出してしまう。
「ははは、いいねぇ暢気で。君、意外と真面目そうに見えて大した天然っぷりだ」
「て、天然?」
「だって、問題児なんて今に始まった事じゃないだろう?」
 あ。
 私がそれに気付いたのとほぼ同時だろうか、いきなりハリセンの快音が響いた。まるで私の頭を叩いたみたいだ。自分でも大したボケをかましたと思う。
 問題児ならとっくに身近にいるんだ。それも私みたいなデリケートみたいなのじゃなくて、見るからにそれらしいのが。しかし、それでは自由に休暇を取っていい理由には繋がらないと思う。いくら金銭事情が潤ってるからと言って。
 そうして私はじっくりと、所長の言葉を丁寧に解剖して、その意味を探る。
 ――答えが、出た。


「ぶっちゃけ面倒見切れないから、自分で解決してくれ」


「結局問題児扱いじゃないかっ!」
 唐突に叫んでしまった。それを見たパウが、耐え切れないように笑い出してしまった。意外に笑い上戸だなこの人。
 いや、しかし、大した名演技だ所長。私が休暇を貰った当日の所長の慰めるような言葉の数々を思い出す。あんなに親身になって話を聞いてくれていたと思ったら、実はそうではなかった。きっと私の話なんて、次の日には夢の中の出来事と一緒くたにされて忘れ去られているに違いない。
 なんだか急に体が重くなってしまった。結局私のあの休暇は一体なんだったんだろう。勝手に休んでいいとは言ってくれたが、もし普通の会社なら有給休暇の無駄遣いになってるところだった。
 もういいや、全部忘れよう。私の悩み事なんて、ここじゃ問題にすらならないんだという事がよくわかった。まずは笑いの止まらない隣人をどうにかしなければいけない。
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No.2
 冬木野  - 10/6/12(土) 3:50 -
  
 所変わって、所長室。
 挨拶はいらないと言われておきながら、結局は所長室の事が気になってついつい足を運んできてしまった。
「おはよう」
 そう言って私を出迎えたのは所長……ではなく、所員。さっき外で窓越しに見えたヤイバだった。なんで所長が挨拶しないんだよっていうかお前秘書のポジション陣取ってるつもりかよ。
「だって寝てるんだからしょうがないじゃんよ」
 あぁ、そうですよね。ってなんで寝てるんだよここ寝室じゃねぇよ所長室だよ椅子にふんぞり返ってもいいから少なくとも寝るんじゃねぇよ。
 ……といった感じの会話を、私がここで勤務し始めた頃にした事があった。
 今ではすっかり私の中でも静々と寝息を立てて寝る所長の存在が当たり前になってしまった。傾向としては、世間的に見て悪い方だと思う。それを思うと、自分の適応力が思ったより優れている事に喜べない。もうちょっと常識人でありたかった。今じゃここの事務所の面々とは、基本的にさんづけで呼んだりもしなくなるほどになっちゃったし。今のところさんづけしてるのはリムさんとかくらいだ。
「そういえばさ」
「ん?」
 所長とヤイバの姿を見て、ふと頭の中を通った疑問を口から吐き出した。
「なんでヤイバは、所長の事を先輩って呼ぶの?」
「そりゃ、先輩だからだよ」
「先輩って……学校の先輩、みたいな?」
「違うよ、色んな意味で先輩なんだよ」
 特に理由がないみたいな物言いだ。大した定義がないとなると、なんとなく呼んでるんだろうか。
「定義って程じゃないけど、それらしい理由はあるよ」
 来客用に置かれたソファに体を投げ出すようにぼすっと座り、真ん中のテーブルに置かれたコーラを勝手に飲み始めてしまった。私も向かい側のソファに座り、所長の体を形作っていると言っても過言ではないコーラをちびちび飲む。
「よく何かしら気取った不良が、目上の人に対して勝手に「兄貴」って呼んだりするでしょ? フィーリングとしてはそんなもの」
「兄貴、ねぇ」
「いや、違うかな。剣客や武道家で言う「師匠」とか。学校の「先生」とか、会社の「上司」とかとは別のモノ」
「……つまり、先人?」
「そうだ、それそれ」
 私が何気無く思いついた言葉に、ヤイバは首を振る。先人というと、いわゆる過去の人という言葉のイメージが強い。その線で行くと、ヤイバの先輩という呼び方はそれなりの意味を含んだ言葉になる。
「履歴書も無しに入れる場所だったみたいでさ、カズマ達と一緒にこの事務所に押しかけで入ってきて、いつの間にかここの一員になってたんだ。入所してしばらく経ってから、先輩がなんでもないように言ったんだよ。「お前達の履歴書くらいは見てもよかったかもしれない。小説のネタぐらいにはなるだろ」って。一番隠したい事、先輩達に感覚でバレちゃってたみたいでさ」
 先輩達。つまり、所長であるゼロさん、そしてパウとリムさん。この三人が、事務所が設立された頃からのメンバーだとか。この頃は家賃滞納するほど金銭事情が苦しいと聞いていた。未だに信じ難いというか、想像できない。当時のオーナーにはとんでもない大金を突き付けてさっさと手を引かせて、ここの権利関係は全部所長の手の中だ。裏社会とか怪しい組織とかに目をつけられる理由がそこかしこに転がってるんだけど、不思議と安心できる場所だ。恐ろしい。
「で、当然追い出されるのかと思ったんだ。そんな奴置いてくれないと思って。そしたら今度は、自分達の秘密をなんでもないように話したんだ。こっちの事情に負けず劣らずとんでもない話だったよ」

 秘密。それは、私も話でしか聞かされていない空想の物語。でもそれは、ここにいる人達を形作った基盤。
 でも、普通のチャオじゃないなんて、この人達にとってはただの装飾品だ。本当の基盤は、そんな道を歩いてきた足。
 ある人は闇の世界を渡り、またある人は家族を失った。ある人は昔の自分をも失ったし、またある人は復讐に燃えた事もあった。聞くだけなら、どれも現実味がなくて想像がつかない。
 それでも、そんな現実味がなくて想像もつかない事を体験した。その結果としているのが、私の目の前にいる人達。


「……で、それがどうかしたんですか?」
「なははは、面倒だから聞き流したな?」
 ぶっちゃけた話、私は他人にそこまで興味を持つチャオではない。確かにここの人達は個性的だけど、慣れてしまえば結局は同じ職場で働く仲の良い人、という存在でしかない。そのぶっきらぼうな様が女らしくないとか言われたりするけど。
「なるほどね、じゃあ俺とユリは逆だな」
「逆?」
「あぁ。まーなんていうか、それほど尊敬してるってほどでもないけど。この人はそんな風に、俺達よりもよっぽどいろんな事を知ってるし、体験してる人なんだなーって。それでいつの間にか先輩って呼ぶようになったわけ」
 そう言われてみると。ちびちびと飲んでいたコーラを一気に口に流し込んで、基本無表情のまま眠り続ける所長の姿を横目で見る。
 私がヤイバみたいだったら、きっと私も所長ではなく先輩と呼んでいたのかもしれない。
 休暇を貰った日のあの時の会話を思い出す。信じるものは自分で見つける。自分のルールは自分で決める。他人に頼らず、自分の力で。
 確かに私は、他人にそこまで興味を持っていない。でも、自分の事をそれほど強いとはこれっぽっちも思ってない。だから、自分のルールだとか、そんなもの作って生きるほど強くはない。ただの民間人――ただのソニックチャオだ。それを思うと、所長の事をもっと敬意を込めた名称で呼んでもおかしくない。
「でもまぁ、そんなに深い話でもないよ」
「そうかな?」
「そうだよ。だって、過去に何があろうが、現実は目の前にある。普段からぐーぐー寝てる所長っていう現実がね」
 実に的を射た発言だ。ああ、現実って恐ろしい。ヤイバの言うとおり、結局目の前にいるのは職務怠慢が職務ですと体現しているような所長なのだ。これが私にお説教してたんだと思うと、現実というものがわからなくなる。深く考えてはいけないな、こういうの。
「んじゃ、俺はもう帰るから、残りの秘書のお仕事よろしくぅ」
「え、え?」
 まだお昼にもなってないのにもう帰るの? というかヤイバって本当に秘書なの? というより秘書の仕事ってなんかあるの?
「子守」
「私保母じゃないっていうか所長子供じゃない!」
「あー、今のいいツッコミだねー。やっぱ期待の新入所員だけあるなぁ。ヒカルとかのポジション乗っ取れるかもよ?」
 ここヤイバのポジションなんだけど。というツッコミが喉から出る前に、ヤイバは足早に所長室を出て行ってしまった。私も部屋を出ようかと思ったが、何故かそんな気が起きずに腰をソファに預けたままだった。何故だろう。いくら立ち上がろうとしても立ち上がれない。目に見えない重りでもあるんだろうか。
 チラと所長の方を見てみると、そんな事なぞ露知らずに眠っている。
「……本、借りておけばよかった」
 パウの顔を思い出してはそんな後悔をして、また一つコーラの缶と取った。プルタブを開けた時の音が気持ちいい事で知られる炭酸飲料だが、これで起きないかなと思ってチラと所長を見ても、そんなことはなかったぜ。
「はぁ」
 何バカなことしてるんだろう、私。大きく吐いた溜め息を戻すかのようにコーラを勢いよく口に流し込んで、また一つ大きく溜め息を吐いてしまった。
 小説事務所の所長、ゼロ。間違いなく私なんかより凄い人だ。RPGで例えるならラスボスを軽く降して裏ボスにも苦戦しないレベルで、私はそこいらのNPCの民間人レベル。でもこうして見てると、そんな実感は全く湧かない。
 この部屋に引きこもって、大半は炭酸飲料だけ飲んで生活してるような、そんな動かぬソニックチャオ。
「……あれ?」
 そういえば、所長みたいに炭酸飲料しか飲まない探偵の小説を、パウから借りて読んだ覚えがある気がする。でも、どんなタイトルかは思い出せない。今度パウに聞いてみようか。

 でも結局、いつの間にか私は退屈になってソファで寝てしまい、その事を忘れてしまった。後に思い出すことはない。多分。
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No.3
 冬木野  - 10/6/17(木) 22:40 -
  
「へぇ、なるほどなるほど。それはそれは。楽しい事務所生活だねぇ。んー?」
「……はい」

 後日。
 昼下がり。
 捕まった。


 私はとある研究会に所属している。
 名称こそないが、概要としては「この世に起こった、または起こっている事件について知る」というもの。いい歳してこんな事するのもどうかと思う。こういうのがチャオらしいとか言われたのは、今じゃ昔の話だ。
 ちなみに私が入会した理由は、友達の説得に負けての事だ。私が入会を頑なに断ったらマジ泣きされたので、仕方なく入会してしまった。その後の友達の笑顔を見た時、ひょっとして私は嵌められたのではと思ってしまう。なるべく考えないようにしてるのだが……。
「全く、君を何のために事務所へ送りこんだと思ってるんだ? 情報の送ってこないスパイだなんて、仕送りしない出来損ないの子供だよ!」
 てめぇの子になった覚えはねぇというかスパイなんていう汚れ仕事してるつもりもねぇ。などとつっこんでも、絶対に耳に入らない。都合の悪い事は耳に入らないという素晴らしい耳を持ってるのだ。まるで特徴のないチャオのくせして、私を怒らせる事に関しては天性の才能を持ってると思う。冗談抜きで。
「この前に君が話した出来事に関しての俺の評価は、残念ながら低い。事務所内部の話は結構だ、世間を揺るがすような事件を持ってきたまえ! もしできなければ君には退会してもらうぞ!」
「あぁ、それは願ったり叶ったり――」
「もちろん君の友達と一緒に、だ!」
 おいてめぇなんで私だけ退会させねぇんだそいつは関係ないだろう。


 そういうわけで、私は渋々とその命令を承諾せざるを得なくなったのだった。
 ……交友関係、見直した方がいいのかな。


 明くる日。
 大した仕事も来ない暇な今日この頃、私は事務所の中を散策していた。
 小説事務所というだけあって、多分どこかに何かの資料をまとめた場所でもあるかもしれない。そう思って事務所を探していたら、一階の廊下の隅に書庫があった。これは当たりか。そう思って手当たり次第探してみる。
 ……と思ったら、小説ばっかり。恋愛、青春、冒険モノに、推理、SF、ファンタジーにホラー、最近のライトノベルだとかが一通り見つかる。この意外性は学校の図書館に通ずるものがある。有名なものからマイナーなものまで、試しに探してみたらいろいろ見つかる。
 しかし、手にとって読んでいる暇はない。会長からは特に時間指定をされていないが、あんまり時間が経つとグチグチ文句を言われ続け、私は友達と一緒に退会されてしまい、その友達の尻に敷かれる未来が待ち構える事となってしまう。とても気が弱くて泣き虫な友達なのだが、そのクセ欲が意外に深くて何かと扱いが面倒くさい。丁寧に扱ってやらないとすぐ泣くし、迂闊に怒れない。間違っても絶交だとか言ったら一生付きまとわれる。だから願い通りにさせるのが一番手っ取り早い。

 ……だがしかし。だが、しかし。
「なんにもない」
 見つかるのは無数の小説。会長の望むパラダイスな事件の記録なんか、どこにもありゃしない。
 どうしたものか。このままではお先真っ暗、灰色の繭の中よりもダークな未来しか待ってない。かといって、地獄に垂らされた蜘蛛の糸よろしく事件の糸口が、なんておいしい話は転がってない。だってほら、本棚の後ろを覗いてみたって隠し扉があったりするわけじゃ……。


「あれ?」

 世の中には、フラグとかいうものが無数に立っている。科学的には確率として極稀な幸運や不運であるとか、オカルト的には縁起や言霊が云々だとか。でも目の前にそのフラグが立っていると、誰もが引き攣った笑いを浮かべて目を疑いたくなる。
 ……あった。隠し扉が。暗くて見辛いが、確かにある。
「あれー?」
 うれしい。それは間違いない。だってほら、少なくとも灰色の未来よりは断然に見通しが明るくなってるもの。うれしいわ、本当に。でもね、本当のコト言うと話がウマすぎてコワいんだなこれが。HAHAHA、クチサキがカッチカチダゼ。
 ……コホン。


 部屋の外の廊下に誰もいない事を確認してから、私は早速作業に取り掛かった。本棚を退かして扉を開ける簡単なお仕事です。かと思いきや、その隠し扉のある場所が壁の中央に位置していた為、本棚を端に寄せるだけとはいかずに意外と苦労を要した。
 近年のチャオは、人間に負けず劣らずの腕力を必要とする為に充分なチカラスキルを持っているとは言うが、それでも本がギッシリ詰まった棚の相手はキツいものだ。本を全部取り出してからという手も考えたが、後片付けの方が苦労しそうなのでやめておいた。
 そうして数十分経って本棚と格闘し終えた頃には、ようやく鉄の隠し扉が姿を表した。この木造建築の事務所に、空気を読まずに堂々と扉やってる鉄さんだ。なかなか好感が持てる。別に大した意味はないけど。
 こうやって未知の領域に踏み込むのは、何か不思議な感情を覚える。人もチャオも、未知のモノには好奇心や恐怖心だとか、そういったものを感じるのが当たり前だ。私の場合はどちらかよくわからないが。
 意を決して、ドアノブに手を伸ばし――しっかりと掴む。
 息を飲んで、ドアノブをゆっくりと回し――ガチャ、ガチャ。
「開かねぇじゃねーか!」
 勢いで扉にハイキックかました。超エキサイティン。
「はああぁぁ」
 無駄な時間と肉体労働、そして未来の天気予報が見事に外れた影響により、特大の溜め息が出てきた。やっぱり一筋縄ではいかないものだ。
 この隠し扉を元の状態にするとか、そういう気は勿論起きなかった。そうやって空気も読まずに存在感出し続けてるといいさ。
 そういうわけで、さっさと帰ろうと踵を返すと。


 なんか灰色がいた。
「あぅえぇっ」
 ビックリした。凄くビックリした。チャオレースのスタートに置いてあるビックリ箱よりは確実に驚いた。気絶はしなかったけど。
「…………」
 私が発した奇声に笑いもせずツッコミもせず、ただ黙して見つめるだけのヒーローオヨギチャオ。息をしているのかもわからないくらい静かに視線を私に注ぐ彼女はミキ。俗に言うアンドロイド、メカニカルチャオだ。言われずとも、これほどまでに微動だにしない奴を見れば、人間だろうがチャオだろうが生身相手にしてる気がしない。
 いつの間に、だとか野暮な事は言わない。なんでここにいるのか、疑問はそれだけだ。私の不審な行動を逸早く察知したのだろうか。だとすると非常にマズイ。気がする。ミキ相手だと。
「仕事」
「へっ?」
「依頼が来た。迷子の捜索」
「あ、あぁ」
 仕事ね。迷子の捜索ね。はいはい。警察に任せろとは言わないよ。それぐらいできるだろとか言わないよ。……あれ、これって警官侮辱?
 首を縦に振って了承した私は、とにかくそそくさと部屋から出ようと歩を進める。ミキはと言えば、そこから置物のようにピクリとも動かない。その視線の先には、空気を読まない冷たい鉄の扉。意識的に見ているのか、視線を固めた先にそれがあるだけなのか、よくわからない。わかる事は、ひとまずさっさと所長室に退散する事だ。


 ――その時、鍵が開いたような音がしたのは、私の気のせいだと思っていた。
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No.4
 冬木野  - 10/6/20(日) 15:42 -
  
「ちょっと厄介な仕事ですね」
 ヒーローノーマルの幼い灰色のチャオ――ハルミちゃんは、わかってるような物言いで嘆いた。
 ……しかし、つくづく目に悪い職場だなぁ、ここ。灰色の体をしたチャオが三分の一を占めてる。ちょっと目を向けると日中なのに暗い色をしたチャオがいるわけだ。
 ただ、このハルミちゃんは見た目の暗い色とは違って明るい子だ。どこで習ったのか、関節技を使いこなしており人間の天敵と化しているけど、それに目を瞑ればまだまだ幼い女の子。事務所きっての良い子ちゃんだ。

 ちなみに余談だが、チャオに対する労働基準法というのは未だに曖昧だ。とりあえず一次進化を終えたチャオはいわゆるオトナになるから基本的にOKだが、コドモチャオの行うバイトに関しては良いだの悪いだの意見がわかれており、未だに決まっていない。かつてのチャオガーデンという施設もあまり機能しないこのご時世に、それはどうかと思うのだが。
 閑話休題。

「その迷子のチャオってコドモですよね。ピュアチャオなんですか?」
「ピュアチャオだな」
「そうですかぁ……」
 今の世の中、街を歩く大体のチャオが一次進化後のチャオばかりだとしても、コドモピュアチャオが街を歩くのが珍しいという事ではない。ちょっと探せば、コドモピュアチャオなんてすぐ見つかる。
 だからこそ、その迷子を捜すというのは非常に難しい事だ。チャオの見分けは非常に難しい。所長とカズマと私が同じ格好で並びさえすれば、簡単にクイズが成立する。それぐらい難しい。
 街の人に聞き込みをしてもあんまりアテにならない。頼りになるのは依頼者からの僅かな情報だけ。あとは片っ端から街を歩くコドモピュアチャオにアタックしてみるしかない。

「じゃ、適当に任せておくからよろしく頼んだ」
 そう言って白い帽子と眼鏡をかけ、眠る所長が拳銃片手に席を立った。これが所長、ゼロの正装だ。所長というポジションから考えれば随分とラフな格好だが、逆にこの人がスーツ姿でいる様は想像ができない。
「所長は、どこへ行くんですか?」
「デートだ」
「は?」
 私の疑問の声など気にも留めず、所長はさっさと部屋を出て行ってしまった。
 ……デート? 拳銃を持って?
「ハルミちゃん、所長って彼女いるの?」
 まずはそこの疑問から、ハルミちゃんに聞いてみた。幼い子にこういう話を振るのもなんだと思うが、この時の私は特に深く考えなかった。
「んー、いないと思います。少なくとも、事務所の外には」
「外には?」
「はい」
 じゃあ、事務所の中にはいるって事なのか。
 ……本当に? 誰だそれ?
 変に女子の多い事務所にはなっているが、あんまり想像できない。候補としてはパウやリムさんくらいだと思うけど。ヒカルはもうカズマとだって相場が決まってるし、ハルミちゃんは……まだそういうカテゴリに含まれてないと思う。
「閑話、休題っ」
 割と本気で悩んでいる私の額を、ハルミちゃんはぐいっと押した。バランスを崩して倒れそうになるもなんとか堪える。
「その話はまた今度にして、仕事をしましょう。私が声をかけてきますから、ユリさんは先に行ってきてください」
 それじゃ、とハルミちゃんは一足先に所長室から出ていった。
 私なんかよりも、立派に仕事に専念している。やっぱり良い子だなぁ。


「さて、と」
 私もハルミちゃんに負けないようにと、席を立った。あまり時間はかけたくない。ちゃっちゃと終わらせて、また事務所内の捜索に戻らないといけないし。
 所長室の電気を消し、部屋を後にしようとドアノブに手をかけた時、同じタイミングでノックの音が響く。
「やあ。ここにいたんだね」
 パウだった。ちょうどハルミちゃんとすれ違いをしたようで、ハルミちゃんが急いで階段を降りる姿がチラと見えた。
「どうかしたの?」
「これだよ。さっき修理し終わった後だから、渡しておこうと思って」
 そう言って私に手渡された物。それは白いカチューシャだった。
「……あぁ」
 思わず、言葉を失ってしまった。
 こいつの正体は、実は通信機。いわゆるヘッドホンにマイクが一緒に付いたヘッドセットを更に小型化したようなものだ。
 初仕事の日にあっさりと壊れてしまい、ほとんどただの盗聴器として機能していた。今回のはそれを踏まえてか、見た感じマイクは付いていないように見えるが。
「ここ。ここがマイクになってるよ」
 ちょうど左側の端の部分を指した。ここに小さなマイクが仕込んであるようだ。
「聞こえてくる音は振動で聞こえるけど、マイクに関しては音を拾いやすくしてあるんだ。だから、連絡したい事がある時は静かな所からにしてくれると助かるよ」
 改良はまた今度頑張るから、と申し訳無さそうにパウが謝る。
 でも私は、機能性よりもっと大きな問題点を注視していた。私が言葉を失った、本当の理由。

「……リボンが付いてる」
 白いリボン。こいつが両端に申し訳程度にリボン結びで形を整え装飾されていた。
 この白一色で統一されたデザインは、普通に見ればとても地味ではあるかもしれないが、私にとってこのリボンの存在感は大きい。自分で言うのもなんだが、飾り気がない私としては充分に目に付く。
「あぁ、それ? 最初はちょっと悩んだんだけど、やっぱり青と白は相性がいいかなって。白い髪の子は青いリボンが似合うし、逆もまた然りなのかなと思って」
「じゃなくて、リボン」
「リボンが?」
「付いてる」
「付いてるよ?」
 ……私がおかしいんだろうかと、そんな気がしてきた。
 ひょっとしたらそうなのかもしれない。女の子として生まれた身である事を考慮すれば。でも、言わずにはいられない。
「なんで付けたの?」
 見た目はカチューシャだ。しかしこいつは通信機である。……だからってリボン付けちゃいけない理由にはならないが、付ける理由もありはしない。多分。
 だからこそ、理由を問わずにはいられなかった。どうしても、このリボンの存在理由を否定したかった。
「可愛いでしょ?」
 ……でも、自信満々にこうもシンプルな理由を叩きつけられると、否定できない。
 古来より、天才メカニックがこだわるのは機能性でもなんでもなく、デザインだとか。
 どこぞのパソコンを作った会社の人は「PCの中身が美しくない。作り直せ」とスタッフを一喝したという話を聞いた覚えがある。それほどでないにしても、パウもきっと同じ部類のメカニックなのかもしれない。
「……所長の帽子も、ひょっとしてパウが選んであげたりとかしたの?」
「え? 違うけど」
 なぁんだ、違うのか。おんなじ白だからひょっとして、と思ったんだけども。
 そんな些細な事を考えながら、恐る恐るカチューシャを頭に着けた。その様を興味深く見つめるパウの様子が気になって、何故か怖い。
 どうかな? と、声にかける事もできない。自分でもよくわからないが、ひょっとして今、私は恥ずかしがっているんだろうか? こういう機会なんて今までに全然なくて、何をどうしたものかわからない。
 でも、パウは私のカチューシャを着けた姿を見て満足そうに笑いながら言ってくれた。
「似合ってるよ。バツグンだね」
 ……その時は、感謝の言葉を言う事も忘れていた。
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No.5
 冬木野  - 10/6/27(日) 4:49 -
  
 依頼者の話によれば「一緒にステーションスクエアへ外出し、時間になって帰宅しようと駅へ向かう最中に子供を見失ってしまった」との事。
 市街地なら交番にでも預けられて親御さんに連絡が向かう筈なのだが、交番にいる警察に話を聞いても「そんな子は知らない」と言われてしまった。一応捜索はしてみるらしいが、見るからに消極的な対応で期待できそうにない。

 しかし、自力で探すのも骨が折れる。無いけど。
 街中を歩くコドモのピュアチャオを見かける事は見かけるが、明らかに迷子のような素振りはしておらず、極普通の市民でしかない。
 周囲をキョロキョロと見回すコドモチャオにいざ話しかけてみると、あのお店はどこにありますかだとか、友達の待ち合わせ場所がわからなくてだとか、全く関係ない事だったりする。しょうがないからそこまで案内してあげたりして、無駄な時間をかけてしまう。


 そういう訳で、迷子の捜索は難航しまくっていた。

「ふわぁ……」
 ちょうどお昼時。私はすぐそこの店でハンバーガーを買ってきて、ベンチに座ってゆっくりしているところだった。
 実を言うと、生まれてこの方ハンバーガーなんていうものは全然食べたことはない。多分、今回で三回目くらいだ。
 すっかり昔の事のように思えるが、事務所に入る前の私と言えば絵に描いたような規則正しい生活をしていたものだ。早寝早起きだとかクソ真面目にしていたし、一日三食栄養ある食事だって取っていた。
 それが今じゃ、睡眠時間はガリガリと削ったように減り、食事も一日二食か一食だ。日常というものは、変わる時はガラリと変わってしまうものなんだなと、しみじみと実感する。
 でも、そんなに昔の事ではない。私が事務所にやってくる一ヶ月近く前の事だ。それだけ、小説事務所という場所が私に与えた影響は大きいというわけだ。少なくとも、悪い意味で。
 口の中で咀嚼するハンバーガーの味は、流石大衆受けする食品であるからして美味しい。でもこの時の私の心境は、この味を素直に受け入れられなかった。
 今私が噛み砕いているのは、今までの私なのではないか。そう錯覚してしまう。
 少なくとも一ヶ月前まで平穏だった私の日常を、こうやって知らず知らずの内に壊しているんじゃないか。
 このジャンクフードの味に慣れきった時、今まで確立された私という基盤が壊れてしまうんじゃないか。

「……バカバカしい」
 そう口にして、ハンバーガーをゴクリと飲み込んだ。
 最近は、いつもこんな感じだ。まるで詩人みたいに物事を考える。小説でも読みすぎてしまったんだろうか。
 今までの私だったら、こんなこと考えない。何も仕事がない暇な日と、仕事がある日の忙しさがごっちゃになって、変なストレスが生まれてるに違いない。
 ハンバーガーを全部消費した代わりに、都合の良い言い訳を作り出してから、私はベンチを立ち上がった。
 今の私の原動力は、かつて水の精霊と呼ばれたチャオにあるまじき“ガラクタ”だ。


 午後になってからは、午前よりも捜索範囲を広めてみた。
 元々アテにならない情報をアテにするより、自分の勘をアテにしてみようと思っての選択だったが、どうもこっちもアテにはできないらしい。
 範囲が広がって効率が悪くなったのか、結局は当たりが無い。何時間経ったかはわからないが、少なくとも街の中を捜索し尽した感はある。ひょっとしたら、もうステーションスクエアにはいないんじゃないかと思い始めてさえいた。

 今はと言えば、当てずっぽうに路地裏の捜索中だ。建物に挟まれた薄暗い道は、私のテンションをぐぐっと下げてくれる。
 それに、こんな所で柄の悪い連中にでも出くわしたら、退路の確保ができるか心配だ。一応、この可愛らしいカチューシャで応援要請こそできるけども。誰に繋がるかは知らないが。
 ……しかし。

 私は今どこを歩いているんだったっけ?

 集中力でも欠けてしまったのか、ここにきて私はそんな事まで考え始めてきた。
 半ばヤケになって、周囲も見ずに捜索範囲を広げたのが間違いだったのか、あまり歩いた事のない場所まで遠出してしまったせいか。
 ミイラ取りがミイラ、というわけではない。路地裏を出て周囲を確認すれば、少し時間がかかるがちゃんと事務所に帰れる。
 ただ、このまま捜索を続けても迷子のチャオを見つける事はきっとできない。今の私はほとんど躍起になっている。このまま成果が出せる筈がない。
 別に私一人が捜索をしているわけでもない。連携は取っていないが、一応みんなも動いている。無駄に歩き回るより、仲間を頼りにする事も大事だ。……決して他人任せにしてサボるわけではない。
 そういうわけで、さっさと路地裏から出る事にした。長居したい場所ではない。変なのに見つかる前に、さっさと帰るに限る。そう思って、私は表通りに出るであろう道を進む事にした。
 だが、その道に日の光は差し込んでいなかった。向こう側は、また突き当たりなのかもしれない。不動の主要都市と言われるステーションスクエアに建つ建物の数は、想像以上に多い事を再認識させられる。その数に比例して、路地裏の規模も大きい。


 と、そんな暗い路地裏に、何か影のようなものが動いた気がした。
「えっ」
 驚きの声を、私は咄嗟に押し殺し、すぐ近くにあったゴミ箱へと身を隠した。
 それからゆっくりと顔を出し、さっきの影を探す。黒い体に……赤い、ラインのようなものが見える。あれは……シャドウチャオか?
 影は私に気付いた様子はなく、どこかへと歩き出す。あとをつけてみるか? それとも関わらずにいるべきか?
 ――答えはわかりきっている。
 私はゆっくりと立ち上がり、元来た道を引き返す事にした。関係のない事に首を突っ込んで厄介事を増やすのはご勘弁願いたい。今日はもう休ませてほしい。
 すっかり重くなってしまった足を引きずるように動かす。

 そんな時だ。私の足が、何かを蹴った音がしたのは。

「え」
 その声と、一瞬の爆発音が響いたのは、ほとんど同時だった。
 銃声だ。

「――――っ!?」
 声にならない悲鳴と共に、私はその場に硬直してしまった。
 後ろから、誰かが近付いてくる足音が聞こえる。さっきのシャドウチャオらしき影か? 少なくとも、見逃してくれるほど優しい奴ではないみたいだ。
 どうしよう。関わらないと決めた矢先にこれだ。ここ最近の私の不運は異常だ。でも、嘆いてる暇はない。今は早く、ここから逃げないと。でも、どうやって?
 そんな時、プツッという音が私の頭の中で響いた気がした。

『もしもし? ユリ、聞こえる?』
 パウだ。良いタイミングで繋いできてくれた。助かるチャンスは今しかない。
「……、ぁ……、……」
 だ、だめだ。声が出ない。金縛りにあったみたいに何もできない。このままじゃマズい。早く。早く口を開け。でないと――。
『あれ、またマイクの故障かな。まぁいいや。迷子の子が見つかったから、すぐに戻ってきてね。待ってるよ』
 その言葉を最後に、パウの声は聞こえなくなってしまった。
 ああ、もうダメなのかもしれない。助かるチャンスは、私の手からするりと逃げてしまった。せめて最期の言葉だけでも聞いてほしかったのに――。

「確か……ユリ、だったか?」
 え?
 私の硬直を解いた声の主の方へ、ゆっくりと振り返る。
 シャドウチャオだ。間違いない。でも、どこかで見覚えがある。
 別にシャドウチャオなんて、探せば見つかる。でも、このシャドウチャオの顔付き、雰囲気、声、手にしている大型の拳銃。どこかで。
「俺だ。忘れたか?」

 ――そういえば、最初に会った時もこんな感じだった気がする。私の初仕事、あのボロボロの山荘で、今と同じように。
 確か……コードネーム……。

「シャドウ?」
「ああ、そうだ」

「……ふぁ」
 視線が、急にがくっと下がる。腰が抜けてしまったようだ。体中をカチカチに硬直させた力がどこかに消え去り、私を支えるものがなくなる。
「サイアク」
 出てきたのは、悪態をつくような一言だけ。それでも、今の感情を言い表すのに最適な言葉だった。
「だらしないな」
「……何が」
「最初に会った時は、もっと図々しい態度だった」
「ほっといてください」
 こっちだって、最近は疲れてるんだから。
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No.6
 冬木野  - 10/7/13(火) 22:52 -
  
 結局、二人で表通りへと出てきて、二人で事務所方面へと歩く事に。
 すでに日は傾きつつあり、随分と遅い時間になってしまった。最近は本当に時間を有意義に使ってない気がする。別に前も有意義に使ってなんていないけど、無駄に使った覚えもない。
 ――ああ、ダメだ。最近はどうも思考がナイーブになってていけない。
「随分と悩みを抱えている様子だな」
「へっ?」
「顔に出ている。もう少しポーカーフェイスな奴だと思っていた」
 見透かしたような顔で、私の事を軽く笑う。その態度に対して反論する気は起きず、逆に納得して更に沈み込んでしまう。
「買い被ってるだけです。私はご存知の通り、何の取り柄もない、至極『常識的』な新入所員ですよ」
「度胸と勝負強さに関しては良いモノを持っていると、俺は評価していたんだが?」
 慰めなのか、本気で言っているのか、イマイチわからない。もしも本当にそう思っているなら、大した勘違いだ。一体何を根拠にそう思っているんだか。
「何より、至極常識的であると主張する君が、あの事務所に居る事自体普通ではない」
 的を射た発言だ。またも言い返せない。
 ……いや、確か事務所生活のキッカケはあのバカ会長だったっけ。すっかり忘れていた。今じゃ懐かしい。初めて所長とカズマの二人に会ったのもその日か。私が拳銃を持った人間の男に捕まって――捕まって――ぇ。


 ――死ぬようなら、何をしてもいいか――


 何故か、背筋が凍った。
 思い出した。それはもう鮮明に思い出した。私がコンビニで、警察から逃げてきた男に人質として捕まっていた時の事。その時の状況、思考も、一通り。
 自らの命を顧みず、後先考えない行動をしでかしたんだ、あの時の私は。助かるわけないのに、犯罪者の顔面に蹴りかましたんだ。偶然あの二人がコンビニにやってこなかったら、間違いなく私は死んでいた。
 何故だ? 何故あの時の私は、そんなバカな真似ができたんだろう? 今の私の思考回路なら、絶対にそんな事をしようと思わない。自分の事なのに、全くわからない。たった一ヶ月前の私の行動を、何故今の私が理解できない?
 意味が……意味がわからない。
 なんでこうも違う?
 いつの間に、こうも変わってしまったんだろう?


「さて、俺はもうそろそろ帰る」
 シャドウのその言葉が聞こえた時、すでに小説事務所が見える場所まで来ていた。
 ふとシャドウの顔をチラと見ると、問題児を見る教師のような顔をしていた。ここまでずっと考え事をして歩いてきた私を、じっと観察でもし続けていたんだろうか。……趣味が悪い。
「さて、一つ情報提供でもしてやろう」
「情報提供?」
 そう言いつつ、私に背を向けて歩き出すシャドウ。カッコつけてるんだろうか。でも、その意味有り気な態度に私は口を出さず、じっと彼の言葉を待つ。
 足を止め、日の光へと顔を向ける。その表情を読み取る事はできない。私も自ずと固唾を飲んで、言葉を待つ。

 長い、沈黙。

「要らなくなったモノは、さっさと捨てた方が後腐れなくて済むぞ」
「は?」
「じゃあ、ゼロによろしくな」
「え、ちょ、まっ」
 流石ハシリタイプ。私が何か文句をつける前に、さっさと視界から消え失せてしまった。なんて逃げ足の速い。

 長い、沈黙。

「なるほど」
 言葉通り、気にしない事にした。後腐れ無くて済む。正にその通りだ。
 そんな情報、私には要らない。それがよぉくわかった。
「ばーか」
 彼のくれた素晴らしいアドバイスに、私は考え得る最高の感謝を吐き捨てた。


「ただいまー」
 そう言いながら、所長室のドアを開いた。……言っておいてなんだが、普通は「失礼します」と言いながら入るものだと思う。
「あぁ、おかえり」
 お咎めはないみたいだけど。
 部屋に居たのはリムさんとヒカル、それと勝手に所長の椅子に座っているヤイバだった。これもお咎めはないんだろうか。
「迷子の子は、私が見つけておきました。偶然、一番最初に見かけたピュアチャオが当たりだったみたいで」
「流石リムさんねー、探しに言ってから十分もかかってないもの。くじ運かしら」
 その間の私の苦労は一体どうなる。私の多大なる時間を返してほしい。
「ははは。ユリと一緒に捜索を始めたハルミもすぐに帰ってきたのに。一体どこで何してたのさ?」
 ヤイバはからかうような様子で私に嫌味な笑顔を向けてくる。その態度に若干の苛立ちを覚えながら、関係のない道案内ばかりしていた事を思い出す。
「……ボランティア、してた」
「奉仕活動ねぇ? この事務所の営業方針には沿ってないとは言わないけど」
 小説事務所ってボランティア団体だったのか。こうも事務所でぐーたらする日々ばかりが続いていたから、そんな自覚は全然無かった。
「唯一普通のボランティア団体と違う点と言えば、自主的な奉仕活動はしない事かな。依頼が来るまで動かない」
「それ、どう広義に見てもボランティアじゃないわよね」
 ヒカルの鋭いツッコミにヤイバは笑い返すのみ。
 しかし――ボランティア。私には縁もゆかりもない事だったと思う。自分の規則正しい生活の為に、他人に対する気遣いを犠牲にしてた節がないでもない。その証拠に、今日の私のボランティアは規則正しい生活を犠牲にしたものだと思う。そう考えると辻褄が合う。多分。
 ただ、お蔭様で時間をも犠牲にしてしまった。今の私にとっては、これは非常によろしくない。今回犠牲にした時間には、ひょっとしたら私の未来までもが含まれる可能性がある。急いで事務所の特ダネ探しに戻らなくてはいけない。
「それじゃ、私は用事があるんで」
「ん、なんでいなんでい慌ただしいねぇ。縁と浮き世は末を待て、焦っても何も良い事はないと言うよ」
 急に古臭い口調で諺を言い出したヤイバに構う時間も無く、私はさっさと所長室を後にした。
 果報を寝て待つほど、私はゆっくりするつもりは無い。
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No.7
 冬木野  - 10/7/23(金) 23:40 -
  
 今更だが。
 この事務所は木造建築二階建て、空気を読まないこじんまりした事務所だ。四角形に三角形の屋根を被せ、絵に描いたような構図をしている。ステーションスクエアの石造りのビル群にケンカ売ってると言っても過言ではない。
 そんな形だから、普通の人は誰も地下があるなんて想像しない。私も最初はそう思っていた。
 パウの自室とも言える研究室も、メカメカしいメカが沢山必要だから必然的に地下にスペースを取る。今じゃ錆でも付いてそうなほど仕事してないだろうけど。
 ただ、それより深い地下の存在は想像した事もなかった。
 空気を読まない木造建築の事務所の中の、更に空気を読まない鉄の扉がある書庫は、事務所の大体後ろの端っこ。これらが示す事は、鉄の扉の通じる先が外か、もしくは地下である可能性。裏口の扉は確か無かった筈だから、多分地下だ。
 しかしそれより、当面の問題が一つある。


「……どうやって開けよう」


 この扉、実に頑固物であると思う。だってお前、鍵かかってて鉄でできてんだぜ。これが頑固じゃないならなんだよ。にゃんこか? まごにゃんこか? ひまごにゃんこか?
 ……冗談はさておき、まずは鍵を探さないといけないだろう。しかし残念な事に、私は探し物というのが非常に苦手だ。今日の迷子探しが良い前例であると思う。
 ひょっとしたら誰かが鍵の在り処を知ってるかもしれない。多分、この事務所の古株である所長・パウ・リムさんの三人組がだ。しかし、それを聞くのは恐らく不可能だろう。
 わざわざ重い本棚の後ろに封印された鉄の扉だ。それを「鍵クダサイ」とか言ってお願いしても一つ返事で門前払いされるに違いない。いや、ひょっとしたら寛大な心で許してくれるかもしれないが、ここはリスクを犯すべきではない。ここが封印されたら、また全部振り出しだ。なるべく秘密裏に行きたい。
 とすると、やっぱり鍵を探さないといけない事になる。誰にも不審に思われずに、迅速に鍵を見つけ出さないといけない。いや、絶対無理だ。そんな自信は有りはしない。
 とすると、別の方法で開けるしかない。爆破? いやいやそんなセンスのない事はしたくない。どこぞの問題児じゃないんだし。それにやかましいし。でも私にはピッキング経験なんてない。
 どんどんと消去法で可能性を模索している内に、私が消去しているのは可能性そのものである事に気付き始める。
「いやだあああ」
 思わず叫んでしまった。万事休すか。


「あ、そのカチューシャ可愛い」
「うぇえあぁ」
 本日二度目、背後に誰か立っていた。奇声も発してしまった。本当に終わってしまったかと思った。
「か、カズマ?」
 どこぞの問題児だった。私と同じ見た目、ソニックチャオ。所長と違って眼鏡も白い帽子もない、至って普通の容姿。小説事務所第二のソニックチャオ。
 背後にいきなり声を出されたうえ、この白いリボン付きカチューシャの事を触れられた事が重なってすこぶる驚いた。どうしてくれる。
「ねぇねぇ、こんなとこで何してんの? 何その扉?」
「え、あ、その、うーん、ぐーぜん……そう、偶然見つけたの、これ」
 マズい。なんて説明すればいいのか全然わからない。
「ふーん……じゃあ、ここかな?」
「え、ここかなって何が?」
「いや、ミキが見当たらなくってさー。見なかった?」
 私は普段から見てないから聞かれても困る。……朝方の出来事を思い出したのは、そう言おうとした時だった。
 そういえば、珍しい事に仕事の呼び出しをしてきたのはミキだった。いや、その前に仕事が珍しいんだけども。
 いつもはミキに呼ばれる事なんて全然無い。というか、他の所員達も多分同じなんじゃないかと思う。人工チャオとしての存在を裏付ける程に椅子から動かず、ずっと何かしらの本を読んでいるわけだ。そんな姿を毎日見せられれば、声を掛けられる事だって夢に思わない。
 そのミキが、わざわざ事務所の隅っこで何かしてた私の所までやってきた。これはすこぶる珍しい事だと言えよう。
「朝に、ここで会ったけど」
 珍しい事だらけの事を頭の中で整理し結論付けをし終えた私は、そうカズマに答えたのだった、まる。
「本当? じゃあ、ここかな」
「あ、そこ開かないから――」
 言うより早くカズマはドアノブに手を伸ばし、捻っていた。

 ガチャ――

 開いた。
「開いたけど」
 私の中の思考とカズマの言葉は、私の頭の中で同時に響いた。
「……確かに、閉まってた筈なんだけど」
「ミキが開けたんじゃないの? ここで会ったんでしょ?」
 確かに、私が最後にミキに会ったのはここだ。だが、それは私に用があっての事で、ここに居合わせた事は偶然だ。
 いや、逆かもしれない。たまたまこの部屋に用があってやってきただけで、私への用件の方がそのついでだったとか。でも、この部屋に一体どんな用があると言うんだろう。さっぱりわからない。
「何してんのー? 先に行くよー」
 しかしカズマは、何も考えずに既に扉の向こう側へと足を踏み入れていた。
「え、ちょっと待ってって」
「考えただけじゃ、わかるわけないじゃん。見る・聞く。これが仕事の基本だよ」
 ま、ここ探偵事務所じゃないけど。そう付け足して、扉の向こうの闇に消えてしまった。

 ……ミル、キク、か。

「なるほどね」
 本を「見て」はいるんだろうけど、人の話は「聞いて」いるんだろうか。
 なんとなくだけど、そんなどうでもいい事が気になった。


「扉ってダメだなぁ」
「何が?」
 何気無い愚痴に、カズマが反応を示す。
「いや、別に。ただの独り言」
 最近思い出す事と言えば、初仕事の出来事ばっかりだ。
 だからついつい些細な事まで思い出してしまう。ボロボロな山荘に申し訳程度に備え付けられた玄関の扉とかがそれだ。あいつを粉々に踏み潰してやった感覚が鮮明に思い出される。
 何故か? ……この降り階段が予想以上に長いと、私の足がクレームをつけてくるのだ。


 私の予想通り、扉の向こう側には地下に続く階段があった。
 暗いながらも一応足元は見える照明もあり、問題無く降る事はできているのだが、そもそも階段というチョイスが間違っている。ここでエレベーターを選ばないとは、設計者の顔をブン殴ってやりたい。どこぞの大病院並の段数だぞ、これは。
「本当にこんなところにいるかな」
 不動の人工生命体、ミキ。よっぽどの事が無い限りは置物と呼ぶに相応しい彼女が、こんなところにやってくる理由。やはり私には想像がつかない。
「こんなところだからやってきた。そういう考え方はできないのかな?」
 そんな私の考えを一蹴するように、カズマはそう言ってみせた。
「どういう事?」
「確かによっぽどの事が無い限りミキは動かない。そのミキがここにやってきた。簡単な話だよ」
 階段を降る足を止め、カズマは私の方へと視線を移して向き合ってきた。私もつられて足を止める。
「ユリは、先入観が強すぎるんだよ」
「先入観?」
「逆に聞くけど、ユリはミキが動くよっぽどの事をどんな事だと思ってるのかな?」
 そう聞かれて、私は答えに窮する。ミキの動く事態がどれほどの事かだなんて、言われてみれば想像がつかない。事務所が火事になった時には動くだろうか? でも、カズマが事務所のどこかを吹き飛ばしてもミキは動かない。
「……大震災の時?」
「やっぱりそんな事だろうと思った」
 軽く一笑された。何か間違った事でも言っただろうか。
「いや、間違ってはないよ。むしろ、そう言うのが自然だと思うんだけどさ」
 カズマは階段の先の暗闇へと視線を戻し、再び階段を降り始めた。

 …………ん?
「話、そこで終わりかよっ!」
 反射的につっこんで、急いで後を追いかけた。
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No.8
 冬木野  - 10/9/8(水) 17:08 -
  
 皆さんは体験した事があるだろうか。
 歩いても歩いても風景が変わらぬが故に、これが世界の全てなのではないかと錯覚した事が。
 私? いやぁ、私はたった今そう勘違いしそうになった。あんまりにも階段を降り過ぎて、ポヨが頭から離れていくような錯覚を覚える。
 すわ、地獄への階段か。そう疑い始めた頃だろうか。ようやく長かった降り風景にも終点が見えた。
 鉄の扉だ。恐らくは入り口と同じ物の。
 とりあえず蹴った。
「ユリ、クールダウンだよ、くーるだうん」
 問題児に宥められた。へこんだ。


 何はともあれ、一足早く腰だけ老人になろうと言う前にようやく目的地と思しき場所に到達できたのだった。
 後ろを振り返ってみる。そこには何段か飛ばして私達の足跡が付着した階段がある。やはりこの暗さでは先など見ようが無い。
 前へと視線を戻す。ちょうど今し方蹴りかました鉄の扉が、めげずにこの階段の世界との境界線の役割をしている。
 扉と扉の中に挟まれた階段の世界。ある意味、ここが世界の全てだと錯覚するのもごく自然な事なのかもしれないと、自分に都合の良い解釈を作っておく。

「じゃあ、開けるよ?」
 まがりなりにも、暗がりの階段の世界を降りに降った向こう側。夏もそろそろ終わりが見えてきた頃だと言うのに、私の背筋をひやりとした物が駆け巡るのがわかる。
 それはカズマも同じなのだろう。だからなのか、扉を開けるのに私の同意を求めてきた。
 勿論、首を横に振る事は無い。手ぶらで帰るには、私達は少しばかり遠出をし過ぎた。
 私が頷くのを見て、カズマも意を決したようにドアノブに手を伸ばした。掴んだノブには多少の錆付きが見られ、この扉が古い物だと言う事を教えてくれる。
 カズマは躊躇する事なく――いや、躊躇したからこそか――ノブを勢いよく回した。施錠はされていない。そして扉を、今度はゆっくりと開く。向こうからは階段の世界を照らすには明るく、しかし照明としては頼りない光が漏れ出した。
 夜明けかな。習性のように詩人のような感想が、頭の中を過った。


 私達は、ただ言葉を失う事しかできなかった。
 目の前の光景を見て思った事と言えば、日本で例えて大正の世に現代の技術力を再現するには、これだけの機材が必要なのだろうか、とだけ。
 それは、パウの研究室の比ではない。天井を仰げば、目に見えないほど、手の届かないほど高く。奥を見渡せばそれらは容易く視界を遮る。
 さっきまでのが階段の世界と呼べるのならば、この部屋にだって何か名前を付けられるに違いない。いや、部屋という呼び方すら正しくないのかもしれない。
 ここは、現代技術の結晶だ。
 中心にそびえ立つ塔のような機械を中心として、周囲には本棚のような機械が所狭しと配置されている。まるで迷路だ。下手をすれば迷ってしまうかもしれない。
「……おおー」
 ようやく声が漏れたのは、カズマの方だった。
「ユリ、ここってどこだったっけ」
「……えっと、小説事務所。の、地下?」
 あまりにも目の前の光景に対するインパクトが強くて、つい疑問符が付いてしまった。
 一体これらは何の為に作られた機械なのだろうか。この規模からして、きっととんでもない物に違いない。何故って、まず規模がとんでもない。
「とりあえず、ミキを探さなきゃ」
「あ、そうだった」
 思わず当初の目的を忘れていた。ミキを探しにきたんだった。私としては、この特ダネ的な光景をカメラに収めて会長に着払いで送れば万事解決だ。
 そういうわけで、カズマと共にミキを探す事にする。二手に分かれようとも思ったが、合流が面倒だと判断して一緒に行動。
 とりあえずというか、まずは中央の塔のような機械を目指した。本棚のような機械を右に抜けて左を通って、勘だけを頼りにずんずん進む。
 果たして、滞りなく中央まで辿り着いた。塔のような機械は間近に見れば改めて感嘆の息が漏れるほどに壮大で、このまま仰向けに倒れてしまいたいくらいだ。
「ミキー? いるー?」
 カズマが声をあげる。多分、呼んでも返事なんかしないんじゃないかなぁ。
「あ、いた」
 そういう問題でもなかった。
「…………」
 そこにいたミキは、私達が最初にここに入ってきた時のように塔のような機械を見上げていた。
 こちらに気付くと、今度はその視線をこちらに向けて固定した。
「ミキ、こんなとこで何してんの?」
「…………」
 答えない。
「ミキ、ここって一体何の部屋なの? この機械は何?」
「…………」
 答えな――
「言えない」
 答えた。答えられない事を。文脈としては多少通りにくいが、ミキという人物像を中心として考えれば、この言葉は十分に意味がある。
「言えないって、なんで?」
「情報の開示を許可されていない」
「情報の開示?」
 意味深なその言葉を、私は思わずオウム返しにした。
「誰から?」
「……ゼロ」
「所長さん?」
 カズマが驚く傍らで、私はやっぱりと思っていた。ここを隠したのはあの三人であるという私の考えが、見事に当たったわけである。
「でも、教えていいの? 所長さんが隠せって言ったんでしょ?」
 カズマのその疑問も最もだった。隠せと言われたら、その人物自身の事も隠さないといけない。それをミキは随分と簡単に教えてくれた。
 対してミキは、実に淡々と言ってのけた。
「私自身からの情報の開示が許可されていないだけ」
 まるで揚げ足取りのようだ。だが、そういう事を言わないのがミキだと、私は付き合いがまだ浅いながらも認識している。
「でも――」

「本人に聞けば、きっと教えてくれる」
 だが、その付き合いの浅さなのか、この言葉に少し驚いた。
「あの人は、そういう人」
 ――他人の事を見ていないようで、よく見ている。そんな人臭さを、私はこの時感じた。


 長居は無用だと言う事で、私達は事務所へ戻る事にした。
 エレベーターで。
「いやぁ、エレベーターもあったんだなぁ。帰りが楽で助かったね、ユリ」
 音速で錆びた鉄の扉にドロップキックをした。
 足腰が強くなった。……気がした。


 所長室に戻ると、ちょうど所長が帰ってきていた頃だった。冷蔵庫の中の缶コーラを一本開けている頃だった。
「ん、珍しい二人だな」
 ミキとはつい先程別れた為、所長室にやってきたのは私とカズマだった。所長と合わせて、ちょうどここには事務所のソニックチャオが一堂に会したわけだ。
 所長の何の気なしにコーラを飲む姿を見て、どちらが切り出したものかと顔を見合わせた。そんな気まずそうな私達の姿を不思議な顔で眺めながら、所長がもう一口。
 意を決して切り出したのは、私だった。
「あの」
 んー? とだけ返事を返す所長。一体何から話せばいいのやら、だ。
「地下室の事なんですけど」
 私の言葉を聞いても、所長はコーラを吹いたりはしなかった。ただ、その表情が少しだけ険しくなったのは私にもわかった。
「パウの研究室の事か?」
 しらばっくれた、というわけでもないだろう。果たして私達の尋ねている地下室とやらが何なのかという確認の言葉だ。
「いいえ」
 念の為、キッパリと否定の言葉を吐いた。
「そうか」
 それで理解できたらしい。
 手に持ったコーラを適当な場所に置き、所長専用の(と銘打たれてるだけでヤイバも普通に使っている)椅子に座る。私達も来客用の椅子に座る事に。
「なんだ、偶然見つけたのか?」
「はい、私が」
「……まぁ、別に厳重に隠したわけでもないしな。いつか誰かが見つけるとは思ってたんだが」
 顔だけで、まさかお前が見つけるとはな、と言われた。確かに、私がこの事務所内では一番新入りなわけだ。私だって必要に迫られなければ、あんな扉を見つける事はなかったと思う。
「先に言っておく事がある」
「口外はするな、とか?」
 所長が言うより早く、カズマが先に条件を言い当てた。所長が肩を竦める。
「……一応、事務所内だけの秘密だ。他所にはばらすなよ」
 ついでか、条件に補足を付けてきた。


「一応知ってると思うが、俺は昔魔法使いだったりする」
 所長が話し始めたのは、そんなところからだった。
 確かに、話だけなら知っている。特に重要性がないと思って、深くは追求しなかった事だ。
「ついでに言うと、俺の出身地もこの辺りじゃない。随分遠くか、或いは――」
 いや、いいか。そう言って、或いはの先の言葉を伏せた。何となく気になる物言いだが、この様子だと追及しても話すつもりはなさそうだ。
「とにかく、何かと資本主義だったり何なりが目立つ中、俺達は魔法が使えたのでした。そんなある時に」
 まるで物語をその口で紡ぐかのように語る所長。私達も自然と聞き入る。
「突然、ここの地下室へとやってきた」
 唐突に脈絡のない事を言い出したので、私達は顔を見合わせた。どういうこと? さぁ? そんな会話が視線で行われる。それを察しつつ、状況は詳しく話せないんだがと話を続ける。
「本当に突然だったんだ。空間転移……ワープみたいなものかな。俺やパウにリム、ついでに俺の兄貴も一緒に、ここの地下へと現れた」
 空間転移――随分とSFじみた話になってきた。魔法だのまで絡んで、ファンタジーなのかSFなのかハッキリしてほしくなってくる。
「辺りを探しても俺達を呼びよせた奴はいない。そりゃもう困ったな。一体なんの拍子に俺達はこんなとこに来たのか、さっぱりわかんなかった。大体、丸一週間はな」
 丸一週間。その間、見知らぬ土地で孤立無援だったわけだ。
「……それで?」
「あぁ。パウがあのバカデカい機械の正体がわかったって言ったんだ。そいつはとんでもない代物だったよ」
 そこで一拍置いて、所長は私達の顔を見回した。とうとうあのデカブツの正体が明かされる。私とカズマが固唾を飲んだのはほぼ同時だった。


「あいつはな――俺達と同じ存在だ」


 私達チャオは、人間と同じくずっと昔から存在していた。
 昔こそ人間ほどの環境適応能力はなかったが、人間にはないキャプチャーという特性を用いて、現代まで生き抜いてみせた。
 だがある時、私達と似た『兵器』が古代に作られる。
 その兵器は私達チャオと同じように、あらゆるものの特徴、特性、動き、何もかも全てを完璧なまでに取り込み――キャプチャーし、それを再現してみせ――挙句、四大文明の一つを滅ぼした。
 その兵器の名は――ギゾイド。

 ギゾイドという兵器には、非常に謎が多い。
 何故なら、ギゾイドに関する詳細な資料は、今から50年前の物しか見つからないからだ。更にそれを遺した人物は、当時世界最高の頭脳を持つ科学者と謳われたプロフェッサー・ジェラルド・ロボトニックだ。
 彼が死刑にあってから実に50年にもなるが、未だに政府はジェラルドの研究資料の情報を把握し切れていない。
 ギゾイドも、その一つだ。
 チャオをも悠に上回るキャプチャー能力は、しかしチャオとの関連性を思案させる。しかし、その二つが直接関連しているわけではない。
 ギゾイドはチャオと類似し、チャオは突然変異体カオスの手によってナックルズ族から守られ、ナックルズ族とライバル関係にあったノクターン族……。


 ノクターン族。4000年前に存在したのではないかと言われる、四大文明の一つ。
 この種族の存在が発見されたのは、まだ去年くらいの事だろうか。
 とある歴史の先生さんがナックルズ族の事を調査していた時に、偶然その名を見つけ、今現在も調査中だと言うのだが。
 そのノクターン族を調べていた時に、これまた偶然見つけたと言うのだ。
 ギゾイドに類似した絵を見つけた、と。


 カオス。チャオ。ナックルズ族。ノクターン族。ギゾイド。
 この繋がりは、偶然ではない。
 ノクターン族が作り出した可能性が高い、4000年前の究極の古代兵器ギゾイド。
 これを知った誰かは、こう考えた。


『4000年前の技術を、私達がどうして再現できないと言えようか』


「それが、あの地下室のデカブツだ」

 ――通称、空想再現装置。
 そう名付けたのは、リムさんだそうだ。

「人間もキャプチャー能力に関しては、機械の力を使ってほぼ完璧な領域まで踏み込めている。それはわかるよな」
 私達は当たり前のように頷いた。
「だが、いつも再現で躓く。だからこの計画は、チャオやギゾイドに関する資料を漁るに漁って、あんな膨大な機材をも使って、本気で4000年前のテクノロジーを再現してみせようとして――そいつは予想を上回る成功に辿り着いた」
 所長の、いつになく真剣な表情。それと事の重大さは、間違いなく比例している。
「あいつは、どんな望みをも叶えちまう常識外れな玩具だ。あらゆる事象や能力の情報を集積し、再現できる。物語の中の魔法だって、あいつを使えば簡単に手に入る――


 ――悪魔の兵器だ


 ―ピッ――ピピピ――ピピッピピピッ――

 そんな音がカチューシャから聞こえたのは、話がちょうどいい所までやってきた時だった。

『もしもし、ユリ? ちょっと悪いんだけど、そっちにゼロとかいないかな?』
 パウだった。まるで見計らったようなタイミングでかかってきた通信に、些か不信感を抱きつつも応答した。
「うん、ちょうどいるけど」
『あぁ、よかった。ちょっと急ぎの用事なんだ。悪いけど、変わってくれないかな?』
 その声に余裕が感じ取れない所から、なにやら急を要する事態なのは私にもわかった。
 可愛らしいカチューシャを所長に投げつけると、所長はなんでもないように片手でキャッチしてみせ、なんでもないように被っていた帽子とカチューシャを入れ替えた。
「パウか? どうした?」

 その顔が、苦いものに変わったのはすぐだった。

「どんな状況だ。なるたけ簡潔に」
 所長の応対の様子からすると、やはり只事ではないらしい。カズマも緊急事態の備えをするかのように椅子から立ち上がっている。唯一私が、いまいちどうしたものかわからずにいると、所長は通信を終える頃だった。
「わかった、とりあえずお前は依頼者と逃げてくれ。俺達が応援にいくまで捕まったりはするなよ」
 それだけ言って交信を終え、カチューシャを私に投げつけた。それを私は両手でキャッチし、再び頭に装着した。
「何があったんですか?」
「パウが、どこぞの敵性組織なんぞに追われてやがるんだ」
 所長は、拳銃を構えて所長室を飛び出した。
引用なし
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No.9
 冬木野  - 10/9/15(水) 16:49 -
  
『ゼロから各員へ。みんな聞こえてるな?』
 カチューシャから、所長の点呼が聞こえてくる。
『こちらパウ、よく聞こえ――っと、訂正。風の音が強くて聞き取りづらいけど、大丈夫』
 風を切るような音と共に、パウの声が聞こえてくる。
『こちらヤイバ、アイスクリームがまだまだおいしい時期です』
 うおーつめてーの悲鳴(?)混じりに、ヤイバの声が聞こえてくる。

 私は一度、目を瞑った。
 息を大きく吸い込み、そして吐き出す。呼吸を整え、手にした物騒な銃器――対物ライフルを今一度握りなおし。
「こちらユリ。良い眺めですよ」
 ここステーションスクエアとどこかを繋ぐルート325。その目下に広がる海を見渡して、私は応答した。


 この『仕事』は、実は私が休暇という名の怠慢な日々を過ごしていた時からすでに行っていたものらしい。
 内容を単純に言ってしまえば「提供する情報と引き換えに依頼者を護衛する」と言ったものだ。
 謎に包まれた秘書の仕事を任せて事務所を出たヤイバ。そして迷子の捜索を任せてデートに出かけた所長。どうやらお相手は、パウと依頼者を追いかけまわしている裏組織さんらしい。
 今回私がする事は一つ。
 ルート325を通って逃げてくるパウと依頼者。それを追ってくる車両を狙い撃つ事だ。
 ……明らかに私のする事じゃない。
 しかし所長は、そんな私の意見を軽く聞き流して「いいからやれ」という台詞と共に、どこからともなく取り出した対物ライフルを私に押し付けた。
 私がミスをしたらどうするんだろうとか、失敗した時の保険はあるんだろうかとか、私の心の中にはもはや不安しか見当たらないが、それを押し殺して325の向こう側をじっと睨みつける。


『こちらカズマ。レーダーは正常に動作。全員の位置の把握もできてるよ』
 唯一事務所で待機をしていたカズマが応答する声。
 今回私が対物ライフルを握る事よりも驚いた事が一つ。カズマは一流のハッカーであるという事だ。
 誰から教わったのかは知らないが、昔から暇があっては、あの人の知られたくない甘い秘密から、あの人の今日の夕食の献立まで、覗きに覗きまくってた時期があったらしい。
 つまり彼はパウと並んで、メカには非常に強いのだ。ただの爆弾魔の印象しかなかった私には、十分なインパクトだった。
『パウと依頼者がルート325を逃走中。ユリ、もうすぐ射程圏内に入ると思うから、準備して』
「はいはい……」
 緊張で強張っても仕方ない。そう判断した私は、それなりに気だるい声で何でもない体を示した。
『車両は五台。とりあえず、先頭を走る車のフロントガラスなりタイヤなりを狙えば足止めが出来る筈だから――』
『ぁうわっ、やっぱり落ちるって! 早くギアチェンジしてよ!』
 カズマのアドバイスに割って入ったパウの叫び。聞くだけでは一体どういう状況かよくわからない。落ちるってなんだろう? 一体何に乗って逃げているんだろうか。
 風を切る音に混じって、銃声まで聞こえてきた。どうも切羽詰まった状況である事だけはよくわかる。私に圧し掛かるプレッシャーも少しずつ大きくなってきた。再び深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。
 私が今いる位置は、ルート325の終わり際の道路のど真ん中。私が先頭車両を狙撃した後、すぐにパウと依頼者が私を回収するという一連の流れを完遂するのにはちょうどいいポジションだ。
 ただ、道路のほぼ正面から狙撃をするような形になるが為に、タイヤを狙うなんて芸当はできないと思っていい。狙いはフロントガラスだ。これで運良く先頭車両が崩れてくれればいいのだが、果たして。
『ユリ』
 所長の声が聞こえたのは、そんな時だ。
『難しく考えなくていい。狙って撃つだけの簡単な仕事だ。パウ達ならお前の弾ぐらいは避けるし、弾は一発じゃない。反動こそデカい銃だが、まぁ気楽に狙え』
「……わかりました」
 私が返事をするのとスコープに車両が映りだしたのは、ほぼ同時だった。
『全く、よく言うよ。こっちも必死なのに……。ユリ、今回の依頼者はウチのお得意様だから。プレッシャーをかけるようで悪いけど、誤射だけは勘弁してね』
『一発だけならなんとやら、とかいうよな。期待してるぞ』
「安心してください。私にそんな芸当はできませんから」
 パウの心配そうな声と、ヤイバの野次を飛ばす声に、適当な声を返す。
 別に間違った事は言っていない。五台の車両から逃げている依頼者の姿というのは、同じように車に乗っている訳ではない。かなりのスピードが出ているので確認が取り辛いが、スケボーじみた何かに乗って逃げているように見える。その依頼者の肩にしがみ付くパウと、依頼者の背負ったリュックの中に一匹のチャオが見えた。イマイチわかりにくいが、どうやらオヨギチャオらしい。あれも依頼者なんだろうか。
 とりあえず、まかり間違っても私がそっちに向けて当てる事はない。

『ユリ、そろそろ』
 カズマの促すような声を聞き、改めて先頭車両に照準を合わせる。
 追手らしき車両達は、それはもう綺麗に並走していて狙い易い。後ろから警察車両も後を追っているのが見えるが、この際だから配慮なんてしなくていいだろう。
 もう一度、対物ライフルをしっかりと握りしめて先頭車両のフロントガラスを狙う。おそらくは防弾車だったりするんだろうが、所長は「どうせEN-B7だから平気だ」と言った。何の事が全然わからないけど、確かにこのデカブツならあの程度は簡単に壊せそうだ。
 予測射線だとか、風速による修正だとか、そんな細かな事はわからないけど、あれくらいなら十分に当てる事ができる。
 知識も経験もないならば、この場でモノを言うのは唯一つ。パラメーターでも測れない、私の勘だけだ。何となく、あー当たるかもしれないなーと思った時に、こいつの引き金を引けば良いだけだ。
 あ、ほら、このタイミングとか当たりそうよ――あれ。

 もう、引いてた。


『命中!』
 そう報告したのは、私ではなくヤイバだった。
 後ろを振り返って、数多く並び立つビル群のあちこちを見回した。どこかで双眼鏡片手に、アイスでも食べながら見ていたんだろうか。ここからではわからない。
『先頭車両が体勢を崩して横転! それに巻き込まれた二台もストップ!』
『ユリ!』
 次いで叫んだパウの声に反応し、私は再び振り返った。人影が、私目掛けて突っ込んでくる。
 なにこれ、避けるべき?
 悩んだ頃には、私はその人に掴まれていた。
「うぅわっ!」
 対物ライフルを置き去りにして、私は風にさらわれた。
「回収成功!」
 知らない女の人の声が、そう告げた。
「ユリの回収に成功!」
『オッケー、確認した』
『こっちも確認完了。ユリ、お疲れ様』
 パウの報告に続き、ヤイバ、カズマの確認を経て、私の仕事は完了したらしい。私が狙撃に成功した事すら実感が湧いてないのに、展開が早くて困る。
 とりあえず状況を整理する為に、私は顔をあげる。そこにはゴーグルを装着したセミショートの髪の人が、肩にパウを乗せて――というか、しがみ付かせて――得意気な笑顔をしていた。
「パウ、この人が?」
「あなたは初めましてだね。でも、自己紹介は後で」
 変わりに返事をしたのは、私を抱えた女の人だった。情報提供者と聞いてたからそれなりの歳かなと思っていたが、予想に反してかなり若い。高校生、いや下手をすればまだ中学生くらいに見える。少なくとも、少女と呼んで差し支えない。
 下を見てみる。少女が乗っているそれは、やはりスケボーのようなものだった。しかしそれにはタイヤが付いておらず、低く宙に浮いて進む、茶色や緑と言った自然に溶け込むようなボードだった。
 エクストリームギアだ。古い技術と噂のそれを、現代社会が見つけ出して世に送り出した機械。風を捉え、颯と走る不思議な板っきれ。
 しかしまぁ、速い。このスピードの中、ずっと肩にしがみ付いていたパウはお気の毒としか言えない。視線だけでそう言ってみたが、パウは気付きはしなかった。
「ミスティ、来た!」
 少女の背中からまた声が聞こえた。さっきうっすらと確認したリュックの中のオヨギチャオだろうか。ここからだと確認ができない。
『まだ追手の車両は二台残ってる。先輩、どうする?』
『カズマ、目標地点周辺の状況はどうだ?』
『今のところ問題はないよ。ヒカル達の市民誘導は終わってるみたい。ジャンプ台と即席の隔壁も設置完了』
 どうやら別の場所でヒカル達も動いていたらしい。どうせなら私も裏方にいたかったのだが。覚えてたら所長に文句を言っておこう。
『よし、そのまま目標地点まで追手を誘導しろ。それとカズマ、パトカーへの連絡は――』
『もう回線には割り込んだよ。今から手短に作戦を説明する』
『よし、盤石だな。各員作戦通りに』
 私には何が何だかわからぬままに、勝手に話が終わってしまった。私にだけ詳細を話さないとは、やっぱり新入所員扱いなんだなと再認識させられる。
「ミスティさん、僕の言う道を通ってください。ジャンプ台が用意してあります」
「オッケー、一発勝負だね。楽しくなってきた」
 本当に楽しそうな声と表情を見せる、ミスティと呼ばれた少女。この状況を楽しむだなんて、並の神経じゃない事はよくわかる。
 しかし、ミスティか。どこかで聞いたような名前の気がする。一体なんだったっけ。確かパウ辺りに教えてもらった気が――。
「左!」
 私の思考を吹き飛ばすように、勢いよく交差点という名の90度コーナーを曲がる。これはのんびり考え事なんてしてられない。
「このままステーションエリアとシティホールエリア間の道路まで!」
 その言葉に応えるように、ギアは風の唸り声をあげて加速し出した。
『追手もしっかり食いついてきてる。パトカーは徐々に減速中』
『目標地点までは、次の分岐を右。後は先生に任せるよ』
 ヤイバとカズマの報告が終わり、途端に静かになったような錯覚を覚える。
 周りはこれだけ風の切る音や車の音でうるさいのに、まるで世界が何かを待ち望むかのような静けさだ。と、私の詩的センスが訴える。
 もうすぐ分岐点だ。あそこを右に曲がって、ミスティさんが勢い良く跳ぶ。華麗に着地した頃には、全てが終わっているという手筈なのだろう。
「右!」
 枝分かれした70度コーナーを余裕を持って曲がり、ミスティさんはその先を見据える。私もその視線を追うと、そこには予定通りのジャンプ台。ちょうど追ってくる車両の半分もないサイズだ。小さい。だけど、この人は十分だという確信の顔で、そのジャンプ台へと飛び込む。
 体勢は低く。後ろから聞こえる車の爆音なんて、もう気にしてなんかいられない。目の前に用意された壁を跳び越えれば、私達の勝ちなのだから。

 そしてボードは、ジャンプ台をカタパルトにして空へと舞い上がった。


 ――World Together

 世界を知りたい。
 風の赴くまま。心の赴くまま。
 私達は、世界に秘められた可能性を求める旅人だ。


 私がそのフレーズを思い出したのは、ミスティさんが勢いよく空中でトリックを決めた時だった。


 ・


 ・


 ・


 黒服に身を包んだ如何にもな連中は、ヒカル達が用意した隔壁に車ごと突っ込んだ。
 カズマから予め作戦を伝えられた警察はその手前で安全に停止。動けなくなった黒服達を見事に逮捕。
 即席で作った隔壁では止め切れずに逃がしてしまうかもしれない可能性があった車両は、私の狙撃により見事に停止させる事に成功。
 こうして誰一人逃がす事無く、この場の敵勢力を全て捕らえる事に成功したのだった、まる。

「……で、所長はどこにいたんですか?」
 手にした拳銃を持て余したように回す所長に、私は思い出したように問いただしてみた。
 私が狙撃、カズマとヤイバは状況把握、その他はジャンプ台と隔壁の設置と市民の誘導。唯一所長が何もしてなかったと思うが。
「ああ、一応お前が狙撃をミスった時の保険として別の地点で待機してた。結局はお前が見事に成功したから、司令官としての責務を全うしたわけだ、と」
 結局保健はあったわけだ。しかしそうすると、私があのポジションにいた事にますます意味がなくなる。それについて言及してみると。
「そりゃあお前、新入所員ならどれくらい仕事できるが測るのは当たり前だろう」
「……はぁ」
 返す言葉はそれしかなかった。あんな重要人物の護衛を、私の力試しに使うとは。やはり私はとんでもない修羅場をくぐってしまったようだ。
「まぁ、上出来っちゃ上出来だな。予想以上に良い結果を出してくれたよ、お前は」
 そんな所長の褒め言葉に、私は曖昧な笑顔しか返せない。もしかして、失敗とかした方が今後の事務所生活は安泰になっていたんじゃなかろうか。私はそんな可能性に思い至り、しかしなるべく考えないようにした。

「おーい、所長さーん」
 警察の協力を得て、用意した隔壁の処理を行っている場所から声が聞こえてきた。
 その声の主がこちらへと走ってくる。さっきのミスティさんだ。
「どうも、お疲れさん」
「こちらこそね。おかげで助かったわ」
 ミスティさんはゴーグルを外し、背中のリュックの中のオヨギチャオを降ろす。
 二人の顔を交互に見つめ、私の記憶の中の顔と照らし合わせる。間違いない。私達は大した有名人の護衛をしていたようだ。
「やっぱり。ミスティ・レイクさんと、フウライボウさんですね?」
「うん! 初めまして、ミスティよ」
「初めまして、フウライボウです」
 知る人ぞ知る著名な小説家であるミスティ・レイクと、世界で最初のチャオの旅人、フウライボウ。
 世界を駆け巡る二人と、私は握手を交わした。


 作戦開始から、三分足らずの長い戦いだった。
引用なし
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No.10
 冬木野  - 10/9/29(水) 5:50 -
  
「かんぱーい!」
 後始末を一通り終わらせた私達は、ちょうど所長室で祝杯をあげているところだった。コーラで。
 ……だんだんコーラというものに対してゲシュタルト崩壊を起こしそうになってくる。
「今回も助けられちゃったね。ありがとう、所長さん」
「いんや、今回の俺は裏方だ。一番の功労者は、そこの新入りだよ」
 そう言って所長は私を指さす。ミスティさんはと言えば「あぁ、そうだったねー」と断りもなしに私の頭を撫でてきたので笑い返しておいた。一応、愛想笑いである。

 ミスティ・レイク。
 人間とチャオの本格共存について詳しく知ろうと思うと、彼女の名前が出てくる。
 優秀なチャオの研究者を父に持ち、自身もその知識の多くを受け継いでいる彼女。そして何より自他共に認めるチャオ好きは、人間とチャオの共存の模範ともなるべく姿勢として広がっていったものだ。
 また、彼女は小説家としても名高い。世界で最初のチャオの旅人の物語を綴った「フウライボウと不思議なポンコツ」は、ノンフィクションという事も相まってか注目を浴び、彼女の知名度を更に押し上げた。
 今でもその物書きとしてのセンスは伸び、フィクションやノンフィクションに関わらず親しみ深い小説を書き上げ、更には世界中の名所や未踏の遺跡へと足を踏み入れたという記録も広く知れ渡る。
 その一方で、エクストリームギアという低空を浮遊し滑走するボードを操る技術に関しても一流であり、ここのところ世界的に有名になり始めたEXワールドグランプリでも彼女の名を聞く事ができる。
 速さ、そして技術を問われるこのレース大会での彼女の活躍は他とは一線を画する。速さなどは二の次にしたパフォーマンス重視の彼女のスタイルは、しかし誰よりも速く、華麗かつ大胆に勝利をさらう。そんな彼女に付いた二つ名は「風に愛された少女」だ。
 有名な事件としては、彼女が4度目に参加したグランプリで起こったカメラマン撃墜事件だ。
 EXワールドグランプリでは、各トリックポイントには必ずカメラマンが配置され、参加者の見事なトリックを捉える。
 そこで彼女は最終ラップで、ジャンプ台で高々とジャンプし、手を銃の形に変えてそのカメラに向けて撃つというトリックを披露してみせた。するとそれを見た若いカメラマンがヘリから落下。それに気付いた彼女は、着地後に急いで彼をキャッチ、そのまま抱き抱えて一位を取った。
 意識を取り戻したカメラマンは自分が抱き抱えられながら紙吹雪と声援の中にいる事に気付き、何を勘違いしたのか「まッ、まだ心の準備がッ」などとのたまった。後にそのカメラマンは二重の意味で落とされたカメラマンとして、しばらく新聞のネタになったとかなんとか。


「それにしても、所長がこんな有名人と知り合いだったなんて驚きです」
 どういう関係なんですか、という質問も兼ねて私は話を振ってみた。
「俺じゃなくて、リムが偶然知り合っただけだ」
 わかるだろ、と顔だけで告げる。あの人の幸運って有名人をも引き寄せるんだ。すごくすげぇ。当の本人と言えば、今も受付でニコニコしている。……表情がダヨ? パソコンは使ってナイヨ?
「それでミスティさん。仕事の話なんですけど」
 本題へと切り出したのはヒカルだった。ちなみにその後ろでは、何故かカズマとヤイバがスナック菓子を賭けたゲーム対決をしている。何をしているのかはわからないが、ちょくちょく「めびーすわんふぉっくすとぅー」だとか「いんかみんみそーみそー」だとか意味がわからん言葉が飛び出しまくって意味がわからん。
「おっとっと、そうだったね」
 背負ったリュックを降ろして、何か資料らしきものが入ったファイルを取り出し始める。そのリュックというのがフウライボウさんが入っていたリュック。こんなのに大事なものを入れていいんだろうか。
「一体なんの資料なんですか?」
 何も知らされていない身として情報の開示を要求してみると、所長はファイルの中の資料をいくつか渡してきた。


『Revolution-C H A O』
『BACK TO THE ONLY HUMAN』


 それが資料のタイトルだった。
 なんかのネタかと思った。
「……映画のタイトルですか?」
 前者はあんま聞いた事がない響きだが、後者は凄く聞き覚えがありそうなタイトルだった。っつーかディスってんのかよ。
「計画名だ。酷くセンスの無い、な」
 卑下しつつも、所長の目は熱心にその資料を読み漁っている。普段の寝惚け眼とは正反対だ。そんな見慣れぬ光景を目の端に置いて、私も手にした資料の文面を読み漁ってみた。
「こいつらが計画参加者だ。こいつらの個人情報を漁るなりするのが、今の目的と思っていい」
 個人情報っていい値段が付くって、詐欺絡みの本に書いてあったなぁ。そう思いながら目を走らせる。
 そのページは、全く知らない人物の名前が羅列されていた。計画参加者一覧、らしい。これがまた混沌としたもので、国籍というものを忘れたかのように日本語、英語、イタリア語、フランス語、その他いろんな言語で書かれた名前が、所属国問わず計画に参加している者達がいるという事を教えてくれる。
「バベルの塔でも再建するつもりですか」
 なんとなーく、そんな事が頭に浮かんだ。
 神の領域まで登りつめようとした人間達を、神は言葉を違わせる事で塔の建設計画を頓挫させたという話だ。この参加者リストは、まるでその時に参加していたメンバーのリストのようにも見える。
「ある意味、似たようなものよ。発想としてはね」
 私のその感想のような問いに答えたのはミスティさんだった。
「この計画はね、現代の人間とチャオの共存関係を良しとしない連中が立ち上げたものなの。目的は勿論、お互いに一緒」
 わかるでしょ? 彼女の目はそう言った。
 人間とチャオの共存関係を良しとしない者達。その目的は、確かにわかりやすい。
「自分の地位の向上と、相手の地位の失墜?」
 正解、と私の頭を撫でた。いやちょっといきなりやめてくださいよと、私は資料へ逃げた。
「なんですか、戦争でもするんですか?」
「いんや。現代は共存に異論を唱える奴なんてそう多くはない。いきなりどこかで人間とチャオが戦争し始めたって、信頼関係は簡単に崩れんよ」
 確かに、国際警備機構を筆頭にいろんな国際的機関がその機能を果たせていないが、それでもこの世は概ね平和である。暢気、とも言えるが。
「じゃあ、この人達は何をするつもりなんですか?」
「それを調べるのが、俺達の仕事だ」
 なるほど。一応納得した。
「ミスティさんも、それに協力してるんですか?」
「うん。というより、私達で一緒に始めたの」
「始めた?」
 どういう事なんだろう。世界を股にかける傍ら、正義のヒーローまで兼業しているという事なのだろうか。
 そんな私の疑問を読み取ってか、ミスティさんはその事情を語ってくれた。
「……フウライボウがね、被害者なの」








『Revolution-C H A O』

 これは、過去に行われた計画の名前を変更したものである。元の名前は、こうだ。

『BATTLE A-LIFE』

 プロフェッサー・ジェラルド・ロボトニックが作り出した人工カオス。その技術を基に、戦闘用のチャオを作り出す。それが目的だ。
 他者による完全なコントロールを施したチャオを社会へと離し、秘密裏に動かす事ができるという、機能・隠密性共にとても優秀な『兵器』を大量生産するのだ。
 世界で最初のチャオの旅人と言われるフウライボウ。その旅の真の姿は、人工に作り出したチャオの機能に支障がないかを確かめる為に行われたという実験だったのだ。
 そう。彼もまた人工的に作られ、感情などという殺戮には必要ないものを省かれた被害者だった。
 しかしその実験は失敗に終わった。旅の途中で出会ったミスティや、忘れられた謎のオモチャオ・ロストらの活躍により計画そのものもまとめて頓挫させる事に成功し、フウライボウは感情を取り戻してみせたのだ。

 しかし、残党はもちろんいた。
 あろうことか、それはチャオだった。

 フウライボウ達の唯一の失敗は、AIの中途半端な操作により、コントロールをフリーにしてしまった事だ。
 抑えるものが何もなくなった人工チャオ達は、恐らく考え得る最悪の選択を選んだ。
 自らに与えられたこの力を使って、人間を超えた存在になろう、と。


 それが『Revolution-C H A O』の始まりだ。








「……はあ」
 話を聞いた私の感想は、ひとまずそれだった。
 もっと詳しく言うと、あんまり実感が湧かなかった。
 理由は明白。私が所長達の魔法使い説や、カズマ達の元・非チャオ説を鵜呑みにしてないのと同じだ。
「話、飛躍し過ぎじゃありませんか」
 その一言に尽きた。
 ある意味、これは当然の事だと言える。さしもの私も、もし所長達が目の前で魔法らしきものを使用してみせたら、信用するのに三十秒も要らないと思う。
 だが、残念ながら私はそれらを設定でしか知らない。もしどこぞの物語のキャラ説明でヒロインが宇宙人だとか未来人だとか神だとか、それだけを見たら「ああん?」とか口走る。絶対に口走る。自信がある。
 まあ、唯一そういうありがちな物語の主人公と私とで違う点は、それを嘘として処理しようとは思わない事だ。これは私が幼い頃から作り上げてきたルールとでも言おうか、ある種の座右の銘とでも言える。
 常々思うのだ、主人公が話だけで聞いた見知らぬ人物や友人、ヒロインの驚くべき正体。そいつを頭から疑って切り捨てた後、実は本当だったよどうするジャリボーイというよくある展開。それを見る度、私は思う。「ざまぁ」と。
 例えばある日友人が「拙者金星人と文通してるでござる」とか言い出しても決して疑わないし追求もしない。私の記憶の中に「あいつは金星人と文通してる(本人談)」とだけ記して、そこでお終い。
 もしそれが本当だったとしても「そういえばそうだったね」で済むし、もしそれが嘘だったとしても「涙拭けよ」とハンカチを渡すし、もし最後まで明かされぬ謎だったとしても「まぁ興味ないし」とその終末を綴る。完璧な布陣である。

 ただまぁ、今回は少しばかり勝手が違う。
 まるで映画のタイトルのようであって、中身も映画臭さを感じるこれらの計画。やっぱり私は疑っているつもりはない。だが唯一違う点は、私はこれらを追及しなければならない立場にある事だ。
 そう、こいつは仕事なのだ。小説事務所に勤める所員として、愉快な同僚達と一緒に関わっていかなければならない。それは私にとっては愉快ではない。
 面倒、だ。
 嗚呼、さらば一般市民として在り続けた私よ。私はこれから映画のような世界に身を投じよう。
 阿呆、と下らぬ思考を止めたのはちょうどこの辺りだったと思ふ。
「まぁ、お前には直接関係のない事だけど、これも仕事と割り切って慣れてくれ」
 所長のその言葉に促され、私も渋々納得した。
 常識人としての私の心が、この話を嘘として否定し続けている事に気付き、しかし私は努めて無視した。


 だが、しかし。
 資料に羅列された文字――というか、大半が名前――を見て、私はげんなりする。
「こんなにいるんですか……」
 それらが示す事実は、このB級映画的(異論は認める)計画に、沢山のキャストが存在する事だった。スポンサーとか凄いんだろうなとか、地上波で放送したらCM長いんだろうなとか、そんなどうでもいい事まで考え出してきた。
「まぁ、名前だけかき集めたらこうなるわね。行方の知れない人とか、とっくに死んじゃった人とかも混ざってるし」
 そう言って資料に筆を走らせるミスティさんが一番大変だった。記された人物が行方の知れないか死んでるかを、別に用意された資料を見ながら随一書き込んでいるのだ。
 所長とヒカルは同じ作業をしているわけではないが、誰かの名前を探すかのように資料を漁り、曖昧にその名前にしるしをつけている。だが、その作業の目的はよくわからない。
 カズマとヤイバはと言えば「クーラードリンク忘れた」とか「砥石忘れた」とか言いながら、仲良くポテチを貪ってゲームしてた。仕事を忘れんじゃねーよポテチ食った手でゲームすんなとか今はどうでもいいんだよっつーかうるせーよ。
 とか言いつつ、別に私も大した事をしているわけではない。沢山の名前が記された沢山の紙に何となく目を通し、「次貸して」と言われた紙を渡してるだけだ。仕事してる体だけなら二人よりマシだが。
「あっと、そうだ」
 そこで思い出したように声をあげたのはミスティさんだった。
「ねぇ新入りさん、ちょっとパウさんのところに行ってきてくれない? フウライボウとかギアとか、気になるから」
 邪魔者扱いされたみたいだ、と思った。ちょっとだけ。
 だが、後ろ二人を除いてこの場で一番役に立っていない事は事実だったので、断る理由も無く首を縦に振った。
 所長室を出る時に漏れそうになった溜息を、私はバレないように押し留めた。


「うんうん、問題ない。好調だね」
 満足そうな顔をして頷くパウと、何かの計器類から目を離さないミキ、そして自分の相棒を少し退屈そうに見守るフウライボウさん。
 研究室にいたのは、その三人だった。

 フウライボウさんの旅の始まりは、人間とチャオの本格共存開始の366日前。つまり生誕祭前日の事だと言う。
 そこで旅の楽しみを覚えた彼の足取りは、驚く程大きな歩幅だった。
 初めての旅の途中で出会った人々もまた、彼と同じく広い世界を知るべくフウライボウ・ミスティ両名の旅に手を貸した。その程は、ミスティさんが記す冒険の記録の制作にフウライボウさんが大きく手を貸しているという事を教えればわかる事だろう。
 また、その手広い知識の多さも彼の特徴である。サバイバビリティに長けた彼を称賛する声は多く、また釣りの名士としても名を馳せている彼には、数え切れないほどの支持者がいる。
 それと、彼を語るにあたって外せない謎がある。それは不思議なポンコツだ。
 ミスティ・レイクの処女作かつ人気小説のタイトルでもある不思議なポンコツ。その正体は、まさしくポンコツと呼ぶに相応しい……と、作中で言われ続けているスケボーだ。
 作中ではそのスケボーの事をフウライボウさんは「相棒」と呼んでいた。その相棒はまるで意思を持つかのように独りでに動き、フウライボウを乗せて共に旅をしたと言われている。
 しかし、いざ現実に目を戻してみるとその存在は霧のようにあやふやだった。向けられたインタビュアーのマイクに対し、フウライボウさんは首を傾げ、ミスティさんは悩ましげに唸るだけだった。
 一説では、ミスティさんが操るエクストリームギアがポンコツの正体なのではないか、とまことしやかに囁かれているのだが――


「うん。そうだけど」
 謎は解明された。そこには大衆の驚愕と一握りの感動が、欠片ほどもあるわけなかった。
 人の夢と書いて儚いって言うんだね。

「でも、確かにこのギアは謎なんだよね」
 パウさんの語る所の謎は三つある。
 一つは制作者が不明な事だ。
 フウライボウさん曰く、このギアはゴミ捨て場にあったものを適当に見繕って拝借したものである。元の持ち主もいつの間にか手元から無くなっていた品だと言っていたが、彼に譲渡してしまったそうだ。その持ち主も、どこが作った物かは知らないという。
 そして一つは、その異常な性能。
 フウライボウさんの初の旅の時期というと、まだエクストリームギアという物が広く普及しているわけではなかった。
 勿論制作会社も作り慣れた製品ではないが為に、多機能や高性能を実現する事は難しかった時期だ。そこに来ると、この不思議なポンコツは名前に反して実に優秀、というよりも群を抜いているのだという。
 現代のギアはモーフィングメタルという可変形金属を使用している。平たく言うと、最近のギアは変形が可能だということ。これは本当に最近生まれた技術で、少なくともフウライボウさんが不思議なポンコツに出会う前の時期には実現していない筈の技術だ。
 しかもその技術の実現は今も至難を極めるらしく、手すりや縁を滑走するグラインド機構を備えたスピード形態、空気の層を捉え空を飛ぶフライ形態、万全の耐久力と安定感を備え障害物を退かせるパワー形態、これら三形態に自在に変形させるようにすると、どうしても基本性能を削らざるを得なくなると言う。
 だが、これはそれを見事に両立させる事に成功しているというのだ。
 そしてこのポンコツ最大の謎が一つ。
 最初に設定された変形機構か、ボロボロなスケボーであったことだ。


「はい、調整完了」
「ありがとうございます、パウさん」
 良いってことよと、達成感に溢れた顔でパウは笑った。
 持ち運びに便利なボックス形態のギアを、大事そうに抱えるフウライボウさん。彼の言葉通り、数々の旅路を共にした相棒であるのは確かなようだ。と、思う。
「これでフウライボウさん達が書いた本をタダで貰えるんだから、安いもんだよ」
「いや、それじゃ釣り合いが取れないんじゃ……」
 全くである。というか、本当に報酬はそれだけなのか。相当な読書好きだ。
「というより、この人達の書いた本が、僕を本の世界に引きずり込んだんだけどね」
「いやぁ、そんな」
「……はぁ」
 返すべき言葉に迷った。流石と言うべきなのか、阿呆かと言うべきなのか。結局何も言わなかった。
 でもまぁ、パウの仕事ぶりを見たのはこれが初めてだった私は、それらは小さな事だった。所長達といいなんといい、事務所の活動風景を見れた今日という日はある意味貴重だと思う。


 そこへ、荒々しいというでもなく、しかし穏やかではないノックが響いて、ドアが開かれた。
 現れたのは、ハルミちゃんだった。
「ハルミちゃん、どうしたの?」
 私が聞く頃に、荒い息を整えて要件を伝えた。
「依頼が来ましたっ。GUNからですっ!」

 小説事務所に、電流が走った。
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No.11
 冬木野  - 10/9/30(木) 3:13 -
  
 ――今日はなんて忙しいんだろうか。

 そう愚痴を漏らしたのは、果たして誰であったか。
 だが、そう思う所は皆同じだった。


『こちらアルファチーム。市民の誘導は完了した。いつでもいけるぞ』
『こちらブラボーチーム、こちらも同様に突入準備完了』
『チャーリーチームだ! 酔っ払いの一般市民が言う事を聞かない! くそっ、なんだってこんな夜中に仕事せにゃならん!』
『それも敵の策略だと思って、まとめて怒りをぶつけてやれ。……あぁ、デルタチームも準備はできてる』
『エコーチームも準備完了だ。さっさと終わらせて、俺達も酔い潰れようぜ』

 耳に届く数多くの声を、私はどれも区別する事ができなかった。
 入り乱れる男達の声に、たまに子供のような声も混ざって聞こえる。それらはGUNに所属する人間とチャオ達だ。

『おいおいおいおい、まさか空軍まで出張る事態になるだなんて。俺は聞いてないぞ』
『エアライダー3、私語は慎め。エアライダーリーダー、目標地点に接近中』
『泣き事なら後で聞きますよ。今は暴れん坊達を静かにさせましょう』
『なんだと? おいらは泣き事なんか言ってないぞ! エアライダー4、撤回しろ!』

 そんな緊迫感のない会話を聞きながら、私も同じ気持ちを抱いていた。
 戦争をするつもりではないと、所長は確かにそう言った。だが今宵、食物連鎖の地位を譲らぬ人間達と、革命と力を欲したチャオ達が、昂る精神を抑え切れずに衝突した。
 それは間違いなく、戦争と呼べるものなのだろう。
 私達はそれを止めるべく、この戦地へと足を踏み入れた。








『BATTLE A-LIFE』を構成していたメンバー。それらは勿論、チャオを己の私欲の為に操るべく集った人間達だ。
 コントロールを離れ、己が為に動き出したチャオ達の存在を、人間達が知らない筈はない。
 空中分解した組織は、しかし事を終結させる為に人間達は再び集った。

 それだけなら、彼らは正義のヒーローとして称えられただろう。
 だが、彼らは元々チャオを手駒として扱おうとした人間達だ。その真意は、決して褒められたものではない。
 彼らの目には、チャオは憎悪の対象としか映っていない。
 食物連鎖の頂点に立つのは、人類だけでいい。チャオの席など在りはしない、と。
 それが『BACK TO THE ONLY HUMAN』の思想だ。


 そして、相反する二つの組織の過激派は、セントラルシティにてぶつかりあってしまった。


「また傭兵扱いですね」
 リムさんのその言葉は、通信機を介さなかった。
 間違いないと、私は頷いた。

 私達の目的は、至って単純。
 戦闘を行っている両組織の鎮静化。できるようなら、確保を。できないようなら――排除を。

 今回前線にやってきたのは面々は、所長・パウ・リムさん・ヤイバ・ミスティさん・フウライボウさん。
 そして、私だ。
「まぁ、俺達は裏方なんだけどね」
 ヤイバさんが実に気楽そうな足取りで、戦地へと歩く。
 話によると、実際に戦闘に参加するのは所長達古株三人。私たちやその他は、負傷兵の救護や情報網として味方陣営を駆け回る事になる。
 一応私達も護身用としてサブマシンガンを渡されている。片手でも容易に扱える、手軽な武器だ。
 その銃器の握り心地を、私は今一度しっかりと感じていた。

「待っていても、良かったんだぞ?」
 所長の言葉に、私は顔を上げた。そこにあった顔は、どれも気遣いの表情だった。
 わかっている。……わかっているとも。
 世間には、きっと小規模の紛争としか伝えられないんだろう。
 でも、この先には戦争がある。
 そうだ、私は――


 ――私は今から、戦争をしに行く。命を奪いに行くのだ。


 それぞれの面々が散った後も、私は耳に入る声の全てを聞き流し、手にした銃器を見つめていた。
 本当に、映画みたいな世界に入ってきてしまった。
 私達の常識から離れた世界。そしてここでは、目に映るそれらが常識。
 当たり前ではないものは、ここでは当たり前。まるで不思議の国のような理屈だけど、ここではそれらは不思議ではない。
 誰かの命が、失われる事なんて。
 私は今から、それらが失われる要因として世界に加わる。

 願わくば、この声の届かん事を。この声の忘れ去られぬ事を。
 嗚呼、さらば一般市民として在り続けた私よ。私はこれから映画のような世界に身を投じよう。


『交戦!』

 そして、戦いは始まった。











『こちらブラボーチーム! 目の前の敵の無力化に成功した! 手の空いてる奴は援護してくれ!』

『チャーリーチーム、見えてるぞ。何をちんたらやってるんだ?』
『エアライダーか? 見えてるんなら支援を頼む。あの戦車をどうにかしてくれ』

『おい、部隊長はどこだ? ……くそっ、誰でもいいから援護してくれ。状況が確認できない』
『なんだ、またお前か。チャオの小さな体にこういうのは不利だからな、付いて来い』
『よく言うぜ。足元を掬われないように援護してやるよ。行くぞ!』

 やかましい通信の声を、しかし私はなるべく聞き洩らさないように夜の街を駆ける。
 カズマ曰く、私という人材はこの場において重要であると言った。パウ印の白いカチューシャが、GUNの用意した電子機器との中継になるかららしい。それならば、私自身が必要とされる理由はない。
 そんな事実を、私はここに赴いてからも改めて吟味していた。
『事務所本部より中継へ。混線が酷いから、移動を続けて。大丈夫?』
 事務所本部、カズマからの通信だった。子供のような場違いの声は何かと印象深い。情報伝達には役に立つだろうか。
「こちら中継、了解――ちょっと待って」
 応答し、そこで私は声を止めて耳を澄ました。混線だ。
『――通り――背後に付いた。指示を――』
 間違いない、恐らくは敵の声だ。背後……まさか、私達の背後の事か?
「こちら中継! 敵の混線から、味方の背後に敵勢力が接近している可能性があります! 急ぎ確認を!」
『なんだと? AWACS、確認できるか?』
『少し待て……確認した! 陸・空から多数の敵勢力! 敵は我々にも矛を向けてきた! 挟み撃ちだ!』
『嘘だろ!? 何が小規模な紛争だ、敵勢力が強大過ぎる! 援軍を呼べ!』
 その後も罵声のような通信が入り乱れる。状況は予想以上に酷くなっていく。こいつは逃げ続けるのも限界かもしれない。この銃器の引き金を引かない事を祈ったが、どうやら無理な願いのようだ。
 銃声。砲撃。通信。それら全てが、私を包む環境音として奏でられる。正直、もう勘弁してほしい。
 やがて、私を包む音の割合が銃声を占める。マズイな、戦闘の真っ只中に飛び込んでしまったか?

 私のその認識を裏付けるように、銃弾が私の足元を穿った。

「――っ!」
 声にならない悲鳴が漏れた。
 立ち止まってはいけない。本能でそう判断した私は、目の前の建物の影へと走り出した。
 だが、振り上げた足すらも容易く止められる。完全に捉えられた。もう逃げられない。震える手を、もう片方の震える手で押さえた。
 とうとう、引く時が来たんだ。迷ってる暇なんか無い。構えろ。そして撃て。そうすれば確実に、目の前の敵は消え失せる。永遠に。
 さあ。
 さあっ。
 さあ――!


「撃て! 臆病者!」


 ――…………――――……。


 気付いた頃には、私は弾薬を30発消費していた。

 目の前にあったのは。人間の死体が二つ。灰色の繭が一つ。
 そして、私を突き飛ばした所長の後ろ姿が一つだった。


「……どうだ、新入り」

 へたり込んだ私に向けて、所長は声だけを私に向けた。

「まだ、引き金を引く力はあるか?」

 今一度。私はまた、今一度、自分の手を見た。
 震えているように見えるのは、私の視線が揺れているからか、本当に震えているからなのか。
 私は自らに問い掛ける。
 理由も無ければ、恐らくは権利も無い。誰かに許可を促されたって、進んで実行は、し無い。
 なれど、できるか。正当化をしろとは言わない。その手は、引く事ができるのか。
 冷たい引き金を。
 蔓延る雑草を。
 世を彩る命の幕引きを。


「はい」

 息を吐いたら、肯定の言葉になっていた。その時の私は、そう思って立ち上がった。
 目の前の命は終わった。だけど、戦いはまだ終わっていない。
 私は再び、聞こえてくる声に耳を傾けた。


『――あぁっ、クソッ! AWACS! 援軍はまだなのか!?』
『もうすぐだ! あと三分!』
『三分も待てるか! 俺はカップラーメンだってお湯を入れたら一秒も待たないんだよ!』
『阿呆が! 弱音を吐く前に腹でも下してやがれ!』

 戦況は、著しく悪い。所長も所持している無線機を介して聞こえる声に舌打ちしていた。
 だが、そこに旋風が巻き起こる。

『ん……おい! なんだあれは?』
 その声に、無線が一度静まり返る。
『どうした、デルタチーム? 報告せよ』
『あぁ、ちょっと待ってくれ。まだ確認できない』
 デルタチームの返事を、しかし待たぬ部隊が言葉をあげた。
『デルタ、エコーチームだ。ひょっとして、お前が見ているのはハイウェイ付近のアレか?』
『おいお前ら、一体何の話をしてるんだ? わかるように説明――』
『んなっ!?』
 返ってくるのは堪えたような呻き声。ますます状況がわからなくなる。
『デルタチーム! どうした! 応答せよ!』
『ほ、報告! シャドウチャオらしき人影が、敵勢力と単身で交戦中!』
 単身で交戦? そんな馬鹿げた事をしているチャオ?
 私達の理解が及ばぬ中、無線から聞こえる声は止まない。
『こ、こっちでも確認した! なんだありゃあ……動きが目で追えない! 速すぎる!』
『おいおい、連邦政府直属のエージェントでもやってきたって言うのかよ? 冗談じゃない』
『何が冗談だ! 間違いない、あいつ銃弾の一つも掠っちゃいない! 何なんだ、一体どんな魔法使ってるんだ!?』
 所長が苦い顔をしたのは、その言葉を聞いた時だった。
「あの野郎……相も変わらず暇な奴だよな」
 何の事ですか? と、表情で尋ねた私の事を所長はさらりと無視をした。暗くて見えなかったかな。
「こちらは遊撃隊の隊長だ。安心しろ、そいつは援軍だ。これから戦況が覆る。各員、頃合いを見て一気に攻めろ」
『戦況が覆る? 何を言っているんだ、遊撃隊』
 同じ疑問を、恐らくは皆が抱いた。それらは無線からの声でも明らかだったし、私もその一例に漏れなかった。

 だが、所長の笑みは確信に満ちていた。
 そして力強く応答した二つの声に、私達は首を傾げざるを得なかった。
「こちら遊撃隊二番、スタンバイOK!」
「遊撃隊三番もOKです! 隊長さん、指示をお願いします!」
 パウと、リムさんだった。
「あの……一体何をするつもりなんですか?」

 風が、舞い上がる。
 炎が、燃え上がる。
 水が、湧き上がる。

「奇跡の魔法――お前にも見せてやる。一緒に来い」

 そして、幻想は息を吹き返す。

「さあ、起床の時間だ」

 私は真に、風にさらわれた。
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No.12
 冬木野  - 10/10/7(木) 4:09 -
  
 ――っ。
 心拍が安定しない。
 耳鳴りが収まらない。
 現実が視界に戻ってこない。
 要約すると、ヤバい。
 唐突に大きな負担をかけられてしまった体が悲鳴をあげている。
 強烈なGに襲われた見えない傷跡は、確かに私の体を蝕んでいる。
 目に見える光景は、すでに数秒前のそれではない。

 奇跡の魔法。それが私に見えたものは、まずは背を合わせた二人のチャオだった。


「……いつ、解禁した?」
 名は体を表すとはよく言うが、彼に至っては違う。己がシャドウチャオであるから、彼は身勝手に名乗る。
 シャドウ、と。
 正体不明の援軍は――ひょっとしたらとは思っていたけど――夕暮れに帰路を共にした彼だった。
「先週くらいかなー。よく覚えとらん」
「何故今更」
「お前がそろそろいいんじゃないかって言ったんだろう? お兄サマの意見を取り入れた殊勝な弟クンを少しは褒めてくれよ」
 嗜むように世間話をする彼らを、じりじりと包囲していくのは人間達だった、二人の傍らで膝を付いている私も巻き添えだ。
「鈍ってはいないだろうな」
「安心しろ。チュートリアルは二回もしない」
 絶体絶命。彼らはそんな四字熟語を知らないのかと、私は戦慄する体を抑える。立ち上がろうにも、動いたら撃たれる気がする。
 そして敵は、狙いを定める。
「……良いだろう」
 だが彼らは、心の底から平静を崩さない。
「来いよ」
 所長の挑発が、彼らの引き金となった。
「撃てぇ!」

 だが、風向きは彼らに味方をしない。
 私の耳を劈いたのは、銃声ではなく風の音だった。
 流石にこれには、私も目を疑わざるを得ない。
 目に見えるほど強い風が、私達の周りを駆け抜け壁を形成している。銃弾は全てそれに弾かれ、あろうことか別の敵に当たっていた。
「バカ、やめろ! 射撃中止!」
 銃が効かない事を知った一人が叫び、銃弾の雨が止んだ。
 二人がそれを見計らったように動き出した。いや、飛び出したというべきか。それとも……消えた、というべきか。
 気付いた時には、二人はすでに一人ずつ敵を無力化していた。何をしたのかは、全くわからない。
「う、撃て!」
「どっちだよ!?」
「構わん! 撃つん――」
 その口を塞いだのはシャドウ。これまた何をしたのかわからないが、敵は気絶したかのように見える。
「いいな、それ。くれよ」
「お前に似合うのは刀くらいのものだろう」
「生憎と、最近は柄も握っちゃいないんだ」
 その言葉に鼻で笑って、シャドウはそれを所長に投げた。警棒タイプのスタンロッドだ。
「お前も使え」
「えっ」
 なんか言おうとした時には、私にもそれが投げ渡された。落としそうになりながらもなんとかキャッチ。シャドウを見ると、彼は手ぶらだった。
「い、良いんですか?」
「運が良ければ死ぬ程度の殺傷能力に改造してある」
 誰が良い攻撃力だって聞いたよ。
 だが彼はナイフを持って飛びかかった敵の腹に、深く掌底を打ち込んだ。それを受けた敵は脆く崩れる。全然問題なさそう。
 私はもう何が何やらと戦闘中に突っ立っているばかりだった。聞こえてくる通信の声もあまり聞こえな――あ、爆発音。

『メイデイメイデイ! くそっ、落ちる! 制御不能!』
『落ち着け、エイライダー4! 早くベイルアウトしろ!』
『駄目だ、射出装置がいかれてる。座席が飛ばない! 落下地点にいる奴は退避しろ!』

 ……いやなよかんがした。
 流れ星を探すように空を仰ぐと、まるで不死鳥にジョブチェンジしたように見える戦闘機がこっちに迫ってきた。何かお願い事しようかしら。でも考える余裕はあんまりなかった。
 あいつ、事故ってる。
 逃げようと思ったけど、足が動かない。
 やべ、事故る。
 その可能性を認識してから、やっと足が動いた。
 ぶっちゃけ、もう遅い。
 あ、願い事できた。でも、これじゃもう駄目だよなぁ。
 私は落ちてくる戦闘機が近付いてきたのを水が受け止めるのを見た。

 ……あれ。おかしくね?

 ちょっと目を擦ってみた。
 戦闘機を水が受け止めていた。
 もうちょっと目を擦ってみた。
 大きな水の塊が戦闘機を受け止めていた。
 あともうちょっとだけ目を擦ってみた。
 リムさんがいた。

「……え?」
 願い事、叶っちゃった。まだお願いしてもいないのに。
「エアライダー4、聞こえますか? 脱出できるようなら、今のうちに急いでください。泳げますよね?」
『……あ、ああ。助かった。救援に感謝する』
 信じられない。彼の声色がそう言っていた事が、誰にも明らかだった。
『お、おい。ひょっとして、これって落ちても安全じゃないのか?』
「落ちるなら、私の目の届く範囲でお願いしますね。あと空中爆発は対応しきれませんので、お忘れなく」
『は、ははは……よし、背水の陣だ! 各員、フラれる事なんか気にせず、どんどんミサイルをプレゼントしてやれ!』
『エアライダー3、了解だ! うおらぁ、おいらの愛の結晶を受け取れぇ!』
 耳に聞こえる歓声は、味方の士気が上がっている事が容易にわかる。これも、奇跡の魔法が成せる技なのか。
 ……魔法、なのか?
「ユリさん、ぼーっとしちゃダメです! 後ろから攻撃されてますよ!」
 その声に我に返った私は、スイッチが入ったように反射的に振り返った。そこにあったものは、銃弾を防ぐ水の壁だ。
「い、いつの間に……」
 もう、笑う暇もなかった。
 不思議の国も頭を傾げる、驚くべき現実だ。

『ユリ!』
 もはや茫然としかしていられない私の元に、カズマからの呼び掛けが入る。
「ああ、はい。聞こえる」
『空中管制機とのデータリンクから、敵の戦力を計測してみた。ここにもし所長さん達がいなかったら、この戦力差は覆らない。元々は二勢力の紛争が、こっちにも牙を剥き始めて状況も混迷してる』
 疑いようの無い事実に、私も声無く頷いた。
『そして、所長さん達が頑張っている今も苦しい事に変わりはない。士気は上がったけど、敵の数が多くて対応しきれないんだ。だから、今からこの状況を打開する』
「どうやって?」
『この規模の敵勢力だから、相手側にも空中管制機がある筈だ。それと通信を密にしている敵拠点を探し出して、そこから相手の電子機器を全てダウンさせるんだ。その為には、中継のユリにその地点まで向かってもらわなくちゃならない』
「できるの、そんな事?」
 私の不安の言葉に、返ってくるのは密かな笑い声。
『こっちの台詞だよ。僕は大丈夫だから。ユリは、大丈夫?』
 大丈夫だ、とは胸を張って言えないだろう。
 さっきから、手の震えが止まらない。大して走り回ってもいないのに足も恐怖で大笑いしている。
 逃げ出したい。その気持ちは、ここに来る前からずっとあって、ここに来て今もなお膨らみ続けている。
 なのに、何故だろう。私の足は、全てを振り切って走り去ろうとしない。私の心は、逃げ出そうとしない。今にも崩れそうなのに、壊れそうなのに、泣き出しそうなのに、何もかもを押し留めて。
 所長達も戦っている。GUNも戦っている。ならば全てを任せてもいい筈だ。私にはそうするくらいの事もできるし、してもいいとも言われている。それでも私は、それらを全て断った。
 その心は?

 私のプライドそのものだった。
「ここまで来たら、もう引き下がらない」
 私の精一杯の強がりは、この戦場に力強く響き渡った。
『オッケー、信じるよ。先生、手は空いてる?』
『ごめんなさい、負傷者が多すぎるの。私もフウライボウもそっちには行けない』
 ミスティさんのその報告は、今の状況が確かに不利である事も含まれていた。カズマも自然と舌打ちが漏れる。このままでは戦況を覆すなんて難しい。
『話は聞いたぜ、お嬢さん』
 だが、それに応えたのは、私の知らない、私と同じように吐きだした力強い声。
『こっちだ、後ろだよ!』
 振り返ると、そこには軍服に身を包んだ人間が二人と、チャオが一人だった。GUNの兵士達だ。こっちだと手を振る彼らの元へと大急ぎで走り寄る。
「人手が足りないみたいだな。ここは一つ、我々がエスコートしよう」
「はっ、どの口が言うんだ。俺らの部隊が一番役に立ってないだけだろうが」
「おいやめろ馬鹿、そういう事は言うな。査定に響く」
 彼らの緊迫感のない態度と笑顔が、今は心に安らぐ余地を与えてくれる。
「あの、ご協力ありがとうございます!」
「良いってことよ。暇な事に変わりはないからな」
「だから言うな……っと、自己紹介がまだだったな。私が部隊長だ。マスカットと呼んでくれ」
 大柄で気の良さそうな黒人男性と、私は握手を交わす。
「ユリだったか? 俺はホーネットだ。後ろは俺が守ってやるからな」
「アースだ。今夜限りの付き合いだが、よろしく頼む」
 部隊長より幾許か小柄な男と、ニュートラルチカラタイプのチャオの気軽な敬礼に、私も同じように返した。
「よし。こちらアルファチーム! これより中継を護衛し、敵陣へと突入する! 事務所本部、位置を指定してくれ!」
『了解! アルファチーム、そこからちょうど南の方角に大型車両の反応がある。そこの電波強度が強いから、恐らくはそこだ。どちらの陣営かはわからないけど、まずはそこからだ。ウチの新入りをよろしく頼むよ』
「南だな、了解した! 任せてくれ」
「おい見ろ、今日は満月じゃないか」
 通信を聞きながら徐に空を見上げたアースが空を指差した。そこにはちょうど天高く光り輝く満月があった。いつの間にか日付の変わる時間帯になっていたらしい。夜更かし続きの私には見慣れたようで、でもいつもと違う空だった。
「俺、こないだ日本人の友達に聞いたんだけどよ。日本に、月ではウサギが餅をついてるって話があるんだとさ」
「あぁ、ありますね。私、日本人気質ですからよく知ってますよ。月の模様がそれに似てるらしいです」
「なんだと? 全然そうは見えないんだが」
「餅か……。なぁ、この作戦が終わった後の酒のつまみは餅にしないか?」
「おお、それいいな。賛成だ」
「全く、お前達と来たら。まずはこの戦いに勝って、生きて帰る事が先決だ。いいな」
 私達が首を縦に振るタイミングは、寸分も違わなかった。
引用なし
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No.13
 冬木野  - 10/10/7(木) 4:44 -
  
 私達の足並みは、順調とまでは行かないが滞りもしない。
 進めば敵と出くわし、それを退けて進んでもまた敵と出くわす。
 幸いなのは、相手のメインターゲットが第三勢力たる私達ではない事だ。四人という少人数で行動している私達は敵に見付かり辛い上に、敵はすでに交戦しているから注意も向けられない。
「こういうの、漁夫の利って言うんだろうな」
 簡潔にまとめるアースさん。
 事実、この戦力差でこの状況はとてもありがたい。もしもこれが正面衝突だったら、私達に勝ち目はなかったかもしれない。この人達の実力を疑うような言い方だけど、本人達もそれはわかっているだろう。
『こちら遊撃隊二番。みんな、聞こえる?』
 パウさんからの通信だ。四人は一度その場に留まり、彼女の報告に耳を傾ける。
『敵勢力のうち「HUMAN」が撤退し始めたのを確認した。敵の頭がやられたみたいだ。これで残る勢力は「C H A O」のみ』
 どうやら私達の向かう先の敵はチャオのようだと言う事が今判明した。
『だけど、気をつけて。ここから敵は僕達への攻撃に全力を傾ける。彼らにとっては、僕達も「HUMAN」と同じ排除するべき対象みたいだ。それに向こうには「BAL」がいる』
「BAL?」
 よくわからない単語が飛び出した。部隊長の苦い顔を不思議そうに見ていると、後ろにいるホーネットさんが教えてくれた。
「知らないのか? 「BATTLE A-LIFE」計画の人工チャオだ」
 ああ、なるほど。略称ね。人工チャオか。
「えぇっ!?」
 そこまで理解して、ようやく事の重大さに気付いて驚いた。
「あ、あの、参考までに聞きますけど……BALってどれだけヤバいんですか?」
「終電に間に合わずに朝まで寝て、更に始発も通り過ぎて帰れなくなった挙句、妻に浮気かと問い詰められるほどだ」
 マジヤベえええェ!
『ユリ、今から僕もそっちの援護に向かう。ヤイバ、何か火器を持ってきて。爆発物だと助かる』
『りょうかーい。隊長ーっ! 俺だーっ! ロケラン貸してくれーっ!』
 そんな物の頼み方があるかよ。

「噂をすればなんとやら、だ」
 マスカットさんの声に、私の意識は声から景色へと変わる。
 前方に、二人のチャオがいる。ヒーローチャオと、ダークチャオだ。
「嫌味ったらしいタッグだ。気取ってやがるのか」
 立ちはだかった二人の姿を見て、アースさんが毒を吐いた。敵の後ろには、目標らしき大型車両。想像していたよりもデカく、少し圧倒される。
『よし、周囲にいるだけ十分だね。そこから離れないで。今から割り込む』
「事務所本部、どれだけ持ち堪えればいい?」
『ちょっと待って……六分だ。それまで耐えて』
「長いな。だが、やってみせる」
「お嬢さん、離れるなよ。ここであんたを失ったら、俺達の負けだからな」
 三人は、武器を構える。
 それを見計らってか、二人は手をこちらに向け。
 伸ばした。
「うおっ!」
 咄嗟に、全員がその場を避ける。私も横へと飛んでかわした。顔をあげて後ろを見てみると、建物の壁に突き刺さった二つの腕が見えた。
「……うそ」
 言わずにはいられなかった。あんなのにぷっすり刺されたら、間違いなくぷっつり逝ってしまう。
「お互いに二対一か」
 傍らにいたホーネットさんが素早く体を起こして構えた。
 あの最初の一撃で、私達は丁寧に二分されたようだ。向こうではマスカットさんとアースさんが、ダークチャオを相手に接戦を繰り広げてる。
「……こっちは、ある意味タイマンですけど」
 私も立ち上がり、目の前に佇むヒーローチャオをそれとなく睨んだ。
 人類との和平を望まない天使の姿は、とても滑稽だと思う。それを笑う余裕さえあればいいのに。
 ヒーローチャオは、また腕を鋭利な刃にした。標的は……私だ。
「ちくしょおっ」
 伸ばされた手刀を、私は走って避ける。そして遠慮という言葉を彼方に投げ捨て、左手に持ったサブマシンガンを敵に向けて撃った。敵は私の放つ銃弾を容易く避ける。
 それに合わせて、ホーネットさんも銃撃をお見舞いし偏差射撃を行う。だが敵はそれすらも避け、姿勢を低くしてホーネットさんに飛びかかった。
「やるかぁ?」
 懐のナイフを取り出し、得意気に笑う。その様を見たヒーローチャオが、無表情に保っていた顔を歪めた。笑っている。歪んだ口は、嘲笑うように開き。
「無様な人間め」
 そして、刃がぶつかり合う。
 ヒーローチャオの高速の手刀は、ホーネットさんに攻める隙を一片も与えない。それでもホーネットさんは、それら全てをナイフ一本でいなし続ける。凄い男だ。あんな化け物相手に、あそこまで対抗できるなんて。
「……見てる場合じゃないか」
 大した戦力ではないと見られているのか、ヒーローチャオはこちらに意識を向けていない。その判断は恐らく間違っていないのだろうが、それでも私にとっては好機だ。
 銃を構える。ようやく手振れは収まってきた。これならヒーローチャオも狙い撃ちにできるかもしれない。ホーネットさんに当たらないよう、そしてヒーローチャオに悟られないように、手早く、確実に照準を合わせる。
 解放されつつあると言っても、未だプレッシャーが圧し掛かっている。車両のフロントを狙うのとは訳が違う。絶え間無く動きぶつかり合う的の、その片方のみを狙う。失敗は許されない。
 なるべく気負わない為に、私は無理矢理考えをポジティブに持っていく。
 大丈夫、今やってはいけないのはホーネットさんを撃つ事だけだ。なんだったら、最悪撃った弾をどちらにも当てなければいい。
 状況は悪くなるが、それでもフレンドリーファイアよりは確実に悪い結果にはならない。はず。
 考えろ。
 ホーネットさんが左。
 ヒーローチャオが右。
 ホーネットさんがいないのは右。
 ヒーローチャオがいるのは右。
 迷ったら。
 右。

 撃て。


 かくして、放たれた一発の弾は命中した。
 ――ヒーローチャオの、鋭い手刀に。
「何をしている」
 当たった。そこまでは良いのに。
 敵は弾を跳ね飛ばして、傷一つ負う事は無かった。
 あまつさえ、敵は攻撃の意思を私に向け、私の腹を蹴り飛ばし、手刀を私の首元へと添えた。
 この間、僅か二秒足らず。
「ユリっ!」
「動くな」
 ホーネットさんの駆け寄る足を、たった一言で止めた。
 私の一発は、確実に状況を悪化させた。こんな所で足を引っ張ってしまうだなんて。
「……ははっ、いいのかよ? そいつはお前達と同じチャオだ。不用意に殺すのは良くないんじゃないか?」
「不用意なのは貴様の態度だ。慎め」
 気迫のあるその言葉に一瞬怯むが、それでもなおホーネットさんは口を閉ざさない。
「なぜいきなりこんな場所で戦闘を起こしたんだ? 差し支えなければ教えてくれよ」
「我らが火種ではない。先に手を出したのは貴様達、低俗な人間ではないか」
「なら、さしずめお前らはガソリンだな。どっちも街中に放っておくのはあぶねぇもんだ。だから俺達が掃除しに来てやってるんだよ」
「我らが動かすのは、我らチャオの未来だ。貴様達の火種がなければ、こんな所で燃える理由など無かったのだよ」
 まるで変化球のような会話のキャッチボールだ。お互いに意図の見えない口の攻め合いは、さっきの接近戦の続きのようにも思える。
「だが、今までだってここまで大規模な部隊を動かした戦闘なんか無かった筈だ。一体何故」
「人間達の焦りであろう。不安の種が芽生えようとするだけで必至に摘み取ろうとする。なんと脆弱な生き物か」
「それに全力で対抗してるお前らも同じに見えるぜ」
「全力だと? 貴様達の目は節穴のようだな。我らの力、人間などに到底及ぶ筈も無し。全力など、貴様達の身には耐える事は愚か、戦慄する間も無い」
「良く言うぜ。どうせその力だって、元々はあのプロフェッサーが作ったものなんだ。結局は人間が作った力に頼り切ってるだけ」


 そこまで喋った途端、ホーネットさんの口が止まった。
 私の首に添えられた手刀が、無くなっている。
 目の前からヒーローチャオが消えている。
 ヒーローチャオはいつの間にかホーネットさんの元へと間合いを詰めている。
 ホーネットさんの脇から――血が、流れている。
 ホーネットさんが――刺されている。

「……この……猫、被り、が……」
「ほざけ」
 そしてヒーローチャオは、ホーネットさんを私の元へ投げ飛ばした。
「ホーネットさんっ!」
 急いでホーネットさんの近くへと駆け寄った。脇腹から血が絶え間無く流れている。
「すまん……たった、一人なのに、守れ……」
「もういい! 喋っちゃダメ!」
「俺は、いいから……逃げ、」
「黙れっ!」
 口の訊き方にも気を遣う余裕が無くなり、乱暴な言葉を叩き付けてしまう。しかしそれが効いたのか、ホーネットさんは荒く息をするに留まる。
 出血が酷い。これじゃ内臓を逸れていたとしても、あっと言う間に出血多量で死んでしまう。
「人間にはお似合いの姿だ」
 ヒーローチャオは、歪めた口を閉じようとしない。
「食物連鎖の頂点か……笑わせてくれる。人間など、ただ他の生物よりも狡猾故に、食物連鎖そのものを崩す邪魔な存在なだけだ」
 自らの手を流れる血を、ただじっと見つめる目は笑わず。
「そのような生物に、頂点に立つ資格など無い。真に頂点に立つべくは、痛みを知る者である我らチャオだ」
 そしてその目は、私の方へと向けられた。
「今ならまだ遅くはない。君のチケットも」
「断る」
 全て言い切る前に、私は既に口を開いていた。
「あまり軽率に答えを出さない方がいい。人類との共存など」
「断る」
「……君は考えるのは苦手なようだな。少し冷静になるべきだ」
「お前は人の話を聞けよ」
 怒りが恐怖を遥かに超えた事を、自分自身も理解していた。
 鋭い手刀を持つ化け物に対する私の防衛本能も、既に機能していない。
 今の私を抑えつけるものは、何もなかった。
「断るって言ってるんだ。お前のその態度を押し付けがましいって言うんだよ」
「君は何も理解していない。わからないのか? それでは我らに牙を剥いた挙句、尻尾を巻いて逃げた人間共と何ら変わりないぞ」
「何ら変わりないのはそっちだ! そんなに敵対したいなら、お前達だけでやってろ! 私達の平和な日常を何だと思ってるんだ!」
 怒りを露にする私を見るヒーローチャオの目は、怯むでもなく理解し難いと思うそれになっていた。
「平和だと? 人間の作り上げたこの世界が果たして平和に見えるのか?」
「ああ、見えるね。お前達がこんな馬鹿げた真似しなければな!」
「君は何か勘違いをしている。我も好んでこんな戦いをしているわけではない。それに言ったであろう、今回の火種は人間の側だ」
「勘違いしてるのはそっちだ、人間だのチャオだのの話をしてるんじゃない! 何が食物連鎖の頂点だ、そんなのくそくらえだって言ってるんだよ! そんなの好んで欲しがってるのはお前らだけだ!」
「必要なのだよ、それが。このままではチャオが人間に食い潰される日が必ず来る、そうなる前に」

 私は、熱り立った。
 戦ったってきっと歯が立たない。
 出し抜こうとしたって嵌められない。
 それでも、今の私のこの心が、折られる気なんて微細も感じない。
「今夜限りの付き合いなのに、この人は私を命を張って守った! それが私を食い潰すなんて事、あるわけがない!」


 思い返せば、恥ずかしい台詞を口走ったものだ。
 私のこの時のカチューシャは、常にマイクをオンにしていた。だから、その場にいた全員が私の言葉を聞いていたという事を聞かされて、私は真っ赤になる。
 まあ、それは後の話なんだけど。
 それでも私のこの言葉を聞いて、勝利の女神は既に私達に微笑んでいた。

「……残念だよ。君は既に、人間に汚されてしまったようだ」
 私の叫びを聞いたヒーローチャオの顔は、もう歪んではいなかった。最初の無表情だ。
 手刀を私に向け、言い放つ。
「せめてもの、手向けだ」
 その手は私へと伸びる。
 死神の鎌が、私の首へと迫ってくる。
 だけど死ぬつもりは無い。
 守られたこの命を無駄にしたら、あの世で顔向けなんて出来そうにないから。
 だから。
 間一髪で、避けた。

 私の頭脳が、勝利へ向けてフル回転する。
 懐に忍ばせた警棒型スタンガンのスイッチを入れる。
 それに気付いたヒーローチャオが、手刀を引っ込めようとする。
 だけど、逃がさない。
「なにっ」
 私はその手を、躊躇無く掴んだ。
 運良く峰の部分だったのが幸いして、怪我はしなかった。
 当然ヒーローチャオは想定外の出来事に戸惑う。
 もう、逃げられない。
 私はスタンガンを、手刀に向けて叩き付けた。
「ぐ、が、あああっ!」
 高圧電流が、ヒーローチャオの体を駆け巡った。
 頼む。このまま終わってくれ――。

「ふ、ざ――るなぁ!」
 だが、そこまでだった。
 高圧電流を耐え、それどころか私はそのまま振り払われてしまった。
 マズい、このままでは無防備だ。そう判断した頃には既にサブマシンガンをヒーローチャオに向けて撃っていた。
 それらはまたしても避けられる。電流の痺れが抜けきらないような動きながら、それでも迫り来る弾を掻い潜って私へと近付いてくる。
 頼む、一発でも良い。当たってくれ。

 弾は、ヒーローチャオの足を射抜いた。
 それを受けたヒーローチャオが呻き声をあげて膝を付く。
 でも、私は対照的に驚いていた。私が狙っていたのは上半身の方だった。だから、足に当たるだなんて。
「よお、俺達の事も忘れるんじゃねーよ」
 その声に、私もヒーローチャオも顔を向けた。
 自信満々な顔でライフルを構えるマスカットさんとアースさんがいた。
「ははっ、嫌そうな顔すんなよ。嫌味そうなタッグだったのはそっちだろうが」
 そう言えば、ダークチャオはどうしたのだろう。そう思って彼らの後ろを見ると、灰色の繭が見えた。
 勝ったのか、あれに。
「あまり私達を舐めてもらっては困る。お前達独り善がりのような連中に負けるほど弱くはないさ」
「きさまらぁっ!」
 もはやヒーローチャオに理性は残っていなかった。我を忘れて、手刀を二人に向けて伸ばした。
「あんま同じのばっかりだと飽きるんだよっ!」
 二人は苦も無く、左右に分かれて避けた。
「アース、しばらく相手にしていてくれ。私はホーネットの元へ向かう」
「任せな。お嬢さんに良いトコ取られちゃ顔無しだ。俺もヒーローになってやるぜ」
『残念だけど、ヒーロー候補はここにもいるよ』
 ふとそこで、通信の声が割り込んできた。
『遊撃隊二番パウ、到着! 本物のヒーローは、高いとこから遅れてやってくるんだよ』
 その場の全員が顔を上げて、建物の上を探す。
 果たしてどうやって移動したのか、現代では珍しくヒコウスキルに自信があるチャオだったのか。
 二人のテイルスチャオが、月を背にしてビルの上に立っていた。
『総員、全力で離れて! ヤイバ、貸して』
『あいよーぉ!』
 その言葉を合図に、私達はとにかく散った。私もアースさんも、ホーネットさんの肩を持ったマスカットさんもばらばらにだ。ある意味格好の的だったが、ヒーローチャオは運良くパウさんへと意識を向けていた。

『六分経った!』
 そして、勝利宣言が舞い込む。
『敵の電子機器を全てダウンする事に成功! 今がチャンスだ!』
『よし、発射ぁ!』
 最高のタイミングで、パウさんはロケットランチャーの弾頭を放った。当然、ヒーローチャオはそれを見て走り出す。爆風から逃げる為だ。
 だが、その弾頭が地面に到達すると共に、計り知れない轟音と熱が押し寄せてくる。
「うわっ、なんだあの火力は!?」
「おい、炎がどんどん広がるぞ! 一体何を打ち込んだんだ!?」
 その声につられて私も振り返って確認した。
 凄い光景だった。まるで導火線でも引かれてあるかのように爆風が広がり続ける。それに飲まれたヒーローチャオが焼かれている。
 そして厄介な事に、その爆風は私達にも迫ってきている。
「おい、飲み込まれる――」
 マスカットさんが叫んだ頃に、私達の真後ろから水柱が噴出した。
 水柱は魔法陣をなぞるかのように円形を描き、それらは高い壁として爆風を包み込む。
「パウさん、やり過ぎですよ」
 その壁を作ったのは、たった今到着したリムさんだった。
『ごめんリム、つい勢いに乗ってフルファイアしちゃった』
「まぁ、間に合って良かったです」

 そこから、私の耳に入る言葉はほとんど無かった。
 耳に聞こえる勝利を喜ぶ声は、私の耳を綺麗に通り過ぎていく。
 勝った。その実感は、私にはあまり湧かなかった。
 ただ、水の向こうに広がる炎の光景が印象的で。


 私はいつの間にか、意識を失っていた。
引用なし
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No.14
 冬木野  - 10/10/10(日) 15:59 -
  
 ……眠い。
 夢の中にいる感覚がする。
 所謂明晰夢という奴だろうか。
 でも、とてもリアリティを感じる。
 私の目を、何かが刺激している。
 涙を流している感覚も感じる。
 泣いてるのか、私は。
 何故だろう。


 ただ煙いからだった。

「あ、起こしちゃいました?」
 なんか猛烈に涙を流しまくる目を擦っていると、知っている人の声が聞こえた。
「えーっと、リムさん? 何してるんですか?」
「ごめんなさい、一応窓は開けてあるんですけど」
 なんとか目を開けられるレベルにはなり、状況確認を行う。
 開かれた窓から明るい日差しの溢るる見慣れた部屋……なんか情景描写みたいだけど、要約すると朝方の所長室だ。
「昨日はいろいろと忙しかったから、みんな事務所で寝泊まりしてたんです。あ、良くある事なんですよ。みんな勝手にお泊りセットを事務所内に仕込んでますから」
 なんだか物々しい言い方だと思ふ。
 と、その話は特に気にせず、私の涙腺を刺激してやまない煙の正体を探る。それはリムさんの目の前にある鍋だった。事務所の中央に位置する机を占領し、一口コンロという名の火山の上で煙を吐き続けている。
「なんですか、それ」
 訝しげな顔をして聞いてみると、リムさんは胸を張って答える。
「事務所きっての、お持て成しメニューです。あ、その手の物好きじゃないなら食べちゃダメですよ」
 これまた物々しい言い方である。ちょっと覗いてみようかと思ったけど、あまりの煙の猛攻により進軍を断念。というより、これほどの煙を窓から出したら消防署の人来ちゃうんじゃないか。
「来るわけないじゃないですかぁ。ここ最近消防署の人とは会った事ありませんよ?」
 ……あぁ、納得した。煙程度じゃ誰も駆け付けないんだよな、ここって。
「で、他の人達は?」
 今の部屋の中には、私とリムさん以外は誰もいない。気になった私は、リムさんにその所在を聞いてみる。
「下の階でお仕事中です」
「お仕事って?」
「拷問ですよ」
 ――その言葉一つで、寝惚けた私の頭はすっかり覚醒してしまった。
 昨日は酷い一夜を過ごしたんだった。その出来事はあまりにも現実味が無くて、こうして過ぎ去った後に思い出してみると何もかもが夢の中の出来事みたいだ。きっと今頃、捕虜として確保した人間かチャオに情報でも聞き出そうとしてるのかもしれない。
 事務所の裏の顔みたいなものを知った身としては、来てはいけない場所に来てしまったと思う気持ちが強くなっている気がする。いつかにパウに「良い職場だ」とかのたまった何も知らない私の目を覚まさせてやりたいくらいだ。

「ただいまーっ」
 そこへ晴れやかな顔で帰って来た子が一人。ハルミちゃんだ。
「お帰りなさい。ちゃんと買ってきました?」
「はいっ、頑張りました!」
 そう言って、今にもはち切れんばかりのデカいビニール袋を机にどんっと置いた。
 とりあえず、圧倒される。
「なんぞこれ」
 思わず口も汚くなる。
「それじゃあ、これとこれをミキサーで混ぜておいてくださいね。そしたらまとめて鍋の中に入れますから」
「はーいっ」
 下で拷問が行われているという事実を知ってか知らずか、この二人の顔と言ったらそれはもうにこやかに笑っていた。凄く楽しそう。
 一体全体何が楽しいのか。そう思いつつ、ハルミちゃんがビニール袋の中身をばばばっと取り出して手際良く分けている様をぼーっと見てた。

 なんか、唐辛子とかタバスコとかいっぱいあった。


「くっ、いい加減にしろ! 私は絶対に吐かなむわああああああああ」
 扉の前にやってきただけで、どこかで聞き覚えのある声が、パーティゲームの黄色い貴公子みたく叫ぶのが聞こえてきた。
「……あの、拷問ってひょっとして」
 リムさんの手の中でぐつぐつと煮え滾る、血よりもグロい赤い鍋物を見ながら、恐る恐る聞いてみた。なんつーか、この鍋も直視できたもんじゃないけど、リムさんとハルミちゃんの笑顔も直視できない。
「はい! 小説事務所の拷問スタイルは、事務所特製の激辛お鍋サプライズ! 私が考えたんですよ〜、えへへ」
 君か、ハルミちゃん。
「ちなみに辛いのが得意な人用に、激苦お鍋や激甘お鍋も用意してあります。ただ、激甘お鍋がなかなか美味しく仕上がらないんですよねー。ハーゲンダッツ以外にマッチする食材がなかなか……」
 なんっすかリムさんその口振り、あんた試食してるんっすか。美味しく食べれるんっすか。味覚どうなってんすか。
「なんか、知ってる事より胃の中の物だけ吐きそうですね……」
「あら、効果はばつぐんですよ? 誰でもお腹が減ると嫌になりますけど、必要以上にお腹いっぱいになっても嫌になるんです。だから、両方とも吐きますよ」
 両方ってなんすか。汚ない方も吐いちゃうんすか。
「必要な情報も手に入って、誰かのお腹も満たされて、お店の人も儲かって、一石三鳥!」
 ハルミちゃん、その石じゃ頑張っても二鳥しか落とせないよ。だって吐いちゃうんだもん。
「そういうわけで、追加の品をお届けに参りましたー」
 そういうわけで、地獄よりも辛くて辛い拷問室の扉が開いた。
 簡潔に情景描写すると、昨日私が戦ったあのヒーローチャオが黒髭危機一髪みたいなサムシングに固定され、その目の前でパウとヒカルが満面の笑顔で「はい、あーん」とかしてて、その後ろでミキが手にした二つの空鍋を持て余し、そのまた後ろではカズマとヤイバが「リア充爆発しろ!」とか野次飛ばして、その後ろで所長が寝転がってた。
 一言でまとめると、シュールである。
「なんぞこれ」
 言うしかなかった。
「あ、リムさんハルミちゃんありがとー」
「ユリ、君も一緒にやってみない? 面白いよ」
 その言葉をなるたけさらりと聞き流し、顔中(特に口)を真っ赤にしたヒーローチャオを見てみた。
 あの爆撃を食らって生きてたんだとか、今日会ったが百年目とか、そんな気持ちが全然湧いてこない。あれだけ高慢ちきな態度を取っていた昨日の面影はどこへやら、目の前にいるのはなんか涙腺を刺激されてナイアガラの涙を流すヒーローチャオがいるだけだった。
「はい、あーん」
「やめろ! そいつをそれ以上私の口に近寄らせぐあああああああああ」
「ヒーローチャオがやられたようだな……」
「ククク……奴は激辛四天王の中でも最弱……」
「激辛マニアも耐えられぬとは激辛四天王の面汚しよ……」
 なんか急におかしな掛け合いをしだしたカズマとヤイバに、ノリノリでハルミちゃんも参入しだす。なんなんだアンタら。
「ちょっとカズマ! ハルミちゃんにおかしな事吹き込むなって言ってるでしょ!」
「えー」
 まるで自らが拷問を行っているとは思えないくらい、日常的な口調で会話をするヒカル。その手の先に血よりもグロいアレを乗せたスプーンがあるというのに、ああもうどこからつっこめばいいかわからない。
「ごふっけほっ、きさまらそれ以上ふざけた真似うぼああああああああああ」
「ユリー、スプーンまだまだあるからさー。ほら」
 そう言ってどこからともなく三本ほどスプーンを取り出されたもんだから、思わず私も一本貰ってしまった。その頃ミキはマヨネーズを片手にヒーローチャオの口をあんぐり開けさせ、その中に大量にマヨをぶち込んでいた。
「ちょ、なにしよんど」
「マヨネーズは口に残る辛味を消す事ができる。つまり、感じている辛味をリセットしている」
「なしてそないな」
「新鮮な気持ちを、あなたにも」
 口調が崩れまくった私も私だが、なんかCMで聞きそうな言葉を口走ったミキもミキだと思う。
 意を決して、血よりも以下略なそれをスプーンで掬ってみる。鍋物とか言っておきながら、想像以上にドロドロしまくっている。なんの液体だよこれ。
「100%タバスコ」
 死ぬ。それ死ぬよミキちゃん。
 何はともあれ、そこいらの小火器なんか話にならない凶器を片手にヒーローチャオと面を合わせる。
 昨日対峙した時は恐怖しまくった相手だと言うのに、黒髭よろしく樽みたいなもの詰めにされて、樽では無く口にナイフ以上のブツをぶっ刺されているのだから、恐怖する筈がない。
「……同情します」
「ふんっ、貴様に情けをかけられる覚えはない。昨日私に向けてこっ恥ずかしい啖呵を切った者と同じとは思えぬわああああああああ」
 なんか聞き捨てならない事を言われた気がしたから口を塞いでやった。ざまみろ。
「うわぁ、やりおったー。この事務所ったらどんどんドSな女の子が増えうんだばだああああああああああ」
 なんか聞き捨てならない事を言ったヤイバがいたからヒカルがやってしまった為、ヤイバが必至こいてマヨをちゅーすこした。それを尻目に、私は血より以下略をヒーローチャオの口に詰め込む作業に没頭した。
 悔しいけど、楽しかった。


「なんだって?」
 所長から疑問の声が漏れる。
 あれから数十分ほど鍋パーティを継続していたのだが、とうとう我慢の限界を超えてしまったのかヒーローチャオは泣きながら情報を話し始めるに至った。その様がまるで隠し事を渋々話す子供のようで、やっぱり同情してしまう。
「だから、この事務所の地下にあるあの装置はただの失敗作なんだと言っているんだ」
「え? え? 何の話?」
 何を言っているのかわからない、という顔をしているヒカルとヤイバ。
「空想再現装置って奴。この事務所の地下にあるんだけど」
「ちょっと、なんであんただけ知ってるのよ?」
「そうだぞテメー、知ってんならはよ言えやコラ」
「ちょ、僕だって昨日知ったばっかめだああああああああああ」
 本人の都合はお構い無しと、二人は容赦なくカズマの口にアレをぶち込む。本人には悪いけど、こっちに被害が飛ばなくて安心した。
「あれ、ハルミちゃんは知ってたの?」
「はい、リムさんに教えてもらいました」
 そう言うハルミちゃんの顔を見ながら、あれの危険度ちゃんと認知してるのかなぁと疑問に思う。というより、所長が隠せって言ってるのに長い付き合いのリムさんすらバラすって。
「なんであれが失敗作なんですか?」
 怪訝そうな顔で問い詰めるリムさん。だが私はその様を怪訝に思うしかなかった。だって彼女、アレ食ってるんだもん。マジで食ってるんだもん。大丈夫なのあの人。いろいろと。
「あいつは元々、BAL用の人工チャオに能力を付加させる装置の応用なんだ。まだ我々の組織が「BATTLE A-LIFE」だった頃に、人工ではないチャオや、あわよくば人間にも能力を付加させられないかという狂った発想さ」
 その辺りについては、所長自身からも聞いた。望んだ力を手にする事ができる悪魔の兵器というフレーズが、私の頭に残っている。
「なんで失敗作なんだ?」
 リムさんと同じ質問を所長が繰り返す。それに文句を言うほど舌に余裕がないらしく、ヒーローチャオは大人しく続きを話す。
「簡単な話だ。能力の付加に成功しなかったんだよ。これまで通り人工チャオには能力を付加できたが、普通の人間やチャオにはできなかった。組織全員を装置の実験台にし、更には一般市民をも誘拐して試したが、成功したのはその中の一人や二人程度だった。成功例と失敗例の違いもわからず、結局装置は失敗作として放置された」
「ふーん」
 と、私は特に重要そうとも感じずに話を聞いていた。カズマ達や他の面々もそういった表情をしていて、思う所は同じだった。結局自分達には関係のない装置なんだなーと。

 だが、ある三人の反応は大いに違った。
「……おい、そいつは確かなのか?」
 所長の、いつになく低い声が部屋に響く。
「ああ、そうだが……何か問題でもあるのか?」
 ようやく辛味が抜け始めたのか、少し余裕のある表情を見せるヒーローチャオ。
「本当に間違いはない? よく思い出して」
「一体なんだ? 確かにあれは失敗作だ」
「嘘は言ってませんか? ちなみにまだまだ残ってますよ」
「お、おいやめろ! 嘘は言ってない! あれはただのガラクタだ、本当だ!」
 パウとリムさんに迫られ、その表情からまたも余裕が失われ必死になるヒーローチャオ。私達がその様子を怪訝に思っているのをよそに、所長達は顔を見合わせる。

「……そうか」
 所長はその一言だけ言って、部屋から出ようとした。二人はそれを引き止める。
「ゼロさん、違います。私達はっ」
「いや。こいつの言葉は嘘じゃない。これが本当なら……きっとそういう事なんだろう」
「ゼロ、偶然だ。きっと僕達は」
「やめろ、パウ」
「でもっ!」
「言いたい事はわかる。だが「BATTLE A-LIFE」のかつての組織人口は知っているだろう。……こんなところに、偶然の産物が三つも集まる筈がない」
 そんな意味深な言葉を残して。
 所長は、部屋を後にした。
「ゼロっ!」
 それを追いかけるパウとリムさんも部屋を出て行き、部屋は静まり返った。
 残された私達は、顔を見合わせる。
「ねぇカズマ、何の話かぜんっぜんわかんないんだけど」
「僕にだってわかんないよ。昨日聞いたばっかだって言ったじゃん」
「ミキ、何か知らない?」
「何も」
 状況に付いて行けないまま、一同が溜息を吐いた。
 ――一人を除いて。
 私がそれに気付いたのは、その一人があまりにも思いつめたような顔をしていたからだった。
「ハルミちゃん?」
「へっ?」
 私の呼ぶ声に、ハルミちゃんは目に見えて驚く素振りをした。一同の視線がハルミちゃん一人に集中し、当の本人は慌てふためく。
「ハルミ、何か知ってるの?」
「あの、その、別に何もっ」
「何もって言われても……どう見ても何か知ってるようにしか」
「そ、そんなぁ」
「そんなぁと言われてもね」
 カズマがつき、ヒカルがこねしハルミ餅。立つがままに食うがヤイバ。
 ……いや、別にそれがどうしたとか言われてほしいのではないが、なんか状況的にそんな感じになったので思わず。とりあえずつかれてこねられて、ハルミちゃんはどんどんと挙動不審になっていく。
「……言えません」
 仕舞いには、顔を俯かせて弱々しく一言放った。
「あの人達があんな様子じゃ、勝手に教えちゃいけない……そう思うから」
「……ああ」
 誰の声かは小さくてよくわからなかったけど、私達はそんな弱い納得の声に同調せざるを得なかった。
 あそこまで思い詰めた様子の三人を見てしまえば、そっとしておくべきだとも思う。お節介な心を先行させて、他人の心に土足で踏み込んで荒らしてはいけない。この場の全員は、そう考えた。
 勿論、私も最初はそう考えて、追及する事をやめようとした。他の面々の沈んだような表情を見回しながら。
 だが私は、その中の一人の無表情な顔を見た途端にその考えを改めた。


 ――あの人は、そういう人。


 逸早く決断し、私は真っ先に部屋の外へと向かう。
「ユリ、どこに行くの?」
 ヒカルの呼び止める声に、私は迷い無く返した。
「本人達に聞いてくる」
「だ、だめですよっ。そんな事しちゃ」
 当然、真っ先にそれを止めさせようとしたのはハルミちゃんだった。彼女の良心が、顔にまで浮き出ている。
 私は努めて笑顔を作った。
「大丈夫。このまま黙り続けるあの人達じゃないから」
「ユリ、今回ばかりはよそう。あの様子は普通じゃない。俺達もあんな姿は見た事がない」
「ヤイバ、もしあれが本当にあの人達の思い詰めた様子なら、それは私達に弱味を見せたって事だ」
「……弱味?」
「そう。つまり私達を信頼してるから、あの場面で所長としての面子を保たなかった。それなら私達のする事は、孤立無援なあの人達に手を差し伸べる事」
 口から思い付きの、しかし確信のある出任せを喋り倒し。
 保険を得るべく、彼女の声を聞く。
「そうでしょ、ミキ?」
 声は無く。
 しかし彼女は、その首を縦に振ってくれた。


「お、おい! 貴様らどこへ行く! いい加減に解放しろ!」
 努めて無視した。
引用なし
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No.15
 冬木野  - 10/10/15(金) 3:56 -
  
 静かな時間だ。
 誰も口を開かず、その視線は同じラインを辿る。
 一人は熱心に。また一人は顔をしかめ。またある一人は呆れ果てて。
 それでも、眼は止めない。
 二人は、そんな私達を黙って見つめていた。
 表情は見なかった。だけど、その顔は憂鬱に染まった笑顔なんだろうと、その場のみんなが理解していた。

 やがて、私達の視線はピリオドへと到達。
 私はボロボロのノートを閉じた。


「感想はある?」
 パウが、私達にそう聞く。
 私達は顔を合わせる。みんなはもう、言うべき感想を一言にまとめ終わっている事だろうけど。
 私はまだ、差し出されたそれの味を深く噛み締めている。

「小学生の駄文」
「子供の妄想」
「焚き火の材料」
「期限の迫った宿題」
 カズマ、ヒカル、ヤイバ、ハルミの順に感想を述べ終えた。ちなみにミキはだんまりだ。
 まぁ、妥当な感想だと思う。私も捻りを利かさずに言えば同じような感想を出す。
 ――ただ。
 ミキはともかくとして、という顔で四人は私へと視線を移す。
 ただ、私はこれが書かれた理由、そして願望をほんの少しだけ感じ取れた。ような気がする。
 だから、私は違う感想を言った。

「……願望の不完全な再現」

 その場の全員が首を傾げた。
「どういう意味ですか?」
 リムさんがみんなの疑問を代表する。
「えっと、確かにこれはみんなが言うように子供が書いたような文章ですけど」
 なるべく伝わりやすい言葉を探そうと唸る私に、みんなが注目した。なんだか口が重くなるような錯覚を感じる。
「それをわざわざ文章に起こした。つまり、えっと、未熟な手で世界を作り出した……みたいな」
 ははは、と乾いた笑いが漏れた。カズマ達はやっぱり首を傾げたが、パウとリムさんは不出来な私の言葉を理解してくれたような微笑みを見せた。
「確かにそうだね。誰にでも望む世界がある。憧れる世界がある。これはそんな物語の一つとして書かれていたに違いない」
 私達の読み終えたボロボロのノートを受け取り、もはや読めなくなったタイトルが書かれた表紙を撫でるパウ。その笑顔には、やはりどこか哀愁が漂う。
「僕達はきっと、そんな世界で神を満足させる為に用意された役者なんだろう」
 その言葉に、私達は確かな重みを感じた。
「役者……ですか」
「ええ。……ずっと、そう信じてました」
 視線を床に落とし、振り返るように語るリムさんの口振り。なんだか、居た堪れない。


「私達はこのノートの世界の住人だった、と」








 所長室に向かった私達を出迎えたのは、所長を除く二人の思い詰めた顔だった。
 意を決し、事情を話してもらおうとやってきた私達に、二人は一冊のボロボロなノートを手渡した。
 それは小説だった。内容は至って単純なもので、週刊誌に載っているような冒険ものの漫画の世界を子供が頑張って書いてみたようなものだ。
 私達の予想を裏切らず、中身はとても上手とは言えない。読み慣れたライトノベルとは遠く及ばないレベルの文章は、書き手がまだまだ年端も行かぬ子供だという事がよくわかる。
 ただ、それでも私達の目を引いた。
 その物語の登場人物が、所長達だったからだ。
 素人の書いた幼稚な世界で、所長達は武器を手にし、魔法を駆使し、迫り来る敵と戦う姿が、確かに書かれていた。
 驚きを心の中に秘め、私達は物語を読み進める。
 そして物語は、中途半端な所で途切れてしまった。


「最初に『ここ』で目が覚めた時は、僕達は違う世界に来たんだと思った」
 私達の半信半疑の様子をよそに、二人は過去を話し始める。
「地下にある再現装置に関する資料を漁りに漁って、それがどんな代物なのかを理解した僕は、全ての理由をその機械のせいだと仮定したんだ。空想再現装置が世界の壁を切り開いて、僕達を呼び出したとね」
「そんな事ができんの、あれって?」
 当然の疑問を吐くカズマに、リムさんが答える。
「私達も最初は疑問に思いました。けれど、私達の知ってる世界とは違うと感じて、そう考える事しかできなかったんです」
「元々あれは普通の人間やチャオに能力を付加させるもの。僕も見つけた資料からそういう機能があるとわかったんだけど、結局は端々の資料だったから過大評価をし過ぎたみたいだ。あの装置は天変地異レベルの事もできる、とね」
 そこで溜息を一つ挟んで、続ける。
「……そんな恐ろしい物が、こんなチンケな場所で放置されている事自体が有り得ない。その事実もわかってたけど、僕達は世界を越えた事を信じた。このノートの中みたいに、何度か経験ならしていたからね」
 ちょっと振り回しただけで破れそうなノートを、彼女は机の上に丁寧に放り投げた。
「私達はむしろ、今まで原因不明だった現象をようやく突き止める事ができると思って、あの機械を作った張本人を探す事に躍起になりました。誰も使わなかったここを何でも屋にしたのも、それが動機です」
「――本の世界より出で、その扉を本に隠す。だから小説事務所だって、ゼロが考えたんだ」
 その事実を聞いて、私達は顔を見合わせた。このタイミングで三人が何でも屋を始めた理由を知る事になるとは思わなかった。
「だけど……今はシャドウだっけ。ゼロの義兄さんは僕達に黙っていなくなって、いろんな組織を転々とするようになった。恐らく、彼だけは可能性を否定したんだろう。僕達は世界を跨いだのではないのかもしれないとね」
 リムさんは来客用の椅子から立ち上がり、活気溢れる人達が見える窓辺へと歩く。
「……気付くのが遅すぎました。きっと義兄さんは、私達よりも早くその事実を知った筈です。だからゼロさん、今頃は義兄さんに文句を言ってるに違いありませんね」
 その遠い目に映る光景は、彼女の心にはどう感じ取られているのか。私には、想像がつかない。
「少し、歳を取ったみたいです」
 私達の心配をよそにリムさんはそう呟いて、パウさんも相槌を打った。
「多分、ゼロも少しづつ気付いてたのかもしれない。この部屋で寝たきりでいる理由も、きっとそれなんだろう」
「理由って?」
 ある意味、所長の寝る姿を一番見慣れているであろうヤイバが反応した。
「たまにね、ゼロが僕達に話すんだ。昔の夢を見たって」
「夢?」
「うん。僕達が冒険している姿を見るんだ。それと、ゼロがまた違う世界にいる時の夢も。それを話してるゼロの顔と言ったら……きっと悲しそう、だったのかな」


 ――変わっちまったな、俺。


 所長が暗い顔で眠る姿が、椅子の上に現れたように錯覚した。

「そんなゼロさんの姿を見て、私達も同じ事を考え始めました。私達はただ、作り出した可能性に縋っているだけじゃないかって」
 リムさんは勝手に所長の椅子に座って、彼が頭を乗せて眠る机を撫でる。その姿が、所長の眠る姿の幻影と重なる。
「その頃に、ゼロはいきなり「魔法を封印する」って言い出したから、僕達もそれに従った。それが最初にあの装置を使った時だ」
 そして先週、私がまだ暗い自宅に閉じこもっていた頃に解禁した。それが二回目の起動という事になる。
「動機はわからなかったけど、今はわかる。ある日入手した情報に、BALに関する記述があったんだ。僕達はなんとも思わなかったんだけど、きっと所長はあの装置とBALの繋がりに気付いて、あの装置がBALにしか適用されないのかもしれないという可能性に至ったのかもしれない」
「それを知らなかった私達は、暢気にも装置は動くんだと確信を得ました。だけど対照的に、ゼロさんは浮かない顔でした。それが何故なのか……今になって知るとは思いませんでしたけど」
 そこまで話を聞いて、私は他の傍聴人の顔を窺ってみた。
 みんな浮かない顔をしている。もう結論がわかってしまったのかもしれない。
 それは私も同じだった。
 信じたくない。きっとみんな、そう思っているのかもしれない。だけどそれを否定する為に手にした事実は、私達を裏切った。

「……僕達は、このノートの世界の住民を模して造られた偽物なんだ」

 そして真実は、私達に鉄槌を振り下ろした。








 本棚のように立ち並ぶサーバー。
 バベルの塔のようにそびえ立つ演算装置。
 私達は、それを見上げていた。
 望んだ世界がある。
 憧れた世界がある。
 その理想は。
 善か。
 悪か。
 どちらに染まったものかはわからないけど。
 この装置はきっと、誰かを満足させる為だけに空想を提供した。
 そしていつしか、誰もがここに足を運ぼうとはしなくなった。


「机上の空論」
 おもむろに呟いたのは、珍しい事にミキだった。
「この装置が演算したのは、全て空想である。全てはその一言にまとめられるということ?」
 更に珍しく、彼女の言葉には疑問符が含まれていた。それに答えたのは、皮肉そうな顔をしたリムさんだ。
「そうかもしれません。思い付きで空想再現装置なんて名付けちゃいましたけど、間違ってなかったんでしょうね」
「そうは思わない」
 真っ先にその言葉を切り捨てた――彼女で言うなら叩き飛ばした、か――のは、ヒカルだ。
「確かに世界を跨いだなんて可能性はないかもしれない。でもリムさん、私はむしろあなた達が偽物であるという事が信じられないわ」
「それは、慰めの言葉?」
 パウさんの言葉は、酷く冷たく感じた。ヒカルの熱のこもった言葉があっさりと冷め、口を閉ざしてしまう。
「違います」
 信じたい。
 ハルミちゃんの凛とした言葉が、それを物語っていた。
「所長さん達がこの世界へと呼び出されたって事を否定する材料は出てきました。でも……でも、所長さん達が人工チャオである可能性を否定する材料だってあります!」
 その顔はとても強い意志を感じた。でも、ちょっと突けばすぐに壊れてしまいそうで、見ているこっちが堪えられなくなる。そんな風にも見えた。
「もし所長さん達が本当にBALとして造られたなら、何もノートの世界の住人である必要はないと思います!」
「わかってるよ、勿論」
 でも、パウは容赦なく突いた。
「もし僕達が本当にBALなら、こんな余計な記憶はいらない」
「それなら――」
「だけど」
 昨日、魔法の爆炎を呼び起こした彼女とは思えないほどにその声は冷え切っていた。その様に私達は圧倒され、精一杯の反論は喉から飛び出さない。
「ゼロが言ってただろ? こんなところに、偶然の産物が三つも集まる筈がない」
 そして、凍らされる。

 奇跡の魔法を操った三人でも、偶然を信じない。
 何故だ。
 起こらないから、奇跡。
 誰も期待しないから、偶然。
 そんな冷たい事実があってたまるか。
 信じるからこそ、奇跡は起きる。
 それすらも信じないから、偶然が助ける。
 昨日私達は、奇跡を信じて戦った。
 奇跡たるこの人達は、世界を渡る偶然を味わってきた。
 それらは全て、後に必然と知る。
 奇跡と片付けるな。
 偶然と忘れ去るな。
 この人達は、そんな言葉と共に安易に葬られるべき人達じゃない。
 この人達は、私が葬らせない。


「……偶然じゃなきゃ、いいんですよね」
 そう決断した時。
 私は一歩を踏み出した。
「どういう意味だい?」
 パウの氷の声が、私の心を撫でる。
 構うな。
 これを溶かす炎は。
 還るべき水辺は。
 そして止まる事のない風は。
 彼らの中に眠っている。
 いい加減起こしてやらないと、このまま永遠に眠り続けてしまう。
 それだけは、絶対にさせない。
「確かにこの装置に偶然は有り得ない。だけど、ノートの世界の記憶を否定する材料としては弱い筈です」
「本当にそう思ってくれるのなら嬉しいですけど……だからってあなたは偶然を信じるんですか?」
 リムさんの声すらも冷え切っている。
 私が、溶かさせてやらないと。
「いいえ、信じません」
「……どういう事ですか?」
「あなた達こそ、どういうつもりですか?」
 猪突猛進の如く、無理矢理言葉に覇気を加えてみせる。二人の顔は、私の言葉に込められたものに気付いてか浮かない顔をあげつつある。
 うまくいってる。口から出まかせでも構わない。この場は、このまま押し切るんだ。
「あなた達は、本当に歳を取ったみたいですね」
「言葉の意味を理解しかねるけど……」
「簡単な話です。考え方が歳を食ってるって言いたいんですよ」
「ユリ、ちょっと……」
 この空気を険悪と感じたか、カズマ達が止めようとする。だけど、ここで止まってはいけない。
「まるでこの世の終わりみたいな顔をしないでください。あなた達は、本当に諦めるつもりなんですか?」
「諦める?」
「このまま歩みを止めて、鬱な毎日を貪るように過ごして、腐ったように灰色の繭の中で一生を終えるんですか?」
「おいユリ、もうよせって」
「みんな、いい」
 私を制止するみんなを止めたのは、パウだった。
「……君の目には、どんな未来が見えているんだ?」
 投げかけたのは、その一言。
 考え込むな。迷わずに答えろ。私が立ち止まれば、この人達も立ち止まってしまう。
「何も見えません」
「それじゃあなんで、君は諦めないんだ?」
「何も見えないからです」
「それ、答えになってるんですか?」
「なっていますとも。むしろ、これを答えに思わないあなた達がお話になりません」
 理解し難い私の様子を見てどう思ったか、二人はだんだんと固い表情を緩め、首を傾げる。
 今なら、この一撃が効く。
「何を知った気になっているんですか? 私達はこの装置が、結局は人工チャオと謎の例外にしか適用されない装置だという事を知っただけです」
「それが事実ではない、って言うの?」
「違います。これは事実の一つに過ぎない」
 この言葉で、二人の眼に小さな火が灯ったように見えた。
「確かにあのヒーローチャオの言った言葉は嘘じゃないかもしれない。だけど、それは事実の全てではなく、ほんの一部です。あいつは例外的に能力の付加に成功した人間やチャオは一人や二人程度、その理由は知らないと言いました。その理由を追及せずに、ここで止まっては無駄足も良いところです」
「それがどう世界を跨ぐ理由に繋がるんです? それこそ無駄足ではないんですか?」
「そんな事は、私には微細もわかりません。だけど、あなた達の記憶を偽物扱いして、世界を跨ぎに跨いだという状況証拠を蔑ろにするべきではない」
「でも、どう希望観測したってこの装置は世界を超えられない。その事実はねじ曲がらない。それは間違いないんだ」
 ――はっきり言って、私はここで限界だ。
 だけど、ここまで啖呵を切っておいて、ここで引いてしまったどうする。
 誰も助けられないまま終わるのか?
 今なら助けられる。
 私なら助けられる。
 私は、助けたい。
 もう私の目の前で、その人の世界が灰色に包まれるのを見たくはない。

 ――彼だって、そう望んでるから。だからこそ。
「じゃあ、あなた達は所長を裏切るんですか!?」
 叫んだ。
 私の声は。
 本棚に残され。
 バベルの塔を駆け上がった。


「……ゼロ?」
「ゼロさんを、裏切るって……」
 もう、理屈が出しゃばる時間じゃない。
 ここからは、心がものを言う時だ。
「ゼロは、諦めた。あの顔を見ただろう?」
「まだ諦めてなんかいません! あの人は、簡単に過去を見捨てる人じゃない!」
「あなたが何を知ってるって言うんですか、あんまり口から出まかせばっかりだといい加減」
「怒りたいのはこっちです! あの人はこんなチンケな事実を目の前にして、自分の信じるものを曲げたりはしない! あの人自身が、私に向かってそう言ったんです!」
 私が過去に足を掬われて倒れたあの日、所長は私の手を取って、立ち上がらせてくれた。
 ただ、私はそのありがたみを知るのが少し遅すぎた。何故なら所長は、私を立ち上がらせただけで手を引いてくれはしなかったから。
 それは何故だ。
 所長は、そんな力を持っていなかったからだ。
 信じるものは自分で見つける。自分のルールは自分で決める。正しい事も、間違った事、それらの絶対はこの世には存在しない。
 この言葉は、彼にとっての真実だ。
 彼は何が正しいか、何が間違っているか、何もわからない。身近にいる人の言葉も、有名なあの人の言葉も、いつ如何なる時も絶対に正しいなんて事はない。
 だからこそ彼は、強大な力を持つ様々な組織に属する事無く、小説事務所の所長として生きる事に決めた。
 縋るべきものがわからないなら、せめて自分の足で進むしかない。彼は間違いなく、そう決めた筈だ。
 だって、もう彼の背中は遠ざかっているのだから。
 ふらつく体を引きずって、今もなお歩いている。
 だから。
「そんな彼を、唯一身近にいる私達が裏切るなんて事ができますか!?」


 ――――……。


 誰も、口を開こうとしない。
 みんなの中でどんな葛藤が起きているのか、私にはわからない。
 沈黙に支配されるというのは、こういう事なのかもしれない。見えない力でも働いているかのように、誰もがどう切り出せばいいのかわからないようだ。
 私にも、続く言葉はなかった。全部吐き出してしまったから。
 待っているしかない。

 ふと、ボロボロのノートを持っていたリムさんがそれに目を落とした。
 それに気付いたみんなの視線がリムさんに集約される。それはある種、重い沈黙に耐えかねた行動だ。

「一つだけ、聞きたい事があります」
 突然の質問だった。だからそれが誰に向けられたものかと認識するのに少し時間がかかって、私は心底焦った。
「何故そこまで、私達の事を信じてくれるんですか?」
 とても簡単な質問だった。
 それなのに、さっきまでの私の勢いはどこへやら。私は言葉に窮してしまった。
 ただ一心に、彼らを見捨てる事ができないと思ったから――そう言えばいい筈なのに、私の理性は空気を読まない。リムさんの問いは、私の声となって再び反復する。
 何故そこまでして信じる?
 確かに短い間にいろいろあったが、果たしてお互いに信頼し合う関係だと、本当に思っているのか? 結局は同じ職場の同僚でしかないんじゃないか?
 いや、それだけならまだしも彼らは私を危険な場所に招いた張本人達だ。ここで情を移してしまえば、私の身の保証はされない。一時の感情に流されて、そんな事をしていいのか?
 そんな囁きが、耳元から聞こえてくるようだ。
 理屈と激情が、私の中で葛藤している。
 なんて言えばいいのか、わからない。

「臭い台詞だけど」
 力強い言葉が響く。
「私達はただの同僚じゃなくて、家族だと思ってるから」
 だけどそれは、私の言葉ではなく。
「拾ってもらった恩だってあるしなぁ。信じないなんて言うほど俺も根性腐ってないよ」
 だけどそれは、私の言葉でもあるのだろう。
「私も、みんなの事を本当の家族だと思ってます」
 だからそれは、私の心にも響く言葉で。
「今更所長さん達を見捨てるには、僕達もお世話になり過ぎた」
 そしてそれは、彼らの心を開かせた。
「……そうだよね、ユリ?」

 今度は私達が、彼らを助ける番だ。

「……ふふふっ」
「はは、ははははっ」
 突然、二人が笑い出した。
「家族……家族か。はは、そうか」
 嬉しそうに笑う二人の姿に、さっきまでの冷え切った表情の面影はなかった。
「ようやくわかったよ、ここがどうしてこんなにも居心地がいいのか」
「ええ、私も」
 心の底から笑っている。その笑みを見ていて、私達も自然と笑みが零れる。
「まるで家族と過ごしているみたいだからだったんですね。今までそんな事、考えもしませんでした」
「そうだよね。僕達は家族も同然だ。だから代わりなんて有り得ない。偽物なんて事も、有り得ない」
 彼女達も、もう迷う事はないだろう。
 自分達を信じる人がいる。だから自分達も、その人達を信じてやれる。
 差し出された手は、誓いの為に。
「ありがとう。僕達を信じてくれて」
「……うん」
 私は、パウと固い握手を交わした。
 なんだか気恥かしくて顔を俯かせたら、カズマとヤイバが後ろでひゅーひゅーと騒ぎ出したもんだからヒカルが容赦なくハリセンで叩いた。
 あんまりにもおかしいから、みんなで笑った。
 みんな、楽しそうに。
引用なし
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ささやかに輝くAFTER
 冬木野  - 10/10/15(金) 3:59 -
  
 所長室に入った途端、私達は固まってしまった。


「おう、お前ら揃いも揃ってどこにいたんだ?」

 なんかくせぇ。
 私達の第一印象は、恐らくそれで統一されていたと思う。
 何事かと思ってよく見てみると、拷問料理生産の為に活動していた鍋で所長が何か作っているのだ。
「あの……なんですか、それ」
「あぁ、それ」
 所長の指差す方向に一同が注目し、思わず目移りしてしまった。
 そこにあったのは、様々な種類のカップラーメンだった。しかも全部、すでに蓋を開けてある。
 まさか。
「いやな、なんかムシャクシャしたから兄貴の鼻っ面でも蹴り上げに行ってやろうと思ったら見事に返り討ちにされたんだよ。しかも塩の代わりにこいつら貰っちまったから、どうしたもんかなーと思って」
「……思って?」
「まぁ、遠慮せずに食っていいぞ」

 SHIT!!

 思わず汚らわしい言葉が漏れそうになったのをなんとか堪えつつ、しかし予想が的中してしまった事に私は落胆した。
 こいつ、全部ぶち込んで煮込んでやがる。なんとも言えない臭いの正体はカップ麺だった。
「うおーすげー、激苦お鍋に勝るとも劣らないレベルのグロさだ。新メニューだよこれ」
「ちょっと、これ時間置いたら麺がふやけて不味街道まっしぐらじゃないの」
「うーむ、カップも積もればなんとやら」
 こういう類には慣れているのか、みんな好奇心の目でもって鍋の中身をじろじろと観察する。
 私も意を決して鍋の近くへとやってきて、ムンムンと漂う煙に負けずに鍋の中身を見るべく顔を近付けってくせぇ!
「……うわぁ」
 としか言えなかった。
 チョコポテトチップスなんて物がコンビニに並ぶこの時代だ。カップ麺の種類なんて全世界を渡り歩けば腐るほど種類がある。まぁ基本的にカップ麺に外れはないと思うけど、それでもこんな事をしてしまえば当たりだろうとなんだろう外れに化ける。
 ちなみにチョコポテトチップスは食ってる内に吐き気がしたからすぐに食べるのをやめた。じゃがいもとチョコは似合わない。閑話休題。
「これ、食べるんですか?」
「お前はこれが食い物に見えないのか?」
 ゲテモノにしか見えねーよ。
 蛮勇の持ち主たるカズマとヤイバは戦地に赴くが如く「うおおおぉぉぉぉぉ!」と叫び、なんか知らないけどハルミちゃんが「すごいおとこだ」と台詞を返した途端にヒカルが怒ってカズマをぶっ叩いた。またなんかのネタなんだろうか。
 パウは私と同じように苦い表情をしていたが食べるつもり。かの究極の舌を持つリムさんもすでにお箸を持って臨戦態勢。ミキは我関せずと言った顔で椅子の隅に座って傍観……おいィ? なんか右手に箸持ってるんだが?
「え、えーっと」
 これ、私も食べなきゃいけないのか?
「ユリー」
「え、な、何?」
「はい、箸」
 SHIT!!
 いかんいかん、また漏れそうになってしまったわ、HAHAHA。逃げていいですか、私。
 つーかなんで所長の机の中に割り箸ストックしてんだヤイバてめぇ!

「おーい、誰かいるかー!」
 ふとその時、開け放たれた窓の外から誰かの声が聞こえた。
 すわ、救世主の声か。私は脱兎の勢いで窓に飛び付き、すぐさま窓の外を見回す。そこには意外な顔があった。


「ホーネットさん、生きてたんですか!?」
 これまた脱兎の如く所長室から逃げ出した私は、昨日私を護衛してくれたアルファチームと再開を果たした。
「おいおい、あんなので死ぬ俺じゃあないぜ。お陰様で、酒と餅はご馳走になれなかったんだがなぁ」
「とかいって、結局勝手に食べてたじゃねぇかよ」
 アースさんが遠慮せずに怪我人の足を小突き、その場に笑いが生まれた。
「それで、一体何をしにきたんですか?」
「お宅の所長さんとの約束でな。昼頃まで捕虜を好きにしていい事にしたんだ。殺したりはしない事を条件にな。あの嫌味なヒーローチャオはどうなってる?」
 そういえば、あのヒーローチャオの事をすっかり忘れていた。あれからずっと黒髭危機一髪状態だ。
「多分、顔を真っ赤にして泣き腫らしてると思いますよ。いろんな意味で」
「どういう意味だ?」
 マスカットさんのその疑問に、私は苦笑を返すしかなかった。
「まぁいい。とにかく捕虜は回収させてもらう。所長にもよろしく伝えておいて……」
「おーい、アルファさーん」
 私達の会話に、上から割り込む声が聞こえた。見てみるとそれはヤイバだ。
「宴会するんだけど、一緒に如何っすかー?」
「おお、参加させてくれー!」
「待てコラ怪我人、俺を差し置いて先に行くなー!」
 言うが早いか、真っ先に事務所の中へと入っていったのはホーネットさんだった。アースさんもそれを追いかける。
「まったく、遊びに来たんじゃないんだがな……。酒の類は出るのか?」
「多分出ないと思うけど……その、もっと酷いのが出てくるので、やめておいたほうが」
 私の口振りに、マスカットさんはまたも首を傾げるばかり。あんなゲテモノ、血を流すよりも苦痛なんじゃないだろうか。

「おーい、新人さーん!」
 そこへ、またも新しい声が風に乗ってやってきた。
 声のする方へ顔を向けると、凄いスピードで迫ってくる人影が一つあった。
「あれ、ミスティさん?」
 確認ができた頃には、もう目の前で着地していた。風圧に吹き飛ばされそうになりつつも、なんとか踏ん張る。
「おっと、失礼」
 謝りながら、ミスティさんはリュックの中のフウライボウさんを地面へ降ろした。
「昨夜以来だね。気絶したって聞いたけど、大丈夫?」
「ええ、特に怪我もないですから」
「そっか、よかった。そうそう、これをパウさんに届けに来たんだ」
 そう言ってフウライボウさんが私に手渡したものは、一冊の単行本だった。裏表紙には二人の名前が記されている。
「ほら、報酬だよ。また新作ができたから」
 本当に一冊の本で仕事を引き受けてたのか。私はただ、パウのサービス精神に驚くばかりだった。
「ところで、みんなはどうしてるの?」
「所長室で鍋パーティ中、なんですけど」
「あー、なるほどね。じゃあ、私達も早めに帰らないと」
「おや、あなたがたは参加しないのですか?」
 マスカットさんが慣れた様子でミスティさんと会話を交わす。この人達、知り合いなのかな?
「生憎、私達の舌は一般人レベルだから」
「ん? ……ははぁ、なるほど」
 それを聞いたマスカットさんが、理解したような声を出した。「こりゃ早めに連れて帰らないと、軍医がうるさいな」と付け加えて。
「それじゃあまたね、新人さん」
「また何かあったら来るから、その時に」
「あ、はい。お気をつけて」
「ぬわーーっっ!!」
「まずいな、急いで救出に向かってやらないとな」
「不味いだけに?」
「ああ、全くだ」
 そんな楽しい言葉を交わし、私達は笑い合った。


 日差しは、私達の笑顔のように輝いていた。
引用なし
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※書き終えた感想と、あなたの感想の場所
 冬木野  - 10/10/15(金) 4:27 -
  
 ――辻褄合わせ、完了しました。


 そういうわけで、ここまで読んで頂いてくれてありがとうございました。作者の冬木野です。でもみんなそう呼んでくれません。コンボイをイボンコと逆読みしてイジメに発展するレベルだと思います、まる。

 久々に小説事務所を書こうと思ったのは、ライラブリをぼーっと眺めていた時でした。
 おもむろにタグ別の項目をポチってみると、小説事務所の文字が意外に大きく表示されているのを発見。結構書いてたんだなぁとか思いながら自分の過去作品を見漁ってみると。
 涙が出そうなくらいヘタクソな文章を綴った自分がいました。
 まぁ、誰しもそんな時期はあるさとポジティブに行こうと思ったのですが、何をどう頑張っても自分の過去作品なんか見返したくなくて、もしタイムスリップできるなら過去の自分のほっぺたをつねって小一時間説教した後にスマブラ辺りでボコボコにしてやったと思います。
 しかも小説事務所最後(厳密には最後じゃないけど)の作品には「いいところで未完結」だなんてタグが張ってあって「いやこれ完結したつもりだったから!」という叫ぼうとして「いや、でもこれ何も完結してないよなぁ」と、考えを改めました。
 この頃はまだ素人に毛が生えたくらいの腕前しか持ってなかった自分は、まだ自分が書く小説にテーマのテの字も掲げずに書きたい事書いてるだけだったので、まぁしょうがないっちゃあしょうがないよなぁとは思いましたが。

 これ、このままでいいのかなぁ。

 そう思った自分は、おもむろに小説事務所を書き始めていました。
 かといって、これほどまでに収拾のつかない世界観を作った代償は大きく、果たして何を書けばいいのかとぶっちゃけ頭を悩ませました。
 世界観を一新するなんていまさらできっこないし、ということで(見たくもない)過去の作品を漁りながら、それでも(見たくない為に)参考になるものが見つからないまま数十分。
 ヤケになった自分は、タイトルにケチをつける事にしました。
「何が小説事務所やが、どうみても何でも屋な件について」とかグチグチ言ってる内に「良い事思い付いたんだがー。こいつテーマにしちまえばよくね?」と適当に決めちまいました。
 そういうわけで昔の自分が思い付きだけで考えた物に、今の自分が後付けで理由を作るというよくわかんない事態に。
 おかげさまで、自分のオリジナルの小説の筈なのにそんなものを書いてる気がしませんでした。自分の作った設定で二次創作をしている気分です。

 そうやって執筆を続け、途中で自分のPCがご臨終になるというハプニングに追われながらも、ようやっと書き終える事が出来ました。
 最後のユリの演説シーンがこの物語の全てみたいに表現されてますが、ぶっちゃけ当の作者はこんな展開を作る事になろうとはとびっくりしています。結局昔も今も思い付きでしか小説書けないんだなーと再認識させられました。

 かといって。
 今回、まだまだ料理できてない設定はいくつも残っています。
 無駄に長々と書く事を恐れた自分はすぐに書き終わらせてしまいましたが、今回書いたのは処女作の「人とチャオと」に登場した面々の設定消化くらいです。まだ「銃声が奏でる狂想曲」の設定が消化できてないんですよねー。これもタイトルにつっこみまくりです。僕の記憶ではそれほど銃声は起きてません。奏でてません。多分。ただ、こいつをテーマに掲げるのは絶対に無理です。
 一応、こいつをどう料理してやろうかとかは方針も決まってるんですが、今回の分を書き終わらせて一段落したし(それと誰も読まないだろうから)一旦筆を置く事にします。

 最後に、ここまで読んでくれてありがとうございました。
 感想等いろいろございましたら、お気軽にここに投稿しちゃってくださいませませ。










 どうでもいいけど、やっぱ執筆途中は感想来ないから設置するだけ無駄だったネ!
 実はぶっちゃけ途中で打ち切ってもいいように予め用意した感想コーナーだったというのは誰にも言えない秘密です。
引用なし
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