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週刊チャオからいなくなった人のお話 冬木野 20/12/25(金) 20:31

週刊チャオからいなくなった人のお話
 冬木野  - 20/12/25(金) 20:31 -
  
どうも、冬木野と呼ばれていた人です。
嘘です。冬きゅんとばかり呼ばれていました。

いまチャオ小説は書けないけど、たまの手慰みになんかしたいな、と思って20周年ブログ向けに何某か書き出してみた次第です。
実際ブログに掲載されているかは、書いている今の段階ではわかんないですけど。

テーマはまあ、雑に自分語り。
「ライブラリで『言わずと知れた冬きゅんである』とか書いてあるけど、なんでそんな持て囃されてるの?」
「なんで冬きゅんって週チャオからいなくなったの?」
「なんでまた今になって顔出してんの?」
「ぶっちゃけ冬きゅんってなにがすごいの?」
「つーか冬きゅんってナニモノ?」
と思ってる人が少なからずいるかもしれないので(そうか?)わたしの主観を多分に含んだ昔話も交えつつ、改めていろいろとお話してみようかなと。

あとはなんていうか、「週刊チャオからいなくなった人代表として、何か発信してみたい」という気持ちもちょっとあります。
いなくなった人代表というには、ちょっと僅かに週チャオの深いところに入り込み過ぎてる気がして、厳密には違うと思うんですけども。
まあ聞いてやってください。

注意事項として、これはほんっとーに全力で自分語りだし、とくに愉快でもなんでもないというか、かなーり全力で後ろ向きな内容です。
今まで週刊チャオと前向きに関わり続けた方々にとってはあまりいい顔のできない内容かもしれませんので、あらかじめご留意くださいませ。

あ、そもそもどうしてわたしが「冬きゅん」って呼ばれてるか知らない人がいたら、わたし以外の知ってる人に聞いてください。
わたしに聞かれても困っちゃうぜ。


わたしがCHAO BBSに現れたのは……いつだっけな……チャオBのアーカイブどこか知らないんだよな……ライブラリによるとえーっと……2005年11月頃っぽいです。
週刊チャオの歴史で言うところの安定期というらしいですね(05年夏頃〜07年夏頃だそうです)
今では独特の個性を放つ場所となった週チャオですが、当時の週チャオは言葉を選ばずに言えば「こどものらくがきちょう」みたいな場所だったと思います。
わたしもその中に紛れた、実質名もないこどもでした。

そもそもわたしがCHAO BBSにたどり着いたのは、ソニックアドバンス2がきっかけ。
当時幼いこどもだった冬木野少年の家にたまたまPCがあって、
ソニックアドバンス2の説明書に公式サイトのURLが書いてあって、
Internet Explorer(平成の時代に使われていたブラウザ)の上のほうにURLを書き込めることに気付いて、
キーボードのどのキーにどのアルファベットがあるかを探る根気があって、
そうして見事にはじめてのインターネットの世界へ飛び込むことに成功して、
その後リンクをぽちぽちしていたら、ソニックアドベンチャー2バトルというゲームのサイトへたどり着いて、
そうして3つの公式BBSというものの存在に気付いたのです。
……いま思い返すと結構な偶然を重ねてたどり着いたんだなぁ。

ただ、わたしはすぐにその公式BBSに飛び込んだわけではありません。
なんせはじめてみたBBSというものが、乱雑な文字だらけでなにがなんだかよくわからなかった。
当時はゲームの公式サイト巡りの方が楽しくて、もっぱらそっちの方に興味が向いていました。スクショもいっぱいあったし。

で、その公式サイト巡りで活字に対する耐性が付いたのか、あるいは読みたいものが無くなってしまったのか、
そのうちちょっとずつ公式BBSを覗いてってくように。
「あぁ、ここって自分で書き込みというものができる場所なのか」ということにもなんとなく気付いていきました。
そういうレベルの素人でした、当時は。


やがて、なんとなく避けていた週刊チャオという記事もクリックしてみることに。
避けていた理由は「なんか☆とかいっぱい使ってて変なの。触らんとこ」みたいな感じだったと思います。確か。
隔離という意味では成功していたと言えますね、週チャオのデザイン。

で、いよいよその変なのを触ってしまったきっかけというのは……実はよく覚えていません。さすがにログで残ってるようなことじゃないし。
だけど、わたしがCHAO BBSへと誘われたきっかけは紛れもなく、ホップスターさんの『魔術師狂想曲(マジシャン・ラプソディ)』でした。
当時、週刊チャオ編集部のサイトを読み漁っており、先んじて週刊チャオの歴史やらなんやらを抑えていたわたしは、
週刊チャオ第182号で新作と共に復活したホップスターさんの帰還を祝う声を見て、未だ外野の身でありながら
「おーなんかめでたいな」と、なんとなく盛り上がりについていってました。
そんな盛り上がりに乗せられるまま、ホップスターさんの新作を読んだというわけです。

その日から、わたしの人生は狂い始めました。

週刊チャオ第一人者の帰還。新作。作品から滲み出る明るさ。楽しさ。
あらゆる情報に叩きのめされた結果、冬木野少年は決意したのです。
「自分もチャオBの、週チャオの一員になりたい」と。

……この決意がなかったら、今の自分はどう違っていたんだろうと、15年近く経った今になって思います。


なんかフリーのメアドじゃチャオBに入れないよ〜とかいう壁を乗り越え、勢い任せに飛び込んだ冬木野少年。
そんな彼はネット世界での交流におけるマナー(当時の用語でネチケットと言いました)というものをロクに知らず、
まもなくチャオBに混乱を起こし、多くの人たちに迷惑をかけました。
冬木野少年のネットデビューは、無知な問題児というレッテルと共にあったことでしょう。
当人にその自覚があったかどうか……まあ、無かったに違いないと思います。
彼の頭の中には、今にも爆発しそうな熱意しかなかったはずですから。

そんなわたしの初小説は『人とチャオと』
ホップスターさんの作品に影響を受け、ただ雑に模倣しただけというのがありありと伝わる作品です。
……だと思います。
ちょっと心理的な抵抗があって読み返せなくてよくわかんないんですけど、どうせそういう奴だったはず。
その後も自己愛の象徴として、冬木野少年は自分の作ったキャラと世界観を使い倒していきます。
それらはやがて『小説事務所』という枠に纏められ、名実ともに冬木野少年の代表作にまでなりました。
そこには技術などなく、やはり若さに任せた勢いしかありませんでした。


やがて週刊チャオに変化が訪れました。2007年ごろ……週刊チャオの歴史で言うところの、まさに衰退期です。
わたしがやってきたときから週チャオはすでに衰退への道を進んでいっていたようですが、
それが明確に形として見えたのが『チャオゲー署名運動』でした。

「チャオの未来のため――それは自分たちの未来のためでもある」
そう思ったわたしは、一も二もなくその署名運動に参加しました。
おそらくですが、ホップスターさんやチャピルさんたち、署名運動の中心として活動していた方々を除けば、
わたしがいちばん最初に署名を行った人だったんじゃないかな、確か。

「俺もチャオラーの一員だから」

そんな純粋な気持ちが、良くも悪くもはっきりとした理由の1つがこれでした。

そしてもう1つがSRFBD。これと同時期に週刊チャオサークルで結成された、1つのグループです。
細かいことはよく覚えていないけど、単に当時よくチャットルームに集まっていた5人が、なんとなくチームを名乗りだしたというだけのものだったと思います。
Sがスマッシュさん。
Rがろっどさん。
Fが冬木野。
Bが某(それがし)さん。
DがDXさん。
この後ろにサポーターというか、親代わりのような立ち位置のチャピルさんとホップスターさんを加えて、SRFBDchと呼ぶことも。
サーフボードチャンネル、とかいう読みがあったような気がします。ムリヤリな感じで。

言ってしまえばただの仲良しグループみたいなもの。
だけどそんなSRFBDで『和田須磨子殺人事件』という小説企画を行ったことで、ますます連帯感が強まったように思います。
少なくとも当時のわたしには、それはそれは多大な影響があったはずです。

「俺はこのメンバーの一員なんだ」

これを免罪符と勘違いしたわたしは、すでに数年も所属しているコミュニティで、
ますます問題児である自分から抜け出せないようになったのだと思います。
先輩である方々と自分を同列だと勘違いして振る舞い、怒らせ、困らせ、呆れさせ、それでもなお週チャオに居座り続けました。
自分が立派なチャオラーの一員であると、頑なに信じ続けたまま。


やがて週刊チャオの衰退と共に、みんなの作り出す小説のクオリティも上がっていきます。
本来ならばわたしは、名のあるチャオ小説家たちの歩みについていけないまま
週刊チャオ衰退の流れとともに消えていく器の持ち主に違いなかったはずです。
しかし、それでもわたしは食らいつき続けました。
なぜなら「俺もここの一員」だったからです。
今にして思えば、署名運動の第一参加者であるとか、SRFBDのメンバーであるとか、
自分で刻んだ数々の呪いが、まるでわたしを死霊のように突き動かしていたような気がします。

転機はやはり、2011年に始まった企画スレの流れでしょう。
『週刊チャオ鍛錬室』……チャオ小説家たちが次のステージへ進むために設けられた企画スレッドです。
当然わたしも「一員」として参加し、そこで生まれたのが冬木野というチャオ小説家を象徴する一作となった(らしい)『生存報告』です。

この作品にとって幸運だったのが、わたしが学校行事としてスキー合宿に行っていたことでした。
リフトに流されるまま、自分の鼻柱がどんどんと凍えていく感触を今でもよく覚えています。
この合宿の体験について学校で作文を書いたのですが、「まるで小説みたいだった」と、わたしにとっての嬉しい評価をもらう結果に繋がりました。

「俺が週刊チャオに食らいつき続けた結果が出たんだ」

1つの些細な成功体験に、冬木野少年は舞い上がりました。
そしてわたしはこれを武器に、後の代表作となる小説を書き上げたのです。
結果は上々だったでしょう。……わたしにしては。

しかし、わたしは満足できませんでした。
いま見返してみても、生存報告の完成度はお世辞にも高いとは言えず、粗が多く目立ちます。
その点については、当時の感想でも指摘されていたと思います。
それがなにより悔しかった。
「冬きゅんは冬が上手い」……自分がそう評価されていることにはっきりと気付いたのは、それから7年も経ってからのこと。

「俺は失敗した」

その事実だけ見つめ、冬木野少年は負の感情をエネルギーにして、なおも突き動かされ続けました。
……その年、わたしが約43万文字にもなる物量を書き上げていたと知ったのも、7年後です。


そして2012年。冬木野少年にとっての歪みが決定的になった年がやってきました。
きっかけは、わたしが書いたある1つの感想です。
細かいことはよく覚えてないので、ダークさんが書いた記事が頼りになるんですけど(申し訳ありません)
『リンゴに響くのは銃の声』というダークさんの作品に、わたしが添削を提案したというもの。
その添削に対し「それは個性レベルの問題なのではないか?」という反論をもらいました。
……それが最初の致命傷でした。

――俺、他人の作品に大口叩いちまったんだ――

自分の無意識な行いに、冬木野少年は大きなダメージを受けました。

「俺もチャオラーの一員だから」
「俺が週刊チャオに食らいつき続けた結果が出たんだ」

自分の中に蓄積していった歪みが、とうとう軋み出した瞬間でした。
そしてわたしは……あろうことか、その痛みから逃げようとしたのです。

その年にわたしが作った『自分の冒険』という企画スレッドは、わたしが痛みから逃避するために、
『個性』というワードに縋り付いて、もっともらしい言い訳で装飾して生まれたものだったのです。

そしてわたしはその逃避行動によって、とうとう自らにトドメを刺してしまった。

「この企画には無理があるのではないか?」

わたしの立てた企画スレッドに真っ先に飛び込んできたのは、あまりにも真っ当な意見でした。
わたしは観念してその意見を素直に受け入れ、自らの企画スレッドを早々に畳もうとしました。

けれど、思いもしないことが起こりました。
今にも畳もうと思っていたスレッドに、土壇場で作品が舞い込んできたのです。

どうすればいいかわからなくなりました。
わたしはただ、自分の軽率な行動の言い訳をするために、ますます自分の傷口を拡げただけなのに。
今まさに塞ごうと思っていた傷口を、消すことさえできなくなってしまった。
そしてわたしは、見たくも触れたくもない自分の傷を直視しながら、感想まで書かなくてはいけない。

とうとうわたしはパンクしてしまいました。
自分はチャオBに紛れた名もないこどもでしかなかったことを忘れ、
なおも成長を続けるチャオ小説家たちと肩を並べているのだと気取って、
分不相応な振る舞いをしていることに気付かないまま、決定的な間違いを犯した。
その事実を、嫌というほど痛感させられた。

わたしが姿を消したのは、そんな粗末な理由でした。

その後、わたしの企画スレに参加してくれた方々から、あの企画スレがあってよかった、というお言葉を頂いた今でも。
この気持ちだけは、いまだに拭いきれずにいます。


2013年8月29日。
週刊チャオサークル掲示板に『つづきから』という作品が投稿されました。
当時の掲示板を見てみると投稿者の名前が違ってますけど、まぁご存知の通りわたしの作品です。

正直、この頃のことはよく覚えていません。
つづきから、という作品を書いたこと自体は覚えているのですが、どうもわたしがいなくなってからたった一年後のことらしいですね。
「そんなに早く戻ってきたのか? 案外チャットやサークルに細々と居続けたんと違うんか?」って今になって悩むくらいにはよくわかんないです。
まあでも、当時投稿したときの名前を『問題式部』とかにしてたので、たぶん姿を消したままで間違いないんじゃないかなぁ。
で、逃げたはいいけどやっぱり未練がましく小説を書きにきたのでしょう。自分の中に小説の才能があるのだと未練がましく信じて。

結論から言えば、また失敗です。
今までの集大成を書くんだ!! と意気込んでいた覚えがありますが、生存報告のときよりも出来は酷いものでした。
ありもしない、身の丈を超えた才能を誇示しようとして見事に滑ったって感じです。雑に評価すれば。
一応、件の冬の描写についてはお墨付きを頂いていたっぽいんですが、例によって耳に入っていませんでした。

で、せっかく名前を変えたのに明らかバレバレだったので、追加で恥をかくハメに。
そのあとどうやって消えたんだろうな俺。まじで覚えてないんだよな。またしれっと消えたのかな。


そんな最後っ屁を残して、わたしはいよいよ本格的に週刊チャオから離れることに。
掲示板も、チャットも、見ようともしませんでした。とにかく忘れたくて仕方なかった。

ただ、12月23日が近づく度に思い出すようなことがあって、何度かふらっと覗きにだけ来ていたことは覚えています。
でなければ、わたしが聖誕祭20周年がいつ頃になるか、気づくこともなかったはずですから。

冬になるたびそんなことを繰り返す自分に、正直うんざりしていました。
週刊チャオという苦い思い出を残してきた故郷のことなど、振り返りたくもないはずなのに。

「決着をつけなくてはいけない」

ぼんやりと、そんな決意が首をもたげました。
いつまでも週刊チャオを忘れられないなら、目を逸らすのをやめ、自分なりの清算をするべきだと。

わたしの最後の作品にして、2020年現在、週刊チャオにふたつしか存在しない動画作品、
『20年目の聖誕祭』の計画が、静かに立ち上がりました。

その特徴は、なにより動画であること。そして東方projectとのクロスオーバーであることでした。

「週刊チャオは、わずかな大衆にも忘れ去られたものだ」
「幻想郷は、大衆に忘れ去られたものが辿り着く場所だ」

わたしの中でこれらが結びついたことが、このクロスオーバーを行うキッカケになりました。
……逆に言えば、わたしの勝算はたったそれだけでした。

動画にしようと思ったのは、はじめはまだ聖誕祭20周年を目的にしていなかったからです。
「チャオ×東方とか、投稿する場所が思いつかないなぁ」と悩み続けるうち、
「MMDを利用して動画サイトに投稿するしかないかな?」という結論に至ったのでした。
そんな無茶苦茶な方針が、投稿先を聖誕祭20周年の週刊チャオに定まったあとも変わらなかっただけです。
楽すればよかったのに……とは常々思いますけど、ある意味では正解だったかもしれませんね。
ムダかムダじゃないかでいえばまあ、概ねムダなんですけど。
あんなクッソなげえ動画を文章のみでこぢんまりと構成し直してたら、ちょっとした話題にさえならなかったと思います。

んで。結論から言うと、まあいつもどおりの大滑りでした。

でも、この結果自体には満足しています。
というより、なんでもいいから結果が欲しかったんです。
よかったねでも、だめだったねでも、ほんとになんでもよかった。
だってわたし、それどころじゃなかったですから。

わたしがこの動画を投稿し、感想を待ちながら眠りについた夜。
これは誇張でもなんでもないんですけど、布団に包まったわたしは、異常なほどの動悸と息苦しさに見舞われていました。
ほんとうに、こんなことははじめてでした。
不安で眠れないのだとしても、明らかに限度を超えていた。
何をこんなに不安に思うことがあるんだと抑え込もうとしても、まるで止まらなかった。
「これがトラウマというやつなのか」……漠然とそう思いながら、わたしはひたすら深呼吸を繰り返すしか無かった。
なんでもいいから、楽になりたい。楽にしてほしい。そのことだけを考えて続けていました。

……目が覚めたとき、わたしは真冬だというのに汗だくでした。ほんとです。
震える手でPCを立ち上げ、感想を見に行きました。
昔よく言われていた、困ったものを見るような「しょうがないな」って感じの感想がついてました。

「ああ、俺はまた失敗したんだな」

そんな苦い思いと、それを徐々に掻き消していくような安堵が募っていきました。
それはまるで、待ち焦がれた裁きを受けたような気持ちでした。
自分が何者なのか、約13年と28日経ってようやくはっきり自覚できた瞬間でした。
わたしはやっと、少しだけ楽になれたのです。

そしてついに、わたしは自分の古傷に触れることができました。
自分の冒険スレッドに寄せられた作品への感想です。
20年目の聖誕祭を経て、ようやく楽になれたことで、わたしは改めて過去の清算ができるようになれたのです。
……6年も経ってそろそろ他人事に思えてきた、というのが正直なところだと思いますけど。

ま、結局途中で力尽きたんですけどね! やっぱスマッシュさんやみんなには敵わねえや! ハハハ!


現在、週刊チャオには聖誕祭20周年を祝うために作られたTwitterアカウントが存在します。
そのフォロー対象には、かつてチャオBや週チャオに関わっていた気配のある人を無差別にフォローしている、と聞きました。
……中にはブロックされてしまった相手もいる、という話も聞きました。
わたしはその、ブロックした、というかたに共感してしまうほうの人です。
だっていまさら困っちゃうし……あんま思い出したくないし……
わたしにとって週刊チャオは、今となっては距離を置きたいコンテンツなのですね。正直に言っちゃうと。
まあ、それもこれも、ぜーんぶ自分の掘った墓穴のせいなんですけど。

でも、あれから2年経った今になっても、やっぱりこの時期にふらっと見に来てしまう。
もう今度こそやることも話すこともないだろうに、やっぱりなんかうずうずしちゃうなーって思っちゃう。

じゃあもう、吐き出しちゃおうか。今度こそ、ぜーんぶ。

そう思って、ここまでつらつらと書いてしまいました。
15年近く経っても、やっぱり勢いでしかものを考えませんね。冬きゅんという人は。


「それにしても、どうしてわたしはここまで週刊チャオにこだわっていたんだろう?」
週チャオに対する感情がだいぶ落ち着いてきた頃、そんな疑問が浮かんでいました。
ぶっちゃけ、わたしは物書きするよりゲームするほうが好きです。
なのに、ただでさえ疲れる物書きを、ただでさえ多くの評価を望めない場所で続ける理由はなんだったのか?

もしかしたら、わたしは「チャオというコンテンツが衰退していたから」あの場に食らいつき続けたんじゃないか。
今になってぼんやりと、そんなふうに思えてきたのです。
だってそうじゃなければ、そもそも署名運動もなかったから署名者第一号になりにいくこともなかったし。
もしかしたらチャットルームの面子もめっちゃいっぱいいて、SRFBDという特殊な集まりも生まれなかったかもしれないし。

ようはわたしは、週刊チャオを見て「ここなら名を残せそうだ」と目ざとく食いついただけかもしれないのです。
みんながみんな素人の集まりだし、競争相手も多くなさそうだし、物を書くだけなら楽そうだし。
それはネットのどこかで、誰かが承認欲求を満たすために何かを始めることとなんら大差がないのだけど、
わたし自身がチャオBBSと週刊チャオをやたら神聖視していたせいで、それに気付かないままでいた気がするのです。

大変失礼極まりないけど、わたしにとってチャオというコンテンツは「衰退していたから価値があった」のかもしれません。


そうやって週刊チャオとそこにいるみんなのことを無意識にナメながら過ごした約13年28日。
そこでわたしが得た教訓は「自分の器を間違えるな」でした。
どちらかというと競争心を失って、自分は劣っていると決めてかかるような、間違った使い方をしているような心構えなんですが。

「自分ならここの人たちをあっと言わせるものが作れるぞ」という、ありふれた若さゆえの増長。
それが間違いだったということは、すでに証明されています。
だから、自分の作ったものを好きになり過ぎず、冒険せず、常に慎重に疑ってかかるべきだ。今はそう思っています。

「創作の分野で冒険しないは明らか間違いなんじゃねーの?」って思われるかもしれないけど、
わたしくらい勢い任せでアホやらかす人には、これがちょうどいいのです。
これを心がけても、どうせどっかでアクセル踏みすぎて、冒険と称してなんかアホやらかすときが来るんだし。
だからわたしは、これくらい大げさなブレーキを持っていたほうがいいのです。
このバランス感覚を得るために、ものすごい時間をかけたんですねぇ。

それになんていうか、負け犬根性にしか聞こえないけども。
「勝てない」と決めてかかったほうが、無様にイキってるより何かと気が楽だ。

ちょっとしたことだけど、ほんとに大収穫でした。ありがとう週刊チャオ。


というわけで、週刊チャオという特異な場に引きずり込まれ、そしてとことんまで遠ざかった、冬きゅんと呼ばれた少年のおはなしは以上です。
宣告通り愉快なハナシでもないし、自分がすっきりするためだけの文章だし、結果としてみんなの思い出の場所にいまさら1つケチをつけていくような、
そういう心の底からはしたない真似をしたと思っています。本当に申し訳ありません。
けど、なんだかんだでプラスに収まりがちな思い出話の中に、これだけ過去をマイナスに思っている人もいるんだよ、というのを紛れ込ませてみたくなっちゃいました。
けど、なんだかんだでプラスに収まりにいってますね。見苦しいなぁ。
こういうの、今風に言うとお気持ち表明っていうらしいですね。違うか? まあいいや。

たぶん今後も、わたしはこの時期にふらっと週刊チャオの跡地を見に来るかもしれないし、
また勢いでちょっとしたことをやりたくなるときが万一にでも起きるかもしれないけど、
わたしのスタンスとして「戻る気はとくにありません」ということだけは、ここに改めてはっきりと宣言しておきたいなと思います。
今さらなんかこうやって書き残しておいて何言っちゃってんの? って感じですけど。本当に申し訳ありません。

ただ、これだけ自分で勝手にボロボロの傷だらけになって、勝手に週刊チャオという場に対してビクビクするようになったわたしだけど、
それでもやっぱり、週刊チャオで得られたものはどれもこれも本物でした。
今もたまに褒められたりします。それは週刊チャオで得られたもののおかげです。
それだけは改めてお伝えしたかった。

もしかしたら、わたしがチャピルさんあたりに「自分の作品全部消してください」ってお願いしたらほんとに消してくれるかもしれないし、
内心そうしたいな、という気持ちがいまだに燻ってたりするのを否定できないんですけど。
まあ、もう今さらいいよね。一生納得できない自分を抱え続けるのも人間だもの。

では、わたしはふたたび週刊チャオからさーっと遠ざかって、他人の振りをしようと思います。
冬木野少年にここまで付き合っていただいて、ほんとうにありがとうございました。
たぶんまたいつか、ふらっと戻ってきては何も言わずに立ち去ると思います。


それではみなさま、おげんきで。冬きゅんでした。


※チャットルームで宣言しておいたとおり、youtubeに『20年目の聖誕祭』の動画を移しておきました↓

https://youtu.be/qOPelSXft2w
https://youtu.be/gwYNbaQlB34
https://youtu.be/J-NekWnuG3w
https://youtu.be/-3I5VOb3aUc
https://youtu.be/2wOrA4eqv8w
https://youtu.be/NNINrAiCIcI

youtubeさんに「なっげーんだよ、15分以内に収めてこい( ゚д゚)、ペッ」って怒られたので6分割にしました。
なんて冷静で的確な指摘なんだ……!! 最初っからyoutubeに投稿するべきだった。
(実際は15分以上の動画を投稿する設定もあるみたいだけど…まあ別にいいよね…めんどくさいし…)
引用なし
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