|
私がネットを始めた頃もまだネットとは文章で交流する場所だったと思います。
単に文字での交流という点から見ても、ブログやらmixiやら最近ではtwitterなどと当時とは違った交流の仕方が大量に出てきています。
あるいは、携帯電話の普及によって携帯でメールのやりとりをする、なんてこともあります。
文字以外でも音声や動画での交流も盛んになってきました。
好きな作品のMADを作って投稿するのは勿論、自分の顔を出して動画を投稿したりする人も今ではいます。
文字や画像くらいでしか交流できなかった昔が嘘のようです。
しかし新しいものばかり重要というわけでもなく、文字でのやりとりもまた重要であると思っています。
そのやりとりの限界として週刊チャオの休刊があったと書いてありますが、
そのやりとりがあったからこそ、休刊してもなお作品を投稿したりチャットに顔を出す人がいて、
「ああ、まだこの人チャオが好きなんだな。まだチャオラーは存在するんだな」とわかるから「久々に書いてみようかな」という人が出てきたり「聖誕祭になんか書かなきゃ」という人が出てくるのだと思います。
文字にしても画像にしても音声にしても動画にしても。
結局は「週刊チャオの歴史」にあるように、みんな、「私はここに居ます」と伝えたいのだと思います。
そして「あの人がここに居る」とわかるから頑張れるのだと思います。
第1回の話と絡めれば、「仲間がいるから続けていられる」ということでしょう。
その意味では、それが突き詰められて他のものとは差別化されて最善で完成された答えとは異なるものかもしれないけれども、「文字だからこそできること」の答えはすぐ傍にあると考えています。
私も、他人の声を聞くことに抵抗はなかったけれども、自分の声を出すことへの抵抗を取り払うまでに年単位で時間がかかりました。
ですから、他人の声を聞くのにも抵抗がある、というのはよくわかります。
なので抵抗が興味に勝てなくなるまでこっそり応援し続けていただけると幸いです。
なんかラジオをほめる文にならなかったので、付け足しておきます。
ラジオは声です。じっくり考えたり読み返したりできる掲示板の文章とは違います。
声質だとか息遣いだとか、言葉を出そうと考えてる間だとかついうっかり暴言を吐いたりとか。
なんと表現したらいいかはわかりませんが、そういう「息」があります。
ラジオを聴いた方にその息が伝わって、そこに人がいるんだなと伝わればいいなあと思っております。
|
|
|