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きよしこの夜が、また、どこかから聞こえてきた。
クリスマスという日を過ごすのはこれで25回目になる。
―どういう想い出があっただろう?
―どういう辛い日々があっただろう?
今となってはもう昔の話で、ほとんど何も覚えてはいないけど、
何か楽しい夢を毎年見ていたような気がしていた。
俺は今年、結婚することにしている。
相手の親も、俺の親も、賛成してくれた。
…ただ、俺の婚約者は俺の親の顔を知らない。
「声」は知っている。「顔」は、知らない。
彼女は俺の今の顔さえも、知らない。何も、見えない。
こんなに綺麗な顔をしているのに、彼女は自分を見れない。
頑張って整えている俺の髪型も、彼女は知らない。
彼女は俺の声だけをしている。
声という名前の世界の中で、生きている。
俺にはとても想像できるような世界ではなかった。
想像できて、本当に満足がいく、納得のいく世界かさえ知らなかった。
でも、俺には一つだけ分かっていることがある。
彼女を俺が裏切ったら、彼女は俺の姿を見なくとも、
その空気だけで絶望感に陥ってしまうこと。
二人がまだ小さいとき、俺と彼女はお互いを見ていた。
「結婚しよう」なんて約束して、
やっとそれが本当の夢になると思ったとき、
彼女は既に6年前、突然の病気で光を失っていた。
でも、3年前、彼女は笑って俺の声を、俺の事を思い出してくれた。
そして、こうやってつき合っているのだ。
そんなかすかな幼いときの想い出を覚えている人が、
俺のささいな裏切りなんてすぐに分かると言うことは、
明白かもしれない。
俺は事業が成功し、マンションの一角に引っ越して、
彼女も呼んで二人で暮らしていた。
今日はクリスマス。
彼女はソファーに座ってそわそわと俺の方を向いていた。
さすがに目と目を合わせられはしないが、
俺という存在がどの方向にいるかは「二耳」瞭然だった。
「ねぇ、今年は何くれるの…?」
「…んー、何あげよう?」
「何かちょうだい!」
「…なら、クッションとか?」「あ、それ良い!柔らかくて大きいの!」
「わかった。じゃ、それ買ってくるわ。」
「はーい。」
俺は丈の長いコートを着て外へと出た。
たった今、オーダーが入った。
クッションを買ってこい。でかくて、柔らかいヤツを。
俺はガキっぽいなと、ちょっと思ったが、
それが彼女なんだと思うと少し可笑しくなった。
彼女バカなのかな?
どうなんだろうな。
…。…もしかしたら、
心のどこかで“罪の償い”が有るのかも、しれない、な…。
…。
…ちょうど15年前。
ガキの頃の俺は、この場所を別の物を買おうと疾走していた。
その商品名は、「チャオ」といった。
黄色と白と水色のタマゴがペットショップで10万円で売っている。
「転生もするし、その値段は見ため以上に高くはないんだ。」
そう家族を説得して、
クリスマスの夜、発売が開始されたチャオをあわてて買いに行っていた。
そして結局、超長い行列に並んだ末、俺は一つのタマゴを手に入れた。
俺はそれをマニュアル通りに優しく孵した。
パカンと割れて生まれて出てきたのは、やはり普通のチャオで、
なんの変哲もないチャオであった。…「その時」は。
…それでも俺はやはり何も気付かずに、嬉々と名前を付けた。
「ダブル」だったような気がする。
その当時はチャオレースが熱狂的に受け入れられていた。
主役はいつでも子供だった。
どこかの小学生が、レースで優勝していた。
どこかの幼稚園児が、驚くような強いチャオを持っていた。
どこかのお姉さんが、可愛いチャオの服のデザインをしていた。
どこかのお兄さんが、最強のチャオや透明のチャオを作っていた。
どこかの…。
…そう、俺は憧れていた。
俺が買った理由は、チャオが可愛いとか、そう言う理由じゃなくて、
単に、名声と賞賛の声を聞きたかっただけなのだった。
友達から、先生から、ちょっぴり好きだった女の子から、
凄いとか、格好いいとか、そんな言葉を手に入れたかったのだ。
でも、それが上手くいくことはなかった。
「失明ですね。レースは諦めましょう」
………は?
俺の一番最初の反応はそんな感じだった。
何かが変だと思い始めてきたのは、買ってから3ヶ月後の時。
いつまでたっても俺の居る場所に来ない。
口笛を吹いても、ハートを出して走ろうとするが、
どこか変な方向に駆けていき、壁にぶつかり、泣き出す。
そう、それは、まるで俺が見えていないかのように。
でも、医者の言葉を聞いた瞬間、それは「まるで」でなく「本当に」だった。
そして、次の言葉が一番辛かった。
「レースは諦めましょう」
…。その日から、俺のチャオに対する反応は変わった。
俺はまるで動くサンドバックかのようにチャオを何度も蹴りつけ、
壁にたたきつけた。
チャオは泣こうとするが、それだと母親にばれるので、
泣くなと思い切り口を塞いで、そして、殴った。殴った。殴った。
「糞チャオめ!死んでしまえ!」
そんなことも、言ったような気がする。
ひどい話。
自分の都合の悪いことが見つかった瞬間、それをすぐに裏切る。
子供が残酷と言われる所以は、そこにあるのかもしれない。
そうして、最後には…捨てた。
さすがに心配したので、段ボール箱に入れて、人気の多い道においていったが…
でも、あのチャオは目が見えない。
多分、段ボールから出て、どこか飛ぼうとして、そして、ぶつかり、
川に落ちて溺れて、そして、おそらくは…。
…。
俺はそれ以来そのチャオと会っていない。
今は多分死んでいるだろう。人の愛を受けられなかったために。
流行は怖い。
もしも、チャオレースなんて、競う物がなければ、
俺はあんなにもチャオをいじめたりはしないだろうし、
そもそも買わなかったのかもしれない。
でも、…それでも、俺がやったことは罪なのだ。
何かのハンディを自分の都合に合わないと拒否したという、重い罪だ。
そして、今も俺はあのチャオのことを、後悔、している。
ガーッと自動ドアが開き、
一面クリスマス一色のデパートのにぎやかさが俺を受け入れる。
ふと左の方向を見ると、チャオのコーナーがあった。
そして、そのはじっこに、白い小さなチャオが居た。
俺はどうしたんですか?と店員に聞く。
彼によると、羽が折れているからと男から返品交換を要求されたという。
男はレースに役に立たないからと、投げ捨てるようにこのチャオを連れてきた。
と言うことだ。
普通ならひどい話になるところだが、俺は思わずシンパシーを感じていた。
そうだ、そういう気持ちだ、と心で強く感じた。
…昔の俺の買ったチャオの姿が思い浮かんだ。
…俺はこのチャオを買わなきゃいけないのか…?
償いのために。そして、言い訳のために…。
俺はそのチャオに手を伸ばそうとした…瞬間。
「ねぇママ!あのチャオが欲しい!!」と、
1人の少女がたたたたっと俺の見ていたチャオの所に近づいてきた。
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