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>「チャオのはね」宛。
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>環境は全く異なるはずなのに、「変人」の心理描写に対し、多大なカタルシスを感じています。
>それは多分、攻撃性にしろ、依存性にしろ、敵意への恐怖にしろ、誰もが少なからず持っている特性を題材にしているからで、それがちょっと極端だということが、変人と普通の人との境目になっているんでしょうかね。
過剰である、ということが境界線なんでしょうな。
オタクうんぬんもそんな感じでしょうし。
しかし、裏を返せば過剰であるだけというわけでもあり、わかってあげようとすれば理解できないこともない。
そう信じています。
>ただ、実際には変人と普通の人とはそれほど両極端ではなくて、むしろどちらにもなりきれなかった人の方がたくさんいるんじゃないかなあ、なんてことも考えました。
多いんでしょうなあ。
隠しておいた方がいいような趣味を持っている方も多いでしょう。
そういうことを考えると、普通の人を偽って生きている人々が集まって、
普通の人という概念ができているのかもしれません。
>最後のモチーフの使い方が、非常に美しかったです。
最近になってようやく、綺麗っぽく終わらせる技量を身につけました。
まだ「っぽく」ですけどネ!
>「けいりん論」宛。
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>美少女とチャオが一心同体なんて、素晴らしい設定ですね!
>フィクションですか、そうですか。
フィクションらしいです。
でもでも、誰かがこれを活かせば!!!
誰か頑張れ。超頑張れ。
>感想コーナー宛。
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>自分も時々変人と呼ばれますけれど、自分で自分の事を変人だと思った事はないです。
>自分から見れば考え方の違う人というのは無数にいて、でもたまに思考の透けて見えるような人もいて、だからつまり、変人だとかそうでないとかは相対的なものなんだという持論を持っています。
重要なのは、相手を変人だとか常人だとかそういう目で見ないことかな、と思います。
そういうのを気にしてばかりいては、人と正しく接することができないんじゃないのかなあ、と感じたりしています。
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