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俺は生きる事に必死だった。
自分の家など存在せず、お金も無い。
ただただ町をふらついて、生死を彷徨う日々。
食える物なら何でもいい。
何でも良かった。
贅沢なんて言ってられる状況ではない。
通り過ぎる人々。
そいつ等は軽蔑の目を俺に向けてくる。
時に失笑、時に哀れみを瞳に携えて……。
助けは……なかった。
所詮、他人は他人。
誰が進んで面倒事に巻き込まれようと思うか。
そう、これがリアル。
俺の生きるリアルだ。
俺はそのリアルで、ゴキブリのように這いずり回ってでも生きるしかない。
死のうとは考えなかった。
辛くて死にたいくらいだが、ここで死ねば単なる負け犬。
哀れんだ瞳を自害した者に向ける人々。
俺には到底耐え切れない。
何故、お前らはそんな目で見れる?
何故、悲しそうなどと抜かす?
お前ら一度でもそいつらを助けようとしたのか?
お前らは人の死を哀しむだけで、何もしなかっただろう?
お前らは皆殺しにしたんだ。
幾人もの苦しむものを見ても、ただ嘲笑うか哀れに思うだけ。
今更になって可哀想だなんて、虫が良すぎねぇか?
偽善者どもが蔓延するこの世界。
――もう、慣れた。
いつか復讐してやる。
この醜き人間どもに。
醜き自分が、壊してやろう。
まずは、一人目だ。
片手に金槌を持ち、俺の横を足音を鳴らしながら、通り過ぎた1人の男。
こちらを見ると、馬鹿にするかのように嘲笑う。
俺はそんな男の背後から、ゆっくりと近づく。
鼓動が高鳴る。
少し息苦しくなってきた。
手に汗が滲み出る。
一人目だ……。
俺は……復讐をする。
――偽善者どもに断罪を……!!
そんな時だった。
「チャオ!」
俺の後ろから、何やら声が聞こえてきた。
慌てて俺は凶器を隠し、くるりと回るように振り替える。
男はそれを見て、一瞬不思議そうに俺を見ていたが、何も見なかったというような素振りで行ってしまった。
「チャ〜オ〜!」
だがそんな男に対する興味は、最早一寸たりともなかった。
俺に近寄ってくる、一匹の生命体。
水のような澄んだ水色の体。
小さな丸い身体に、丸いぷよぷよとした顔。
その生物の頭の上には、丸い卓球球ほどのポヨと呼ばれる物体が浮遊していた。
そう――それはチャオと呼ばれる生物。
「チャオ〜」
「……なんだこいつ?」
あまりに急な出来事に、俺はボーッとチャオを見つめるしか出来なかったのである。
そう。
――これが俺とこのチャオとの出会い。
――あいつは、唐突にやってきた。
『彼の亡骸にチャオ』
〜@〜
次の朝。
いつも通り、人気のない裏通りでダンボールに身を包んで寝ていた俺は、朝の暖かな日差しを顔に浴びて、目が覚めた。
こちらに不思議そうに見てくるやつらがいたが、俺が起きるやいなや、一目散に逃げていく。
見せ物でも何でもねぇってのによ。
身体を起こし、背伸びをするため腕を伸ばそうとしたその時。
左腕に何かが付着しているような感覚。
見ると……そこには蓑虫のようにダンボールに包まっている水色の生命体がいた。
「お前……」
「チャオオ〜!」
それは嬉しそうに声を上げた。
何故か昨日から、俺についてきて離れないチャオだ。
あの後、飼い主がいないか右往左往していたが、近くにあったダンボールに、「可愛がってあげて下さい」と、何ともまぁ、お決まりの台詞が書かれていたのである。
結局、俺からこいつは離れないので放置しておくことにした。
まぁ、放っておけば勝手に離れてくれるだろう。
ともかく朝食を探す為に、俺は公園に行くことにし、歩き出す。
俺のボロボロの服装を見て、くすくすと笑い声が周りから聞こえてくる。
もう慣れた光景だ。
笑われるのも、哀れに思われるのも。
それでも、俺の中で怒りのボルテージは上がっていった。
いつか復讐してやると心に決めて。
公園につくとまず、食べられそうな雑草や花を探した。
たまに子供に「何しているの?」と、言われるが、無視。
しつこく聞かれた時は、睨みつける事によって解決する。
「まぁ、この程度か……」
「チャオチャオ〜!」
いつの間にか俺の元から離れていたチャオが、元気よくこちらにやってきていた。
両手に木の実を持っている。
どこから持ってきたかは分からないが、美味しそうな実だった。
思わず縋り付くように手を伸ばすが、途中で我に返り、引っ込める。
いかんいかん。
人の取ってきた物を奪うのは駄目だ。
自分で取って、自分で食う。
それが俺が信じている事だ。
他人が助けてくれるなんて、ほぼ有り得ないから。
だから俺は……。
「チャ〜オ!」
「――え?」
信じられなかった。
チャオは左手に乗っている木の実を、俺に差し出してきたのだ。
何故?
何故俺なんかにこんな……。
「チャオ〜?」
「あ、あぁ。ありがとな」
「チャオ!」
俺は無意識の内に、チャオから木の実を受け取っていた。
人とチャオとでは……こんなにも優しさが違うというのか。
人間はただ、あの腐れきった眼光で俺を見てくるだけというのに。
このチャオは何故……。
ふと、隣にいるチャオに目を見やる。
そこには愛くるしい笑顔で木の実を頬張るチャオ。
余程、腹の中の都市が空虚状態であったのだろう。
まるでブラックホールのように、木の実は吸い込まれていった。
それを見ていた俺も、無性に木の実を食い付きたくなったので、木の実を一齧りする。
外側は多少固かったのが、中は軟らかく、甘いジューシーな味が口の中で広がっていく。
美味かった。
それもとびっきり。
もしかしたら、雑草と花ばかり食べて、味覚がおかしくなっていたせいもあったのかもしれない。
本当はこの木の実は、そこまで美味しくない物なのかもしれない。
でも今の俺には、これは最高の食い物だと断定できる位、美味く感じられた。
一気に齧り付き、平らげた。
ここまで満足した食事は久しぶりかもしれない。
どこから取ってきたのかも分からない実を、チャオという生物に貰えるとは……。
「チャオ〜!」
「あぁ、美味かった。ありがとな……」
「チャオ〜♪」
チャオは俺の言葉を聞くと、膝の上に乗っかってきた。
随分と人懐っこいチャオだな。
この様子だと、前の主人にはよくして貰ったのだろうな……。
「あぁ、そうか……」
俺はチャオを見て、唐突に口を開く。
「お前も俺と同じ、捨てられた身なんだな……」
そう。
俺もこのチャオも、家族に捨てられ苦労を虐げるようになった者。
所謂、同士であった。
「……おい」
「チャオ?」
俺は立ち上がると、チャオに話しかける。
不思議そうに首を傾げて、チャオはこちらを見つめてきた。
「行くぞ。あまり手間は取らせるなよ?」
「チャ、チャオチャオチャ〜!」
言葉の意味を把握したのかどうか分からないが、チャオは俺の言葉に反応した。
初めて心を許した気がする。
俺は今まで、誰も信用することができないでいた。
この世界に、優しさなんてものは、虚無の存在だと思っていたけれども、このチャオになら心を許してもいいんじゃないかと、俺は思い始めていたんだ。
〜@〜
それからしばらく月日が流れ、秋が訪れた。
キンキンに冷えた風が俺を襲い、肌をチクチクと刺激する。
しかしこれで苦労していては、この先訪れる冬という化け物に勝てやしない。
こう見えて何度も体験していたから、慣れたものだ。
凍え死ぬものか。
こんな放浪な日々を送っている俺だが、仕事やアルバイトはする気にはならない。
この格好では、大体がふざけているのかと言われ、追い出させる。
だが、生きてさえいれば良いと考えていたと思っていたので、どうでもよい。
あのチャオに出会ってからというものの、復讐に対する怒りは抑え込まれつつあった。
なんか唐突に馬鹿らしく感じられたからだ。
例えそれで人を殺したとして、すぐ警察に捕まり、晒し者にされるだろう。
そして人間どもはまた嘲笑うのだ。
もう面倒くさい。
俺はこのチャオと共に生きていくことにした。
馬鹿みたいなやつは馬鹿らしく、這いずり回ってでも生き残る。
それが、俺の選んだ道だ。
「それにしても、遅いなあいつ……」
いつもと同じように木の実を取りに行ったチャオだが、帰ってくるのがあまりにも遅い。
心配してそこら辺を探すことにした。
公園を見渡してもあいつはいない……が、そこまで遠くに行っていないはずだ。
草むらを掻き分けてでも、探す。
どこに行ったんだあいつ?
ったく、いつもはこんなことないはずなの……。
「うえっ?」
その時、目の前に急に何かが現れた。
草むらに隠れていたある物を見て、俺は変な声を出してしまう。
そこにあったのは……繭。
水色の繭に包まれた何かが、そこにあったのだ。
これはもしかして……。
「こいつ、一次進化するのか?」
一次進化とは、所謂大人になる為の第一歩と言われているもの。
チャオは大人になる前に、一度繭の中に入る。
そして繭が消滅すると共に、大人へと成長して中から出てくるのだ。
今、このチャオは一歩大きく成長しようとしている。
「しかしまさかこの俺が、こんな出来事に相見える(あいまみえる)とはな。」
そう呟きながら、目線はずっと繭の方に向けていた。
そして繭は段々薄くなり、やがて一匹のチャオが現れる。
だがそれを見て、俺は思わず声を漏らした。
「――ヒーローチャオ?」
そこに居たのは、白いチャオ――ヒーローチャオであった。
そのチャオは、俺の方に円らな瞳を向けると、喜々としてこちらに近づき、甘えてくる。
驚きのあまり、直ぐには反応できなかった。
暫くして我に返り、チャオを優しく撫でてあげる。
何故?
何故、俺が育てたチャオが、清き心の持つヒーローチャオになる?
チャオは育て親の心によって、善にも悪にもなる生物。
一次進化後。善なる心を持つ者は、ヒーローチャオ。
悪なる心を持つ者は、ダークチャオになる。
俺はずっと悪だと思っていた。
なのに何故、ヒーローチャオにさせる事が出来たのだろうか。
悪なる心の持ち主がチャオを苛めると、真逆のヒーローチャオにさせることが出来るが、見ての通り、こんなにもこのチャオは俺に懐いている。
「俺が……善なる心の持ち主……」
不思議だった。
何だか嫌な気分ではない、清々しい気分。
「チャオ〜!」
「あぁ、おめでとう……えっと……」
俺はこいつの名を呼ぼうと思ったが、今思えばこのチャオに名前を付けていなかった。
「そうか……こいつの名前……名前……」
「ちゃ、チャオ!」
「ちょっとシンプルだが……ホワイトって名前でいいか」
「チャオ?」
「ホワイト。ありがとな」
そう言ったが、チャオ――ホワイトのポヨが?になっていて、こちらの言葉に反応しない。
あまりに急すぎたか?
「いいか。今日からお前の名はホワイトだ」
「チ……チャオ?」
「どうしたホワイト? 名が気に入らないか?」
すると、ホワイトは横に首を振って、否定した。
名は気に入っているようだが、どうも様子がおかしい。
しばらく何がおかしいのか俺は考えた。
今までの出来事なんかを色々思い返す。
――そして、辿り着いた結論。
「――まさかお前。俺の事を前の飼い主と同じ奴だと思っている?」
そうだ。
その結論だと何故最初、俺に会った時にあんなにも懐いてきたのかが理解できる。
こいつは自分が捨てられた事に気がついていないのだ。
そして前の持ち主は、恐らく俺に似ていたのだろう。
勘違いをして俺についてきた……ということになる。
「……あぁ。気分転換に名を変えただけだ。気にするな」
「チャチャオ!」
そうホワイトは叫ぶと、俺の腹に抱きついてきた。
決めた。
俺はこいつを立派に育てる。
――俺が……。
「うぐぁ……!」
突然だった。
急に胸が苦しくなり、俺の両膝が地に堕ちる。
喉から何かが逆流してきて、俺は思わず吐き出す。
びちゃびちゃと吐瀉物が滝のように、口から流れ出る。
やがてそれも収まり、俺はホワイトに視線を合わせた。
揺ら揺らと揺らめく視線の中、ホワイトはこちらを心配そうに見つめている。
「チャオ〜?」
「あ、あぁ……大丈夫。大丈夫だ……」
俺はホワイトの頭をなぞる様にして撫で、これでもかというような笑顔を向けてあげた。
ホワイトは俺を見ると、気持ちよさそうな表情をする。
――だけどもう、俺に残された時間は……僅かしかなかったのだった。
〜@〜
――あたり一面、銀景色。
朝がやってきた。
身体が重い……。
隣で誰かが俺を突付いている。
ホワイト……。
どうした、腹でも減ったのか?
あれ……。
こんなにこの世界って、暗いものだったっけか?
段々、俺の視界の周りが黒に染まってきて……。
お前しか、見えない。
ホワイト。
カラダガ……イタイ……。
あぁ、ソウカ。
これガ、死ぬ時ノ感覚なのだロウか。
……少々無茶し過ぎたよウダな。
情けナい……飢エ死にシナイとアンなにも強く誓ってイタのに。
コレでは、糞人間ドモに、哀れラレテしまウナ。
――お前ニ最後ノオ願いだホワイト。
オ前ダケは……哀レンだ瞳で俺ヲ見ナイでクレナイカ?
〜@〜
季節は流れ……冬。
雪が降り積もる中、一つの大きな雲の様な雪山が出来ていた。
その雪山の隣にピッタリと、一匹のチャオ。
雪山の中から、突然人の腕が飛び出てきて、そのチャオを撫でた。
雪山の中には……一人の男が埋まっている。
身体を痙攣させて、立ち上がることもままならい。
痩せ細った肉体が、悲鳴を上げている。
「……ホワイト。……俺ガ唯一心を許シタ者よ」
「チャ……オ?」
男は今にも消えてしまいそうな蝋燭のような声で、ホワイトと呼ばれるチャオに語る。
「アリがトウ、俺に心をクレテ。アリがとう、俺ニ居場所をクれテ。アリがとう、俺に生キル理由をくれテ。アリガとう、俺に笑顔ヲくれて。ありがトウ、俺に優シサをクレテ。アリガトウ、俺ヲ助ケテクレて」
男は何度も何度もありがとうと言う言葉を、壊れた機械のように繰り返し続ける。
ホワイトはそれを不思議そうに見つめ、不安な感情を抱いた。
「ホワイト。俺ノ愛しのホワイト。アリガトウ、アリガトウ、アリガトウ、アリガトウ、アリガトウ、アリガトウ、アリガトウ、アリガトウ、アリガトウ、アリガトウ、アリガトウ、アリガトウ、アリガトウ、アリガトウ、アリガトウ、アリガトウ、アリガトウ、アリガトウ、アリガトウ、アリガトウ、アリガトウ、アリガトウ、アリガトウ、アリガトウ、アリガトウ、アリガトウ、アリガトウ、アリガトウ、アリガトウ、アリガトウ、アリガトウ……………………」
「――じゃあ……な」
男はホワイトを撫でるのを止め、解ける糸のようにホワイトの頭からするすると落ちた。
ホワイトは男に近寄り、両手で男を揺らす。
ゆさゆさゆさゆさゆさゆさと……何度も、何度も揺らした。
「チャオ〜?」
呼んでも……男からは二度と返事は返ってこなかった。
「――チャオ……?」
〜@〜
後日、公園に訪れた人により、力尽きて倒れている男が発見される。
男は病院に移送されたが……既に事切れていた。
男は呆気なく死んだ。
死因は、凍死ではなく、過度の栄養失調による餓死。
まともな食事を行なっていなかった男は、体調を崩し、地に平伏すことになったのだ。
そして極寒の寒さにも耐え切れず、息絶えた。
男は、元々は明るい家庭を持っていたが、父と母が突然離婚。
そして父に引き取られることになったが、離婚によるショックからか酒びたりになり、父は男に暴力を振るい続ける。
やがて父に出て行けと言われ、男は帰るべき家を失くす。
男の居場所は、その時無くなったのだ。
その後男は何年もまともな食事にありつけず。
身体に栄養が行き渡ることは無く、身体はボロボロであった。
遂に耐え切れなくなったのだろう。
結果、このような事件が起こったのだ。
男の近くには一匹のチャオがいて、必死に男の身体から剥がそうとしても、離れなかった。
仕方なく男と一緒にそのチャオも連れて行くことになる。
その後は…………。
〜@〜
春が訪れ、男の良く来ていた公園の片隅に、沢山の花が供えられていた。
それは人間達が男の死を悲しんで置いていった――ガラクタ。
男が生前言っていた通り、生きているうちは救いの手も伸べようとしなかった癖に、死に至った直後、哀れみのたかが知れている同情の瞳を、男に向けたのだ。
悲しいことに、そのような者達ばかりが、男にガラクタと呼べる花を置いていったである。
自分自身はその苦しみも悲しみも同情でしか無い癖に。
しかし、一人……一匹だけ、そんな者達とは違う者がいた。
「チャオ〜♪」
ガラクタが置かれている所に、一つの木の実がゴトリと置かれた。
置いた者は……ホワイト。
彼のパートナーであったチャオ。
「チャオチャオ〜!」
笑顔でこの世にいなくなった男に向かって、ホワイトは自分達の言語で何かを伝えるかのように語る。
ホワイトは、彼の元から離れようとしなかった。
共に過ごしたこの公園に、どこかに出かけても必ず帰ってくるのである。
彼の亡骸から……離れようとしなかった。
「チャオ〜チャオ〜」
今日もホワイトは語りかける。
いつまでもいつまでも。
――桜の舞い散る中、彼の亡骸にずっと語りかけていた。
『彼の亡骸にチャオ』
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