●週刊チャオ サークル掲示板
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小説事務所 「開かずの心で笑う君」 冬木野 11/1/16(日) 4:23
No.1 冬木野 11/1/16(日) 4:34
No.2 冬木野 11/1/16(日) 4:50
No.3 冬木野 11/1/16(日) 5:02
No.4 冬木野 11/1/16(日) 5:16
No.5 冬木野 11/1/18(火) 2:41
No.6 冬木野 11/1/18(火) 2:42
No.7 冬木野 11/1/18(火) 2:43
No.8 冬木野 11/1/24(月) 3:39
No.9 冬木野 11/1/24(月) 3:44
No.10 冬木野 11/1/24(月) 3:52
No.11 冬木野 11/2/3(木) 4:44
No.12 冬木野 11/2/3(木) 4:51
こどものころのおはなし 冬木野 11/2/8(火) 8:52
No.13 冬木野 11/2/8(火) 9:03
No.14 冬木野 11/2/8(火) 9:08
No.15 冬木野 11/2/8(火) 9:13
No.16 冬木野 11/2/8(火) 9:19
すごく どうでもいい おまけ 冬木野 11/2/8(火) 9:25
あふたあがき 冬木野 11/2/8(火) 9:48

小説事務所 「開かずの心で笑う君」
 冬木野  - 11/1/16(日) 4:23 -
  
 ――空が眩しい。
 そのせいか、今の時間がわからない。
 太陽の光が眩しいのは明らかだが、対する空の色――用意されたステージは、月の為のものだ。でも、月はこんなに眩しかったっけ。
 その光は、今目の前にいる彼女の笑顔と一緒に笑う。

「お兄ちゃん」

 眩しい笑顔だ。
 怖い。
 怖い。
 怖い。

「お兄ちゃん」

 その笑顔はいったいなんだ?
 太陽の笑顔か?
 三日月の笑顔か?
 その優し過ぎるまでの声はなんだ?
 天使のささやきなのか?
 悪魔のささやきなのか?

「お兄ちゃん」

 やめてくれ。
 そんな顔で。
 そんな声で。
 笑わないでくれ。
 右手が僕の手を握ろうと伸ばされる。
 左手が僕の命を奪おうと伸ばされる。

「お兄ちゃん」


 お願いだ。
 誰か、この悪夢から僕を助けてくれ。
引用なし
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No.1
 冬木野  - 11/1/16(日) 4:34 -
  
「……執念が足んねぇ」
 お目覚めの言葉はそれだった。


 事務所に行く途中の道で、新聞を眺めながら夢の出来事を思い出していた。
 なんか知らないけど、有名どころっぽいゲームセンターで私が格闘ゲームの大会をしていた夢だった。
 生まれてこの方格ゲーなんてやり込んだ覚えはないのだが、いとも簡単に決勝戦目前のところまで来て、最終的に最弱キャラを使いこなすとんでもないプレイヤーに負けた。その辺りで目が覚めたはず。
 目覚めの言葉は、確か大会実況者辺りが吐いた言葉だと思う。

 最近は、本当におかしな夢ばかり見る。
 昨日は店の存続を掛けてやくざと野球したし、一昨日は得体の知れない悪魔と高レート麻雀したし、というか私ったら誰かと何かして戦う夢ばかり見ている。
 しかも決まって、私は強い。
 これはあれか、潜在意識の嫌味か。現実の私のスペックとの格差を見せしめているのか。今まで見た夢を大体覚えているあたり間違いないと思う。ふざけんじゃねぇ。
 私が普段手に取らない新聞をわざわざ売店から適当に取ったのもそれが理由だ。どうも調子が狂うから、気を紛らわしたい。
 それなのに、世間は私のニーズに合わせて動かない。
「これで何回目だよ」
 一般市民を代表して、私が愚痴った。今日も精神異常者についての記事がデカデカと載っているのだ。
 一週間前から、世界各地で大勢の発狂者がちょくちょく現れるようになった。原因は不明。各地の病院はてんやわんやのお祭り騒ぎだそうだ。
 一貫性は、今のところよくわかっていない。刑務所の囚人達のほぼ全員が発狂しているという情報もあるが、民間にも多くの発狂者がいるし中には小さな子供も発狂している。この関連性は、未だに不明だとか。
 こういう時だからこそ楽しい話題を提供するのが世間の勤めだろうに、そんな記事はどこにも書いてなかった。これだから新聞は面白くないんだ。最近はテレビ離れも多いって聞くし、報道機関の寂れる日は近いなぁとか真剣に考えだしてもおかしくない。

「げ」
 そして、嫌な事は続くものだ。
 ちょうど横断歩道に差し掛かろうという所で、あるチャオの姿を見つけてしまった。例の野次馬同好会へ私を無理矢理入会させた、私の友人だ。
 困った。最近は同好会に顔も出していないから、ここで鉢合わせしたら何を言われるかわかったもんじゃない。開口一番怒るか泣くかして、私の首根っこを掴んでファミレスへと連行、そこで午後になるまで散々説教だの身の上話だのを一方的に聞かされた後カラオケに行こうとするに違いない。全部私の奢りで。
「あ」
 しかも、逃げようと思う前に見つかった。やべぇ、私の今日の一日が終わる。
 意味も無く身構えた。見ろ、あの友人の顔。凄い形相をしている。そしてずんずんと人混みを掻き分けて私の元へ歩いて――来ない。
「あれ?」
 いったいなんのフェイントか。構えを解いて、自然体で待ってみる。
 来ない。
 思い切って、手を振ってみる。
 来ない。
 ……仕方ないから、こっちから近付いてみる事にした。
 後退りした。
「冗談だろ?」
 思わずそんな言葉まで漏れた。流石に何事かと思って、友人の元へと小走りで近寄る。友人はなおも後退りしたが、途中でコケそうになったのを堪えてその場で止まってしまった。
「あの、どうして」
「来ないで!」
 ……冗談だろ。
「あ、う、その、ちが……ううん、その」
「どうかしたの?」
「あ、あな、あなたとは、ぜ、絶交!」
「は?」
「絶交! 絶交だから! そういうことだから! 同好会にも、あたしが退会届け出す! に、二度と来ないで!」
 それだけ一気に捲し立てて、友人は何処かへ走り去ってしまった。

 最近、何かがおかしい。
「……これ、喜んでいいのかな」


――――


「ユリ、カップ麺できたよ」
「ああ、どうも」
 私の分のカップ麺を手渡して、ヤイバはまた携帯ゲーム機を弄り始めた。毎度の事ながら、こうして窓の光に照らされた灰色のテイルスチャオという奴の違和感は究極だ。
 受け取ったカップ麺を食べながら、私はこの部屋――ひいてはこの事務所の主たるソニックチャオの寝姿へ視線を移した。白い帽子をアイマスク代わりにして、今日もゼロ所長は明るい睡眠時間を貪る。
 小説事務所は、今日も平和だ。
 名前に反した何でも屋は、有名人の護衛もするし傭兵部隊みたいな事もする。一度は崩れた結束を持ち直した日々もあったりしたけど、そんな事は誰も覚えてないかのように平和だ。
 私みたいな一般人が、暢気に所長室でカップ麺を啜る事ができる。これ以上の職場は、あらゆる意味で見つかりはしないだろう。
「というか、まだ残ってるんだ」
 所長室備え付けの冷蔵庫の上に乗せられたというか飾られたカップ麺は、もはや食べるのが勿体無いぐらいに沢山あった。所長が義兄さんに押し付けられたというカップ麺だ。
「当分の昼食はカップ麺だろうね」
 なんか貧相な事務所だよなぁ。裕福な筈なんだけども。
「でもこの事務所が出前頼むと、どの店の人もあれはいかがこれはいかがって言うんだよな。なんでだろ?」
「ネタで質問してるの、それ?」
「うん」
 タチ悪いな、おい。
 私達がそんな他愛の無い会話をしていると、ノックも無しに所長室のドアが開かれた。
 そこに立っていたのは、ヒーローヒコウタイプのチャオの姿。事務所きっての武力派ツッコミ少女、ヒカルだ。ドアを開けるや否や、部屋の中をキョロキョロと見回す。
「どうしたん?」
「……ううん、なんでもない」
 何故か肩を落として溜め息を吐き、それから寝ている所長に近寄って体を揺すった。
「お客さんですよー」
「誰」
 帽子の下から気だるい声が聞こえてきた。眠そうにしてるけど、起きるのだけは早い。
「失礼します」
 所長室に入ってきたのは、スーツを着た初老の男性だった。その後ろに警察官らしい格好の男が二人、スーツの男に随伴していた。
「んだよ、よりによってGUNか」
 顔を上げて帽子を被り直した所長の顔は、誰が見ても嫌そうだった。横にあった眼鏡を掛けて、所長の正装へと戻る。
「先日の合同作戦の件については、改めて感謝の意を表します。町内復旧の資金援助にも手を貸してくださったようで」
「毎日を健やかに眠れる町づくりに貢献してるだけだ。それよりちゃっちゃと用件を言ってくれ、断ってやるから」
 スーツの男が感謝の言葉をズラズラと並べ出すのを、所長は見事に両断した。
「GUNと事務所って、仲悪いの?」
「本当はね。体裁上は仲良くしてるけど、事務所の存在を快く思ってる権力者は多くない」
 そんなヤイバと私の小声の会話をよそに、話はおよそ良い方向には進んでいないようだった。
「報酬は弾ませていただきます」
「うちの店の看板を百万回読み直してから出直してきな。金じゃ動かん」
「しかし、事は急を要します。この依頼を解決すれば、世界各地での問題も」
「なおさら自分達でどうにかしたらどうなんだ? 困った時にすぐ誰かの力に頼るから良い目で見られねーんだよ、ちったぁ努力しろ努力」
「これは政府からの依頼でもあります。是非とも、あなたがたの力をお貸し願いたい」
「どうせお前らのとこの連中も同じ目に遭ってるから手に終えないんだろ? はっきり言って子供の面倒見るのやめた親が親権を金と一緒に押し付けるようなもんだぞ、もう少し身の振り方を考えろよ」
「ここはいわゆる何でも屋のはずです。何故依頼を受けてくれないのですか?」
「確かにここは何でも屋だが――俺達は偽善集団じゃない。仕事は選ぶし、コンディションにも注意を払う。無責任に仕事を請け負って、解決できませんと依頼者に報告するような真似はしない」
「つまり、あなたがたではこの問題を解決できないと」
「まったくもってその通りだ。どっか催眠術のプロにでも頼むんだな」
 この辺りで折れたのか、GUNのお偉いさんは力無さげに首を振り、そのまま踵を返した。それを見た随伴の二人も揃った動きで回れ右をする。凄い芸だと思う。
「また来ます」
「今度来たら涙の出る差し入れを用意してやる」
 お互いに捨て台詞っぽいものを残して、所長室に再び平穏が戻った。
「……で、なんの話だったんですか?」
 私とヤイバだけあまり話を真面目に聞いてなかったので、私が依頼について聞いてみた。
「ニュースでも騒いでるラリった連中の事だ。あいつらをどうにかしてくれってさ」
「え、どうやって?」
「だから断ったんだ。まぁ気にするな」
 そう言って所長は二秒で寝た。はえぇ。
 しかし、ニュースなんかで取り上げるテレビの向こう側みたいな出来事に私が関わる機会があると、なんだか新鮮な感覚がある。庶民故の感性なんだろうな、こういうの。

「ところで、さ」
 一旦停止した会話を再発進させたのはヤイバ。
「ヒカル、どうしたの?」
 脈絡のない質問に、代わりに私が首を傾げた。どうしたと具体性のない言葉だけで、私は話についていけない。
「あたしの台詞よ。カズマはどう――」
「長年の夢だったネトゲ廃人を目指し始めたよ」
「……そう」
 そこで話は一度途絶える。
 二人の話す横で、私は今の会話を噛み締めて味を確かめる。ヒカルの様子がおかしい。それはカズマの様子がおかしい事に起因する。当のカズマはネトゲ廃人……うむむ。
「なんのゲームして痛ぇ」
 先読みされたようにヒカルにハリセンで叩かれた。
「言葉をそのままの意味で受け取り過ぎよ」
「いや、冗談だって、冗談」
「じゃあどういう意味かわかる?」
「カズマが人目を気にしてネト痛ぇ」
「ユリってアメリカンジョークとかわからないタイプだろ」
 物理と精神的な攻撃を受け、私のヒットポイントは下り坂急降下した。
「……わかるようにおしえてください」
「カズマの様子がおかしいの」
「加えて今日は家で休んでる」
 最初っからそう言えよ面倒くせーな。
「何かあったの?」
「それがわかればあたしだって苦労しないけど」
「彼女としては心配だと?」
「ばっ……!」
 ヤイバがあかんことを口走ったのか、居合い一閃ハリセンの抜刀が襲いかかった。ついでに私にも。
「ちょ、私は何も言ってな」
「彼女って何よ!?」
「いや、今更そんなこと」
「ガキとはいえ仕事してる身なのよ!? 何日も調子悪いじゃ困るのよそうでしょ!」
「ユリが休んでる時には聞かなかった台詞だな」
「だから今ついでに叩いといたのよ!」
「なにそれひどい」
「わかったらさっさとどうにかしなさい! ただでさえハルミちゃんも休んでるんだから」
「ハルミが?」
 思いもよらなかった言葉に、私達は敏感に反応した。
「リムさんの話だと、お昼頃には行くって」
「リムさん?」
「話してなかったっけ。オレ達の履歴は特殊だから」
 よくわかんない顔を傾げたら、ヤイバが丁寧に教えてくれた。
「まず、先輩とパウが近場のアパート暮らし。ただ先輩はあんまり帰ってない。リムさんはハルミと一軒家暮らし。オレとカズマは同じマンション、ヒカルはその向かいのマンション暮らし」
 どんだけアットホームなんだよお前ら。本当に同僚だけって関係じゃない。例えるなら寮生達だ。
「まぁ、今日はいいだろ。明日も来なかったらお見舞いでもしに行こう」
 ヤイバが冷蔵庫から缶コーラを三本取り出して、それぞれ私達に配る。
 プルタブを上げる音を乾杯代わりにして、話はそこで終わった。


 ……あれ、ミキはどこに住んでんのよ? 教えてくれないのかよ、おい。
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No.2
 冬木野  - 11/1/16(日) 4:50 -
  
 次の日。
 カズマはまた欠席していた。

「ごめんね、付き合わせちゃって」
「ううん、全然大丈夫。どうせ暇だし」
 結局、お見舞いという名のお説教メンバーは私とヒカルだけになった。ヤイバはオテアゲザムライという謎のポーズを取って自粛し、ハルミちゃんは「お任せします」という一言だけを私達に預けた。
 昨日は結局、正午を軽く過ぎて二時半頃に事務所に来たハルミちゃん。頭痛を理由にして一応謝ったのだが、もちろん誰も怒る事はなかった。怠慢企業の最先端を地で行く事務所故の待遇だ。
 だからカズマの欠席に対しても、所長を始めとして多くの面々が口を揃えて「どうでもいい」とか言うもんだから、そわそわしまくるヒカルの肩を私が叩いたというわけだ。
 最近わかった事だけど、私ったらどうもお人好しな気がする。
「大丈夫よ、誰もマイナスに思ってないから。おかげで前も所長さん達を」
「わかったありがとうお願いだからそれ以上はやめて」
 続く感謝の言葉を、私はとにかく遮った。
 所長達の疑惑の可能性を私の手で振り払ったあの事件。思えばあの時、私は二度も恥ずかしい真似をした。
 最初はGUNとの合同作戦の時の、敵側のヒーローチャオへの啖呵。あそこから形勢が逆転したような展開を迎えたが、ぶっちゃけた話あんな恥ずかしい言葉は欠片も要らなかった。あれを戦線にいた全員が聞いたというのだからやってられない。
 しかも後日、パウ達の冷えきった声に熱を取り戻させるさせる為に演説をした。あの時、私はパウの「どうしてボク達を信じてくれるの?」という簡単な質問に答えられなかった。その時代わりに答えてくれたのはヒカル達だった。
 ただ、その後に頭を冷やしてよくよく思い返すと実に幼稚な理由だった。
 ――パウの冷えきった声が耳障りで逆上しただけだ。
 あの時の私の頭は如何にもな綺麗事で飾られていた。だが結果はどうだ? 幕は別の人間が引いた。家族? まだ二ヶ月も付き合いがない私に、そんな感情はない。その点で、私はパウ達とは同意見だった。
 後で冷静に考えれば、私は子供を満足させる為の幸せなストーリーをでっち上げただけだ。
 まぁ、そんな道化みたいな真似をしたのはいい。問題はその時の演説内容だ。なんだよあれ今時あんなバカな事口走る奴が現実にいるかよ筋金入りのファンタジアじゃねーんだぞマジ赤っ恥もんだよおい。
 ――訂正しよう。
 最近わかった事だけど、私ったら恥ずかしがり屋な気がする。
「大丈夫、恥ずかしがらなくていいから」
 そう言われるのが一番恥ずかしいんだよなんでわかんねーんだテメーカズマの事突っつくと抜刀するくせによー。
 なんて言葉は、口が破けても言えなかった。


 そんなこんなで、カズマとヤイバが利用してるマンションの前までやってきた。
「で、あたしのマンションはあっちね」
 そう言って向かいのマンションも教えてくれた。
 まぁ、なんつーか。
「でけぇ」
 良くて五階か六階程度だと思ってた。十何階あるんだこれ。
「カズマのとこが18で、あたしのとこは15かな」
 私は主要都市に住んでいる事を改めて再認識した。これくらいが当然なのかもしれない。それなのに私ったらちょっと広いのが唯一の長所であるおんぼろあぱぁとに住んでるんだもんなぁ。不公平にしか思えない。
「所長に頼んでみたら?」
「え? なんで」
「お家がないよーって愚痴ったら、いつの間にか居住権が」
「えぇ……」
 改めて、我らが小説事務所の化け物っぷりも再認識した。極度のお人好しか、よっぽど金の使い道がないかだ。そのうちヘリにでも乗って金ばらまきだすんじゃないだろうか。
 私がそんな事を考えながらマンションを見上げていたら、ヒカルがマンションの入り口から出てきた。あれ、いつの間に入ってたんだ。
「ダメね。居留守決め込んでる」
 最近のマンションと言えば、セキュリティ面がそれなりにしっかりしてる。玄関口には入居者の持つ鍵が無いと入れない自動ドアだとかもあるし、裏口とかそういうのには監視カメラが付き物だ。
 来客者は玄関口のお電話っぽいサムシング使ってお目当ての人物が住む部屋の番号を押して入居者へ通話、然る後いいから入れろと催促してようやく入れるわけだ。実に面倒くさい。私がアパートを選ぶ理由の一つ。
「仕方ないわねー、自力で行くか」
「え? 自力って?」
 言葉の意味を理解しかねる。そんな私をよそに、ヒカルはマンションの外壁を伝って何かを探す。止まった位置は……排水用のパイプ。

 ヒカルは。
 有無を言わず。
 登り始めた。

「はあああああああああ!?」
 テメーツッコミキャラだからって調子乗んじゃねーよどっちが本業だよ涼しい顔してツッコミしといてこういう局面でボケてんじゃねぇよ兼業してるつもりかよそれとも「こういうのは天然だからぁ、ノーカンなんですぅー」とか言ってごまかすつもりじゃねーだろーなおい待て――
「あ、待ってていいから。すぐ戻る」

 …………。
「誰も……見てないよな?」
 仕方ないから、私も登る事にした。


 だからって、最上階とかはないと思う。
 バカとなんとかは高い所がなんとやらと言う。カズマの場合は知識面は悪くないんだろうけど、やってる事は確実にバカだ。
「ほら、起きなさいよ! こっちの気持ちも知らないで、居留守決め込むぐらいならせめて下の階に引っ越してよ」
「……また登ってきたの?」
 ベッドで布団の蓑虫へとジョブチェンジしたカズマの呻くような声がそう答えた。
 というかツッコミどころ満載である。またってなんだ、ヒカルに対して居留守使ったらエブリディ不法侵入かよどういう神経してやがる。明らか下の階に越す手間は未来永劫必要ない。本当にツッコミっていう勢力なのかよハリセン響かせるのが仕事じゃねーんだぞ。
「事務所来ないのは勝手だけど、連絡ぐらいはしてよ」
「心配かけてるのはわかってるけど」
「だ、誰が心配してるって言ってるのよ! あんたが来ないと暇だ暇だってヤイバがうるさいの!」
「いや静かだし、うるさいのはヒカ嘘ですごめんないその紙の束しまってください」
 だんだん付き合いきれなくなってきた私は、カズマの部屋へと意識を移した。
 感想としては、意外なものがあった。事務所生活でのヤイバとの姿を見ていると、部屋に本だのパッケージだのが乱雑してるのかなぁと想像していたが、その実結構片付いていた。
 ただ綺麗と言えるかと言えばそれほどでもなく、パソコンの周辺やテレビの前のゲームだとか、そういう局地的な範囲で片付けがされていない。ある意味区切りのついた性格の現れた部屋だ。と思う。
「そんな事はいいの! とりあえず元気なの元気じゃないの?」
「元気じゃない」
「どっか調子悪い? 頭? お腹?」
「別に」
「じゃあ何よ? 季節外れの五月病?」
「うん」
 私だったら、ここでハリセンを抜刀していたに違いない。普通に聞いていたら、ここがツッコミどころだと思ったから。
 でも、ヒカルは違った。
「……何があったの?」
 抜いたのは、ハリセンではなく気遣いの言葉だった。
「別に」
「嘘。いつまでも中学のガキみたいにしてないで言いなさいよ」
「何もないよ」
「いいから、とりあえず布団から出て」
「面倒くさい」
「別に寒いわけじゃないからいいでしょ、早く」
「やめろよ」
「カズマっ」
「やめろっていってるだろ!」

 布団から出てきたのは、酷い顔だった。
 目の焦点は緩く動いて定まらず、口は微かながらも震えてる事がわかる。
「……ごめん」
 謝ったのはヒカルではなく、カズマの方だった。
「ねぇ、どうしたの? 何があったの?」
「具合悪いだけじゃないでしょ? いいから言ってみて」
 タダゴトなんかじゃない。そう思った私達は居ても立ってもいられず、考え得る様々な気遣いの言葉が口々に漏れた。
 だけどカズマは、その全ての言葉に対してたった一言だけ言って沈黙した。


「ごめん。一人にして」


――――


 後日、やはりカズマは来なかった。

 雲が太陽を覆い隠し始めたお昼頃の所長室で、所員達は集まっていた。
 所長であるゼロさん、IQ数百疑惑の天才少女であるテイルスチャオのパウ、受付に佇む幸運の笑顔を持ったウサギっぽいヒーローチャオのリムさん。
 武力派ツッコミのヒカル、今日は所長室の隅にあるパソコンを占領しているヤイバ、関節技プラスカズマ達に仕込まれた謎のネタを構える灰色ヒーローコドモチャオのハルミちゃん、考える人も腰を浮かす不動の石色アンドロイドヒーローオヨギチャオのミキ。
 そして来客用ソファの端っこに、民間ソニックチャオの私がちょこんと座っていた。なんか向かいに座るパウがじーっと見つめてくる。その視線はおそらく私のカチューシャに向けられているのだろう。このカチューシャの正体は通信機なのだが、申し訳程度につけられた白いリボンの装飾は彼女のコーディネイトだ。これ以上弄らせてたまるかよ。
「――で、どうしろって?」
 流石に所長も鬼じゃないのか、私達の説明を聞いてなお放っておけとか言うわけじゃなかった。だが、それに対して打つ手がない事も理解している。それを含めて、やや冷たさのある言葉を寄越した。
「これ、内輪だけの問題じゃないかもしれないね」
 どこか確信めいた言葉を持ってソファを立ち上がったのはパウ。
「内輪だけじゃないって?」
「最近話題のラリーストパラダイスだよ」
「は?」
 私の声はヒカルと重なった。オフロードレーサーのお祭り?
「ラリった人がパラダイス」
 とんだ造語だなおい。
「どっちの意味で取ってもあぶねぇー」
 今日そんな言葉を飛ばすのはヤイバだけだ。相方は今日はいない。だけどそんな事欠片も気にしてないように見える。これが取り繕った演技だとしたら大したものだと思う。
 要約して発狂者続出事件の意味である事を確認して、話を続ける。
「ゼロから依頼者が来たって聞いたから、リムと一緒に少し調べてみたんだ。カズマはそのケースとほぼ一致する」
「なんだお前ら、わざわざ調べてたのか」
「はい。ラリパラ該当者の初期症状は多様ですが、大方は人との接触を避けるという事が挙げられます」
 略すんじゃねーよ。
「初期症状が多様って、他にも何かあるん?」
「そうだね。拒食気味になる、行動したくなくなる、発声も億劫になる、などなど。基本的には引きこもりだすよ。ある種の鬱病だね」
「じゃあ、鬱病なんじゃないの?」
「それで済めば、ですけどね。このまま日数が過ぎるとじきに発狂します」
「どれくらい?」
「正確な日数はわかりませんね。個人差が強いようです。三日程度で発狂した人もいるし、中にはラリパラ発覚以前からずっと鬱な人もいるとか」
 見積もって一ヶ月くらい前、と補足された。そんな長い期間も家に引きこもるなんてちょっと想像できな――何故かみんなの視線が私に集まった。
『ひょっとしてユリもラリパラだったんじゃないの?』
 そんな幻聴が聞こえた。いやにはっきり、みんなの声で。
 私のみが解く事を許された沈黙が訪れる。
 窓の外が、異様に暗い。今日は曇りだ。季節外れの台風が近付いてるわけでもないけど、ひょっとしたら落雷したりするかもしれない。そういう不安が、雲のように近付いてきたけど。
 私は首を振って、その妄想を振り払った。
「そんなに根性無しじゃないから」
 自分でもわかるくらい、頼りなく首を横に振った。
「……まぁ、ユリは原因がはっきりしてるからな」
 所長の素っ気ない言葉が、酷く安心した。
 雷なんて、落ちてこなかった。


 結局、それ以上の詳細な情報は出てこなかった。所員達はろくな対策も立てられぬまま解散。
「ちょっと寄るところがある」と言った所長は、何故か冷蔵庫からコーラを何本か取って出かけてしまった。それを見た所長室常連のヤイバもつまらなさそうに退散。
 そうして部屋に残されたのは、私含めた三人だった。その中で終始口を開かなかった一人に私は声をかける。
「どう思う?」
 ハルミちゃんだった。ミキはそもそもべらべらと喋らないのでノーカンだ。
「え、何がですか?」
 何故かぼーっとしていたハルミちゃんは、声をかけられただけで驚いたのがわかる。
「ラリパラの事。カズマもその節があるって」
「あの、実際に見てきたんですよね。どうだったんですか?」
 小さな子供の見せる心配そうな目を見ると、何か嘘をつきたくなる。けど、さっきの話を聞いてカズマがラリパラ患者だという事はこの子にもわかっただろう。嘘は意味を成さない。
「はっきり言って、酷い状態だった。ひょっとしたら……発狂寸前かも」
「……そうですか」
 でも、ハルミちゃんは信じられない顔をするわけじゃなかった。むしろその事実を吟味するように黙り込み、口元に手をあてて考え込む。
「何か気になるの?」
「……別に、そうじゃないんですけど」
 とかなんとか言っておきながら、考え込む姿勢は崩れない。この子なりに気になる事があるのかもしれない。意見として成立したら聞く機会もあるだろうか。
「ミキは?」
 一応、今日ここで会ってから動いているところを見ていないミキにも話を振ってみた。なんの誇張表現もしていない事を言っておく。素でピクリとも動いておらず、部屋の隅にある椅子で置物業まっしぐらだ。
「何も」
 ようやく動かした口元は、たった三文字の言葉を私達に向けて放った。
 今時どのオモチャだってべらべら喋るのにな。
引用なし
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No.3
 冬木野  - 11/1/16(日) 5:02 -
  
 次の日。空色は見慣れたグレー。今日も曇りだ。
「はあああ」
 風呂上がりまたは飲み物を飲んだ時に吐く息みたいな溜め息が漏れた。
 今日の夢は格別におかしかった。昨日までは冬期オリンピックだの空戦のドッグファイトだのの夢だったのに、今日になって更におかしくなってきた。
「なんで巨大ロボと生身で戦わせられるんだよ」
 何故か数多くの巨大な戦闘兵器相手に無双する夢を見た。目が覚めてから、夢の中の私にぞっとする。ノミみたいな跳躍力を持ち、ドリルほど手間の掛からない貫通力を持った手で並み居る敵をばっさばっさと貫き倒す。なんか起きてから肩凝ったような錯覚まで覚えるんだからやってられない。私っていったい何者なのさ。
「へぇ、面白い夢見てるんだね」
 そんな面白そうな感想を暢気に寄越したのは、事務所に向かう途中で偶然会ったパウだった。
 彼女が世間でいうボクっ娘である事を、事務所に入ってしばらくは私の知識には無かった。
 彼女に貸してもらったライトノベルのいくつかを読んでボクという一人称を使う少女を見る度に、私は彼女の顔を見てしまう。それが気になりだしたのか、パウがどうしたのかと聞かれたので、思わず説明を求めてしまった事がある。
「いわゆるボク少女って奴だね。そういうのに惹かれる人は多いみたいだよ。現実だとあまり歓迎されたものじゃないみたいだけど、昔に比べて実際にボクって一人称の人は増えてるらしい」
 自信満々に説明するもんだから、私は何も言えなかった。棚に上げてるのか、ただ意識してないだけなのか。
 だが、私はそんな彼女と仲が良い。だから私は最近見るおかしな夢の事を気兼ねなく話したら、彼女も最近類似性のある夢を見ているのだという。
「ただひたすらに通路を歩く夢なんだ。石造りの建物の中だけじゃなくて、洞窟の中とか、水路とかも歩くんだ。決まって主観のまま歩いてる。迷路みたい」
 それってウィザーなんちゃらっていうゲームじゃないだろうか。よく知らないけど。
「ただ、未だに誰とも会わないんだよ。おまけに何も見つけられないし、なんの為に彷徨ってるのか自分でも謎なんだ」
 そういうのは私も同じだ。得体の知れない連中だのなんだのといろんな方法で戦ってる。もう寝るのやめようかな。
「だめだめ、そういうのは良くないよ。寝ないと死ぬよ。ネズミだったら二十日程度でね」
 じゃあ私達チャオはどれくらいで死ぬんだ、と聞いたらパウは首を竦めた。多分パウがそういうのを知らないはずはないから、きっとまだ明らかにされてないって意味かな。
「もちろん、過剰睡眠も良くはないんだけど」
 そろそろ事務所の姿が見えてきた。パウのその視線が誰に向けられたものかは、聞かずともわかる。
 所長は、どんな夢見てるんだろう。


「土管でワープしまくる夢」
 無性にゲーム機を蹴り飛ばしたくなった。それを察したヤイバが正方形のゲーム機を用意したので、やっぱ遠慮した。
「ゲームボーイがよかったかな? あれの生存率は異常だからねー。チェーンソーも刃こぼれするんじゃない?」
 やめてくれないかな、そんな不謹慎な話。
 仕方ないので、所長の夢の詳細を聞いてみた。これがまた理解に苦しむ夢で、気がつくと穴の中を落ちている光景に始まる。どうやら土管の中らしい。どれくらいかして吐き出されるように土管から射出、広大な草原の青空まで高らかに飛ばされたかと思うとじきに急降下し寸分の狂いも無く土管へホールインワン、そしてまた土管を落ちる。次は砂漠、その次は海、とまぁそんな夢だとか。
「なんでそんな夢見てるんですか」
「俺が知るわけないだろ」
 答えはわかりきっていたけど、反射的に聞かざるを得なかった。
「お前らだってどっこいどっこいだろう」
「余計なお世話です」
「ヤイバ、君はどんな夢?」
 見ている事前提でパウが訊ねた。いやまさかそんな都合よく奇想天外な夢を見ているわけが――
「ゴーストタウン」
「……は?」
 そんな気抜けた声を出したのは私だけだった。
「なんて言えばいいかなー、古今東西無人の町を行ったり来たり。そんだけ」
 普段はソロだけどたまにマルチプレイだよ! 誰だか知らんけど。だってさ。意味わかんねぇ。

 こうも都合良く夢見る奴らが集まると、流石に残りの所員達も気になってくる。そういうわけで、私一人で残りのメンバーの夢も聞いてみた。
 リムさんは我が家で多種多様な仮面を整理する夢を見ていた。汚れを拭き取ったりするのが主だと言うが、たまにもういらないと判断した仮面をまとめて捨てたりもしているという。まるで日常風景のように語るもんだから、背筋を冷たいものがヒルクライムした。
 ヒカルのはちょっと異様で、決まって真夜中の廃屋や学校を歩き回っている夢だ。実は幽霊の類が怖くてしょうがないという彼女だが、夢の中に限ってはビビって逃げるのは自分を見つけた一般人だと言う。おかげさまで起き抜けは複雑な面持ちで首を傾げる毎日だそうだ。
 唯一の例外はハルミちゃんとミキ。前者は単純に見ていないと証言、後者は……まぁ、何も言うまいよ。

 私の夢調査はここでは終わらなかった。ヤイバの協力をもらってアンケート用紙を作り、ステーションスクエア駅前でアンケートまで実施した。
 街頭でアンケートを取るなんて経験がなかった私はうまくいく気が全然しなかったが、そんな予想に反して足を止める市民達が多くて驚いた。しかもそのほぼ全員が自分の夢について嬉々として書いてくれるものだからちょっと信じられなかった。
 そして肝心の夢の内容は、私の予想通りのものがあった。夢の内容こそ多種多様だったが、共通点として挙げられたのは似たような夢を継続して見続けている事だった。
 この結果を受けて、私の中に一つの確信めいたものが芽生える事になる。

「――で、今回はいったいどんな仕事をしてるんだい?」
 これはアンケートを受けてくれた一人の老婆の言葉だ。なんだぁ、小説事務所って意外にメジャーな存在だなぁ。
 あんまうれしくない。


――――


 そしてその翌日。鞄の中に大量の用紙を詰め込んで所長室の扉を開けた私は、思わず立ち尽くしてしまった。
「だからなぁ、無理なもんは無理だって言ってるだろ。箸じゃスプーンは掬えねぇ、わかるな?」
「しかし私どもも、もはやあなたがたに頼るしかない状況に」
「俺達はそれを断るしかない状況にあるな」
 私の前に直立不動していたのは二人の警察官っぽい服装の男、いわゆるSP。それに守られるようにして先頭に立っていたのは、この間のスーツ姿。またGUNが依頼しにやってきたみたいだ。なんというか、良いタイミングでやってきたと思う。
「お前さん達よぉ、よくよく考えてみろよ。ハムスターは音楽鑑賞しないし、猫だって水泳は趣味じゃない。足で野球ボール相手にしたら痛いもんだし、ウェットスーツ無しの寒中水泳じゃ獲ったのとの字も叫べない」
「……このまま国民達に救済の手を差し伸べないままというのは、国に対する裏切りになります」
「そういうのは軍人や政治家に言ってやる台詞だ。俺達はそのどちらでもない」
「そういった発言は控えた方がよろしいかと。自分達の足場を危うくしてしまいます」
「自分の事棚に上げて偉そうな口聞くな。いろんな意味で足下ふらついてんのが見え見えだぞ」
 だんだん話の方向性がきな臭くなってくる。こういう風に、自分が日常よりも危うい位置にいる事を思うと気持ちが萎える。最近これが不安というものだと気付いたのだが、そのわりには軽く入り交じったイライラが違うんじゃないかなーとも思わせる。
「……あのー」
 この局面で声を出したのは凄い勇気のある決断だと思う。その場にいた一同の顔がぐるりと私の方に向く。なんだこのプレッシャーは。
「なんだよ」
「如何なさいました」
 声が怒ってる。声が怒ってるよみんな。とりあえず落ち着けよ。
 これは鞄の中の紙を取り出せる雰囲気じゃないなと察した私は慎ましやかに一礼、然る後そそくさとカニ歩行でサイドステップ、所長室隅のパソコンへと避難した。というかなんで今日に限って所長室には所長と客しかいねーのよ。
「それにな、俺達だって別の仕事で忙しいんだ。なぁユリ?」
「えっ?」
 唐突にお声がかかって何がなんだかわからない私。それを気にせず、たった今パソコンの横に置いた鞄を所長が勝手に開けた。その中にある沢山の用紙も、私の承諾無しに勝手に取り出す。
「とある有名大学からチンケな依頼が来たんだが、話を聞いてみるとこれが興味深くてな」
 平気で嘘を並べて、私の苦労の結晶も一緒に机に並べた。スーツ姿のGUNの上官さんはその何枚かを手に取り、埃でも探すかのように目を皿にした。
「まるで出来損ないの卒論資料ですね」
「そうだ。だが、良く読んでみろ。一枚一枚な」
 言われて、もう一度目を皿にする。あれ割ってもいいかな。
「直接の共通点はないが、類似性はわかるか?」
「類似性、と言いますと?」
「ちょうどいいや。お前らも資料充実に協力してくれよ」
「そうすれば、依頼を受けてくだ」
「うっせいいからさっさと言え猫背」
 うわとんでもねぇ事言いやがったこの所長。
「では僭越ながら」
 僭越なのか。
「私の夢は、ひたすらにカップラーメンを啜る夢です」
 私達は盛大にずっこけた。上官さんはともかく、その後ろの二人の直立不動っぷりは凄まじい。あんたらSPの鏡だよ……おい、口元歪んでるぞ。笑ってんだろ。
「なんだお前、ずっとそんな夢見てるのか。食欲無くすぞ」
「ええ。おかげさまで食事も喉を通らなくて」
 その視線がチラチラと冷蔵庫の上に向くもんだから、なんだか申し訳なくなってしまう。ごめんなさい裕福なくせに貧乏臭い事務所で。思わず気遣いの心が働いて、冷蔵庫の中のコーラを出してあげてしまった。
「これはこれは、恐縮です」
 飲んだ。随分と緩いなあんた。
「しかし、私が同じ夢を見続けている事を知っているとは……まさか」
 飲みながら、もう一度私の集めた資料に目を通す。
「ほほぉ……どの市民も、似た夢を毎日見続けているのですね。これは確かに興味深い」
 差し出されたコーラをちゃちゃっと飲み終え、上官さんはさっと身を翻した。
「では、またお訪ねさせていただきます。明日には、いろいろとまとめておきますので」
「何をだよ」
「まぁ、いろいろと」
 何故か楽しそうに去る後ろ姿を、私達は不思議そうに眺めていた。


――――


 答えは後日明らかになった。

「……よくもまぁ」
 なんと評価したものやら、所長の言葉はその先を言わなかった。
「資料作成はとても苦労しました。言葉すらも正常に話せない者が多かったもので」
 次の日にGUNの人達が持ってきたのは、GUNに所属している中でのラリパラ患者約三十人の資料だった。その資料に書かれている夢も全て、毎夜見ている事がわかる。
 ただ、その内容は酷いものだった。
「安眠妨害のロードショーだな」
 所長の感想は、そりゃもう的確だった。
「その夢は全て、本人達のトラウマや後悔などの負の面を持っているとの事です」
 上官さんのその言葉を、その時の私は実にすんなりと飲み込んだ。納得せざるを得なかった。内容こそ描写できたものではないが、もし私だったら一週間も見なくたって発狂できる。それくらい、この夢の内容は酷い。
「日本のホラー映画の主人公かよ」
 ただ身に迫る恐怖や嫌悪に抵抗もできず、一方的に突き付けられるばかりの毎夜。それが当人の心情だろう。そりゃ発狂するのも頷ける。
 そうだ。ラリパラ患者達はなにも危ない薬を食らったわけでもない。頭に原因不明のウィルスを住まわせたわけでもない。毎日毎日、同じ夢を見せられただけだ。目を背ける事も許されない、自らが感じる負の面。
「――ダークサイド」
 闇夜に潜む、闇そのもの。
 それが私達の対抗するべき敵だ。
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No.4
 冬木野  - 11/1/16(日) 5:16 -
  
「ご協力、感謝します」
 相互共に利益一致す。ぺこぺこ頭を下げるGUNの上官さんの手を、所長はやる気無さ気に握り返した。
「しかしお前らも無駄足踏んでたもんだなぁ。どうせ医学面追求しかしてなかったから何も掴めなかったんだろう」
 しかも協力体制を見せた途端に皮肉が飛び出すもんだから、もう放っておいていいものかと思う。
「いやはや、お恥ずかしい」
 確定した。放っておこう。これが自然なんだ。
「まぁ、今も状況は変わんねーけど」
 所長の言葉に、その場の一同は一度沈黙に包まれた。
 突如全世界を覆ったラリーストパラダイス。その原因に、毎日同じ夢を見続ける事が起因している事はわかった。これは大きな一歩だ。
 しかし、その一歩踏み込んだ先は未だ未知の領域だった。むしろこれからが本番とでも言うようだ。
 何故同じ夢を見続けるのか。負の面を持った夢を見るのは偶然なのか、意図的にそうされたものなのか。これは人為的なものなのか、それとも偶発的なものなのか。
「私どもは、これは人為的なものだと判断しています」
 自信があるように上官さんがそう言い放ち、よく響く指パッチンを披露。それに反応したレフトのSPがどこからともなくノートパソコンを取り出した。どこにしまってたんだろう。
「世間の混乱を防ぐ為、マスコミにはなるべく情報を漏らさないようにしているのですが――ご存知の通り、発狂者は世界各地で続出しています。具体的な数は、この通りです」
 GUN内部にまとめられたデータ群らしき中の一部に記録されたその数を見て、私は息を呑んだ。
「約……ななおくっ?」
「ええ。推計された世界人口の一割です。正確な数というわけではありませんが、少なくとも億以上の発狂者がいるわけです。ちなみにここの国民だけでも千五百万人程と報告を受けています」
 せいぜい数百万程度と高を括っていた私は当然の如く面食らった。街を歩けば何人かすれ違ってもおかしくない――そこまで考えて、私はようやく気付いた。同好会に所属している私の友人もラリパラだったのだ。カズマと並んで、私達の身近にもラリパラ患者は潜んでいる。
「そして、その発狂者全員が例外なく悪夢を見続けている。これは明らかに人為的なものだと言えます」
「まぁ、その線は濃いだろうな。……だが、そうすると問題が出てくる。お前さん達もわかるだろう」
 上官さん、SPさん達が無言で頷く。そして何故か、みんなの視線が私へと向いた。自信が揺らぐからやめてほしいなそういうの。
「ええと、悪夢を見る理由?」
 無難に答えたら、みんな優しい目になった。努めて気にしない事にする。
 もしこれが人為的に引き起こされたものなら、その方法は一体何か。前例なんてこれっぽっちもないから、私達には方法なんて皆目検討がつかない。
「ウィルスでも蔓延してるんじゃねぇかな」
「悪性電波の仕業かもしれませんね」
「食品テロの類なのかも」
 飛び出す仮定は、大体こんなものしかない。
「まぁどのみち、これはいわゆる実験だろ」
「と、言いますと?」
「もし悪夢を見せる事が目的だとするなら、きっと七億という被害者は少ない部類だ。実行犯は、本当の意味で世界中の人間を悪夢に叩き落とすつもりだったろうよ」
 所長が何気なく話す恐ろしい仮説に、私は思わず体を震わせた。
「まさか、そんな」
「だって考えてもみろよ。俺達は悪夢でないにしろ、同じ夢を見続けてる。これはきっと俺達もターゲットだったはずだけど、予定外に意味不明な夢を見たと推測できる。あるいはこんなテロ染みた事が目的じゃない場合、悪夢の方が予定外なのかもしれない」
 根拠はねーけどな、と気軽に話す所長の頭脳に、私達は揃って感嘆の息を漏らした。わかりやすく、そして筋の通る分析だ。その頭脳は眠ってはいない事がわかる。
「まぁ、憶測だけで話したって何も進展ねーんだけども。捜査の方針くらいは決まるだろ」
「しかし、あまりにも捜索範囲が広すぎませんか? あなたがたは一体どうやってこの事件を調べるつもりですか?」
 上官さんがその質問をふっかけると、所長はその目をじーっと見つめ返した。えっ? って顔をした上官さんが私にも目を向けてきたので、所長にならって見つめ返してみる。
「も、もしかして我々が捜査するんですか!?」
 そういう事らしい。
「あのなぁ。こう見えて俺達、九人しか従業人いねーのよ。世界各地に拠点置いてるお前さん達と違って、俺達が駆け回れるのは球場程度なの、わかるか?」
「いや、しかし私どもはすでにあなたがたに捜査を一任するつもりでいましたので」
「依頼受けてやってる身なんだからそっちは捜索ぐらいせぇよ。こっちは情報面担ってやるから」
「は、はぁ……しかし、どこをどうやって」
「まぁ、さっき言った可能性潰す事からやってみれば? ウィルス探しだの、悪性電波検知だの、食料問題だのさ」
「う、うむぅ……」
 そうやって会議してるのがあまりにも楽しそうだったから、私はこれ以上口を挟まない事にした。


「んじゃあ、カズマの事よろしくな」
 上官さんが実にへこんだ顔で帰った後、私は所長にカズマさんの所へと寄ってくように頼まれた。地味に厄介な事を頼まれた。
 所長室の扉を背もたれにしながら溜め息を吐く。久々に忙しくなってきた。
 思えば私の当初のポジションは、事務所内では最有力のベンチ候補である予定だったのに、所長が変に仕事を回してくるものだからあっちこっち走り回るハメになっている。
「まぁ、別にこれくらい良いんだけどさ」
 そんな事を言っても始まらないので、それほど凝ってもいない肩を回して出発しようとし、すぐにその足を止めた。
「出かけるんですか?」
 ハルミちゃんが、ちょうど階段をあがってこちらにやってくるところだった。
「うん、カズマの家にね。一応お仕事なんだけど」
「ひょっとして、さっきのGUNの人から?」
 どうやらすれ違っていたらしい。話が早い。
「あの、わたしも一緒に行っていいですか? その、心配なんです」
 特に断る理由もないので、私は頷きだけで返事した。


 それにしても、天気が悪い。ここ数日、日の光が差し込むのを見ていない。
 天気予報では降水確率も高いと言われているが、今日も路面は濡れていない。逆にそれがうっとおしくて、さっさと降ってくれないかなと思い、その考えを改める毎日。街を歩く人達もほとんどが傘を持っていない。持っている人も手に持った傘を面倒くさそうに振り回したりする人がちらほら。
 そんな街の様子に感化されたのか、カズマの家へ向かう私達の間には会話が少なかった。たまに私がハルミちゃんに適当な言葉を振ってみるのだが、二言三言で会話は途絶える。
 やっぱりそんな気分じゃないのかなと思っていたが、どうも違うらしい。ハルミちゃんの顔を横目で見てみると、さっきから何か考え事をしているように見える。この前も確かこんな様子だった気がする。GUNとの合同作戦の次の日といい、考えている事が表に出るタイプなんだな。
「ハルミちゃん、なにかんがえてるの?」
「えっ?」
 試しに声をかけてみたら、目に見えて驚いた。隠し事もできなさそう。
「いえっ、別に何も考えてません! ち、ちなみにHPは2100です!」
 そこは聞いてねーよ。というか何の話だ。またカズマ達に仕込まれたネタなのか。
「アクションコマンドに失敗したので、HPだけですっ」
 ネタっぽい。というより、その体力の基準がわからないので高いのか低いのかわからない。
 結局、その後もハルミちゃんは考え事をしながら歩いているように見えた。


 カズマの住むマンションに着いた頃には、空色が露骨に悪くなってきた。
「こりゃ、そろそろ降るかも」
「急ぎましょう」
 そう言ってハルミちゃんはマンションの中に駆け込――いや、外壁にあるパイプを登り始めた。
「ちょっ、ちょっと」
「居留守なんでしょ? 時間が勿体無いです」
「いや、別にそれくらいの余裕は……」
 そんな言葉なんかちっとも聞こえやしないのか、ハルミちゃんはパイプを勢い良く登っていく。何をそんなに急ぐ事があるんだ、雨に濡れるのが嫌なのか?
 とにかくいつまでも眺めているわけにはいかないので、私も過酷なロッククライミングに挑む。前にヒカルと登った時は周囲をすこぶる気にしたが、ハルミちゃんが急いで登るのに釣られてそんな事に気を配れない。おかげさまで、前の三倍の速さでカズマの部屋に辿り着いた。ハルミちゃんはお構いなしにベランダの窓をがらっと開け、ずかずかと部屋に入り込んでいる。
「カズマさーん!」
「ハルミちゃん、そんな勝手に入っちゃ」
「それはヒカルさんに言ってからにしてください」
「いや、そういう問題じゃ」
 聞く耳持たず。ハルミちゃんはさっさと別の部屋を探しに行ってしまった。
「……ないんだけど」
 失速した言葉を吐き切って、私は横にあるベッドに腰を降ろした。
 カズマの自室。前に来た時と比べて、大して変化がないように思える。局地的に整理されていない、妙に区切りのある部屋。ゲーム機の周囲に散らばるパッケージ、パソコンの周辺に積まれた厚い本。ベッドから立ち上がってそれらを手に取ってみると、見覚えのあるものから全然知らないマイナーなものまで、実に様々な物がある。
「私も趣味が広がったなぁ」
 なんとなく、そんな呟きが漏れ出す。パウに貸して読んでもらったライトノベルに感化されて、私もアニメやゲームなんかの知識も多少はわかるようになっていた。いわゆる、二次元?
 パソコンに積まれた厚い本の内の一冊を手に取り、パラパラと捲ってみる。どうやら攻略本のようだ。こういうのは普通の本と違って特に繰り返し読む事が多いから、よくページにボロが来る。だがこれは新品同様と言っていいほどの物だった。まるで使っていないように見える。ひょっとしたら買うだけ買って読んでないんじゃないだろうか。
「まぁ、攻略サイトがある時代だもんね」
 ネットが発達してから、攻略本は一種のファンブックともなりつつある。ひょっとしたらカズマはそうと認識して攻略本をこんなに沢山買っているのかも知れない。
 手にした攻略本を本の山に戻し、私はマウスに手を触れてみた。少しずらすと、ディスプレイが明るくなる。どうやら電源をつけたままずっとスリープ状態で放置していたようだ。普通のノートパソコンよりも大きめのパソコン。いわゆるラップトップ型と呼ばれるものだ。小さいキーボードが扱い辛い私は、こういうのがしっくり来る。関係ないけど。
 最初に目に飛び込んできたのは天気予報のサイトだ。どうやらカズマも天気を気にしていたらしい。いつの話かはわからないが。
 更新ボタンを押して、最近の天気を確認してみる。今日の降水確率は60%。ふと気になって窓の外を見てみると、いつの間にか空色は元に戻っており、雨の降る気配が消えていた。
「また外れか……」
 もう100%以外の降水確率は信用しない方がいいのかもしれない。一応もう少し先の日の天気もチェックしてみると、降水確率100%は二日後ぐらいらしい。これで外したら天気予報なんて未来永劫信じない。
 お天気チェックも終わり、おもむろにタブをチェックしてみると、どれもこれも攻略サイトばかりだった。開いたままずっと放置してたのがよくわかる。事務所でヤイバと遊んでばっかで家でもこんな調子じゃ、いつ寝てるかわかったもんじゃない。所長が随分健康的に見えてくる。
「ユリさんっ」
 突然、部屋の扉をバンと開いたハルミちゃんが勢いで転んだ。
「だ、大丈夫?」
「カズマさんが……」
 痛そうな顔で起き上がって。
「カズマさんがいません!」
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No.5
 冬木野  - 11/1/18(火) 2:41 -
  
 空気が重い。
 この沈黙の主成分は一体なんだろうか。
 予想だにしなかった事に対する驚きか。
 早いうちに手を打っておくべきだったという後悔か。
 これからどうすべきかわからぬ故の悩みか。
 いずれにせよ、所長室の一同は今日の空色のように暗かった。
「どこに行っちゃったんでしょうね」
 リムさんが心当たりが欲しいと言わんばかりに所長室の面々を見回すが、誰もが力なく首を振る。
「あのままずっと引きこもってるかと思ったんだけどなぁ」
 冷蔵庫からコーラを取り出しながらヤイバがボソッと呟き、来客用のソファに腰を降ろした。その隣で、さっきからヒカルは俯いたままだ。この中では、一番心配してるんだろう。
「なぁミキ、あいつがどこ行ったかわかったりしないか?」
「わからない。私は電子面での能力はさほど有していない。カズマも見付からないように携帯機器は持ち合わせていないはず」
「だけどそれは理性が残ってる時の判断だろ? あいつは今ラリパラだぞ?」
 ヤイバがそこまで言った時、パウも口を開いた。
「そうだよ、カズマはラリパラだ。それがそもそも、どうして部屋にこもらずにどこかへ消えたんだ?」
「ラリパラだからどっか行っちまったんじゃないのか? 頭が逝っちまってんならタミフルよろしく走り出さん事もないだろ」
「……それは、ないと思う」
 所長の提示したそれらしい可能性を否定したのは、ヒカルの弱々しい言葉だ。
「あいつ、一人にしてって言ってた。誰にも会いたくないんなら、そもそも部屋から出てこなければいい」
「……じゃあ、なんでカズマはいなくなっちゃったんだ?」
 みんなの疑問を、ヤイバが改めて口にした。再び沈黙が訪れる。

「逃げたんじゃ、ないんですか」
 それを破ったのは、静かで、重くて、幼い声だった。
「……ハルミちゃん?」
 また、この顔だ。何かを考え込んでいる顔。その視線はぶれているわけではないが、何も捉えてはいない。口だけが、別人のように動いている。
「ラリパラ患者の共通点は、悪夢を見ている事なんですよね?」
「ん、ああ。そうだったな」
「その悪夢はつまり、その人本人のトラウマなどの負の面です。きっと、それのせいなんじゃないでしょうか」
「どういう意味だい?」
「何か、過去のトラウマがあって……それに関係するものから逃げている、とか」
「何から逃げてるっていうんだ?」
 所長の疑問の声に驚いたのは、多分一同の中では私だけだった。気のせいか、その声が異様に鋭く感じたのだ。
「それは、わからないですけど……」
 そこで再び会話が止まる。
 今、私達の手元にある情報は限りなく少ない。状況は絶望的だ。猫の手も借りたいくらいだが、頼んだって水泳はしてくれない。つまりこの件において、どこの誰もが手を打てない。
「ま、悩んだって仕方ない。ヒカル、ヤイバ」
「なんすかー」
「リムと一緒にカズマを探してくれ。ダメ元でも構わない」
「わかりました。ゼロさんはどうするんですか?」
 リムさんの問い掛けに、所長は言葉を詰まらせた。地味に珍しい光景だ。
「……まぁ、ゆっくり妙案でも捻り出すさ」
 挙句、頼りない言葉でリムさん達を送り出した。


――――


 ステーションスクエアに残った私は、所長とハルミちゃんと一緒にカズマの手掛かりを掴む為に今一度マンションへと向かった。
 所長は管理人さんと顔を合わせるや否や、二言三言話しただけであっさりと玄関口の自動ドアを開けてもらった。
「お仕事頑張っておくれよ」
 管理人のお爺さんは、にこやかな顔で通してくれた。小説事務所の事は当然知っているのだろうが、この丁寧な応対ぶりと言ったら。
「最初っからこうするんだった……」
 というか、とんだデジャブだ。いつの間に私には時間と労力をかけて昇降する事に定評ができてしまったのか。エレベーターに好かれてないのかな。
 ハルミちゃんが管理人への挨拶もそこそこに、何故かエレベーターのボタンを丁寧に二回押して待つ。特に待たせる事もなくさっさと降りてきたエレベーターに、ハルミちゃんが実に満足気な顔で乗り込んだ。よくわからない行動に首を傾げながら私も後に続き、所長は特に気にせずに18のボタンを押した。
 その時の私は、玄関口の自動ドアを蹴りたくてしょうがない衝動を抑えていた。

 そういうわけで、家宅捜査。
 知り合いの人の家を無断で漁るというのだからあまり良い気分ではなかったのだが、私が真っ先に開いた冷蔵庫の中身を見て、その気持ちはあっさりと廃棄処分された。
 レトルトや冷凍食品、飲み物缶その他。それらがキッチリと整理されていた。
 それぞれ、約1ダースずつ。
 これに肝を抜かれた私は速やかに台所周辺へ移動、食器類の数を調査。綺麗に1ダースだった。
 驚きを隠せぬままふらふらとお手洗い付近へ移動すると、買った状態のままのトイレットペーパー1ダースが棚の上で組み体操をしているのに遭遇。慌てて逃げた先の洗濯機で、1ダースの洗剤達が私を出迎えた。
「大丈夫か、お前?」
 何故か多大なるダメージを受けてリビングのテーブルに突っ伏す私の肩を、所長はぽんぽんと叩いた。
「なにこの1ダースハウス……」
 明らか家から出る気ねーだろ。こんなのが失踪なんかするかよ。そう思って顔を上げたら、目の前にカロリーメイトが1ダースあった。メイプル味。
「自分でFPの回復しない味だって言ってたのに、結局買ってるんだ」
 何の話だよ。もう少し一般人にわかる事を話してくれないかなハルミちゃん。
「というより、チャオには必要ないよね。トイレットペーパーとか、洗剤とか」
 生命体としては異例だが、チャオは排泄行為を行わない。食べた物は手早く栄養に変換され、そして腹の中で完璧に分解、消失する。だからチャオが一人暮らしすると、トイレはお客さんぐらいしか使わないからトイレットペーパーはこんなに必要ない。
 洗剤に関しては必要性が分かれる。近年じゃチャオもファッションに軽く力を入れてるからだ。しかし、カズマがそんな様を見せた事は一回も無いから、こっちも必要ない。
「習慣だったんじゃねーの?」
 所長が何気無くそう言う。よく理解できない私は言葉を反復した。
「習慣?」
「ほら、人間だった頃の」
「……あぁ」

 そういえば、小説事務所に迎えられた最初の日にカミングアウトを受けていた。なんの有り難みもなさそうに語られた、魔法使いの所長達のお話と、人間だったカズマ達のお話を、ほんの少しだけ。当時としてはあまりにも軽々しく話されたうえに、内容が内容だったからさほど気にしなかったものだ。
 だが、私は前者が真実である事を知っている。所長は風に乗って誰よりも早く動くし、パウも地上を容易く焼き尽くすし、リムさんだって水であらゆるものを包み込む。
 しかし、私は後者が真実であるか否かを知らない。前者が真実だったのだから後者も真実なのかもしれないし、逆もまた然り。信じる理由は無いが、疑う理由も無い。はっきりしたところで、私は何も変わらないだろうからだ。
――だが。
 今回は、これを知る事によって何か変わるのかもしれない。
 ラリパラ。過去のトラウマ。人間だった頃のカズマ達。
 これらが無関係であるとは思えない。
 でも、それは一体なんなのだろうか? それらは今、ただのパーツでしかない。我武者羅に組み立てたって、なんにもならない。
 何かが足りないのかもしれない。
 何かが要らないのかもしれない。
 それが一体なんなのか、全容を表す解説書を持たない今ではわからない。

 そこまで考えて、あぁ、また詩人みたいになってるよと思い、首を振った。
 チャオにも血液型がある。私はAB型なのだが、昔の学校の友人に見せられた血液型の本に「時々思考がメルヘンへ旅立つ」だのなんだの書いてあったのを見て言葉を失ったものだ。血液型で性格を判断するのは好きじゃないが、その内容は否定しない。最近思考の放浪っぷりに拍車が掛かってきたぐらいだし。
 見ると、所長もハルミちゃんも頬杖を突いていたりカロリーメイトを勝手に食べていたりしている。私もうんざりして、天井を仰いだ。
 ここのところ、ずっとこんな調子だ。やる気が出ない。空はずっと灰色のままだし、世間の様子も面白くない。今回の事件も、その追い撃ちみたいなものだ。
 ひょっとしたら、やっぱり私もラリパラなのかもしれない。毎日のように見る夢は、内容と継続性なら狂ってると言ってもいい。おかげで私の毎日のモチベーションは駄々下がりだ。発狂しないだけマシだけど。
 そのうち、雨が降る。それがこの下らないもの全てを綺麗に洗い流してくれる事を、私は願いたい。

――ん。
「雨?」


 悩める私の頭脳に、一つの「絵」が浮かび上がった。
 夢の光景のようだ。その時まではその絵に支配され、目が覚める頃には記憶にすら残っていない。だけど、この絵は記憶から消えるには印象的過ぎる。
 だけど、そんな事が有り得るのか? そんなはずはない。そう思っても、私の頭脳は可能性を手放したくなくて、出来得る限りの水平思考へと走り出す。
 ラリパラ。理性が崩れるまでの期間。
 手元に説明書はない。だから、この二つのパーツを配置するにあたっての距離感がわからない。でも、今はそれでも構わない。曖昧な境界線で踊る、私の仮説。その反復横跳びのラインは正しいのか? でも、跳ばなければ意味はない。
 症状と夢は、密接な関係にある。それは一体なんだ? 夢を見るから発狂するんじゃない。見たくないものを見せられるから発狂するんだ。そこに理性が関与する余地はどこまである? これは個人差のような波の揺れを捉えるような難しさがある。でも、これをクリアしないと真実に向けて航海はできない。
 そして、原因。
 今、私の目の前にあるのはブラックボックスに違いない。でも、私はその中身を知っているかのような錯覚を覚えている。これが確信という奴なのか、それとも妄信という紛い物なのか。それを知るために、私はシャーロックごっこを頭の中で展開する。不可能を消した先に残ったものが、如何に信じ難いものであっても答えだ。それでも私は、不可能の消去を完全に行えない。ダメだ、やっぱり情報が少な過ぎる。
 どうする。
 この際、正しさなんて二の次でいい。せめてこの可能性を、誰かに無視させないような手掛かりはないのか? 私のように、この可能性を考慮せずにはいられないようにする為には、どうすればいい?


「おい、どうした?」
 椅子から飛び降りて颯爽と走り出した私を、所長が呼び止める。それを無視して、私はカズマの部屋へと急いだ。
 三度入るこの部屋の姿は、やはり変化はない。だから私は、それを疑問に思わなかった。でも、彼の人物像を考えてみればおかしいと思う可能性も、無いとは言い切れないんじゃないか? この考えを、もしかしたらヤイバならわかってくれるかもしれない。
 ああ、そうだとも。
「私達の問題児が天気予報なんて見るわけがない!」
「はあ?」
 私の後を追って部屋に足を踏み入れた所長は、私の確信の声を聞いて素っ頓狂な声を出した。無理もない。私だって何も知らずに聞いたら同じ反応をする。
 何故カズマは攻略サイトの山を形成したブラウザの中に、一つだけ天気予報を入れていた? 年がら年中ゲームしてるような、1ダースハウスを形成するような奴が、なんで天気を気にした?
 カズマはやる事は馬鹿でも、頭の良さは否定し切れない。どうしてなのかは知らないが、カズマは気付いたんだ。ラリパラは何が運んでくるのかを。
 パソコンに繋がれたマウスを握る。それに反応して光り出すディスプレイを食い入るように見つめた。天気予報だ。二日後あたりに、降水確率はようやく100%を迎える。雨が降るのは、明日か明後日。
 それはいい。私はページの端の項目から、雨雲の動きという項目をクリックした。色付いた雲が、私達の街の上に被さっている。雲の動きや移動の効率から、カズマの行き先を考える。この雲はどこに行く? どこに逃げればやり過ごせる?
「――南東だ!」
「南東?」
「所長、カズマは南東の方角にいるはずです!」
「おい、ちょっと待て。わかるように説明しろ。天気予報眺めながらそんな事言われたって――」
「ラリパラになる原因がわかったんです。ラリパラは、雨雲が運んでくるんです!」
 確信に満ちた私の声に、所長とその後ろについてきたハルミちゃんも驚きの表情を作っていた。
 でも、私自身もこの可能性を信じ切れていない。それでもこうしてカズマを見つけないと大変な事になる気がする。ラリパラ患者が見るもの。自分の汚点。過去のトラウマ。そしてカズマは、一人で消えた。もしこのままカズマを放っておけば……。
 何か、取り返しのつかない事が起きる気がする。
「どういう経緯かわからないですけど、カズマはラリパラの原因を掴む事に成功したんです。だから、天気予報のページを開いていたんです。理性の働いてる間に雨雲の動きを知って、雨の降らない方角へ逃げた」
「逃げたって、どうして」
「きっと、ハルミちゃんの言っていた事と関係があるのかもしれません。逃げなくちゃいけない理由……それがラリパラと関係しているとしか」
 言いながら、ハルミちゃんの顔を見てみた。なんというか、掴みどころのない表情をしている。私の言葉に、一体どんな感情を抱いているのか。私にはわからない。
「でも、もしそうなら早くカズマを見つけないといけません!」
「……わかった」
 やった。と思った途端、息の塊が私の口から転がり出た。半ば焦燥感を煽るようにして、無理矢理意見を通したようなものだ。
 所長はカズマの部屋に置かれた子機電話を手に取り、誰かへと連絡を取った。
「あー、小説事務所。依頼の件で連絡がある。依頼主を……ああ、お前か。ラリパラの手掛かりを掴んだ。雨雲だ。気象庁の協力を要請しろ。あとはコップに雨水でも入れて成分分析でもしてな。……あ? 終わってない? じゃあ誰かに任せたらどうだ。反感を買うのはお前の役目だ。じゃあな」
 荒々しく電話を切って、所長は子機電話をベッドへ放り投げた。
「あいつら、まだクソ真面目に食い物の検査をしてやがった。暢気なもんだよ」
「はあ……」
「リム達への連絡は、お前がしとけ。お前のカチューシャは、今はリム達に繋がる」
 頷いて、私はカチューシャの横にある小さなスイッチを押した。
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No.6
 冬木野  - 11/1/18(火) 2:42 -
  
『なんとー、南東であったかー。……いや、冗談っす。うん。人手は足らないけど、多分見つかるから問題ねーですだ。明日か明後日に帰るように努力す、あっちぃあっちぃ! あふぅ、水うめぇ。ん? あぁ、大丈夫だって。おいしいグラタンだって。ヒャッハー!』

 やかましいから、その辺で切っておいた。


――――


 そんなこんなで、これ以上調べる事が無くなった私達は事務所に戻ってきた。
 カズマの行方。雨雲の運ぶ悪夢。これらに私が下した仮説が、果たして当たっているのかいないのか。待ち遠しくもあり、聞きたくもない。そんな葛藤が私の中にはあった。
 とりあえず、そわそわが止まらない。
「良い言葉があるよ。千里の道も一歩から。急がば回れ。慌てるな、車は急に止まれない」
 パウの有り難くない言葉が有り難く無く感じた。

 結局、私達は所長室に籠もる事になる。来客用ソファの上で、私は床をじっと注視していた。
 こんな状況にも関わらず、いつも通りの就寝体制で待つ所長の神経を疑う。なんでこんな時にもそうしていられるんだ? 所員の危機だって言うのに心配じゃないのか?
「あなたは、心配し過ぎ」
「うわわわ」
 そんな肩を叩いたのがミキだったから、私は余計に焦った。
「覚えている? あなたが所長達の事を信じると言ったあの時の事を」
 さっくりと、後ろから刺されたような気がした。
「……うん、覚えてる」
 嫌と言うほど。忘れたいくらいに。
「この事務所の所員達の信頼関係は固い。それはあなたが証明した。だから、みんな心配していないわけじゃない」
「それは、わかるけど……」
「ただあなたと私達で違う事が一つある。それは、あなたが私達について何もかも知っているわけじゃない」
 いつになく喋るミキが珍しくて、私も黙って彼女の言葉に耳を傾ける。
「私達も付き合いは長い。だからカズマの事もよく知ってる。だから信頼できる。でも、あなたはそうじゃない。よく知ってるほどでもないのに、過剰な信頼を寄せている。その分、誰よりも心配する」
「過剰な信頼?」
「そう。あなたは今、未知を信頼するという無茶をしている」
 未知を信頼する。
 普段生活していて聞かないフレーズだが、その言葉の意味を噛み締めてみると、確かに私はおかしな事をしているのかもしれない。よく知りもしないのに、勝手に信頼を寄せている。だから私は、こうも心が落ち着かない。
「……あぁ」
 こうしてわかってみると、なんだか落ち着いてきた。
「理解が早くて助かる」
 それだけ言って、ミキは部屋の隅の椅子に座って読書に戻った。……なんだか、先生に諭された生徒みたいになってしまった。事実そうだったのかもしれないが、あまり考えたくない。平たく言ってしまえば、私が未熟みたいじゃないか。未熟だけども。
 それでも落ち着いたのは確かだ。だから向かいのソファに座るハルミちゃんの事を、私はようやく思い出した。
「うーむ」
 唸る私の声も、ハルミちゃんはこれっぽっちも気にしなかった。
 というより、気付いていないという方が正しいのかもしれない。今のハルミちゃんをなんと言い表せばいいのかずっとわからなかった、今になってようやく最適な言葉が見つかった。
 虚ろ、だ。
 何も捉えていない目。その視線の先は、風のように揺らぐ。そしてきっと、見るもの全てに何も感じていない。彼女の世界は、今は頭の中にあるんだろう。……と、私の詩的センスが告げる。
 要は、見るからに考え事に没頭し過ぎてるという事だ。この事件に私達が関わってから、ハルミちゃんはずっとこんな調子だ。というよりも、段々と酷くなってる気がする。
「ハルミちゃん」
 試しに声をかけてみた。……やっぱりというか、全然聞いていない。
 試しに立ち上がってみた。これにも反応しない。よっぽど思案の世界にいるのが楽しいらしい。
 立ち上がってしまったし、これは動かざるを得ない。自然に、かつ足音を立てずに歩いてソファの後ろに回る。センチ単位で距離を調整し、ハルミちゃんの真後ろにまで到着。
 ぽん、と肩を叩いた。
「あっ、えっ」
 期待通りに驚いてくれた。まるでさっきの私だな。
「ユリさんっ、いつの間に」
 重症である。
「どうしたの? 何か考え事?」
「いえいえっ、別にユリさんには関係ないことですからっ」
「何か悩み事? なんだったら相談に乗るけど」
「そんなっ、ゆゆゆユリさんの貴重な時間を無駄にするわけにも」
「どうせ暇だし」
「いいですってばっ、構わなくて」
「あー、言えないのー? なんだろー、気になるなー」
 さっきまでそわそわしていた私はどこへやら。つつけばつつくほど面白い反応をしてくれるハルミちゃんにすっかり夢中になってしまった。オモチャに病み付きになる子供みたいなもんだが、面白いもんは面白いのである。
「もおっ、ユリさんのばかっ」
 とかなんとか言っていたら怒ってしまった。そのまま所長室を出ていき、所長室は静まり返った。
「やれやれ」
 張本人たる私は、ただその場で苦笑いをするのみだった。
「さて、帰ろうかな」
 外もすっかり暗くなっている。事務所に泊まり込む理由もないし、さっさと帰宅する事にした。実質一人の事務所に居座る理由なんてない。机で寝てるのとか、部屋の隅で本を読んでるのとか、いないのと一緒だし。
「……おつかれさまでした」
 でも、一応挨拶は残しておいた。


 都会の街は、基本的に明るい。街灯、お店の明かり、残業している人がいるビルなどなど。
 だが、夜はやっぱり暗い。路地裏、閉店したお店、残業をサボった人のビルなどなど。
 大方において、人は明るいところにいる。まるで蛾みたいだ。……別に大した意味ではない。民間人のアホさ加減とか、平和ボケとか無知っぷりとか、そんな皮肉は一切含まれていない。何故ならば、そんなの当たり前だからだ。
 陽のあたる場所で、みんなしてのうのうと人生を送っている。だから、陰に生きる人達の事なんかこれっぽっちも知らない。だが、それが陰に生きる者の宿命だ。暗い闇の中で、誰にも理解されない戦いを続けている。
「はあ」
 ……我ながらあんまりセンスのない事を考えているもんだ。最近はこういうフレーズを並べると鼻で笑われる傾向にある。こういうのはヤイバ曰く「厨二病」に準ずる発想なのだそうだ。要は日蔭者は嘆いても無駄って事だ。
「前までは私も鼻で笑う側だったのになぁ」
 嘆くだけならタダなので、スキあらば私はいつだって嘆く。
 だが、辞めようと思えば辞められるのだが、この先生きるのに全く不自由しない好待遇な職場を失うのと、たまに訪れる危険なリスクを比べると、どうも迷いが止まらない。止まらないから、くよくよしたままずっと事務所にいる。事務所に入る前のバイトも辞めてしまったし。
「別にいいかなあ」
 住めば都だ。例え薄暗い路地裏だって、住む人にとっては何にも代え難い家となる。と、通りかかった路地裏を眺めながら、流石にそれはないかなぁと思った。ゴミ箱から漏れる腐臭が気になってしょうがない。

――そう思った瞬間、目の前のゴミ箱がガタンと物音を立てた。
「ふえっ」
 酷く驚いてしまった。ちょうど腐臭が云々考えていたところだったから、何か良からぬものの怒りでも買ったかと思ってしまった。

――うう。
「うええっ?」
 また驚いてしまった。何かを怒らせたかと考えていたから、正しくそうなのではないかと内心焦ってしまった。
「って! ちょっと待ってよっ」
 流石に冗談じゃ済まされない。物音? 呻き声? どう考えても普通じゃない。
 ……まさか、本当に何かいるのか?
 何はともあれ、確認しなければなるまい。未知を未知のまま放っておけば、恐怖の元凶は消え去りはしない。
 意を決して、一歩を踏み出す。凍る背筋と震える手足に鞭打って、じりじりとゴミ箱の陰へと歩み寄る。
 黒いものが見えた。夏場にはとぅるとぅる光るあの虫かと考えたが、更に近付くと大き過ぎて違うものだとわかった。ある意味そっちの方が平和なのに、でも黒くて平らなアイツでも嫌だしと、八方塞踏んだり蹴ったり。ええいここまで来たら一気に行ってしまえと、私は大胆にもゴミ箱の陰へと自らの体を投げるような勢いで歩を進めた。
「……あれ?」
 そこにいたのは未知の生物でも、今にも動き出しそうな死体でもなかった。黒く小さな体で、髪に該当する部位には赤いラインが通っていて、頭の上にはトゲのある球体が浮いていて。
 シャドウチャオだ。……何かの偶然なんだろうか。ひょっとしたらと思い、衝動のままに聞いてみた。
「あの、シャドウさんですか?」
 壁に背を預け、力無く項垂れるそのシャドウチャオは、声をかけた私に気付いたのか顔を上げた。だが、目は虚ろで口を開こうともしない。
 何かおかしい。特に外傷を負っているわけではなさそうだが、とても健康体と言い張れる状態じゃない事は確かだ。
「大丈夫ですか? 私の事がわかりますか?」
 心配になってきた私は、シャドウチャオの肩を揺すったり顔を軽く叩いたりしてみた。肯定するかのような呻き声だけが返ってくるが、それ以外は反応が無い。
「何かあったんですか? どこか、悪い所でも?」
「……ユリ……」
 ようやく明確な言葉が返ってきた。私の事を知っているシャドウチャオと言う事は、十中八九私の知っているシャドウチャオで間違いないはずだ。所長の義理の兄である――
「俺は……誰だ?」
――一瞬、私の意識が揺らいだ。
「え?」
 その問い掛けを聞いて、私はわけがわからなくなってしまった。
「あの、なんて?」
「俺はいったい誰なんだ、ユリ?」
「ええ?」
 どういうことだ。私の事は知っているのに、自分の事がわからないのか? そんな中途半端な記憶喪失は聞いた事がない。それとも思考実験の類なのか?
「あの、シャドウさんですよね?」
 だんだん状況が見えなくなってきた。心配になってきたので、もう一度名前を確認してみた。だが本人は、またも力無く顔を床に伏せる。
「……わからない。俺がいったいどういう存在なのか。俺の本当の名前も。それに意味があるのかも。意味とはなんだ? 俺という意味は? ユリ、お前ならわかるか。俺はもう、自分では何もわからない」
 わかるか。……そんな簡単な言葉も吐けなかった。あまりにもわからないからだ。彼の状態も、質問の意図も、言葉の意味も、あらゆる意味で理解できない。
 いったいどうしてしまったのか? 彼の虚ろで視線の定まらない目を、私はたっぷり十秒は見つめていた。そこまでして、ようやく一つだけ理解できた。

 この人も、ラリパラ患者だ。
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No.7
 冬木野  - 11/1/18(火) 2:43 -
  
「はぁっ」
 心なしか、私の吐く溜め息に混じる焦りも自覚できるようになってしまった。
 結局、あんな状態のシャドウさんを放ってはおけないと判断した私は、彼をそのまま自宅まで連れて帰ってきてしまった。ベッドに寝かせてしばらくはうわ言ばかりだったが、次第に疲れてしまったらしい。今はぐっすりと眠っている。
 彼を寝室に置いて、私は台所の椅子に腰掛けてコーヒーを飲んでいた。すっかり炭酸に慣れ切った舌が、コーヒーの苦味に拒否反応を示す。それを抑えつけながら、玄関を叩く雨音に聞き入っていた。
 本当に、信用ならない天気予報だ。私がシャドウさんを担いで帰ろうとしてすぐに降り出した雨に、私は陰謀的なものを感じた。
 何はともあれ、これで三人目だ。同好会の友人、カズマ、そしてシャドウさん。心の内を抉られた被害者が、私の知る限りで三人も現れた。ハルミちゃんをいじめて遊んでいた余裕はどこへやら、再び焦燥感が私の心を煽る。
 ……いや、これはそういう感情じゃないのかもしれない。良く似ている気がするけど、根本的な部分で違う感情だ。
「あぁ、くそっ!」
 そしてそれを理解した途端、苛立ちを込めた拳を台所に打ちつけた。
 私は、あまりにも無力なのだ。 こうして被害者が増えていく中で、結局は何もできない。唯一した事といえば、当てずっぽうで所員達を動かした事だけだ。
 もし、私の悪足掻きが空回りに終わったら?
 私はもう、受け入れがたいそのケースを無視できなくなっていた。
 例え私の仮説が当たっていたとして、それは事態の好転を意味するわけでもない。むしろ迫り来る雨雲が本当に人々を悪夢へ誘うのなら、その被害は計り知れないものになる。
 悪夢は、現実となる。
 その時、私はどうすればいい? 治療もできない。みんなを率いて逃げ出す事もできない。或いは私も悪夢に苛まれてしまうのではないか?
 そうなってしまったら、もう何も打つ手は――。

「バカな事を考えるなぁっ!」

 深みにハマりそうになった思考を引っ張り上げる為に、私は自分の頭を目の前の冷蔵庫に打ちつけた。
「ったぁ……」
 しかし、やって後悔した。普通に痛い。涙が出てきた。
「く……はぁ……」
 とにかく落ち着く為に深呼吸をする。そして、やってみて驚くべき事に気付いた。心臓の鼓動が早い。呼吸も荒くなっている。いつの間にこんな状態になっていたんだろう。全然気付かなかった。これは判断能力もなくなってくるわけだ。
「もしかして、やっぱり私もラリパラなのかな……?」
 カズマがラリパラであるとわかったあの日の、事務所のメンバー達との会話を思い出した。
 あの時、私は一度自分を疑っていた。不安の雲が迫っているような、そんな錯覚を覚えて――すぐに振り払った。その時から、いや、もっと前からすでにラリパラだったのかもしれない。
 これはただの鬱病なんかじゃない。自分の悪夢に囚われるのではなく、気付かない間に堕ちてしまう。鬱病なんかより、何十倍も性質が悪い。
 長い間立て続けに見せられた理解不能な夢は、知らない間に私から判断能力を失わせた。深く考えずにマンションのパイプを登ったり、衝動的にアンケートなんて下らない事をしたり、意味もなくハルミちゃんをいじめたり。
 この動悸の早さにしてもそうだ。もし頭でもぶつけてなかったら、私は不安ばかり募らせて心労で倒れてたかもしれない。それに気付かなかったのは、一種の興奮状態にあったからだ。
 ラリパラの本質は、判断能力を失わせる事。自分を見失わせ、気付かない内に精神をズタズタにする事。悪夢はその副作用なんだ。
 これに負けない為には、とにかく自我を保つ事。希望的観測を信じ、バッドケースを前に立ち止まらない事。そうしなければ、背後から忍び寄る魔の手に足を掴まれてしまう。
「はぁ……ふぅ……」
 深呼吸を繰り返す。動悸はなんとか収まってきた。ここまで思考もずいぶんまとまってきたし、もう大丈夫だと思う。
「ふぁあ……」
 と思ったら、今度は欠伸が出てきた。一気に疲れが押し寄せてきたのだろう。興奮状態にあってここまで気付かなかったに違いない。
 立ち上がるのも面倒なので、この場で寝る事にした。ベッドはシャドウさんに貸してしまった事だし。
 もし悪夢でも見てしまったらどうしようか、という懸念が一瞬だけ通り過ぎた。が、そんな事を気にしたら眠れなくなって、余計疲れが溜まってしまう。幻覚でも見てしまう前に寝るに限る。

――寝ないと死ぬよ。ネズミだったら二十日程度でね。

 パウのそんな言葉を思い出して、少しだけ笑いが込み上げ――玄関を叩く雨音を子守唄に、私は眠りについた。


――――


 そして、私の目を覚ましたのも雨音だった。
「……ん」
 目が覚めた時と全く変わらない光景だった。真っ暗な台所だ。眠る前はすでに暗闇に目が慣れていたから、電気をつけていなかったらしい。
「ふぁあ……良く寝た」
 我ながらベタなセリフで体を起こした。ずいぶんと寝心地が悪くなかったからだろうか。床で眠っていたにも関わらず、寝起きはまるで悪くなかったからか。
「あれ?」
 少しずつ目が覚めていき、いざ立ち上がろうとした時にとある事に気付く。
 そういえば、夢を見ていない。


「お邪魔しまーす……」
 ゆっくりと寝室の扉を開け、なるべく足音を立てずに部屋に入った。自分の部屋なのに、わざわざ遠慮しながら入らないといけないとは。
 シャドウさんは、まだ眠っていた。特に寝苦しそうでもなく、問題はなさそうだ。それを尻目に、床に放置してあったノートパソコンを開いた。普通の時計はなんとなく信用できないから、私は普段から時間を確認する時はパソコンを使っている。
「あれま」
 午前6時ジャスト。立派な早朝だ。事務所に入ってからの生活では久々の早起きになる。珍しい事もあるもんだ。
「どーしよっかな」
 かといって、三文の得があるわけでもなし。
 別に事務所に早朝出勤したって構いやしないのだが、どうせ行ったってこの時間じゃ誰もいない。所長不在は閉店と同義なので、私一人で事務所にいたってなんの意味もない。無駄な移動をしない分、家にいる方が合理的というものだ。
 かといって、私は家で暇を潰す手段を持っているわけでもない。基本的に家でやることはご飯を食べる事と寝る事くらい。最近は読書やネットサーフィンもしないでもないが、退屈だと感じる事が前提だからあまり……という感じ。
 となると。
「……いつになったら起きるんだろ」
 人様のベッドで寝息を立てるシャドウさんに視線が行く。まぁ、私が寝かせたんだけども。
 やる事があると言うのなら、それはこの人の世話なんだろう。だが起きているならまだしも、寝ている人の面倒を見るのはお断り願いたい。何故って、起きるまで退屈そうに待つ必要があるからだ。それまで暇潰しにやる事もないというのは苦痛である。起こそうにも一応病人なわけで。
 そういうわけで、私は暇だった。
「うーん」
 これで何度同じような事を考えたかはわからないが、昨日あれだけ冷静さを失っていた私はどこへいってしまったのか。寝起きのテンションかどうかはわからないが、我ながらずいぶんと落ち着いている、というか日常的だ。
 不思議なものである。今までの悲観的な思考は欠片も考慮に値せず、酷いと思うくらい楽観的になっている。今なら目の前で人が死んでも淡々とお経を唱えられるかも――いや、流石にそれはないけど。まぁそれくらい気が楽になっている。ラリパラの時とのギャップなんだろうか。というか私は本当にラリパラだったのか、そうではなかったのか。
「まぁ、特に問題はなさそうだけどなぁ」
 一応、姿見で自分の姿に異常がないかとかも確認してみる。おかしなところもないし、体の調子が悪いわけでもない。曰く「死亡フラグ」なんてものが立ってない保証がない点以外は、問題がないと考えていいだろう。
「はぁ」
 しかし、暇である。外は大雨、街はラリパラ(?)、繰り出す先には人影在らず。こういう時に自分は面白みの無い人物だという事が身に染みてわかる。

 悩み抜いた挙句、とりあえず家にいたら暇で死にそうだと言う事がわかったのでふらふらと出掛ける事にした。一応、シャドウさんに冷蔵庫の中の食糧に手を出す権限と外出許可の旨を記した置手紙を残しておいて。
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No.8
 冬木野  - 11/1/24(月) 3:39 -
  
 何の因果か。私が時間潰しの為に立ち寄った場所はカズマの住むマンションだった。
 これで四度目の訪問になる。家宅捜査なら前回すでに行ったのだが、もし私がラリパラだった可能性が本当だとしたら何か見落としがあるかもしれない。というのは建前で、なんかそれらしい場所に行けば時間潰しになるかなぁというのが本音だ。俗に言う「なんとなく」という奴。
「おお、そうかいそうかい。それなら構わんよ。お仕事頑張ってね」
「ありがとうございます」
 所長にならって、ちゃんと管理人のお爺さんに許可を貰ってから通してもらった。マンションの外のパイプを登っていた事実は知らないであろうお爺さんには、ちょっと申し訳ない気持ちが芽生える。なんだかそんな事をしていたのがずいぶん昔の事のようだ。
 すっかり疎遠になろうとしているエレベーターに乗り込み、18階へのボタンをなんとなく二回押す。ん、間違ったかなと疑問を抱きながら、緩やかな昇降に身を任せる。チンとかポンとか何の音も無くに到着した最上階の廊下を歩き、鍵のかかっていない1ダースハウスへ合法進入。
 それから。
「……どうしようかな」
 とりあえず、朝食かな。ということで、FPの回復しない味とウワサのカロリーメイトを無断で食べる事にした。
 建前は建前。何度同じ場所にやってこようが、同じは同じ。変わるものと言ったら、たった今食べているカロリーメイトの数ぐらいなもの。結局、ただの時間潰し。
 妙な甘さのクッキーみたいなブロックを口の中でむしゃむしゃして、なんとなく足を自由に動かさせる。意思とかそういうのをほどほどに手放して歩いた先は、やっぱりというかカズマの自室だった。
「まあ、何かあるとしたらここしかないし」
 誰に言い聞かせるわけでもなく、そんな言い訳が漏れた。これでもし大事なものが別のところにあったら、私は先入観の恐ろしさというものを再認識せざるを得ないのだろう。
 遠慮無しにがちゃっと戸を開くと、やっぱりいつもと変わらない部屋があった。局地的に散らかっている、違う意味で整理された部屋。探偵ばりに虫眼鏡を使っても、多分散らかってるところ以外は何にもないと思う。というか実際にあれって役に立つのかな。
 恐らくカズマがいなくなってからずっとつけっぱなしであろうパソコンも、一応チェックしておいた。表示されたブラウザの更新ボタンを押して、映っていた天気予報の情報を最新のものにする。降水確率100%の予報に偽りはなく、今日も元気にお空は雨を降らしている。
「なんだかなぁ」
 こうやって自分でも自覚できるほど平静でいると、本当に私の仮説通りにラリパラが蔓延するのか心配になってきた。いや、蔓延しない方が遥かにマシなんだけど、周囲に不安の可能性をばら撒いた責任とか、ね。
 お天道さまの機嫌を見る意味もなくなったので、なんとなく個人情報でも探れないかなとスタートメニューを開いた。青少年その他のトップシークレットとウワサされるDドライブとはなんぞやというくだらない事とか調べようかと思ったが、やっぱりやる気がなくなって断念。
 後遺症でやる気でもなくなったかなとか思いながら、天気予報を備えたページのホームへと移るべくマウスを動かした。そこで映った画面を見て、はたとある事に気がつく。
「これを忘れてた」
 右側にあったメールの項目で、カズマがログインをしたまま放置しているのを発見した。躊躇無くプライバシーを侵害すべくマウスをポチって、メール漁りに勤しもうかとしてその目は一点に留まった。
 一番上のメールの件名が「K.K殿へ」となっていた。送信者は不明。
「……迷惑メール?」
 真っ先に検討した可能性がそれだった。開いたらウイルスとかに感染するのかなとか考えて、よく見たらとっくに既読メッセージになっていたので躊躇無く開いてみた。
 最初に目についたのは、地図の画像。ある場所が○で囲まれていて、見るからにどこかの場所を示しているようだった。
 そして、左上の地区に見覚えがある事に気付く。
「こっちって、ステーションスクエア?」
 左上にステーションスクエア。その右下はつまり……南東の方角。
 一瞬、目を疑う前に自分を疑った。
 まさか、そんなわけがない。でも、その可能性を見出したのは私だ。その可能性を自分で否定するのか。でも、これは……これは、あまりにも出来過ぎている。
 ページを下にスクロールした。何か他に書いてある事はないのか。そう思ってマウスのホイールをひたすらに回し――それは、すぐに見つかった。

 >>妹が待っているよ。

「……妹?」
 一時の緊張が、予想もしなかった言葉を前に緩く溶ける。即ち、妹って誰よ? という簡単な疑問を前にしたのだ。
 いやしかし、カズマに妹がいないとは言い切れないだろうなぁ。いないとか言ったわけじゃないし。でもK.Kって誰よ? 片方はカズマでも、もう片方のKは? 送信先間違えたとか? でも現にカズマはいないし。
「わからん」
 結論がそれだった。
 しかし、やっぱり見落としがあった事に関しては少なからず収穫と言える。果たしてこれが手がかりになるか否かはよくわからないけど。とりあえず連絡してみるかなとカチューシャの横の小さなスイッチを押した。少し雑音じみた音が聞こえたが、すぐに土砂降りの音だとわかる。ちゃんと応答してくれるかな。
「もしもし聞こえますかー?」
 数秒応答を待って、返事がない事を確認する。
「おーい!」
『――ぁ、ごめんごめん! 土砂降りで聞こえなくってさー! ユリだよねー?』
 雨にかき消されまいと、大声でヤイバからの応答が返ってきた。その後、雑音じみた土砂降りの音がぱったりと遠くなる。どこかで雨宿りしたのだろう。
「どう? カズマは見つかった?」
『カズマの居場所はワシにもわからん……。あいつ、ビッグボスの称号の為に一日費やしただけあるわ』
 何の話だよ。言葉に脈絡もないし。
「今、スクエアの南東にいるんだよね?」
『いるお。でも全く収穫がないお……。だから別のところに行こうと思ってるお!』
 奇妙な喋り方に変わってきた。手短に用件を伝えて、耳に悪影響のないウチに切っておかねば。
「あの、カズマがいるっぽい場所がわかったんだけど」
『な、なんだってー!?』
 うるせえ。
「えっとねぇ、スーパーが近くにあると思うんだけど」
『スーパーなう』
「ああ、そう。そのスーパーを出て右の交差点を右に曲がって、そのまま三つ交差点をまっすぐ進んだ……あたり?」
『なるほど、わからん』
 ですよねー。 自分でもちょっとわかんないし。
「んー、とりあえず行ってみて。いなかったら、多分間違いだと思うから――」
『ん、ちょ、待った!』
 曖昧に喋る私の声を遮り、ヤイバは突然大声を出した。いきなりの事なので、私もつい驚いて声を引っ込める。誰も映ったりはしないけど、カチューシャの左側に内臓されたマイクの方向に目が向く。いわゆる、受話器を相手に見立てて話すような状態。
『どっちに向かった? あっち? ああ――わかった、先に追って。すぐ行く』
「どうしたの?」
『ハルミがいた』
 今度は、耳を疑った。ハルミちゃんが、カズマと同じとこにか?
『ちょうどスーパーの中から、一人で道路を歩いているのが見えた。多分、ユリが言ってたのと同じとこ歩いてる』
 ますます信じられなくなってきた。霧の中でおぼろげなそれを確信を持って掴み取った事実を、手にしてから疑うという矛盾。打ってみたらホールインワン、回してみたらスリーセブン、槓してみたら嶺上開花、引いてみたらロイヤルストレートフラッシュ。そんな感情と似て非なるモノが私の中を駆け巡る。
「どうして?」
『わかんないな。雨合羽も着てて本当にハルミなのかよくわかんないけど……灰色の体でヒーローコドモチャオなんて、そうそういないだろ』
 しかも、核心に迫りつつあるのに中途半端にはぐらかされているようで更に焦らされる。ラリパラの原因やカズマの居場所も本当に正しいのか未だにわからないし、これ以上悩みの種を増やさないでほしい。不安をミキサーしたって出来上がるのは不安だろうが。
『また何かあったら連絡する。先輩によろしく言っといて』
「うん、わかった」
 その言葉を踏み切りにして、遠い土砂降りの音が耳から消えた。

 溜め息を吐いて、ふと窓の方を見てみる。さっきまでは気にしてもいなかった、窓を激しく叩く音に聞き入る。
 昔は、雨の音は嫌いじゃなかった。むしろ心を落ち着かせるBGMとして気に入っていた。雨上がりの雲の下で、窓の外を蒼く染める霧も好きだった。
 でも、少なくとも今は好きになれない。雨が強く降り出す度に、私の心は不安で支配される。何か良からぬ事が起きる前兆なのではないかと錯覚してしまう。
 このまま、雷が落ちてくるのではないかと。
 このまま、誰かが命を落とすのではないかと。
 雨という足音は、私の神経を蝕む。雷という死神が現れるのを恐れて。
――私は、雨が怖い。

 すぐに首を振って、泥濘にはまろうとした自分の思考を引き上げた。
 またラリパラにでも逆戻りするかと思った。確かに冷静だけど、ラリパラの本質を知った分マイナス思考に敏感になってしまった気がする。
 本当に私もラリパラだったのかな? 今もラリパラじゃないのかな? そもそもラリパラってなんだろう?
 この思考すらも深みにはまらぬように放棄して、そこでまた悩む。こうやって思考の放棄しかできなくなるのがラリパラなんじゃないか。そうやって、抜け出せない底無し沼にはまる。
「……思春期、か」
 人はどこから来てどこへ行くのか。人類の成長過程においてぶつかる疑問。終わらぬ禅問答。それと似た状態の今の私は、チャオにとって深い意味を持つ三文字の言葉を連想した。
 私はソニックチャオ故、いわゆるオトナだ。でも、チャオは人間と違って転生を除くと短命だから、僅かな人生を全て思春期に過ごすと言う。それが人の心を映し出す鏡と言われたチャオの特性、即ちアタリマエ。チャオは人間並かそれ以上に感性が豊かで、そして悩む。それを何度も繰り返す。
 物事を考える。やがて本質を疑う。悩む。悩む。悩み抜いて、答えを出さない限り、自信が出ない。そうすると、転生できない。
 チャオの転生は人の愛情を受け取って満たされる事により起きると言われていた。それが近年、人間と同じように暮らすようになった事でその定義は塗り替えられた。私みたいに、みんな哲学的な思考をするようになったからだ。
 チャオが求めるものは、愛情だけではなくなった。支えてくれる人、未来への希望、過去の重荷、あらゆる要素をクリアしなければ、チャオは安易に転生しない。その本質は、生きる理由として認識が改められた。
 当時チャオの人口は人間をあっという間に追い越すと言われていたのに、その予想は容易く裏切られた。チャオにとって、思春期を越える事は死線を越える事とイコールなのだ。
 そして、桃色の繭は希少価値となった。もう昔とは違う。哲学の深みにはまったチャオは、生きる理由を探して呆気なくつまづくから。
「私も、死んじゃうんだろうな」
 自分もそんなチャオの一人だ。生きる理由なら、とっくの昔に跳ね飛ばされてしまった。無駄に世間を知らず、ただ『彼』だけを生きる理由にしていた私も、きっと一緒に。
 ……私も、ずいぶんとリアリストになってしまったな。
「あーあ、何考えてるんだろ」
 放っておくとこのまま人様の部屋で一日を潰してしまいそうになったので、今度こそ考える事をやめた。何はともあれ、今は事務所に行かなければならない。
 目の前に問題があるのに、それを放棄して先の事と向き合っても仕方ないのだから。
 先なんて、無いのかもしれないけど。
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No.9
 冬木野  - 11/1/24(月) 3:44 -
  
 土砂降りの雨の中、私の気分はとても良いものではなかった。
 事務所にやってきて、受付にリムさんがいないのもなんかやだった。
 二階への階段を歩くのも、雨で多少濡れた体がいやがった。
 そして所長室から聞こえる誰かの声で、扉を開けたくなくなった。
「誰だよ」
 聞き覚えはあるけど、事務所の人の声じゃないよな。
 そんな部外者の声が所長室でハキハキと喋るもんだから、私はドアノブにかけた手を捻るのを少しだけ躊躇った。しかし、これも仕事だからしょうがない。
「……仕事かぁ」
 なんだか実感が湧かない言葉のように、私は仕事という単語を口にして吟味した。
 そういえばこれって仕事だったんだよな。内輪の問題ばかりを直視し過ぎて、GUNの人から依頼を受けていた事をすっかり忘れてしまっていた。
 お仕事。つまり私はこれでも働いている。つまり私は、今はこれでごはんを食べている。
 ごはんを。めしを。しょくじを。おまんまを。
 うわ、実感ねーなー。今さらだけど。あろうことか私、無償の有給休暇も過去に貪ったし。それが仕事してない感を加速させる。まだお給料貰ってないと思うけど。
 そういや給料日っていつなのかな。お金ってどれくらい貰えるんだろう。アホみたいに金が有り余ってる事務所だし、期待していいのかな。
「いや、今関係ないし」
 朝からスケートでもするように滑りまくる思考が、自分でも鬱陶しくなってきた。ラリパラっていう都合の良い逃げ口上もある影響かな――と考えたところで、これが素晴らしい妙案だと言う事に気付いた。
 そういうわけで、朝から続いた思考は全てラリパラを建前にした妄想です、まる。いやぁ、私って天才だな。
「……やめよ」
 もうどうでもよくなってきた。ラリパラだのなんだの、いい加減馬鹿馬鹿しい。理性が大脳で働きたがらないのなら、小脳にでも左遷しときゃいいのだ。そうすりゃ直感と仲良くしてくれるだろう。全てはケースバイケースなのであった、と結論付けた。はいはい妄想おしまい。
「お邪魔しま」
「そうです、これは一種の医療テロだったのです!」
 やっぱ開けるんじゃなかった。
 扉という防音設備を無くし、遮蔽物がなくなった事で私の耳にやかましい声が届く。その主は、一体全体何があったのかやけにハイテンションなGUNのお偉いさんだった。すでに聞くつもりがなさそうにしている所長と、さほど気にしてなさそうなパウ、それと聞いてるのかわからないミキが傍聴人。いつものSP二人は引き連れていないご様子。
 入ってきた私に気付いたパウが、多少苦味のある笑顔で軽く手を振ってくる。所長も自分の席で頬杖を付きながら、視線だけこっちに寄越す。まるで「どうにかしろ」と言っているように聞こえる。私はそれらに肩を竦めて溜め息で返す。一応、なんとかしてみますって意味だ。
「あの、何かわかったんですか?」
 そういうわけで、まずは声をかけてみる。このまま一人で喋らせても、学級崩壊よろしく誰も内容を聞かないで期末試験で醜態を晒し、クラス全員で補習大会だ。想像するだけで目頭が痛くなる。
「おお、あなたですか。とうとうわかったんですよ、この事件の真相が! 聞きたいですか?」
「尺が無いんで、10秒程度でお願いします」
「いいですか、この雨! この雨の成分を調べた結果、興奮作用を始めとする様々な成分が含まれているという事がわかりました。つまりこれはとある場所からある方法で大量にばら撒かれ、雨雲に含ませる事で世界規模の人間を襲う卑劣なテロだったのですよ!」
 よくできました、と溜め息を吐いた。ヤイバみたいに「な、なんだってー!?」とか言って驚いてみせればよかったんだろうが、残念ながら私はこの人ほどテンションあがってない。
「つまり、私達の仮説は当たってたってわけですか?」
 ある意味、私があてずっぽうで作り上げた仮説だが、なんとなく複数形を付けておいた。この人の頭の中じゃ、自分が発見したみたいな事になってるんだろう。少なくとも今は。
「その通りです! これは驚くべき発見ですよ!」
「へいへいわかりました。ところでちょっとしゃがんでくれませんか?」
「すぐに総力を結集して、犯人を探し出さなければなりません! その時はあなた方の力も是非」
「まあそれはその時次第で。ところでさっさとしゃがんでくれませんか?」
「こうしてはおられません。わたくしめも今すぐ帰らなければ――」

「しゃがめっつってんだろうが!」

 事務所がしんと静まり返り、外の土砂降りが空気を彩った。
 所長が頬杖を外して、パウが目を丸くして、ミキが顔を上げて、何事かと私の事を見ていた。その視線が気になって仕方なかったが、目の前でぽかんと口を開いている阿呆の前なのでなるべく気にしないフリ。
 私の勢いの言葉に気圧されたお偉いさんが、言われた通りフローリングの床で正座をした。その頭が多少ふらついて、私の予想を確信めいたものに変える。
 言葉も無しに、堂々と急接近して胸を触る。人間の女性相手なら立派なセクハラになろう行為を行う私を、お偉いさんやパウが驚きの目で見ていたが、これもなるべく無視。これのせいなのかはイマイチ謎だが、この人の胸の鼓動は限界でも求めるように加速していた。
「ちょっと深呼吸していただけませんか?」
「は、はぁ……」
 先ほどの盲目的なハイテンションはどこへやら、疑問の言葉もなしに素直に言う事を聞いてくれた。私の言う通りに深呼吸を数回行い、そして急に来客用のテーブルに手をつく。
「く、はぁっ、なん……うぅむ」
 こめかみを押さえ、定まらぬであろう視界を正すように首を振る。その様子を見た他の面々が不思議そうに私を見た。曰く「なんぞこれ」と。私は息切れを起こしているお偉いさんの方を見ながら、全員に聞かせるように話した。
「目に見えて発狂した人達が世界のあちこちで見つかって、それで気付かなかったんでしょう」
 急接近していた距離を離し、そして告げた。
「あなたもラリパラです」
「わ、わたくしが?」
「ユリ、どういう事なの?」
 パウが代表して説明を求めてきた。私はなるべくかいつまんだ言葉に換えて口を開く。
「興奮作用を始めとする様々な成分、でしたっけ。それがばら撒かれたのなら、その効果は絶対に思ったほど大きくはないはず。世界規模の空気感染ともなれば、効果は薄まりますからね。つまり数多く発見された発狂者は偶然なんですよ」
「偶然? どういうこったそりゃ」
 わかりやすい疑問を提示した所長に、数多の憶測を含んだ私の考えを話す事にした。どこかでつまづいたりしないか内心不安になりながら。
「確かにこれを行った犯人やその組織の目的は、全世界の人を発狂させる事だったと思います。でもこの方法は前例もないし、注ぎ込む資金に見合わない結果が返ってくると思ったに違いありません。つまりこれは予想を越えた成功なんです」
 予想を越えた成功。このフレーズを口にして、この前の事をチラと思い出しながら解説を続ける。いつの間にか私の立ち位置は、来客用ソファとテーブルの近くから所長室の扉の前に移動していた。
「その原因として挙げられるのが、継続して見る同じ内容の夢です」
「夢? 悪夢の事か?」
「正確には夢そのものですけど。おそらく犯人が作り上げた雨水の成分が、偶然にも夢に影響したと考え……うん、そうとしか考えられません」
「ユリにもわからないの?」
 パウの質問に、私は苦笑いで返すしかなかった。全部憶測だし。
「夢のメカニズムはいわゆる脳のデフラグで、人の脳の中にある断片的な情報を無理矢理繋いだものだと言われています。このラリパラの雨は、それを固定概念化された情報として確立させたんでしょう。つまり同じような筋書きの番組を何度も見るような感じです」
 言いながら、こていがいねんかされたじょーほーという我ながらかっこいい言葉に自分で惚れていた。私ったら今調子に乗ってるな、ははは。
「これが高い確率で悪夢として固定され、雨の影響で判断能力を失った整理のつかない頭の人が毎日見れば、当然発狂します。これが偶然にも、計画の成功を後押ししたんです」
「夢を固定させる……?」
 珍しい事に、ミキが興味深そうな真顔で私を見てくるので、これにも苦笑いで返しておいた。こうでも言っておかないと、他にはオカルトじみた理屈しか残らなくなるじゃないか。そういうのは人を納得させる材料としては事足りない。
「これが予定外の発狂者を世界規模に生み出し……そして、当初の成功をも後押しした」
「当初の、とは、なんですか?」
「あなたみたいな人の事ですよ」
 意識してやんわりとした語気にしたが、それでも厳しい言葉として響いたのであろう。お偉いさんの目が見開かれる。
「犯人の考えていた成功は、こんな感じに周囲が見えなくなる程度の、判断能力の欠如だったんです。それも目に見えた成功は得られないだろうとわかって実行に移した計画なんでしょうが……きっと判断能力を失った人の数は、明らかに多いはずです」
 言いながら、私の中でも整理がついてきた。憶測やハッタリも形を成せば立派に論の一つと成り得るものだなぁとしみじみ。
「偶然に夢を固定させた雨、偶然に悪夢を見せられ続けた発狂者、偶然にできた発狂者を見て、自分が正常であると認識した『本物のラリパラ患者』……」
 ……そして、偶然できあがった推論。
「それが、この事件の本質です」
 一夜城レベルの推理劇を、見栄の良いように締めた。
 再び、外の土砂降りが空気を支配する。その間のみんなの反応は実にバラバラだった。目の前で息を整え終わったお偉いさんが驚きの顔で私を見つめ、所長は椅子を回して窓の外へ顔を向けていて、パウが唯一私の推論を吟味するように腕を組んで唸っていた。え、ミキ? なんか言う事あんのかよ。
「さて、わかったらさっさと事を終わらせましょう。ほら、いつまでも座ってないで」
「は、わたくし、ですか?」
「そうそう。今すぐ総力でも結集して犯人探しでもしてください」
「と言われましても、どうやって」
「世界規模で薬品をばら撒いたのなら、そういった薬品関係の場所を洗えばいいんです。きっと莫大な資金が動いたはずですから、尻尾を掴めば後は簡単でしょ?」
「はぁ」
「ほら、行った行った」
 沈黙がなかなか痛かったので、わざと忙しそうにお偉いさんの背中を押した。廊下の向こうで階段を下りる前に、私に向けて頭を下げてから帰っていった。
 今思えば、一人で来てくれて助かった。もしSPのお二人さんが付いてきていたら、私の立場が少し危うくなっていたかもしれない。社会的に。
「さてと。所長、業務連絡です」
「あぁ?」
 まるで聞き慣れない言葉でも聞いたかのように、椅子をくるっと回してこっちに向き直って首を傾げた。あんた本当に所長だよな?
「カズマはまだ見つかってないみたいです。その代わりにハルミちゃんを発見したとか」
「ハルミちゃんが?」
 代わりに驚いたのはパウだった。
「すぐに追ったみたいですけど……それから連絡がありませんね」
「なら、今連絡したらどうだ?」
 それもそうだのうという顔で、カチューシャの横のボタンをポチった。
「もしもーし」
 呼びかけてみても、やはり最初に帰ってくるのは土砂降りのノイズだけ。こうやって聞いているとあまり耳に優しくないサウンドだ。まるで本物のノイズの――よう、で。
「あれ」
 思わずカチューシャを外して、窓の外から漏れ聞こえる土砂降りに耳を傾けた。音質の違う雨音の違いを、頭の中でじっくりと吟味しながら聞き入る。
「どうした?」
 投げかけられる疑問の声にも答えず、もう一度カチューシャを装着する。いわゆるおしゃれあいてむの故障を疑うってなんだろうと思いながら、横のボタンをポチポチ押してみる。が、帰ってくるのは異様に音質の悪い土砂降り、というよりも砂嵐。
「繋がんないです」
「なに? 故障したの?」
 事務所の誇るメカニック・パウが、私のカチューシャをひょいと取って躊躇無く取り付け、砂嵐の音に聞き入る。そしてすぐに思い当たったのかさっさと返してきた。
「電波障害っぽいけど……全く応答しないところを見ると、向こうの端末の故障かもしれないね」
「少なくとも、向こうで何かあったんだろ」
 嫌だなぁ面倒くせぇなぁという表情をこれっぽっちも隠さず、所長が頭を掻きながら渋々と立ち上がった。それに釣られるかのように後ろでもガタッと音がしたので、私は驚いて後ろを振り返ると部屋の隅の椅子で置物業をしているミキが立ち上がっていた。異常事態感増し増し。
「ユリ、あいつらがどこにいるか大体わかるか?」
「え、ええ。まあ」
「わかった、さっさと現場に行くぞ」
 イマイチ整理とか準備とかできてない私を、パウが手を引っ張って連れて行った。
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No.10
 冬木野  - 11/1/24(月) 3:52 -
  
 所変わって、ステーションスクエア南東。スーパーに向かう私達は、四人仲良く傘を差して移動していた。その隊列の最後尾で、私は空模様を見て思慮に耽っていた。ズバリ、カズマのことだ。ハルミちゃん捜索の最中になんだけど。
 私は先日、カズマの行方を当てずっぽうで南東であると言い当てた。その理由が「雨雲を避けられる為」という、それ単体で聞けば水アレルギーなのかと唸る弱い根拠。そこで私は、ラリパラの原因が雨であると言う結論に辿り着いた。いや、デッチ上げたと言っても過言ではないだろう。そしてカズマはそれを知り南東に逃げたと推論した。
 しかし――まだ誰にも詳しく話してはいないが――私の推論は間違い、そして奇妙に当たっていた。
 まだ詳しいことはわからないが、カズマがこの地域へやってきた理由は、謎のメールに呼び出されてのことだった。ラリパラだったカズマはそれに対して深い疑問を抱かず、誘われるようにしてこの地域へやってきたということになる。
 つまり、私は計算式を間違えたのに答えだけ当てたというわけだ。学校のテストなら己の幸運に喜ぶところだが、こればっかりは喜びもできないし苦笑いもでてこない。ただただ、自分の頭脳を不思議に思うだけだ。
 我ながら、危なっかしい頭脳を持ち合わせていると思う。命知らずの走り屋が、ガードレールの無い道で後輪を崖っぷちに浮かせて曲がっているくらい。そして当の本人は、そんなことも露知らずに走っている。
 何事も普通に、慎重に、平穏に済ませたいと思っている私。でも、土壇場で信じられないことをやっちゃっている私。
「……二重人格?」
 それらの矛盾を解決できそうな単語は、それくらいのものだった。


 そうこうしているうちに、ヤイバ達が雨宿りしていたスーパーのところまでやってきた。
 カズマの家で見たメール、そしてヤイバからの報告を鑑みるに、このスーパーの横を通り過ぎて歩いていけば、恐らくはカズマとハルミちゃんが見つかるだろう。多分。
「それじゃ、ここからは案内よろしくね」
 ここで隊列を並び替え、先頭が私になる。RPGで言うところの、防御力の高い仲間を盾にするのと似たようなもの。例えでこれを引き出したのは、私の今の心情を表していると思っていただきたい。
 背後の入り混じる視線にひしひしとプレッシャーを感じながら、過ぎ行く交差点の数に注意を払う。
 一つ。
 通り過ぎた先は閑散としたもので、空き地や駐車場が多い。主要都市の外れの珍しい光景と言ったところか。ちょっとした田舎っぽさを感じる。
 二つ。
 その先に視線を向けると、やけに小汚さが浮き出た空きビルなんかが見えてきた。雨のじとっとした空気に彩られ、やけにジメジメしているようにも見える。誰かに呼び出されるにはオアツラエ……という奴か。
 そして、三つ。
 緩いブレーキをかけて減速し、車の来ない交差点のど真ん中で私は足を止めた。
「ここか?」
 所長の尋ねる声に、私は曖昧に頭を縦に振る。
「多分ここら辺、だと思い、ます」
 話す言葉も途切れ途切れで実に釈然としない私に、それでも一同は文句を押し殺してくれた。
「じゃあ、手分けして探すか。俺はあっちを探すから、パウはそっちに。ミキはここで待機だ。あの二人以外にも不審そうな奴がいたら捕まえとけ」
「おっけー」
 返事を待たずに所長はあっちに、パウもそれにならってそっちに探しに言った。ミキはこっちでカカシよろしく黙々と突っ立っていることに。
 さて、私はどっちに行こうか。
 周囲のボロっちい風貌の空きビルを眺めて、私はあのメールに添付されていた地図を思い出す。道路をじっと見つめて頭の中の物差しを合わせる。大体何メートルだったっけなと、どうせ表せない数字を測定する。
 右手を突き出し、一般には可視できないチャオの人差し指を突き立てる。三つ目の交差点。ここを右に曲がって、どれくらいか歩いたところの地点に○印があったと思う。そこにあるのは、いくつかの空きビル。そのどれかに、カズマ達がいる。感覚で、指を、腕をスライドさせて。
 その三つ目の建物で、なんとなく手を止めた。
「あそこかな」
 当然、私の頭の中では抗議が起こる。おおかた、そんな不確かな情報で何してるんだと言ったような内容だ。でも、今日の私はこれを勤めて無視した。どうせ騒いでるのは保守派の私なんだろう。
 都合良く二重人格説を取り入れ、悩む頭に構わず歩く。後ろからのミキの視線もあまり気にならず、傘を持ち直して視点を一点集中。交差点を過ぎるほどの時間を要さず、二つの建物を通り過ぎる。
 そして横から三つ目の空きビルの前で、私はピタリと足を止めた。窓ガラスでできた扉から中を見ると、当然のように照明は点いている様子はない。だが、本当にいるのかなんていう疑問はこれっぽっちも追求せず、躊躇なく扉に手をかけた。鍵はかかっていない。
 軋みの音もあげず、すんなりと開いた扉をくぐった私は、思わず立ち止まって鼻を押さえた。
「くっさ」
 変なニオイがする。甘いようで、腐ったような。嫌な臭いと断言はできないが、嗅ぎ続けたくはない匂いだ。――変に頭がぼーっとする。とりあえず、長居はするべきではないだろう。
 案内板に書かれた「B1−3F」の表記を眺めながら素通りし、奥にあるエレベーター……の、横にある階段へと向かう。途中、エレベーターのボタンをポチってはみたが、見事に動かなかった。予想通りではあるが、こうも昇降機に冷たくされると泣ける。
 埃の目立つ廊下を歩き、階段を下りる。まずは地下から。3階もあるんじゃ、上り下りが面倒臭い。あとで調べるから同じことだけど。
 そう思っていた私の鼻は、階段を下りるにつれて更にニオイを取り込む。あまりのニオイに多少目が眩む。
 そして、そのニオイの正体は呆気なくわかった。
 地下一階にやってきて、目についたのは非常灯に照らされた水溜りだった。室内には似つかわしくないそれの元に屈むと、漂うニオイが一層強くなる。どうやら発生源はこの水らしい。
「なんの水だろう」
 得体の知れない水の正体に思考をめぐらせ、2秒で打ち切る。考えるだけ無駄だと判断した私は、一応水溜りを避けながら先へ――進もうとして、あることに気付いた。
 水溜りが、道を作っていた。
 なんとも不吉な光景に、私は背筋を冷やす。まるで怪物の足跡に似たソレが非常灯に照らされて妖しく光り、恐怖心を煽る。
 だが、これも貴重な手がかりだ。私はいろんな意味で震える体を抑え、手に持った傘をぎゅっと握り締める。武器としては心もとないことこの上ないが、それでも私の手に馴染んだ装備だ。傘は私のような民間人の味方だ。異論は認める。
 壁伝いに暗い廊下を進み、奥へ、奥へと進む。水溜りを見ながら、早く途切れてくれ、このまま途切れないでくれと自分でもどうしてほしいのかわからない願望が渦巻く。
 奥へ。
 奥へ。
 奥、へ。
 そしてそのまま、最奥へ。
「最悪だ」
 如何にも待ち構えてる感が漂いまくっている。何がって、ラスボスっぽい展開が。会話イベントだといいな。
 少なくとも、戦闘だけはありませんように。ドアノブに手を乗せてそう願い、私は腹を括った。
「っ!」
 たのもー、くらいは言ってみせたかった私は、見事に回らない舌を持て余してドアを荒々しく開けるに収まった。閉じた目をゆっくり開き、部屋の中に目を、目を、目、目が、目を疑った。
 混乱しそうになる、暴走しそうになる思考を、なんとかして、どうにでもして、なんとか抑え込んだ。慣れ、慣れてはいないけど、慣れたくないけど、慣れてないけど、見たことはあるし。それだけだけど、それだけで抑える。
 息が荒くなっている。深呼吸をして、荒くなっている、深呼吸をして呼吸を整える。状況を知るために、わからないために、知る、知るために、ああ、うぜぇ。打ち付けるか、頭。でも、ふらつく。それに壁はどれだ。どれが壁だ。壁ってなんだ。私の思考の限界の壁か。詩的だな。本当に混乱しているのか。いやしていないない。抑えてるもん。私大人だもん。それくらいできるもん。
 叫んで、気絶すれば、楽になれるはずなのに。喉が過労を嫌がって、脳が映像に噛り付いていた。
 ――はは、無理すんなよ、私さん。
「はは、無理に決まってるじゃん」
 部屋の中で、水溜りが、赤色に模様替えしていた。それを見て、そういえばクリスマスって最近だったじゃないかと思い出した。無理に平静を保とうとして、認識を嫌がる。逃げる。逃げる。
「はぁ」
 最強の溜め息を吐いた。私の持つ固有スキルだ。全てをどうでもよくする究極の魔法。先の問題は気にならなくなるし、過去の失態も考えなくなる。ただ目に映る光景は絵であり、聴こえる喧騒は一つの音楽と知る。誰にも真似できない現実逃避、いや『感情放棄』だ。
 血が水溜りを作っている。それがどうした。それの元は見知らぬスーツ姿の男だった。それがどうした。その近くでソニックチャオが倒れていた。それがどうした。もう一人、雨合羽を着たチャオがいた。それがどうした。そのチャオが右手に握っていたのはナイフだった。それがどうした。振り向くと、それは灰色のヒーローコドモチャオだった。それがどうした。その子は紛れもなくハルミちゃんだった。それがどうした。
「おに、ちゃん?」
 その子は私を見てお兄ちゃんと呼んだ。それがどうした。
 ――どうした、私? らしくないじゃないか。
 だって私には関係のないことだ。
 ――無理すんなよ。目が震えてるじゃないか。
 無理するなだって? 誰が無理をしているって言うんだ。無理をしているのは、
 思考を投げ捨てた。
「ハルミちゃん!」
 私は駆け寄る。ハルミは視線が定まっていない。ナイフは握ったままでいる。ふらつきながらも私に近寄ってくる。
「おにいちゃん、ふたりだぁ。おにいちゃんだぁ。おにいちゃんでしょお?」
 ハルミは私に抱きつく。ナイフは握ったままでいる。私はその手を握り、身の安全を確保する。私は声をかける。
「ハルミちゃん、どうしたの? 何があったの?」
「かぞく、かえりたい、おとうさん、おかあさん、かぞく、おにいちゃん、いない」
 ハルミの目は虚ろになっている。言葉として成立していない。
「落ち着いて。ハルミちゃん、私がわかる?」
「うん、おにいちゃん、ふたりめ、わたしおにいちゃんたくさんいるね」
「お兄ちゃんじゃないよ。ユリだよ」
「だって、このひとがいってたもん。おにいちゃん、そにっくちゃおになったんだって。だから、おにいちゃんでしょ?」
 私は奥で血を流している男に目を向ける。まだ息をしている。目がギョロギョロと動いている。
「お、おれは悪くねぇ……おれのせいじゃねぇ……全部、この世界が……」
 意味のわからないことを喋っている。うつ伏せで倒れているソニックチャオへと視線を移す。十中八九カズマである。外傷はないように見える。気絶しているようだ。私は再びハルミに話しかける。
「ハルミちゃん、あの人を刺したの?」
「だって、おにいちゃんをいじめるんだもん。かぞくはだいじだもん。だから、だから、だから」
 ハルミが私に抱きつく手に力を込める。ハルミから涙が溢れ出す。
「いやだ」
「ハルミちゃん?」
「いやだ、いやだ、いやだ! いやだよ! 痛いよ! 痛いよ!」
 耳元で叫び出す。私の耳が痛む。気にしないことにする。
「嫌だよ! やめてよ! 痛いよ!」
「ハルミちゃん、落ち着いて。私は何もしてないよ」
「わたし、何もしてないよ! 痛いよ! やだよ! お母さん! お母さん!」
 今度はお母さんと呼び始める。しかし、それはもはや私に向けた言葉ではないように見える。
「助けて、お父さん、お父さん、ごめん、お兄ちゃん、違う、違う、違う――」
 聞くだけ無駄だと判断する。私はハルミを強く抱きしめる。
「大丈夫、お兄ちゃんが付いてる。だからもう大丈夫」
 偽る。
「ごめんね、お兄ちゃん、わたし」
「大丈夫、お兄ちゃんが守ってあげる。ハルミは誰にも傷付けさせない」
 偽る。
「もう、お兄ちゃんしかいないよ。お父さんも、お母さんもいないよ。お兄ちゃんしか、お兄ちゃんしか」
「大丈夫、お兄ちゃんがいるから。もう一人ぼっちにはさせないよ」
 偽る。
「お兄ちゃん」
「ハルミ」
「お兄ちゃん」
「ハルミ」
「お兄ちゃん
 ハルミ
 お兄ちゃん
 ハルミ
 お兄ちゃん
 ハルミ
 以下loop.


 situation end.
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No.11
 冬木野  - 11/2/3(木) 4:44 -
  
 目の前に人間が立っていた

 その人間は私と名乗った

 私はそうには思えないと言った

 するとその人間はあっさりと納得した

 何故簡単に納得したのか聞いてみた

 その人間はこう言った


 ――この世には一人たりとも同じ人はいないの。それが例え過去の、未来の自分であっても。


 私はあっさりと納得した

 するとその人間は微笑みながら私を撫でた

 綺麗に色の無くなった繭越しに


 私は過去の人となった


――――


 目が覚めたとき、ここは天国かと思った。
 壁は白いし、天井も白いし、窓越しに部屋を照らす明かりですら何故か白い。私が寝ていたベッドも漂白そのもので、ある意味目が悪い。もうちょっとグリーンな成分を含ませて目に優しくすればいいのに、と余計なことを考える。
「気がついた?」
 聞いたことはあるけど、聞き慣れた声ではないそれの元へ顔を向ける。
 ミキだった。
「……これはいよいよマジかもしれない」
「何が?」
 天国説。果たしてミキは天使か死神か。
「目立った外傷もないし、精神異常もなければすぐに退院できる」
「退院? ……ああ」
 体を起こして改めて部屋を見回し、ようやくここが病院だということに気付いた。そりゃ白いわけだ。外まで白い理由にはならないけど……外?
「雪、降ってる」
 職場のあまりのフリーダムさに、平日休日なんて関係ない生活を送っていたので、天気予報を見る習慣はあってもカレンダーを見る習慣はすっかり抜けきっていた。もう雪の降る時期だったのか。
「もうすぐ年越し」
「そっかぁ……早いなぁ」
 年寄りっぽくうんうん頷くが、ミキからは特に何の反応もなかった。別に何の期待もしちゃいないけど。
「ここに来る前のこと、覚えてる?」
 しばし悩み、埋もれた記憶をサルベージする。UFOキャッチャーよりは難しくない過程を経て、すぐに回収に成功した。
「覚えてるよ。カズマ達を探しに行った時のことでしょ?」
「何があった?」
「んーと。変なニオイのするビルの地下に入って水溜りの道を見つけて、一番奥に進んだら二人がいたの。あと、知らない男の人間さんが血を流してた」
 ……ここまで話して、淡々と説明し終えた自分に違和感を感じた。
 確かに淡々と説明した。いやしかし、淡々すぎる。あの時の私は、あの悲惨な状況下で混乱していた――ような気がする。それなのに、何故こうして思い出して何も感慨が湧かない?
「それで?」
「えーっとね、カズマは気絶してて、ハルミちゃんがちょっとおかしくなってたみたいだから、どうにかして落ち着かせたの。後は覚えてない」
 やはり淡々と説明し終えて、自分でも気味が悪く思える。その時のことを、いやにハッキリと覚えている。それなのに、その時のことに対して何も感じない。読書感想文が書けないとかそういう問題じゃない。誰だって悲惨な状況を前にすれば嫌悪感だとかいろいろ湧いてくるはずなのに。
 状況は鮮明に覚えている。映像を見返すかのように。ただ、その時の私の感情を思い出せない。
 いくら思い出そうとしても何も甦ってはこない。さっき言った精神異常がなければ云々の言葉が頭の中で反復する。いやだなぁ、入院するとなればイコール寝泊りということになる。ホラーは苦手ではないけど、それでも夜の病院は好きかと言われたら私は首を横に振るね。
「あの後、所長達が戻ってきてあなたの所在を尋ねたから、私はあなたの足跡を追った。そしたらあなたが、あの空きビルの地下室で気絶していた」
「はぁ。それで、なんで病院?」
「地下にあった水溜りはラリパラの雨と同じ成分だった。それもとても強力なもの」
「ああ……なるほどね」
 あの時の目眩や立ち眩み、錯乱の原因はそれだったのか。そりゃ後遺症でも心配して病院送りにもなる。特にハルミちゃんとか、凄く酷かったと思う。あの狂いように関しては今まで会ってきたどのラリパラ患者と比べてもレベルが違う。私のことを見てお兄ちゃんとか言われても――。
「ねぇ、ハルミちゃんは?」
「他の病室で寝てる。カズマもそうだけど、まだ目を覚ましていない」
「そっか」
 視線を雪の降る窓の外に泳がせ、私は同じ言葉を反復させた。
 ――お兄ちゃん。
 そういえば、最近ソニックチャオだからって男扱いされる機会が少なくなった。その要因としてはもちろん、私のこの白いリボン付きカチューシャが挙げられる。今までずっと悩みの種にしていた問題が解決したからいいんだけど、ねぇ。リボンはいらないよ、リボンは。
 閑話休題。再びハルミちゃんの言葉を思い出す。何か重要そうなことを言っていなかったか、じっくりと。
 が、いくら思い出してもイマイチピンと来ない。痛いよお母さんとか、助けてお父さんとか、ごめんねお兄ちゃんとか、ちょっと漠然とし過ぎだし。そういう推測でしかモノがわからなそうなのじゃなくて、確かに気になること。

 ――おにいちゃん、そにっくちゃおになったんだって。

 これだ。
「ねぇ、一つ言い忘れてたんだけどさ」
「なに?」
「カズマの居場所について。あれね、カズマの部屋のパソコンを弄ってたらメールを見つけたの。そこに書いてあった」
「どういうこと?」
「送信者は不明だったんだけど、題名がK.K殿へってなってた。で、地図に○印と、妹が待っているよって」
「妹?」
「うん。妹」
「……そう」
 ここで「それが?」と返さないのがミキ。自ら話すことが無ければとにかく黙る。話しかけられる事柄については一言単位で返事を返すのみ。
 仕方ないので、勝手に話を続けた。
「ハルミちゃんがね」
 一泊止めて、一応ミキの顔を見てみた。チャオの中では史上最強のポーカーフェイスが、私のことを黙ってじっと見つめている。
「私を見て、お兄ちゃんだって」
「…………」
「違うよって言ったら、お兄ちゃんはソニックチャオになったって、例の怪我してた男の人に言われたみたいで」
「…………」
「これもラリパラのせいなのかな。それで本当のことだと思い込んだとか」
「…………」
 終始だんまり。一人でベラベラ喋ってる私の方がおかしいんじゃないかとも思い始めたので、動かしている口をぼそぼそと小さくしていく私。
 それを察知したのか、ミキは唐突に喋り始めた。
「地下室にいた、あの男」
「うえっ?」
 実に唐突だったので、私は酷く驚いた。ミキがいきなり喋り出すと決まって驚いているのだが、どうにかならないだろうかこれ。
「あの男は非常識派の一人だった」
「ひじょうしきは? って……まさか、アレ?」
「アレ」
 らしい。その奇妙な響きの名を聞いて、私は懐かしむように溜め息を吐いた。
 非常識派。主だった対立組織として常識派が存在する、裏の過激派組織の一つ。といっても常識派も非常識派も所長が付けた非公式名称で、組織名は無いらしい。
 簡単に言うと、非常識派は現代の政治に憂いを覚えた過激派の集まる組織。常識派はそれを鎮圧する為に生まれた対抗組織だけど、取る手法が過激なので世間的に言えばどちらも悪人の集まる組織だ。
 私が小説事務所に入ったばかりの最初の仕事の時に、その組織の一員と接触する機会があったのだが、それっきり話題にあがらなかったのですっかり忘れていた。
「表向きは心理学者としてマインドメカニズムを研究していた一人」
 もう一つ、重要っぽい単語登場。
 チャオは人の心に敏感に反応する。受け取った感情を糧に異なる進化もする。つまりは心理学においては人間よりも圧倒的にウワテ。人間と共に社会を過ごすようになってから多少なりとも鈍ったとは言われているけども。
 で、チャオが社会へ進出するにあたって心理学問が飛躍的な進歩を遂げた。その代償としてかどうかは知らないが、転生を行うチャオが圧倒的に少なくなってしまった。そんなチャオを救う為、転生促進運動が生まれる。それは進歩した心理学を学び、生かすことを推奨している運動だ。
 そうやって更に進歩した心理というジャンルは、やがて科学の干渉する余地を生み出すようになった――と、ニュースで見たような覚えがある。漠然と言ってしまえば、心の力で機械を動かしたり、逆に心をコントロールしてみようというのがマインドメカニズムだったと思う。
「じゃあ、偉い学者さんだったんだ」
 まだ広く知られているわけではないが、マインドメカニズムは次世代の科学とも言われている。それを研究していたということは、ズイブンとスゴイ人ではないか。漠然としててピンと来ないけど。
「あの男はマインドメカニズムで手に入れた技術を使ってあの水を生み出し、数年前から世界中にばら撒き続けた。本人はそう供述している」
 数年前から、という言葉に私は少なからずとも驚いた。確かに世界中に振り撒き効果を出そうと言うのだからそれくらいは苦労しそうなものだが、よくやるもんだ。
「動機は?」
「今の世界の醜さを露見させてやりたかった、と言っていた」
 なるほど非常識派らしいその犯行動機に、私は少しなりとも感心した。考えなしの犯罪というわけではなく、思想や理念に沿った行動だったのだなと感服しているのだ。冗談で、だけどな! 犯罪は犯罪である。
「でも、あなたの言っていた通り、固定された夢に関しては本人は知らないと言っていた」
「ああ、そう」
 どうやら私のデッチ上げた推論は今度こそ当たったらしい。嬉しくともなんともないが、ようやく事件が解決したなと満足できた。ようやく平和な日常が戻ってくるわけだ……。

「だから、あなたの思っていることは杞憂」

 ……ん?

「え、なにが?」
「……?」
 私がさぞ間抜けであろう顔で聞き返すと、ミキが首を傾げるという素晴らしく珍しい光景が拝めた。
「私の杞憂って、何のこと?」
「…………」
 今度はまたいつものフェイスでじっと見つめ返してくる。
 じっと。
 じーっと。
 席を立った。
「え、ちょっと」
 私の呼び止める声にも構わず、ミキは病室を去ってしまった。
 一人取り残された病室で、しばらく私は固まったまま何も考えられずにいた。たっぷり三分。カップ麺は三分待たなくても食えるとは、確かヒカルの言葉だったような。
 さっきまでの会話を思い出してみる。私の思っていることは杞憂。私は何か口走っただろうか? 確かマインドメカニズムの話をした。犯人の話をして――あ。
「まさか」
 自分が病人という立場にあることを忘れ、私はベッドから飛び降りて病室を出た。
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No.12
 冬木野  - 11/2/3(木) 4:51 -
  
 まず最初にやってきたのは、ハルミちゃんのいる病室だった。
 特徴的なところは私のいた病室とまるで変わらず壁も天井も窓の外も白い。そして静かだ。先客は……誰もいない。
「ハルミちゃん?」
 私のいた病室と同じで他に誰もいない病室。その奥のベッドで、ハルミちゃんが布団に包まってこちらに背を向けていた。寝てるのだろうか。
「ハルミちゃん、起きてる?」
 もう一度呼びかけ、近寄ってみる。するともぞもぞと動き出して、布団から頭だけ出してこちらを向いた。その様はまさに蓑虫。
「カズマみたいだね」
「……そうですか」
 誰が見てもわかるくらい、ハルミちゃんは沈んだ顔をしていた。恐らく健康体ではあるのだろうが、気持ちの方は優れちゃいないだろう。まさに病人、という感じだ。
 ――ん。まさか、カズマをさっさと病院送りにしておけば、こんな事態にはならなかったんじゃ……。
 とまで考えて、すぐにやめた。こういうのをアフターカーニバルと言う。事件だけは解決したんだから、ぐだぐだ言ってもしょうがない。
 そう、解決したのは『事件』だけだ。まだ『問題』は解決していない。
「ハルミちゃん」
「……なんですか」
 なんとなく、何を聞かれるのかわかってはいるのだろう。あまり喜ばしくないような、それでいて諦めているような顔をしている。まぁ、擦り傷程度だって消毒液かけると痛いしね。そういうのと同じだよ。そう割り切って、聞いてみた。
「何があったのか、教えてくれないかな」
「…………」
「夢の中で、何か見たんでしょ?」
 そして、溜め息を吐かれる。
「……ユリさんって、凄いですよね」
「え?」
 急に突拍子の無い言葉をかけられてしまって、思わず言葉が詰まる。凄いって、何がだ。
「事務所に入ったばかりの頃は、パウさんとばっかり話してましたよね」
「あれ、そうだったかな」
 言われてみて、よくよく思い出してみると確かにそうだった気がする。彼女の研究所で楽しくお話したり小説読んでたり。
「人見知りで人付き合いが苦手なのかなって思ったら、この前の所長さん達の悩みを一蹴したり。それに今回のことも。理解力があるって言うのかな」
「いや、別にそんなこと」
 心から謙遜した。最近、買い被られることが多い。頼むからこれ以上持ち上げないでくれ。
 微かな笑みを見せたハルミちゃんは、またすぐに表情を冷めさせる。……こんなの、前にもあった気がする。
「わたし、記憶が無いんです」
「えっ?」
 突拍子な言葉、第二段。露見される新事実に、私はただ固まるばかり。
「詳しく話してませんでしたよね。わたしもカズマさん達と同じように、元人間なんですけど。ただ、例外としてわたしとヤイバさんは人工体なんですよ。ミキさんは完全にロボットみたいなものですけど」
 そこら辺の事情はなんとなく知っている。初めて事務所に来た日のカズマとの会話で、まぁなんとなく。
「で、わたしは人間だった頃の記憶がないんです」
「はあ」
 キオクソーシツ。この言葉は誰しも一度は聞いたことがあると思う。だが、実際にそんな人物が身近にいるなんてことは非常に稀だ。私も生涯出会うことはないと思っていたくらいだし。それがこんなにも身近にいたとは。
「ただ、今回の事件で大体思い出しちゃいまして」
「えっ」
 急に私の中の価値観とかいうのが下がった気がした。いや何のだよ不謹慎な、と暗黙に自分へツッコミするのも忘れない。
「えーと……おめでとう?」
 初めて疑問系で祝福の言葉を言った。どうも話が急展開な気がして、自分でも何をどう言ったものかわからない。ただ、私の言葉を受けてハルミちゃんは苦笑しながら首を横に振った。
「いえいえ、別に喜ばしいことじゃないですよ。できれば思い出さない方がよかったとさえ思っています」
 どうやら失敗だったらしい。
「あ、じゃあごめんね」
「別に謝らなくてもいいですよ」
 さっきから情けない私が可笑しくてしょうがないのか、漏れる笑みを抑えないハルミちゃん。その顔のおかげで、こちらの緊張も多少解れる。
 それから改めて、ハルミちゃんが事の次第を語り始めた。
「夢を見たんです」
「どんな夢? 悪夢?」
「はい、多分悪夢です。ナイフを握ってて、人間の男の子と殺し合いをしているんです。最初はただの夢だと思って気にしなかったんですけど……ラリパラの人は過去のトラウマを見ているって聞いて、ひょっとしたらわたしの記憶の一つなんじゃないかって、妙に納得してたんです」
 殺し合い。私とは似て非なるジャンルの夢を見続けていたこの子に、私は少なからず畏怖を覚えた。そんなのを見せられながら、この子は今まで気狂いの一つもなかった。それが自分の記憶なのではないかと、逆に馴染ませるほどだ。
「日が経つにつれて、だんだん夢の内容もハッキリしてきたんです。それである日、その夢の男の子はわたしの兄なんだと気付き始めました。ただ、やっぱり殺し合いをしている理由だけはわからなくて……」
「ははあ」
「そのうち、ひょっとしたらお兄ちゃんってカズマさんのことじゃないのかなって思い始めたんです」
「どうして?」
「その、カズマさんがラリパラだったから、だと思います」
「だったから、だけ?」
「すみません、わたしにもよくわかんなくて。なんとなくとしか」
 まぁ、それなら仕方ないかと思い、先を促す。いつの間にか私も空いたベッドに腰を降ろして、怪談話でも聞くかのように聞き入っていた。
「それで、家宅捜査をしたあの日に、一人でカズマさんの部屋に行ったんです」
 家宅捜査をした日というと、恐らく私がハルミちゃんをいじめて遊んでいたあの日だろうか。一人でというと、多分ハルミちゃんが怒って帰ってしまった時に違いない。
「その時に、カズマさんのメールを勝手に見たんです。そしたら、あの場所が書いてあったメールが」
「え、あのメール見たの?」
「え?」
 お互いに驚きの声をあげ、お互いに間抜けな面を合わせた。
「……あ、だからわたし達の居場所がわかったんですね。納得しました」
 一足先に納得されて、私はちょっと困った。
「待って、それじゃあのメールに書いてあった妹って?」
「多分、出しに使ったんじゃないでしょうか。犯人はカズマさんのことを知っていてあのメールを送って、カズマさんはそれを信じたとか」
「でもハルミちゃんは? そのメールを見て、自分はカズマの妹じゃないって思わなかったの?」
 そこを突くと、ハルミちゃんは気恥ずかしそうに顔を伏せる。
「その時にはもう、わたしはカズマさんの妹なんだって妄信してました。あはは、ラリパラのせいかな」
 ――ラリパラだったから。
 犯人が安易にメールを出してカズマを誘ったことも、カズマがその誘いに乗ったことも含めて。こうも物事がややこしい方向へと猛進したのは、全てそれが原因なのだろうか。判断能力の欠如とは、実に恐ろしいなとしみじみ。
「それで、次の日にその場所に一人で行ったわけだね」
「はい」
「なるほどなるほど、納得。……じゃなくて」
 大事なことをころっと忘れそうになり、私は少し焦る。
「なんでナイフを持ってたの?」
「ああ、あれですか? 護身用ですけど」
「護身用?」
「はい、護身用です。今思うと、ちょっとやりすぎかなって思いますけど。夢の中では普通に握ってたし」
 これもラリパラだったから、で片付けられるんだろうか。なんと過激。スタンガンが泣いてるよ。
「で、あの空きビルで何が?」
 多少時間はかけたが、ようやく気になる場面の話に移ることができた。ここからが本番、みたいな。私は幼い少女から語られる言葉に耳を傾けるべく、じっと見つめながら待つ。
 かくして、ハルミちゃんは淡々と話した。
「地下に降りた時、あの男の人とばったり会ったんです。わたしのことを見て、どうしてここにいるんだって言ってきました」
「どうしてここにって……じゃあ、犯人はハルミちゃんのことも知ってたの?」
「みたいです。多分、ヒカルさんやヤイバさんのことも知ってるんじゃないかな」
 即ち、元人間であるチャオの面々について関わりのある人物だった、ということになる。マインドメカニズム研究者だったり非常識派だったり、なんとも肩書きの多いことで。
「カズマさんがどこにいるのか聞いたんですけど、何も言わずに何かの水をかけられて――ラリパラの雨と同じものだと思うんですけど――それで、頭がぼーっとして、目が眩んで」
 それはつまり、自衛の為にハルミちゃんにラリパラの水をかけたのだろうか。判断能力さえ失わせてしまえば優位に立てると踏んでの行動だということだ。あの廊下の水溜りは、ハルミちゃんが自分で移動して作ったものと考えられる。
「その後は?」
「あの、それだけです。後はよく覚えてません。わたし、その人の脇腹を刺したみたいなんですけど、それもピンと来なくて」
 そう言うハルミちゃんの顔は、事務仕事をこなすかのように淡々としていた。私と同じで、狂っていた時の感情が甦ってこないのだろうか。気になることではあるが、自分でもよくわからないことなのでハルミちゃんにそのことを追求するのはやめた。
「それでお終い?」
「はい。ここで目を覚ますまで、ずっと寝たきりだったと思いますけど」
 つまり、その後の経緯は私と同じ、と。
 一通りの話を終えて、私はその内容を頭の中で吟味する。
 まとめると、こういうことだ。
 ハルミちゃんは記憶喪失だった。
 だが、つい最近のラリパラの雨の影響で自分の記憶らしき夢を見た。
 更にカズマがラリパラであるということを知り、気になったハルミちゃんは独自にカズマの部屋を調査。
 そこでカズマ宛に送られたメールを見つけ、妹が待っているの一文を見つける。
 それを調べる為に添付された地図に書かれた場所へ単身調査へ向かったところ、空きビルにて犯人と遭遇。
 カズマの所在を尋ねたが、ナイフ片手にやってきたハルミちゃんに身の危険を感じた犯人が、偶然持ち合わせていたラリパラの症状を引き出す水をかける。
 と、ハルミちゃんの記憶はここまでだ。そこから先は何があったのか詳細にはわからないが、恐らくは理性の大半を失ったハルミちゃんが、自分へ攻撃してきた犯人を危険人物と認識して反撃したのだろう。犯人は奥の部屋へと逃げたが、そこには誘い出して気絶させたカズマがいたので、ハルミちゃんはそれを見て「お兄ちゃんを守らなければ」という一心でナイフを振るった……という推測ができる。
「ちょっと確認したいことがあるんだけど、良いかな」
「良いですよ。なんですか?」
「あの時、お兄ちゃんはソニックチャオになったって犯人に言われたみたいなんだけど、覚えてる?」
 ハルミちゃんは首を傾げ、その後すぐに首を横に振った。覚えてはいないらしい。ここで事の真偽がわからないと、ちょっと頭の整理がつかないのだが。
「あの、それ本当なんですか?」
「まあね。ハルミちゃん自身がそう言ってたから」
 その言葉を受け、ハルミちゃんは私を視界から外して窓の外を見やる。
 ハルミちゃんも自分の中で整理できていないのだろう。何せ記憶喪失だったわけだ。自分の過去を知らず、長いあいだ事務所生活の日々の記憶を沢山詰め込んできた。そこへふっと自分の知らない過去が出てくれば、その不整合に混乱せざるを得ない。と思う。
 だから、私は言葉を躊躇った。
「……聞いて、いい?」
 改めて、問う。
「何を、ですか?」
 わかってはいるのだろう。その目がそう言っている。
 飾られた言葉。その本質はなんなのか、お互いによくわかっている。だからこの時ばかりは、お互いの言葉が邪魔でしょうがなかった。
 だけど、こうでもしないと人は脆い。言葉の障壁がないと、人はただ崩れ去るばかり。
 それでも私は、その脆い人の部分――ジェンガのパーツにゆっくりと手を触れた。
「ハルミちゃんの、過去の記憶――こどものころ――のこと」
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こどものころのおはなし
 冬木野  - 11/2/8(火) 8:52 -
  
 お父さんやお兄ちゃんの顔は、一度しか見たことがなかった。
 物心付いた時は、すでにお母さんに手を引かれていたから。

 わたしはお母さんに何度も聞いた。
「どうしておとうさんのところにかえらないの?」
 お母さんはわたしに何度も言った。
「――――」
 意味がわからなかった。
 だからわたしは、お母さんの声がわからなかった。
 今だって思い出せない。お母さんの声は、一日のうちに忘れてしまうから。
 だからいつも、お母さんとは会話が成立しない。
「おかあさん、おなかすいたよ」
「――――」
「おかあさん、そのほんはなぁに? なにをよんでるの?」
「――――」
「おかあさん、チャオとあそんでいい?」
「――――」
 返事がない。ただの人形のようだ。
 わたしはただひたすらに自分のお人形さんと話す少女のようだった。
 だから、わたしの遊び相手は一匹のチャオだった。
 暗い路地裏に面した窓からは光が差し込まず、そんな薄暗い部屋でチャオはぼーっと過ぎ行く時間に身を任せていた。
 そのチャオが灰色なのは、そんな薄暗い部屋にいるせいだと思っていた。

 部屋には、手頃な遊び道具が何もなかった。
 お母さんにそのことを話すと、トランプを渡してくれた。
 だからわたしは、いつもチャオとトランプで遊んでいた。
 ババ抜き。神経衰弱。大富豪。ブラックジャンク。ダウト。
 わたしと、チャオと、ふたりっきりで。
 それがわたしの日常だった。


 わたしが灰色のチャオと初めて会ったのは、お母さんと二人で暮らし始めて間も無い頃だ。
 チャオはお母さんと半年ほど一緒に生活していたころがあるらしく、その影響でお母さんにどこか似ていた。
 チャオは、心を映す鏡。
 鏡に映ったのは、壁に背を預けて眠ってばかりいる姿。
 その時のチャオが、とても幸せそうな顔をして。
 一度勝手に起こしてしまった時は、とても悲しそうなして。
 それ以来、チャオが寝ている時は決して邪魔をしないように心がけた。
 やがて、わたしはお母さんにも同じように接するようになった。
 わたしは誰とも話さなくなった。


 そんな静かで長い生活は、ある日喧騒にめちゃくちゃにされた。
 二人の知らない男の人が、真っ黒な服を着て押しかけてきた。
 お母さんはわたしとチャオを見つからないように隠して、その男の人達と話していた。
「もう逃がさないぞ、人類の敵め」
 人類の敵? 何を言っているんだろう。お母さんは、何もしていないのに。
「お前は人間でありながら、人間をこの世から消すつもりだな」
 この世から消す? 何を言っているんだろう。お母さんは、何もする気がないのに。
「このままお前を生かしておけば、やがて我々はチャオに呑まれる。ここでその危険な思想を断ち切ってやる」
 危険な思想? 何を言っているんだろう。お母さんは、何も考えてないのに。
 嘘ばっかり。


「――!――……」

 お母さんの声らしきものが、だんだんと消えていった。
 聞き慣れた静寂の音が、微かに舞い戻る。
 危険を顧みず、わたしとチャオは隠れていた場所から出てきた。
 するとあっさり、男の人達と顔を合わせた。
「誰だ、お前は?」
 わたしは何も答えなかった。
 足元に広がる血が気になっていたから。
 お母さんのお腹に、ナイフが刺さっていた。
「この女の子供か。残念だったな、この女は殺した」
 殺した? 何を言っているんだろう。お母さんは、ただ人形みたいに動いていないだけなのに。
 嘘ばっかり。
「そのチャオが、この女の玩具か」
 男の人の興味は、わたしから後ろにいる灰色のチャオに移った。
「この場で処分してしまおう。ついでにこの子供もな」
「悪く思うなよ。悪いのは、お前の母親なんだからな」
 悪いのは、私のお母さん? 何を言っているんだろう。お母さんは、良いことも悪いこともしていないのに。
 嘘ばっかり。

「――?――――!――!!」

 空気が揺れた。
 お母さんが起き上がった。
「何だ! まだこんな体力が!?」
「やめろ! 何をする!」
 お母さんはお腹のナイフを躊躇なく抜いた。
 血が溢れる。お母さんは呻きながら、ナイフを構えて男の人へとぶつかった。
 男の人のうち一人が、呆気なく倒れた。
「こ、この、バケモノが……」
 バケモノ? 何を言っているんだろう。お母さんは、ただの人形なのに。
 お母さんは残った力を振り絞って、頑張って男の人からナイフを抜いた。それをまた構えて、腰の抜けたもう一人の男の人へとぶつかる。
 もう一人の男の人も、呆気なく倒れた。
 お母さんは、もう一度ナイフを抜こうと力を込める。だけど、抜けなかった。
 それを眺めていたわたしは、かける言葉が見つからなかった。何も考えることができず、ただその場で突っ立っていることしかできなかった。
 やがてお母さんは、ナイフを抜くことを諦めた。
 その目は、わたしを捉えた。

「――――!――!!」

 お母さんは、わたしに襲い掛かった。
 体に無遠慮かつ衝動的に痛みが駆け巡る。
 痛い。
 痛い。
 痛い。
「おかあさん、いたいよ! やめてよ! おかあさん!」
「――!――!」
 会話は成立しない。
 誰か、助けて。
 わたしの目線は、灰色のチャオへと移る。
 うまく喋れない。だから、視線で訴えた。
 助けて。助けて。たすけて。
 それでも、灰色のチャオは突っ立ったまま動かなかった。


 どれくらい痛みを味わっただろうか。
 気が付けば、わたしを血塗れにしたお母さんは、今度こそ人形に成った。
 痛くて、痛くて、しばらく起き上がれなかったわたしは、言い表せない感情に支配されていた。
 全部、この人達のせいだ。
 この人達がお母さんの中のスイッチを勝手に押した。だから勝手に暴れ出した。
 全部、この人達のせいなんだ。
 再認識するように。言い聞かせるように。何度も確認するように。
 わたしは起き上がった。
 男の人に刺さっていたナイフを、お母さんの代わりに抜き取った。


――――


 それからわたしは、外の世界を歩くようになった。
 お母さんを暴走させた男の人達の仲間を探し、お母さんがやったのと同じように刺し殺す。それが新しいわたしの日常となった。
 お金はその人達から奪えばいい。住む場所も拘らなければいい。殺人だってバレなければいい。
 そうやって日々を過ごし続けた。
 灰色のチャオと一緒に。

 チャオは、心を映す鏡。
 だから、鏡に映るわたしの姿は悪者だ。
 そうなるはずだった。
 それなのに、鏡に映った姿は天使のようだった。
 まだ成長しきってはいないけど、確かに小さな天使に見えた。
 嘘だ。
 わたしは人を何人も殺している。そんなわたしが、天使なはずがない。
 そう言い聞かせても、天使のような灰色のチャオはわたしに微かな微笑みを返すばかり。
 わたしは、自分がわからなくなった。


 そんなある日。
 とうとうわたしの新しい日常の終着点を告げに、男の子が現れた。
 男の子は鉄パイプを持っていた。
 わたしを殴る気なんだろうか。あまり実感が湧かないながらも、そう思った。
 男の子の顔に、見覚えがある気がする。
 でも、いくら考えても思いつかない。誰なのかわからない。会ったことはあるはずなのに、そんな顔は見たことがない。
 悩む。悩む。悩み抜いて、答えが出た。
「お兄ちゃん?」
 懐かしさが込み上げてきた。
 お兄ちゃん。ずっと会っていなかったお兄ちゃんだ。わたしの家族だ。お母さんだけじゃない。わたしの家族は、まだいたんだ。わたしに会いに来てくれたんだ。
「お兄ちゃん」
 ナイフを持ったまま、わたしはお兄ちゃんへ近寄った。
 会いに来てくれた。
 ずっと会いたかった。
 わたしのお兄ちゃんが。

 わたしを殴った。
 視界が赤に塗れる。痛みが遠ざかる。思考も遠ざかる。
 どうして?
 わたしはお兄ちゃんを見上げた。
「――――」
 聞こえないよ。
 見えないよ。
 お兄ちゃんの声が。
 お兄ちゃんの顔が。
 お兄ちゃんが、わたしを殴った。殴ったんだ。わたしの頭を。
 そんなの、嘘だ。
 その言葉を否定するように、わたしはもう一度頭を殴られた。
 闇の中へと、叩き落とされた。


 わたしの日常は、そこで終わってしまった。
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No.13
 冬木野  - 11/2/8(火) 9:03 -
  
 カズマの病室には先客がいた。
「あ、ユリ! ちょうど良かった、こいつやっと目を覚ましたの」
 ヒカルが嬉しそうな顔でカズマを指差す。まだ寝起きの気だるい表情が残ったカズマが、私達の他に誰もいない病室を見回していた。
 その視線が、私の方へと向いて固まった。
「…………」
 ……訂正しよう。
 私の後ろにいるハルミちゃんへと向いて固まった。
「そう、良かった。安心したよ」
 おかしな空気が漂う前に、場を取り繕うべく無難な言葉を並べておく。ヒカルは歓喜の中で何も察していないのか、暢気にうんうん頷いていた。面倒でなくて助かる。
「ヒカル」
 開口一番、カズマがヒカルを呼んだ。
「なぁに?」
 その声に何も違和感を感じないのか、上擦った声でヒカルがカズマの言葉に耳を傾ける。
「オレンジジュースが飲みたい」
 凄く暢気が言葉が飛び出した。思わずズッコケそうになったが、なんとか堪える。
「なーによ、ワガママねぇ。水で我慢しなさいよ、全く」
「だって飲みたいし」
「だってもマサムネもないの」
「……駄目かな」
 ちょっとしおらしい声に、ヒカルがピクリと反応した。そんな中で、私は素直に関心を示していた。こやつ、こんなマネもできるのか。恐ろしい少年よ。
「もう、しょうがないわねぇ。買ってきてあげるから、待ってなさい」
「うん。純水でお願い」
「おっけーオッケー、ヒカルお姉さんにまっかせなさい!」
 同い年じゃなかったっけか。という余計な言葉も控える。ヒカルは嬉々として私達の横を通り過ぎ、病室を出て行った。
 ……時間稼ぎにしちゃ、オレンジジュースは早いんじゃないかなと思いながら、私は病室の扉をじっと見つめていた。
「ユリ」
 そんな私に、カズマからお声がかかる。はてさて、私は何を買わされるのやら。
 だが、今この場で奢りだなんてマッピラゴメンなので先に釘を刺しておいた。
「悪いけど、今さら遅いよ。もういろいろ聞いちゃったし」
 ハルミちゃんの頭をぽんぽんと叩きながらそう告げると、カズマは仕方無さそうに首を横に振って溜め息を吐いた。
「何が聞きたいの?」
 長話はヤッパリゴメンだ、という顔で言ってくるので、私は一番重要なことを聞くことにした。
 あのメールはなんだったのか。違う。
 あの場でいったい何があったのか。違う。
 あの男とは何を話していたのか。違う。
 補完すべきは、この一点。
「どうしてハルミちゃんと会った?」
 何年間、このことが謎に包まれていたのだろうか。
 ようやく全ての問題が解決に向かおうとしている。葬られた記憶を何もかも引っ張り出し、その全てを清算する。
 そして私達は、日常を取り戻すんだ。
 私には、事件も問題も似合わない。束の間でも構わないから、ゆっくり身を預けられる平穏の時を過ごしたい。だから私は、事件にも問題にも挑む。
 その為ならば、この子達の心にメスを入れることだって躊躇わない。
「……僕も、よく覚えてなかったんだ。でも、確かに何かあったことは覚えてる」
 躊躇わず、かといって淡々と言うでもなく、カズマは過去を振り返り始めた。私もハルミちゃんの手を引いて空いたベッドに腰掛けた。ハルミちゃんはと言えば、ちょっと居心地が悪そうにしている。
「ハルミ。君は確か、二回記憶を失ったね」
「え、うん。……はい」
 二回、記憶を失った。また新しい情報が舞い込んでくるが、今は頭を働かせるよりも冷静にカズマの話に耳を傾ける。
「二回とも、僕がハルミの記憶を失わせたんだ。その件についてだけど……この事件が起こる前に覚えていたのは、二回目の時のことだけだ。その時、僕達はお互いにチャオだった。事務所で働き始めて間もない頃だね」
 私と同じ、ペーペーの新米時代というわけだ。私も入所したてが懐かしい。
「僕はハルミと事務所で出会ったんだけど、ハルミがね。僕と同じ名字だったんだ」
「みょうじ?」
 ちなみにチャオに名字は、大体において無い。人間と同じように社会進出しておいて、だ。これらはチャオの個人情報を曖昧にしており、チャオの犯罪者を増やすのにも影響している。現在、政治において最もアツい議論内容。
「で、なんて名字?」
「クラミネ」
「クラミネ? それって、日本名字?」
「うん。珍しいというか、探してもあんまり見つからないと思うよ、同じ名字の人は。『ネ』のせいでね」
 なるほど、クラミネ・カズマ。あのメールに書かれたK.K殿の意味がようやくわかった。もう一つのKは名字のことだったのか。
「で、それが?」
「ハルミがね、僕と同じ名字だったんだ。クラミネ・ハルカ。さっきも言ったように、そうそういない名字だったから、つい気になったんだ。で、調べてみたの」
「どうやって?」
「警察機関の情報を覗いただけ。普通に籍探ししたって面倒だからね」
 世間ではこういう奴をハッカーと呼ぶ。悪意性の強い奴はクラッカーとか呼ぶらしいが、果たしてカズマはどちらに入るのやら。
「興味深いことが書いてあったよ。クラミネ・ハルカは幼い頃に母親と共に失踪。僕は父親と二人暮らしだったんだけど、母親や妹のことなんて知らなかった。偶然にしちゃ出来過ぎてるって思ったね」
 そうやってカズマが話すたび、ハルミちゃんの目がクリクリと動くのを私は横目で眺めていた。目に見えて、気になっているのがよくわかる。感情が表に出る子だ。
「それともう一つ、面白いことが書いてあるのを見つけたんだ。クラミネ・ハルカがいなくなって何年か経った頃に、ある地域で殺人事件が多発。目撃証言は有力なものが少なかったんだけど……犯人は失踪したクラミネ・ハルカじゃないかって、ね」
 ハルミちゃんが、顔を俯かせた。さっきハルミちゃんの語った過去と相違ない。私はハルミちゃんの頭を撫でながら、続きを促した。
「で、それを調べた日に、見事にハルミにバレた。記憶も戻ったみたい」
「ぶっ」
 あまりの急展開っぷりに吹いた。カズマを中心として、情報の間に壁が無さ過ぎる。警察機関の情報は見られるわ、その様すらも見られるわ。プライバシーとかいう言葉が霞んできた。
「その時、ハルミが言ったんだよ。「よくもわたしを殴ったな」とか、そんなこと。僕は当然覚えがなかったんだけど、結局もう一回記憶をなくしてもらった」
 なんて素敵な兄妹関係。
「それ以来、ずっと悩んでたんだ。ハルミの言葉に嘘があるようには見えなかった。でも、僕はそのことに覚えがない。思い出したのは、今回の事件がきっかけなんだよ」
 そうやって話していくカズマの目線は、だんだんと私達から離れてベッドや窓の外をうろつくようになる。昔のことを思い出しながら話している様と言って全くその通りのものだ。それが、普段から見てきたカズマのイメージとことごとく異なっていて、なんというか……不思議な感じ。
「当時殺人事件が起こってから、父さんの様子がおかしくなった。時々悩んだりすることが多くなって。僕がどうしたのって聞く度に、なんでもないって返されたんだけど。事件が二回、三回と起こる度にどんどんおかしくなっていったんだ。コーヒーをこぼしたのに気付かなかったりならまだしも、一人で急に泣き出すことすら多くなってね」
「はあ」
「思い切って、ちゃんと問い質してみたんだ。そしたら諦めて教えてくれた。最近起きてる殺人事件の犯人は、間違いなくお前の妹だって。信じられなかったけど、嘘言ってるふうじゃなかった」
「それで……どうしたの?」
「止めに行ったんだ。ハルミのこと」
 淡々と告げられたカズマの言葉に、私は驚く。
「どうして?」
「父さんの姿が見てられなくってさ。それに、妹が殺人してるなんて言われたら、止めないわけにはいかないだろ?」
 立派な長男精神には感服せざるを得ないが、普通はそんなことは考えない。身内に犯罪者が出た場合、大抵の家族は悲しむか遠ざかるかの二択だ。体を張って止めに行く家族なんていない。
「それで、頑張ってハルミを見つけたんだ。地元の近くで助かったよ。でも……会って後悔した。自分よりちっちゃい女の子がナイフを持ってるだけなのに、怖くて仕方なかった。それが僕に近づいてくるもんだからさ……拾った鉄パイプで、殴っちゃったんだ」
「…………ぁ……」
 そう話した時、ハルミちゃんが何か声を漏らした気がした。チラと見てみても、ハルミちゃんは俯いた顔を動かそうとしない。仕方ないのでなるべく気にしないことに。
「わけわかんないまま、家に帰った。父さんには、包み隠さず何してきたか言った」
「……お父さんは、なんて?」
「忘れなさい、ってさ。何度も強く言い聞かされた。だから、本当に忘れた」
 そこまで話して、カズマは彷徨わせていた視線を私達の方へと向き直した。
 これで話はお終いだ、と。
 沈黙が場を支配し始めた。最近はこんな沈黙を味わう機会が多い。何度体験しても、切り出し方がわからない。だから、思考に逃げるしかない。
 でも、事実を全て話された後では考えることもなかった。
 唯一残っている謎と言えば、クラミネ家の母のことくらいだ。ハルミちゃんが頑張って教えてくれた記憶を参照すれば、何かと憶測は立てられる。
 母の人物像。
 母の行っていたこと。
 母の関わりのあった人物、組織。
 母の共にいた灰色のチャオのこと。
 だが、今そんなことを考えても意味がない。今解決すべきは、謎ではなく問題なのだ。
 カズマは、ハルミちゃんの記憶を失わせ、そのことを忘れた。
 ハルミちゃんは、それを知ってカズマに復讐を企てた。
 カズマは、そんなハルミちゃんの記憶を再び奪った。
 そして二人は失った記憶をお互いに持ち合わせ、今こうして面を合わせている。
 お互いに、どうすればいいのかわからない状態で。
 ……こんなに痛々しい沈黙は、初めてだ。
 二人とも、顔を俯かせたまま、何も切り出さない。
 かける言葉が、見つから――いや、見つかってはいるのだろう。
 ただ、怖いのだろう。

「…………」
 多分、この二人はとても辛い立場にあるのだろう。
 自分の過去の勇み足のせいで、ハルミちゃんの記憶を奪ってしまった挙句、それを忘れてしまうという失態を悔やむカズマ。
 相手の真意も知らず、ただ盲目に復讐を行ったことにより、さらに事態を混迷させた責任を感じるハルミちゃん。
 両者の感じていることは、第三者の私にもよくわかる。よぉくわかる。だが。
「……こうしてお互いに黙られてると、私も私で困るんだけど」
 堪えきれなくなった私は、とうとう口を開いた。
 確かに私は第三者だ。今回の件に関しても、兄妹の問題に私が勝手に首を突っ込んだようなものだ。だが、それを踏まえた上であえて言わせてもらう。
 問題の解決はもう目の前なのに、いつまで居心地の悪い空気のままにする気なんだ、と。
「あっ、その、ごめん。迷惑だよね」
「す、すみません。ほんと、ユリさんは関係ないのに」
 ようやく顔を上げた二人は、揃って私に謝罪の言葉を投げかけた。私は笑ってそれを――受け取らなかった。
「私に謝る前に、先に謝るべき人がいるでしょ?」
 そう、私が望んでいるのは二人の謝罪なんかじゃない。兄妹二人の、歪みのない姿。私が身勝手に望む平穏な世界において、この二人が最も見栄えの良い姿。
「あ、うん。そう、だよね」
「はい、その、えっと」
 ばつの悪そうに、お互いが顔を合わせる。その目線同士はなかなかどうして向き合わない。合ったと気付いて外しては、また合って外して。それを傍から見る私は、知らずに笑みが漏れていた。自分で言うのもなんだけど、私は保護者か先生の類かね。
「あのさ」
「あのっ」
 お約束の如く、口が開くは同じ時。
「あ、じゃあそっちから」
「いえいえ、そっちからで」
「お見合いかよ」
 おっと、口が滑った。
「えっ、いや、そんなんじゃないって」
「ゆ、ユリさん! 変なこと言わないでください!」
 この一瞬、私は自分のいるこの世界を疑った。即ちフィクションか否か。こんな展開、最近のラノベにすらそうそうないぞ。多分。
「あー、えーっと、ですね!」
 恐らくさっきの私の発言で一番取り乱したハルミちゃんが、背水の陣よろしくベッドから飛び降り、カズマの目の前で直立し声を張り上げた。カズマはそれを聞き入れる体制をとる。
「あ、その……ですね……」
 が、あっさりとシボむ。さながら平地でこぐのをやめた自転車。勢いを失い、緩やかに停車していく。
「ごめんね、ハルミ」
「えっ」
 代わりにそれを引っ張ってあげたのは、兄たるカズマだった。驚くハルミちゃんの顔をじっと見て、カズマが語る。
「酷い兄ちゃんだよな。お前のこと、何にも知らなくて。それどころか、自分の妹を見て怖がった挙句、酷いことしちゃってさ……本当にごめん」
 そう言って頭を下げたカズマを見て、ハルミちゃんが大慌て。
「いえ、そんなっ、やめてください! 悪いのはわたしです。わたしこそ勝手に逆恨みして襲い掛かっちゃって、殴られてトーゼンですっ」
「でも、僕が最初に君を殴ったりしなければそんなこともなかった。あれは僕のせいだよ」
「違いますっ、わたしが悪いんですっ。わたしが――」
 お互いに謝罪合戦をする中で、ハルミちゃんは再び顔を俯かせて……震えだした。手が、肩が、弱々しく戦慄いている。

「わたしが、人殺し、だから……」

 ――ここにきて、大きな障害が立ち塞がった。
 クラミネ家が、何故これまで歪むようになったのか?
 その全ては、クラミネ家両親の離縁から始まった。
 何故、クラミネ母はハルミを連れて消えてしまったのか? その理由は、今は確認する術がない。しかしそれは、全ての悲劇の根源だ。
 それが理由で、母は死んだ。
 それが理由で、ハルミちゃんは人殺しになった。
 それが理由で、カズマはハルミちゃんを殴った。
 だから、本来この二人に罪はないはずだ。本当の罪人はこの二人の母――あるいは、母に失踪を決意させた、誰かか、何かかもしれない。
 だが、償うべき者は消えてしまった。残された罪を、子供達に遺して。二人は今、その罪の重さに苦しんでいる。
 一人で。

「カンケーないよ」
「……え?」
 カズマの努めて明るい声が、ハルミちゃんの顔を上げさせた。カズマが、笑っている。優しく。
「ハルミが今まで何人殺してようが、そんなのカンケーないよ。ハルミが僕の妹だって事実は変わんない」
「で、でもっ、だって、どうして」
「だって」
 口のうまく回らないハルミちゃんを、カズマは優しく撫でた。ハルミちゃんは驚いて、そのまま固まってしまう。
「僕、子供だから」
「子供……だから……?」
 その言葉の意味を理解できず、ハルミちゃんはボケた顔になってしまう。それを見て笑いながら、カズマは自信満々に言ってみせた。
「そう。だから、僕にはハルミの罪を罰する権利なんてない。それどころか、もしもそんなことしたら」
 頭を撫でる手を、後頭部へ移す。そして、有無を言わさずカズマはハルミちゃんの頭を抱き寄せた。
「僕、家族がいなくなっちゃうよ」
「かぞく……?」
「当然だろ? 子供には家族がいて然りだ。少なくとも、僕はハルミと離れたくはないと思ってる」
 抱き寄せたハルミちゃんの顔を、目を、カズマは自分の目でしっかりと見た。今度は、逸らそうとしない。逸らさない。
「ハルミは、どうだろう?」
 ――ハルミちゃんは、目から涙を零した。
 そこまで言葉を貰えば、もう十分だったろう。自分の罪を許容してくれるどころか、自分自身を認めてくれた。更には自分が、必要とされた。拒絶されて、当たり前だと思っていたのに。
 泣かない理由は、なかったろう。
「……わたし、も……」
 ハルミちゃんは、カズマの胸に顔を埋めた。
 カズマは、その頭を優しく撫でた。
「はなれ、たく、ないよぉ……」
「よしよし」
「もう、お兄ちゃんしか、いないよ」
「そうだね。僕も、ハルミしかいないよ」
「ごめん、ね。ごめんね」
「こちらこそ、ごめんね。今までずっと気付いてやれなくて。もう、大丈夫だから」
「うん……うん……!」


 ……傍から聞いてる身として、しかしハルミちゃんの気持ちが私にも圧し掛かった。
 あの時の光景に、私の感情は未だに甦らない。ただ、圧し掛かってきた感情を、私は確かに『二度』味わっていた。
 私が気絶する前のこと。私を兄と偽った時のこと。あの時感じたことが、ようやく甦ってきた。今になって。
 ハルミちゃんが、私を信じて離そうとしなかった時のこと。
 この時の私は、特に意識はしなかった。ハルミちゃんの気持ちが、ハルミちゃんの姿を見て伝わってくるなんて、当たり前だと思っていた。
 ただ、この時の私は、あまりにも――そう。
 その時の感情を、安易に受け入れていたような気がした。


「あ……あの」
「ん、どうしたの?」
 言葉をかけられた後、ハルミちゃんがカズマの腕の中でもぞもぞと動く。慌ててカズマは「ゴメンゴメン」とハルミちゃんを放してあげた。ハルミちゃんは流した涙を拭い――もう一度、カズマに抱きつく。
「えへへ」
 純正の笑み。それを受けたカズマが、今になって恥ずかしそうに頭を掻く。
「ハルミ、もうそろそろ病室に戻ったら? 怪我もないとはいえ、一応病人なわけだし」
「もうちょっとこうしてます」
 そうやって幸せそうな顔をしているハルミちゃんを拒むこともできずに、カズマは困った顔を私の方へと向けてきた。助け舟がほしいのだろうが、まぁそんなことをする道理なんてないわけで。
「しかしまぁ」
 さっきまで沈黙を守り通していた私も、そろそろいいかなと口を開いた。気になったハルミちゃんもこっちを向いて、二人とも私の話を聞く体制になっている。ハルミちゃんが抱きついた体勢のまんま。
 ただ、今このことについて発言するとこの空気は軽くぶち壊しになるだろう。そんな不粋な私にはKYのレッテルが貼られてしまうわけである。だが、この時の私は別にいいかなぁとか考えたまま、深く考えずに口を開いた。
「こうして見てるとさ――」

 そこで、私の言葉は止まった。
 病室のドアが開いた音。世界はそれを期に、一度短く時間を止めた。ような錯覚を覚えた。
 部屋にいた一同が、病室の入り口を見やる。
 ヒカルがいた。大きなペットボトルに入ったオレンジジュースを持って。
 果たして、その顔は笑っているのか否か。それを考えていたもんだから、私の口にしようとした言葉は結局ウヤムヤになって消えた。
 ――こうして見てると、恋路を歩む若者同士にしか見えない。そんな言葉が。

「あぁ、おかえり」
 先に口を開いたのは、なんとカズマ。私に貼られる予定のKYのレッテルは見事にカズマに移った。
「…………」
 当の、声をかけられたヒカルは真顔のまんま無言。どうやら最初にこの意味を理解したのは私だけのようで、どうしたもんかと横目にちらちらと二人を見ても、よく理解してなさそうな二人の顔があるばかり。
 ……と思いきや、そのウチの一人が急にパッと顔を明るくした。
「おかえりなさい、ヒカルさん」
 次に口を開いたのは、なんとハルミちゃん。カズマに貼られる予定のKYのレッテルが今度はハルミちゃんに移った。……と思った。
 しかし、こいつは確信犯だった。
「あ、うん、ただいま」
 ようやく返すべき言葉を見つけたヒカルが、愛想笑いのようなソレで帰還を告げる。そして、恐る恐るといった風にハルミちゃんに尋ねた。
「あの、何してるの?」
 多少震えているような、いるような、いないような、いるような手がカズマ達を指差した。お互いにぎゅうっと抱き合った仲良し二人組を。
 そこでハルミちゃんは、さらに笑顔になった。
「別に、なんにもありませんよー」
 ぎゅぎゅっ。
「のわっ、ハルミ?」
 ――ビキビキ。
 そんな音が、聞こえたような聞こえたような。
「ああ、そう? ならいいんだけど」
 努めて、笑顔。
「そうですかー、えへへ」
 極めて、笑顔。
 だが、カズマだけがこの状況を何も理解してなさそうな顔だった。しかし、見える。私にも見える。この部屋に漂う威容で異様なアレコレが。詳細な言及は避ける。
 そして、努めて笑顔が動き出す。すたすたと擬音が聞こえてきそうなくらい「すたすた」言うんじゃねーよ。ともかくカズマの前までやってきたヒカルがペットボトルのフタをくるくると回して開けた。そのフタは酒瓶を開けた時のように跳ねとんだ。
「カズマ」
「なに?」
「口開けて。飲ませてあげるから」
「へ、なんでわざわゴフッ!?」
 有無を言わさずぶち込んだ。
「きゃあっ!? だ、大丈夫ですか!?」
「ごふっ、がはっ、大丈夫じゃなゲフッ」
「大丈夫よ。死ななきゃ安いわ」
「ちょっとヒカルさん、タンマですタンマっ」

 そうやって楽しそうにしか見えないと考えざるを得ない光景を、ちょっと遠くから眺めている私が、誰にも聞こえないくらいの声で一言。
「……まるで物語の主人公みたい」
 差し詰め、めちゃくちゃな展開の多い恋物語か。
 頭の中でそう結論付けて言葉も無しに私は立ち上がった。擬音も何もない足音でもって移動して、病室のドアノブに手をかけ。
 一度、振り返ってみた。
 苦しそうにむせ、ベッドに倒れ込むカズマ。何故かどや顔を見せるヒカル。慌ててカズマの肩をがくがくと揺らすハルミちゃん。
 物語の、一風景。
 それを眺めてから、私は気付かれないままに病室から出た。


 そう。
 私はただの引き立て役。
 平穏の似合う、一人の脇役。
引用なし
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No.14
 冬木野  - 11/2/8(火) 9:08 -
  
 ここ最近、コーラの味をずっと味わってなかった気がする。
 という言い方をすると、私が事務所に戻ってきたみたいな物言いに聞こえるだろう。だからしめやかに補足しておくと、私はまだ病院にいる。それも自分の病室の前だ。
 定義上病人である身分としては、こうして炭酸飲料を飲んでいるという事実は基本的によろしくない。詳しいことについては説明を省く。興味のある方は、直接医師に聞いてみるなり入院してみるなりすればいいと思うよ。オレンジジュースとかはセーフだけどね。確か。
 そんな私がそんなコーラを飲んでいる理由は、こいつが奢りであるからだ。断る前に投げ渡されたので、まぁ飲んじまえと。そういうことである。
「……で、どこまで聞いてたの?」
「一部と言わず、始終をね」
 そうやって私の隣で同じようにコーラを飲みながら笑みを見せたヤイバがそう言った。
 この男、なんと私とハルミちゃんがカズマの病室に入ってからの会話を全て聞いていたらしい。壁に耳ありとはこのことだ。
「良い趣味してるね」
「恐悦至極」
 とんだ皮肉屋だと思うよ、コイツ。
「あんな良いタイミングでヒカルを入れたのも、ヤイバの仕業?」
「いやいや、そればっかりは偶然だわさ。神の采配とはこういうことを言うんだのぉ」
 うんうん、と自分の言葉に納得を見せながら、自分のコーラ缶をちゃっちゃと空にした。そんな「我関せずを地で行く」みたいな顔をしたヤイバが癪にでも障ったんだろう。私は少しヤイバにつっかかってみることに。
「どうして聞き耳なんて立ててたの?」
「事、面白そうな話には野次馬根性が唸りをあげるもんでね」
 そんな「ああ言えばこう言うを地で行く」みたいな態度も癪に障ったんだろう。私はヤイバの顔をじっと注視した。するとヤイバが苦笑いでもって首を振る。
「そう不満そうな顔しなさんなって。わかったわかった。隠す理由もないから、特別にユリサマには情報を提供して差し上げよう。それがフェアって奴だ」
 そんな「知ったかを地で行く」みたいな態度も多分癪に障った。ヤイバってヒール向きな性格してるんだな。わざとなんだろうか。
「とは言っても、情報って程の情報じゃないんだけどさ。オレ達が元は人間だったって話は、もう何度も聞いてるよな」
 頷きを返して、コーラを一口飲んで続きを促す。
「その時の障害なのかは知らんけど、オレ達は過去の記憶が曖昧なんだ。だから過去の話には敏感なワケ。さっき聞き耳立ててたのも、それが理由だ」
 そう言って、もう中身のないコーラの缶を口につけて傾ける。まるでコーンポタージュの缶の中に残ったコーンを食べようとするようなその振る舞いに、私はもどかしいナニカを感じつつ放置。
「……で、それだけ?」
「それだけ」
 本当に情報って程の情報じゃなかった。特に期待してなかったわけだが、なんだか裏切られた感があったので缶に口をつけて一気に傾け……やっぱりゆっくり飲むことにした。
 気になるワードを選んで抽出して、それをコーラの味と一緒に吟味して、口を離す。
「過去の記憶が曖昧って?」
 それから私は気になったワードをヤイバにぶつけた。確かに元人間と言う情報は何度も聞いていたが、記憶障害の件は今回初めて聞いた。
「なんでい、それだけとか言うからてっきり流すかと思ったわ」
 関心したような、怪訝そうな、そんな曖昧な笑みを浮かべた。
「まあ、そのまんまの意味だよ。カズマと、多分ヒカルもだけど、あの二人はそれほど過去の記憶をなくしてるわけじゃない。部分的なところとか、ちょっとしたところが抜け落ちてるんだ」
 ハルミちゃんの件について、のことだろう。本当にキッチリと聞き耳を立ててたみたいだ。
「それと、ハルミの立派な記憶喪失も……いや、それは別かな」
「え、なんで別なの?」
「だってあれはカズマが頭を殴った時に失った記憶だろ? オレの言う記憶障害は、あくまで助長的なものなんだ」
「助長的なもの?」
「そうそう。厳密に言うと、抜け落ちた記憶のピースに、代理として辻褄の合うピースが用意されること。そうすれば、一応は不備の無い記憶が完成するわけだ」
 代理としての、辻褄の合うピース。私は頭の中で、試しに風景画のジグソーパズルを用意して、その中のピースの一つ二つを抜き出し、別のピースを埋め込むという想像をしてみた。我ながら大した想像力を持っているなとどこかで感心を覚えながら、なんとなく理解する。
「つまり、自分では記憶がないことに気付かない?」
「ご明察」
 パンパンパン、と拍手が三回返ってきた。
 つまり、それはカズマの記憶がないケースに当てはまる。カズマの人間だった頃の過去は知らないが、少なくとも共に過ごしてきたヒカルが特に問題なく一緒に過ごしていることから考えれば、カズマの記憶喪失は人間からチャオに変わった時に成立したことになる。だって、実の妹の頭を鉄パイプで殴って記憶を失わせたなんてことを忘れ去るのは、ハッキリ言って無理がある。そこまで行けば人格崩壊レベルに違いない。
 つまり、カズマがハルミに関する記憶がなかったのは、チャオになったことが原因だと考えられる。と、そういうことだろう。
「じゃあ、ヤイバやミキも?」
「うんにゃ。確かにオレは人間だった頃の記憶なんてもはや無いに等しいよ。辛うじて人間だったかなーって覚えてるレベルだ。なんでそうなっちまったかも知らない。ただ、ミキは純正のアンドロイドだったよーな」
 なんとなく肩透かし。
「そっか、ありがと」
 そこから先はもう興味がなかったので、ちょうど飲み終えていたコーラの缶を押し付けて話を終わらせた。多少不満そうなヤイバが抗議してくる。
「なんだよー、これから面白くする予定だったのによー」
 予定だったのね。
「大体さぁ、解き明かしたくはないのかね? この超弩級の謎(当社比)をさ」
 そう言うヤイバの顔が既に「そうに決まっている!」と断言していた。というか、謎っていったいなんだ?
「そりゃあもちろん、オレ達の謎さ。人間だった頃のこととか、何故チャオにされてしまったのかとか、いったい誰がそんなことをとか、エトセトラ」
「いや、別にいいけど」
「何を言っているかね。ワシには見えるぞ、ヌシの心がウズウズしている様が!」
「いやしてないし」
「じゃあなんでなんだよー、言ってみてくれよ」
 逆になんで私が謎を解き明かしたくてウズウズしていると思っているのか聞いてみたい。ヤイバのそんな態度が気になりながらも、私は彼の確信を突き放した。
「だって、問題は解決したじゃない」
「…………えっ」
 そうすると、とても珍しいものが見れた。ヤイバが、本物の唖然とした表情を見せたのだ。地味にこんな顔は今まで見たことがなかったので、私も多少驚いた。だがヤイバも紡ぐ言葉が出てこないようなので、私の方からべらべらと喋る。
「だってさ、依頼の件についてはGUNに十分なくらい情報提供はしたし、カズマもハルミちゃんも見つかったじゃん。予後……って言うとちょっとおかしいけど、後のことにも支障が無いように問題はまとまったわけで」
「はあ」
「これ以上、何かする必要あるの?」
 私としては、なんともない言葉。しかしヤイバはそれが納得いかないのか「えー」とか「うー」とか言いながらしきりに唸りまくっていた。私としては逆にそれがおかしいわけで。
「逆に聞くけどさ、なんで私が……えーっと、謎を解き明かしたいーだなんて考えてると思ったの?」
「いや、まあ……」
 答えの代わりに、視線が返ってきた。私の顔をなんだと思っているのか、あらゆる角度からジロジロと見てくる。
 風の噂で聞いたのだが、セクハラの定義は被害者が「セクハラを受けた」と認知して成立するらしい。つまり私がこれをセクハラだと思って訴えれば通るということになるっぽい。女性諸君は覚えておくといい。
「うーん?」
 で、結局は首を傾げて終わる。さっきのファッションチェックで何を査定していたのやら。私自身すらも気になってきたが、もうこの話題には触れない方がいいかなと思って話を逸らした。
「そういえば、一つ聞きたいことがあるんだけどさ」
「おっおっおっ。なになに?」
 途端に嬉しそうにしやがった。意味がわからん。
「あの日の、ヤイバ達がハルミちゃんを見つけた後のことなんだけどさ」
「うんうん」
「あの後、私から通信かけても出なかったじゃない。何があったの?」
「…………」
 みるみるうちに、というのはこういうことを言うのだろう。ヤイバの顔が、それはそれは期待を裏切れたというように沈んでいった。意味がわからん。
「あーあれね。うんうん。別に防水加工してるわけじゃないからさ。水溜りでポチャよ。それだけ」
「それじゃ、あの後どこにいたの?」
「ハルミを探して三千里。ユリ達の探してた場所とは見当違いの場所までオサンポしてましたとさ」
 実にやる気無さげにそう告げてきた。何が残念なのかは知らないが、一応残っていた疑問は一通り解消されたかな。
「で? 話は終わり?」
「うん、まあ、お終いだけど」
「※本日のヤイバは全て終了しました」
 相も変わらず脈絡のない言葉が飛び出し、ヤイバは「じゃあ退院手続きしとくわー……」と絶望すらも背負っていない寂しい背中を見せ、力無く手を振りながら去っていった。
 当の私は気になることは気になるのだが、かける言葉なんてこれっぽっちも見つからないわけで。とりあえず無視するしかないと悟った。
「なんだったんだろ」
 一つの謎を心に残し、さて病室で暇を貪るかなと振り返ろうとした時。
 ヤイバがムーンウォークで戻ってきていた。
「いや行けよ」
 心に秘めておこうと思ったツッコミが勢いで漏れた。何しに戻ってきたんだコイツ。
 そんな反応に困って立ち尽くしていた私に向かって、振り向きざま指を突きつけたヤイバ。その様が「ビシィッ」という擬音が聞こえそうなくらいと思った頃にはわざわざヤイバも自分で言っていた。擬音を口にするのが流行ってるのかね。
 挙句、ヤイバの口から飛び出した言葉は実に理解に苦しんだ。
「自らを価値無しと思っている者こそが、真に価値無き人間なのだ」
「は?」
 唐突にも程があって、私は言葉の意味を噛み砕くことをすっかり失念していた。そんな私に、ご丁寧にヤイバの解説がくだる。
「嘘と出鱈目に塗れた辞書に、唯一嘘を吐かせなかった男の言葉だ」
 ますます意味がわからなくなった。だが、それを追求する前にヤイバは既に踵を返していた。
「では、これで失礼させてもらおう。オレはこれから藁と五寸釘を調達せねばならんのだ」
「え、なんで?」
 異様に不吉な組み合わせを聞いて、反射的に追求してしまった。するとヤイバは不気味な笑い声を響かせる。
「クックック……当然だろう? 奴は誓いを破った男……」
「は? 誓い?」
「一人までなら、オレでも許せた。しかぁし! 二人以上は……許せん!」
 許せると聞き間違えた気がした。聞き取り辛い舌の回しかたしてるな。
 そんなことを思いながら、その言葉から連想される事柄を模索して……それはあっけなくヒットした。
「まさか……カズマのこと?」
「見ていろよ……必ずや、彼奴めをリア充の座から引き摺り下ろしてみせる! ハァーッハッハッハッハ!」
 そんな高笑いの声をあげながら、ヤイバは走り去っていった。
「いや静かにせぇよ」
 心底付き合いきれなくなってきたので、私はさっさと病室に避難しましたとさ。
引用なし
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No.15
 冬木野  - 11/2/8(火) 9:13 -
  
 そして後日。退院した後の経緯を端的に説明しよう。
 まず最初に事務所に戻ってきた私達は、所長達その他の面々とGUNのお偉いさんと二人のSPさんに迎えられた。
 お偉いさんからは手厚い感謝(何故か私中心に)とたんまりの報酬(事務所的に微々たる物)を手渡された。その報酬は、GUNの人達が帰った後に「それ、お前の給料な」というゼロ所長の究極的な計らいによって私の物となった。
 思わず鼻血でも吹きそうになった私は怯む体を奮起させ、何故か所長に抗議。だが私の声は所長の「うれしくねーの?」という言葉によって意気消沈。震える手で膨大な資金(と書いて人の欲望)の詰まったケースを手にした。これ、何に使えば良いんだろう。
 ちょっとした歓声とちょっとした拍手に包まれた後、所長の「じゃあ今日は解散な」と気だるい声でもって本日の業務を全て終了させ、一同はいつもの生活に戻った。
 私は手にした大金をどうしたものかとそわそわしていたが、そこへパウがやってきて何気なく話し始めた。
「それ、半分は口止め料だよ」
 唐突に出てきた口止め料という言葉が気になったので詳しく話を聞いてみると、こういうことだったらしい。
 ラリパラの雨を振り撒く方法。それについて私は詳細を知らなかったが、その方法は驚くべきものだった。
 あの犯人の男の肩書きがもう一つあって、なんと武器生産工場で働いてもいたらしい。そこで彼は同僚の仲間(これには同じ非常識派の者という意味も含む)と新型の爆弾を開発した。
 GUNはその爆弾を戦闘機の武装の一つとして採用していたらしいのだが。その爆弾を徹底的に調べ直した結果、核爆発と同じような作用であることが発覚。
 詳細に解説するとややこしいことこの上ないので、なるべくかいつまんで説明しよう。
 新型の爆弾、通称ラリパラボムを海上で戦闘機が使用する。その目標は海上の敵の空母や船舶。つまりラリパラボムは海上で爆発する。そうするとこの爆弾は陸で爆発した時よりも粒子が細かくなる。そうやって爆発時にばら撒かれたラリパラの水は風に乗って運ばれ、海水に含んだ塩分を核に雲が発生。そして、私の仮説通りにラリパラの雨を風下に降らせる。らしい。
 いわゆる放射性降下物、フォールアウトというもの。だとか。
 核放射線とは違って効果の薄かった水は、しかし何年もラリパラボムとして世界各地にばら撒かれ続け、今年の末にようやく実を結ぶに至ったのであった。
 ここまで話せば大体わかるだろう。知らず知らずに世界に発狂者を作っていたのは、実はGUNだったという事実が。
 責任問題を逃れる為、当然GUNもその事実を隠蔽するつもりだったのだろうが、まず真っ先に小説事務所にバレた。だから世間に情報を公開されないよう、報酬を上乗せしてきた。と、まあそういうことだったらしい。
「まあ、こっちもハルミちゃんが犯人を刺したって事実を隠蔽してるから、おあいこだよ」
 そういえば、そのことをすっかり忘れていた。
 事務所内の面々のほとんどはハルミちゃんの行動を知ってはいるのだが、誰一人としてお咎めはしていないように見える。ここまでくると寛大という言葉では片付けられないのだが、私としてもハルミちゃんの罪を誰にもバラしたくはない。そんな理屈ではない感情があった。みんなも同じ気持ちなのだろうか。少し気になる。
「なにはともあれ、そのお金を減らしたくなかったら喋っちゃ駄目だよ」
「いや、喋ったらそれくらいのペナルティだけなの? もっとアブナイことになるんじゃ……」
「平気だよ。『あんなの』がウチに何かしようとしてきたって、何もできるわけないから」
 ……私は改めて、この事務所の恐ろしさを再認識した。


――――


「現金は困るよなあ……」
 未だ日中の、雪色に染まった街中。私は別の意味で背筋を凍らせていた。
 悩んでいたのは、この金をどうしたものかというただ一点。こんなの持ち歩きたくはない。早く銀行にでもぶち込んでおきたいが、しかしこれ大金過ぎる。金も銀行に渡るが、私の困った気持ちも渡すことになる。良心の呵責に似た何かがそれを阻止しようとしている。よくわからないよ。
 何はともあれ、こんなケースを持って出歩くのはご勘弁である。そういうわけで、いろんな意味で震える体を抑えて我が家への道を急いでいた。
 しかし、流石雪道。逸る足にちょっかいを出すが如く足取りが危うい。ちょっと気を抜くとすぐ滑る。転んだ際に札束をばら撒いたりしたらとっても厄介なので、結局万全を期して安全歩行に努めることに。
 手に持った荷物を重く感じながら、未だ細々と粉雪を降らす空を見上げてみた。
 早く太陽の光を再び拝みたい。そう思っていたのが昔のことのよう――とまでは流石に思わない。だが、それと同じくらいの気持ちはある。
「いち、にい……」
 試しに頭の中で経過した日数を改めて数えてみた。カズマがラリパラであることを知ってからの日々を振り返る。
「ごー、ろく、しち……あれ」
 もう一度数え直してみても、やっぱり間違ってはいなかった。今日を含めて、キッチリ一週間。三はなくとも二週間くらいは経過してるかと思ったのに、意外と日数が経っていないことに気付く。
 そしてその原因が、四日目までと五日目より後の出来事に大きな差があることにも気付いた。
 初日に様子のおかしいカズマの姿を見つけて、二日目にカズマがラリパラであることを知った。三日目は多くの人々が同じ夢を継続して見ることを知り、四日目は所長とGUNのお偉いさんが離しているところを見たり。
 このように、依頼を受けるまでの日々は一言で簡単に言い表せる。しかし五日目、依頼を受けてからの日々がやけに充実――という言い方もなんだが、まあ忙しかったわけだ。
 初日から四日目までの大した行動をしていない空白の多い日々と、五日目から今日にかけての切羽詰った忙しい日々。これらのイベントの構成が、私に長い時間を感じさせたということになる。
 さて、次に忙しくなるのはいつになるやら。
「まあ、しばらくはゆっくりできるかな」
 手にしたケースを改めて見直しながら、先の出来事に空想を膨らませた。
「……なんでもできそう」
 手にしたケースを改めて見直してしまったばっかりに、逆に空想に歯止めが利かなくなった。お金ってコワイ。
「何をしているんだ?」
「あうわわわうわうわ」
 そんな私に降りかかる、異様に威圧のある声。割れ物よりもクリーンになっていた私は大げさ過ぎるほどに驚いた。職質か? 職質なのか?
「く、くれーむはっ、しょーせつじむしょのほーへっ!」
「何を馬鹿なことを言っているんだ。少し落ち着け」
 落ち着け、とのお達しだ。試しに深呼吸をして、深呼吸をして、深呼吸をして。
「ふう」
 落ち着いた。ので、後ろから聞こえた声の主を確認すべく、ゆっくりと振り返ってみた。そしてその正体に軽く驚く。
「あれ、シャドウさん?」
 見紛うことなくシャドウチャオだった。見た感じピンピンしており、いつかに路地裏でぐったりしていた面影は見当たらない。
「もう大丈夫なんですか?」
「まあな。世話になった礼にと思ってお前を探していたんだが……どこで何をしていたんだ」
 人探ししてましたとか、入院してましたとか、いろいろと言葉はあるけど、選び損ねたあげく苦笑いだけ返すことになった。
「それにしても、別にお礼なんて」
 あんまり予想だにしなかったので、結構驚いている。てっきりお礼のおの字も告げずにさっさとどこかへ消えてしまうものかと思っていた。
 するとシャドウさんはそんな私の考えを察したのか、笑いながら答えた。
「どこぞの寝ぼすけと違って、礼儀は心得ている」
 皮肉めいたその言葉に、私も漏れた笑いを返した。仲の良い兄弟だな、ほんと。
「それで、お前のそれはなんだ?」
 そしてシャドウさんは、今の私のウィークポイントを躊躇無く指差してきた。心臓が反射的にドキリとしてしまい、ちょっとだけ言い訳の言葉を探そうとしてしまう。
「ええと、報酬ですよ。一仕事終えたばっかりなんです」
「ほう、大した額をもらったみたいだな」
「あはははは……あ、なんだったら要ります? ちょっと分けてあげちゃいますけど」
「いや、必要ない。大事に使っておけ」
 その言葉に何故かガッカリしてしまった。我ながら意味がわからない。手にしたお金に対して喜びよりも恐ろしさの方が先走っているせいだろうか。
「ところでお前、これから暇か?」
「えっ? あ、はい! それはもう暇、いやいや」
 唐突のお誘いに条件反射的に肯定し、しかし報酬をさっさと自宅に置いてこなければいけないではないかとあわてて否定の体勢に入った。シャドウさんはそれを察してか、実に気楽な言葉をなげかけてきた。
「少し冷静になれ。たかが紙屑の束だ。それに開けなければ誰も気にしない」
 何が紙屑だよ。この紙屑欲しさに世の社会人がどれだけ汗水垂らしてると思ってんだ。
「とは言っても、別に大した用事でもない。逆にお前にとっては迷惑になるだけだろう。断ってくれても構わない」
「あ、いや……どうせ暇だし、お付き合いしますけど」
 なんだかんだ言って、私はこうやって多くの人付き合いを避けられぬものにしていくのだがら救いようがない。
 最近わかった事だけど、私ったらどうもお人好しな気がする。


 そういうわけで、私は心身ともに重いと感じる手荷物を持ったまま、シャドウさんに連れられて近くのファミレスへとやってきていたのだが。
「ステーキ定食、スペシャルピザ、チーズパスタ、から揚げポテトセットになります」
 いや頼み過ぎだってばさ。誰が払うんだよそのお代。
「愚問だな」
 愚問でした。
 ウェイトレスさんが去ったのを確認した後、私は誰にも見られないようにケースをカパッと開けた。予想通りの札束の軍勢に目を眩まされながらも、さっと必要な分を抜き取ってケースをガバッと閉じた。誰にも見られてないかなと内心冷や冷やモノだ。自分で頼んでおいたハンバーグ定食にも手が伸びない。ホットコーヒーをちびちび飲みながら、目の前で一人大食いに興じているシャドウさんを見ているしかないというか。
「冷蔵庫の中の物、勝手に食べてもいいって書き置きしてたのに」
「最初から中身の無い冷蔵庫に用は無い」
 あれーっ、そうだったっけーっ? やっだなー、そういえば最近食材単位の買い物してない気がするわぁ、てへっ☆
「はあ……」
 頭を抱えざるを得なくなった。いつからこんなに無計画な生活になってしまったんだろうな、私。
 大幅に冷めた感情でもって、ようやくハンバーグ定食に手を伸ばした。目の前でやたら淡々と大食いしているチャオとか、横に置いといたケースとか、いよいよ気にならなくなってきた。順応って怖いね。
「で、話ってなんですか?」
 一口目の米とハンバーグを丁寧に咀嚼して飲み込んだ後、ようやく本題へと切り出してみた。奢るだけ奢ってお終いだったら大変である。
「ん……ああ、そうだったな」
 何がそうだったなだよ。お前マジでタダ飯にありつくのが目的だったんじゃねーだろうな。
「いや、我ながら有り得ないことを聞こうとしているものだからな。恐らくは俺の勘違いだと思うんだが……」
 から揚げを一個口に放り込んで意味深なことを言うシャドウさん。思わず私もホットコーヒーを口に付けたまま硬直してしまう。さっきまでの冷や冷やとは別のものがじんわりと体に降りかかるような錯覚を覚える。
 そしてシャドウさんが切り出した言葉は、驚きの一言だった。
「お前、ずっと前にどこかで会ったことはないか?」
 …………うーん、おいしいホットコーヒーだ。今の一言を聞いて噴き出さなかった私を誰か称賛してほしい。
「お断りしますよ」
「言うと思った」
 じゃあ言うんじゃねえやい。
「で、はなしはそれだけですか。すてきなじょうだんですね、まる」
「いや冗談じゃないんだが」
 何が冗談じゃないっていうんだ。
「会ってるわけないでしょう。あなたとはお山の上で会ったのが初めてです」
「そうか。……まあ、そうだな」
 パスタにさしたフォークをくるくる回しながら、自分を納得させる為に軽く唸る。確かに、どうも冗談で言ったようには見えない気がする。多少なりとも気になった私も少し話を聞いてみることに。
「どうして、私が前にあなたと会ってると?」
「さあな」
「さあな、て……」
「よく覚えていないんだ。ずいぶん昔に、ユリという名前に聞き覚えがあったような気がしただけだ」
 別にユリなんて名前、珍しくともなんともないだろうに。それに、だ。
「聞き覚えがあるなら、もっと最初の内に聞くものでしょう?」
「聞く機会が無かっただけだ」
 そうかなぁ。
 首を傾げながら、ハンバーグをもぐもぐする。しばらくはその味に集中していたが、だんだんと沈黙の中で目の前のシャドウさんが一人大食いコンテストをしているのを私一人で観賞しているのも暇なので(と思って周囲を見たら何人かが面食らった顔でこっち見てた)こっちから話をふっかけてみる。
「そういえば、私ってまだシャドウさんの本名を知らないんですよね」
「ん? 俺の名前が知りたいのか?」
「え? ああ……」
 聞くつもりで言ったわけではないが、よくよく考えたら聞いてるようなものだった。
「さて、なんだったかな……」
 かと思えば、シャドウさんは唐突に動かしまくっていたナイフとフォークを置き、腕を組んでうーんと唸り始めた。その行為の理由がわからず、私も手にしていたフォークを置いた。
「なんで悩むんですか?」
「名前なら仕事柄山ほど名乗ってきたからな。よく思い出せん」
「いやいや、だって本名ですよ? そうそう忘れないでしょう」
「どうだったかな。足だか航空機とかだった気がするが」
 足? 航空機? 一体全体どんなセンスしてるんだよ名付け親?
「まあなんだ、俺の名前なんかに意味はない。これまで通りに呼んで構わん」
 そう言って、再びナイフとフォークを手に取った。シャドウさんの大食い劇場再演。私はそれを眺めながら、ささくれレベルの引っかかりを感じていた。
 シャドウさんの名前。確かにそれ自体に意味は無い。少なくとも私はそう思っている。それはシャドウさんも同じだろう。普通なら、こうやって納得している。
 だが、なんだろう。この私の中の燻りは。自分にはおおよそ関係の無い、詮索するほどのことでもないと思っているのに、つっつきたくてしょうがない。いったい、何故?
 ……私はもう、どうしようもなく「それは違うよ」と言いたがっていた。
「本当に、意味はないんですか?」
「…………」
 シャドウさんは、構わずに食事を続けていた。返してきたのは、軽い頷きだけ。私も構わずに言葉を吐き出した。
「だったらなんで、あんなことを言ったんですか?」
 これにも特に反応しなかった。ほんの僅かだけ、視線をこちらに寄越したくらい。……でも、ステーキを切るナイフの手の動きが、少しだけ緩んだ気がする。
 やっぱり、気にしてるんだろう。下手につつけば、余計酷くさせるだけかもしれない。でも、ここまで来たら引き返せないだろう。
 手持ちの弾丸は、既に火薬をアツくさせている。
「シャドウさん、今一度聞かせてください」
 目が合った。シャドウさんは、ステーキを口に含みながら顔を上げていた。普通に見れば、ただそれだけの顔。
 だが、このシャドウさんの目は――私に期待を寄せるような、そんな目をしていた気がした。


「あなたはいったい誰なんですか?」
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No.16
 冬木野  - 11/2/8(火) 9:19 -
  
――……わからない。俺がいったいどういう存在なのか。俺の本当の名前も。それに意味があるのかも。意味とはなんだ? 俺という意味は? ユリ、お前ならわかるか。俺はもう、自分では何もわからない――


 私の頭の中では、いつかのシャドウさんの言葉が反芻していた。
 これほど気になることはない。つい先日、病的なまでの悩みを抱えていた彼が、体調を回復させた途端にこれだ。
 本当に、立ち直ったのか? 私はそれが気になっていた。
 パッと見れば、立ち直ったようには見えたろう。だが、それがもし演技だったら?
 私はシャドウさんのことには詳しくない。だが彼なら、自分の悩みくらいは隠し通すだろうと確信していた。その根拠は、彼の立ち位置にあった。
 彼は裏社会の組織を転々として生きている。名前も仕事柄沢山名乗っていると聞いた。つまりはスパイみたいなものだ。人を欺くくらいはやってのけて当然だ。相手を騙す為に。そして、自分の弱点を隠す為に。
 そして――根拠はそれだけじゃない。彼がそういった立ち位置にいる理由。これが本命だ。
 彼は所長であるゼロさん、そしてパウ、リムさんの関係者だ。仲もそれほど悪くはないと思う。それならば裏社会を渡り歩くリスキーな日々なんか送らずに、所長達と一緒に事務所に腰を降ろしたって誰も文句は言わないはずだ。
 そんなシャドウさんが事務所にいない理由を、おぼろげながらも知っている。
 あれから、それほど経ってない。所長の色褪せた背中。パウの冷たい声。リムさんの遠い目。
 あの時、確か二人はこう言ってたっけ。

――恐らく、彼だけは可能性を否定したんだろう。僕達は世界を跨いだのではないのかもしれないとね――

――……気付くのが遅すぎました。きっと義兄さんは、私達よりも早くその事実を知った筈です――

 シャドウさんは、自分の記憶と存在は矛盾していると考えた。それはつまり、自分の記憶か、存在かが偽者であると考えたことになる。
 そして、たった一人でその事実を探しに行ってしまった。
 ずっと一人で、悩んでいた。それは、ラリパラだった時の彼自身が物語っている。そんな長い間抱え続けた悩みが、今になってどうして解決したと言えようか。
 そうだ。シャドウさんは今も悩んでいる。一人になったら、また思考の泥沼にはまってしまう。だから、私に助けを求めようとして――いや、さすがにそれは考え過ぎかな。


「……やはり大した奴だよ、お前は」
 口に含んでいたステーキを飲み込んだシャドウさんが、開口一番やはり大した奴とか言い出した。果たしてどういう意味かと首を傾げると、シャドウさんは笑いながら言った。
「自分では気付いていないだろうが、お前は少なくともそこいらの一般人よりは良い能力を持っている」
「いや、別にそんなことはないですけど」
 また買い被りだった。私はいつものようにそんな言葉に首を横に振ったが、シャドウさんもまた首を横に振って言った。
「GUNとの合同作戦の時もそうだが、今回のこともそうだ。世界規模の発狂者を生んだ今回の事件、犯人が捕まったと聞く。そこには小説事務所の協力があったらしいが」
 知っていたのか。私は今回の仕事に関してシャドウさんには何も話していなかったが、情報が早い。
「解決に導いたのは、お前だろう?」
「は?」
 と思ったら、とんだ誤情報が飛び出した。私が解決しただって?
「お前の推理と行動のおかげでラリパラの原因は突き止められ、犯人も見つけ出すことができた……そう聞いている」
「……あの、ソースは?」
「パウだが」
 頭を抱えた。あの人ったら何言っちゃってくれてんのよ。酷い過大評価だ。あれは推理というほどのシロモノではない。あくまでラリパラをこの身で実体験したからこそあの事実に辿り着けただけだ。それに私の行動にしたって、ただひたすらに空回りをしていただけだ。
 私がそう言うと、シャドウさんは笑いながらやれやれと首を振っていた。
「俺も一通りの話は聞いたが、事実に辿り着いたのは正にお前の力あってのものだろう。それに所員二人の居場所を突き止めたのもそうだ」
 確かにあのメールの内容を知っていたのはカズマとハルミちゃん以外には私だけだったが。
「でも、どうせそのうち捜索に行った三人が見つけたでしょう」
「捜索メンバーはその時には既に別のところを探していた。無線機が壊れた偶然も重なるが、あの場にお前が駆けつけなかったら事態は悪化していたに違いない……だそうだ」
「いや、でも……」
「おいおい、いい加減自分の実力を認めたらどうだ?」
 とうとう呆れられた。
 そうは言っても、自分の実力だって? そんなの、都市伝説並に有り得ない。私は正真正銘平凡なソニックチャオ、「タイラ・ボン」なんて渾名をつけられてもおかしくないくらいだと自負していた。
 それなのに、私の力で事件を解決しただって?
「その報酬が、いい証拠じゃないか」
 シャドウさんは私の横のケースを指差した。
「お前が手に入れた金だ」
 ……そんな言われ方すると、ますます実感が湧かない。
 確かに私は、事件解決の為に誰よりも積極的に貢献したかもしれない。だが、今思い返してみれば一人で馬鹿みたいに動き回っていただけとしか思えない。そんな私が事件解決をした、ねぇ。
「さて、俺はもう行くとしよう」
 そう言ってシャドウさんは席を立った。気付けば私のハンバーグ定食の前にあった料理が綺麗に平らげられていた。本当に食べきったよこの人。
「また機会があれば会おう。じゃあな」
「あ、はい。じゃあまた」
 私に背を見せたまま軽く手を振って、そのまま店から出て行ってしまった。
 それを見送ってからも、私はまだ悩んでいた。横に置いたケースをじっと見つめながら、思慮に耽る。
「私が手に入れた金、か……」
 つまり、これは私の実力、成果ということ。私の力は、このお金と同等の価値がある。そういう意味なのだろう。
「……ないない」
 そういうのは自惚れって言うんだ。私のデマカセのデタラメ推理と空回りでここまで金が稼げるとか、そんな事実あっちゃいけないよ。
 一人納得し、私も残りのハンバーグ定食を平らげる為にフォークを手に取った。既に一口分切ってあったハンバーグを口に入れ――ようとして。
「ん?」
 なんかおかしい。
「あーーっ!?」
 そして気付いた。周囲の目も気にせず、私は大声をあげてしまった。
「はぐらかされたーっ!?」
 見事に私の話題にすりかえられて、シャドウさんの名前の件についての話が聞けてなかった。なんたる失態。私は大いに苦悩したあと、
「あ、失礼しました」
 お客さんの視線のいくつかが私に向けられていることに気付いて、慌てて頭を下げたのだった。


――――


 何はともあれ。
 これでようやく、今回の事件は終わった。
 世界各地で見つかった発狂者の多くは、大した後遺症も残さず短期間で社会復帰。大規模な人手不足による経済恐慌やその他の危機も杞憂に終わり、あれだけ騒いでいたマスコミも「謎の発狂は謎を残したまま消え去った」という感じの文章を最後に、ラリパラに関する話題を取り扱わなくなった。
 唯一問題があるとすれば、ラリパラのせいで今年のクリスマスや聖誕祭が台無しになったことだろう。
 私は特に何も気にしていなかったのだが、世間がラリパラで騒がれていたとき、クリスマスや聖誕祭のイベントに従事している人達も当然発狂とかしていたわけなので、いくつかの国、いくつかの都市では、いくつかのイベントが中止になってしまうほどの事態になってしまったという。(これを聞いた時、ヤイバ辺りが喜んでいた)
 勿論、世界的に当たり前な大イベントを中止とか有り得ないので、後日改めて数日遅れのウィンターパーティとしてクリスマスも聖誕祭もまとめてイベントを行うことにしたとか。これが本当のアフターカーニバルというやつか。これで一応市民の不満を回避することに成功して、イベントの主催者達はほっとしているようだ。(これを聞いた時、ヤイバ辺りが舌打ちしていた)
 しかし。
 オトナである私はもうクリスマスプレゼントを貰うことはないと思っていたが、まさか今年になってゲンナマを貰うことになろうとは思わなかった。
 所長も冬眠期間に入り(多分誇張表現だと思われ)、所員達も冬の間はかなり自由に過ごすらしい。私もそれにならって、今年の冬はこの金を使って羽を伸ばそうと思う。


「おい、ユリ!」
 そう思って雪降る街中をなんとなく歩いていたある日、突然後ろから誰かが声をかけてきた。振り返ってみると。
「げっ」
 例の野次馬同好会の会長がいた。特筆するほどの特徴を持たないチャオなのに、一目見ただけで会長だとわかってしまうあたり、指名手配されてる犯人よりはピン! とくる顔だ。
「ようやく見つけたぞ! どういうことだね! 小説事務所に潜入してはや数ヶ月、なんの情報も送ってこない挙句、退会届けとは! 今すぐ納得の行く説明を――」
 もう聞く気はなかった。間接的とは言え退会した身なんだから、いちいちつっかかってこないでもらいたいのだが……。


 今年の冬は、国外逃亡でも企てようかしら。
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すごく どうでもいい おまけ
 冬木野  - 11/2/8(火) 9:25 -
  
「なあ、ヤイバ」
「なんすかー先輩ー」
「カズマの奴、退院したんだよな?」
「そっすねー」
「なんで来てないんだ?」
「腹痛だって言ってましたよー」
「腹痛だと?」
「なんか呪いでもかけられたんじゃないんすかー」

 のろいの ちからって すげー!
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あふたあがき
 冬木野  - 11/2/8(火) 9:48 -
  
 ど う し て こ う な っ た


そういうわけで(どういうわけで?)こんにちは。冬木野です。
自分のPCがないという不安定な状況で執筆を続けていたためにどうしたものかと思いましたが、ようやく終わることができました。
掲載は今年からですが、執筆は去年の10月あたりから始めています。約3ヶ月は奮闘していたわけですなぁ。

さて、今回の小説事務所についてですが、もう冒頭の一言に尽きます。
原因はモチロンアレ、No.10のトコ。
わたくし執筆に関しては特に無計画であると自負しているのですが(ぷろっとっていう単語がよくわからないレベル)、当然書き始める前も書いてる途中もこんな展開になるとは全く思っていませんでした。
それと、執筆期間。
「そんな長くするつもりないし、年内には終わんだろ」とたかをくくっていたら、自分のボロPCがとうとうご臨終。親のPCをスキを見て使うという不安定な執筆を続け、予定していたよりも時間がかかるかかる。
そしてようやくNEWPCをゲットし安定して執筆を続けていたら、その様子を目撃した一人の友人が一言。

「何文字書いてんの?」

僕は一ページ5000文字くらいを目安にして執筆をしているわけですが、試しに×16+αをしてみると……まあ自分で計算してみてください。
何が言いたいかっていうと、一般的なラノベ一冊分と同じくらい書いちゃってるということになるみたいです。執筆前から「どうせ途中で疲れるから、ちゃんと短いお話にしよう」と思っていたのですが、前作より長くなっちゃってるとはこれ如何に。
その主な理由として、スッキリ終わると思っていた終盤の執筆で「あ、これについて書かなきゃいけなくなっちまった」という感じで芋づる式に書くことが増えたことに起因します。
しかも後半、自分でもなにやってんだと思うくらい伏線張っちゃっててさあ大変。ちゃんと次回作を書かないと、小説事務所が完結してくれない。しかも今軽く考えただけでも一作分で終わらん。まじやばい。

そういうわけで、次回作はあるみたいです。すごく書きたくありませんが、やるしかないようです。
どうせ誰も見てないのにね! ふしぎ! なんで書いちゃうんだろうね!
どれくらい先になるかはわかりませんが、もし新たに小説事務所の続編が出てきたら、その時はよろしくおねがいしますね(何を)


あ、あとかんそうもうけつけてるよ(棒読)
引用なし
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