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2014年に投稿されたろっどの物語は、
とっても感想が書きやすかったです。
(僕は書いていなかったけど)
だって「ろっどさんってやっぱヘンだわ」って言えたから。
でも2のろっどさんはあんまりヘンじゃなかったです。
あれから4年経って投稿されたろっどの物語2は、
なんと言っても文章量が少なくて、悲しかったです。
日頃「小説書けねえ」って言っているのが、
謙遜でも嘘でも怠慢でもないことが伝わってくるようでした。
相当深刻な状態になっているのだなあと感じさせました。
書けない人は書けないのだと、
ごくごく最近になって私は理解できるようになりました。
ここ1,2ヶ月のことです。
それまでは、書けないなんて悪い冗談でしょう、と思っていました。
特にチャオラーに対してはそういう気持ちでいました。
だってチャオラーは、
昔あほみたいに冒険ものとかを長々と書いていたから。
さらに一部のチャオラーは、
skypeで腕を磨き合ったり、
鍛錬室とか超チャオ小説とかやったり、
なにかを書いて毎日を過ごしてきたから。
それがしさんだって、
やる気を出すとあっという間に小説を書きます。
面白くて読み応えある小説を、今でも書いてくれます。
だから、
ろっどさんもホップさんも小説書けないとか言っているけれど、
「書けば書けるでしょ」って思っていました。
思っているというより、
それが当たり前のことと認識していました。
でもそうではなかったみたいですね。
本当に書けないんですね。
僕は「書けば書ける」人間です。
それが誤解のもとだったのかもしれません。
僕は「書けない」という感覚を忘れるほどに成長しました。
スランプに陥っていても小説をすらすら書けるほどです。
そうそう、自覚はないのですが、
どうも僕は今年前半スランプに陥っていたらしいです。
冷静に振り返ってみると、デスandトモを書いていた辺りは、
以前よりも文章が薄っぺらいみたいです。
しかし当人にスランプの自覚は全くありませんでした。
だって書こうと思えば、すらすらと文章を書けたから。
自覚症状なく、文章の切れ味は鈍っていたけれど、
書けないなんて状態は存在しませんでした。
僕以外のチャオラーも「書けば書ける」人だと思っていました。
でもそうじゃないのかもしれない。
ろっどの物語2を読んでいると、
そう意識せずにはいられなくなりました。
過去につちかった文章力はそのまま保たれていました。
以前と変わらず親しみやすい文章だと思います。
でもところどころの墨の薄さを感じてしまいました。
本当はもっと黒々と語ることができるけれど、
墨をするのを途中でやめちゃっているように感じたのです。
まだ固形墨を懐に残しているだろっていう気配がありました。
2014年のろっどの物語で僕が一番素晴らしいと思ったのは、
明らかに墨をすりすぎなところです。
普通の人は、そんなにすることができないというレベルで、
ろっどさんは過去に精製した墨をすりまくっていました。
僕がろっどの物語に続けなかったのは、
ろっどさんほど墨を作っている気はしないし、
せっかく作られた墨だってどっかに忘れてしまっていて、
もう見当たらなかったからです。
ろっどさんは小説を書かなくなっても、
splatoonで墨をすっているように見えました。
その意味では、僕は安心していました。
そしてろっどさんがsplatoonで活躍することをすごく祈っていたように思います。
なのでろっどさんがsplatoonでも挫折したことは非常に残念です。
同時に僕がsplatoonに触れる理由もほぼ0になりました。
そこはほっとしています。
僕自身は、splatoon2が発売されるより前にsplatoonをやめるべき人間だったと思っています。
splatoonはろっどさんの戦場であっても僕の戦場ではありません。
そのことを、本当はずっとずっと前からわかっていたはずでした。
それでも、
「チャオラーみんなでやったら楽しい」とか、
「自分だってチャオラーだから、チャオラー並みに上達するはずだ」とか、
そんな感じの幻想が僕にsplatoonをプレイさせました。
でも僕という人間は「書けば書ける」であって、
「書けば書ける」のために生きるのがすごく楽しい人間でした。
その欲求を抑えることになるほどの時間を、
他のいろいろに割いても全然気持ちよくないのでした。
そのことに薄っすら気づいていながら、
幻想を捨てられなくてsplatoonをやっていました。
幻想を真実にできればよかったのでしょうけれど、
真実に変えられるほどの時間をsplatoonに捧げる覚悟なんて、
僕には全然なかったのです。
僕の幻想ははたして打ち砕かれた……
これは正しい表現ではありません。
むき出しの幻想がガラスケースの中に収められた。
ただそれだけです。
でも手を伸ばしたところでどうにもならないとわかる状態にはなりました。
そのことが僕をとても安心させます。
本当は僕自身が、何年も前にガラスケースを持ってこなくちゃいけなかったんですけれども。
だけどここまで書いてみて、
僕にはまだむき出しの幻想があることに気づかされます。
いくらろっどの物語2で現実を見せつけられたところで、
やっぱり僕は他人のことも「書けば書ける」ふうに見えてきてしまいます。
誰がどんなに否定したって、
僕の目には誰も彼もが「書けば書ける」に見えるのでしょう。
そして、書くのがうまくなればなるほど、その錯覚は強くなるのだと思います。
僕は、この「書けば書ける」の幻想の中で生きます。
でもこの感想の締めだけは、幻想ではなく現実について書こうと思います。
今、僕がこういった感想なりブログ記事なりで、
簡単に心の墨をすって書くことができるのは、
ろっどさんのやり方を吸収したからです。
ありがとう、ろっどさんのおかげで僕は当分物語の中です。
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