●週刊チャオ サークル掲示板
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抜け殻 ろっど 14/10/16(木) 23:34
前編 ろっど 14/10/16(木) 23:35
後編 ろっど 14/10/16(木) 23:36
感想コーナー ろっど 14/10/16(木) 23:36

抜け殻
 ろっど  - 14/10/16(木) 23:34 -
  
 心を込めて書きました。

 
引用なし
パスワード
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前編
 ろっど  - 14/10/16(木) 23:35 -
  
 三組の岡本が、ヒーローチャオを持っている。
 僕がその話を聞いたのは、秋の夜が寂しくなり始めた頃だった。電車の中は暖房がかかっているから暖かいけど、これから外に出て肌寒い中を家まで歩かなければならないことを考えると憂鬱な気分になった。
「本当だって。岡本とよく一緒にいる、安藤だっけ、あいつが言ってたんだよ。今日の昼休み、飯食ってる時」
 食堂で、と、金田は言った。普段はチャオのことなんて全く興味ないくせに、こういうチャンスだけは逃さないのだ、金田という男は。
「どうせ嘘でしょ」
 もしくは何かの間違いじゃないのかと言った。三年くらい前に、ダークチャオの角を無理やりゴムでまとめてヒーローチャオに見せかけて、相場よりも高値で販売するという詐欺手法が流行ったから、そのクチかもしれない。しかし、
「岡本ならありえるかもしれない!」
 と金田は頑なに主張した。
「だってヒーローチャオだよ。テレビに出れるよ、岡本だしさ。ギャラも良いって聞くよ」
 テレビに出る。それは確かに魅力的な響きだったけど、チャオを商売道具か何かだと思っている彼の言葉が無性に気に入らなくて、それからの話を聞き流すことにした。元々、金田の話をしっかり聞いていたことは数少ない。彼もまた相手が聞いているかどうかは気にしていないのだろう。高校三年生のこの時期に彼がこれほど能天気なのは、指定校推薦という制度で既に進学先の大学が決まっているからだ。僕はと言えば、先日行われた模試の結果が悪化したところだった。志望校のレベルを下げるという提案を母にしてみたが、通じなかったので、これから遅れを取り戻す必要がある。そういう僕の焦りを分かろうともせず、彼は自分が話すことに夢中だった。
 二つ先の駅で、僕は金田に別れを告げてからホームに降りた。人混みに流され押されて階段を降りる。どうにかICカードをポケットから取り出すことができて、改札脇のパネルにタッチする。定期期限の赤い文字が液晶画面に表示された。三日後で切れる、という表示を見て、定期を更新し忘れていたことを思い出した。どうにも気持ちの切り替えがうまく行かないのは、文化祭の余韻がまだ続いているせいだろう。高校生活における最後の文化祭になるから、クラスメイトのモチベーションも高かった。出し物は「カフェテリア」で、ブレンド・コーヒーやタピオカドリンクなどを販売していたのだった。
 定期を更新しようとしたが、窓口はもう開いていなかった。明日の朝、早く起きて更新すればいいかと考えることにした。
 
 
 アパートのドアを開けると、ミントの笑顔があった。ミントは黄緑色のダークチャオで、僕の十歳の誕生日に買ってもらったチャオだ。ぽんぽん、と二回ほど頭を撫でてやってから、リビングへ向かった。
「ただいま」
 リビングには暗い雰囲気が漂っていた。父親はしわくちゃになった就職情報誌に穴があくほど見つめていて、今回の面接も落ちたのだということを悟った。父は今年で四十過ぎになる元営業マンだ。係長ではあったのだが、部下の失敗の責任を取らされる形で解雇されたのだ。
 それから僕の家の環境は一変した。退職金がスズメの涙ほどしか出なかったため、すぐにマンションを売り払った。2LDKのマンションから2Kのアパートになると、部屋数の関係上で、僕と妹は同じ部屋で生活をすることになった。部屋の電灯がLEDから豆電球になった。外が完全に暗くなるまでは原則として消灯するルールになっている。朝食はパンだけになって、夕食のおかずが一品になった。昼食はおにぎりを二つ。ここまでの貧しい生活を強いられているのは、何もリストラだけが原因ではない。母方の父がアルツハイマーで入院してしまったことや、マンションのローンが残っていることにも起因している。
 だけど最近は母の機嫌もそれほど悪くはなかった。父の失業手当にも余裕があったし、解雇直後と比べたら貧しい生活に慣れて来たからだろう。でも今日は虫の居所が悪かった。父が面接に落ちたことで、母はお金の余裕と一緒に気持ちの余裕まで失っていた。僕は妹と一緒に、炊飯器と茶碗、それからほうれん草入りの卵焼きをお皿に乗せて、それらを持って自室へ逃げ込んだ。
「お父さん、また駄目だったみたい」
 やや期待していたような口ぶりで妹が言った。だけど僕は、やっぱりな、と思った。この時期の中途採用は厳しい。とりわけ四十過ぎてからの再就職は、取得難易度の高いの資格や強力な実務経験がないと難しいだろう。妹はどう思っているのか知らないが、今まで三流営業マンだった父がそう簡単に再就職できるとは思えなかった。
 僕が白米を茶碗によそっていると、ミントがやってきて、両手を差し出してきた。「格安!」というラベルの貼ってあるチャオ用ジャンクフードを渡してあげると、ミントはポヨをハートマークにしてがっつき始めた。そのギザギザとしたポヨを見て、金田の話を思い出した。
「そういえば、うちの学校にヒーローチャオ持っているやつがいるんだってさ」
「嘘? ほんとに?」
「僕は嘘だと思ってるけど」
「誰? 誰?」
「岡本」
 わっと、嬉しそうな顔で妹が驚いた。岡本一郎は先月引退した生徒会長で、学校内で知らない人はいないほど有名だ。それは一年生である妹も例外ではなかった。サッカー部の部長で、女の子にモテる。確かに彼の顔はかっこいいほうだと思うが、かっこよさに負けないくらいの胡散臭さがあると僕は思った。近所のドラッグストアを通りかかるたびに「本日は特売日!」という横断幕が設置されている。そういう胡散臭さが彼の顔にはある。しかし、その胡散臭さが分からない妹は、おおよそ金田と同じ感想を持っているようだった。
「でも珍しいよね。ヒーローチャオ。会長なら納得だけど」
「そうだね」
 チャオがダークチャオに進化するメカニズムは、十五年くらい前には解明されている。チャオがペットとして世の中に普及した頃は、悪い人が育てるとダークチャオになって、良い人が育てるとヒーローチャオになる、といった情報が広まっていたが、今は飼い主が持つ不安な気持ちや憤りをチャオが感じ取るとダークチャオに育ちやすい、ということになっている。けれど、ニュートラルチャオやヒーローチャオに進化するメカニズムは解明されていない。世の中にいるチャオはダークチャオばかりで、それ以外のチャオは珍しいのだ。それこそ、ヒーローチャオを育てればテレビに出れる、と言われるくらいには。
「やっぱりあれかなあ。できる人はこう、元が違うのかもね!」
 会長ならテレビ映えもするし、と妹は続ける。テレビに出ればお金がもらえるんだろうなあと、僕は自分の茶碗によそった白米を見て思った。ここのところ満足に食事をとった記憶がない。受験の件だって、当初であれば指定校推薦で私立の大学に進学を決め、悠々自適の生活を送る予定だったのだ。お小遣いも満額もらえていて、新しいゲームも買い放題だったかもしれない。
 やるせない気持ちを、残った白米と一緒に喉の奥に押し込んだ。学校で友達からもらったゲーム雑誌を開く。まだ明るさが残っているうちに読んでおこうと思ったのだ。ゲーム雑誌には来月新しく発売されるゲームソフトの情報が載っていた。ゲームソフトは年々高くなる一方だ。モンスターハンター3は六千円強。その数字が今の僕には大きな壁のように思えた。
 ちゃうー、と、ミントが甘えたがりの声を出した。両手を差し出している。おかわりの催促だ。耳ざとくそれを聞きつけた母が自室の引き戸を開けて、険しい顔で告げた。
「ミントに餌は、一日一回だからね」
 ちゃう、とミントがしょんぼりする。その姿を見た妹がミントを抱き寄せた。気の毒だ、と思った。だけど事実、チャオの餌代は馬鹿にならない。とりわけミントは大食いだ。家族が食費を節約している中で、ミントだけ贅沢をするというわけにもいかないのだ。父は居た堪れなさそうに僕と妹を伺っていた。アルバイトでもすれば、ミントの餌代くらいは稼げるかもしれない。
「暗くなってきたね」
 僕は四分の三くらいにまで沈んでしまった夕日を見てから、豆電球をつけた。
 
 
 翌日の昼休み。僕は食堂にいた。一つ目のおにぎりを食べ終える頃、金田がスマートフォンをテーブルの上に置いた。「高校生、ヒーローチャオ育てる!?」と題された動画が表示されていた。妹や金田の粗方の予想通り、岡本は早速テレビデビューを果たしたのだった。動画の主旨は河川敷でのインタビューで、チャオを散歩させている岡本の様子を斜め後ろあたりから撮影している。「どうしてヒーローチャオになったんだと思いますか?」というリポーターの際どい質問に、岡本は動じることなく、「僕のチャオに対する気持ちが伝わったのかなって思っています」と答えた。こういう寒気のするような言葉も岡本のような人間が口にすると様になっている。ぐっとカメラが近づいて、岡本が映像の中心になった。「なんて名前なんですか?」「ヨッシーです。あ、マリオのほうじゃないですよ」どっと笑いが入る。あらかじめ準備していたのではないかと勘ぐるくらいの受け答えだ。
 一時停止ボタンを押して、金田はしたり顔を見せた。画面には緑色のヒーローチャオが映っている。本物かどうかは実物を見たことがないから分からない。だけどこれだけ大きくピックアップされているのであれば、今更偽物だとは言えないだろうから、やはり本物なのだろう。
「ほら、俺の言った通り」
 と、得意げな顔をする金田。僕は自分の家から持ってきた二つ目のおにぎりを口の中に放り込んだ。少し塩辛かった。
 放課後、僕は自習室に来ていた。家の環境では勉強に集中できないからだ。この学校の自習室は利用者が極端に少ないことで有名だ。そのせいで行き場のないカップルが談話室として利用しているのだが、そういうのがあまり気にならない僕にとっては、絶好の場所だった。一時間半くらい勉強して、休憩がてら、僕は持ってきたゲーム機の電源をつけた。ソフトは「モンスターハンター2」だ。友達の多くない僕は、ほとんどオフラインプレイでクエストを進めていた。高難易度のクエストを一人でクリアしてきただけあって、実力はあるほうだと思っている。個性的な武器がこのゲームの最大の特徴で、今日は「弓」を使うことにした。リオレウス希少種の討伐クエストを選ぶ。このモンスターはシリーズでお馴染みの看板モンスターの強化個体だった。最近は、このモンスターをいかに効率よく、早く倒すかに凝っていた。
 クエストクリアの文字が表示される。かかった時間は四分五十五秒だった。
「お疲れさま。うまいね」
 岡本一郎だ。涼しい顔で人を褒めるあたりが、彼の人となりをよく表していた。
「どうも」
「次は俺とやろう」
 隣の席に座って、岡本はゲーム機を取り出した。その構図が、あまりに彼のイメージとかけ離れていたから、思わず「まじで」と呟いてしまった。金田から彼の話を聞いていなかったら、もう少し素直な気持ちで見ることができていたと思う。ヒーローチャオを持っていてテレビにも出演するような人が、僕と一緒にゲームをするなんて考えたこともなかった。
「なんでもいいよ、クエスト」
 オンライン集会所を作成して、ギルドカードを交換する。彼のキャラクターが持つ武器は「ランス」だった。生徒会長で、勉強ができて、サッカー部の部長をしているくらいだから、彼の技量には期待できないだろう。そう考えて、もう一度リオレウス希少種の討伐クエストを選択した。ところが実際にやってみると、その考えが彼を軽んじていたものであったことに気がつく。「ランス」には主に二種類の戦闘パターンがある。「回避型」と「防御型」だ。彼の扱うランスは「回避型」だった。最小限の動きでリオレウスの放つブレスを避けては確実に攻撃を当てていく。限りなく効率化された動作だった。三分二十秒くらいかけて、クエストをクリアする。
 岡本は、にいと笑った。そうして「意外だろ」と言った。彼の実力が高いことは確かに意外だったが、驚きは少ない。それよりも、戦い方が非常にセコいということのほうが僕にとっては意外だった。
 次は高難易度の「古龍」討伐クエストに挑むことにした。案の定、彼は回避と攻撃を一定のリズムで繰り返して、ダメージを受けずにダメージを稼ぎ続けた。一人でプレイするよりも早いタイムでクエストをクリアする。
「俺も結構うまいでしょ」
「うまいっていうか、セコい」
 ひでえな、それ、と岡本は笑う。今度は更に高難易度のクエストを選択した。
「テレビ見たよ。インタビューの」
「あ、ほんと」
 僕がモンスターを怯ませて、岡本がその隙に尻尾を切断する。打てば響くような連携が心地よかった。
「仕込みじゃないの、あれ」
「だいたいヤラセだよ」
 やっぱり、と思った。
「この前の打ち合わせの時なんて、ヨッシーとの出会いを脚色して、再現VTRを作ろうって言われたよ」
「どんなふうに脚色するの」
「交通事故に遭いそうなところを助ける」
 そんなふうに話しながら、二人でいつもより高難易度のクエストに挑戦し続けた。すっかり外が暗くなってしまってから、どちらともなく電源を切った。自習室には誰も残っていなかった。お互いに電車通学であることを確認して、下校することにした。帰り道もモンスターハンターの話や、ディレクターのセクハラの話で盛り上がった。


 彼と最寄り駅が同じだった、ということが何より意外だった。同じ駅で降りて、互いに反対方向の出口から降りる。大通りを真っ直ぐ南下して細い道を一本通り、老朽化したアパートに着く。
「ただいま」
「おかえり。遅かったね」
 ミントを膝に置いた妹がリビングで胡坐をかいていた。僕は受験勉強で遅くなったということを伝えて、母の感心するような言葉を聞いてから自室に戻った。荷物を置いて制服から私服に着替え直す。
 とりあえず炭水化物と野菜を摂取しておけばいい、という安直な母の発想から、おかずには主に野菜を炒めたものか、そうでなくても卵料理が抜擢されることが多い。今日の夕飯もその例にもれず、もやし炒めをおかずにご飯を食べるのだった。ごちそうさま、と言って部屋に戻り、ゲーム機を起動した。交換した岡本のギルドカードを見る。ギルドカードとはゲーム上における名刺のようなものだ。武器の使用頻度や、どのモンスターをどれくらいの時間で倒したか、という情報が載っている。ほぼランスしか使っていないが、相当やり込んでいることが分かる。
 彼ならヒーローチャオを育てたことにも納得ができる。モテる、という事実にも頷けた。モンスターハンターを一緒にやったくらいで色々なことに納得ができてしまう自分が何となく情けなくなった。ちゃ、とミントが僕の隣に来ていた。
「お兄ちゃん、溜息多いよ」
「ごめん」
 溜息が多いことでミントに心配されてしまったようだった。ぽん、と頭の上に手を乗せる。ポヨがハートになる。
「もうご飯食べたの?」
「食べたよ」
「ミントだよ」
「食べた食べた」
 僕の誕生日に買ってもらったチャオなのに、妹が飼い主みたいになってしまった。しかしミントは僕にもしっかり懐いてくれている。小さい頃はずっと一緒だったから、そのことを憶えていてくれているのかもしれない。もし、ミントがヒーローチャオになっていたら、今頃住んでいるのはアパートではなくてマンションだったのだろうか。夕飯のおかずに肉料理が並んでいただろうか。だがミントは既に一回転生していて、両方ともダークチャオになっている。ヒーローチャオになる可能性は低いように思える。
 ただ一つ間違いないのは、この子も岡本が育てていればヒーローチャオに育った、ということだ。そう考えるとやり切れなかった。手が止まっているせいで、ミントのポヨはハートから「?」マークに変わった。もっと可愛がれということだろう。ぐしゃぐしゃっと頭を撫でてやってポヨがハートになったのを見てから、僕はシャワーを浴びることにした。
 
 
 放課後になって、僕は金田に用事があることを告げてから自習室へ向かった。その日は既に岡本がいて、大学のパンフレットを読んでいた。僕の姿を捉えると、彼は隣の席の椅子を引いてくれた。既にモンスターハンターを起動して待っている様子だったので、すぐに準備をした。古龍系モンスター「オオナズチ」の尻尾をちまちまと攻撃しながら、岡本は言った。
「今日、佐藤がここに来るんだよ」
 佐藤というのは国語教師のことだ。生活指導の担当でもある。
「何しに」
「自習監督」
「あー」
 この高校は進学校であることを銘打っている。成績の悪い生徒を集めて、毎週木曜日の放課後に成績のおぼつかない生徒の学習を支援し、勉強会を開催しているのだった。普段は教室で行っているのだが、人数が多くて教室の数が足りない場合は自習室を使用する手はずになっている。だからさ、と岡本は続けた。
「お気に入りの場所があるんだけど、そこ行こう。寒いの平気?」
「うん」
 ゲーム機をスリープモードにして鞄にしまう。下駄箱に行って外履きに履き替えてから外に出ると、岡本が可愛らしい封筒をつまんで待っていた。ラブレターだ、と思わず言ってしまったのは、この時代にそんな奥ゆかしいことをする人がいたんだという驚きと、ラブレターを見るのが初めてだったという理由からだ。岡本は「失礼」と言って駅まで歩きながらラブレターを読み始めた。
「おまえ、二組だよな。田中って知ってる」
「知ってるけど」
 田中夏帆はクラスメイトで、僕の二つ後ろの席にいる女子生徒だった。テニス部に入っていて、去年のインターハイではベストエイトに残っていた。既に引退してしまっているが、駅前のスポーツクラブに通って今でもテニスをしているという話を聞く。志望大学は早稲田大学の英文学部だ。誰にでも優しい女の子だった。見た目の美麗さもあいまって、彼女の人気は男女問わず高い。岡本はふうん、と呟いて、ラブレターを鞄にしまう。
「俺と付き合いたいみたいだね」
 マクドナルドでセットを注文するときのような口ぶりで、彼は言った。
「そうなんだ」
 電車をいくつか乗り継いで最寄り駅で降りる。それで、どうするの、という言葉が中々出てこなくて、僕は風の音を頼りに気まずい空気を凌ぐことにした。岡本の案内で土手の方向に向かって歩く。この駅の近くには柳瀬川という大きな川があって、花見のスポットとして有名だった。しかし、案内された場所は「花見のスポット」から少し離れた整備されていない河川敷だ。よいしょ、と岡本は土手に体育座りをした。横に並んで座る。
「俺さー」
 と、岡本は含みのある表情で話し始めた。
「あんまり周りがうるさいの好きじゃなくてさ。ほら、スタバとかだと知り合いに会ったりするじゃん」
 それは身から出た錆のように思えた。ヒーローチャオを育ててテレビに出演し、サッカー部の部長で生徒会長を務める。目立たないようにするのは困難だ。だけどそうやって困っている彼の顔を見ていると、そんなに辛いことは言えなくて、再び僕は風の音に頼ることにしたのだった。
 まあ、それはどうでもいいんだけどな、と岡本は笑った。
「うち、進学校だろ。みんな、この時期は勉強勉強って。頭固すぎなんだよね」
「勉強しないと大学に受からないだろ。お前じゃないんだから」
 彼は僕の言葉に一瞬驚いた様子を見せたが、にいと笑って、「そうだな」と言い返した。
「でもお前は勉強しないのな」
「してるよ」
「自習室でモンハンやってんのに?」
「あれは息抜き」
 息抜きのほうが長いだろ、と言って僕たちは笑った。
「お前、モンハンうまいよね。どのくらいやり込んでんの」
「六百時間くらい」
「六百かあ。負けた。俺、四百七十時間」
 だけど、密度が違う。僕はそう思った。
「弓?」
「何でも使うよ。ギルドカード見てない?」
「見た見た。お前、モンハンやりすぎ」
「おまえはランス使いすぎだよ」
 しょうがねーだろ、と言って、岡本はゲーム機を取り出す。なんだか彼と「普通の話」をしていることが滑稽だった。恐らく彼にとって「普通の話」は貴重なのだろうな、と思った。金田でさえあの調子であるところを見ると、クラスメイトの彼に対する接し方が「普通」であるとは思えなかった。
「志望大学どこ?」
「中央。国立の」
「俺もそこにしようかな」
 そう気軽に言ってしまえる彼の表情は涼やかなままだ。自分にも落ちる可能性があるとは露ほども思っていない。そういう彼だからこそ、ヒーローチャオを育てることができたのかもしれない。
「クラスで他にモンハンやってるやついないんだよ」
 アカムトルムの討伐クエストを選んで、岡本は言った。
「嘘だろ」
「いるっちゃいるけど、俺とは合わない人なんだよね」
 協力してアカムトルムを追い詰めていく。
「お前もいないでしょ。モンハン仲間。いつも金田といるし」
「金田は知ってるんだ」
「あいつもうるさいよね。良いやつだけど」
「分かる。良いやつなんだけどね」
「で、いないでしょ」
「全然。友達はいるけど」
「金田と俺以外いるのかよ」
「いなかったわ」
 ゲームを楽しんでいるのか、それとも彼と話すことを楽しんでいるのか分からなかったけど、この感じは悪くなかった。
 淀みのない夕日が空に溶ける。夕焼けが河川敷に浸透していく。
 結局その日は、月が明るくなるまで、僕たちはゲームをしていた。
引用なし
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後編
 ろっど  - 14/10/16(木) 23:36 -
  
 それからというもの、暇さえあれば岡本とモンスターハンターをした。昼休みはもちろん、帰りの電車の中から河川敷に行って日が沈むまでずっとゲームばかりしていた。自習室が使える時は自習室でゲームをすることもあった。模試の結果は悪かったものの、僕は直前になってから勉強すればいいや、という気分になっていた。
 岡本と一緒に行動して分かったことは、彼が思ったよりも辛辣だということだ。彼を慕う人は多い。廊下で並んで歩いていても、彼は色んな人とすれ違うたびに挨拶を交わしている。しかし相手がまだ話しているのにも関わらず、彼は話を強引に終わらせることが多かった。そのたびに「話が長い」とぼやいていた。落ち着いて話すことが好きなのだろう、と思った。
 一度、田中さんとすれ違ったこともある。岡本は眼もくれずにモンスターハンターシリーズの新作の話をしていたけど、田中さんのほうは困り顔だった。教室に僕がいる時は僕に対して何か話したがっているようだったが、金田か岡本が一緒にいることが多かったせいで彼女と話す機会はなかった。昼休みになると、僕たちは自習室で一緒にご飯を食べた。僕は家から持ってきたおにぎりで、彼は専らセブンイレブンで買ったパン、それもクロワッサンだった。クロワッサンばかりであることを指摘すると、彼は食べるのが楽だから、と答えた。
 マフラーを着ける生徒がぐっと増えて、冬が来ていたことを知った。
「今年の冬は去年より一段と冷えるなあ」
 と、リオレウス希少種を倒した後で岡本は言った。
「おっさんみたいだよ」
 この頃になると、岡本のヒーローチャオ騒ぎも一応の収まりを見せていた。テレビの出演は二週間に一度くらいあるようだったが、僕と話している時はヒーローチャオの話をしなかった。彼もそれを望んでいるだろうし、僕もその話題を振るつもりはなかった。
「毎年同じこと言ってる気がする。なんで冬って来るたんびに去年より寒い気がするのかな」
 秋の後に冬が来るからだ、と思った。ついこの間まで暖かったことを、随分昔に感じて、去年と比べてしまうのだろう。元から人の頭は過去のことを憶えていられるようにはできていないのだ。ミントを買った時のことも僕はあまり憶えていない。今となっては、嬉しかったという感想だけが残っている。
「お前、時々変な顔するよね」
「ごめん、考え事」
「考え事してる時に変な顔するって」
 くっくっと岡本は笑った。
 家に帰ると、父が居間で項垂れていた。その様子を見て、僕は面接の結果を察した。
 これで父が選考に落ちたのは六回目になる。母も平静を保つことができていない様子だった。最初に母の八つ当たりの対象になったのは、ミントだった。餌の節約という題目で一日中餌を与えなかった。お金がないから仕方がないにしても、僕はそういう母のやり方には納得ができなかったので、勝手に餌をあげることにした。僕の行動を母は見咎めた。
「ご飯、食べられなくなってもいいの」
 脅し文句のようなものだった。母はそう言って、ミントの手の届かないところに餌を置いた。贅沢な生き物だねえ、とぼやいている母の姿を見ていると、これから先、母に対してどのように接すれば良いのか分からなくなってくる。確かにミントはペットで、自分では働くこともできないし、食べ物を手に入れることもできない。でも、買ったのは僕たちなのだ。ミントを頑なに養護するのは、思いやりのない母への対抗心でもあった。
 妹も僕の意見に同意してくれて、毎月のお小遣いから少しずつ出し合って、ミントの餌を買うことにした。それが母にバレるのも時間の問題だった。一週間くらいしてから、母は二人でこっそりミントの餌を買っていることを指摘して「そこまで余裕があるのなら、お小遣いはなしにします」と言った。妹は怒っていたが、肩身が狭そうに白米を食べている父を見ると、僕には何も言えなかった。
 結局のところ、生活費を稼いでいるのはパートに出ている母と父なのだ。僕と妹は高校に通わせてもらっている身で、強く何かを発言できる立場にはなかった。白米と卵焼きだけの、満足の行かない夕食を食べて、僕は水の使い過ぎに気をつけながらシャワーを浴びた。
 お金が必要だった。宝くじにでも当たればいいのに。そう思った。
 
 
 朝、学校に行くと、金田がビッグニュースと言ってスマートフォンを見せてきた。岡本が出演したテレビ番組の動画だ。ヒーローチャオを育てるメカニズムの解明のために、彼を密着取材しよう、というコンセプトの番組だった。普段、一緒にゲームをしている時とは大違いの爽やかすぎる彼の姿に、僕は今すぐ大笑いしてやりたい気持ちでいっぱいだった。
「久しぶりに一緒に帰ろうぜ」
 という金田に、今日は用事があるからと告げる。一瞬、気まずい雰囲気になったものの彼はすぐに表情を緩めて、また今度な、と言った。午前中の授業では模試対策の試験勉強をした。手遅れのような気もしたが、お小遣いがなくなった以上、次に減らされるとすれば間違いなく夕飯だろう。授業中だけでもと、僕はより一層集中して勉強に打ち込んだ。
 昼休みになって、僕は自習室に向かった。自習室にはカップルが二組いて、岡本が真ん中の席で堂々とゲーム雑誌を広げていた。
「今日、土手に行こう」
 彼はセブンイレブンで買ってきたクロワッサンをかじりながら、そう提案してきた。その理由は、自習室を生徒会の行事で使ってしまうからというものだった。受験勉強のことが頭をよぎったが、ゲームの誘惑には勝てなかった。いいよ、と答えると、岡本は具体的な時間と待ち合わせ場所を言い渡してきた。
 河川敷に到着した僕は、いつもの位置に体育座りをしているだろう、岡本の姿を探した。彼の細身の後ろ姿はすぐに見つかった。二人して並んで座って、二人して同じ色のゲーム機を取り出して、二人でクエストを選ぶ。雑談しながらゲームしたいなあと思った僕は、戦い慣れているリオレウス希少種の討伐クエストを選択した。岡本はお馴染みのランスで、僕はサポート用の片手剣だった。
「金田、いいの。最近一人じゃん」
 どうやら岡本は僕と金田の仲違いを心配している様子だった。ん、と答えに詰まる。確かに金田とは最近あまり一緒にいる時間を作っていなかった。しかしそれは、元からそんなに仲が良くなかったからなのではないかと見当をつけていた。金田の発言に苛立ちを覚えることや、彼の言動に付いて行けなくなることも多かったように思える。離れるべくして離れたのだ。そう認識していた。大丈夫、と答えておくことにした。そんなことよりも、僕には気になることがあったからだ。
「おまえこそ。田中さんとはどうなんだよ」
「田中さん。二組の?」
 岡本がリオレウス希少種のブレスに対し回避行動を取る。ランスを使っている彼の小ぢんまりとした回避と攻撃のリズムは、後ろから見る分には軽やかで、僕でも簡単にできそうだと思えてくる。
「何もないよ。ラブレターもらったくらい。あ、捕獲圏内」
「知ってる」
 マップに表示されるアイコンが黄色く光る。そろそろ捕獲できます、という合図だ。
「罠仕掛けたよ。それで、どうすんの?」
「田中さん?」
 罠に引っ掛かったリオレウス希少種に二人して「捕獲用麻酔玉」を投げてから、岡本はゲーム機を膝に置いた。夕日を反射してオレンジ色に光る川面を岡本はじっくりと見つめていた。クエストクリアの文字が画面に表示されて、報酬アイテムを全部受け取ってから、ゲーム機をスリープモードにした。
「どうもしないけど」
「どうもしないって」
「普通でしょ」
 普通なのかな、と思った。ラブレターすらもらったことのない僕だから違和感があるだけで、モテる人たちの認識では普通なのかもしれないな、と思い直した。あるいは僕の田中さんに対する気持ちがまだ心のどこかに残っているから、彼の言葉に違和感があるのかもしれない。だが、不思議と岡本のことを妬む気にはなれなかった。付き合いは短いが、岡本の性格は分かっているつもりだ。岡本には田中さんと付き合う気がないのだ。そして、だからこそ何もしない。変に希望を持たせてしまえば、田中さんが傷つくことを分かっているから。それは彼の優しさのように思えた。
 クエストを一つ終わらせた僕たちは、小休止ということで、大学のパンフレットを読むことにした。大学の敷地の広さ、文化祭の華やかさ、学生食堂のメニューの多さ、授業内容の幅広さ、サークルの数、その全てに僕たちは圧倒されていた。高校三年生の思い出になったはずの、文化祭のカフェテリアが霞むくらい、大学という場所は魅力的に映った。岡本と一緒にゲームをしながら、同じサークルに入って、同じ授業を取って、他にも多くの友達を作って大学に通う。新作のゲームが出る時と同じくらいのわくわくが僕の中にあった。
「俺、旅行サークルとか良いと思うんだよね」
「旅行サークル? 普段何するの?」
「ゲームだろ」
 あははと笑う。大学に入っても変わらない毎日が待っているのだ。その事実が、今はとても嬉しかった。
「そういえば」
 と岡本が軽い口ぶりで切り出す。
「モンハン3、発売までもうすぐだな。予約した?」
 ついにこの話題が来たか、と思った。
「いや」
 全てを説明するのは億劫だったので、大雑把に話すことにした。
「お小遣いがなくなったんだよ。だから新しいゲームは買えない」
「お小遣いゼロ? なんで?」
「親父のリストラでさ。節約だよ。参っちゃうよな」
「あ、なんかごめん」
 いいって、と手を振る。少し気まずく感じて、二回目やるか、とゲーム機を起動する。クエストを選んでいるうちに、「あ」と岡本が何かに気づいて、草むらを指差した。つられてそちらに目を向けると、赤いダークチャオが佇んでいた。
 見て、すぐに思ったことは、「なんか汚い」だった。チャオの艶やかな肌は影も形もなくて、泥や垢にまみれていた。二日間ミントを風呂に入れなかったら、あんな感じになったなあということをぼんやりと思い出していた。赤いダークチャオを中心に、次々と別のチャオが集まってきた。
「捨てられたチャオだろうな」
 岡本が言った。ざっと目に入っただけでも六匹はいる。そのどれもがダークチャオだった。河川敷に放置されたチャオの痩せ細った姿を見て、僕はぞっとした。
「色々な事情があるんだろうけど」
 猫や犬が捨てられているところを見ても今まで何とも思わなかった。精々、捨てた人の自分勝手さに憤ってみたりするくらいだ。拾ってあげようとは思わなかったし、可哀想だとも思わなかった。それはきっと、野生でも彼らが生きていけることを知っているからだ。だけどチャオはそういう生き物ではない。自分では「狩り」をすることができないのだ。「贅沢な生き物」と吐き捨てるように言った母の声色が耳に染み込んでいく。
「可哀想にね」
 やはり、そんなふうには思えなかった。このチャオたちがいずれどうなるのかを想像すると気が遠くなった。このチャオたちはおそらく死ぬ。愛情が足りないせいで白い繭に包まれて死ぬのだろう。だけど、それまでは死ねない。どれほど空腹だろうと、栄養が足りなかろうと、寿命を迎えるまでは死ねない。苦しみながら生きるのだ。僕は怖くなって、言葉を失った。
「寒いな。帰ろう」
 岡本が涼しい顔で言って、坂道を上った。
 土手の上から見る河川敷の景色はおぞましいほどに綺麗だった。だけど夕日が眩しくて、僕は眼を逸らした。さっきまで一緒にゲームしていた岡本を、今は遠くに感じた。
 
 
 翌日以降も僕は岡本と一緒に昼食をとって、モンスターハンターをした。そうしているうちに「3」の発売日がやってきた。だけど岡本は僕に付き合って「2」のままで遊んでくれたが、その気遣いが今の僕には辛く感じられた。
 そろそろミントが転生するのだ、という話をしたのは、冬休みが始まる一週間前だった。ゲームばかりしていた割には思いのほかテストの点数が良くて、母から五千円のお小遣いをもらうことができた、という話から始まって、ようやく「3」にデビューできるけどミントがもうすぐ転生するからチャオの実を買わなくちゃいけない、だからデビューは当分先になりそう、という話の流れだった。ミントが転生することを聞いた時、岡本はやったな、と言って、すごい嬉しそうにしていた。だけど僕は不安でいっぱいだった。ミントには満足な食事も与えることができていないのだから、転生ではなく死んでしまう可能性があった。そうならないように僕と妹のお小遣いをチャオの実の購入資金に充てることにしたのだった。
 このまま「2」に付き合わせるのも悪いので、僕は先に「3」をやっててくれ、すぐに追いつくから、と言った。だけどそれからしばらく岡本は無言で考え込んでしまった。彼の優しさを受け入れないことで、彼を傷つけてしまったのかと思い謝ると、ふっと笑って、岡本はこう言った。
「ヒーローチャオの作り方、知りたいだろ?」
 チャイムが鳴った。後ろめたい気持ちは好奇心で覆い隠されていた。
 放課後になって僕は岡本の家に来ていた。友達としての付き合いは二か月くらいになるが、彼の家に遊びに来るのは初めてだった。寂れた住宅街の隙間を縫うようにして自転車を漕いだ。何の変哲もない小さなアパートに着いた僕は、言われるまでそこが岡本の家だということに気がつかなかった。
「俺の親、別居中なんだ。一緒に暮らしてる母さんは滅多に帰ってこない」
 男の家に行っているんだろうなと、いつもの軽い口ぶりで彼は言った。何もかもが初めて知ることだった。二か月の間、岡本と親友にさえなったと思っていたけど、ここに来て自信をなくしつつあった。
 アパートの建てつけは僕の家よりも幾分マシという程度だ。ドアを開けると畳の匂いがした。リビングに通されて、木製のローテーブルの前に座った。ここで待っててくれ。岡本はそう言ってからロフトに上って行った。壁の塗装は所々禿げかかっていて、そこら中に埃が舞っていた。キッチンには洗っていない食器が山ほどあって、油がこびりついているのが見えた。人が住んでいる場所じゃ、ないみたいだ。そう思ったのと、チャオがロフトから落ちてくるのは同時だった。緑色のヒーローチャオは、テレビで見た姿のままだった。落ちたせいで、ポヨをぐるぐるにしていた。反射的に緑色のヒーローチャオ、確か名前はヨッシーだ、を抱き起した。するとロフトから降りてきた岡本が、初めて、咎めるような視線で僕を見た。
「だめだろ、そんなことしちゃあ」
 せっかく育てているのにと、彼は続けて言った。困惑する僕に対してヨッシーを見せつけながら、いつもの涼しい顔に戻って、岡本は話し始めた。
「このぐるぐるが多いと、ヒーローチャオになるんだよ」
 まあ見てて。そう言って、彼はバシンとヨッシーを叩いた。ポヨがぐるぐるになる。何度か叩くとヨッシーは泣き出した。
 気まずい、と感じた。ヒーローチャオを育てる方法がこういう方法だとは思わなかったし、僕にできるとも思えなかった。だけど岡本は平気で叩いている。それが僕にとっては少し怖かった。やめろ、とも、可哀想だろ、とも、僕は言うことができなかった。代わりに言葉になったのは、
「そんなにすると、死んじゃうんじゃないのか」
 だった。岡本は笑って、それでいいんだよ、と答える。
「同じチャオだけだと、飽きるでしょ。別のヒーローチャオを育てたほうが話題になるし。テレビの出演料、いくらか分かる?」
「いや」
「九十万円。モンハンが六千円くらいだから、余裕で買えるよ」
 ヨッシーは縋るような目つきで僕を見た。見ていられなくて、僕は眼を逸らした。
「世間に知られたらバッシングだからなあ。あんまり人には言えなかったんだけど、お前は特別」
 にい、と子供みたいに笑う。すぐに帰れるような雰囲気ではなかったので、僕たちはゲームをすることにした。「2」もこれで最後になるかもな、なんて岡本は笑っていた。二人して古龍モンスター「クシャルダオラ」を効率的に倒してから、そろそろ暗くなるからと、僕は逃げるようにして彼の家を去った。
 帰り道、自転車を漕ぎながら僕は考えていた。岡本にとってチャオは何なんだろう。あれじゃあ、ただの商売道具だ。だけど可哀想とは思えない自分がいた。ミントがヒーローチャオになったら、という想像と、九十万円という単語が頭の中にちらついていた。九十万円で何が買えるだろう。自然とそういう考え方をしてしまっていることに気がついた。六千円をゲームに使ったとしても残り八十九万円。僕は赤信号を無視して自宅に急いだ。早くミントの顔を見たかった。
 
 
 それから何となく、お互いにチャオの話題には触れないことになった。結局、僕はお小遣いとしてもらった五千円と、財布に入っていた千円を合わせてモンスターハンター3を購入した。完全に以前のようにとはいかなかったし、常に微妙な雰囲気が僕と彼との間には流れていたけど、オフラインプレイで競争しつつ、時には協力して、一緒にゲームを楽しんだ。終業式の日、僕は久しぶりに金田と一緒に帰った。駅のホームに設置された自動販売機でオロナミンCを買って、一気に飲み干した。今までは自動販売機で飲み物を買うことすら我慢していたが、最近は節約する気にはなれなかった。お金を使うたびに、九十万円からマイナスしている自分がいた。冬休みに入ると岡本と遊ぶ機会はめっきり減って、代わりに受験勉強に精を出した。年末には母がスーパーで大安売りしていた餅を買ってきて、家族四人で分け合って食べた。
 年が明けて、高校三年生は自由登校の身になった。それはそれで寂しく思ってふと学校に行ってみると、岡本が自習室でモンスターハンターをしていた。僕と目が合った彼は、にいっと笑ってゲーム機を掲げた。年越し前のわだかまりが嘘みたいになくなって、僕たちは「3」からの新種モンスターであるラギアクルスをひたすら狩り続けたのだった。今年の冬は、去年より一段と寒いなあ、なんて岡本が言い出したものだから、僕はたまらず笑ってしまった。
 センター試験を一週間後に控えたある日、ミントが転生した。黄緑色のタマゴを見て母が言った。
「進学か、その子を捨ててくるか、どっちかにしなさい」
 父は先日、近所の小さな事務職を受けたものの、最終選考で落ちてしまった。七回目の落選だった。その煽りを受けて、母は市役所に行って生活支援の手続きを受けることにしたようだった。一か月につき八万円の支給、しかし、四人家族である我が家にとってその額は、まさにスズメの涙だった。母の「節約」の手はとうとうミントにまで及んだ。妹はもちろん拒否したが、高校を辞めて働くことを条件にされて、何も言えないようだった。
 ヒーローチャオの誘惑が、まだ僕の心の中に巣を作っていた。九十万円を思った。テレビ出演のことを思った。岡本を思った。よっしーを思い出した。ミントをヒーローチャオにすれば全てが解決するのだと分かっていた。だけど、それではミントが可哀想だ。だから僕は手をあげることができないのだ。今はそう思い込みたかった。
 空が熟れた柿のように色濃くなり始めていた。僕はミントのタマゴを持って、できる限りの防寒具を身につけてから外へ出た。
 
 
 捨てる場所を考えた時、真っ先に思いついたのは河川敷だった。チャオが数匹捨てられていて、野生化していたのを憶えていたからだ。チャオのタマゴを抱えながら上る坂道は、この間、岡本と走った時よりも重く感じた。
 歪な形をした雲の合間に、夕日が霞んで見えた。自転車を止めて土手から河川敷に降りて行く。何匹かのチャオが草むらの陰から僕を覗いていた。その中には赤いダークチャオもいた。
 河川敷の、草が生い茂っているところにミントのタマゴを置いた。マフラーを巻いてやって、風で飛ばされないように、砂利を寄せ集めて重しにする。
 これで、僕の仕事は終わった。
 もうすぐセンター試験だ。そう思うと酷く憂鬱な気持ちになった。気分を誤魔化すために空を仰いでみたけど、ついさっきまで見えていたはずの夕日は、今や雲の奥に隠れて見えなくなっていた。寒くなる前に帰ろうと思って、自転車に跨る。自転車のペダルが思ったより軽くて、僕は坂道を思いっきり駆け抜けた。
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 ろっど  - 14/10/16(木) 23:36 -
  
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