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ろっどの物語 ろっど 14/10/13(月) 22:08
一章 ろっど 14/10/13(月) 22:08
二章 ろっど 14/10/13(月) 22:09
三章 ろっど 14/10/13(月) 22:09
四章 ろっど 14/10/13(月) 22:10
感想コーナー ろっど 14/10/13(月) 22:11
感想 ダーク 14/10/14(火) 0:26
返信 ろっど 14/10/14(火) 0:44
感想です チャピル 14/10/14(火) 2:09
返信です ろっど 14/10/14(火) 10:22

ろっどの物語
 ろっど  - 14/10/13(月) 22:08 -
  
この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
引用なし
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一章
 ろっど  - 14/10/13(月) 22:08 -
  
一章

 四歳のころ、近所の友達の疋田くんや間戸くんと公民館で遊んでいた。何をしていたかはよく憶えていないが、子供らしく遊具で遊んでいたように思う。
 彼らは五歳になると幼稚園に通い始めた。だが、ぼくは体が弱かったため、検査入院という名目でとある大学付属病院に入院した。検査結果には何の異常も出なかった。だから、あまりこの入院には意味がなかった。でも小さい頃のぼくは入院して母親と離れることがとても寂しくて、病院ではずっと泣いていたことをよく憶えている。
 六歳になる年、ようやくぼくは幼稚園に通うことができた。間戸くんと、足の速い「チーター」と仲良く遊んでいた。担任の井口由香先生は体が弱かったぼくにとても優しくしてくれて、家まで送ってくれた。父はそのお礼ということで、井口先生を家に招待して、夕飯を御馳走していた。
 幼稚園では、体の弱さを克服するためにサッカークラブに入っていた。練習の方針は「ボールを持ったらシュート」だった。今にして思えば、できる限り多くの子供がボールに触れるように、という配慮だったのではないかと思う。みんなが活躍できるようにしておかなければ保護者からたくさんのクレームが来るから、そういう方針になったのだろう。だけどぼくからしてみたら、シュートしてばっかりのサッカーは、あまり楽しくなかった。
 七歳になる年の春、ぼくたちは小学校に進学した。幼稚園で仲良くしていた間戸くんとは、別々の小学校に通うことになった。それから何年かはどちらかの家に泊まって一緒に遊ぶことが続いたけれど、いつの間にか間戸くんとは疎遠になってしまった。
 小学一年生、ぼくは新しい友達の長谷部くんや福田くん、ほか数人の友達と校庭で鬼ごっこをしたり、ドッヂボールをして遊んでいた。当時は遊具に関する規制がまだ緩かったので、大きな滑り台やジャングルジムを使って遊んでいた。虫で遊ぶことには目がなくて、アリを牛乳の中に沈めたりしていた。中庭に落ちていた葉っぱを使って、石の上で削って、お茶もどきを作っていたこともあった。長谷部くんの家にも遊びに行ったことがある。彼の家にはドリームキャストがあった。ぼくたちは外で遊ぶタイプだったけれど、ゲームももちろん好きだった。ほとんどが任天堂のゲームで、スマブラとかマリオパーティで遊ぶことが多かった。
 ところが彼らとの友情は長くは続かなかった。三年生になると同時に長谷部くんは転校して、それまで仲の良かった友達とも別のクラスになった。ぼくは友達の輪から外れて、一人だけ別のクラスになったのだ。
 でも、疋田くんとの交流は続いていた。疋田くんとは家族ぐるみの付き合いだった。だけど、ぼくが疋田くんの持つゲーム機を壊してから、交流が減って行った。本当はぼくが壊したわけではない。壊したのはぼくの弟だった。けれど父はぼくがやったのだと決めつけてしまったので、ぼくは悪者になった。最もそういう事件がなくても疋田くんとの仲は疎遠になりつつあった。別のクラスであったことだけが理由じゃない。ぼくはとにかくゲームが強かった。それは当たり前の話で、ぼくは負けることが嫌いだから、とことん練習した。だけど、みんなぼくがいると勝てないからあんまり楽しそうじゃなくて、だからいずれにしても、そのうち破綻していたのだと思う。
 そのころから父に野球を教わった。ぼくが何かおかしなことをすると、父はすぐに怒鳴って、殴る。その基準は、今だからわかることだけど、「父の気分」だ。最もらしい理屈は付けるけれど、父は気分が悪いと怒鳴る。感情の処理を、周りに当たり散らすことでしか解決できない。だけど当時、小学生のぼくにとっては、父親は絶対だった。父の「正しさ」に合わせて努力をした。
 野球で失敗すると、父は「やりたくないならやめろ!」と言った。やりたくなかったからやめることにした。ぼくがゲームをしていると、父は「遊んでばかりいるな!」と言った。遊ぶことをやめたけれど、そうしたら今度は「もっと遊べ!」と言われた。家のことを手伝えば、「完璧にできないなら手を出すな!」と言った。それからは何一つ手をつけなくなった。とにかく、父は自分の思い通りにならないと気が済まない人間だった。そんな父親だから、母親との関係が悪くなるのも時間の問題で、事実そうなりつつあった。
 それでも家族仲はまだ良好なほうで、旅行にも行った。海とスキーを交互に行っていただけだったが、それなりに楽しんでいた。ぼくはスキーで何度も転んだ。そのたびに父に怒鳴られたが、持ち前の諦めの悪さで克服し、それなりに滑れるようになったのだった。
 ぼくは三年生になってから友達がいなかったので、知識をたくさんつけた。カードゲームの知識、新しい遊びの知識、勉強、その他諸々。そうすることで、友達との「関係」を作ろうとしていたのだ。カードのルールとか、レアカードの値打ちとか、今度出る新しいポケモンだとか、そういう「新しい話」を元手に、誰かと繋がっていたかった。転校生が来るまで、そういうことを続けていた。
 転校生の阿尾くんは、ぼくとすぐに親しくなった。お互いに他の友達がいなかったからだ。ぼくたちにはお金がなかったけれど、悪知恵はあった。コンビニの目の前にあるガシャポンにはヨーヨーがあって、それが欲しかったぼくたちは、店員さんに「100円玉入れたけれど、出てきません!」と泣きついて、まんまとヨーヨーを手に入れたりした。そのころには別のクラスで遊んでいた友達とも仲良くできて、公民館でカードゲームをしたり、プチサバイバルゲームのようなことをしていた。
 それも長くは続かなかった。四年生にあがると、阿尾くんとは別のクラスになって、ぼくはまた一人になった。夫婦喧嘩の数も増えてきて、ぼくは父の怒鳴り声が聞こえるたびに耳を塞いで布団の中に閉じこもっていた。父はこのころ、機嫌が悪いことが多かった。ゲームのセーブデータが消えていたことをぼくのせいにされたこともある。友達から「カードがなくなった!」という電話が来たとき、ぼくのせいにされたこともある。父の中では「ぼくのせい」にしておけば、それで清算がついたのだ。
 一番ひどいエピソードは、今でも鮮明に思い出すことができる。公民館での任意参加「お泊りイベント」があって、ぼくは参加したかったけど言い出せないままでいた。参加したかった理由は、疋田くんが参加していたからだ。だけど、当時のクラスメイトである丹羽くんの親が、どうやら「ろっどって子が、疋田くんは参加しないって言っていたから、うちの子も参加させなかった」とぼくの母に伝えて、ぼくは嘘吐き呼ばわりされたのだった。父はぼくを罵倒し、ひたすら殴りつけた。もうこのころには、父と母がまともな人ではないことは分かっていたし、自分の役回りがどれくらい損なのかも分かっていた。だから、ぼくは自衛手段として、「嘘を吐くこと」を身につけた。
 ぼくと仲の良かった阿尾くんの双子の姉、阿尾えりかさんは、疋田くんのことが好きだった。でも、二人とも喧嘩っ早い性格だったので、喧嘩が絶えなかった。その二人の仲を取り持つため、ぼくはえりかさんに「疋田くんが謝りたがっていた」というような話をした。なんでそんなことをしたのかと言うと、えりかさんのことが好きだったからだと思う。友達は決して多くはなかったけれど、父や母に何も言われないために、「友達と遊んで来た」といつも報告していた。クラスでは体の良いいじられ役としての地位を確立しつつあった。だけど、先生にはぼくの嘘が通用しなかった。宿題を忘れるたびに、嘘を吐いて言い訳していたけれど、怒られた。それはぼくが悪いけれども、テストの点数が良いからって、カンニングを疑うのはどうかと思った。
 四年生の一番の思い出は、阪本さんだ。仲の良い女友達の阪本さんは、何かとぼくを心配していた。ぼくは中二病全盛期だったため、年中黒いコートを着ていたのだけれど、そんな些細なところまで阪本さんは母親のようにぼくのことを心配してくれた。「暑いから脱ぎなさい」だとか、「給食ちゃんと食べなさい」だとか(当時から好き嫌いは多かったのだ)。そういう心遣いがぼくはあんまり嫌いじゃなかった。
 五年生、ぼくは家庭の都合で転校することになった。「ぼくが嘘吐き呼ばわりされたことで、近所づきあいがやりづらくなった」というのが、主な理由だ。子供心に、ああ、父と母はぼくの味方ではないのだと、ようやく気付くことができた。
 転校した先では、ぼくは「嘘の自分」を作り上げることにした。常識知らずだけれど、勉強と運動はできる。物知りで、何かと役に立つ。そんなキャラクター設定だ。だけどぼくは小学生にしては勉強と運動ができすぎたので、別のクラスの「ガキ大将」グループからは目の敵にされた。スポーツ大会では、何かとぼくに張り合ってきて、なおのこと鬱陶しかった。林間学校――プチ修学旅行のようなものだ――では、「ぼくが女子風呂を覗いた」というような噂を広められた。女友達の菅さんがぼくを信じてくれたことが、ぼくの中では唯一の救いになっていた。父と母の夫婦喧嘩は絶えなかったけれど、ぼくは学校では少ないながらも良い友達に囲まれて、楽しく過ごしていたのだった。
 六年生までは。
 六年生当時のことは、正直、あまり思い出したくない。憶えている時系列もてんでばらばらだから、具体的にいつのことだったかはもう思い出せない。当時、新聞記事にもなっていたから、たぶん調べれば分かるのだけれど、とある事件が起こったのだ。被害者は名前も知らない別のクラスの女の子で、加害者は中学か高校の生徒だったように思う。同じ学年の生徒の兄だった気がする。ぼくは止めようとしたけど、怖くて近づけなかった。それでも何とか止めてはみたけど、凄まれて、殴られて、怖くて何もできなかった。ぼくにとっては一番嫌な記憶だ。ぼくはそれまで「できる自分」がとても大好きだった。だからゲームが得意で友達と疎遠になっても、父と母から道具扱いされても、友達とは別々のクラスになっても、苦し紛れにやって来れたのだ。だけど「できない自分」であることを自覚してしまった。
 それを機に、ぼくの「自分を作る病気」は悪化した。
 「男子は女子とは話をしない!」というルールを、比較的権力の強い男子グループが作っていたことが印象に残っている。ぼくは完全に無視して、先生に告げ口したのだ。誰が告げ口したか、という問題には、権力の強い男子、二、三人の名前をあげて、広めておいた。彼らが「悪」だったからだ。ぼくは先生にとって、「真面目で使い勝手のいい生徒」を作った。
 父と母には、「学校ではうまくやっている」ような顔をして、「善良な息子」を作った。
 祖父母からは「孝行な孫」を作った。そうすることでお小遣いがもらえたからだ。
 弟にとっては「物知りな憧れの兄」を作った。
 クラスメイトにとっては「役に立つやつ」を作った。
 その上で、ぼくが見てきた「困っている人」には手助けをした。本当はひどく臆病でせこい人間なのに、自分をごまかすことだけは上手だったから、自分を作ることも難なく成功してしまった。人助けをすることに夢中になっていたぼくは、何かのアニメに影響されて、正義のヒーローを名乗ることにしたのだった。
 
 そしてぼくは、友達、荒谷くんのおすすめで、ソニックアドベンチャー2バトルと出会う。
 
 二章へ続く
引用なし
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二章
 ろっど  - 14/10/13(月) 22:09 -
  
二章
 
 中学一年生になった。
 チャオBBSに、「ロッド」はデビューを果たした。当時、どういう気持ちでチャオBBSに書き込みしていたかは憶えていないけれど、同じゲームを好きな仲間と気持ちを共有したかったのだろうなあ、と思う。
 中学校では「勉強はできるけど、友達づきあいが好きではない」キャラクターを作った。何のトラブルもなく、健やかに過ごしていた。バレンタインデーにチョコレートをくれた佐々木さんを意識してドギマギするような中学生だった。チャオBBSではご存じの通り、ところかまわず首を突っ込んでは、特に何の影響も与えることができなかった。ぼくには友達を作る才能がなかったのだ。
 チャオ小説は、ぼくにとっては自己実現の場所だった。ぼくは「かっこいい何か」になりたかった。現実ではそれが「正義のヒーロー」で、チャオ小説においては、ぼくの書くキャラクターや必殺技がそれだったのだろう。のめりこんだ。他の人の小説も読んだ。友達が欲しかったから。チャオのコミュニティの中で、学校で、ぼくは役割が欲しかった。認められたかった。けれど、研究だとか、理論だとか、そういうものにぼくは価値を見出せなかった。他の人だけが前へ進んでいて、チャオのコミュニティの中で個性を放つところを見て、ぼくには個性がないように思えてならなかった。ぼくは、要らないんじゃないか。どこへ行ってもぼくは「いないほうがいい」存在だった。とにかくぼくは友達が欲しくて、自分の話を聞いて欲しかった。自分を知って欲しかった。それが当時のぼくにとっての「チャオ小説」だ。
 ところで、中学一年生のぼくは生意気な少年だった。先輩にはタメ口を使い、「たかが一、二年早く生まれた分際で、ぼくよりえらいのか?」というのが口癖だった。ぼくは中学生にしては何でもできたから、図に乗っていた部分があるのは否定できない。だけど、ぼくは特にいじめられてはいなかった。「面倒くさいやつ」。それが周りのぼくに対する印象だ。
 先生にも喧嘩を売っていた。授業で漢字の間違いがあったり、計算のミスがあると、ただちに指摘して修正させた。でも、ぼくはテストでは毎回一位を取っていたので、先生はぼくに対して優しかった。
 卓球部は半年で幽霊部員になった。地域の剣道クラブに通っていたから、という理由だ。最も、剣道クラブにもあまり参加はしていなかったのだけど。
 スキー合宿では、上級クラスに入った。が、初日に熱を出して倒れて、タクシーで病院に運ばれた。二日目は適度に楽しむことができた。同じ上級クラスの渡辺くんから、「おまえって、あんまり上手じゃないよな」と言われたことを根に持っている。渡辺くんもあまり上手ではなかったからだ。それ以降、たいした能力もない人間で、かつ他人には大層な物言いをする人間を、ぼくは見下し始めた。
 相変わらず正義のヒーローのふるまいをしていたぼくは、いじめられていた久保さんにも、みんなと同じように接していた。でも、久保さんはとてもヒステリックだったので、面倒くさくて投げ出したこともあった。久保さんは自傷癖のある女の子で、自分から「私は自傷癖があるから」と主張していた。いじめは良くないと考えて久保さんの意見も聞くことにしたのだが、彼女にも非はある。だから、何もしなかった。そのいじめを、ぼくは「悪」とは定義できなかったのだ。中途半端な正義のヒーローだったなあと思う。
 そして、激動の年、中学二年生の始まりである。
 チャオBBSではそのころ、ダークさんや土星さん、水神さんたちと、お絵かきチャットで遊んでいた。スマッシュさんのギャグが当時はとても冴えていて、「うぇっぽ」の単語の破壊力は今でもよく憶えている。ロッドとしてのぼくは、普段のぼくとあまり変わりがなかったように思う。チャオのコミュニティでは、年中何かとトラブルが起きていた。学校とはまた違う社会の中で、ぼくは自己主張していた。ここには色んな意見を持つ人がいて、その人たちがぶつかり合っている。そういう場所は、ぼくにとってはとても楽しい場所だった。日頃からぼくには戦う相手なんていなかった。「面倒くさいやつ」として扱われていたからだ。だけど、ここでは一人一人が自分の意志で行動している。そういう場所は、なんだか安心できた。
 同じチャオ小説を書いている仲間と、馬鹿なことをして楽しんでいたぼくは、少し昔のぼくに戻っていたように思う。
 けれど、現実はそう優しくはないのだった。
 
 父が仕事を辞めた。
 病気で。
 「おまえたちが家族として支えないから」「俺を馬鹿にしている目だ」「今まで稼いできたのは誰だと思ってるんだ」「俺がいるとそんなにうざいのか」「働いていないと俺には価値がないのか」「家族だと思っていたのに、裏切られたんだぞ、俺は」
 そういう後ろ向きな言葉に引っ張られるようにして、家庭環境も悪化しつつあった。ぼくは父が仕事を辞めたことにも、病気になったことにも興味がなかった。だけど、仕事を辞めて卑屈になって周りに当たり散らすのは、ぼくにとっては「悪」だった。だけど、ぼくは何もできなかった。父親が怖いから、ではない。父親がいないと生活できないからだ。ぼくは自分のことを正義のヒーローだと信じていたが、大きな矛盾をはらんでいたことには気づかなかった。
 夫婦喧嘩も多くなった。ぼくは親を取り換えてくれ、と何度も神様にお願いしたが、何も解決しなかった。このときから、ぼくは、「本当に現状が嫌で、どうにかしたいなら、たとえ自分が死んでもどうにかする努力をしなければならない。でなければ、自分の気持ちが嘘になってしまう」ということを信条にし始めた。つまり、「嫌なら自分でどうにかしろ」ということだ。これが大きな間違いだった。本質的には、「他人を信頼するな」ということでもある。他人は、共感できない人を敬遠する傾向にある。悩みも言わず、愚痴も言わず、ただ正義のために行動するぼくは、他人から見たら、どうしようもない「頭のおかしい人」だった。
 そうして、ぼくは人助けの比率を高めた。誰も助けてくれないから、ぼくが助ける側にまわる。それは正義のヒーローとして正しい行いのように思えてならなかった。自分のことはいい、というのが、ぼくの口癖だった。これは欺瞞だ。その実誰かに助けてもらいたかったのは、ぼくなのだ。当時の助けてもらいたがっていた「ぼく」を模した他人を助けることで、問題をすり替えていただけだ。
 このころから、ぼくは自分の人格を分割することができるようになった。他人になりきることが非常にうまくなっていた。アダルト・チルドレンの全てのタイプを時と場合に分けて使い分けることができるような人間だった。そういうぼくの危うさを見かねた当時の担任の田中先生は、ぼくによく話しかけてきてくれた。ぼくの人格を認めてくれた。今となっては、田中先生はぼくのことをよく見ていたのだなあ、と思う。通信簿の「先生からのコメント欄」には、「古武士のような生徒だが、一度挫折したら、立ち直れなくなってしまうほど、強くて脆い」と書かれてあった。ぼくはそんなことないぞ、と思っていたけれど、確かにぼくは今でも挫折したらほとんど立ち直れないから、これは正しい。田中先生はすごい先生だったのだ。
 田中先生のすすめで、ぼくは生徒会に入った。選挙は信任投票で、落ちることはない。みんなも投票なんてどうでもよくて、信任に丸をつけて提出する。そんな適当さだった。だけど、ぼくは前述の通り「敵」が多かったので、不信任投票がとても多かった。ぎりぎり当選したけれど、選挙管理委員会が数字をごまかしたのではないかと考えている。
 生徒会は男二人、女七人の深夜アニメみたいなバランスで、ぼくは生徒会副会長だった。同じく生徒会副会長の中島さんは、人当たりのいい、ある意味ではぼくと正反対のタイプだった。そんな彼女が、ぼくはとても好きだった。生徒会の仕事を、ぼくはたくさんこなした。女の子が多かったので、ぼくが力仕事や面倒な仕事を引き受けることが多かった。後輩の女の子から慕われるのも、悪い気分ではなかった。
 ぼくは、「能力は高いけど気難しい人間で扱いに困る」キャラクターとして確立されつつあった。だけど、ぼくは中島さんの指示には基本的に従っていたので、中島さんは「そんな面倒くさいやつを操ることができるすごい女子」という肩書きを得た。ぼくは他人の考えていることが何となく分かるし、中島さんはぼくの表面上の行動パターンを理解していたから、コンビネーションは高かったように思う。
 だけど転機が訪れた。
 中島さんが、好きな男の子に告白して振られたのだ。
 教室でも泣いていて、生徒会室でも弱気で、ぼくは自分の力不足がとても恨めしかった。他人の気持ちを変えることは難しい。そう思った。しかも、中島さんは女子グループから嫌われ始めたのだった。その理由は、中島さんを慰めていた黒川くんにある。黒川くんは大層人気のある男の子で、中島さんを必死で慰めていたのだけど、それが女の子たちにとっては気に食わなかったようだった。何とかしたかったけど、女子グループに怒鳴り付けるだけでは解決しない。そこで、ぼくは、中島さんを責めた。「黒川くんがあれだけ慰めてくれているのに、いつまでめそめそしているのだ」というようなことを言った。中島さんが可哀そうになるくらいに、喧嘩した。中島さんもぼくに対して本音をぶつけてきた。他の人が喧嘩を制する形で、その話は終わったけれど、たちまちぼくに対する目線が厳しくなった。だけどそれ以降、中島さんが表立って目の敵にされることはなくなった。
 嫌われ者がいたら、もっとすごい嫌われ者を出して、上書きすればいい。ぼくの常套手段で、正義のヒーローの必殺技その一だ。
 生徒会では気まずくなったけど、ぼくは元からみんなと仲が良いわけじゃない。ぼくは正義のヒーローとして、正しいことをしたのだった。中島さんのことが女の子として気になってはいたが、それは頭から切り離すことにした。
 
 そのころ、夫婦喧嘩は悪化して、何度もぼくが夜中に起こされた。そのたびにぼくが怒鳴られて、ぼくは早く家を出たい一心で受験勉強に打ち込んだ。
 中学三年生のころのはなしだ。
 中学三年生のクラス分けでは、ぼくは、中島さんと黒川くんと同じクラスになってしまった。
 だけど、松浦くんや安達くんという、素敵な友達がいたので、何とかなった(彼らは野球部・バスケ部のエースで、ぼくとはかけ離れた地位にいたのだけれど、なぜか仲が良かった)。担任の木幡先生に幽霊部員の件について咎められたり、宮原さんという女の子に「元々君みたいな人がタイプだったんだよ」と言われて複雑な気持ちになったりしたけれど、それ以外は普通の学校生活を満喫していた。
 みんなより一か月近く早く受験が終わって、ぼくは私立の高校に通うことになった。同じ私立の高校に通う黒川くんと、なぜか仲良くなった。アニメの話とか、ゲームの話とか、いろいろな話をした。黒川くんは中島さんと仲が良かったので、内心では気が気でなかったけれど、黒川くんは人格者だった。中島さんとぼくを自然に取り持って、うまいこと「面白く仕立てた」のだ。その時まで、ぼくは自分のことを「頭のいい人間」だと思っていたけど、本当に頭がいい人というのは、黒川くんみたいに、器の大きい人のことを言うのだなあと感じた。
 黒川くんとはたくさん遊んだ。黒川くんの家に泊まりに行くこともあった。彼の家にはゴールデンレトリバーの「クッキー」がいて、ぼくは行くたびにクッキーと一緒に昼寝していた。クッキーが死んでしまったときには、一緒に送別会をした。黒川くんとは特別気があったわけではないのに、なぜか一緒に遊んでいた。お互いに対し、必要以上に干渉しなかったからだろう。そういう人のほうが、ぼくは長続きするように思える。だけど、今となっては、もう少し干渉しておいたほうが良かったなあと思っている。
 中島さんとは、自然に仲直りした。卒業式で、元副会長同士として授与式を行った。卒業のムードで色々なことがごまかせていた。
 だけどそういう色々なものをごまかすことが、ぼくはとても嫌いだった。
 普段仲の悪い子たちが、とても感動的な別れをしているところ。あれだけ愚痴を言っていた先生に、別れの手紙を渡しているところ。背伸びをして、大人ぶって、ドラマのワンシーンみたいに感情移入しているところ。卒業式の日だからという名目で、普段とは違う行動をとる彼らを見て、ぼくはうんざりする気持ちでいっぱいになった。一貫性のなさ。矛盾。そのいかにもわざとらしい、「作り物じみた感動のシーン集」に、ぼくは嫌気が差した。そのときになって、ぼくはようやく気づいたのだった。
 ぼくは、他人が嫌いだ。一貫性のない人間が嫌いだ。うわべだけの感動を支持する人間が大嫌いだ。ぼくの、「嫌い」人生の幕開けだった。
 
 このころ、チャオBBSでは週刊チャオ編集部として週刊チャオの運営に関わっていたような気がする。SRFBDの活動として多くの小説を書いていた。だけど、ぼくの印象に残っているのは宏さんの「チャオの奴隷」とか、ぺっく・ぴーすさんの「Final dash」とか、ホップスターさんの「魔術師狂想曲」とか、懐中時計さんの「チャオ裁判」とかだ。当時書いていた小説のことなんてほとんど憶えていない。中でも宏さんの文章の巧みさにはとても惹かれて、真似しようとしたけれどできなかったことをよく憶えている。
 中学生のころは、冬木野くんとオフ会をした。マクドナルドでご飯を食べた。当時の金銭事情からすれば、あまり大したことはできない。チャットだけだったものの、スマッシュさんとは何か一つ通じ合うものがあった。家庭環境が似ていたからだ。スマッシュさんとオフ会をしたのは、高校生になってからだったと思う。
 チャピルさんはぼくにとって、「なんだかよく分からないけど、とりあえずすごい人」だった。
 
 そうしてぼくは、高校生になる。
 そう、高校一年生だ。
 
 三章へ続く
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三章
 ろっど  - 14/10/13(月) 22:09 -
  
三章

 夏休み明け、階段の踊り場で、男子グループが一人の女の子を囲んでいたあの光景を、今でもよく憶えている。
 事情はよく分からなかったけれど、女の子は怯えている様子で、男子グループの何人かは怒鳴っていた。ぼくはとっさに椅子を持って出向いた。最初に言った言葉は、「おい!」だった気もするし、「何やってるんだ!」だった気もする。ともかくぼくは仲介に入って、喧嘩を売った。男子グループはあんまり柄が良いとは言えない生徒で、ぼくに何度か挑発したのち、殴りかかってきた。あまり喧嘩慣れしていない動作だったので、ぼくは簡単に避けたつもりだったけど、場所がまずかった。彼はよろけて階段から落ちた。どれだけ重傷だったかは分からないけど、男子グループが騒ぎを大きくして、救急車を呼んだ。
 その後、ぼくたちは職員室に呼ばれた。ぼくは一か月の停学を言い渡された。女の子を助けようとしただけなんです、と主張はしてみたものの、当の女の子は襲われていたわけではない、と主張しているようで、要するに、ぼくは一人でピエロみたいに踊っていただけだった。
 女の子にとっては、これだけ騒ぎが大きくなって、関係者だと思われたくない。男子グループにとっては、ぼくに何とか恥をかかせてやりたい。教員にとっては、保護者からのクレームに対し、納得のできる処分をしなければならない。正しくないことでも、それで世の中はうまく回るのだ。
 ぼくが処分を受けるだけで。
 ぼくはなんだか色々なことがどうでもよくなって、学校を辞めた。
 「正義のヒーロー」として何をすればいいのか、よく分からなくなっていた。ありがちな悩みだけど、正しさとは何か、それがそのころのぼくの命題であった。
 チャットルームで色々話した記憶がある。ホップスターさんが、「生きていればそのうちいいことありますよ」と慰めてくれたことが印象に残っている。そして、その翌々日あたりに、友達の妹から遊びの誘いが来た。高校を辞めた、と聞いて、連絡してくれたのだった。神田さんはぼくの一つ年下の女の子で、中学の後輩にあたる。何度か遊ぶうちに、告白されたので、ぼくは浮かれて付き合うことにした。そのころのぼくがいかに浮かれていたのかは、スマッシュさんがよく知っていることだろう。
 高校は出ておかなければいけないと考え直し、ぼくは定時制の高校に入り直した。定時制の高校では、様々な年代の人がいた。一つ年下の龍二くんは、一緒にゲームセンターによく通った。同い年のゴローニャくんや、神田さんの兄も同じクラスに通っていた。ぼくと特別仲が良かったのは、ともちゃんだ。ともちゃんは、何かとぼくに構ってきた。オンラインゲーム、特にFPSゲームが大好きで、そのスキルは非常に高い。ゲームでともちゃんに勝てるものといえば、ガンダムVSシリーズくらいだ。スマブラでも、カービィでも、ともちゃんは男顔負けの実力で、文字通り「負けなし」だった。ちなみにともちゃんは現在も交流が続いている友達の一人だ。底抜けに明るい良い子で、ゲームが好き。勉強は嫌い。そんな子だ。
 プールの監視員のアルバイトも始めた。みんな良い人たちで、和気藹々としていたけれど、だからこそぼくは居辛かった。表面上は仲が良いのに、裏では陰口を叩き合う。だけど、お金を稼ぐことと早々に割り切って、ぼくは「仕事ができるけど付き合いの悪い」キャラクターを確立した。
 高校二年生は、事故にあって入院したりしたけど、そこそこ楽しい毎日だった。スマッシュさんとオフ会し始めたのも、このころだった気がする。スマッシュさんは当時、まだ今よりもひねくれていなかったので、普通の会話をして、普通に楽しんだ。スマッシュさんは、ぼくにとって「自分よりも生きることがうまい人間」で、「自分よりも頭の良い人間」で、「色々なことを行動に移せる実力を持った人間」であった。今では見る影もないけれど。スマッシュさんから吸収した能力は多い。今でも本気を出せば、ぼくよりもスマッシュさんのほうが適任であることはたくさんあると思う。
 神田さんとの付き合いは順調だった。と、思っていたのは、ぼくだけだったのかもしれない。ホワイトデーが過ぎた三月の終わりごろ、ぼくは神田さんから別れを告げられた。当時は何が何だか分からなかったけれど、スマッシュさんから指摘された内容(ポケモンやりすぎ、モンハンやりすぎ、ホワイトデーにケーキ渡すだけはひどい、誕生日にお金渡して好きなもの買っていいよはひどい)を鑑みるに、神田さんに対する愛情表現が不足していたからだろう。けれど、神田さんはすぐに別の男の子と付き合ったので、単純に別れる理由が欲しかったのだろうなあと、今ではそう思っている。
 ぼくは引きずるタイプなのでしばらく引きずっていた。その引きずりようは尋常ではなく、ともちゃんをして「先輩は死んだ」と言い渡されるくらいだった。別れた、という事実と、自分が相手を傷つけた、という事実が、ぼくの内側にあった一貫性を破壊していたのだった。だけど、そんなことはともちゃんには言えなかったので、ともちゃんは「他にも女の子はたくさんいますよ!」なんて慰めてくれた。
 そのころから、スマッシュさんと協力して週刊チャオサークルを盛り上げよう!という企画をがんばっていた。スマッシュさんはとても自分勝手なのでよく喧嘩した。ラジオでは喧嘩ばかりしていた気がする。だけど、なんだかんだで楽しかった。あのころのSkypeはほとんど二人だけで会話していた。スマッシュさんとの話題といえば、「好き」ということに関しての話が印象に残っている。最近こそ柔軟になってきたけれど、スマッシュさんは一つのことに固執するタイプだ。反してぼくは、今でこそ一つのことに固執するタイプだが、元々は結構ミーハーな性格だ。そんなうだつの上がらないぼくに、スマッシュさんはしょっちゅう、「本当に好きなのか」ということを言ってきた。スマッシュさんは、好きであることを他の人に認めてもらうために努力を惜しまない人だった。そういうスマッシュさんは、ぼくにとっては憧れだった。嫌いなものこそたくさんあるけれど、ぼくは、一体何が好きなんだろう。正義のヒーローとして生き過ぎたぼくは、本来のぼくの形を思い出せなくなっていた。ぼくは、本当に、誰かを助けることが好きなんだろうか? ぼくは、何が好きなんだろう?
 父、母との関係も、さすがにこのころには「うまくやる」ことができるようになっていた。父は自分の言うことを聞いてくれる誰かが必要なのだ。そうでなければ、自分の存在意義を確認できない。だから、父の言い分をくみ取ってやれば、あとは自分の好きでいい。そういうコントロールの仕方を学んだ。
 高校では適度に遊んで、適度に勉強した。ともちゃんや龍二とゲームセンターに行ったり、バイト先のメンバーでボウリング大会をしたり、そういうありがちな青春を送った。
 しかし、ここで事件が起きた。いや、起こしたのはぼくだ。チャットルームでFさんが馬鹿にされていたのを、ぼくは「正義のヒーロー」として見過ごすことができなかった。ぼくは正義のヒーローの必殺技その一を使い、悪意をぼくに集めることで、チャオ界隈から失踪した。
 
 だけど、慣れたもので、ぼくはそんなに精神的につらい気持ちにはならなかった。
 ちょうどそのころ、プールの監視員のバイトでは、川崎さんという優秀な人に出会うことで、ぼくのコミュニケーションスキルを大幅に上げることができた。川崎さんはバイトを盛り上げることを真剣に考えて、みんなが仲良く楽しくバイトをできることを目指して努力ができる人だった。ぼくに協力を仰いで来たのも、その一環だ。ぼくはその考えに憧れて、川崎さんに協力してバイトを盛り上げることにした。楽しくやりたいのは、みんな一緒だ。必要なのは話題だけ。ぼくは共通の話題を増やすべく努めた。色々な人から色々な話を聞いた。話を聞くことで、ほかの人も一生懸命色々なことを考えて生きていることを知ったぼくは、少しずつ「自分を作る病気」を解消して行った。元々「自分を作る病気」は、思うが侭に生きているだけでは不利益が大きいために身につけた能力だ。要するにそれは、本来の自分で世の中を渡る自信がなかった、ということなのだと思う。だけど、それは他の人も同じだ。他の人も、本来の自分で世の中を渡る自信なんて持っていない。どころか、仕事とか、勉強とか、将来とか、そういう色んな悩みを抱えて生きているのが普通なのだ。一貫性がなくても、仕方がない。誰しもが「そういう人間」でいられるわけではないのだ。
 盛り上げるために、裏から人をコントロールすることもあった。ぼくは人の考えていることがなんとなく分かるので、川崎さんが表から、ぼくが裏から支えることで、みんなが楽しいバイトを実現することができた。陰口はがらっと減ったし、仲が良くなかった人たちも、ぼくや川崎さんを題材にして仲良くなることができた。
 そのころには、もうすでに神田さんのことを引きずるのはやめていた。他の人と同じように、前向きに生きようという意志がぼくの中にあったからだ。普通の人間になれた気がして、ぼくは嬉しい気持ちだった。だけど同時に、ぼくは川崎さんには絶対に勝てない、ということを感じていた。川崎さんが話すときと、ぼくが話すときでは、明らかに違う。ぼくは、人から好かれていない。好かれることができない。そのときはどうしてなのか分からなかったが、大きな理由は、「ぼくのことがよく分からないから」だろう。普通の人間になれたようで、ぼくは全く普通の人間にはなれていなかったのだ。ぼくは劣等感でいっぱいだった。
 けれど、川崎さんが「盛り上げること」に一生懸命なように、ぼくも「普通の人間になること」に一生懸命だった。たとえそうなれなくても構わなかった。ようやくぼくは、「覚醒」を身につけることができたのだった。覚醒とはすなわち、今までの自分の考えを否定し、あるいは組み換え、新たな考えを作り出すこと。色々な自分を作っては捨ててきたぼくだけど、ここで一つの芯を得ることができたのだ。
 劣等感は既になかった。ぼくは川崎さんにはなれなくていい。黒川くんにもなれなくていいのだ。ぼくは、昔から「正義のヒーロー」だったけど、考えてみれば、ぼくは好きな人より嫌いな人のほうが多い。助けたい人より、挫きたい人のほうが多い。ぼくの心は狭い。正義のヒーローは辞職することにした。代わりにぼくは、自分勝手なヒーローになることにした。
 
 ちょうど今くらいの時期。バイト先の高校生で、市川さんという子がいて、ぼくはその子の話を聞くのがとても好きだった。その子の話には悪意がなかったからだ。その素直さにぼくは惹かれつつあった。ぼくにはないものだったから。何度かデートをして、付き合うことになった。
 気が向いたので、チャオ小説を書き始めた。Skypeではダークさんと話す機会が増えて、二人でよく遊んでいた。ハンゲームで主に遊んでいた。チョコットランドでは、ぼくが炎属性の戦士を使っていて、ダークさんは闇属性の魔法使いだった。しょっちゅう笑っていた記憶がある。ダークさんの大学の友人とも交流があった。「お絵かきの森」の逸話はぼくの持ちネタの一つになっている。小説の話もした。ぼくの話も、たくさんした。そういえば、あのころはとても楽しかった。すべてがうまく行っていた。聖誕祭になって、DoorAurarとして復帰した。ばれないと思ったけど、ばればれだった。今くらいの時期から、ぼくのアイデンティティは固まりつつあった。ぼくは意志の弱い人間が大嫌いで、自分の考えを持たない有象無象が嫌い。反面、意志さえ強ければ、大悪党でもぼくにとっては「あり」だ。卑怯な手段を用いて人を貶める人間は大嫌い。自尊心ばかり高くて、人を貶める人間は大嫌い。ぼくに媚を売る人間も大嫌い。そうして嫌いを増やしていった結果、ぼくに好きな人間はあまり残されていなかった。チャオ界隈の人間たちは、幸い意志の強い人間ばかりだったので、ぼくは嬉しかった。
 前回の反省を活かし、ぼくは市川さんとしっかり向き合って付き合ってきたつもりだ。市川さんは素直だけれど、自我の強い人ではない。だから相手の欠点が鼻につくことがあったけど、ダークさんに「おまえは人の欠点を受け入れることのできない人間です」と言われたことをきっかけにして、自分の人格を改変する事も出来るようになった。ぼくは成長できるようになったのだ。
 学費の安い情報系の専門学校に入った。年間十二万円。自分で働いて通えるところがいい、そう考えてのことだ。親には頼りたくなかった。専門学校ではあまり深くプログラミングの技術を教えてはくれなかったけど、資料と環境はあったから、自分で学習した。目標は、とりあえず、チャピルさんとプログラムの話ができるくらいだ。チャピルさんのことをぼくはあまり知らなかった。けれど、チャピルさんは意志の強い人だ。ぼくにとっては好きな人間だ。仲良くなるためには同じ土台に立たなければいけない。だから、プログラミングをやろうと決めた時から、ぼくの目標はとりあえずそれだった。他の目標と言えば、そこそこ安定したところに就職することだろうか。
 スマッシュさん、ダークさん、ろっどの三人でSkypeをする機会が多かった。小説に関しても、色々なことに関しても、お互いの意見を交換することが、ぼくはとても心地よかった。表面上だけで会話するのは、ぼくにとっては朝飯前どころか、その分野においてぼく以上に「レベルの高い」人はおそらくほとんどいないだろう。互いの考えを否定できる環境が、ぼくには居心地が良かったのだ。普通の人間からはかけ離れているかもしれないけれど。ダークさんとチャオ小説を一緒に書いたこともあった。スマッシュさんはこのころ、更に捻くれつつあった。
 専門学校でも、ぼくは簡単にみんなの中心人物になることができた。川崎さん・トレースである。
 冬木野さんが中々来なくなってしまったこととか、斬守くんの覚醒を見届けられないことが、ぼくにとっては心残りだ。ぼくは覚醒の余地を残しつつも、自らの枷を破ることのできない人間を見て、もどかしく思う。いつまでも卑屈なばかりでは仕方がない。ぼくは散々不幸ではあったが、気力と根性でここまで来たのだ。他の人もできないはずはない、と思っている。
 しかし、「覚醒」をもってしても、人の気持ちを変えることは難しい。
 アルバイトでは、川崎さんが卒業し、Mさんというお局様が支配権を握っていた。彼女は若い女の子に対し非常に厳しく、裏から手をまわして辞めさせようとしている始末。ぼくが覚醒するだけでは、彼女をどうにかすることはできない。だから、ぼくは彼女に辞めていただくことにしたのだった。「裏から手を回す」ことにかけて、ぼくは何せ、超一流である。簡単に辞めさせることができた。
 
 チャピルさんが、ぼくたちに積極的に歩み寄ってきてくれたことが、ぼくにとってはとても嬉しかったことだ。
 超チャオ小説――今となってはあまり活動していないが――を元手に、ぼくたちはチャピルさんと仲良くなることに成功した。ぼくは元々、友達が欲しい人間だ。他人がいるほうが、ぼくの人生は心地よい。一人の時間も必要ではあるけど、他人といる時間も同じくらい貴重なのだ。ぼくは常に友達がいたわけではないから、余分に、その貴重さを知っている。しかも、意志の強い人だ。ぼくは意志の弱い人間が大嫌いだ。特に流されやすい女の子とか、被害者意識の強いやつとか、人の悪口を言うことしか能のない人間とか、人の欠点を指摘することにかけては超一流だけど自分の欠点は認めないやつとか、どんなに外見が良かろうと、内面の強さを伴わずしてぼくは人を好きになることはない。ぼくの知る限り、チャピルさんはとても意志が強い。これは貴重な人材だ。
 ということで仲良くなったのだった。
 ぼくは常々、「やる気のある人たちで何かしたほうが面白い」と思っていて、多くの場合、それは叶わない。
 なぜかというと、人の意志はそんなに強くないからだ。
 だから、ぼくくらい、あるいはぼく以上に意志の強い人たちが、ぼくは身近に欲しいのである。
 
 四章へ続く
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四章
 ろっど  - 14/10/13(月) 22:10 -
  
四章

 ぼくの就職活動は、何度かお祈りされ、何とか本命に就職することができた、という結果だった。川崎さんやバイト先の先輩にも協力してもらい、戦略を一から立てて、就職活動を乗り切ってきた。ぼくは「他人になりきる」ことも「自分を作る」こともできるので、就職活動の場はぼくに適していた。とはいえ、それでも何度かお祈りされているので、以前と比べれば精度は落ちているのだろう。
 ぼくはとにかく、コーディング速度が速い(と、もっぱらの評判であった)ので、試験でも有利にはたらいた。本命の試験では、いかに多くの問題を解くことができるか、のような試験形式だった。SPIのような形式である。Javaを学んでおいて良かったと強く感じた。
 就職活動が終わるとすぐに、専門学校から卒業、アルバイトから卒業する時期がやって来た。働くことがあまり好きではないぼくは、気乗りしなかったけれど、卒業制作に追われてそれどころではなかった。卒業制作ではandroidアプリケーションのシューティングゲーム(TPSっぽいもの)と、オンライン対戦形式麻雀ゲームを作った。Javaの講師である上野先生はぼくのことを高く買ってくれていて、その期待と信頼にはこたえたいなあと思っていた。麻雀ゲームはネットワークの知識を身につけるために開発したものだ。クラスのみんなの声を収録してボイスとして使用できるようにしたり、自作ならではの工夫が非常に楽しかった。
 アルバイトでは、引き継ぎを行っていた。授業の合間にマニュアルを作成したため、それを元にマニュアルを定着させた。バイト先にはマニュアルがなく、苦労していたから、せめてぼくが作ろうと考えたためだ。市川さんも同じバイト先だったから、彼女にもマニュアル作成を手伝ってもらった。
 このころ、ぼくは自分に小説を書く才能がないことを理解し始めていた。その大きな理由は、小説を書くことが好きではないからだ。自分の考えをアウトプットすることは好きだが、「小説」を「書く」ことが特別好きなわけではない。だから半ば諦めていた。しかしながら、ぼくは諦めがとても悪い。悪すぎて、諦めることができないところがぼくの欠点だ。小説を書くことを完全に辞めたわけではない。常に自分にとって最良の「書き方」を模索していた。
 
 卒業の時期がやってきた。
 ぼくは、あまり感動しない卒業式を終えて、ついに社会人としての第一歩を踏み出したのだ!
 
 
 挿話 ポケモン日記
 
 好きなポケモンを使いたい!使って勝ちたい!しかも面白く勝ちたい!派であるぼくは、
 たくさんのポケモンを厳選してきたが、
 ベトベトンはどのパーティに組み込んでも、良い働きをしてくれることが分かった。
 ベトベトンは、HPが高いから、不一致弱点程度なら受けられる。
 さらにX・Yから毒タイプの使う「どくどく」が必中になったため、
 ぼくの使う「めんどくさい戦法」に磨きがかかったのである。
 ちなみに、ベトベトンの弱点は「じめん・エスパー」。
 ベトベトンの仮想敵は、耐久型ポケモン(スイクン、クレセリア)や特殊ガルーラ、メガリザードンYなどである。
 読みスキルが必要になるが、ベトベトンは面白いポケモンだ。
 今のところ一番面白い型は、スカーフベトベトンの先制ダストシュートだ。
 調子に乗って出てきたメガサーナイトを返り討ちにするぞ。
 また、ぼくはニョロボンもとても好きだ。型が読みづらいから、相手の行動に隙を作ることができる。
 強化してくれれば言うことないぞ! さあ、メガシンカだ!
 
 
 入社式を終えて、ぼくは同期の何人かと飲み会に行った。うんざりするほど意志の弱い男女との会話に嫌気がさして、今後あまり飲み会には参加しないでおこうと胸に誓った。具体的な意志の弱い会話とは、やれ仕事ができるか不安だとか、電話対応が不安だとか、そういう話だ。不安な気持ちを吐露しあうようなパーティはあまり好きではない。白瀬くんという、開発大好きな子がいるのだが、本当にサーバの話しかしなかったりする。同じく同期の加藤さんは、一般的にはとても可愛い部類に入る女の子だけど、愚痴ばかりでとても疲れるタイプだ。ぼくは同期の中で早くも「うまくやる」自信をなくしていた。
 池袋での研修は、正直に言えば、退屈だった。しかし長く勤める会社になるかもしれないので、立ち回りは丁寧にすべきだ。ぼくは人当たりの良いふうを装うことにした。モンスターハンターが流行していたが、他の方々はとても下手だったので、ぼくは遠慮することにした。「うまくなろう」という意志のない人たちと一緒に楽しめる気がしないからだ。
 ゴールデンウィークにオフ会をした。ホップスターさんとは以前、署名提出の際も会っていたが、そのときと何も変わらなかった。彼は常にマイペースだ。だけどぼくは、本質的な対話ができていないこと、薄い話しかできていないことに焦りを覚えていた。
 研修を終えて、ぼくは本社で勤務することとなった。部長の塩谷さんは気さくな人で、麻雀でも変な打ち方をする人だ。塩谷さんはぼくのことをよく気にかけてくれる。気弱そうに見えるのかもしれない。仕事は楽しくなかった。でも、嫌でもなかった。自分が最速で帰るために努力をして、同期を手伝い、早々に帰る。そういったサイクルが続いていた。
 夏休みごろ、オフ会の話があがった。ろっど、ダーク、スマッシュの三人で卓球をするか、のような流れだったと思う。そこに人が集まってきた。輪が広がった気がして、少し嬉しかった。ちょうどそのころ、市川さんからバイト先の問題を相談された。以前、お局様を辞めさせたにも関わらず、今度は別の人が権力者となっているようだった。これはまずいと思い、「権力者」に交渉するべく出向いたのだが、結果的に効果はなかった。
 市川さんとは順調に付き合いが続いていた。ぼくは話をするのも好きだが、人の話を聞くことも好きだ。市川さんとの付き合いの場合、多くはぼくが彼女の話を聞いていた。彼女は高校生のころと比べると、別人のように成長していた。その成長が、ぼくにとってはとても魅力的だった。成長できる人間は見ていて楽しい。彼女は努力家だ。ただ、諦めが早いところがあって、向上心も高いわけではない。できないことを、できないで片付けてしまうところがぼくにとっては嫌だった。だけど、相手の欠点を受け入れることができないのは、仕方のないことだ。ぼくは見て見ぬ振りをすることにした。
 そして、オフ会の開催される九月の中旬、ぼくは父にサーバを作れ、と言われた。どうにも、父は会社では「パソコン博士」として通っているらしく、ホームページを作成することを安請け合いしてしまったようで、その尻拭いをぼくにさせようという魂胆のようだ。ぼくは父の思い通りに動くロボットではないので断ると、父は激怒し、混戦のすえにぼくは家を出ることとなった。警察署に行って、捜索願不受理申請を行った。そのあとネットカフェで一晩過ごしてから、親しい友人に頼み込み、生活費を折半する名目で居候させてもらうことにしたのだった。本当にぼくの人生はままならない。だけど、こんな状況でも何とかできてしまうくらいには、ぼくも成長することができたのだ。
 
 
 オフ会が終わって友人の家に帰ると、友人は既に眠っていたので、起こさないようにシャワーを浴びて、早々に眠りについた。
 翌朝は起きるのがとても辛かった。オフ会後の仕事はとても大変であったが、難なく終えることができたのだった。仕事を終えて、市川さんとの食事の際に別れを告げた。およそ四年間の交際になった。友達の家に帰ると、友達はアルバイトから帰ってきていて、一人で晩酌の最中だった。ぼくも付き合うことにした。ここ最近は特に、お酒の力に頼ることが多い。
 チャオラーと名乗れるかどうか、というのは、今のぼくにとっては微妙な問題だ。ぼくはチャオラーらしいことをしていない。でも、チャオラーらしいこととは何だろう。と考えたとき、ぼくはチャオのゲームを作ることじゃないかなあと、とっさに思いついたのだった。そのため3DCGの勉強をして、チャオのモデリングくらいはできるようになっておこう、というのが、最近のぼくのトレンドである。
 心理的な課題は、「覚醒」では自分しか変えることができない、という点だ。他人に影響を与えたり、他人の気持ちを変えたりするには、「覚醒」では足りない。とっくに正義のヒーローからはドロップアウトしたぼくだけど、人助けは好きだ。だけど、本当の意味で人を助けることは難しい。ぼくでは不適任なのかもしれない。ぼくは人から好かれる人間ではないし、人に助けを求められる人間ではない。他人というのは我侭なもので、助けて欲しい、と言いながら、助けてもらう人を選ぶ。「誰でもいいから助けて欲しい」のではなく、「あの人とあの人とあの人に助けてもらったら嬉しい」であることが大多数だ。そういう人間の弱さがぼくは大嫌いで、だからたぶん、ぼくに人助けは向いていない。
 今は、チャオラーのかかわりを保ちたいと考えている。ぼくにとっては貴重な繋がりで、自分の世界を持っている人たちばかりだから、きっと面白い。ぼくはそういう人たちのほうが好きだ。しかし保つためには現状維持ではよくない。ぼくを使って盛り上がるパターンだけでは、いずれ破綻する。かかわりとは双方向であってこそ、強度が高まるのだ。だからこそ、相手のことを知ることは大事だ。それも本質的な部分で知ることが大切だ。関わったらすでに友達とか、そういう甘い考えには賛同できない。互いの魂を消耗するような意志のぶつかり合いが、本来、ぼくの最も好きなことだ。人と関わり合うというのは「袖すりあう」ことではなく「道連れ」だと、ぼくは思う。
 ぼくの人生は、たぶん他の人よりも色々なことがあったけれど、ぼくにとっては普通の人生のほうがよっぽど良かった。楽しそうに生きている人たちが羨ましい。友達が多い人が羨ましい。好きなものが多い人が羨ましい。親との関係が良い人が羨ましい。ぼくの気持ちには劣等感がたくさん隠れていて、そのすべてが、ぼくの努力では手に入らないものだ。
 だからせめて、ぼくの努力で手に入るものだけは、ぼくはすべて手に入れておきたい。
 
 あのとき、失踪したぼくは、実は二度と戻るつもりなんてなかったのだ。どうして戻ってこようと思ったのかは、実のところ、よく分かっていない。気がつくとチャオ小説の題材を探していたし、ぼくらしい小説をいつも探していた。ぼくは自分がチャオラーであるとは、実はあまり思っていない。チャオ小説家ですらない。チャオを育てるのは、確かに好きだった。けれどもそれは、友達が欲しいがために、他人から承認されるために、自分を主張するためにチャオを利用していただけなのかもしれない。そう考えたときから、ぼくはチャオラーとしての自覚を持つことができなくなった。そのぼくがチャオラーとして「戻る」ことに、違和感を覚える。昔、スマッシュさんが「好きであることを証明するのは難しい」というようなことを言っていた。好きでいることを証し、好きであり続けるのは、なるほど、とても難しい。神田さんのことも、思い出そうとしなければ思い出す機会すらない。それは、あまり好きではなかったからなのだ、というのは簡単だ。でも、そう言ってしまうと、ぼくはチャオがあまり好きではなかったのだ、ということになる。
 ぼくは自分の好きと嫌いを明確に定義できる。ぼくは意志のないものが嫌いだ。感情に振り回されて他人を攻撃する人が嫌い。自尊心を守るために他人を攻撃する人が嫌い。自分を守るために本心を抑え付けて他人に無関心であることを装う人も嫌い。では、好きなものは。意志の強さ。それはとても好きだ。でもチャオには意志なんてない。
 「たかがゲーム」だから。
 たぶん、ぼくはチャオが好きなわけではない。ではなぜ戻ろうと思ったのか。それは、チャオのコミュニティが好きだからだ。人は少ないけれど、毎年聖誕祭になると、みんな忘れずに集まってくる。好きであり続けるのは難しい。スマッシュさんはそう言っていた。チャオなんていう、古いゲームともなれば、更に難しい。だけど集まる。ぼくはそういう例を他に知らない。間戸くんや疋田くんも、黒川くんも、松浦くんも、いま何をしてどこにいるかなんて知らない。ただ、「ここ」だけは別だった。少なくともぼくにとって、チャオは帰るべきところなのだ。おそらくみんなにとってもそれは同じだ。そしてぼくの帰るべきところというのは、「友達が欲しい」だった。
 好きであり続ける方法は、実はたくさんあるとぼくは思う。欠点に目をつむればいい。他のものを目を向けなければいい。しかし、そうして得る「好きであること」に、何の価値があるのだろう。ぼくは、欠点に目はつむりたくない。他のものも見たい。だけど、その上で選んだものにこそ、ぼくは大きな価値を感じる。それは、自分の意志で選び取ったものだからだ。
 いずれチャオのコミュニティに戻らなくなる日が来るかもしれない。永遠に帰るべき場所であり続ける保証はない。だけど今、ぼくにとって、ここは帰る場所だった。自分の意志でそう決めている。だからこそ、それを維持するためならどのような努力も惜しむつもりはない。帰るべき場所に誰もいなかったら、とても寂しいから。
 ぼくは「自分を作る」ことを、自分の意志で使うことにした。実態のない正義のためではない。困っている人を助けるためでもない。ただ、友達を作るため、友達と仲良くし続けるためだけに、ぼくはぼくの持ち得る全ての能力を使おう。それがぼくにとっての、好きであることの証明だ。


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感想コーナー
 ろっど  - 14/10/13(月) 22:11 -
  
ろっど、二十二歳、最後のエッセイ(44.5KB)です。
チャオ小説ではないような気がしますが、目を瞑って下さい。
感想お待ちしております。
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感想
 ダーク  - 14/10/14(火) 0:26 -
  
ろっどさんがどういう人なのかは知っていましたけど、一部の背景については初めて知りました。
いやしかし、逆によくこんな環境に身を置いて育ってきましたね。そこらの小説よりもイベント豊富だと思います。色んな矛盾を孕んでますけど、順を追って書くとこうなりますよね。整合性なんかよりもずっとかっこいいと思います。分析してまとめちゃう文章よりも、この方が最近のろっどさんらしいですね。

スカイプで皆さんも自伝書きませんかとか言われましたけど、ダークさんの人生にはこれと言ったイベントは起こりませんでしたし、窮地に追い込まれるようなこともありませんでしたし、何かに深く興味を持ったり、目標を達成しようとしたり、それに関連して自ら深く行動をすることもありませんでしたし、おそらくは恵まれた環境で育ってきたので、言えることなんかありません。それが俺の人生で抱えている一番の劣等感です。所詮僕なんて何も考えてなくて、考えたとしても視野に入っているものに縋って生きるだけの人間ですよ。以上です。
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返信
 ろっど  - 14/10/14(火) 0:44 -
  
>いやしかし、逆によくこんな環境に身を置いて育ってきましたね。そこらの小説よりもイベント豊富だと思います。色んな矛盾を孕んでますけど、順を追って書くとこうなりますよね。整合性なんかよりもずっとかっこいいと思います。分析してまとめちゃう文章よりも、この方が最近のろっどさんらしいですね。

改めて考えると、すごい環境でしたね。
短期間で大きく性格が変わっていることは否定できません。
分析してまとめる、小説風に仕立て上げることも考えましたが、それでは私の人生は伝わらないだろうなと考えました。

>スカイプで皆さんも自伝書きませんかとか言われましたけど、ダークさんの人生にはこれと言ったイベントは起こりませんでしたし、窮地に追い込まれるようなこともありませんでしたし、何かに深く興味を持ったり、目標を達成しようとしたり、それに関連して自ら深く行動をすることもありませんでしたし、おそらくは恵まれた環境で育ってきたので、言えることなんかありません。それが俺の人生で抱えている一番の劣等感です。所詮僕なんて何も考えてなくて、考えたとしても視野に入っているものに縋って生きるだけの人間ですよ。

なぜ感想を書きながら卑屈になっているのかは分かりませんが……。
私もできることならば恵まれた環境で育ちたかったです。
こういう環境で育ったことは、確かに私の人格や能力に大きな影響は与えましたけど、それが私の幸福に役立っているかと言えば、そうではない気がします。

感想ありがとうございました。
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感想です
 チャピル WEB  - 14/10/14(火) 2:09 -
  
今までも断片的には聞いていた話ではありましたが、改めて通して読むと、なんていうかすごいです。
その時々での判断とか価値観には全然共感できないんですけど、それでも終始勢いに圧倒されてました。

なるほど、小さい頃から&#134047;られ慣れていると、自己犠牲メンタルの強い子供に育つんですね。
昔よりは大分マシになったと思いますが、正直そこら辺は今もあまり変わらないなあと思っています。
ドラマチックな人生も、半分くらいは自分から被害を被りに行ってる気がします。

あとは、チャオから離れる機会は無数にあったはずなのに、それでも週チャオに戻ってきてしまうあたりが面白いと感じました。
それは、ここにいる人たちならみんな共通に持ってる経験なのかもしれませんが、ろっどさんはその中でも極端な例ですよね。
チャオBには意志の強い人が多い……のか? なんだか愚痴を言わないという点と、執着心があるという点が、うやむやに語られている感じが腑に落ちないところでした。とはいえ、そこらへんをうまく語る言葉は自分も持ち合わせていませんが。

今年の週チャオは実話が強いですね。これだけ高密度な人生を語られると、今後安易なフィクションをサークル掲示板に投稿するのが怖くなってしまうくらいです。
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返信です
 ろっど  - 14/10/14(火) 10:22 -
  
>その時々での判断とか価値観には全然共感できないんですけど、それでも終始勢いに圧倒されてました。

共感できないですか。残念です。

>昔よりは大分マシになったと思いますが、正直そこら辺は今もあまり変わらないなあと思っています。
>ドラマチックな人生も、半分くらいは自分から被害を被りに行ってる気がします。

変わりませんか……。
自分から被害を被りに行っている、というのは、正しい表現だと思います。
体感では七、八割くらいは自業自得ですね。本人の経験から言わせていただくと、努力と結果が結び付かない何らかの外部要因がはたらくことが多かったので、そのあたりに私の人格形成メソッドがありそうです。

>あとは、チャオから離れる機会は無数にあったはずなのに、それでも週チャオに戻ってきてしまうあたりが面白いと感じました。

チャオから離れる機会は、私が最も多かったかもしれませんね。
(むしろ、人生辞める機会のほうが多かったと思いますが)
皆さんの「どうして週刊チャオに戻ってきてしまうのか」にまつわる自己認識も何となく気になります。

>チャオBには意志の強い人が多い……のか? なんだか愚痴を言わないという点と、執着心があるという点が、うやむやに語られている感じが腑に落ちないところでした。とはいえ、そこらへんをうまく語る言葉は自分も持ち合わせていませんが。
>

意志、という単語を使っているのは私の趣味ですが、厳密に言えば「芯」だと思います。(「こだわり」や「信念」でも構いませんが)
例えば作中では、主人公は自分の性格を(本質的な部分から)意図的に変えることができるという特徴を持っています。それは、自分の「芯」が弱いことでしか成立しません。「芯」が強ければ強いほど、大きく矛盾した行動は取りづらいのではないかという考えです。
愚痴に関しても、その人の本質に基づいた愚痴であれば私は一向に構わないのです。(作中の【意志さえ強ければ、大悪党でもぼくにとっては「あり」だ。】に掛かっている部分ですね)
更に厳密に言うならば「チャオBには」ではなく、「現在残っているようなメンバーには」ですね。

>今年の週チャオは実話が強いですね。これだけ高密度な人生を語られると、今後安易なフィクションをサークル掲示板に投稿するのが怖くなってしまうくらいです。

私がフィクション書いている最中に、どうしても作り物のような印象を(自分で)受けてしまうのは、そのあたり(高密度な人生)に起因しているのかもしれませんね。
「安易なフィクション」がどれを指すのかは分かりませんが、そのあたりも踏まえて次の土曜日には「フィクションであるからこその強み」について話し合いましょう。

これを機に、既に週刊チャオから離れてしまった人やチャオ小説を諦めてしまった人にも「実話系」を書いていただけたら嬉しいですね。
感想ありがとうございました。
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