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Chant, Hymn, And the Orchestra.
 Hymn To Freedom  - 19/7/31(水) 0:13 -
  
“この子”には内緒にしておいてね。

ご主人さまはそう言って“この子”と呼ぶニンゲンを撫でて、私を撫でました。
微笑みながら、頬は赤らんでいるように見えます。
深夜に続く酒盛りのせいでしょうか。
それとも気恥ずかしいのでしょうか。
どちらもなのかもしれないですし、どちらでも無いのかもしれません。
ご主人さまたち――ニンゲンの考えていることは、どうも私には理解するのが難しいのです。
まんまるでも、はてなでも、ぐるぐるでもないのです。
薄ぼんやりとした、霧のような感情で。
つるつるで剥き出しな私たちの肌を、優しくしっとりと濡らしてくるのです。

私は私の仲間と出会うと、テレパシーみたいに電波を飛ばし合って会話します。
元気にしてましたか。
ええ、まあ、元気してます。
なんて挨拶に始まり、しばらくお互い近くにいる間は世間話としゃれこむのです。
最近○○の実の味が落ちたよね、なんて愚痴もあります。
こんなニンゲンが好きで、どんなニンゲンが嫌いか、なんて実の無い話もします。
一つ収穫があるとすれば、みんなが挙げる好きなニンゲンが携えているモノを、私のご主人さまは大抵持っているのに気づいたことでしょうか。

それはとても嬉しいことでした。
だから、私はいつだって強気に見えて自信なさげなご主人さまに、そのことを話して勇気づけたい、なんて思いました。
ですが、生憎伝えるための言葉を私は持っていません。
今だって、私に、秘密にしておいてね、なんて言ったところで冗談にしかならないのです。
私もご主人さまもよく分かっています。
本当は、すぐにでも、酔いつぶれているA子ちゃんをたたき起こしてでも、大声で伝えてあげたいのですけれど。
きっとそれは、叶わない願いなのでしょう。

ねえ知ってるかい。
ニンゲンはね、オトコとオンナの二種類で分けられるんだよ。
ニンゲンはみんな、そのオトコとオンナのペアで愛を深めるんだよ。
にわか仕込みの知識自慢がご趣味のお仲間が得意にしている前口上です。
私たちが敢えて彼を避けながらお喋りをしていても、ご主人さま――ニンゲンの話になった途端、ずっと聞き耳を立てていたのか、シュババババッとどこからともなく飛んでやってくるのだから困ったものです。

きっと、私が興味あることだと彼も知っているのでしょう。
でも結構です。
求めてなんていません。
そんなことは私も知ってます。
なんなら、そうじゃないかもしれない話だって私は知ってるのですよ。
だから、のーせんきゅーです。
と、乱暴な言葉づかいで突き返したいのはやまやまなんですけどね。

でも、そんな感情が表に出ようとするたび、私は目の前にいる“この子”――仮に、A子ちゃんと呼ぶことにしますが、そのA子ちゃんのことをいつも思い出します。
そんなことあんまりハッキリ言っちゃダメだよ。
相手が傷ついちゃうよ。
なんて、A子ちゃんは私のご主人さまを諭しているのを私はよく見かけます。
私も電波に悪口を乗せないように気を付けないと、と声には出さず己を戒めます。
だって、A子ちゃんのことを、私のご主人さまは大好きで。
そんな性格も含めて、ご主人さまはA子ちゃんのことを大切にしていて。
だから、ご主人さまに愛されたい私も。
たとえ本人に一生気づかれずとも、A子ちゃんが望むような考え方を真似していきたいな、なんて考えているのです。

とはいえ、私が言わないままで、空気を読んで引いてくれる殊勝な相手でもありません。
ともすれば私は、止まらぬ一方的なマシンガントークの餌食になりがちなのです。
相手にしないのも悪いですよね。
なんて、渋々話に頷いて。
きっと会話が成立していると思い込んでいるのでしょう。
喋り過ぎて酸欠気味な彼を、私はいつも、さらにエスカレートさせてしまっていると、反省はしているのですが……。

すると、そんな折に私をさっと庇って、彼を追い払ってくれる子がやってきます。
うるさいなあ、この子が優しいからって、しつこく付き纏ってんじゃないよ。
なんて、とても私には言えないキツイお言葉。
自分も同じように思っているくせに、敢えて自分以外のお言葉に頼る私は、悪い子なのかもしれませんね。
彼は逃げて行ってしまいました。
でも、悪い子なのは承知で、その子がそう言ってくれるから、私は変にストレス抱えて、ぐるぐるしないで済んでいるのは事実です。
案外心配性なご主人さまに、暗い顔を見せることが無くて良いのですから、私は本当に彼女に救われているのです。

そうして、いつとも知れず自然と、私は一方通行気味にその子のことが好きになりました。
今は一番、お互い特別に仲が良いんですよ。
会えば嬉しくて、目に映る相手の頭にハートの花が咲くのですから。

――と同時に、私は彼女と会うたびにそこはかとないデジャビュを感じます。
すぐに、ああ、そう言えばご主人さまにもこんな関係の、会えば笑顔になってしまうようなA子ちゃんがいるよなあ。
なんて、やっぱりこの二人のことに話は舞い戻っていくのですが。

しつこい奴。
っていうのはやっぱり人獣共通の敵みたいで、私と同じように、A子ちゃん――優しくて、あまり強く言えないニンゲンの女の子に絡んでくる輩はそれなりにいるらしくて。
ご主人さまの困った顔を見るのはイヤで、でもそんな話をするご主人さまはいつだって憮然とした表情だから、私も当然感情がぐっるぐるです。
私が思っても仕方ないんですけどね。
でも替われるなら、仕返ししてやりたい、なんて思うこと、ニンゲンだってあるでしょう?
私に虎のような牙が有れば、嘘八百の自慢話をする喉を掻き切ってやります。
ドラゴンのようなツノが有れば、自信過剰な金髪がチリチリパーマになるまで炎ブローをかましてやりますよ。
小さい頭の中でも、いつだって私は殊勝な妄想を繰り広げています。
でも残念、私ただの攻撃力ゼロの置物だから、そんな面倒くさい輩を力の無い視線で見上げることくらいしか出来ることはありません。

それに、実際は、私がキメラ化する必要もありません。
A子ちゃんの眼前に颯爽と現れるニンゲンがいます。
諍いが嫌いな彼女が怯えないように強く言い過ぎず、けれど、相手がひるんで去る程度には強く言ってくれるニンゲンがいます。
カッコよくて、それでいて素敵な。
――流石、私のご主人さまです。

ええ、ですから、私はニンゲンのことは未だよく分かっていませんが、もし、思考回路に共通するものがあるなら、きっと、A子ちゃんもご主人さまが大好きなのです。
これは誰の知識の受け売りでもありません。
ただの、私の直観――ニンゲンは私たちと違っていろんな表情を持っていて、それを裏表なく見せられる相手は、最大級に、心を許している。
そう、私は思います。

ご主人さまがご主人さまになったその日から、私は物言わぬオブジェとしてご主人さまとその子の付き合いを下から見上げて来ました。
気づいたのは、A子ちゃんがただ優しくて可愛い女の子じゃないということ。
案外、変な子なんですよ。
二人が人前に出るお仕事をしていることも有って、私はペット要員としてステージ上に引きずり出されることが有るのですが……。
人前に出る彼女らを膝の上から観察すると、ビックリ、あれだけ引っ込み思案だと思っていたA子ちゃんは、途端にアクセル全開で身振り手振り全開のトークを始めます。
しかも、どうも支離滅裂とまでは言わずとも、……なんというか、悪目立ちというか、危なっかしいのです。
あれ、もしかして、威勢は良いけどトークはお下手?
私の疑問は確信に変わります。
他の人から少し癖球を投げられると、途端にきょとんとした表情を隠すこともできず、どうしよう、なんて弱気な感情を顔に覗かせちゃいました。
私はそれを見て、誰にも気づかれないくらい小さく頷きます。
ああ、そうだ、A子ちゃんはご主人さまの前ではいつもこんなでしたね、と。

もちろん、イベントそれ自体はご主人さま主導の元、つつがなく進行はされていきます。
ご主人さまは頭の回転が良いのです。
けれど、A子ちゃんのことを想うと、私は悩みが深くなります。
私が心配して、どうってこともできないんですが……。
A子ちゃんの隣にご主人さまというブレーキ役がいなかったらどうなるのだろう。
なんて思って、文字通り”ひとごと”なのに頭がぐるぐるします。

――あら、ご機嫌斜めですか。
職業病なのでしょうか、目ざとく私の変化を見つけた司会者の人が、なんて話しかけてきてくれます。
すると、ご主人さまが、この子は極度の人見知りで――なんて笑いを取ってしまいました。
私にとってはそちらの方がありがたいんですけどね。
まさに当意即妙。
ご主人さまはやっぱりすごいですね。
でも、本当は、私が人見知りなんじゃないんですけどね。

その後、催しも無事終わりまして、そのままご主人さま誘われてA子ちゃんは我が家の部屋にやってきました。
たまに、こうして仕事終わりに来ることが有るのです。
そしてそんなときはいつも、不思議なお薬が抜けてしまったかのように、A子ちゃんはご主人さまのベッドに壁と対面になるように座り込みます。
何をするのでしょう?
何もしません。
それどころか言葉一つ発することも無く、ぼーっとし始めるのです。
変でしょう?
いつも、だいたい、そんな感じでA子ちゃんは一人反省会を始めるんですよ。

見慣れてはいるけど、考えてみればおかしなことをしていますよね。
ねえ、なんでいつもそうなんですか?
と実際には聞けないけれど、ちょこちょこと近づいて反応を確かめてみます。
私の意思が届いたわけでも無いのでしょうけど、A子ちゃんの返答は、偶然にも私のQに対応するAになりました。
曰く、こうしているのが私の趣味なの、いつも家ではこうしてるの。
なんて、もう、とんでもなく、色んな意味でぐるぐるになってしまうその言葉に、やっぱニンゲンって分からないな、と私は心の底から実感します。
もっとも、分からないなんてニンゲンはA子ちゃんくらいなものかもしれませんが……。

でも、A子ちゃんがご主人様の部屋で周りを躊躇することなくここで壁と睨めっこしていること、それをご主人さまや私がよく知っているということは、――ある意味でA子ちゃんがご主人さまに心から気を許してることなんじゃないかな、と私は気が付きます。
多分、ご主人さまはそんな一面を含めて、A子ちゃんのことを大事にしているのです。

ニンゲンほどじゃないけど、私たちだっていろんなものを持っているし、なんなら私の仲良しさんだって、同じことが言えます。
ただカッコいいだけじゃない。
泳ぐのが苦手(というより水が苦手?)な意識が強すぎて、水辺を歩くときは私が水側になるように、するっと位置を変えてきまするし、テレビの番組は割と譲ってくれません。
腹立たしいのは、木の実をシェアして食べてるって言うのに、一番おいしいところからまるかじりで食べ始めることです。
ホント、どう思います?

まー、本音で言えば、そのつど、文句の一つもぶつけたい気持ちはあります。
でも、仕方ないですね、と私はいつも妥協してしまいます。
別に何でもではなく、必要とあれば言うべきことは電波に飛ばしますし、言わないからって不平不満が募らせるわけでも無いのですよ。
大体のことは、あなたのことが好きだから、で済ませられてしまう。
ただそれだけなんです。

ご主人さまの見ているドラマを横から覗き見することがあります。
私の小さい脳みそで読み解く限りで、私みたいな性格のニンゲンはたいてい都合のいい奴にされてしまうみたいですね。
おおよそ間違ってはいないのでしょう。
本当は、私ももうちょっと強く言うべきなのだと、日々自戒することは多いものです。
でもやっぱり、好きだから。
嫌な思いを抱えるとか、そういうネガティブは抜きにして、つい許してしまう。
きっと、それはご主人さまも同じなのかもしれません。
ドラマで言う、その人はいわゆる面倒くさい人なんだろうけど、つい構っちゃう。
そうすべきだからではなく、そうしたいから。
理由なんて言葉にできないのです。
好きだから、が理由にならないなら、もう、分かんないよ、で済ませるしかないのです。

件のイベントで、ご主人さまがA子ちゃんについてそんな風な話をしていたら、客席から冗談交じりでヒューヒューなんて声援が届いてきたことがあります。
ニンゲンは、いっぱい相手のことで嫌なことを言います。
でも結局は、何もかも損得の絡まない関係に強い憧れを抱いているものなのです。
もしかすると、だからこそ。
私たちみたいな面倒くさい生き物を飼ってくれるのかもしれませんね。

そう言えば、私は先日そんな仲良しな彼女と卵を一つ産みました。
きっと数日もすれば、そこから私、もしくは彼女そっくりなお仲間が殻を破って、ひょっこりとこの世界に顔を覗かせるはずです。
こういうのに、私たちの世界では余りオトコとかオンナみたいな区別はありません。
私は私がどちらかというとオンナだと思っています。
仲良しな子もどちらかというとオンナだと思います。
でも、卵は産まれます。
私たちは、互いが互いを信頼できると思えば、花が咲き誇る中を踊り、感じて、そして卵を産むことができるのです。
そうやって出来ているのです。
実にシンプルでしょう。
私も同族として、こういう特性は、嫌いではありません。

でもニンゲンはそこがもうちょっと難しいのですね。
いつかの彼が言っていたように、ニンゲンには見てわかるオンナとオトコがあります。
私たちには簡単に見せてはくれないけど、オンナは凹を持っていて、男は凸を持っていて、それが合わさらないと、卵は産めないらしいのです。
あくまで伝聞です。
先生から聞いた話で、先生もよく分かってないみたいなので、私の認識は希釈された薄味の飲み物でしかないのでしょうけど。
抽象論として、凸凹の感じは何となくわかる気がします。
ピースを繋ぎ合わせるパズルのように。
確かにそれで言えば、凹と凹は合いません。
凸と凸も合わないのでしょう、きっと。

でも、それでも。
オンナのご主人さまは、たとえオンナのA子ちゃんと卵を産むことが出来なくても、そうしたいと想っているように私は見えていました。
私はもう仲良しな子含め三回くらい卵を産んでいます。
だから、ご主人さまが見せる表情や仕草の総てが、A子ちゃんとそうしたいという気持ちで溢れていることを知っています。
勘で、そうだと、分かるのです。

ちょっとだけ幸せな妄想を考えます。
もしご主人さまとA子ちゃんが綺麗なドレスを着て。
花が咲き誇る庭の中を、二人でくるくる回りながら踊って。
きっと私はそれを素敵な光景だと思うのでしょう。
でも、私はもうちょっとだけ頭が良くなってしまいました。
それで二人が卵を産めないことは知っています。
だから、その光景は、私が悲しみと寂しさを持って映し出す、雨に溶けて消える涙一粒の夢でしかないのでしょう。

どうやって卵を産むのか、は、先生も私に教えてくれません。
ご主人さまも、教えてくれたことはありません。
多分、私に言うにはとても難しい何かをしないといけないのでしょう。
ニンゲンはそれを生まれつき知っているから出来るけど、きっと私たちには出来ません。
だから、想像しても分からないことなのでしょうけど。
ただ一つ分かることは、それをオトコとオトコで望んでも、オンナとオンナで望んでも出来ないということです。
私たちとは違うのです。
やっぱり、少し悲しいことのように思えます。
私たちと同じくらい、シンプルに、卵を産めればいいんですけどね。

ところで、私はその方法は今でも知りませんが。
もう一つ、ご主人さまがA子ちゃんにする素敵なことを知っています。
夜、A子ちゃんがお酒飲んだりして、きっと何しても起きないんでしょう。
というときに、ご主人さまは顔を赤くしながら、それをします。
カッコいい顔から、可愛い顔になって、それをします。
自信のある雰囲気から、恥ずかしくて解けてしまいそうな赤みを帯びて、それをします。
私はそんなご主人さまを見ます。
いつもの、大好きなご主人さまではないはずなのに、私はそのご主人さまが一段と素敵に思えました。
だから却って疑問に思いました。
どうしてA子ちゃんが同士て眠っているときにしか、ご主人さまはそれをしないのでしょうか?
だって、きっと、A子ちゃんだって、ご主人さまのこんな姿を見たら、きっと、大好きになるんだろうなって、私は思うのです。
ご主人さまと卵を一緒に産みたいって、A子ちゃんは望むと、私は思うのです。

もちろん、それをすることで卵は産まれないでしょう。
私はもう何度か見てきましたけど、きっと卵は産まれないと思います。
ご主人さまも、知っているに違いありません。
多分、ご主人さまが何度A子ちゃんとそれをしても、卵は産まれない。
私は少しだけニンゲンが不満があります。
こんなに素敵なことなのに、何も生み出さないなんて、理不尽ではありませんか。
仕方ないのでしょうか。
こうしてA子ちゃんとそれを繰り返すご主人さまは、辛そうで、苦しそうで、でもどこか幸せそうで。
私はこれを見ているしかできないのでしょうか?

でも、私にはどうすることもできません。
たまにご主人さまが、辛くて辛くて、目から雨が降り注いだ時だけ、私はご主人さまに抱き寄せられます。
抱き寄せられるための、暖かい生き物になります。
嗚咽混じりにご主人さまの胸の中で、もっと出来ることは無いのかを考えます。
いつもと同じように、ご主人さまが、A子ちゃんに笑いかけ、髪をよけながらそれをしているのを見ながら、私は考えます。
日々、考えて、考え抜いて――結局、私はいつも夜の九時には快眠していて。
翌朝、私は冴えた頭でコミュニティに出かけて、気が向いたときに、仲間の意見を聴くことにしていました。

ラブソングだ!
と、誰も経緯を覚えていないまま、どうしてだか分からないけど、誰かがそんなことを言い出しました。
最初は小さな教会で歌う聖歌のごとく、ごくごく少ない頭数でやろうって話で。
次第に賛美歌が歌えるくらいのぽよが集まって。
私のお話が広がるころには、もうあちこちから、歌は音痴でもこれは出来ると言わんばかりで、みんなが楽器を持ち寄ってきたから、さあ大変。
これはもう、気分はオーケストラではありませんか。
……と、当初はやるかどうかさえあやふやだったのに、望外に多く集まってしまったので、私はラブソング案を撤回することができなくなってしまいました。
ここでストッパーたる仲良しさんがいればよかったのですが……。
残念、今回は仲良しさんもお歌を披露する気満々。
元気はつらつだと言わんがごとく、とびきりのびっくりまーくなぽよを浮かべています。

……そろりそろりと、近づく影が有って、でもそれはすぐに遠ざかろうとしていたので、私はそれを呼び止めました。
ニワカなお仲間でした。
ピアノを片手に抱えたまま、こちらにビクッと振り向きます。
きっと私の背後にいる仲良しさんのキツイ視線だと思うのですが、私はそれを宥めます。
良いですよ。
あなたもよろしければ参加してください。
私は今回、彼が口で騒がないことは分かっていますから。

……はじめて、彼と出会った時はそんなに悪い相手じゃないと思ったのですよ。
こうやって楽器を持って、いい歌で私を楽しませてくれました。
実のことを言えば、最初に一緒に卵を産んだのは彼だったのです。
それが次第に、私の周りにある様々なことにぐるぐるし始めて、出来もしないことを出来ると言い張るようになってから、おかしくなって、私も彼が少し嫌いになったのですが。
こうやって楽器を持った時の彼は本気だと。
それだけは、私は今でも彼を信じています。

演奏する曲は、ここのところ”おんがくきょうしつ”でやっていたニンゲンの曲にしました。
遠い国の言葉で、私たちが理解しうるだけの頭はありません。
何なら、歌おうにも歌えるだけの器用な声帯は無いので、うーう言うしかないのですが。
でも、たとえ意味は分からずとも。
言葉にできずとも。
私たちはそれが素敵で、素晴らしくて。
何より、この曲がご主人さまと”あの子”に届けるにいい曲だと知っていました。

彼は、案外活躍していましたよ。
なにせこの大所帯でご主人さまのところに夜会いに行くわけにもいかないから、録音をしようっていう話になったのですが。
そこで彼はラジカセを使って、いつもラジオや音楽ばかり聴くそれが録音もできることを教えてくれました。
嘘ではありませんでした。
にわか知識でもありませんでした。
何度もピアノを練習しているとき、録音しては再生していたからやり方は全部、手に染みているよ。
と彼は言っていました。
久しぶりに、私は彼のことを少し好きになった気がしました。

そして、私はラジカセと、いつも持って帰っていたテレビと交換で家に持ち帰りました。
ご主人さまには秘密です。
A子ちゃんにも気付かれていないでしょう。
私はただいつものように遊ぶフリをしながらタイミングを見計らいます。

そうこうしているうちに、A子ちゃんがいつものようにご主人さまのお部屋にやってきました。
すでに、酔っていました。
何なら、ご主人さまも、大分酔っていました。
二人とも疲れてるんでしょうか?
二人とも嫌なことが有ったんでしょうか?
少し心配ですが、ラジカセには大切な音楽が入っています。
あまり他のことに気を取られて、私たちの音楽が届けられなければ大変なことです。

でも、杞憂でした。
お酒の強さはどちらかというとA子ちゃんよりもご主人さまの方が強くて。
いつものように。
A子ちゃんはご主人さまのベッドにもたれ掛かったまま、目を閉じてしまいました。
おーい、寝ちゃったのー。
なんてご主人さまがA子ちゃんの頬を何度か摘まみます。
まるでじゃれた子供みたいな真似をします。
もちろん、そうやって、ご主人さまはA子ちゃんが寝ていることを念入りに確認しているだけなのです。
だてに、演技が得意と公言しているだけのことはありますね。

A子ちゃんには内緒にしておいてね。

ご主人さまは昨日と同じように、私を撫でました。
そして、続いて、A子ちゃんの髪を撫でつつ、そっと顔からよけていきます。
微笑みながら、頬は赤らんでいるように見えます。
それとも気恥ずかしいのでしょうか。
どちらもなのかもしれないですし、どちらでも無いのかもしれません。
ご主人さまたち――ニンゲンの考えていることは、どうも私には理解するのが難しいのです。
まんまるでも、はてなでも、ぐるぐるでもないのです。
薄ぼんやりとした、霧のような感情で。
つるつるで剥き出しな私たちの肌を、優しくしっとりと濡らしてくるのです。

でも今日は。
ちょっとだけ、私にも、ご主人さまたちが日々創り出しては忘れている想いを。
私たちのたどたどしいオーケストラをBGMに、聞き出してみようと、決めたのです。
ボタンを押します。

Chant, Hymn, And the Orchestra.
私たちが伝えたいことを、私たちはすべて音に込めました。
これ以上のことも、これ以下のこともできません。
そこに、私たちができることの全てが詰まっていました。

私の、ご主人さまのために。

……でも、ふと冷静になって聞いてみれば、随分と加減の無い音が部屋に響きます。
ご主人さまが急に酔いが醒めたようになり、こちらを驚いた表情で見ます。
そうなるでしょうとも。
こんなウルサイ音を鳴らされて、ご主人さまがA子ちゃんにそれをしているときに目を覚まされたら、たまったものではありませんよね。

だから、ご主人さまは慌てて私が偶然を装って押したボタンをもう一度押そうとします。
私は機嫌が悪くて、融通の利かない子を演じながら、ボタンを抱え込みます。
イイ子だから。
とご主人さまが珍しく私に焦りを含んだ言葉を投げかけてきます。
――イイ所なんです!
だから、最後まで聞いてください、と口には伝えられませんが、私も抵抗します。
そうこうしているうちに、ドタバタの最中、曲だけがゆったりとした、でもちょっとだけ喧騒の入り混じった雰囲気で、最後まで流れていきます。

もちろん、本当にはきっと歌えていません。
でも、頑張って歌ったのです。
うーうー唸らせながら。
ガンガン叩きながら。
そして、少しだけ上手な風に、ぽろんぽろんと弾きこなしながら。
私たちはニンゲンに比べて多くのモノを持っていません。
私たちは代わりにシンプルな、いくつかの大事なモノを持っています。

今のご主人さまに必要なモノ。
今のA子ちゃんに必要なモノ。
私はそれを強く信じて、方法を探して、今、辿り着いたのです。
きっと届くはずだと。

忙しない私とご主人さまとは別の、がさっという音が聞こえて、ご主人さんが慌てたように振り返ります。
A子ちゃんはスッと背もたれを外して、こちらの方をぼーっとした表情で見ています。
起こしちゃった?
ごめんね、うちの子がちょっと粗相したみたいでー、なんて散々に言われます。
A子ちゃんはそんなご主人さまの釈明を、半分聞いているようで、聞いていないようで、静かにこちらに向かってくると、私の頭をそっと撫でました。

いい曲だね。
私の頭はハートに彩られます。
ニンゲンだって、私たちだって、褒められればのぼせるのです。
でも、私が余韻に浸る間も無く、A子ちゃんはいつにもなく真剣な表情で、けれど、柔和な笑みを浮かべて、一人納得したように、うんうんと頷きました
私の頭ははてなに置き換わります。
私にはA子ちゃんの始めてみるその表情に、どんな感情が込められているかを読み取ることはできません。

ねーねー。
いつものようにご主人さまにじゃれて、おねだりをするようなしぐさで、A子ちゃんはご主人さまに顔を近づけました。
そんなA子ちゃんにご主人さまは、お酒臭いなあ、なあに、どうしたの?
なんて笑いかけます。
いつもの冗談です。
でも、A子ちゃんはいつものようではないようでした。
A子ちゃんは絶妙な至近距離を保ったまましばらく動きません。
ご主人さまの顔が、困惑に満ちています。

私、知ってるよ。
A子ちゃんは唐突にご主人さまに言いました。
私、知ってるよ、貴女がいつも私にキスしてくれたこと。
A子ちゃんはまるで隠していた思いを打ち明ける様な震えた声で、でも笑顔だけは取り繕いながら、ご主人さまに近づきます。
ご主人さまはと言えば、何も言いません。
何も言えないのでしょうか。
私と同じくらい、むしろ、私よりも頭が追い付いていないかのように、ぽかーんとしています。
けれど、気が付いたのでしょう。
ボンっとご主人さまの頭から湯気が出てしまいそうなくらい、ご主人さまは真っ赤でした。

どうして言ってくれなかったの?
言えるわけないじゃん。
それはどうして?
おかしいじゃん。
何が?
私たち、女同士だよ?
……でも、我慢できなかったくせに。
……。
我慢できずに、お酒に酔って潰れた私と、いつもキスしていたくせに。
……ごめん。
いいよ。
だから、これは、お返しだから。

私に聞こえるか、聞こえないくらいのこそこそ話の後。
A子ちゃんはご主人さまにそれをしました。
いつもご主人さまがやっているよりもずっと長く。
いつもA子ちゃんがされているよりもずっと深く。
ご主人さまの目はまん丸で、A子ちゃんは静かに目を閉じていて。
普段のご主人さまと全く逆になってしまった状態。
私はてっきり自分の頭の上にビックリが出ると思っていたのですが、全然出ませんでした。
きっと、そう言うことなのでしょう。

ご主人さまが泣き出して、A子ちゃんも釣られて泣き出します。
えーんと泣いているというよりは、少し難しくて、分かりにくい表情をしています。
嬉しい、良かった、安心した、好き、大好き、という沢山の幸せを花束にして貰ったような少女の幼くてあどけない顔が私には印象に残ります。

きっとご主人さまも、A子ちゃんも。
そして、私も、今日この日のことをきっと忘れないでしょう。

今思い返してもあの日はちょっとした非日常体験でした。
もちろん翌日の私はまた日常に舞い戻ってきました。
結局、私の悪戯は不問になりました。
代わりに、ご主人さま提案で私たちのコミュニティーでたまに演奏会を開くようになりました。
参加者自由、開始時間自由、持ち物自由。
それでも沢山のニンゲンや私たちのお仲間が来てくれます。
ピアノの彼も、毎回、必ず来てくれます。
最近は態度も幾分マシになりました。
たまに調子に乗って素が出そうになると私の仲良しさんに威嚇されて、何処かに逃げていきますけれど。

ご主人さまは最近、A子ちゃんの代わりに、私が寝るのを待つようになりました。
何か怪しいです。
きっと、私が知らない何かを、ご主人さまとA子ちゃんは話したり、したりしてるのです。
解き明かしたい。
暴きたい。
なんならその情報をコミュニティ内に広めたい!
……そうは思うのですけど、やっぱり夜九時には私は耐えがたい睡魔に襲われて、ご主人さまにいざなわれるがままに、脇にある小さいベッドに寝かしつけられました。
おやすみ。

……いやだ、まだ寝たくない。
という微かな願いは届かず、意識は深く深くへと潜っていきます。
夢を見る時間です。
どこからか、曲が流れてきます。
力強い声で、甘く、切なく、歌い上げるニンゲン。
寸分の狂いなく、けれど情熱をなみなみと楽器に注ぎながら演奏するニンゲンたち。
喩えヘタクソでも、そんなニンゲンを羨みまねごとをする私たち。
そして、それらを観客として聞き惚れる、私たち。

‘‘‘
When every heart joins every heart
and together yearns for liberty,
That's when we'll be free.
心を重ねて解放を願おう 自由のために

When every hand joins every hand and
together moulds our destiny,
That's when we'll be free.
手を繋いで運命を築こう 自由のために

Any hour any day, the time soon will come
when men will live in dignity,
That's when we'll be free.
互いを尊敬し称えよう 自由のために

When every man joins in our song and
together singing harmony,
That's when we'll be free.
共に歌い音色を奏でよう 自由のために

Hymn To Freedom.
自由への賛歌
‘‘‘

きっと、今日はいい夢が見れるはずです。
なんとなく、そんな気がするのです。
引用なし
パスワード
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