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「血反吐を吐くほど」って表現がある。
それくらい苦しいけど、だけど努力したんだって。
そう語る人がいる。
血を吐いたことはない。
だけど努力はしてきた、一応。
でも私の努力を人が納得できる形で表現することはたぶん難しくて。
実際のところどれだけの努力をしたのか、自分でもわからないんだ。
私はどれくらい歩いたのだろう。
走っていたのだろうか。
わからない。
それだとなにも努力していないのと同じことなのかな。
なんの成果もない人はなんの努力をしていないのと同じ。
そんなふうに見られている気がするんだ。
まるでなにもせずに生きていたみたいな、そういう扱い。
だけどさ。
息を吸って吐くだけの日常なんて、あり得ないじゃんね。
そんな毎日、退屈でやってられない。
それでもし、そんな息を吸って吐くだけみたいな日常の中でもし血を吐いたら。
誰かが見つけてくれていたのかな?
血を吐いたことはない。
一度も。
どれだけ苦しくても痛くてもそうそう血が出るものじゃない。
子どもの頃は病気がちだった。
よく熱を出して寝込んでいた。
でも寝ていれば平気なくらいの熱だった。
大したことのない病気。
血を吐くはずもない。
結核は昔は深刻な病気だったらしい。
少し前の時代が舞台の物語だとよく登場人物がこれで亡くなる。
せき込むと手が血に濡れて、それでもう先が短いことを悟るのだ。
でも今はそうじゃない。
薬を飲めば治せちゃう。
予防もできる。
BCG接種という結核の予防接種があるのだ。
いわゆるハンコ注射だ。
ハンコ注射の痕が残る人もいる。
規則的に並ぶ九つの点の痕。
あまり綺麗な見た目と思われないようだ。
痕が残った人はそれを消したいと語る。
だけどその痕は結核から身を守るワクチンの証だと思えば、気に入るかどうかは別として、意味のあるサインと思える。
私の腕にハンコ注射の痕はない。
接種をした記憶がない。
私の記憶にあるのは一つの場面だ。
小学校でBCG接種のためにお医者さんが訪れた。
私たちは一年生か二年生かで、いくつかの列を作って注射の順番を待っていた。
私はふと、自分が正しい列に並んでいるのか不安になった。
このまま列に並んで接種を受けていいのだろうか、と考えた。
並ぶ列を間違えたと思ったのか。
あるいは、先生が口にした注意の言葉を自分のことと捉えてしまったのか。
とにかく私は自分が間違った列にいると思った。
列に並んだままでいると取り返しのつかないことが起こるかもしれない。
だから私は列から外れてしまった。
列から外れたまま、私は接種を受けられなかった。
私は今も列に並べない。
みんながこの列に並ぶといいよと言う。
そうするべきなのだろうと私は理解できる。
だけど列に並んでいるとどうしようもなく不安になって、列から外れてしまう。
あの日からずっとそうなのだ。
いつも最後まで列に並んでいられない。
大学受験を全うできない。
仕事のある生活に馴染めない。
当たり前の生き方ができない。
みんなが並んでいる列、みんながここに並ぶべきだと言う列、そこに私は大人しく並んでいられない。
不安に襲われて、逃げたってなにかが良くなるわけでもないのに、でも不安に打ちのめされて列から外れる。
いつも、そうなる。
そして並ばない私だけ取り残されて、みんなは列の向こうへ進んでいく。
それをただ見ている。
列に並びなおすこともできず、外れたまま。
いつも、そうなる。
たぶん私の体を流れる血液には、人の世界を生きる上で必要な免疫が欠けている。
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