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ろっどの物語2バトル ろっど 18/9/24(月) 22:21
一章 きっかけ ろっど 18/9/25(火) 18:57
二章 あらすじ ろっど 18/9/26(水) 22:02
三章 つづきから ろっど 18/9/29(土) 13:10
四章 挫折 ろっど 18/9/30(日) 22:38
五章 DARK ろっど 18/10/1(月) 19:29
六章 夢 ろっど 18/10/2(火) 20:59
終章 さようなら ろっど 18/10/3(水) 22:08
感想コーナー ろっど 18/10/3(水) 22:10
Re(1):感想コーナー スマッシュ 18/10/4(木) 2:28
感想ありがちょ ろっど 18/10/4(木) 5:45
感想です。 ホップスター 18/10/5(金) 8:07
感想ありがとうございます! ろっど 18/10/5(金) 10:58
感想、及び、帰らざる日々についての短い考察。 それがし 18/10/7(日) 23:33
感想ありがとうございました! ろっど 18/10/8(月) 2:49
感想 だーく 18/10/7(日) 23:41
ありがとう ろっど 18/10/8(月) 2:59
Re(1):感想コーナー チャピル 18/10/9(火) 0:23
ありがとうございます。 ろっど 18/10/9(火) 1:19

ろっどの物語2バトル
 ろっど  - 18/9/24(月) 22:21 -
  
ろっどの物語は終わりました。

いつ終わったのか分かりません。でも、今はろっどの物語を生きてはいません。

主人公はいつの間にかぼくではない別の誰かになってしまっていた。

ぼくの人生には守るべきヒロインも、立ち向かうべき巨悪も、お互いを高め合うライバルもいないのです。

退屈な毎日の中に、わずかな楽しさがあります。

もっとすごい人間になるつもりでした。

未来は希望と情熱に満ち溢れていると思っていました。

これは、ろっどが正義のヒーローからただのサラリーマンになるお話です。
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一章 きっかけ
 ろっど  - 18/9/25(火) 18:57 -
  
ろっどの物語を書くことになったのは「相互理解」のためです。

当時、我々は頻繁にオフ会を開催していました。

「何のチャオ小説を書いたら面白いだろうか?」という話の中で「自伝を書こう」という話が出ました。ダークさんが言い始めて、ぼくが話を大きくして、チャピルさんが「ろっどさんが書いたらいいんじゃないですかねー」と無茶振りをして来た。そんな流れだったように思います。

それがしさんの書いた「爆誕!次世代チャオブリーダー! 〜それがしの実家編」もその流れを作り出した要因のひとつだったはずです。

ぼくは無茶振りに応えるのが好きでした。自分の力を感じられるからです。

更にぼくは信念のある他人が大好きだったので、お互いのことをもっとよく知るために自伝を書くことにしました。

ぼくが最初に書くことで、あとに続くものがあればいいなあと思ったのです。

結果的にはいませんでしたが、ろっどの物語という作品を元に色々な話ができたので書いてよかったなと思います。

本来の目的であった「相互理解」に成功したということです。
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二章 あらすじ
 ろっど  - 18/9/26(水) 22:02 -
  
ろっどの物語! これまでのあらすじ!

ろっどの物語は、主人公が過酷な家庭環境で生き抜くために「自分を作る」能力を身に付けるところから始まります。

孤独な学生時代を送るろっど……(大半は自業自得です)。

彼は多くの人と出会いその価値観を吸収し、少しずつ情緒を育みます。やがて覚醒しその殻を破り、真の自分を解き放ち情熱と信念を新たにしたのでした。

覚醒とは自分を追い込み、その反動で実力以上の力を発揮することです。

レベル上げも怠りませんでした。自分と向き合って、足りていないものを身に付けて行きました。

少しずつ自分をコントロールする術を身に付けて行きました。

そして、二十年少しを生きて「友達が欲しかった」ということに気付く。

そういう物語です。

(ちなみにこの「自分を作る」能力は心理学用語で「セルフモニタリング」というらしいです。自分のオリジナルだと思っていたものが実は大きなカテゴリーの一部でしかなかったと気付いた時にぼくの受けた衝撃がどれほどのものだったかは……)
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三章 つづきから
 ろっど  - 18/9/29(土) 13:10 -
  
さて、ろっどの物語には続きがあります。

色々あってチャオBBSという枠の中から飛び出してSplatoonという大きな海に飛び出したろっど。

もっと自分の力を試してみたい。

自分の情熱と信念がどこまで通用するのか確かめたい。

その一心で勝ち負けが全ての世界に臨みました。

青春ですね!

しかしそこは、ぼくの思っていた世界とは違うものでした。

その話をするためにはまずシトラという男の話をしなければなりません。

Splatoonにおけるぼくにはライバルがいました。

それがシトラです。

彼は優れたSplatoonプレイヤーがでした。

彼と競い合うことで、いつしかぼくたちは才能ある者たちだけが辿り着くことのできる舞台で戦うに相応しい実力を得ました。

そしてぼくたちは強者たちを倒し、優勝したのです。

ところがシトラは直後、舞台から降りてしまいました。

きっかけは――今にして思えばつまらないトラブルだったように思います。

突き詰めれば負け犬の遠吠えが思ったより大きかったという話でしかありません。

彼の心が折れた原因は「民意」でした。

正体の分からない敵を前にして、ぼくは何もできませんでした。

個人が敵であれば理屈でねじ伏せればよいでしょう。ですがその時の敵は「彼を糾弾する集団」が生み出す「民意」でした。

とある人が言いました。「喧嘩している相手と仲良くなるのが一番」だと。

でもぼくの信念は異を唱えました。

「間違ったことをしているのは相手の方なんだから、相手が改めるべきだ」

そのぼくの信念は「戦う相手のいない」状況では無力でした。

シトラはいなくなり、ぼくは1人になりました。

もちろん一緒に遊んでくれる仲間はたくさんいました。ぼくの実力を認めてくれる人もいっぱいいました。

ただ、心に決めた相手がいなくなっただけなのです。
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四章 挫折
 ろっど  - 18/9/30(日) 22:38 -
  
それからしばらくして、Splatoon2が発売されました。

様々な人がいました。新しいゲームを受け入れられない人、新しい環境に挑んで行く人、違和感を覚えながらも続けて行く人……

ぼくは情熱と信念をもって新しい環境に挑んで行く者のひとりでした。

しかし様々な環境を経るたび、違和感もまた増えて行きます。

どこへ行っても1人であるという違和感です。

Splatoonという大きなコミュニティの中には、複数のグループがあります。チームと言ってもよいでしょう。

ぼくはどこにも馴染めませんでした。

もちろんぼくの人間性の問題もあるでしょう。もっと根気強く探せばどこかしらにあるのかもしれませんね。

ただぼくは仲が良い人が1人でもいればよいのです。本心から情熱を共有でき、お互いの信念を尊重できる相手が、たった1人で良いから欲しかった。

でもそんな人はいませんでした。

薄っぺらい関係に違和感がありました。どこへ行っても何かが違いました。誰とチームを組んでも、1人でゲームをしている時と何も変わらなかった。

チャオBBSというコミュニティから人が減った理由のひとつは、一部の人の行き過ぎた信念がその場所を「居心地の悪いもの」にしていたからです。

ルールがあって、マナーがあった。

それを強要する空気があった。

一概にそれが悪いとは言いません。ルールやマナーがあることでチャオBBSは独自の文化を築けたし、たとえ風潮が変わっても新作の提供されないチャオ・コンテンツが滅ぶのは時間の問題だったでしょう。

ですが信念とは他人との関わりにおいて邪魔になるのです。

時には言いたいことをぐっと呑みこまなければならない。目を瞑らなければならない。都合の悪い話には耳を塞いで、嫌なものには関わらないようにしなければならない。

全てと正面から向き合うことは、「信念」を持って生きることは疲れるのです。

だからぼくは信念を捨てました。

信念を持って生きることは疲れるのです。

情熱さえあれば自分らしく生きられると思ったからです。

薄っぺらくても安易な楽しさに身をゆだねればそれで丸くおさまるのです。

なんてすばらしい人生でしょう! つまらない争いもなく、心は常に穏やかで、まわりの人たちに存在を肯定される。

誰も傷付かないで済む、みんなが仲良しでいられる。

信念を捨てた先に待っていたのはそんな美しい世界でした。

そして、ぼくは「覚醒」を忘れたのです。
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五章 DARK
 ろっど  - 18/10/1(月) 19:29 -
  
ろっどは暗黒時代に突入しました。

覚醒ができない。

それは今まで一度もなかったことです。

ぼくを特別な人間たらしめているのは、ひとえに「覚醒」があったからです。

それが使えないろっどは逆境を力に変えることができない。

しかし悲観はしていませんでした。

必殺技の封じられた主人公。それが当時のぼくの立ち位置だった。いずれできるはずだ。自分を追い込んで、それをバネにする。

「覚醒」とはそもそも何だったのでしょうか?

覚醒している時、ぼくは不思議な万能感に包まれています。何でもできる。絶対にできる。どんな困難でも乗り越えられる。

あまり自信のない状態から、一気に自信に満ち溢れている状態に変化する。

100%集中するための自己暗示のようなものなのかもしれない。

逆境の最中、折れそうな心を奮い立たせて立ち上がった時、ぼくは誰にも負けない自信を身に付けます。

だから、今回もそのサイクルのひとつだろう。

ところがいつまで経ってもできるようにはなりませんでした。

「覚醒」さえ使えればもっと活躍できるはずだ。今の俺は必殺技が使えない状態で戦っているだけだ。

だけど、本当にそうだろうか?

「覚醒」なんて最初から存在していないんじゃないか。今の自分は常に実力を発揮できている状態なんじゃないのか。

そんな焦燥とは裏腹にSplatoon2では実績を積み重ねて行きました。

準優勝、準優勝、そして準優勝。優勝はできなかったものの、安定して大会で入賞することができました。

いつしかぼくはSplatoonというコミュニティにおいて「少し名前の知れた存在」になっていました。

だけど覚醒はできるようにはならなかった。

かつてあれほどあった情熱が、薄れて行くのを感じていました。

色々なものに触れて感動しては影響を受けて、次々と新しいものを身に付けて行くはずの「ろっどの物語」は、信念を捨て情熱が薄れたことにより途端に失速します。

気が付いた時、ぼくはただ偏屈なだけのサラリーマンになっていました。
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六章 夢
 ろっど  - 18/10/2(火) 20:59 -
  
あるいは、元からそうだったのかもしれない。ぼくは元から主人公なんかじゃなくて、偏屈で惨めな男だったのかもしれない。

そしてそれは、チャオBBSにいた頃から何も変わっていない。いや、ぼくだけが勝手に独り善がりになって、変わったと思い込んでいたのでしょう。

覚醒というありもしない幻想に浸っているつまらない男。

なるほど、そう考えると全て辻褄が合う。そう思いました。

納得してしまったのでした。

納得すると受け入れるのは容易いものでした。ぼくは惰性でSplatoon2を続けていました。惰性で続けていても習慣というのは恐ろしいもので、ぼくの実力は遺憾なく発揮されました。もちろんいずれ情熱が尽きることは分かっていたけれど、分かったところでどうしようもないのでした。

情熱が薄れると同時に、ぼくの精神は穏やかになりつつありました。まず首を突っ込まなくなって、向こう見ずな行動力が消えました。

ふと立ち止まって見ると不思議なもので、段々視野が広がって、自分を遠くから見ることができるようになって、色々な人の考え方が分かるようになって行くのです。できることは増えた。たくさんのことを知った。けれど知れば知るほど、分かれば分かるほど「新しいこと」に感動しなくなって行く自分に気が付いて、それでも抗うことはせずに受け入れた。

だって俺はそんなにすごい人間じゃないから。

Splatoon甲子園で優勝という目標を達成し、それでも尚、新たに情熱が芽生えることはありませんでした。

情熱も忘れたのでした。

変化や進化を微細に感じ取り、その全てに感動し情熱に換えていたはずでした。逆境を覆すことに使命感さえ覚えていました。でも知っているものをつまらないと感じるようになりました。

大人になったのかもしれません。

ただ、こんなにつまらない人間を大人と呼ぶのならぼくはずっと子供でいたかったなと思います。

夢中であることをやめてしまえば、人生はあんまり楽しくない。

中学生の頃、ぼくはチャオ小説を書くのに夢中でした。

ぼくたちはなぜチャオ小説を書いていたのでしょうか。

流行りだから? そうかもしれません。

小説が好きだから? そうかもしれません。

色々理由はあります。

ぼくの場合、一番大きな理由は「人気者になりたかった」ということなんじゃないかなと思います。

チャオBBSには夢がありました。面白いチャオ小説を書くことで、それが成し遂げられると思った。

でも今、ぼくはチャオ小説に夢を感じていません。

その事に気付いた時、ろっどの物語は終わってしまったのかもしれない。

時折そんなふうに思います。
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終章 さようなら
 ろっど  - 18/10/3(水) 22:08 -
  
ところがどっこい、ろっどの物語が終わってもぼくは生きてます!しかも以前より遥かに楽しい!

たぶんぼくはSplatoonには飽きてしまった。チャオ小説にも飽きたんでしょう。

みんなもそうじゃないかなって思います。ぶっちゃけチャオ小説、飽きましたよね? だって古臭いし、長いし挿絵も付いてないし?

もう見たものって飽きるんですよ。つまらないなって感じるんです。それって自然なことだなって思います。新しいものにだけ面白さを感じる。

だけど友達って飽きないんですよ。新しくなくても飽きることはない。不思議ですよね。

チャオBBSの話って、いつでもいつまでもできる。しかも楽しい。それって不思議ですよね。

たぶんそういうことなんだなって思います。

ゲームやチャオ小説には飽きても、飽きない人たちがいて飽きない場所がある。

思い出に浸っているだけと言われればそうなんでしょう。

ですが思い出はいくら食べてもなくならないし、ずっと美味しい。

だからチャオBBSを飽きるまで食べ尽くそう。

そうしてようやくぼくはチャオBBSから卒業できると思うのです。

ろっどの物語の主人公「ろっど」は、かっこよくて強いです。信念を曲げず、情熱を貫き通せる男。

ぼくは昔からかっこいい人になりたかったのです。ろっどの物語では色々な理屈をこねていますが、結局のところその一点に尽きます。

かっこよくて、物知りで、周りの人を楽しませるような面白い人になりかたかった。

それと比べたら今のぼくはつまらなくなったと思います。

でも、好きなものを好きと言えて大切にしたいものを大切にできる今のぼくが、ぼくはあんまり嫌いじゃないです。

欠点に目を瞑ったり、他のものに目を向けなかったり、そうして得られた「好き」に価値はないとかつて主人公は語っていました。全てと向き合って、自分の意志で選び取ったものにこそ価値があると。

ごめんね、ろっどさん。そういう堅苦しいのはもうやめました。だけどぼくはぼくが変わったとは思っていません。情熱も信念もない、主人公とは呼べないつまらない男だけど、情熱と信念だけがぼくの全てではなかったのです。

いずれ主人公のろっどに力を借りる日が来るかもしれません。覚醒という技が再び使えるようになる日が来るかもしれない。でもそれは今じゃない。

だからさようなら、ろっどの物語。そしてオーロラロッド。ぼくはチャオBBSから、青くて丸いあの星に帰ります。
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感想コーナー
 ろっど  - 18/10/3(水) 22:10 -
  
ろっどの物語を書くことは容易いのに、小説を書くことは難しい。
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Re(1):感想コーナー
 スマッシュ  - 18/10/4(木) 2:28 -
  
2014年に投稿されたろっどの物語は、
とっても感想が書きやすかったです。
(僕は書いていなかったけど)

だって「ろっどさんってやっぱヘンだわ」って言えたから。
でも2のろっどさんはあんまりヘンじゃなかったです。

あれから4年経って投稿されたろっどの物語2は、
なんと言っても文章量が少なくて、悲しかったです。

日頃「小説書けねえ」って言っているのが、
謙遜でも嘘でも怠慢でもないことが伝わってくるようでした。
相当深刻な状態になっているのだなあと感じさせました。

書けない人は書けないのだと、
ごくごく最近になって私は理解できるようになりました。
ここ1,2ヶ月のことです。

それまでは、書けないなんて悪い冗談でしょう、と思っていました。
特にチャオラーに対してはそういう気持ちでいました。

だってチャオラーは、
昔あほみたいに冒険ものとかを長々と書いていたから。

さらに一部のチャオラーは、
skypeで腕を磨き合ったり、
鍛錬室とか超チャオ小説とかやったり、
なにかを書いて毎日を過ごしてきたから。

それがしさんだって、
やる気を出すとあっという間に小説を書きます。
面白くて読み応えある小説を、今でも書いてくれます。

だから、
ろっどさんもホップさんも小説書けないとか言っているけれど、
「書けば書けるでしょ」って思っていました。

思っているというより、
それが当たり前のことと認識していました。

でもそうではなかったみたいですね。
本当に書けないんですね。

僕は「書けば書ける」人間です。
それが誤解のもとだったのかもしれません。
僕は「書けない」という感覚を忘れるほどに成長しました。

スランプに陥っていても小説をすらすら書けるほどです。
そうそう、自覚はないのですが、
どうも僕は今年前半スランプに陥っていたらしいです。

冷静に振り返ってみると、デスandトモを書いていた辺りは、
以前よりも文章が薄っぺらいみたいです。

しかし当人にスランプの自覚は全くありませんでした。

だって書こうと思えば、すらすらと文章を書けたから。
自覚症状なく、文章の切れ味は鈍っていたけれど、
書けないなんて状態は存在しませんでした。


僕以外のチャオラーも「書けば書ける」人だと思っていました。
でもそうじゃないのかもしれない。

ろっどの物語2を読んでいると、
そう意識せずにはいられなくなりました。

過去につちかった文章力はそのまま保たれていました。
以前と変わらず親しみやすい文章だと思います。
でもところどころの墨の薄さを感じてしまいました。
本当はもっと黒々と語ることができるけれど、
墨をするのを途中でやめちゃっているように感じたのです。
まだ固形墨を懐に残しているだろっていう気配がありました。

2014年のろっどの物語で僕が一番素晴らしいと思ったのは、
明らかに墨をすりすぎなところです。
普通の人は、そんなにすることができないというレベルで、
ろっどさんは過去に精製した墨をすりまくっていました。

僕がろっどの物語に続けなかったのは、
ろっどさんほど墨を作っている気はしないし、
せっかく作られた墨だってどっかに忘れてしまっていて、
もう見当たらなかったからです。

ろっどさんは小説を書かなくなっても、
splatoonで墨をすっているように見えました。
その意味では、僕は安心していました。
そしてろっどさんがsplatoonで活躍することをすごく祈っていたように思います。

なのでろっどさんがsplatoonでも挫折したことは非常に残念です。

同時に僕がsplatoonに触れる理由もほぼ0になりました。
そこはほっとしています。
僕自身は、splatoon2が発売されるより前にsplatoonをやめるべき人間だったと思っています。

splatoonはろっどさんの戦場であっても僕の戦場ではありません。
そのことを、本当はずっとずっと前からわかっていたはずでした。

それでも、
「チャオラーみんなでやったら楽しい」とか、
「自分だってチャオラーだから、チャオラー並みに上達するはずだ」とか、
そんな感じの幻想が僕にsplatoonをプレイさせました。

でも僕という人間は「書けば書ける」であって、
「書けば書ける」のために生きるのがすごく楽しい人間でした。
その欲求を抑えることになるほどの時間を、
他のいろいろに割いても全然気持ちよくないのでした。

そのことに薄っすら気づいていながら、
幻想を捨てられなくてsplatoonをやっていました。

幻想を真実にできればよかったのでしょうけれど、
真実に変えられるほどの時間をsplatoonに捧げる覚悟なんて、
僕には全然なかったのです。

僕の幻想ははたして打ち砕かれた……
これは正しい表現ではありません。
むき出しの幻想がガラスケースの中に収められた。
ただそれだけです。
でも手を伸ばしたところでどうにもならないとわかる状態にはなりました。
そのことが僕をとても安心させます。
本当は僕自身が、何年も前にガラスケースを持ってこなくちゃいけなかったんですけれども。

だけどここまで書いてみて、
僕にはまだむき出しの幻想があることに気づかされます。
いくらろっどの物語2で現実を見せつけられたところで、
やっぱり僕は他人のことも「書けば書ける」ふうに見えてきてしまいます。

誰がどんなに否定したって、
僕の目には誰も彼もが「書けば書ける」に見えるのでしょう。
そして、書くのがうまくなればなるほど、その錯覚は強くなるのだと思います。

僕は、この「書けば書ける」の幻想の中で生きます。
でもこの感想の締めだけは、幻想ではなく現実について書こうと思います。

今、僕がこういった感想なりブログ記事なりで、
簡単に心の墨をすって書くことができるのは、
ろっどさんのやり方を吸収したからです。
ありがとう、ろっどさんのおかげで僕は当分物語の中です。
引用なし
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感想ありがちょ
 ろっど  - 18/10/4(木) 5:45 -
  
>あれから4年経って投稿された>ろっどの物語2は、
>なんと言っても文章量が少なくて、悲しかったです。

ぼくも悲しいです。

>僕は「書けば書ける」人間です。
>それが誤解のもとだったのかもしれません。
>僕は「書けない」という感覚を忘れるほどに成長しました。

そう思います。

>僕以外のチャオラーも「書けば書ける」人だと思っていました。
>でもそうじゃないのかもしれない。

そうですね。書けば書けるの範囲にもよりますが、毎日1時間小説を書く生活を2週間くらい続ければ書けるようにはなると思います。そこまで情熱がないだけです。書けないというのは半分言い訳です。
燃料不足だと思います。

>まだ固形墨を懐に残しているだろっていう気配がありました。

yes!
ただ半分くらいの墨は保管してあったはずの場所を忘れちゃいました。
もちろんもう半分は残してあります。

>そしてろっどさんがsplatoonで活躍することをすごく祈っていたように思います。
>なのでろっどさんがsplatoonでも挫折したことは非常に残念です。

ぼくもスマッシュさんが文章の世界で活躍するのを楽しみにしています。挫折したら悲しいです。

>splatoonはろっどさんの戦場であっても僕の戦場ではありません。
>そのことを、本当はずっとずっと前からわかっていたはずでした。

ぼくもそんな感じの夢を抱いていました。
チャオラーと同じ戦場で戦うことは、ぼくにとってはコスパが良いのです。
だってそれこそ10年くらい前、みんなチャオ小説という戦場で戦っていた。そんな人たちと新しい戦場で肩を並べて戦う!想像するだけで心が震えます。
でも情熱を傾けられるものって人によって違う。
そのためにいなくなった人もいる。だから寂しいけど、ぼくは今のチャオラーの在り方が結構気に入っています。
その情熱の行く先が、たまにで良いからぼくの情熱の行く先と交わってくれたらいいなと思います。

>そんな感じの幻想が僕にsplatoonをプレイさせました。

お前そんなこと思ってたのか。

>でも手を伸ばしたところでどうにもならないとわかる状態にはなりました。
>そのことが僕をとても安心させます。

スマッシュさんの文章、今回バシバシ刺さってるんですけど、ここが一番ぶっ刺さりました。
ぼくも何年も前にガラスケースを持って来なくちゃいけなかった者の一人です。
まあぼくの場合はガラスケースじゃ強度不足だったでしょうね。

>誰がどんなに否定したって、
>僕の目には誰も彼もが「書けば書ける」に見えるのでしょう。
>そして、書くのがうまくなればなるほど、その錯覚は強くなるのだと思います。

そう、君は書けない人の気持ちを理解する必要なんてない!
人格トレース能力に関して、ぼくがここ数年で得た答えは「理解すると近付く」です。
陸に上がった魚の気持ちを理解すれば、その魚はもう海では生きられません。

>ありがとう、ろっどさんのおかげで僕は当分物語の中です。

今回スマッシュさんの感想を読んで、ぼくは「すごいなあ」と思いました。相手に合わせたやり方で感想を書いているからです。
でも「すごいなあ」と思ってしまったことに少し悲しくなりました。
「すごい」って遠い言葉です。ぼくは文章というものから(自分が思っているよりもずっと)離れすぎてしまったのかもしれない。
そうじゃねーよ!と。
それは違うだろ!と。
俺の方が正しい!と。
スマッシュさんの強さや正しさに対抗心を燃やせない。
スマッシュさんのレベルが上がったからというのもあるでしょう。でもたぶん、ぼくは負けを認めるのが上手くなったんだと思います。ぼくの強さって負けを認めないところにあったような気がします。だけど白旗をあげるようになった。白旗を赤く塗り潰して焦土戦仕掛けるような人間だったのに。
この白旗は自分で自分の限界を決めた人に一生付きまとう幽霊みたいなものなんでしょうね。
だからスマッシュさんの白旗は全部赤く塗り潰してガラスケースに仕舞っておこうかなと思います。お前に逃げ道はないのだ。
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感想です。
 ホップスター  - 18/10/5(金) 8:07 -
  
読みました。
スマッシュさんは「文章量が少なくて、悲しかったです」と仰ってましたが、私にとってはこれぐらいの文章量が読みやすくてちょうどよかったです。

ひょっとしたら、私も「書けない側の人間」だからそう感じるのかも知れません。


先日オフ会で3年半振りぐらいにろっどさんに会いましたが、外見や雰囲気は確かにろっどさんなのですが、以前と比べて少し何かが変わったかな、と思いました。
その時は微妙な違和感を感じるに留まったのですが、こうしてこのお話を読んでなるほど納得しました。
私がチャットルームに2年ほど出入りしていなかった間に、こういうことがあったんですね。


私はスプラトゥーンというゲームをやったことがないので、どういうゲームでどういう雰囲気なのか詳しい事は分かりませんが、このお話に限らずろっどさんや皆さんの発言などから推察するに、かつて私やスマッシュさん(そして数多のプレイヤー)が15年以上前にPSOで体験した、オンラインゲーム黎明期の雰囲気が感じられるものなのかな、と思いました。
任天堂ハードでヒットしたタイトルですから、これが初めてのオンラインゲームという人も多かったのでしょうし、それがひょっとしたら2001年に発売したゲームのコミュニティに未だに残り続けている我々に通じるものがあったのかも知れません。
とすれば、ろっどさんがスプラトゥーンという大海に飛び込んだのは、ある意味必然だったのでしょう。
#この辺は全部推測なので、私の予想は大外れなのかも知れませんが…


>ゲームやチャオ小説には飽きても、飽きない人たちがいて飽きない場所がある。

この一文で、ふと週チャオの「原点」を思い出しました。
かつて、ゲームのチャオ育成には飽きてしまったけれど、チャオBという『飽きない場所』に居続けたい人がチャオ小説を生み出し、やがて週チャオというフォーマットが出来上がりました。
正直なところ、私もチャオ育成なんてあまりやってなかったにも関わらず、チャオBというコミュニティに惹かれ、飽きないまま19年が経とうとしています。
(いつぞやの感想コーナーでも話した記憶がありますが、私は比較的飽きにくい性格というのもありますが)


私は小さい頃から、自分が主人公だと思ったことは一度もなくて、逆に「自分はきっと最後はホームレスになって飢え死にするんだろう」なんて思ってたぐらいの人間でした。
(こう思うに至るには他にもいくつか理由があったのですが、それは置いておきます)
だから、ろっどさんの物語がとても輝いて見えますし、物語の主人公ではなくなってしまった今でも輝いて見えます。だって、主人公じゃないのにスプラトゥーンの大会で準優勝できるなんて、すごいじゃないですか。ポケモンアニメのサトシなんか、主人公なのに大抵ポケモンリーグはベスト8ぐらいで負けてるのに。

だから、私としては、「主人公じゃなくなってしまった」ろっどさんがこれからどういう物語を繰り広げるのかとても気になります。
なので、数年後、「ろっどの物語ヒーローズ」が投稿されるのを楽しみにしています。
(ワールドアドベンチャーとか、カラーズとか、ジェネレーションズとか、ロストワールドとか、フォースとかでも構いません)


なんだか取り留めがなくなってしまいましたが、このあたりにて。
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感想ありがとうございます!
 ろっど  - 18/10/5(金) 10:58 -
  
>スマッシュさんは「文章量が少なくて、悲しかったです」と仰ってましたが、私にとってはこれぐらいの文章量が読みやすくてちょうどよかったです。

最近は小説もコミックも「省エネ」時代ですからね。
ぼくはボリュームが欲しくなっちゃいますが、気軽に読めるって意味ではこのくらいの文量がベストなのかもしれません。


>先日オフ会で3年半振りぐらいにろっどさんに会いましたが、外見や雰囲気は確かにろっどさんなのですが、以前と比べて少し何かが変わったかな、と思いました。

ひょっとしてそれはぼくの右目の網膜が剥がれていることと何か関係が!?

>とすれば、ろっどさんがスプラトゥーンという大海に飛び込んだのは、ある意味必然だったのでしょう。
>#この辺は全部推測なので、私の予想は大外れなのかも知れませんが…

ホップさんに言われてみて初めて考えたんですけど、確かにそうかもしれません。
splatoonのコミュニティがいわゆる「黎明期」にあたることは認識していました。ただぼくがそこに魅力を感じたのって、「あの時のチャオB」に魅力を感じていたからかなって思います。
そして馴染めないのもまた必然かなと。強くてニューゲームならぬ年食ってニューゲームしたぼくは、どう足掻いても他の「ニューゲーム組」とは足並みが揃わない。

>私は小さい頃から、自分が主人公だと思ったことは一度もなくて、逆に「自分はきっと最後はホームレスになって飢え死にするんだろう」なんて思ってたぐらいの人間でした。

この話はいずれホップの物語で語られる、という解釈で間違いないでしょうか?

>だから、私としては、「主人公じゃなくなってしまった」ろっどさんがこれからどういう物語を繰り広げるのかとても気になります。

もしかするとホップさんはぼくをだいぶ過大評価してくれているのかもしれないですね。
ぼくはオタクになりたかったと思うんです。何か一つのことに情熱を燃やして、執着したかった。でもぼくはどうにも理解すると(自分が理解した、と感じると)飽きてしまって続かない。だからひとつのことに長い時間をかけられるホップさんが妬ましいのです。
イベントが起こらない(≒起こさない)のでぼくの物語はこのまま緩やかに終息するはずですが、また何かひとつのことに夢中になれる日が来たら良いなと思っています。
その時は限界オタクの世界の果てでまた会いましょう。
引用なし
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感想、及び、帰らざる日々についての短い考察。
 それがし  - 18/10/7(日) 23:33 -
  
 読破しました。
 短い文章ではありましたが、中々考えさせられました。


 感想は以上です。


 以下、僕の駄文が続くので、見る時間が有れば見てください。


 基本的に、大概の人は、小説を書きたいから小説を書くわけでもなく、絵を描きたいから絵を描くわけでもないんだと思うんですよ。
 そこには何かしら別の理由があって、その理由を達成するために僕らは小説あるいは絵という媒体を用いて何かを発信しようとするんですよ。逆にその理由が無くなれば、僕らが小説を書いたり、絵を描いたりすることも無いわけです。

 ろっどさんの"覚醒"という言葉は、人それぞれ違う捉え方ができると思います。
 僕はそこに「僕は物語の主人公になりたい!」というろっどさん自身の想いが込められていたんじゃないかと思っています。
 だって、物語の主人公はいつだって覚醒して世界を救うじゃないですか?
 裏を返せば、覚醒ができる人がこの世界の主人公ってわけですよ。

 事実を言えばこの世界は僕らが主人公になるにはあまりにも複雑だし、あまりにも広すぎます。
 同じ学校を除くだけでも、僕より勉強できる奴も、僕より運動ができるやつも、僕よりカッコいい奴も、僕より喋りが上手い奴もごまんといるわけです。

 その中で、創作物と言うのは僕らにある種の"主人公になる権利"を与えてくれます。
 なんたって、物語や舞台そのものが自分の中で完結するわけですから、そこにキャラクターを置いて、僕らの考え方やカッコいいと思う要素を組み込んでやれば、あっという間に僕ら自身が望んだ世界が出来上がります。

 そこに限って言えば、僕らは正しく主人公です。
 その物語を例えば小説で創り上げるのだとしたら、僕らは忽ち"覚醒"して、キーボードを叩く音が夜な夜な続いていくことになると思います。
 いや、なります。
 だって、叩けば叩くほど、僕らの願いは叶えられていくわけですから。

 あるいは、僕らのような創作物だけでは物足りず、本気で現実世界で"主人公"になろうとして、(傍から見れば)変な行動を取ったり、人に疎まれるような行動に出る人もいたでしょう?
 いわゆる中二病っていう奴です。
 僕はそうでは無かったのですが、ろっどさん自身はどうだったでしょうか?
 なんか昔話していた内容を類推すると、これにも当てはまるような気がします。

 別に、悪いとは思いません。
 だって、本質はすべて同じです。
 チャオBBSでの行動も、現実世界での行動も、すべては「僕が作った(あるいは現実世界と言う)物語の主人公になりたい!」と本気で思った、あるいはなれると信じた、芽生えたばかりの"自己顕示欲"に唆されていたのだと思います。
 仕方ないじゃないですか。
 人間ってそういうものですから……。

 そして、もう一つ話をすれば"自己顕示欲"の裏には、常に"他者による承認欲"がちらつくわけです。
 俺つえーな小説にしたって、パース崩壊の絵にしたって、誰にも見られない、自宅の秘密のノートに記していただけなら、何の問題にもならないでしょう。
 中二病にしたって、自宅で眼帯付けて、カーテンをマント代わりにしている程度なら、人にとやかくも言われないでしょう。

 でも、そこで人は必ずやらかしてしまいます。
 言い換えれば、誰かにばれてしまいます。

 何故、やらかしてしまったのか?
 それは、結局、他でも無い「誰かに見て欲しい!」という想いがあったからです。
 例え、大半が否定をしたとしても、誰かの肯定が欲しくて仕方がないから、僕らは行動を起こさざるを得なかったのです。
 
 そうして、"黒歴史"は生まれ、僕らの人生に消すことのできない黒い染みを残します。
 大学に上がって、正しく恥を知る頃には、特にこうしたことをまず深く恥じるでしょう。それこそアニメ的な表現に沿って言えば、ベッドの上で足をバタバタさせることかってあったかもしれません。

 さて、チャオBBSにはそんな"僕らが創作した僕ら自身が主人公の物語"、言い換えるなら"幼い僕らの黒歴史"がごまんと残ることになりました。

 ろっどさん的に言えば、あそこでは誰もが"覚醒"していました。
 ろっどさんは怒るかもしれませんが、僕の目から見れば、あの場所で覚醒していたのはろっどさんだけではありませんよ。
 みんな、本当に一人漏らさず、週チャオのメンバーは正しく"覚醒"していました。

 僕の要領を得ない話を総括するなら、結局のところ漫画やアニメ的な"覚醒"は僕らには無いのでしょう。
 僕らがささやかながらに持っていた"理性"や"常識"を、それを超えるくらいの"自己顕示欲"や"承認欲"が僕らの外に出てきた瞬間、それこそが僕ら自身の"覚醒"なのだと思います。

 そして、それも面と向かって同級生に発奮することは難しくても、インターネットと言う相手の顔も居場所も知り得ない"チャオBBS"というプラットフォームでは、尚更、僕らは"覚醒"しやすかったのだと思います。
 おまけに"感想"という"承認"まで得られるわけですから、僕らは否応なく、それこそチャオとは関係のないところで、チャオBBSという場所に縛られ、週チャオという制度に囚われ、青春の一部をそこに捧げたのだと思います。
 流石に言いすぎな部分もあるかもしれませんが……。

 もっとも、ろっどさんは、チャオBに限らず、もうちょっとリアルな世界でも「覚醒」していたのかもしれません。
 そこは僕は良く知らないので、想像に留めておきます。

 ――あれから、もう十年以上経つんですか。

 黒歴史なんて言うものを生み出す機会は、もうほとんどと言っていいほどに無くなりました。
 たまー、に余計な一言をつい言ってしまって口論になる機会はいくらかありましたけど、でも結局「はい貴女の言う通りです」で済ませてしまうことにしました。

 僕らは正しく"賢く"なりました。
 自分を尖らせていくより、丸めていったほうが生きやすいことを知りました。
 逆に、わざわざ生き辛い選択をできるほどの体力も徐々に衰えてきました。
 仕事をすれば、お金がもらえます。それだけで、僕らは誰かに認めて貰えることを知りました。

 偶にハマる趣味が合って、自分自身のコミュニティを広げてみます。
 その場所、その場所で主人公になりたいという欲求も無いと言えば嘘になるかもしれませんが、以前よりもだいぶ僕の体の中で落ち着いているようになりました。
 自分より上手な人がいれば、素直に称賛を送れます。
 自分と考え方が違う人がいても、それはそれで良いか、と思えます。
 誰かを超えてやろうという気も起きませんし、誰かを認めさせてやろうという気も起きなくなりました。

 覚醒、そして創作への飽くなき欲求が黒歴史を生むというのであれば。
 黒歴史がない人生は、そんな欲求がもう無い、覚醒も無い人生を歩んでいるのだということでしょう。
 ろっどさんは自分が覚醒をしなくなったとおっしゃいましたが、僕らだって、もう本当に"覚醒"は出来ないのだと思います。
 少なくとも、僕も、覚醒は出来なくなりました。

 僕の場合、小説は続けています。
 ただ、それは自己顕示欲や承認欲から離れたところで小説を書くことが好きなのだと思います。
 水に合うとでも言うのでしょうか?
 スマッシュさんもおそらく僕と同類だと思います。

 そして、小説を書くという行為を"合う、合わない"という概念で捕えようとした瞬間――僕らはそれこそスマッシュさんが言った「誰もが小説を書こうと思えば書ける」が嘘になってしまうのです。
 僕やスマッシュさんは合いました。
 ろっどさんや、他の多くの人には合っていませんでした。
 そして、大半の人は週チャオという場所を去り、残った人の多くも小説を頻繁に書くことは無くなりました。
 僕とて、書くとは言っても、せいぜい一か月に一度が最頻のペースなのです。
 週刊なんて、夢のまた夢でしょう。

 けれど、昔は、それが確かに嘘ではありませんでした。
 週チャオにいる皆が"覚醒"しているとき、誰もが当然のように時間を割いて小説を書きますし、書き続けるわけです。
 キーボードを叩き続けるわけです。
 他でも無い、自分のために、です。

 趣味でも無く。あるいは、義務でも無く。
 純粋に、それこそ正しい言葉がない以上、ろっどさんの言う"覚醒"としか言い表せないような状態で、僕らは小説を書いていたのです。
 大げさに言えば、僕らは生きるために、小説を書いていたのです。

 でも、もうそれらは帰らざる日々となりました。
 いつでもつまめて、いつでもおいしい、ただの思い出になってしまいました。

 今、僕らはとりあえず、好きなことをある程度好きなようにできる人生を各々送っていると思います。
 別に、週チャオメンバーも忽ち姿形を消したわけではないので、以前のように、オフ会と称して会うことも有ります。
 すべての自己顕示欲や、承認欲が消えたわけでもありません。僕とて、小説や絵は多くの人に見てもらいたいし、いいね!は欲しいです。感想が付いたら喜び勇んでSNSにアクセスします。
 でも、その熱量は、確かに、微々たるものしか残っていないことは実感しているのです。

 僕は僕の人生を悪い人生だとは思いません。
 今も、悪いとは思いません。
 むしろ、お給料がもらえる分、昔より色んなことを楽しめたり、色んなことができます。いろんな人と会って、色んな人の価値観を知り得ます。

 けれど、得るものがあれば、失うものもあります。
 恥を掻かないから、得られないものもあります。
 そのほとんどは、もう二度と取り戻すことができないものです。でも、悲観的になり過ぎると疲れてしまうから、僕らは諦めるということを覚えます。

 チャオB以外で青春をささげた人は、そんな青春の仲間との話の中で。
 チャオBで青春をささげた人は、そんな青春の仲間の変わりゆく姿を見る中で。

 それを知るのだと思います。
 もう僕らは、正しく"大人"になってしまいました。

 ――いや、正しく"大人"になりました!
 なったのです!!
 僕らはそれを誇るべきです!!!

 スマッシュさんは僕よりももう少しだけ、それを諦めていないのかもしれません。
 それを悪いとは思いません。素敵だと思います。

 でも、僕はもう大分諦めてしまいました。
 PCに向かって仕事をし過ぎました。
 ストレスでお酒も飲み過ぎましたし、中華料理も食べ過ぎました。
 つまるところ、デブになってしまいました。
 だから、歩む範囲も、考えるべき場所も、少しだけで良いと思えるようになっていました。連休明けの健康診断が、少しだけ怖いです。

 僕はろっどさんのそういう気づきを悲しむべきか、笑うべきかと問われれば、僕は笑うべきだと思っています。
 人生、そんなもんだと、笑って済ませる程度の話です。
 逆に言えば、悲しくなる程に感情が高ぶるには、あまりにも過去の出来事になってしまいました。

 ろっどさんは"ろっどの物語2バトル"を書いていてどのように感じましたか?

 書いてて悲しかったですか? 
 それとも、書いてて楽しかったですか?
 何も考えずに、とりあえず気晴らしに書きましたか?
 まさかこんなメンドクサイ感想が来るとは思っていませんでしたか?

 いずれにせよ。

 ――お互い歳を、取ってしまったものです。

 さて、そんなこんなですっかり感情の赴くがまま雑文を書いて、この感想を読むのもお辛いかと存じます。

 ああ、推敲なんてしないですよ?

 どうせ、数人ばかりが見る文章にそんな手間は書けませんし、週チャオに投稿したときかってそんなことはしませんでした。
 なんだか、昔、思うがままに小説を書いていた時のことを思って書いている気分ですよ、僕は。

 自分でも思いますが、相も変わらず"ぽえみー"な文章書くでしょう?
 なかなか、好きなんですよ、こういう文章を書くのが。
 もう、ろっどさんの感想なんですけど、分かってはいるんですけど、でも、今こうして書いているのは僕の尖った自己顕示欲そのものです。僅かばかりに残った、僕の剥き出しの感情をこんな感想にぶつけています。

 迷惑でしょう?
 知ってます。チャオBで散々やって来たことじゃないですか(笑

 ま、それはそれとして、また次もオフ会やるんでしたっけ?
 ご迷惑でなければまた参加させてください。
 伊豆ですか?山形の銀山温泉も良いとかいう話がありましたよね?
 温泉、最高じゃないですか。
 年寄りになりつつある僕らにはお誂え向きですよ。

 惑星オーロラロッドはその役割を終えて、ついに消えて無くなるのでしょうが、安心してください。
 青い星は、そこはそこで、中々楽しい場所ですよ。
 僕はそこに一足先についていますから、また合流したらオフ会をしようじゃありませんか。

 人生は未だ、楽しいことがいっぱいあると思います。
 少なくとも僕は、そう思っています。

 これからもよろしくお願いします、ろっどさん。

 そして、

 さようなら、"ろっど"さん。


 2018/10/07 かつてチャオBにアクセスしまくった実家の自室にて。

 ちょっとばかり中二病を気取った それがしより。
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感想
 だーく  - 18/10/7(日) 23:41 -
  
主題がろっどの物語2バトルという名前のせいか、感想コーナーで物語をバトルさせるスレになっているような気がしなくもないですが、僕はバトルせずに書かせてもらいます。


ろっどさんもちょいちょい言っていますが、元々はブログに投稿するつもりだったものということで、そういう言葉使いだったり構成だったりが目立っていますね。小説以外で文章を発信する場が特にろっどさんは多かったこともあってか、読みやすかったです。

加えて最近チャオラーの中で流行っているシリアスのものもコメディチックに描く(サブタイとか特にね)というスタンスも取り入れていて、寧ろろっどさんらしいなと感じました。
鍛錬室の頃なんかは当時よく言われていた暗喩を赤いチャオで取り入れたり、進化のかたちでは冒険ものの再来感を取り入れたり、新しい空気を取り入れるスタンスが健在で、特別変わったという印象はありませんでした。

ただ、タイトルが如何せんろっどの物語なので、前作と比較されがちですが、個人的には前作は小説で、今作はようやく普通の自伝になったのかな、と感じています。
そもそも描く対象となった期間が前作と比べて短すぎますし、テーマとしてはかなり絞られていて、それこそ別の一つの作品になっても良かったくらいです。
それが、一つの作品を書くほどの熱意がなくて、ろっどの物語という比較的書きやすい形で、ダイジェスト調も許される形式で書いた、という構図だと思いますので、こういった形になったというのは妥当なのかなと思いました。
それでも、作品の中にはっきり見える(というかいつもそのまま書いていますが)ろっどさんの主張が今回も見れて、面白かったです。

書けば書ける、という言葉を使うのであれば、多分書けば書けるのはすまさんだけだと僕は思いますし、熱意をそのレベルまで十分に掛けられない人の作品の内容に大きく振れ幅があるのは当然だとも思います。その中でも、今作は最新のろっどさんが見られたくらいの印象なので、良かったんじゃないかなと思います。内容と文章もマッチしてたしね。
ただ、昔の力も割と秘めているんじゃないかなとも思っています。
それが常に発揮されることなんて僕は求めていないので(ろっどさんに対してだけでなく)、力を秘めながら好きに立ち回ってもらいたいなと思います。秘めているものがうっかりどこかで顔出したら面白いなくらいに思っています。

ということで次回作待ってます。
引用なし
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感想ありがとうございました!
 ろっど  - 18/10/8(月) 2:49 -
  
> 基本的に、大概の人は、小説を書きたいから小説を書くわけでもなく、絵を描きたいから絵を描くわけでもないんだと思うんですよ。

そのへん考えているんですが、上手く掴めていないです。
小説を書く原動力って人によって違う、と言い切れるほど小説を書いている人を知らないっていうか。

> 僕はそうでは無かったのですが、ろっどさん自身はどうだったでしょうか?
> なんか昔話していた内容を類推すると、これにも当てはまるような気がします。

解釈が分かれるところです。そうだったような気もするし、そうじゃなかったような気もします。

> ろっどさん的に言えば、あそこでは誰もが"覚醒"していました。
> ろっどさんは怒るかもしれませんが、僕の目から見れば、あの場所で覚醒していたのはろっどさんだけではありませんよ。
> みんな、本当に一人漏らさず、週チャオのメンバーは正しく"覚醒"していました。

ぼくの言う覚醒とはちょっと違うと思いますが、そうですね、ひとりひとりが自己表現している場所だったと思います。

> 僕の要領を得ない話を総括するなら、結局のところ漫画やアニメ的な"覚醒"は僕らには無いのでしょう。

ぼくにはありました。

> 誰かを超えてやろうという気も起きませんし、誰かを認めさせてやろうという気も起きなくなりました。

なるほど。ぼくも同じような症状ですね。これ何でなんでしょうね?
この「誰か」って結構大事だと思っていて、超えたい!認めさせたい!って思えるような相手と出会えないことが一因かなあと。
新しいことを始める機会ってどうしても歳を取れば減るじゃないですか。だから人とマッチングする機会も減って行く。
ぼくたちの中でそれをするには、もうそういう睨み合いを通り越して認め合ってしまっているんだと思います。

> 僕やスマッシュさんは合いました。
> ろっどさんや、他の多くの人には合っていませんでした。
> そして、大半の人は週チャオという場所を去り、残った人の多くも小説を頻繁に書くことは無くなりました。

「あんまり上手くなくても結構面白い」ってゲームはたくさんあるじゃないですか。でもぼくたちは「あんまり上手くない」時に飽きるほど小説を書きまくっちゃったんですよ。
だから「そこそこ上手くなって」からじゃないと新しい楽しさは見出せなくなって来ちゃってるんじゃないかなー。
今は合わないとは感じていないです。というか、合う合わないで話すとぼくの場合何も残らない。そこに競いたい相手がいるか、気を惹きたい女がいるかくらいしか原動力がないので。

> ――いや、正しく"大人"になりました!
> なったのです!!
> 僕らはそれを誇るべきです!!!

ぼくはまだ子供ですけどね。永遠に夢を見るぞーーーーー!

> ろっどさんは"ろっどの物語2バトル"を書いていてどのように感じましたか?

今はあんまり悲観していないですね。すごい返信しづらい感想が来て苦労しているくらいかな?
思い出してみれば全力疾走していた期間が長かっただけで、ぼくは元々こういうぼけーっとした人間だったような気がします。
走っている最中って言うのは夢中すぎて、それが自分だと勘違いしちゃうんですよね。

> 自分でも思いますが、相も変わらず"ぽえみー"な文章書くでしょう?
> なかなか、好きなんですよ、こういう文章を書くのが。
> もう、ろっどさんの感想なんですけど、分かってはいるんですけど、でも、今こうして書いているのは僕の尖った自己顕示欲そのものです。僅かばかりに残った、僕の剥き出しの感情をこんな感想にぶつけています。

良いと思います。

> ま、それはそれとして、また次もオフ会やるんでしたっけ?
> ご迷惑でなければまた参加させてください。
> 伊豆ですか?山形の銀山温泉も良いとかいう話がありましたよね?

温泉はなんかロマンありますよね。昔の仲間と温泉オフで即興リレー小説とかなんか通っぽくないですか。

> 人生は未だ、楽しいことがいっぱいあると思います。

元からあんまり楽しい人生ではなかったので特に期待してないです。
ソニックみたいに生きられたら素敵だったんでしょうけどね!
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ありがとう
 ろっど  - 18/10/8(月) 2:59 -
  
>主題がろっどの物語2バトルという名前のせいか、感想コーナーで物語をバトルさせるスレになっているような気がしなくもないですが、僕はバトルせずに書かせてもらいます。

バトルしようぜ!

>加えて最近チャオラーの中で流行っているシリアスのものもコメディチックに描く(サブタイとか特にね)というスタンスも取り入れていて、寧ろろっどさんらしいなと感じました。
>鍛錬室の頃なんかは当時よく言われていた暗喩を赤いチャオで取り入れたり、進化のかたちでは冒険ものの再来感を取り入れたり、新しい空気を取り入れるスタンスが健在で、特別変わったという印象はありませんでした。

4章あたりからかな?なんか真面目過ぎて面白くねーなって思い始めて、流行に乗りました。
変わったような印象を自分自身で受けてしまったのは、色んな出会いと別れがあって本当に色んな経験をして来たので、少し昔の自分を忘れているのが一番大きいのかなって思います。

>書けば書ける、という言葉を使うのであれば、多分書けば書けるのはすまさんだけだと僕は思いますし、熱意をそのレベルまで十分に掛けられない人の作品の内容に大きく振れ幅があるのは当然だとも思います。

そうですね。ぼくも同じような考えを持っています。
思い返せばぼくは台風のような執筆スタイルでした。いずれぼくに火を付ける何かがあるでしょうから、それまではのんびり過ごします。

>ただ、昔の力も割と秘めているんじゃないかなとも思っています。
>それが常に発揮されることなんて僕は求めていないので(ろっどさんに対してだけでなく)、力を秘めながら好きに立ち回ってもらいたいなと思います。秘めているものがうっかりどこかで顔出したら面白いなくらいに思っています。

かつての"力"、だと……?
我の"力"を知り得るものがまさか現世に存在したとはな(とはな)。
ぼくの力がどこにあるのかすっかり忘れましたが、頑張りたくなったら頑張ります!応援ありがとう!
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Re(1):感想コーナー
 チャピル WEB  - 18/10/9(火) 0:23 -
  
僕にとってのろっどの物語は、1の頃から解釈の難しい話です。
だって僕は覚醒とかした事ないし。
強いて言えば、心理学者の言うフロー状態がそれに近いのかな、と思っていましたが、体験してないのでよく分かりません。
だから、覚醒出来なくなったと聞いても、なぜそれが問題なのかよくわからなかったです。
世の中には覚醒してなくても主人公っぽい人なんてたくさんいますよ。
そう、チャピルさんとか。

……というのは冗談ですが、普通の人が主人公になる瞬間が、人生に一回や二回あってもいいじゃん、と思っているのは本当です。
でも、それは本人の達成感とは無関係なのかもしれません。
研究発表から何年も経ってからノーベル賞が貰える人とか、自分が死んでから作品が評価される人とかいます。
他人に褒められることにモチベーションが寄りすぎていると、この世間とのギャップをどうしても埋められない。
一方で、自分の欲望だけに従っていると簡単に社会不適合者になってしまう。
むずかしいですね。

最近の自分が何を基準に行動しているか、考えてみました。
「貿易」と「怒り」という二点に集約されるのかなと思います。
「貿易」というのは、他の人が知らない要素を紹介してみたり、組み合わせてみるといったやつで、ハマると楽に儲かっておいしいです。
「怒り」は文字通り世の中のうまく行ってないことです。

なんというか、20代というのは怒りを蓄える時期なのかな、とも思います。
僕もSplatoon2ではないとあるゲームの開発に携わっていたわけですが、作り始めて半年くらいで、このゲームは前作を遊んだ人にとって驚きを与えられるものではないと悟りました。
でも、作らざるを得なかった。夏休みに間に合わせるという命令は絶対で、それを実現させるために、僕たちは妥当な取捨選択をしました。
サラリーマンだから上の命令には従わざるをえないし、結果的に売れてるから批判もしづらいのがムカつくポイントですね。

でも、そんな感じで怒りポイントを地道に溜めていると、そのうちフィーバータイムに突入して、連鎖の種が降ってきて勝てるんじゃないかなあと思います。
それか適当にぐちゃぐちゃ詰んでたらいつのまにか大連鎖起こせるかもしれないし。
覚醒以外にも勝ち筋は色々ありますよ。たぶん。
引用なし
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ありがとうございます。
 ろっど  - 18/10/9(火) 1:19 -
  
>強いて言えば、心理学者の言うフロー状態がそれに近いのかな、と思っていましたが、体験してないのでよく分かりません。

フロー体験は覚醒とほぼ同義だと思います。自己暗示でフローに入るってのが覚醒なのかなあと考えていました。

>……というのは冗談ですが、普通の人が主人公になる瞬間が、人生に一回や二回あってもいいじゃん、と思っているのは本当です。

今にして思えば何で主人公にこだわっていたのかは不明ですが、普通の人は主人公になれない印象が強いです。先入観と言ってもいいです。
ぼくにとっていつの時代も輝いているのは「普通じゃない人」で、そういう人たちにばかり憧れて来ました。その塵が山になってるんだと思います。

>研究発表から何年も経ってからノーベル賞が貰える人とか、自分が死んでから作品が評価される人とかいます。
>他人に褒められることにモチベーションが寄りすぎていると、この世間とのギャップをどうしても埋められない。
>一方で、自分の欲望だけに従っていると簡単に社会不適合者になってしまう。

どうもこんにちは、社会不適合者です。

>最近の自分が何を基準に行動しているか、考えてみました。
>「貿易」と「怒り」という二点に集約されるのかなと思います。

おもしろいですね!チャピルさんからこの話を引き出せた時点でろっどの物語2を書いた意義は大いにあったなと思います。
ぼくは10代のほとんどを「怒り」に費やして生きたので、何というかチャピルさんとはいつも遠い位置にいますね。
「貿易」はチャピルさんの積み重ねが形になったものなのかな?

>サラリーマンだから上の命令には従わざるをえないし、結果的に売れてるから批判もしづらいのがムカつくポイントですね。

そうでしょうね。心中お察しします。

>でも、そんな感じで怒りポイントを地道に溜めていると、そのうちフィーバータイムに突入して、連鎖の種が降ってきて勝てるんじゃないかなあと思います。
>それか適当にぐちゃぐちゃ詰んでたらいつのまにか大連鎖起こせるかもしれないし。
>覚醒以外にも勝ち筋は色々ありますよ。たぶん。

何に勝つのかはよく分からんですが、地道にポイントを溜める段階が来たのかなあっていうのはすごい感じています。20代後半。
最近は「ワクワク感」を基準に行動しているんですけど、ワクワクすることはそんなに多くないし、イベントも起こらないですね。今まで激動の人生を送っていたから違和感があるだけで、案外ふつうの人生ってこういうもんなのかなって少し寂しい気持ちです。
でもちょっと頑張ればワクワクすることは作れるんですよね。オフ会だってそのひとつだし。
フィーバータイムが来なくても、偶々配牌が良かったりカンしたらツモっちゃったり、なんだかよく分からない勝ち方もいっぱいあるので、お互いポイント溜めて置きましょう!
引用なし
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